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『物質的な豊かさを享受している日本。しかし、その一方で多くのものを失ったようにも思える。日々生じている理解しがたい事件や出来事が、そのことを雄弁に物語っているだろう。龍門寺(姫路市網干区)住職の河野太通(たいつう)老師は、80歳になった今なお、寺の修復に意欲を燃やしている。4月から臨済宗妙心寺派の管長と全日本仏教会会長の要職も務める河野老師を囲み、「絆(きずな)」「震災から学んだこと」「生涯現役」という3つをキーワードとし、「心豊かに生きる」とはどういうことなのか、姫路市長の石見利勝さん、作家の玉岡かおるさんとともに語り合ってもらった。』
『 人は誰も生涯現役
河野
こんなことになるとは、想像もつきませんでしたが、生来、私はのんき者で負担とは感じていません。生涯現役の「現役」という言葉は、一般的には、学校を出た後に働いている間のことを指して言われるわけですが、私のように就職したことはなく、得度をして僧籍に入った立場からすると、誰もみな生まれてから死ぬまで、生涯現役なのではないかと思います。
人それぞれいろいろな職業に就くわけですが、根本的に目的が踏まえられていなければならないと思います。私にとっての人生の目的は、仏になること、円満なる人格者になることであり、まさに生涯現役でその目的に向かっているわけです。
誰しも幸福を求めるわけですが、 自分の幸福を求めるために他者を傷つけるということは、結局自分の幸福にはなりません。ですから自分の幸福が、人類の幸福と調和する道を歩くことを心がけないといけないわけです。
日本も世界と調和する道を歩んでいかないといけない。子どもの時から死ぬまで、そういうことを考えなければいけないわけで、その点においても、まさに生涯現役であると思います。
石見
自分が幸せだと思っても、他人が幸せでないと、本当の幸せではないということですね。人の悲しみが悲しい、喜びがうれしいという教育が、必要なのかもしれません。
河野
私はよく皆さんに、生まれてきて最初に覚えているきおとは何かを思い出してもらいます。そう考えていくと、母親が毎日、自分のことから気持ちが離れたことはないのに、それについて、まったく記憶がないことに気付かされます。それに気付くことで、 いかにしてもらってばかりで、自分は何のお返しもしていないことに、気付きます。ざんげと感謝が足りなくなっているのではと思います。
玉岡
老師が生涯の意味をおっしゃってくださいましたが、幼いころから培われたものが今の自分の作品に花開いているのだと、実感しています。人生を生きることが、まさに生涯現役であるということですね。』(『』の部分引用です)
“いかにしてもらってばかりで、自分は何のお返しもしていない。。。”子育てってまさにこういうことなのでしょうね。次代へと引き継いでいくことが自然に行われていた。。。お母さんて、何と偉大なんだろう。と思わされた一文でした。当り前といえば当り前のことかも知れませんが、“虐待”などという言葉はこの世から消えて無くなって欲しいと思います。
『刺激的情報で終わらぬために』。。。 2012.09.16 コメント(8)
『女性生徒が察知した暴力の匂い 男たち… 2012.09.04 コメント(2)