2009.01.09
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先日日記でも書いた、会社のパートさんの息子さんのお通夜に昨日行ってきた。

もちろん自分自身はその息子さんとは全く面識もないし、ぶっちゃけてしまえば悲しくもない。
けれど、式場で椅子に腰掛け、参列者にあいさつをしているパートさんを見かけた時、
気が重くなってしまい、焼香の時にも目を合わせることもできなかった。

元々その人はあまり感情を表に出さない人で、何かがあってもさほど表情のあまり変らないような人。
斎場で見かけた時にも、一見すると普段店で見かけるのとさほど変わらない様子。
ぱっと見は何も変らないはずなのに、やっぱりというか当然というか、何かが違う。
表情に精気が感じられないのだ。
もちろん息子さんが亡くなって悲しい気持ちはあるだろうし、泣きに泣いただろうし、
息子さんが事故にあって意識不明の間、看病しつづけ、亡くなってからもお通夜や告別式の準備に追われて
疲れているんだとは思う。
けれど、疲れきっている というのでも、悲しい表情 というのでも無表情なのでもなく、
ただただ精気が感じられないのだ。
それを見た時、子供や大事な人を『心の準備のないまま突然』亡くすと、人はこうなるのかな と思った。

一緒に行った店の人が言っていた。
「今はまだお通夜だし、人が大勢来ていて気が張り詰めているから、どうにか保っているけど、
明日の告別式で最後にお棺のふたを閉める時とか火葬する時、お骨を拾う時に一気に感情が噴き出すのよねぇ…」

自分の祖母の時には元々身体を壊して入院していたし、先が長くないのもわかっていた。
なにより88歳という高齢だったので、亡くなった時も、大往生だと思っていた。
もちろん悲しくはあったけれど、思ったほどには悲しいとは思わなかった。
むしろお疲れ様 の気持ちの方が大きかった。だからお棺のふたを閉める時も火葬場でも感情が噴き出すようなことはなかった。

けれどある日なんの前触れもなく、家族や大事な人を亡くしたとしたら……
やっぱりこのパートさんのように表情が精気を失うほどの喪失感を覚えてしまうんだろう。

死にたいと思って死ぬ人はもちろんあまりいないだろうけど、
やっぱり子供が親より先に亡くなるというのは切ないもの。
自分の親には子供の死に目に立ち会わせるようなことはさせたくないから、
自分は少なくとも親が死ぬのを看取るまでは死にたくない。


告別式の行われた今日は一日中 奇しくも悲しみの涙雨……





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Last updated  2009.01.10 00:52:15
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