全211件 (211件中 151-200件目)
3泊4日の、ガラパゴスの、クルーズツアーを満喫し、島の一つ、サン・クリストバル島にて、揺れる身体を休めています。船酔いは絶対しないと自信満々でしたが、やられましや。揺れ過ぎでした。3連発で、アップし、リアルタイムに追いつきたいと思います。==============================2009年11月13日(金) 51日目(エクアドル2日目)バルトラ島の飛行機を降り、バスに乗って、10分弱、船着場に着きました。ここで、船に乗り換え、サンタ・クルス島へ向かいます。船で、わずか数分で対岸へ着きました。そして、又、バスに乗り、サンタ・クルス島の町、プエルト・アユラに向かいます。緑が全くないなー、と感じていたら、少し緑が出て来ました。30分近く走ったら、全く景色は変わり、緑一色になりました。40分で、プエルト・アユラの町に着きましたが、そこを素通りして、船へ行くようです。ここが桟橋です。船の上で、昼食です。パスタでした。ちょっと休んで、又、サンタ・クルスの島へ上陸です。そしたら、アシカ君が、桟橋で昼寝してました。さすがに生態保存の島です。人間なんぞ、何者だ? ってな顔して寝てました。大きな陥没した所があると言うので、バスに乗って行きましたが、先ほど、空港から来た道を、30分も戻っています。これなら、来る時に見たほうが、よっぽど効率的です。この陥没を見てから、意味のない山の中を歩きました。ここで、トラブル発生です。僕の目の前を歩いていた、おばあちゃん、足元が怪しいなー? と思っていたら、案の定、フラフラっとして、倒れました。でも、怪我もなく、ちょっと手を貸してあげただけで立ち上がりました。尚、このツアー、全部で15人です。その後、白人のおばさんが、手助けしながら歩きましたが、下り坂の岩場で、又、転んでしまったのです。今度は、膝に怪我して、真っ赤な血がだらだらと流れてます。ツアーガイドを呼び戻して、ドイツ人のおじさんと二人で、担いで先を急ぎます。もう、ここのツアーは中止にして、町へ戻り、病院へ行くことになってしまいました、何の為に、船から上陸し、山まで来たのか意味ありません。でも、おばあちゃん、打ち所が悪かったら、大変な事になっていたはず。膝の怪我くらいで済んで、ほんとに、良かったです。何しろ、岩場でしたから、頭でも打っていたら、天国行きだった事さえ、考えられます。そんな事で、時間があまったので、町を散歩してたら、ペリカンが海老屋さんの店の裏で、餌をねだってました。どこにでもいます。ペリカン。人間が、捕まえたり、何にもしなければ、こんなに近くても、平気で留まっているんですね。船に戻って、夕食です。これだけなんですが、白人達、足りるのでしょうか?
2009.11.17
コメント(10)
2009年11月13日(金) 51日目(エクアドル2日目)本日より、3泊4日のクルージングです。ホテルまで、迎えが来ると思いきや、空港まで、自分で行けってことです。昨日、着陸した空港へ、逆戻りです。空港待合室です。長距離バス停に比べますと、雲泥の差がありますね。やはり、何十倍も支払うのだからでしょうか?飛び立ちました。グアヤキルの町も、上から見ると、かなり大きいです。朝9時10分出発で、飛行時間も1時間半ほどですが、食事が出ます。実は、儲けたなー! と思うことがありました。日ごろの行いが良いと、こう言う事もあるのだと、記憶して頂きたく、写真をアップします。どうですか?このゆったりした席と、嬉しそうな、アジアの星一番さんは?どう見ても、エコノミーに席に見えませんね?そうなんです。何故か知りませんが、ファーストクラスにしてくれたのです。嬉しいではないですか!僕の隣に座っている、少しデブのお兄さんですが。5泊6日のクルーズで、な、なんと、3200ドル、30万円もする豪華客船に乗るそうです。すごいですねー! さすが、ファーストクラスの客です。一方の、アジアの星一番は、3泊4日で、たったの380ドルです。この差は、きっと、すごい居心地の差に表れるのでしょう。まぁ、でも、良いのです。豪華さを楽しみに、クルーズツアーに参加したのではないのです。あくまで、ガラパゴスの動物達に会いに行くのですから。などと思っても、ちょぴっと、虚しい気持ちも湧いて来るので、外を見ました。空と、雲と、海です。海と空の境が曖昧です。雲がなかったら分かりません。1時間30分ほどで、見えて来ました。ガラパゴス諸島。着陸態勢に入りました。ガラパゴスの島は、茶色です。無事、着陸しました。1時間40分かかりました。もう、ここは、南アメリカ大陸から、1000キロも離れた太平洋上であります。着陸した島は、バルトラ島と言って、下の写真の「ここ」と記載ある所です。何故か、本島の、サンタ・クルス島に飛行場があるのではないのですね。これも、自然の生物、動物を守るためでしょうか?ガラパゴス、1日目、続く。
2009.11.17
コメント(7)
2009年11月12日(木) 50日目(エクアドル1日目)もうエクアドルの、グアヤキルに居ます。南米です。飛行機に乗って、パナマシティから、一っ飛びでやって来ました。飛行機と言うものは、何と、贅沢なことでしょうか?チェックインカウンター、なんぞと言う場所も、久しぶりなので、初級の旅人の如く、写真に納めました。ここはパナマシティの空港です。もうパナマを出国しました。色んな、空港独特の高級なお店が並んでますが、ここに用事はありません。これが、パナマの飛行機会社、Copa Airlines です。1時間半も飛びますと、コロンビアの上空は、ずっと前に飛び越えており、着陸準備に移ります。エクアドルの海岸線が見えております。丁度、2時間のフライトで、着陸しました。ガラパゴスへ、自分でエアーチケットを買って行くか、ツアーで一式買ってしまうのが良いのか、この時点でも、もうエクアドルに着いてしまったのに分かりません。取り合えず、ガラパゴス・エアーラインへフライトの時間と料金を聞きに行きました。そしたら、並んでいる人が多いので、実際は、Tameエアーラインにて聞いたのであります。この二つの航空会社がガラパゴスへ飛んでます。365ドルで、毎日1本か、曜日によっては、2本飛んでいました。直接買うなら、市内でも買えるので、ツアーも確認してから決めようと、ここで買うのは、止めました。結果的に、これが正解だったのです。市内へ移動です。タクシーの運ちゃんが沢山声をかけて来ますが、無視です。ローカルバスで行きました。たったの25セントで、7分程度で、市内に着きましたから、バスで正解です。正解ばっかりです。ホテルに、チェックインして、ツアー会社を探しに行かねばなりません。3軒、見ただけで、7ドルのホテルにしました。ホテル・ニウンカンチェと言います。部屋は、全く問題ありませんが、ネットが使えないのと、水シャワーなのが、不便です。ツアー会社を探しがてら、市内を歩きます。沢山あると聞きますが、探してみると見つからないですねー。 探し物はなんですか♪市の中心にある、センテナリオ公園です。旅行代理店を見つけました。3泊4日で、380ドル。もっと探せば、安いのもあるかも知れませんが、概ね、この程度の費用はかかると覚悟していたのと、1週間に1回の出発が明日なので、即刻、購入です。そして、エアーチケットも一緒に買いましたが、10ドル、直接買うより安く買えました。4日間船上で過ごすことになります。ネットも使えないので、ブログのアップも出来ません。豪華客船ではなく、とってもちっちゃな船です。まぁ、貧乏旅人ですから、ちっちゃくとも、海イグアナとか、陸イグアナとか、映像でなく、自分で見れれば、いいや、と思った次第です。ホテルへの帰りのついでに、カテドラルも見て来ました。夕食は、またもや、中華系の店です。チャーハンですね。これに、肉とか、野菜とか、具が少ししか入ってないスープを頼みます。ここでは、コンソメとメニューに記載されていました。明日のガラパゴス行きが、早いので、この夜は、早めに就寝。
2009.11.16
コメント(2)
突然ですが、これから、船の旅に出ます。暫くの間、ブログも更新できず、メールも受発信出来ません。船から降りて、ネットに繋げるようになったら、2日分づつアップして、リアルタイムに近づけるようにします。それでは、それまで、御機嫌よう!
2009.11.13
コメント(6)
2009年11月 11日(水) 49日目(パナマ5日目)昨日、パナマシティからエクアドルのキトへ行く、エアーチケット予約しました。旅行代理店を探しに、新市街を走り回りました。(実際は歩いてですよ。)しかし、どこも閉まってます。何~んでか? と言うと、なんと昨日は、独立記念日で、休日だったのです。そんな事、知りまへんがな、あたしは。困ったなー! これでは、1日無駄になってしまうぞ? と暫く思案の後、超一流、五つ星ホテルへ行って見る事にしました。いつもの手で、宿泊客の振りして、チケットを手に入れようとしたのであります。エル・パナマ。五つ星ホテルです。案の定、旅行代理店は、開いていました。愛想の良い黒人のお姉さんがいましたが。残念ながら、エアーチケットは扱ってません。で、ビジネスセンターへ行って見ると、中には職員も、お客らしき人もいるのに、鍵がかかっています。どうもカード式の鍵が必要なようです。ここで、すごすご、引き返してしまっては、何の為に、ここへ来たのか分かりません。で、リセプションへ行きました。「エアーチケットを買いたいのだが・・・」、と言いますと、 「ビジネスセンターへ行って下さい」、との答え。「あ、鍵が閉まってましたが・・・」、と言うと、 「お部屋の鍵で入れます」、との答え。「くぅー」、と心の中で、叫び声がしましたです。 「帰ろうか?」、と弱気の声も出そうな、気分でありました。が、しかし、それでも、へこたれません。ここまで来たのです。 「ああー、僕は、その、ここに泊まっているのではないのです。」若いフロント、「はぁ~?」、ってな顔して、こちらを見ます。ここが、日本でしたら、「あ、あの、ぼ、ぼくは、び、びんぼうな旅していて、こ、こまったときは、い、一流ほ、ホテルへ行けって、お、おかあさんにい、いわれました。おわり。」って言う所なんですが、なんせ、日本語が通じません。で、「ガイドブックに、こちらの旅行代理店が扱ってるって書いてあったのです。それで、遠くから、タクシーに乗って来たのですよ!」、と帰る気配など、全く見せずに、堂々と言いました。そしたら、フロントのおじさんの方が、にっこり笑って、「気にしないで下さい」と言って、若いフロントに、何やら説明しています。どうなる事やら、待つこと、数分。若いフロントが、キーを持って出て来ました。結果的に、このフロントが、ビジネスセンターの鍵を開けて、職員に指示をするでもなく、自分で、パソコンと睨み合い、最終的に、Copa航空へ電話して、予約してくれたのです。さすが、五つ星のホテルですねー! おおらかです。僕が偉くなり、金持ちになった折には、泊まりにきますから、と心の中で、言って、感謝の気持ちのみ伝えましたです。(まぁ、こんなホテルに泊まれるほどの金持ちになるには、もう100年ほど必要ですが)そんな訳で、無事、エアーチケットの手配は出来たのです。あ、そうそう、コロンビアへ行くのは、中止にしました。コロンビアへ行くかどうか、迷いに迷っていまして、ブログで世話になっている、rokoさんには、コロンビア人にメールまで送って貰って、色々と、調べて貰ったりで、申し訳ないのでありますが、結果的に行くのを止めました。理由は、日程的な面と、金銭的な面、さらに安全面があります。パナマからコロンビアは、陸路ではいけない事が分かっていて、止む無く飛行機です。コロンビアからエクアドルは、バスで行こうとしましたが、夜は危険との事です。ですが、昼間だけバスで行くと、日数がかかります。一方、飛行機で移動する方法もありますが、お金がかかります。そんな理由より、ほんとは、行きたいのですが、中止にしてしまったのです。そして、今日、チケットを受け取りに行きましたが、エクアドルのキトでなく、ラパゴスに近い、グアヤキルへ飛ぶことに変更しました。ネットで、調べたら、どうも、ガラパゴスへ飛ぶ飛行機が混んでいるようなのです。早めに、グアヤキルへ移動し、それを確認したいと思ったのであります。と言うことで、チケットを受領してから「リベラニア国立公園」へ行って来ました。動物園かと間違えるほど、動物を飼育しています。サルですね。なんと言う、動物でしょう? 名前を忘れました。(アホやなー。)これも、なんと言う、動物でしょう? 聞きましたが、覚えられませんでした。(ほんと、アホとちゃうか?)こう言う若い女性、と言うより、少女のような人が、それぞれ交代で、案内と説明をしてくれます。こんな竹林の中などを歩きながら、話を聞くと、皆さん、女子高校生と言うことです。一ヶ月間、ここで実習をするのだそうです。日本で言えば、高校3年生で、今年の12月に卒業だそうです。今は、この国立公園に、15名の実習生が来ていると言ってました。動物の世話や、どのような生態か、などを実習しながら、お客さんが来ると、ガイド、説明、をしていると言ってました。こう言う所を歩きながら、さらに聞いたものであります。公園の中、。建物があります。国鳥の施設です。これが、国鳥の、ハーピー・イーグル(Harpy Eagle)と言います。精悍な顔つきをしていますね。大きいのだと、1mを越すそうです。(実物も、広い檻の中にいましたが、遠くて見えませんので、これ代用です。)生態やら、生息分布やら、色んな説明資料があり、子育てビデオなども説明と共に、見せてくれました。館内を見ていると、見覚えのある写真がありましたぞ。SONYと書いてあります。え? SONY創業者の盛田昭夫さんではないですか?この施設を建てたのが、盛田さんのようです。すごいですねー!世界的な仕事をする人は、儲けるだけでなく、還元もして、高校生が実習出来るようにもしているのですねー! 大したものです。話は変わりますが、ここ、パナマでの、車の人気は、 1.トヨタ 2.日産 3.三菱 4.現代だそうです。「アメリカ車は?」、と聞くと、「誰も買わない」との答えです。やはり燃費が高いので、人気がないようです。現代の車は、故障が多いと苦情があるらしいですが、4位にいるって事は、安いのでしょうね。昼食に、中華系レストランで、ワンタンスープを頼んだら、これが来ました。ワンタンは二つ入ってましたが、日本なら、何と呼ぶでしょうか?ラーメンですよね?新市街を歩いていたら、中国銀行もありました。旧市街には、チャイナタウンもあります。ガイドさんは、ちっちゃなスーパーは、みんな中国人がやっている。300万人の市民の内、100万人は中国人じゃないか? などと、自嘲気味に話してました。その数値は、どう考えてもおかしいですが、彼女からすると、その位、中国人は多いのだと言いたかったんでしょう。因みに、パナマ運河の、積載貨物の国別順位は、下記の通りです。 1.アメリカ 2.中国 3.日本 4.チリ 5.韓国 6.エクアドル 7.ペルー中国は2位です。たぶん、数年前までは、日本が2位だったのではないでしょうか?中国、大躍進ですからねー!頑張って、下さいよ、ニッポン!(こればっかり言ってる気がする。)
2009.11.12
コメント(4)
2009年11月 10日(火) 48日目(パナマ4日目)あー、今日のも、長くなりそう。書くこと、沢山あるのですねー、毎日が旅だと。これは、ホテルの洗面台の水道です。何かが違うと思いませんか?日本や、僕が訪ねた国では、概ね、左が水で、右がお湯でした。ここは、左がお湯で、右が水です。まぁ、これは、すぐに慣れました。慣れないのが、右の水のバルブが、反対廻しなのです。普通、左へ廻すと水が出て、右へ廻すと水が止まります。これって、世界的に特殊な場合を除いて同じなはずなんです。でも、ここは、反対です。始め、水が出ない? 故障か? と思い、何度も試して、ようやく反対回しだと気が付きました。いつも、水を止めようとして、逆にどひゃー、っと出してしまい、洗面台周りを、びしゃびしゃにしてしまってます。困りますねー! これ。そして、本日の昼食。チキンチャーハンです。量が半端でありません。これも、食べかけの写真ですから、実際は、もっとあります。且つ、これは、小盛りです。普通盛りは、さらに5割り増し位あります。パナマ人、どんだけ食べるのでしょうか? これで、2.35ドルですから、今の円高だと、200円少々、安いです。僕は、半分食べて、残りは持ち帰り、夕食にしました。私の食生活、やはり野菜不足と言う、皆様のご指摘であり、早速野菜を買って来ました。レタスです。レタスだけだと色合いが不足なので、トマトも乗っけて見ました。これで、ビールを一杯飲んでおりましたが、これでも、不足じゃなー、とチーズとゆで卵を乗せて見ました。どうです? 豪華な食生活になったでしょう?お皿と、醤油まで買ったのです。 荷物が増えるなー。ですが、ここパナマは、水道の水が飲めるほど、上水道が完備されています。レタスも、水道で洗って大丈夫です。ですから、食べられますが、中米の他の国では、水道の水が、茶色っぽいとかも在りますので、洗ったら、尚、汚れるって事もあります。生野菜は、食べ難いです。さてさて、本題です。パナマと言えば、運河です。その運河へ行って来ました。これが、パナマ運河の、ミラフローレス水門です。この写真が、パナマ運河の全容です。右の太平洋から、左のカリブ海まで、およそ80キロあるそうです。右下の、運河の上側が、パナマシティです。水門は、全部で、3箇所あるそうで、ミラフローレス水門は、太平洋側にあります。船が入って来ました。水面の高さを記憶して下さい。突然の豪雨で見難いでしょうが、ゲートが閉められ、水が抜かれました。船の位置が下がっていますね。多くの白人観光客がいましたが、あいつら体格はでかいけど、脳はあまり廻らないらしく、傘を持っている人は、ほとんどいません。大雨で、みんな、建物の中へ、逃げ込みました。しかし、日本代表、アジアの星一番は、傘持ってますから、ゆうゆうと一人で、運河の船を見ておりました。白人の中にも、日本人に負けじと、建物から出て来て、全身びしょぬれで、見ていた輩も数人いました。アホやな奴らじゃなー。ゲートを通り抜けた船です。これで、もう一段、水面を下げて、先へ進みます。水面が下がりましたね? 移動中です。雨も小降りになって来ました。そして、次の船が入って来ます。すごい人ですよ。観光客です。おー! 潜水艦が入って来ました。ガイドの人が、潜水艦がここを通るのを見るのは初めてだと言ってました。大変珍しいことのようです。どこの国籍か分かりません。たぶん、アメリカでしょうね。雨もあがったので、パナマシティの南にある、小さな3つの島へ行きました。ここから見る、パナマシティ、中米の国々の都市と比べると、大都市であることが分かります。豪華なレジャー船の向こうに、ビル群が見えまますね?あれが、新市街です。この風景、。どっかで見た事あるなー? と記憶を辿って見ますと、セントーサ島から見る、シンガポールでした。似てますね。旧市街へも行きました。ここは大変危険なので行くべきでないと、ガイドブックに書いてありますが、ポリスも多く、危険は感じません。新市街とは、全く異なる建物です。サン・ホセ教会です。金で作られており、豪華です。エンペラ族と言いましたかな? その民族衣装と同じものを、彼らが売っています。ここが、ポリスの建物で、その向こうに見えるのが、大統領官邸です。その他、カテドラル、パナマ政庁舎、国立劇場、パナマ運河博物館、フランス広場、パナマ・ピエホ、などなど、沢山見てきましたが、字数が一杯になってしまいました。残念ですが、載せられません。
2009.11.11
コメント(5)
2009年11月 9日(月) 47日目(パナマ3日目)ボケテにいると、静かでゆったりしているので、ほんとにボケテしまいそう。まぁ、元々、ボケテいるので、あんまり変わりはしないのですが・・・。スペイン語、10までの数が、ようやく覚えられました。今、99までの数を覚えるべく、努力中。既に、1ヵ月半が経過しているのに、この有様。早く覚えないと、スペイン語圏を通り過ぎてしまいます。やっぱり、ボケテいるなー。と言うことで、ボケ過ぎないうちに、パナマシティへ移動します。ほんとに、ボケテんなー、と思うことがありました。ここは、ボケテから、1時間かけてバスで移動した、ダビの長距離バス停です。パナマシティへのバスチケットを購入しました。出発時間が、10時半になっています。時計を見ると、まだ8時40分です。ん? ありゃ? おかしくはないかい?1時間に1本以上は、バスが出るって情報です。何で2時間近く待たねばならないんじゃ?行列が出来ているチケット売り場へ戻り、怒られるのを覚悟の上で、もっと早いバスはないのか? と、性格に似合わず、しつっこく聞きました。何を言われたのか、さっぱい分かりまへんが、10時半しかないと言うのだけは分かりました。せっかく5時起きして、ボケテ7時発のバスに乗って来たのに、困ったものだ、と思っていたのであります。詳細は、字数の関係上、略しますが、諸々の後、この待合室にいたおっちゃんの時計と、僕の時計が、1時間ずれている事が判明しました。な、なんと、コスタリカとパナマに時差があったのです。8時40分と思っていたのが、実は、9時40分だったのです。なんと、ボケテいるのでしょうか! ボケテで、僕は、皆さんより、ずっと1時間遅れた時間で過ごしていたのです。午後1時半で、少し遅い昼食だ、と思っていたのに、12時半だったのです。午後7時で、もう店閉めんのかよ! と思ったのは、午後8時でした。なんとボケテいたことでしょうか! 恥ずかしいですな。そんな事で、それ程待たずに、バスに乗りましたが、もう一つ、ボケテいた話があります。まぁ、これは、ボケテたと言うか、言葉の問題です。(言っときますが、僕は、ボケテいませんです。と思っております。)チケットに、46と書いてありました。で、46番の席に座っておりました。ほとんど満席になり、もう出発か? と言う時刻になって、家族ずれが、ぞろぞろと入って来ました。僕の席の前と、通路を挟んで、横の席に座りましたが、どうも怪しい雰囲気です。僕の方をチラチラ見ながら、何か言ってます。その内に、乗務員の体格の良い、お姉さんがやって来て、チケットを見せろ! と言います。僕としては、何ら悪い事としてないし、堂々と見せたら、えらっそうに、こっちゃ来い、って言うような態度なんです、その体格の良いおねえちゃんが!はっきり言えば、デブなんです。縦に歩いても、横に歩いても、通路を通るのが難しい程のデブなんです。あんた、そんなデブで、何でバス乗務員してるの? 歩き難いじゃろが?って聞きたい位です。でも、反論するだけの言葉の能力が皆無なので、バッグを棚から降ろして、エッチラオッチラ、前の方へ移動します。すると、「あんたは、ここ!」 と指差します。23番でした、腹立つやっちゃなー、何でここや! と聞こうとしましたが、24番の席を見ますると、うふふ、へへへ、何とも、美しくも、若い、デブでない、妙齢のお嬢さんが座っているではないですか!はは、へいへい、分かりやした!と、23番の席に、座ったとです。ありがたや、ありがたや。(もし、ジジィとか、ババァだったら、どうしたんでしょうなー?)バスが、暫く走ってから、隣のお嬢さんに、手真似で、46番の席なのに、ここに移動させられた、ってチケットを見せたら、教えてくれました。46番ってのは、このバスの番号だと。23番ってのが、あなたの座席番号だと。良く見たら、下の方の、欄外のような場所に、23と書いてありました。お恥ずかしい話で、バスの出発を、本件で、数分遅らせてしまいました。これも、ボケテにいたからでしょうか?彼女は、英語が話せます。僕より、言葉の数が少ない程度なので、、ほんの初級を始めたばかりって感じですが、一応、コミュニケーションは可能です。12時頃、彼女は、持っていた弁当を食べ初めました。周りを見ても、誰も食べている気配はありません、どっか、途中止まって、食べるのか、それとも、止まらないのか、分かりません。昼食は、出来るだけ、栄養価の高いものを食べたいので、どっか止まって、食堂で食べたいと思ってましたが、午後1時半が限界でした。パンと、ジュースと、トマトを食べてしまいました。丁度、食べ終わった時に、車内放送がありました。お嬢さんに聞くと、ランチ休憩だと言うではありませんか!「あなたと私は、もう食べたから、この30分は、関係ない」とか、説明してくれました。あっはん、ですなー。見てください。こんなに沢山の種類の、料理があるのです。おまけに、現物を見て頼めるのです。皆さん、ゆったりと、おいしそうに食べてますわ!そんなことで、又、バスは走り出しました。そうしたら、大雨になりました。スコールのような、豪雨と言うべきでしょうか?それでも、僕は居眠りしていました。目が覚めて、周りを見回して見ますと、隣のお嬢さん、何故か、フードを被っています。寝難いのかなーと思っておりました。暫くして、フードを取り外し、外を見ていましたが、突然、頭に手を持って行き、仕切りと撫でています。上も見ています。良く見ると、雨漏りがしているのです。先ほどの豪雨の影響です。僕は、バッグから渋谷駅で貰った、アコムのテッシュを取り出し、すばやく、棚の下に溜まった、水滴を拭き取りましたです。喜んでくれましたなー! その、お嬢さん。その後、水滴も大きくならず、従って、水滴が、お嬢さんの頭に落ちて来ることもなくバスは走り、そして、突然、海らしき、景色が見えて来ました。7時間の移動。パナマシティに着きました。隣のお嬢さん、どこまで行くのか? と聞いて来ます。取り合えず、新市街の安宿辺りを言いますと、「バスで行くのは危ない」と言います。「タクシーで行きなさい」と。「たった、2ドルだから」、とも言います。「あれ? 俺の財布、」、、見られたかな? と一瞬思いました。それで、タクシー乗り場まで、連れて行ってくれて、タクシーの運ちゃんに行き先を説明し、料金もキチンと交渉し、たったの2ドルで、安全に移動することが出来ました。アコムのテッシュが効き目あったなー、と、アコムに感謝しました。それからが、また、大変でした。「歩き方」に「書いてあった、16.5ドルのホテルが、な、なんと49ドルだと言うのです。その周辺歩き廻りましたが、エアコンなし、ネットなしでも、最低15ドル。諦めて、33ドルもする、ホテルに決めてしまいました。雑感中米各国は、WiHiと言われる、無線ランが普及しており、ちょっとしたホテルですと、どこでも、無料、若しくは、少ない金額で、使用可能です。まぁ、それが、旅行者にとって良いのか、悪いのか、分かりません。部屋にこもって、ネットしていたら、何の為に旅をしているのか? と言うことになります。それだけ、ネットは色んな事が出来るので、飽きないですね。友達なんていなくたって、一人で退屈しませんし、お金儲けだって可能です。非常に便利で、有難いことですが、パソコンや、ネットって、若しかしたら、人間の生活スタイルや、考え方まで、変えてしまうかも知れません。(既に、変わって来てしまっているでしょうか?)と思うと、ちと、怖い気もします。
2009.11.11
コメント(8)
2009年11月 8日(日) 46日目(パナマ2日目)貧乏旅人の毎日の食事なのですが、こんなようなのを食べてます。栄養が不足でしょうか? 偏ってますでしょうか?朝起きて、生姜紅茶を一杯。朝食は、インスタントコーヒーパン(その時によって、各種色々。要するにパンのみ。)トマト1ケ(トマトは、この辺りでは、最も入手し易い)ゆで卵1ケ昼食は、その町の、食堂とかで食べます。昼食が、一番、栄養を取るべき時なので、肉類も食べるようにしています。ですが、鶏肉が多いですね、結果的に。夕食は、外の食堂で食べる時もありますが、ネットが繋がるホテルの部屋ならば、缶ビール1本と、安物のウィスキーのお湯割で、つまみは、ピーナッツと、トマトと、ゆで卵でネットしながら、飲みます。その後は、カップヌードルか、パンを少々食べて、完了です。間食は、ほとんどしません。移動とかで食べようと、お菓子なん買っても、持ち運んでいるだけのようになってしまいます。どうでしょうか? 栄養失調にならないでしょうか?こんな食生活でも、腹が出て来ているようなのです。おかしいですねー?さて、ボケテは山に囲まれております。下記のような散歩コースがあります。 1周5キロコース 1周20キロコース 1周29キロコースそれに加え、温泉コースと言うのもありますが、一人だと30ドル位必要です。ホンジュラスで温泉は入ったことであるし、これは考慮外としました。で、20キロも歩くのは、ちと苦しいだろうと、5キロコースを選択しました。町は数分ですり抜けます。すぐにこんな景色となります。看板がありました。このコースを廻ります。ホテルが、1040mの高度で、ここの高い所で、1300mですから、大したことありません。散歩コースです。カフェ・ルイスがありました。町から歩いて、20分です。ここは、大きなコーヒー園で、農園ツアーもやっているそうです。農園見て、製造工場見て3時間で、30ドルも取るっていうのだから驚きです。横目で見て、通り過ぎました。ボケテの町の上流に、3本の川があり、町へ入る前に合流します。その3本の内の、1本です。この辺りを過ぎると、見渡す限り、コーヒー農園ばかりです。野うさぎも、農園脇で、餌を漁っています。のどかです。こんな別荘のような洒落た家もあれば、こんな、長屋のような家もあります。又、川がありました。さらに、もう1本あるはずです。川の水は、キレイですね。源流に近いからでしょう。上の方の木の下で、子供が手を振っています。コーヒー農園の上です。写真では、見えませんねー。坂道も全部、コーヒー農園です。因みにボケテは、パナマのコーヒー生産の70%を占めるそうです。コーヒー農園が多いはずです。コーヒー豆が、沢山成っています。コーヒーの木って、花が咲くのですね。ほとんどの木には、実が成っており、花は見られませんでしたが、たまたま、道路わきの1本の木に咲いていました。地元の子供二人が歩いて登ってきました。兄弟かな?将来が有望そうな、精悍な顔つきをしています。全コース、休みなしで、2時間35分。16,641歩で歩きました。散歩には、丁度良いコースです。ホテルに帰って、ハンモックに揺られながら、本を読んでいたら、宿の主人が、バナナを、持って来て、石の上に置きました。そしたら、小鳥達がやって来て、バナナを、啄ばんでおります。のどかな日で、ゆらゆらと、ハンモックに揺られながら、小鳥達を見ていると、自然に、とろとろと、眠くなって来るから不思議です。
2009.11.09
コメント(12)
本日は、2度目の更新です。何せ、70ドルのツアーに参加したもので、盛り沢山の見学先があり、1回では、書き切れませんでした。それで、1日、遅れてっしまったのであります。パナマへ入国しています。============================== 2009年11月 7日(土) 45日目(パナマ1日目)夜行バスにて、コスタリカから、パナマへ入国しました。もう、すっかり、お馴染みの、出国風景です。ここは、コスタリカのイミグレーション。前日の23時に、サン・ホセを出発し、ここへは、朝の5時15分に着きました。しかし、ここで、45分も立ったまま、待たされました。検査官が居なかったのです。6時から出国検査開始なら、バスをゆっくり走らせて、6時ぴったり位に着くようにバスを走らせるなど、工夫が必要ですよね? 眠いのに起こされて、待たされているのに、誰も怒りません。パナマ入国は、もっとひどかったです。入国手続は、規定の5ドルの他、袖の下を1ドル取られたものの、意外とすんなり、手続完了しましたが、荷物検査に、どえらく時間がかかりました。検査自体に時間がかかったのでなく、検査官が来ないのです。そんなこんなで、出国と、入国で、3時間もかかりましたよ!薄明るくなった、5時15分から、太陽がまぶしい、8時15分までです。疲れます。おまけに、この夜行バス、満席だったです。今までの、長距離高級バスは、半分も席が埋まれば、多い方でした。それが、夜行の今回に限り、ほぼ満席です。さらに、おまけに、隣がデブのおじさんです。さらに、さらに、おまけに、前は、座席を目一杯倒して、人の迷惑を考えない、これ又、デブのおばさんです。そう、足は長くない、アジアの星一番ですが、寝にくかったです。パナマへ入国して、45分で、ダビの町を通過します。ここで、僕は降りました。mixiで、ボケテの町は、静かでとっても良いと言う情報を得ていました。このダビの近くです。で、交通費は、かなり損をしますが、そのボケテへ行く事にして降りたのです。因みに、夜行バスで、そのままパナマ・シティへ行けば、37ドルで行けます。途中のダビで降りても、金額は同じです。よって、ダビから乗るバス、たぶん15ドルから20ドルは、余分な出費になるでしょう。ダビからローカルバスで、ほほ1時間。ボケテの町に到着しました。夜行バスで来たので、アジアの星一番も、ボケテいます。え? 言うと思った? ですと? そうそう、どこで言おうかと思っていたのです。ボケたのが、ボケテへ来たら、ダブルボケです。覚えやすい地名です。ここが、町の中心の広場です。宿探しの為に、歩きました。広場の通りから1ブロック歩いた、次の通りです。広場の通りと、上の写真の通りを、さらに歩き抜けると、もう田舎です。町を、たったの、3分30秒で、通り抜けてしまいました。こりゃー、今までで、一番、ちっちゃな町です。宿探しで、町を一周してしまいました。 ネットなしの、一番安い宿で、15ドル。 ネットありの、普通の安宿で、負けて貰って、27ドル。 ネットありで、ちと高級な宿で、55ドル。見るべき所も、なんにもないし、まだ、11時だし、このまま、ダビの町へ戻ろうかと、又、広場へ戻って来ました。そしたら、広場の反対に、もう一軒、ホテルがあったので、チェックしました。宿の主人が、愛想も良いし、部屋も清潔そうで、シャワー室も広く、使い安そうだし、ネットがないのは残念ですが、泊まることにしました。1泊15ドル。オスタル・パラシオスです。確かに、この町は、山の間に挟まれ、静かな町です。標高も、1000mあるので、涼しく、過ごしやすいです。もう1泊するかどうかは、今晩、決めようと思っています。追記ここパナマは、アメリカドルが、そのまま使えます。紙幣は、全くのアメリカドルが、この国の紙幣です。ただ、硬貨は、PANAMAと記載されたものがあります。両替する必要がないので、便利で良いですが、アメリカドルだと、他の国と比べて、余分に使ってしまいそうです。例えば、コスタリカは、600コロンが、100円です。でも、ここパナマは、100円と言えば、0.95ドルです。1以下と言えば、安そうに感じますよね?おまけに、硬貨が、いくらなのか、分かりにくく、卵2ヶ買って、86円も支払ってしまいました。これ、絶対に、損してます。卵2ヶが、86円もするはずありません。自分で、コインを出して支払ったので、文句言えた事ではないのですが、店のジジイ、多すぎるとか、何にも言わないのです。嫌なジジイです。
2009.11.08
コメント(2)
2009年11月 6日(金) 44日目(コスタリカ4日目)全く、何もしない1日でした。今夜、23時発の夜行バスで、パナマへ向かいます。丸1日あるので、どっかへ行こうかなー? とも思いましたが、本日も今後の旅程の検討を行っただけであります。昼飯は、食べに行きました。ホテルの目の前にある、中央市場の食堂です。鶏肉と、ご飯を頼みました。イメージとしては、ケンタッキーフライドチキンが二切れと、ご飯と、キャベツの切ったのが出て来ると思ったとです。しかし、こんなのが、出て来ました。チャーハンじゃ、ないの? これー?と文句言おうとしましたが、このご飯の中に、大きい切り身の柔らかい笹身が、沢山入ってました。ケンタッキーより、こっちの方が良かったです。(かなり食べてから、写真撮りました。もっともっと量が多いのですよ。)鍋のようなのが、あったのでスープか? と聞くとそうだと答えます。もうスープのこと、ソパって言うくらい覚えました。汁物、大好きですから、嬉しいです。行って、注文して、食べ物が来て、食べて、支払って、帰るまで、30分もかかりません。あとは、何をしてたかと言うと、ずっとネットしてました。日本の株、下がってますねー!円高は、そのまんまだし・・・。デイトレーダーとしては、このまんまでは困るのです。しっかり舵取りして下さいよ! 民主党! と言いたいです。
2009.11.07
コメント(2)
2009年11月 5日(木) 43日目(コスタリカ3日目)さて、70ドルの高額ツアー、「ランケステル植物園」にやって来ました。カルタゴの町から、たった6キロの位置にあります。この草、「インディアンの葉」と言われている由。ガイドが言ってました。表が緑、裏側が赤っぽいです。これを頭の後ろにつけると、インディアンだと言うのですね。ほんとかどうかは知りません。ガイドの話です。お? 何やら、中国的な? いや日本的な? ものが見えて来ましたぞ?漢字で書いてあります。えっと? 何て読むのでしょうか?うっうんとー・・・、あ! 分かりました!始めの5文字は、コスタリカでしょう! コスタリカ草堂ですね。おー、日本庭園です!ここの庭を作っていたのですねー、昨日、コーヒーをご馳走してくれた庭師の方。水の色が汚いのは、残念ですが、日本的な雰囲気は出ています。さらに歩くと、まだ日本家屋のようなものも竹林の向こうにあります。この庭園は、欄が有名で種類も多くあります。今は季節でないのか、あまり咲いていませんでしたが、それでも、ありましたので、紹介します。 ランケステル植物園を見終わったら、もう午後1時半です。ツアーには、昼食もついています。野菜が出て来ました。本日のツアー参加者は、下記です。 ドイツから来た、中年のカップル メキシコから来た、若いカップル ベネズエラから来た、父と子(?) 日本から来た、貧乏人、アジアの星一番この頃は、まだ打ち解けず、黙って食事してました。で、電子辞書を取り出して、ドイツ語で、どこから来ましたか? とか、これから、どちらへ行きますか? などと聞いたら、段々、話が盛り上がって来ました。メインデッシュです。ガイドが魚がお勧めと言うので、素直な僕は、魚にしました。旅に出て、初めての魚です。白身魚の、フライですかね?さっぱりして、食べやすいです。話し出してみると、ドイツ人が、話し好きで、又、酒好きなのですねー!テキーラの飲み方で、盛り上がりました。まず、テキーラを、クッと飲んで、塩をチョコッと舐めて、レモンをかじる。これが飲み方だそうです。ラム酒はどうだ? と聞けば、誰も知りません。そんな訳、ねぇーだろがー? ラム酒は、中米原産だぜ? 散々説明した所、発音が悪かったのです。ロムって発音するらしいです。ROMって書くようです。食後のコーヒーです。勿論コスタリカコーヒー。目の前で、淹れてくれます。味は、どうも僕の舌の感覚がおかしいのか、やはり、国立劇場の大理石のテーブルで飲んだコーヒーと同じ味で、僕には、おー! おいしい!って言うような感じではなかったです。勿論、不味いのではないですよ。インスタントコーヒーに馴れ過ぎていて、本物のコーヒーの味が分からなくなってしまっているようです。ツアーで一緒の皆さんです。もう完全に打ち解けました。皆さん、英語が母国語でないので、話しやすいし、分かりやすいですね。これに、気取ったイギリス人とか、フランス人が入ると、雰囲気は変わってしまいます。次は、オロシ渓谷を見て、サン・ホセへ帰ります。この吊橋を渡って、オロシの町へ行きます。オロシの町で、古い教会を見て、峠を越えます。景色は良いのですが、雨の影響か、水の色が土色です。番外編オロシの町は、とっても小さで、渓谷の中にある、静かな町です。教会へ行く途中、子供たちに会いました。カメラを向けると、こちらへ寄って来ます。中米では、子供たちもあまり、カメラに向かって、ポーズとったりしません。珍しく子供の写真を撮りました。
2009.11.06
コメント(8)
2009年11月 5日(木) 43日目(コスタリカ3日目)昨日、お会いして、コーヒーをご馳走になった、京都の庭師の方が、手がけたと言うランケステル植物園へ行く為に、現地ツアーに参加しました。70ドルです。思い切りましたねー。安宿だったら、10泊分以上です。貧乏していても、使うときは、使うんですぞ。 エヘン、オホン!旅行代理店で、8時出発、午後4時頃帰ってくると聞いたので、5時起きして、いつも通り、生姜紅茶飲んで、ゆったりと部屋で待ってました。そしたら、7時20分に、部屋をノックする人がいました。宿のおばさんです。もう、バスが迎えに来ていると言うのです。パジャマのまま受付へ出て行くと、ツアー会社の人が待っています。「何で、こんなに早いんじゃ! 8時だろうが!」、と怒りまくります。途中経過は省きますが、貰ったチケットには、7時20分と書いてありました。説明を聞いたので、チケットまでは確認してません。こっちが悪い事になりました。大慌てで、準備し、着替えて出かけました。バスでは、既に4名の人が待っています。別に怒ってません。良かった!さらに2名を乗せて、超高価なツアー出発となりました。サン・ホセの町、高いビルもあれば、路面電車も走ってます。中米の都市では、ここは、大都市ですね。途中の朝食休憩を挟んで、1時間も走った頃、急坂の、山登りとなりました。景色は最高です。サン・ホセの町が、中米のスイスと言われているらしいですが、このイスラ火山からの景色は、差し詰め、ユングフラウヨッホへの道とでも言うべきでしょうか?下の方に見えるのは、カルタゴの町です。ここをスイスと例えれば、レマン湖にあたる湖がないのは残念です。着きました。山頂です! サン・ホセを出発して、2時間です。ううう! ブルブル! 寒い! 寒いです! 標高3431mもあります。皆さん、準備が良いです。そう言う私、アジアの星一番も、ちゃんと、ブルゾンを持参しております。このイラス火山ですが、1963年に最後の噴火し、その後は沈静化しているそうです。だから、ここまで来れる訳ですが。カルデラです。水は、ほとんど溜まっていません。なんだよー! こんなのかよー!深い緑色の、カルデラ湖があるって言う話なんだけどなー?と、急ぎ足で、前方へ進みますと? ありました!これです! これが、超有名な(たぶん)、カルデラ湖です。水面が、ちょろっと見えますが、何とも言えない、色合いです。急いで歩いたからか、妙に激しい息切れがします。はぁー、はぁー、はぁー!高地だからです。それを忘れてました。1100mから、一気に3400mまで上がって来たので、身体が順応していません。く、くるしい! オーバーな言い方ではないです。ほんとです。く、くるしい! ゆっくり、ゆっくり歩きます。何しろ、貧乏人で、ケチなもんですから、苦しくたって、せっかく、70ドル支払って、来たのだからと、全部見ないと気が済みません。一番、端まで来ました。15分ほど掛かりました。ずっと、はぁー、はぁー、はぁー、の連続です。高度と言うのは、これほどまでに、身体に影響するのでしょうか?こんだけ寒くて、高山病を引き起こすような厳しい環境でも、生き物はりっぱです。けな気に生きています。見てください。赤い花です。頑張れよ! と、声を掛けたくなります。一方、こいつ、誰ですか? こんな所で、昼寝している奴は?寒さと、酸素不足により、はぁー、はぁー、息も絶え絶えに、何とか、ちっちゃな売店まで戻って来たら、いたのです。鎖もなんにも、付いていませんから、野生なのでしょうねー?人間にも慣れているようです。平気で寝てました。息が苦しいし、寒いので、早く出発してくれー、とガイドに頼みます。頭の重さも、坂を下るにつれて、軽くなって来ます。これって、完全に高山病になりますね。マチュピチュとか、ボリビアの首都ラパスや、ウユニ塩湖などへ行くには、この体調では、困ります。高度に慣れながら行かねばなりませんなー。などと思いつつ、耳抜きしながら、カルタゴの町へ降りました。ここでも、まだ高度は、1500mあります。ロス・アンヘレス大聖堂に着きました。ここの裏側に、足や、手や、その他、諸々、身体の一部をかたどったものが、飾られています。これは病気の回復祈願や感謝の為に、信者が奉納したものだそうです。大聖堂の中です。追記コスタリカの命名の由来です。むかし、むかし、あるところに、リカ姫と言う名の、美しく利発な娘がいました。年頃になるに連れ、美しさは益々輝き、この世の人とも思えぬほどです。近隣各国の王子様は、是非とも、リカ姫を、嫁に貰いたいと、願い出ます。悩んだリカ姫一族は、ある日、全員を一同に集めて、プロポーズを聞く事にしました。リカ姫と、お付のものは、その1ヶ月も前から、高原の湖の辺で、身を清め、心を沈め、その日を待っていました。いよいよ、その前日、慣れ親しんだ、湖ともお別れです。最後の散歩をしていると、今まで見たこともない真っ赤な木の実がありました。リカ姫は、一つ取って、味を見ました。おいしい!とてもおいしく、いくつでも食べられます。湖で手を洗おうとして、湖を覗き込み、リカ姫はビックリしました。口の周りが真っ赤です。手で擦って色を落としますが、仲々、落ちません。あまり強く擦ると、肌が荒れます。明日は重要な日、リカ姫は慎重に、擦り続けようやく色も落ちました。翌日、リカ姫は山のような貢物を持った各国の王子様達と会い、心のこもった、プロポーズの言葉を聞き入ります。そして、誠実そうな男性を選びました。その王子様は、その辺りでは、一番大きな国から来た人でした。その何年か後の、二人の会話です。「あの日の前日、口の周りが赤くなって、それを落とすのに大変だったの」「どのように、落としたのか?」「手で擦って落としました。」「手で擦ってのー?」「はい、手で擦りました。」「擦った、リカ姫か? 慌てたであろう?」「はい、ゆっくり、そっと擦りました。」「擦ったリカ姫 → 擦ったリカ → コスッタリカ」そうだ、この国の名を、「コスタリカ」に変更しよう!と言う由来だそうな。以上、作り話でした。相当、暇ですな。ですが、このコスタリカ。日本人が発音すると、コスタリカと、スとタが、上がります。地元の人たちは、コスッタ・リカ、とこのように聞こえます。擦ったリカです。COSTA RICAと書くのですが、擦ったリカ、に聞こえるのですねー。それで、想像力を働かせました。暇に任せて・・・。因みに、コスタは海岸、リカは、おいしいとか、金持ちとかの意味があり、金持ちの海岸、と言うような意味らしいです。
2009.11.06
コメント(4)
2009年11月 4日(水) 42日目(コスタリカ2日目)エアコンをかけなくても(部屋に付いてませんが)、暑くもなく、寒くもなく、丁度良い、気温です。気持ち良いなー、と感じるのですが、ここのホテル、市内の中央市場の隣にありまして、車の音がうるさいです。それと、部屋の照明が暗いです。歩きましたよー! 本日は。サン・ホセの市内を歩きまくりました。危険だとか、安全に注意だとか、この町も言われますが、お構いなしに歩きました。市内のど真ん中に、国立劇場があると聞けば、そこへ行き、北東に、動物園があると聞けば、そこにも行き、東に中華料理食べ放題があると聞けば、そこへも急ぎ足で行き、西の端に、TICAバスのチケット売り場があると聞けば、そこへも行き買って来ました。最も危ないと言われる、中央市場も、隅から隅まで歩いて見ました。でも、特に危険と感じる場所は、なかったですね。ヤバイですか?1万8千歩ほど、歩きました。写真も撮りまくりましたので、代表的な物のみ、紹介します。まずは、市内の真ん中にある、「国立劇場」です。パリのオペラ座を模倣して作られたって事です。これが、中央入り口です。そして、ジャ、ジャ、ジャァ~ン! 国立劇場の中であります。威厳がありますねー! グッと来ます2階席、3階席です。2階へ上がる階段も、全て大理石です。2階の特別席(?)から見る、1階の客席と、ステージです。1年を通じて、ダンスや、ミュージカル、バレエなどが演じられているようです。外を見れば、都会です。 トイレも大理石で出来てます。 庭には、ベートーベンの像もあります。 入り口の左手は、カフェです。テーブルも、やはり大理石で出来てました。ここで、優雅にコーヒーでも飲もうかと思ったのですが、高そうなので止めました。で、外に出て、次はどこへ行こうかと、「歩き方」を見ておりましたら、「何か、お探しですか?」って、日本語で問いかけられました。ここ、サン・ホセに住む、日本人の方です。しばらく、立ち話で、この町のことを教えて貰っていましたが、お茶でも飲みましょうって事になりまして、先ほどの、大理石のお店に行きました。僕は、やはり、コスタリカですから、コーヒーを頼みました。コーヒーは、ニカラグアの、ホテル・アメリカの朝食で飲んだ方がおいしいと思いました。おかしいなー? 舌がどうかしているか?声をかけて下さった方は、JICAで派遣されて、既に1年半、滞在されていると言う、庭師の方でした。この方、すごいんですよ! 金閣寺とか、平等院とか、あの辺りの庭師をやっていたと言うのです。お名前も聞きましたが、もし、何か、差しさわりがあるといけませんので、書きませんが、ボランティアであると、仕切りに言ってました。カルタゴから近い、ランケステル植物園も、手がけていると聞きました。それで、明日は、そちら方面のツアーに参加し、その植物園も見て来ようと思っております。見ず知らずの、この貧乏旅人であるのに、コーヒー、ご馳走してくれました。お忙しそうで、ティをささっと飲んで、支払いを済ませて、じゃー、と、立ち去って行きました。ありがとうございました。このお礼は、う~ん、心でしか出来ませんね。たぶん、もう二度と会う事もないでしょうから。よっぽどの縁がない限り。町の外れに動物園もあると言うので行って見ました。あんまり珍しい、動物はいませんが、動物を見るのは、楽しいし飽きません。サルたちです。 鳥も沢山、いました。 それから、太ったお母さんと、小さな子供たちが沢山いました。太ったお母さん達を見るのも(横目でですが)、楽しいです。「おー! 本日、最高のデブさん!」 とか、独り言を言いながら・・・。子供さんで、大デブは、ほとんど見かけないのですがねー・・・。遅い昼食です。中華のブッフェがあるし、安いとと言うので行きました。「安い」、と言う言葉に弱いです。いつでも、その言葉に釣られて行動します。これで、7種類くらい、入っています。ブッフェですから、好きなのを、。好きなだけ、持って来れます。このポット入り、チャイニーズティも、食べ放題に付いているのです。有難いですねー! 半分、飲んだら、腹がぽちゃぽちゃ、音がします。野菜と果物を食べようと、取りに行ったのですが、麺もおいしそうだったので、持ってきてしましました。これは余分です、食べすぎです。これだけ、食べて、飲んで、2300コロン(380円)です。驚きますねー!昨日の、ビッグマックより、ずっと安いです。明日は、ツアーに入るので、明後日も来よう! 朝食抜かして来るかなー?満足な1日でした。
2009.11.05
コメント(8)
2009年11月 3日(火) 41日目(コスタリカ1日目)涼しいです。ここは、コスタリカ。首都のサン・ホセです。標高1100mあります。ここで、訪ねた国は、56カ国目となりました。涼しいですが、ヒートテックを使用するには、ほど遠いです。出番はまだです。ニカラグアの、グラナダから、国境を越えて来ました。変わり映えしませんが、一応、日記ですので、途中の写真を掲載します。ニカラグアから、コスタリカに近い所に、風力発電が設置されていました。ニカラグアの出国。ここでも、TICAバスの係員が、4ドルを取って、手続をしてくれました。これ、ほんとに、必要な出国税なのでしょうか? 入国の時は、10ドルです。どちらも領収書はありません。 おっかしいなー? 損してんのかなー?コスタリカへ入国です。ここでは、自分で、入国手続します。待たされました。荷物検査も含めて、1時間45分もかかりました。ですが、お金を要求されたり、「歩き方」に書いてあったような、帰りのバスチケットを見せろ、とか、そう言う理不尽な事はなく、その点は問題なかったです。コスタリカ側も、中米各国同様、変わり映えしません。山です。サン・ホセへ着く、2時間前頃から、登り坂になりました。やはり、サン・ホセは、標高1100mある都市なのが、分かります。朝7時、グラナダ出発。夕方、15時45分、サン・ホセ到着。9時間弱のバスの旅でした。このバス、ずっーーーと、ラジオをかけっ放しでした。メキシコのどこやらで乗ったバスのように、各自の席の上にスピーカーがありますが、その音量を調整したり、消したりすることが出来ません。嫌でも、聞いていなければならないのです。これって、サービスでも何でもない、嫌がらせみたいなのです。メキシコのバスは、スピーカーの近くに、スイッチがあって、聞きたくなければ、オフにすれば良いのでした。きめ細かい心遣いに感激したものでした。ここでは、I-Podも聞けません。話は、変わります。バックパックです。バスでの、取り扱いが乱暴なのか、もう寿命なのか、愛用のバックパックに、又、又、又、穴があきました。 破れました。緊急補修をしましたが、他にも弱そうな部分があったので、2箇所もついでに、補修しました。何とか、旅の完了まで、もたせねばなりませぬ。針と糸と、隠し金を縫い付けて置いた、布地が役に立っています。そして、自分自身の、手先の器用さに、感心しております。裁縫屋さんになれば良かったかなー?食事(夕食)に出かけました。食堂も、どこにあるのか、分からないので、MACにしました。僕は和食党なので、日本に居たら、まず、こう言うのは食べません。ヨーロッパへ行った時は、何を食べて良いか分からず、食べた事はあります。ビッグマックです。これで、2900コロン(約500円)です。高いですねー! コークが多すぎます。こんなに飲めません。こんなに飲むから、こちらの人は、相撲取りみたいに、腹が出るのです。ビッグマックですが、皆さんは、どのように食べているのでしょうか?僕は、あんまり食べた事がないので、しっかり両手で掴んで、大きな口を開けて、こぼさないよう、そして、上と下と真ん中がずれないよう、ガブッと食べました。でも、それでも、上のパンと、下の肉と、その又下のパンと、さらにその下の肉とまだまだその下のパンが、ずれてしまいます。これが、ずれると、「くっそー!」、と思ってしまい、今度こそ、ずれないように! と食べますが、やっぱりずれます。それも大幅に。「くっそ、くっそー!」、と思います。そうなってしまったら、やけになって、ぐしゃぐしゃのまま食べるのですが、どうも、優雅に食べてないなー、トホホ、と思うのです。ビッグマックを、優雅に食べる人がいたら、僕はその人を尊敬するでしょう。サン・ホセの町は、大きいです。ホコ天もありました。暗くなると急に人通りが少なくなり、お店も閉め出しました。明日、ゆっくり、市内を散策する予定にして、本日は、早々にホテルへ引き上げたのであります追記ホテルですが、中央市場の隣にある安宿にしました。宿の人は、スペイン語しか話せません。丁度、ドイツ人の奥様がいたので、通訳して貰いましたが、その人の話では、始め高く言ってくるが、5000コロンまで負けるから、そこまで行かないなら、妥協しないようにって親切に教えてくれました。で、最終的に、5000コロン(約830円)になったのであります。又々、ドイツ人に感謝です。ところが、その先の話があります。部屋を見たら、シャワー、トイレ共同の、シングルベッドが一つ置いてあるだけの全くシンプルな部屋です、高級バックパッカーには、似合いません。で、お湯シャワー付き、トイレ付き、洗面台付きの部屋にしました。始めは、14000コロン(2300円)だと言ってましたが、8000コロン(1300円)になったので、それで手を打ったのです。しかし、しかし、その後、ドイツ人の奥様とあって話を聞いたら、僕よりいい部屋に泊まっているのです。部屋も見せて貰いました。ベッド二つで旦那さんといました。勿論、お湯シャワーも、全て付いています。それで5000コロンです。やられました。宿のおばさんの勝ちです。決めてしまったものを、ひっくり返すほど、僕も、非常識ではありませんので、仕方ありません。きっちり、8000コロン支払います。知らなきゃー、良かったなー・・・。
2009.11.05
コメント(4)
2009年11月 2日(月) 40日目(ニカラグア4日)ホテル・アメリカ。 中庭付です。いい雰囲気でしょう?僕の部屋は、左手前にあります。ホテル・アメリカ。 朝食付です。コンチネンタルだとか言ってました。コーヒーと、食パンだけです。ちょこっと見える、ゆで卵は、僕が持参しました。いい雰囲気の中庭を見ながら、一人で食べます。そうそう、コーヒーはおいしいです。さすが本場。僕のインスタントコーヒーとはかなり違います。ブラックで飲みました。コンチネンタルって、食パン三角にして4枚ですから、実質2枚、あの大食いの白人たち、絶対に足らないと思うけどなー?僕は、持参のゆで卵と、リンゴ1個を、さらに食べて、丁度良かったです。本日は、チャリを3ドルで借りて、グラナダの町を散策しました。これが、ホテルの前の通りです。朝は、このようにすっきりしています。が、夜は、多くの人で賑わいます。ニカラグア湖の船着場です。ここから、コスタリカに近い所まで行きます。15時間くらい、かかるらしいですが、それに乗りたかったのです。ですが、月曜と木曜しか運行していないとの事で、乗れませんでした。(手前にあるのは、遊覧ボートです。これで遠くへは行けません。)南東へ、ほんのちょっと、チャリで飛ばすと、こんな看板です。観光公園と言うことなので、5コルドバ(25円弱)を支払って入りました。きれいな、まっすぐな道路が続いてました。湖水浴を、楽しんでいる人たちもいます。あんまりキレイな水でないので、僕は、誘われても遠慮したでしょう。(誰も誘ってくれませんが。)牛さんたちが、湖畔でのんびりと草を食んでいます。借りたチャリと、牛と、ニカラグア湖畔です。木の枝越しに見た、ニカラグア湖です。(特に意味ありません。)西の方へ、チャリを飛ばしました。広場で、野球をやっています。ここニカラグアは、野球がポピュラーなようです。空き地でやってました。ピッチャー構えて投げようとしています。バッター構えて・・・、打ちました、大きい! 大きい! これは、大きい!レフト、オーバーのホームランです!かなり長い間、見てましたが、「一緒にやらんか?」、とは誰も言ってくれません。僕もですねー、地元のソフトボールチームの、サードで、1番を打っていたのです。打たせてくれれば、ホームラン打ったなー!何しろ、サードの頭を越せば、ホームランって広場なんです。夜は、晩酌をしています。あのエルサルバドルで、金くれ!って言われた、ミルトン君が、これがこの国で、一番、飲まれているんだ! と薦めてくれた、この酒です。これには、cane spirt と書かれています。そうです、ラム酒ですね。サトウキビを原料とする、当地原産の酒です。これは、30度ですが、それでも強いので、お湯で割って飲んでます。このラム酒には、面白い話があります。ご存知でしょうねー? 皆さんは。ラム酒の発祥はバルバドス島とか、プエルトリコ島とか、説もあるらしいですが、いずれにしてもカリブ海原産は、間違いないようです。サトウキビが原料ですが、サトウキビ栽培地域の拡大に伴いラム酒も広まって南北アメリカやアフリカでも作られるようになったそうです。で、日本人の皆さんに質問があります。「グロッキー」とはなんでしょう? か?広辞苑によれば、 1.ボクシングで強いパンチを受けてふらふらになること。 2.へとへとに疲れること。となっております。この「グロッキー」、ラム酒に関係するのですねー!僕は、知りませんでしたねー! 今、知りました。18世紀になるとラム酒は、イギリス海軍の支給品となったそうです。ですが、ラムは強い酒だったため、エドワード・バーノンという提督が水割りラムを支給することにしたのだそうです。部下たちはこの薄いラムのことを、グログラムという生地でできたコートを着ていた提督のあだ名からグロッグと呼ぶようになったそうです。現在でも水割りラムはグロッグと呼ばれ、泥酔することはグロッギーと言うそうです。この「グロッギー」と言う言葉が、なまって、日本では、「グロッキー」と使われているのだそうです。ほぉー! 勉強になりましたなー!エドワード・バーノンという提督が水割りラムを支給することにした。 → そいつは、グログラムと言う生地で出来たコート着ていた。 → で、兵隊達は、水割りラムをグロッグと言った。 → 今でも、ラムの水割りはグロッグと呼ばれているそうな。 → 水割りラムを飲みすぎて、泥酔することをグロッギーと言った。 →日本では、それが訛って、「グロッキー」となったのだそうな。
2009.11.03
コメント(8)
2009年11月 1日(日) 39日目(ニカラグア3日)雨です。朝から雨です。今まで、旅の旅程に影響する雨は、全くなかったですが、本日は影響するのでしょうか? 近くの町、マサヤへでも行って、国立公園にも指定されている、標高934mの、マサヤ火山にも行って見ようと思っておりました。もう10時になりましたが、雨は、止みそうで止みません。止みました。11時を少し廻っています。でも、出かける事にしました。旅の途中です。出来るだけ見たいです。民芸品の町と言われるマサヤと、マサヤ火山国立公園の火口展望台へ行くのであります。後で、分かった事ですが、地図上の並びは、下記の通りです。グラナダ → マサヤの町 → マサヤ火山入口 →首都マナグアですから、首都マナグア行きのバスに乗って、途中で降りれば良いのです。本数は、これが多いのですから。地元の人々に聞きながら、町を歩きバス停を探します。マナグア行きのバス停で、「途中で降りればいいのだから、これに乗れ!」 とか言われましたが、「嘘つけ! この!」、とか思って、マサヤ行きのバス停を探しました。ようやく見つけて、乗りました。50分で、マサヤのバス停に着きました。12時半です。このバス停のすぐ脇に市場があります。ここに有名な民芸品も沢山売っていると言うことです。ですが、腹減ったので、取り合えず、昼食です。これが、この辺りの、一般庶民の定番昼食ですね。チキン、マメ、野菜、ライス、それに、ここでは、焼きバナナが付いてました。これで、35コルドバ(170円)です。トイレに行きたくなって、食堂で聞いて行ったら、なんと有料です。小は2コルドバ(10円)もします。「なんだよー、金取るのかよー!」と思いながら、マサヤ火山へ行く為に、バス停へ向かいます。この時、民芸品を見るのを、すっかり忘れていました。二つの目的の内の、一つを忘れてしまうのですから、10円とは、大きなお金ですなー。又々、オンボロのローカルバスに乗り、火山へ向かいます。車掌さんは、大声で何か怒鳴っています。インドと同じですね。リズムがある怒鳴り声なんで、気持ち良いです。バスに乗るときに、マサヤ・ボルカノ? ときっちり聞きました。従って、もう火山展望台へ行くものとばかり思っていました。しかし、こんな所で降ろされました。「あぁー? ここ、単なる、道路じゃん? どこに火山はあるの?」しばし、呆然としました。道路の脇を、見回すと、入り口らしき建物が見えます。ここが、マサヤ火山の入り口でした。トコトコ歩いて、中へ入って行こうとしたら、呼び止められました。「え? 何?」って気楽に聞いたら、80コルドバ払え、って言います。さらに聞くと、ここから、火山展望台まで、5キロあるそうです。「えぇーーー、5キロ? それも登り? じゃー、1時間半とか、2時間かかるじゃん!」って言うと、「そうそう、歩くのが嫌なら、もう100コルドバ払えば、車で乗せて行ってあげるよ。」「そう簡単に金よこせって言うなよこっちは貧乏旅人じゃ」、と頭の中で、計算しますと、 入場料、80コルドバ(400円) 車が、100コルドバ(500円)「な、なにー! ふざけな! そんなに払えん、高い!」 って言いました。係員、「高いだろ?」、と言いながら、ニヤニヤしています。忌々しい奴ですねー。どうしようっかなー? 歩いて行くには、時間も時間だし、明るいうちに、グラナダに帰れるか分からんなー? しかし、180コルドバ払うのも、癪だなー、と頭を抱え込んでおりました。そんな時、車から降りて、一人の白人がやって来ました。何やら、ペラペラと、スペイン語らしき、言葉で係員としゃべっています。そして、404コルドバを支払っています。どうも、頂上まで車で行くらしいです。すかさず聞きました。「あのさー、頂上まで行くの?」、と。支払いなどしている間、全然、返事をしてくれません。「なんじゃ、こいつ、白人だと思って、バカにしてるな、ふん!」と思っておりやした。ですが、支払いが終わったら、「頂上で、10分位しかいないけど、それで良いなら、乗せていくよ。」って言うのです。どうも係員が、乗せて行ってあげなよ、と言ってくれたような気配です。「おー、おー、オーケー、オーケー! そんでいい、そんでいい!」もし、景色も良くて、もっと居たいなら、下りの5キロくらい歩けばいいと、思いました。頂上に着きました。この車に乗せてくれた方、ドイツ人でした。お母さんと一緒に、ニカラグアの観光に来たようです。聞かれたので、中南米18カ国を廻っていると言ったら、お母さん、「グレイト!」とか言ってました。 どう言う意味?この登り坂を見て、「30分ここにいて、帰ります。」って、彼は方針を変えました。望むところです。そう言う方針変更、歓迎です。見えました。噴火口です!硫黄の臭いがしますねー。それもきついです。温泉タマゴ、食いたくなります。その周囲にも、以前、火口であったようなところもあります。反対側を見ると、雄大な景色です。写真では、湖が見えませんが、地平線上に、大きな湖が見えるのです。これは、ニカラグア湖であろうと思っておりましたが、ホテルに帰って聞くと、それは、マサヤ湖だと言います。地図にも載ってないほど、小さいマサヤ湖。でも、大きく見えます。因みに、ここニカラグアには、大きな湖が二つあります。マナグア湖。面積1049Km2ニカラグア湖。面積8000Km2でかいですねー! 8000Km2と言えば、100Km×80Kmですよ。東京から、箱根まで、ぜ~んぶ、湖みたいな大きさです。地図で見ますと、ホンジュラスとコスタリカに挟まれた、ニカラグアの、三分の二ほどは、湖でした。と言う事でありまして、100コルドバ支払う事なく、マサヤ火山見学は完了いたしました。ドイツ人に感謝。さすが第2次世界大戦の同盟国。もし、あんたらが、もっと頑張っていたら、今の世界は、全く違う地図になっていたんだぜ! 感謝しながらも、そう言ってやりたかったです。ま、歴史に、もし、はありませんけどね。
2009.11.03
コメント(10)
2009年10月31日(土) 38日目(ニカラグア2日)レオンの町は、1851年まで、200年以上この国の首都でした。しかし、もう一方の町、グラナダとの対抗心が大きく、抗争、対立を続けたのだそうです。それで、その真ん中に位置する、現在のマナグアを首都にしたと言う経緯があるそうです。レオンは革新的な町。本日行く、グラナダは、伝統を重んじる保守的な町。と言われます。昨日は、カテドラルを見ただけなので、世界遺産と言うレオンの町を散策して見ました。どこが世界遺産なのかと。ぐるぐる、市内を廻って見ましたが、どこが世界遺産に相当するのか分かりません。外観では、ないのでしょうかねー? この町が世界遺産なら、日本でも、相当数の町が、世界遺産になるのではないでしょうか? 昨日、外観のみを見たカテドラル、ここはさすがに、内部も見ごたえはありました。教会も多いです。雰囲気のある教会です。18世紀に建てられたと言う、レコレクシオン教会です。大きなスーパーもありました。品揃えも豊富です。ここで、例の如く、果物類を、大量に買ってしまいました。買物を済ませてしまいましたが、市場へも行きました。中米のどこの国とも同じように、活気があります。これだけ多いと、売れ残ったのは、どうするのかなー? と人ごとながら、いつも心配になります。買物して、オスタル・クリニカへ帰りました。トマトを洗っていたら、あの強引な引きとめをした、おばはんが来て、何を思ったか、そのトマトをくれ! と言います。冗談でなく本気です。アホとちゃうか?やっすいトマトを、何でくれ! と言うのでしょうか? しかも客にですよ!無視しました。そして、チェックアウトの時の精算、10コルドバ高いのです。(注:ニカラグアの通過は、コルドバです。1コルドバが略5円です。)宿泊料:150コルドバ、ペットボトルを頼んだので、17コルドバ、合計、167コルドバのはずなのに、177コルドバ、支払えと言います。「何でや?」、と聞けば、「あんたは、朝、ポットで、お湯を沸かしたろ? あれが、10コルドバじゃ!」と、言いおります。実は、部屋のコンセント差込口が、天井からぶら下がり、高い位置にあります。で、電気ポットのコードを差し込むと、テーブルまで届かないのです。それで、止む無く、ポットを持ってキッチンへ行き、お湯を沸かしたのです。なんで、これが、10コルドバなんでしょうか?当然ながら、断固抗議しました。(日本語で。)無茶苦茶、言ってやりました。まぁ、おばはんも、何を言われているかは、ジェスチャーも含めた日本語で言いましたから、分かったことでしょう。結構な時間を無駄に使いましたが、最終的に、「部屋へ来い! コンセントがどこにあるか見せてやる!」、と言ったら、しぶしぶ、3コルバドのお釣りをよこしました。ったく、こんなホテルは、今まで聞いた事も、見たこともありません。絶対に泊まっては、いけないホテルです。オスタル・クリニカです。記憶して下さい。むかっ腹立てたら、空まで曇って、雨まで降って来ました。昼間、雨が降るのは、旅立ち以来、珍しいです。で、タクシーでバス乗り場まで行き、ミニバスで首都マナグアまで向かいます。このミニバス、満席になり次第出発します。空き席はありません。マナグアで、どうやってバスを乗り継ごうと心配していましたが、着いた所からグラナダ行きがありました。スムースな乗継です。小さい国ですから、3時間かからずに、レオンからグラナダまで移動しました。グラナダについて、驚きました! カテドラルが美しいのです。おとぎの国のような色合いです、好みもあるでしょうが、レオンのカテドラルとは、全く異なります。このカテドラルからのみ見れば、逆にレオンの方が保守的って感じがします。こちらの方が明るいですね。その周辺も、垢抜けている感じがします。レストランも、洒落たお店が多く、英語の話せる人が多いので助かります。ここでは、チキンスープを頼みました。チキン、ポテト、キャロット、などが沢山入っています。中米の味ではないです。パンとご飯も付けて貰って、45コルドバ(220円くらい)です。十分、昼食になる量もありました。ホテルは、レオンで懲りたので、本日は、じっくり5軒ほど見ました。安くて、清潔で、エアコンがあり、ネットが出来るのが条件です。エアコンなしのファン付きで、25US$が相場です。エアコン付きですと、ほとんどが、35US$以上で、30ドル程度で手を打つか?と、観念しました。が、見つけました。ネゴもしましたが、23US$でありました。ここは快適です。ネットもフリー、朝食も付いてます。「ホテル アメリカ」、と言います。落ち着いた静かな町並みだと思っていたら、夕方から、騒がしくなりました。フロントに聞くと、本日は、ハロウインなのだと言うことです。そう言えば、本日は、10月31日でしたね。町中、人が沢山出て、生バンドも演奏していました。 追記レオンもグラナダも、同名の都市がスペインにあります。レオンは、スペインの北西部。カスティリア・レオン州、レオン県の県都。グラナダは、スペイン南部、アンダルシア州東部の県都。ざくろの木を、スペイン語で、グラナダと言うそうです。道理で、聞いたような名前だと思いました。スペイン人が、当地に乗り込み、勝手に故郷の地名を付けたのですね。
2009.11.01
コメント(8)
2009年10月30日(金) 37日目(ニカラグア1日)昨日は、サン・ペドロ・スーラの町を散歩したも、同然でした。道に、さ迷いながらでしたから、散歩の気分からは、程遠かったですが、町を見れたのは、確かです。高層ビルはなく、ごみごみした、田舎の町と言う感じでした。飛び込みで泊まったホテル・エコノミーは、エアコンもあったので、快適な睡眠を得られました。但し、4時起きです。昨日に引き続き移動だからです。中米の国際バス、TICAバスに初めて乗ります。早朝の5時出発。ホンジュラスの中央を、北西から南東へ大移動です。首都、テグシガルパで、乗客がさらに乗って来ました。政情不安なので、この首都は通るだけにしましたが、拘束され、国外へ追放された、元大統領と、クーデターで政権を得た、現政権が和解したようです。それも、昨日、29日に。もしそうなら、デモや両派の衝突は、暫くはないでしょうから首都に1泊しても良かったかも知れません。ま、和解は良い事です。平和な国家を創って下さいよ、と願いつつ、バスは走ります。途中、頭が重いなー、調子、悪いのかなー? などと感じました。貧乏旅の途中では、健康でなくてはなりませぬ。病気が一番、怖いです。昨日は、温泉に入り休養もしているし、体調万全のはずなのに・・・?そしたら、問題は高度差でした。テグシガルパは、高度1000mの高所にあり、ニカラグア国境近くは、平地です。で、耳抜きをしたら、頭の重さは完璧に取れました。良かった、良かった!8時間20分で、ホンジュラスの出国場所へ着きました。ここがそうですが、パスポートのチェックも、検査も何にもありません。ホンジュラスとニカラグアの国境も、川でした。ここを渡ると、ニカラグアです。ニカラグアの入国事務所。TICAバスの社員が、全員のパスポートを事前にバスの中で集めて、イミグレへ行きました。入国料が10ドルだと言うので、ほんとかなー?と思いながらも渡しました。乗客は、イミグレの反対側で、食事したり、タバコ吸ったり、おしゃべりしたりしながら待ってます。ここは暑いです。非常に暑いです。うんざりしながら、45分も待たされました。10ドルの領収書もなく、パスポートのスタンプもなく、あの10ドルは、正しく、ニカラグア政府へ渡ったのか、はたまた、誰やらのポケットに入ったのか、分からず仕舞いでした。このTICAバスは、ニカラグアの首都、マナグアまで行きます。「歩き方」に、こう書いてあります。「マナグア市内では、日本人が被害者となる強盗事件が日常的に発生している。マナグアには、宿泊せず、その日のうちに、比較的治安の良い、グラナダ、レオンへ向かうのも安全対策だ。」と言うことなので、途中の、レオンで降りました。このレオンの町は、町自体が、世界遺産なので、寄って見たい町でもありました。TICAバスから降ろされても、やはり、そこがどこか分かりません。タクシーが待っていて、仕切りに誘いますが、そう言うタクシーに乗りません。ぼられるだけです。暫く歩いて、地元の人に聞くと、町の中心まで、かなり距離がありそう。反対側から来た、タクシーが誘うので、それに乗りました。車だとすぐですが、歩いたら、相当、時間がかかったでしょう。と言うことで、バックパッカーにあるまじき、タクシー乗車ですが、お許し願いたい。町のど真ん中、中央公園でおります。中米最大の規模と言う、カテドラルを、まずは見たいのです。仲々、雰囲気はあります。青空にマッチしていますねー。しかし、中米最大の規模なのかなー? と思います。もっと大きいカテドラルどこかの町で何度も見た気がします。周囲を歩くと、どうも中央公園ではなさそうです。またもや、タクシーの運ちゃんに、別の場所で降ろされてしまいました。言葉が通じないと、間違いが生じるものですなー。又々、バックパック背負ったまま、歩き廻って、見つけました。これは、さすがにでかいです。変に塗装してないのが、好ましく、重厚さを増しているような気がします。宿は、750円の安宿にしました。ここで、アップ出来るような代物でないので、止めておきます。別のホテル探そうとしたんですが、宿のおばさんの、強引な引止めにあって、疲れてもいたし、決めてしまいました。「歩き方」にも載っている、オスタル・クリニカです。これが、とんでもないホテルでした。食事に行きました。ニカラグアのビールです。ニカラグアと書いてありますね。このビールは、あんまりうまくなかったです。昨夜の、超おいしいスープに味を占め、今夜も海鮮スープを頼みました。しかし、中をかき混ぜて見て、昨日とは全く違うことに気が付きました。なんと、ラーメンじゃー、ありませんか!昨日のスープを想定していたので、その面ではガッカリです。しかし、ラーメンは食べたいですから、その面では、嬉しいです。複雑です。まぁまぁ、おいしく食べられました。さて、宿です。絶対、蚊が攻めてくるぞ! と言う部屋でした。窓には、金網もありません。それを言うと、おばさんは、扇風機かければ、蚊なんぞ吹っ飛んでいく、とか、いい加減なことを、ジェスチャーで言います。実際は、案の定、夜中にやって来ました。念の為、蚊取線香を焚いていました。が、それが、きれた、夜中の3時。3箇所も刺され、眠れません。
2009.11.01
コメント(8)
2009年10月29日(木) 36日目(ホンジュラス4日目)バックパックが、破れそうになりました。今回は、穴があいたのではなく、破れそうなのです。しかも重要な、背負う所です。破れてしまってからでは、素人に補修は出来ません。慌てて、補修しました。分かりますか? 右上の部分です。黒の布を三角模様に切って、貼り付けました。勿論、黒い糸でです。これで、もってくれると良いのですが・・・。さて、本日、明日と、移動日です。本日は、コパンを離れて、ホンジュラス第2の都市である、サン・ペドロ・スーラへ行きます。コパンから直接、ニカラグアへ行くバスがないので、止むを得ずに、サン・ペドロ・スーラで1泊せねばなりません。今回も、超一等のバスです。乗客の手荷物は、全員調べられます。列をつくって、待っています。そして、乗客全員の顔写真を撮るのです。こんなの初めてです。写真を撮られたので、僕も撮った人を、撮りました。この人です。鼻はでかいけど、きれいな人です。メキシコでは、見かけない美人です。道中の半分は、オンボル2等バスで、既に通った所です。 超一等のバスですから、飲み物や、こんなのも出ます。1時間半ぴったりで、ラ・エントラーダの町に来ました。ここから、乗り換えて、コパンへ行ったのでした。ここで待っている時は、不安でしたなー。その後の、景色も、そんなには変わりませんが、農地や牧場が多いです。よていより10分遅れましたが、14時10分に、サン・ペドロ・スーラに到着しました。目当てのホテルが、すぐ近くにあるはずです。しかし、どうも雰囲気がおかしいです。この町は、各バス会社のバス停が、同じ場所ではなく、各地にバラバラにあると、「歩き方」に書いてあります。しかし、しかし、色んなバス会社のチケット売り場が並ぶ、大型のショッピングセンターのようです。「おっかしいなあー?」 とある、暇そうなチケット売り場で聞きました。「ここ、どこですか?」「○○バス会社です」こう言う聞き方は、アホですね。当然、そう答えるでしょう。聞かれた方は。で、何人かに聞いた所、数年前に、各バス会社のバス停が、一箇所に集合したのだそうです。で、場所も、町の中心から離れているそうです。「地球の歩き方」さん、困りますなー、早く改定してくれないと。バス会社が集まったので、国際バス会社の、TICAバスも、ここにあり、取り合えず、明日ニカラグア行きのチケットを購入しました。そしたら、このTICAバスから、ホテルを薦められたのです。30ドルで高いですが、送り迎えもついているし、ネットも無料でついていると言うので、そこに決めました。やれやれ、これで安心! と思いきや、「満室」でした。ここからが、大変です。タクシーにして置けば、難なくホテルにつけたのに、バックパッカーとしての、プライドが、タクシーに乗ることを、許可しません。ローカルバスで行きました。運ちゃんに地図を見せて、ここで降りたいと言っておいたにも関わらず、全く、予定と違う場所で降ろされました。それから、歩くこと、1時間半。泊まろうとしたホテルに行き着きません。聞く人、聞く人、違う方向を教えてくれるので、市内をグルグル、グルグルと歩き廻り、もう、どこにいるのかさえ、分からなくなってしまいました。それでも、タクシーには乗りません。こうなったら意地です。歩きます。補修に補修を重ねて、使っているバックパック背負って。途中、疲れきって、ふと見上げた所にあったホテルに入りました。交渉の末、エアコン付き、ネット付で、18ドル。ここに決めました。ここが、どこであるかは分かりませんが・・・。シンプルな部屋ですが、悪くはありません。女主人です。怖そうですが、実際は、やさしいです。英語は話せないので、電子辞書と電卓で交渉しました。明日の朝は、ニカラグア行きが、朝の5時。早起きせねばならないので、早夕食にしました。スープ類を食べたかったので、「コミーダ、ソパ、ソパ」と女主人に聞きました。教えてもらった、レストランで頼んだ牛肉スープです。これが、中華風と言ったらいいのでしょうか? 口に合います。おいしいです。今回の旅に出て、初めてです。こんなに、うまいのは。うまい! うまい! スープの中に、牛肉や野菜がたっぷり入っています。これに、白いご飯を貰って、オジヤ風に食べました。レストランにいた客の中で、自称、弁護士だと言う人が、僕のテーブルに来ました。へたくそな英語で話しかけて来ます。ちっとも分かりません。適当に相槌を打っていました。ビール飲め、って言いますが。ご馳走になる謂れはありませんので、遠慮しました。彼は、どんどん、飲んでいます。ただの、飲んべぇ、かな? この人?
2009.10.30
コメント(5)
2009年10月28日(水) 35日目(ホンジュラス3日目)このコパンの町から、20キロほどの所に温泉があると聞きました。居心地のよい、コパンの町ですが、な~んにもしないなら、温泉でも入るかと、出かけることにしました。ツアーが15ドルであると言うのですが、どこの旅行代理店へ行っても、一人なら、「50ドル」、と言われます。結構、白人の観光客来ているけど、温泉なんて、興味ないのでしょうね?止む無く、ツゥクツゥクの運ちゃんと個人交渉です。彼らも相場を知ってますから、50ドルと言いますが、すぐに35ドルにします。粘って、20ドルで行くと言う運ちゃんを探しました。山を登り、山を下り、山を越え、山を降り、そして小さな川を渡り、さらに山を登り、山を下り、もう、何度上り下りしたのか分かりません。道はデコボコ。三輪車は、ガタガタ、ゴトゴト、トコトコ、ツゥクツゥク進みます。あら? この三輪車の銘々の由来が分かりました。ツゥクツゥク走るからですね?実際に、デコボコ道走って、何故「ツゥクツゥク」なのか、分かりました。擬音は、世界各国、人種を超えて、同じように聞こえます。こんな山の道です。デコボコ道で、三輪車のツゥクツゥクですから、道の振動が直接、尾てい骨に響きます。キチンと座っていたら尾てい骨にヒビが入りそうです。人間の身体って、うまいこと出来てますね。ちょっと体重を右か左に傾けると、尻の肉が振動を軽減してくれます。振動に耐えること、1時間。 着きました! 無名の温泉です。山の中と言うか、森林の中と言うか、ジャングルの中と言うか・・・。この人が、一緒に温泉にはいる、地元の人です。20歳と言ってました。二人で、借り切り状態です。他の客は、全くいません。温泉は、吊橋を越えた、その向こうにあります。彼女は、楽しそうに、吊橋を渡って行きます。後姿で楽しい雰囲気が分かります。わぁおー! 幻想的な、大自然の中の温泉です! 素晴らしい!湯煙、もうもうです。 あっりゃー! これでは、せっかくの美女が、湯煙で見えませぬ!い~い、湯船がありました。ここで、ちょいと、ゆっくり入りますか?皆さんも、一緒にどうぞ! いい湯加減ですぞ!お? おお? アジアの星一番さんかい? 気持ち良さそうに入っとるのー!ゆったり入って、さらに歩くと、足湯がありました。ここの難点は、裸足で歩くと、当然、舗装もされてないので、足裏が痛い事です。文明人は、こう言う時に困りますなー!せっかくなので、足湯も試して見ました。温泉にどっぷり入っているので、こう言う時の、足湯は感動しません。さらに、山を、お、足いてぇ! あ、足いてぇ! とか、言いながら登ります。温泉滝がありました。わたくし、アジアの星一番も、日本人代表として、仙人の如く、温泉滝に打たれ、自然に溶け込み、黙想、致しました。おい! 黙想してんのか? 格好がおかしいぞ!でっぱった腹に、お湯かけたって、ひっこむ訳、あんめぇ!黙想の合間に、腹がひっこむかどうか、試して見ましたです。冷水の泉もあります。お湯滝に打たれた、熱い身体を、ここで冷します。さらに、熱いお湯に浸ることも出来ます。貸切、独占状態ですから、どこに入ろうが、どこで涼もうが、勝手です。自由気ままに、温泉ライフをエンジョイ出来ます。最高! でんな!ん? んんん?湯煙にまかれてしまった、地元のお姉さん、どこ行ったのでしょう?ゆったりと、温泉三昧、楽しんでいたら、それを忘れていました。温泉って、いくら良い湯でも、そんなに長く入ってられるもんではありませんね。湯あたりしてら、困るので、1時間半ほどで、入り口に戻りました。ここは、3ドルで入れる温泉です。ここだけでは、面白くないです。やっぱり、ジャングルの中へ行かねば、ここの面白さは、全くありません。受付へ帰って来たら、あの湯煙に消えた、20歳のお姉さんがいました。なんだー! 一緒に温泉に入るのではなかったのですね。単に、温泉場へ案内してくれただけでした。(当たり前だ!) 記念撮影です。アジアの星一番も、温泉あがりで、つるつるのきれいな肌になっています。帰りは、またもや、尾てい骨ヒビ割り道を、ひたすら、上ったり下ったり。右や左に体重を傾け、振動に耐えます。山、また、山の坂道です。しかし、パラパラですが、ずっと、村民の家があります。赤ちゃんを抱っこしたお母さんが歩いています。洗濯物が、木と木の間に干してあります。子供たちが手を振っています。鶏が、藪の中で、餌をあさっています。じっと、座っているだけの、おじいさんもいました。良いですなー! こう言う、風景。クーデター、政変で、激動のホンジュラスですが、人間、平和を求めています。ここは、平和です。コパンの町へ帰りました。心も身体も、ゆったりして、歩き方もゆったりです。そしたら、こんなのを見つけました。贅沢な温泉に入ったので、贅沢を重ねようと、入りました。ま、看板見ると、紛い物の、日本食であることは、間違いありません。日本食は、豚カツと、豚カツ丼の2種類のみ。豚カツ丼です。これ誰が教えたのでしょう。これで、「トンカツ丼」と読むようです。あれー? トンカツ丼って言いました? 単なる、カツ丼で良くはなかったですか?ともあれ、気持ちの良い、旅のひと時でした。
2009.10.29
コメント(18)
2009年10月27日(火) 34日目(ホンジュラス2日目)部屋でネットに繋げないと、暇を持て余しますね。久しぶりのネットなし夜でした。でも、これが正常な旅なのではないか、とも思ったりします。ネットに繋げない状況では、コメントして下さった方へのレスが遅れたり、皆さんのブログへお邪魔出来ないかも知れませんが、その場合でも、この小心な私を見捨てないで、寛容な対応を、お願い申し上げる次第でございます。さて、本日は、ホンジュラス最大の見所、コパン遺跡です。小判遺跡ではないですよ。小判ざっくざくの小判ではありません、小判遺跡だったら、何枚か、黙って貰って来ようと思ったのですが、コバンでなくコパン(COPAN)です。コパンの町から、歩いて15分ほどの近い所にあります。入場料、15USドルを支払って、遺跡の方向へ向かいます。神社へ向かうような道でした。まず、アクロポリスです。色んな像があります。暗黒の神イークと言うらしいです。 これは、祭壇ですが、この周囲の側面に、歴代16人のコパンの王様が描かれております。この祭壇の画、コパン最後である16代の王様は、初代の王様と向き合っているそうです。これより、16代の王様は、自ら退位して、王朝史を閉じたのではないかと言われているそうです。(ここも、他のマヤ遺跡同様、ある日、忽然と姿を消しました。)祭壇の前にある、ピラミッドです。この遺跡の周りは、鬱蒼としたジャングルではありません。畑があったり、牧場があったりします。こんな頭だけの像も残っています。これが、アクロポリスの裏側から、グラン・プラサを見た所です。広い広場があります。上の写真を見下ろす位置で、この写真のように王様は、祭儀や儀式を見ていたのでしょう。このような絵がありましたから。ここは、石碑が沢山ある事が、他の遺跡と違うらしいです。ステラと呼ぶようですが、コパン芸術の凝縮したと言われています。ただ、アジアの星一番には、その良さが分かりませんでした。 ここが、競技場です。日本で言えば、江戸時代の相撲のようなもので、奉納競技を行ったとのこと。ゲームは、ボールを手は使わず、肘と腰、足を使い、ボールを地面に落とした方が負けと言うものでした。、森の中に、こんな鳥もいました。ぎゃーぎゃーと、うるさく鳴きます。餌をあげてるようです。そして、なんと言うのか、分かりませんが、こんな動物も歩いていました。全体の感じとして、このコパン遺跡、大した事ないな、と思ってしまいました。「芸術が分からんのだろう?」、と、言われれば、「はい、そうです」と答えざるを得ません。が、今までに、メキシコのテオティワカン遺跡や、チチェン・イツァー遺跡、グアテマラのティカル遺跡などを見てしまっているだけに、比較してしまいます。それらに、比べると、やっぱり迫力に欠けます。学術的にも、精密な天文学を行っていたようで貴重な遺跡のようなのです。が、一般観光客としては、若干、物足りなさがありました。すいません、ホンジュラスの国民の皆様! ありのままの感想です。追記今朝、起きて、パソコンの電源を入れると、強い無線ランのシグナルがいくつかありました。その一つが、ここで最も高級なホテルである、マリーナ・コパンでした。部屋でネット出来ないのは、調子狂います。そこで、良い事思いつきました。せっかく、こんなに強力な無線ランが、この部屋に来ているのです。IDと、パスワードさえあれば、部屋でネット出来ます。朝の7時ですが、そのホテル・マリーナ・コパンへ出かけました。ワンブロック歩き、左に曲がって、さらにワンブロック歩いた所にあります。「あのー、ここに泊まってないのだけど、IDとパス、教えてくれない?」フロントに言いました。フロントは、即座に答えます。「宿泊のお客さまだけが使えます」「だから、そこを何とか、頼みたいのですよー!」「無理です」、きっぱりと言われました。しかし、ここで粘るのが、貧乏旅人です。財布を出しながら、「勿論、いくらかは払うので・・・」フロントの目が、チラッと動きました。すかさず、1ドル紙幣を、僕は取り出して、カウンターに置きます。2枚目の1ドル紙幣を、取り出す格好を見て、フロントは笑みを浮かべながら、なにやら、パソコンで操作してます。僕は、用意したメモ用紙を渡しました。フロントは、IDと、パスワードを書いて、そのメモを返してくれました。「普通は、こんなこと出来ませんので・・・」出して、しまった1ドル紙幣2枚、引っ込める訳にはいかないので、渡そうとしました。そしたら、驚いたことに、フロントのお兄さん、受け取りません。さすが高級ホテルのフロント、グアテマラのイミグレお姉ちゃんとは違います。かくして、タダで、超高級ホテルのネットを使わせて頂ける事に相成りました。やって見るもんですね。今、部屋で、これ書いてます。
2009.10.28
コメント(10)
2009年10月26日(月) 33日目(ホンジュラス1日目)サンサルバドルには、2泊しただけで、次の国、ホンジュラスへ移動です。ホンジュラスでは、今年の6月28日に、、セラヤ大統領が国軍に拘束され国外に移送されるクーデターが発生しました。その後、、セラヤ大統領支持派とミチェレティ臨時大統領支持派の両方の、デモ集会が全国各地で開催され、治安部隊との衝突等により死傷者が発生しています。セラヤ大統領支持派は、同大統領の復職を要求して主要都市やニカラグアとの国境地域でたびたび抗議活動を行い、その際、公共施設の破壊、放火、投石等の行為がみられます。このため、「暫定大統領政権」は、治安維持のため、状況に応じて断続的に夜間外出禁止令を発出しています。以上、外務省ホームページの安全情報でした。こんなのに巻き込まれたら、大変です。ホンジュラスも、マヤのコパン遺跡を見たら、早々に移動せねばなりません。サンサルバドルの長距離バス停です。すごく厳重な警戒でして、下の右の写真が、バスの入る所です。バスの出入りの度に開けたり閉めたりしているので、中は、絶対安全です。左の写真は、バス停への人間の出入り口です。やはり厳重です。 ここサンサルバドルから、ホンジュラスの、サン・ペドロ・スーラまで、なんと、41US$もします。これは、過去最高の高い金額です。たったの、5~6時間で、この値段です。ホテル4泊分弱の金額です。ですが、その金額に似合うサービスがありました。まず、チェックインですが、飛行機に乗るような感じです。パスポートを見せないとチェックイン出来ません。預け荷物はキチンと、セキュリティチェックされまして、引き換えのタグを渡されます。手荷物のみ持って、バス乗り場へ向かい、バスに乗り込みます。バスの中です。枕が配られます。毛布が配られます。そして、朝食も配られました。勿論、缶ジュースも一緒にです。(写真左)朝食食べてから、ホテルを出たので、すぐには食べられません。1時間半ほど走ったら、暖かいコーヒーが出されたので、その時に食べました。(写真右) エルサルバドルをバスが走っている時は、ほとんど森の中を走っているので、シャッターチャンスがありません。見ても分からんでしょうが、こんなもんです。エルサルバドルの出国の検査はなかったです。(ここまで、2時間)いきなり、ホンジュラスの入国審査ですが、多くの乗客の内、イミグレの審査があったのは、3人のみ。アジアの星一番と、二人のスペイン人だけ。他の乗客は、バスの中で、パスポートを見せるだけでした。入国税3US$ですが、20ドル出したら、お釣りが16ドルしかありません。お釣りが、これしかないって言うのです。たった1ドルですから、あげるよ、と鷹揚に対応しました。これ、グアテマラの入国のお姉さんと違って、両替屋などに両替出来ないか確認するなど、努力の結果なので、気分は悪くないです。ホンジュラスに入ったら、エルサルバドルに比べて、ずいぶん整備されているような風景です。エルサルバドル側もそうでしたが、ホンジュラスに入っても、山、また、山です。この高価な、超一等のバスは、ホンジュラス第2の都市、サン・ペドロ・スーラへ行きますが、これだと、コパン遺跡へ行けません。で、ラ・エントラーダと言う地で途中で降りて、乗り換えなければならないのです。41ドルも払って、途中で降りるのは残念ですが、仕方ありません。ラ・エントラーダの道路です。ここで、1時間近く待って、ローカルバスに乗り込みました。超一等のバスから、2等のバスに格下げです。勿論エアコンなんてありません。米とか、トウモロコシの荷物と一緒です。しょっちゅう、地元の乗客が乗り降りします。外国人は僕だけでした。しかし、僕は、安全であれば、こう言うローカルバスに乗るのは嫌いではありません。いや、むしろ好きです。大好きです。現地の人たちが、普段の姿で、乗り降りします。大体、こう言う人たちは、目が合うと、にっこりします。超一等バスでは、味わえない喜びなんです。ただ、ピストル強盗団などが、来るとすれば、やばいです。怖いです。山、また、山、どこで奴らが来るか分からない道路なので、緊張して乗っていましたが、現れませんでした、強盗。乗客ものんびりしたもんです。途中は、山の斜面を開拓して、トウモロコシが植えてあったり、こんな整備された牧場などでした。ラ・エントラーダでバスを乗り換えてから、1時間40分、14時半にコパン・ルイナスに、無事、到着です。ほっとします。合計7時間半でした。ホテルは、何軒か探しましたが、ネットの繋げるホテルは、なさそうです。カフェや、レストランでネットを繋ぐようになっているようです。ホテル:ラ・ポサダ・デ・ベルシー、1泊12US$。町はこんな感じです。石畳で、多少、坂道があります。中央公園です。ちょっと、キレイな通りを撮って見ました。10数分も歩けば、大体の所は見られる、小さな町です。コパン遺跡がなければ、町として成り立たないのではないでしょうか?宿でネットを繋げないので、カフェに来ました。アメリカンが、75円。ケーキを一切れ頼んだら、最低でも二切れだと言われました。太るはずです。ケーキ二切れ、200円です。ネット代が、275円と思えば、安いものです。(と思って、ケーキ完食し、アメリカンは、シュガーレスで飲みました。)追記昨夜の、サンサルバドルの話ですが、ミルトン君、最後の最後に、お金くれ!って言ったのです。ちょっとガッカリしました。乞食がいれば、必ず小銭をあげていたし、日曜の午前中だったので、教会にも付き合わされましたが、その時もドル紙幣を寄付していました。まぁ、彼の場合、言って見ただけで、お金目当てで、親切にしてくれたのでないと信じます。今朝、出発前にも、僕の部屋に来て挨拶してくれたし、ホテルを出るとき、見送りまでしてくれました。メアドも教えてくれたので、たまにはメールを送って見たいと思っています。お金は勿論、渡してないですよ。 何しろ、こちとら、貧乏旅人です。
2009.10.28
コメント(4)
2009年10月25日(日) 32日目(エルサルバドル2日目)この宿、ビジャ・フロレンシア、朝の4時前から、ラテン系音楽が、ガンガンならされ、大声での話し声も聞こえて、寝れたもんじゃないです。朝、ジェスチャーで、宿のオヤジにうるさいって言ったら、コロンビア人でったく、仕方ない、とか嘆いていました。それでも、安全であれば、うるさい程度で、文句言うほどの狭い器量のアジアの星一番ではありませぬ。許してやりました。10時から、昨夜の約束通り、ミルトン君が、サンサルバドルの町を案内してくれました。持ち物は、ガイドブックと水のみ。しかも黒いプラステックの買物袋に入れて、まるで現地人のようにして出かました。サンサルバドル中心部の西側にホテルがありますので、東へ歩きます。教会がありました。 さらに、歩いていくと、国立宮殿がありました。パリオス広場の前です。ミルトン君が、しきりと説明してくれるので写真撮りましたが、グアテマラが攻めて来た時に、勇敢に戦った、大統領だとか言ってました。あんまり興味ないですよね、地元の英雄なんて。これが、ミルトン君です。英語教師です。ご両親と、兄と、二人の妹と、同じ家に住んでいると言ってました。彼は、まだ独身です。乞食とかいると、お金あげてました。金持ちか?珍しい建物を見つけました。「なんだ、あれは?」、とミルトン君に聞けば、教会だといいます。中へ入って見ました。国立宮殿の中より、こっちの方がよっぽど、雰囲気があります。ロサリオ教会です。10時から、この辺りまで見て歩いて、もうお昼に近い時間となりました。昼食をご馳走して、本日の案内は終わりにすることにしました。昼食は、サンサルバドルでも、最も危ない場所と言われている、中央市場へ向かいます。(僕が希望しました。一人では行けません。)こんな道路を歩いていきます。沢山、食堂がありまして、どこが良いかなんて分かりません。ここにしました。おばちゃんが、トルティーヤを焼いています。今まで、あまり食べていなかった海老を頼みました。ライスも頼まないと、付いて来ません。海老、日本と同じ味でした。牛肉のスープです。写真では、分かり難いですが、でかい肉も入っています。ミルトン君が言うには、エルサルバドル人は、海老頼んだら、その一皿で終わり。その上、さらに、牛肉スープ頼む人はいない、って言ってました。確かに、スープって言うより、牛とか、野菜とか、色んなもんが入ったごった煮のようなものでした。これが、ミルトン君、お勧めのププーサです。トルティーヤなんですが、中にチーズとか、色んな物が入っています。あつあつのププーサを開いて、ワルティーオとか言う、漬物ではないのですが、漬物のようなものを挟みます。さらにお好みで、トマトケチャップのようなものをかけます。これが、エルサルバドルの、特別な食べ物だと自慢してました。確かに、トルティーヤに比べたら、とてつもなくおいしいです。ミルトン君と、二人で、4人前食べたことになります。トルティーヤと、ププーサも食べたので、5人前位かなー?全部で、10ドル。 安いか? 高いか?明日の朝食とか、移動中の食料も、市場で買出し済みです。さて、これで、10時から見て廻って、お昼も食べましたので、本日の見学は全て完了しました。ホテルに帰って、洗濯して、昼寝して、夕方からブログ書いて、と考えていました。ミルトン君、「公園へ行きたくないか?」、聞いて来ます。「行きたくない! ホテルへ帰る」って、僕は言いました。しかしながら、彼は、何とか僕をそこへ連れて行きたいようで、色々と何か言ってます。買出しした食料も重たいし、面倒だけど、行くことにしました。こんな公園です。広いです。公園内に美術館がありました。おー! ここなら、興味ある!って事で中に入りました、入場無料です。アントニア・ガルシアと言う画家の作品が展示されていました。(僕は、この画家を知りません)こんな絵です。 表情が暗いと言うか、微笑んでいるものは、ほとんどありませんでした。この絵なんて、幽霊を画いたようで、ちょっと薄気味悪いですよね?次の展示予定なのか、1点だけ、全く別物の絵がありました。作者は、ジョセ・ネリーと言う人です。写真のような、精密な、緻密な絵です。結局、ホテルに帰ったのは、午後3時でした。ミルトン君が、部屋にやってくると、自分のことが出来ないので、彼には、日本との時差があるので、夕方5時から、ネットをせねばならない。それまで、パソコン貸すから、メールでも何でもやってくれと。これで、5時以降、邪魔されずに済むと思ったのです。この作戦が成功しました。ミルトン君の、邪魔は入りません。しかし、思わぬ邪魔者が来ます。この子です。ちょこちょこと、僕の部屋にやってくるのですよ。追い出す訳にも行かず、結構な手間隙を取られました。この人が、母親です。体型は、典型的なメキシコ人と同じです。上の可愛い子も、将来は、こんな風になるのでしょうね?このホテルの、庭ではないですが、部屋と部屋の間のスペースです。仲々、良いでしょう? インターネット使い放題で、13ドルだから安いと思います。
2009.10.26
コメント(12)
2009年10月24日(土) 31日目(エルサルバドル1日目)グアテマラ、もっといい場所も沢山あるのでしょうが、本日は、次の国、エルサルバドルへ移動します。53カ国目フローレス、ティカル遺跡、そして国を縦断する12時間のバスの旅で、アンティグアへ。6泊7日で、グアテマラとさようならです。ペンション田代。割といい宿です。ただ僕の部屋は1階で、3階にキッチンや洗濯場などがあるので不便です。それから、部屋で洗濯物全く乾きません。ガキがうるさい、応接(パソコンのある部屋)で、いつもぎゃーぎゃーやってます。昨日、ビンボーなパン屋さんの車が、町を走ってました。BIMBOって社名ですね。どう言う意味なのか分かりませんが、車体の絵を見ると、やはり食パンが、主要製品である事が分かります。(聞いて見たら、このBIMBOな会社はメキシコが本拠だそうです。BIMBOは社名で、エルサルバドル人でも、分からないと言ってました。)本日は、アンティグアからグアテマラシティへ行き、ここで、バスを乗り換えて、エルサルバドルの首都、サンサルバドルへ行きます。このルート、多くのバス会社が運営していて、どれに乗って良いのか迷います。一番ポピュラーなのは。TICAバスと言う、国際バス便です。昨日パカヤ火山で一緒だった、お尻割れ目見せ半ケツドイツ人は、このTICAバスで、サンサルバドルへ行くと言ってました。ですが、13時発の1本しかありません。その他、アンティグアからミニバスですが、サンサルバドルへ直行のものもあります。これ良いなーと思ったのですが、これって、朝の5時出発なのです。サンサルバドルも危険な町のようなので、明るい内に到着するバスを選ぶ必要があります。何社も旅行代理店を廻った結果、Pezzarossi(ペサロジ)と言う、歩き方にも載っていないバス会社が運営するバスにしました。大丈夫だろうなー?さて、問題発生です! ここはグアテマラ。朝、9時出発、10時グアテマラ着、11時出発、サンサルバドル16時着。このように、旅行代理店から聞いてました。現実は、朝、9時を15分過ぎて、ホテルに迎えの車が来ました。この遅れは想定内。それから、市内をあっちこっち行って、狭い車内は白人で一杯になりました。荷物も屋根の上まで、満杯です。あちこち廻ったので、実際の出発は10時です。この遅れは想定外です。1時間かかったら、11時ギリギリじゃーないか? とハラハラです。ところが、向かった先は、バス停でなく、飛行場。僕を除く全員の白人がここで降りました。飛行場へ行くなんて、想定外もいいところ。バス停へ直行と思っとりました。もう11時です。バスは出ました。それからが、さらに大変。運転手、Pezzarossi(ペサロジ)のバス停知りません。あっちで聞き、こっちで聞き、一方通行を入って行こうとするし、次のバス、12時にも乗れない可能性が出て来ました。サンサルバドルも、グアテマラシティより危険と言う情報です。暗くなって着いたら、やばいので、12時に乗れなかったら、又、アンティグアへ戻ろうと心の中で決めました。交通渋滞にも、巻き込まれ、もう駄目だ! と思ったら、目の前が、そのバス停でした。着いたのです。10m先のバス停さえ運転手は知らなかったのですなー。12時5分前、慌ててバスに乗り込みました。その後は、順調です。こんな山を下って行きます。グアテマラシティが、高度1520m、サンサルバドルが680mですから、下りが多いです。2時間20分でグアテマラの出国イミグレに着きました。14時20分です。イミグレ担当官、お姉ちゃんでなく、おばちゃんです。又、化粧代取られるかと、ビクビクしてましたが、後ろに沢山並んでいるからか、全く要求なし。すんなり出国です。この川を渡ると、エルサルバドルです。国境が川と言うのは、分かりやすいですね。アフリカのように定規で腺を引いたような国境は不自然です。イギリスの奴や、フランスの奴のせいです。ここは、以前から、こんな勢力分布だったのでしょう。エルサルバドルの入国は、非常に簡単です。簡単すぎます。担当官がバスに乗って来て、パスポートを見るだけです。スタンプもなにも押しません。袖の下も要求されません。ですからパスポート見ても、エルサルバドルへ来たか分かりませんね。と言うことで、バスは14時50分に出発です。え? と、言うことは? こんな簡単な出国と入国手続でも、30分もかかったんですねー! バスの中からなので、仲々、いい写真が撮れません。1枚だけアップします。16時45分、暗くなる前に、サンサルバドルに着きました。宿は、バス停のすぐ近くにしました。あまり歩き廻ると危ないのです。ホテル・ビジャ・フロレンシアと言いまして、ファン、水シャワーだけす。ネット使い放題なので決めました。13US$。この宿の方々、英語が全く通じません。電子辞書でやり取りしていたら、一人の客が流暢な英語で、通訳をかって出てくれました。ミルトン君です。英語教師をやっているそうです。エルサルバドルの東の端、サン・ミゲルの町の北方、ホンジュラスに近い所が職場だと言ってました。が、こいつ、いや、こいつなんて言ったらいけませんね、この人、話し好きなんです。そこで話しましょう! などと言って椅子を持って来ます。有難いのですが、僕はブログ書いたりしたいのです。部屋へ戻ろうとすると、ノコノコ付いて来ます。何だと思ったら、パソコン持ってネット繋がっているのを知っているので、メールを見させて欲しいって言うのです。(受付のやり取りで知っていた。)そしたら、メールだけでなく、ネットで写真を引っ張り出して、これが俺の先生だ、とか、U-tubeを見せて、これが何とかの唄だとか、仲々、帰ろうとしません。で、止む無く言いました。「あのさー、俺さー、こう見えても、日本では、超有名なブロガーなんだよね。毎日、俺のブログを、100万人が楽しみに待っているんだ。そろそろ書かないといけない時間なんだよね。」って。嘘も方便。彼は、「すまん、すまん」、と仕切りに言って帰って行きました。あ、そうそう、彼が明日、市内を案内してくれるって言いました。ま、危ない町だし有難い申し出ですので、お願いしましたが、ずっと一緒って言うのも疲れるので、じゃー、2時間くらい歩いて、昼食を食べて帰って来ましょう、と言うことにしました。明日のお昼は、ご馳走せねばならないですね。彼が僕の部屋から帰ったのが、なんと20時ですよ。腹も減りましたが、夜間の外出は危ないので、ホテルのおばはんが作る料理を頼みました。チキンと、ライスと、サラダです。これが定番なのですね。この辺りでは。グアテマラもそうでしたから。食堂に居た女の子です。仕切りにカメラの紐を触りに来ます。「動くな! ぶれるよ!」 と説明しても、じっとしてません。ぶれちゃいます。ま、日本語で言ったので、通じてませんけど。 と言う、移動の1日でした。追記ここエルサルバドルの通貨は、US$です。両替の必要がないので、楽ですね。ミルトン君、本日、サン・ミゲル北方の田舎からバスで来たらしいですが、バスジャックに遭ったと言ってました。ピストル持った3人組。途中でバスに乗客を装って乗って来て、10キロほど走ったら、突然、バスジャックされたとのこと。彼は、30ドル盗られたとの事。恐ろしいですねー!
2009.10.25
コメント(10)
2009年10月23日(金) 30日目(グアテマラ6日目)いやー、疲れました。 足がガクガクです。パカヤ火山へ行って来ました。活火山で、マグマが見られるってんで、気軽に出かけました。と、ところが、これが、てぇーへんな山でして、2600mもあるのです。その山へ、登ったもんで、クタクタです。朝が又、早いのですよ! 6時出発でした。ミニバンで行くのですが、僕のホテルへ迎えが来た時には、女性二人が最前列、男性一人が、その後ろの席にいました。そして僕は、後列2列が空いてましたが、足を延ばせる、最後列に座ったのです。その後、若い女性が一人来ました。僕の前ですが、座るときに見ましたが、半ケツです。ほとんど丸見え。さらにその後、もう一人女性、こちらも半ケツどころか、尻の割れ目まで見せて座りました。全く、なんちゅう人たちと一緒に行かねばならんのだ、とブツブツと一人文句を言うとりました。(ほんとですぞ。)横顔をチラチラ見たら、結構若いのですなー。22、3かな?1時間で、歩き出す所に着きました。左に見えるミニバンで来ました。ガイドは、現地の女性の方です。スペイン語しか話しません。僕以外の5名は、全員、スペイン語が分かるようで、いちいち頷いています。登り始めました、ガイドの次が、半ケツの二人、そしてアジアの星一番、その後が、3人組みです。半ケツの二人、歩いている時は、半ケツよりまだマシですが、やっぱりケツの一部が出ています。ったく、見苦しいなー、と思いながらも後を付いて行きます。途中、トウモロコシ畑もありましたが、かなり、きつい山道です。僕は、既に、ヒーヒー言いながら、歩かざるを得ません。半ケツの二人は、会ったばかりなのに、ペラペラしゃべりながら登って行きます。背も180センチはあろうかと言う、どでかい女性です。ゲルマン系ですな。祖先が、ゲルマン民族か、ゲルマン系アングロサクソンのアメリカ人かも知れません。 ヒーヒー、ゼイゼイ、息が切れます。毎日、結構歩いているし、この程度でアゴがあがるはずないのになー?おかしいなー? とかなり、お疲れ気味です。半ケツを見る余裕はありません。1時間も歩いて、まだ目的地は先のようです。 そして、こんな所へ出ました。もうこの上には、緑はありません。後で、ガイドに聞きましたが、歩き始めた所が、既に高度1900mもあったのです。どうりで、ヒーヒーハーハーと息が切れるはずです。しかし、半ケツのゲルマン民族、ペラペラおしゃべりしながら登って行きます。あいつら、怪物じゃな。近寄らん方がよろしい。後ろからは、3人組のおばちゃんとお姉ちゃんです。お姉ちゃんの恋人らしいお兄ちゃんには、抜かれてしまいました。犬はすごいですねー! ひょいひょい登って来ます。何しに登ってるんだ?振り返ると、こんなに登って来ました。向こうの雲に隠れてしまっていますが、富士山に似た山があります。あれが、アグア火山で、標高3760mあります。ひゃー、とうとう、おばちゃんとお姉ちゃんにも抜かれてしまいました。別に競争している訳でもないし勝ったとしても何の賞品も出ないので、しんがりで十分です。(負け惜しみ)歩くこと、1時間と45分、そして7215歩、休むこと、10数回。「地下の方が、何となく暖かいような気がする。」、これ、前を行く、おばちゃんが言った言葉です。だから目的地に近いぞ、と、たぶん、励ましてくれたのでしょう。さらに、10分も歩くと、ありました! マグマです! 溶岩です!あっちっち! 溶岩が動いています。おい! 危ないぞ!溶岩の上を歩いています。大丈夫か?こんなのが、ゆっくりですが、流れ出ているのです。溶岩だらけです。これが、ドヒャーっと、出てきたら、どうなるんでしょう?真っ黒コゲで、即死ですな。本物である事を証明する為に、溶岩に木の棒をつけて見ました。燃えますな。当たり前ですが。熱いです!ここは、標高2400m位の場所です。このパカヤ火山は、2600mと言うことですので、もう少しで山のてっぺんです。こんだけ、溶岩が溶け出す所を見ると、景観が変わりますね、数年後には、この辺り、もう一つの山になっているかも知れません。さて、溶岩は見たし、熱いので、下山です。下山は楽です。瓦礫のようなところは、滑るように降りられます。緑の木々のある所まで降りると、登る時には気が付かなかった、花も咲いていたので写真を撮りながら、しんがりを勤めました。パカヤ火山の花をご覧下さい。 朝が早かったので、6時15分出発し、車の往復で2時間10分。登山と下山で、3時間15分。待ち時間とか入れて、12時半には、アンティグアの町に戻りました。ヘトヘトに疲れてしまったので、昼食は力をつけようと、昨日行った日本食レストラン「kabuki」へ行きました。本日は、豚肉生姜焼き定食です。これも、日本食と言って良いでしょう。肉が硬かったですけどね。追記半ケツの二人の国籍が分かりました。下山途中、どっかのおっさんが、二人にどこから来たのか聞いたのです。半ケツの一人は、イギリス人。もう一人の尻の割れ目まで出す半ケツ人がドイツ人。やはり、ゲルマンですな。あのでかさからすると、ゲルマンしか考えられません。あとの3人は、どこの国か分かりませんでした。どうでもよろしい追記でした。
2009.10.24
コメント(14)
2009年10月22日(木) 29日目(グアテマラ5日目)アンティグアの町は、首都のグアテマラシティから、車で1時間の位置にあります。1543年から1775年まで、首都であった町です。1773年の大地震により、崩壊され、首都がグアテマラシティに移り、その後も地震に襲われ、被害を受けているそうです。地震大国、日本より、被害は甚大ですね。標高1520mの高さにあるので、涼しく過ごしやすいです。本日は、昨日の移動の疲れを癒すため、ゆっくり起きて、昼に近い頃、町の散策に出かけました。まず、町の中心地、市庁舎へ行って見ました。これが市庁舎です。市庁舎の前が、中央公園になっています。平日にも関わらず、多くの市民が、ベンチに座って、寛いでいました。この公園の真ん中に噴水があります。見えますかなー? 噴水の下の段、上半身裸の美女像があります。見えますか?う~ん、見えませんか? 残念でした。だけでは、期待した人に申し訳ないので、拡大写真を特別に公開しましょう。乳首の先から、何かほとばしっていますね?ベルギーのしょんべん小僧ならぬ、グアテマラのおっぱい女でした。珍しいですね、こんなのは。おっぱい女? もっと良い命名あるでしょうか?おっぱい女を後にして、1979年に、世界遺産として登録された町の散策と、洒落込みました。ここがその町並みです。世界遺産の理由が良く分かりません。道路は全て石畳です。ガタガタなので、車もゆっくりしか走れないので、それは良いな、と思いました。しかし、歩くのも、石畳は面倒ですね。ポツポツと、ゆっくり歩いていたら、日本食レストランがありました。丁度、昼時でもあり、メニューを見せて貰いました。親子丼が、38ケツァル、フローレスより、10ケツァルも高いです。カツ丼は? と見ると、40ケツァル(500円弱)です。日本よりは安いし、昨日は全く肉を食ってなかったので、食べました。これは、本格的な味でした。勿論、日本で食べるカツ丼に比べたら、若干、レベルは低いですが、ほぼ合格、当選間違いなしの味です。味噌汁も、うまかったです。カツ丼の量も適切であり、力が湧いて来ました。さらに散策を続けます。民族衣装を着た女性達も、町を歩いています。後姿なので、良く分からんでしょうか?市場へやって来ました。メキシコでも同じでしたが、な~んでも揃います。よく、こんだけお店があって、やって行けるもんだ、と思います。日常品から、洋服から、バッグから、本当に何でも揃います。食堂もあります。安いです。多くの人たちが働いているのですから、当然の必需店です、食堂は。そして、働き手が食べる訳ですから、安いです。もう、カツ丼を食べてしまったので、これ以上食べられませんが、チキンなどうまそうだったなー!果物や野菜も、沢山あります。本日も買い込みました。トマトに、リンゴに、みかんに、バナナに、タマゴに、これだけ買って、全部で、、250円でした。 安いでしょうか? 高いでしょうか?これが、明後日の朝までに、全部、わたしの胃袋に納められます。追記なんだか、旅に出てから、太ったみたいです。まだメキシコ人ほどには到っていませんが、腹回りがきついのです。食べられる時に食べて置こうと言う、貧乏旅人の根性が、多食にしているようです。やすーい物しか食べてないのですがねー・・・。
2009.10.24
コメント(8)
2009年10月21日(水) 28日目(グアテマラ4日目)このホテル、カサ・アメリアは、朝食つきです。さすが、180ケツァル(2200円)もする、高級バックパッカー用の宿じゃ、と、早起きして、行きました。隣のレストランです。湖の畔ですが、外周道路、工事中なんですよ。まだ、朝の7時なので、道路工事の方々、もう仕事してます。早いですねー。どんな朝食かと、楽しみに待っていたら、こんな物でした。おい! 食パン2切れに、スイカ2切れじゃーないか!これなら、いつも僕が食べている、朝食の方が、豪華じゃーないか!と思いますよ。これだけでは、腹一杯にならないので、部屋に帰り、いつもお世話になっている食パンを食べました。これです。12ケツァル(150円)程度で、小さめな食パンですが、枚数が多いのです。見えましたか? 左側の袋?パンを食べて行ったら、袋の中に、又、折りたたまれた袋がありました。乾燥剤か? とおもいきや、違います。これ、小分け用の袋なのです。3切れから4切れ入ります。それに、チャック付なので、アリが入り込むこともありません。便利です。あれ? 袋の左上の文字、見えましたか?この文字、アジアの星一番に大きく関係している文字なのであります。拡大してみましょう。そうなんです。 「ビンボー」なんですよ。 BIMBO→ビンボーですよね?この文字、メキシコでも良く見かけたのですが、どう言う意味なのでしょうか?スペイン語堪能な方、教えて下さいませ。僕の電子辞書のスペイン語には、BIMBOって載っていません。因みに、日本語辞書で、「貧乏」とひくと、「アジアの星一番」と出てきます。(嘘です。まだ、そこまで有名になっていません。)貧乏旅人 アジアの星一番、としては、ビンボーの文字に会うと、不思議とワクワクするんであります。ですから、この食パン、いつも毎朝食べています。さて、出発の時間となりました。本日は、世界遺産の町、アンティグアへ向かいます。宿の、孫娘、イサベラちゃん、3歳です。お別れの挨拶しても、バナナを口に突っ込んで、黙ってました。フローレスの島を9時25分出発。そのまま移動と思いきや、本土のバス停で待つこと、40分、10時5分に出発しました。こんな風景の所を通ります。牧場とかが多いです。何故、グアテマラシティを通り越して、アンティグアへ行くかと言うと、シティは危ないと言う情報が多いからです。それと、日本人宿の「ハポンテナンゴ」と言う宿に、宿泊の予約の依頼と、安全に関して質問した所、安全に関しては、ほとんど、答えらしきものを貰えなかったので、行くのを止めました。この宿は、ツアーの経営している人が宿も経営しているようで、ツアー客集めでも目的としているのでしょうか?「申し訳ないですが、直接、アンティグアへ行くことにしました。その後、シティへ行くかもしれないので、その時は、又、連絡しますので、よろしくお願いします」こう言った内容のメールを送っても返事も来ません。こう言う宿には、行く気しませんよね?居眠りしていたら、突然、湖が出て来ました。あれー? グアテマラシティまでの間、湖はあったかいなー?地図を取り出して、見ましたが、道中、湖は見当たりません。湖があるのは、グアテマラ東側の、ベリーズと、ホンジュラスに挟まれた地域にしかありません。ん? と言うことは?グアテマラの中央を南下しているのではなく、東南へ向かって、そしてそれから、西南へ向かうルートを走っているのか?あとで、運転手に聞いて見たら、その通りでした。ずいぶん遠回りです。中央の道路は、あまり整備されていないのですかねー?午後3時になって、ようやくレストランに着きました。遅いよ! 僕は、本日はレストランで食べようと、ずっと待っていたのです。しかし、1時半を過ぎ、2時になる頃には、もう腹減りすぎて、持参のビンボーの食パンを食べてしまいました。バナナも、リンゴも、トマトも食べてしまいました。もう食べれませんよ。レストランには、例のチキンや、マメや、ライスなどの、おいしそうなのが並んでいました。山や谷が結構、多く見られるところを走ります。フローレス出発後、9時間と20分、グアテマラシティに着きました。午後18時45分です。ここで、アンティグアへの乗り継ぎのミニバス運転手が、名前を書いたカードを持って待っているはずなんですが、いません。「参ったな、こりゃー」悪名高き、グアテマラシティ、しかも最も危ないと言われている、フローレスからの、長距離バス停。ここで乗り換え出来なかったら、どうするんじゃ?バッグ類は、絶対手放したらいかんと、持つ手に力が入ります。乗ってきたバスの運転手に、乗り継ぎのバスが来ていない! と言った所、彼は、親切で、事務所のお姉さんに、電話してやれと、依頼してくれました。チケットを買った、代理店に連絡がつき、45分ほど待ってくれと、言います。結局、1時間半待たされましたが、ミニバスが来ました。アンティグアに着いたのは、21時15分です。フローレスで、イサベラちゃんに、バイバイしてから、12時間かかった事になります。グアテマラ、時間は当てになりませんな。宿は、ペンション田代。日本人経営の宿です。僕は、ドミでなく、個室です。インターネット使い放題込みで、105ケツアル。1250円程度です。追記グアテマラシティ。長距離バス停で、強盗に襲われやしないか、緊張しておりました。バッグもしっかり、掴んだままで、手が痛くなりました。しかし、待っている皆さん、バッグ置いて、歩き廻っているし、係りの人もしっかり見張っているし、危険な様子は、どこにもありません。ですが、長距離バス停の中にある食堂兼お店は、鉄格子の中です。あとで見た、市内のお店のほとんども、鉄格子の中に商品を置いています。一般建物の、窓も、全て鉄格子がありました。やっぱり、危険なことがあるから、このようにしているのでしょうね。見た目とは、異なることも多いのでしょう。まぁ、問題は、ないと思うのですが、見たいもの、行きたい場所もないので、やはり、グアテマラシティは、通過だけになりそうです。
2009.10.23
コメント(12)
2009年10月20日(火) 27日目(グアテマラ3日目)本日も、寝覚め良好。エアコンあるものの消して寝ました。それでも、厚手のベッドカバーが必要なほどで、丁度良い温度です。夜中、トイレへ行って、鏡見て、ギョっとしました。「だ、誰じゃ?き、君は?」、ってな気持ちです。色黒には、子供の頃から、自信はありましたが、さらに、その黒さにも相当磨きがかかっており、自分じゃない、と思えたのであります。色は黒くなるわ、蚊に刺され手足はボコボコだわ、珊瑚にぶつかって膿みそうになってるわ、見苦しいです。しかし、治る方向へ向かっています。さて、本日は、グアテマラへ来たら必見の、ティカル遺跡へ行きます。ショウくんは、ここを見ないで、昨夜、アンティグアへ向けて出発しました。価値観の相違ですよねー! これを見るために、グアテマラへ入って来た僕にとって、信じられない行動です。さて、ミニバンがホテルまで迎えに来ます。60ケツァル(700円)ほど支払うと、ティカル遺跡まで、往復乗れます。ローカルバスより、ずっと便利です。途中、運ちゃんの知り合いか、分かりませんが、歩いている村人を止まっては乗せ、止まっては降ろしているので、進みはのろいです。しかも、村人、お金を払っている様子は見られませんので、我々のお金で乗せているのですな。まぁ、細かい事には、おおらかに行きましょう。ここはグアテマラ。1時間半で、ティカル遺跡に着きました。入場料を、聞いて、「超どビックリ!」150ケツァル、なんと、な、なんと、1800円ですぞ!格安のバックパッカー宿なら、6泊も出来る、お値段ですぞ!しかも、グアテマラ人は、たったの25ケツァルです。インド、バングラを思い出します。あのインドの、タージマハルだって、ちょい安の、1760円でした。今までで、最高の入場料ですなー! 「歩き方」、50ケツァルと書いてありますから、数年で、3倍になりました。試しに、切符売り場で、グアテマラ人と言い、25ケツァルを出して、例の如く、やって見ました。今までの成功例は、バングラの世界遺産と、エジプトの学生割引だけです。ここも、やっぱり、簡単に見抜かれて、150ケツァル取られましたです。入場し、「たっかいなー!しかし、高い!」 と大声で言いながら、歩いた道がここです。ったく、長いのですよ、道が。仲々、1号神殿に行き着きません。途中には、蟻の行列が、あちこちにあります。一生懸命働いているし、僕に不便なこともないので、出来るだけ、踏み付けないよう歩きました。案内表示はあるものの、分かり難い。途中、何度か、他の人のガイドをしている人が教えてくれましたが、30分も歩いた頃、ようやく見えて来ました。これが、1号神殿でしょう。そうです。高さは、ここでも4番目らしいですが、美しさは一番であると評判の1号神殿です。広場の北、ノース・アクロポリスから眺めた、1号神殿。同じく、1号神殿と広場の反対に位置する、2号神殿。「仮面の神殿」と呼ばれるように、屋根のような所に、仮面模様があります。3号神殿は、4号神殿へ向かう途中にありますが、石段もなく、仮のハシゴもなく、険しい急な坂道しかないので、登るのは諦めました。4号神殿へは、登れます。そこから見た、眺めです。左手に見えるのが、真ん中から、3号神殿、2号神殿、見えにくいですが、1号神殿です。全くの、ジャングルの中ですねー!ティカル遺跡の中を歩いていると、七面鳥も歩いています。こいつ、生意気にも、パンあげても、見向きもしないのです。餌貰っているのか、それとも、ジャングルの中に、沢山餌があるんか?七面鳥見たら、急に腹が減って来ました。もう入場して、3時間近くが経過しています。しかし、遺跡の中には、レストランらしきお店は見当たりません。ふふふ。こんな事もあろうかと、食パン4切れ、リンゴ2ヶ、トマト2ヶ、バナナ1本、水1リットルを持参してあります。準備万端ですなー。いやいや、本当の所、実はこう言う場所、レストランがあったとしても高いだけですから、準備をしたのです。何しろ、今、アメリカ在住の、「ふくさん」と、日本人世界ケチ争いをしている訳でありまして、高いレストランへ行くわけには参りませぬ。腹が減っている時に、涼しい木陰で、食べる食料は、どんな高級料理よりうまいもんなのです。さて、腹も膨れて、歩き出してみますと、お! あれは何だ?マヤのセレモニーの準備をしている所に出会いました。3人で準備しており、僕は、何をしているのかと、ずっと一人で見てました。砂糖のようなものを始めに撒いて、その上に、木屑を置いたり、ロウソクを立てます。松脂のような木の脂も使ってます。準備が完了し、もう火を付けても言い頃に、観光客がやって来ました。これ、観光用の見世物だったのです。僕は、タダで見させて貰いました。主な所をグルット廻り、5号神殿にやって来ました。この上から見る、ティカル遺跡も、ジャングルの中やなー、と実感させられる風景です。何しろ広いです。5号神殿の上で、白人の若者二人とずっと、ジャングル水平線を眺めて、空想に耽っておりました。いいものですなー! こう言う所で、ゆったりするって言うのは。東京の景色を見ても、こう言うゆったりした気分になるのは難しいです。で、降りようとして、足がガクガクして来ました。強度の高所恐怖症であったのを思い出しました。遠くを見ている分には、全く問題ないのですが、この急な階段を降りようとしたら、急に足に震えが来たのです。壁にへばり付いて、どうしたものか? と考えていたら、「後ろ向きや!」、と白人が笑いながら言いました。そうでした、そうでした、下が見えるから怖いのです。後ろ向きになって、そろりそろりと、降りたのであります。105段ありました。ほぉー、やれやれ。下へ降りて、少し歩くと、1号神殿へ戻っていました。来た時は、東日で、逆光だったのですが、今は西日です。午前中より、さらに美しく撮れました。これで、神殿だけを見て廻って、4時間強かかりました。細かいのまで、全部見たら、1日で足りないでしょう。入場料は、ベラボォーに高いですが、一見の価値はあります。それから、足の弱ったじいさま、ばあさま、では、全部見れないかも知れません。ここだけで。13、800歩も歩きましたから。若い内に、若しくは、1日2万歩を歩く自信のある内に、ここを訪ねて下さい。
2009.10.22
コメント(4)
2009年10月19日(月) 26日目(グアテマラ2日目)すっきり良く眠れました。メキシコシティを降りて以来、堪らない暑さでした。エアコンのない部屋では、夜中でさえ、汗べとべとだったのが、信じられない涼しさです。今の部屋、東向きなので、朝陽が差し込みます。ここフローレスを拠点にすると、多くの遺跡めぐりが出来ます。ティカル遺跡ヤシャ遺跡バクム遺跡ナランホ遺跡ワシャクトゥン遺跡アグアテカ遺跡セイバル遺跡すごいですねー! こんなにあるのです。全部廻っていたら、4~5日以上かかってしまいます。最も有名で、最も規模が大きく、メキシコのテオティワカン遺跡に匹敵すると言われる、ティカル遺跡には行かねばなりません。このティカル遺跡、ベリーズから来る途中にあったのですよ。一緒のバスに乗った、バックパッカー6名の内、僕の他の5名は、そこで降りました。「あちゃー、失敗したかなー?」 と思ってすぐに「歩き方」を見た所、ティカル遺跡の周辺に宿が数軒ありました。しかし、値段が高いか、キャンプか、どちらかです。きっと彼らは、テントでも借りてキャンプするのでしょう。僕は高級バックパッカーなので、キャンプは遠慮しときます。又、戻って来なければなりませんが、仕方ありませんな。さて、予定通り、ホテルを移動しました。ホテル カサ・アメリアです。タオルやシャンプーも、こんな風に準備してあります。一見、高級ですね。バックパッカー宿には、タオルなんて、置いてありませぬ。町の散歩に出かけました。腹減ったので、タコス食べました。極、少量で、おやつ程度にしかなりません。5Q(60円) 本格的に食べました。キーカーカー島で食べた、弁当に似ています。サラダ、ライス、マメとチキン、それにトルティーニャです。これで、12Q(150円) ベリーズだったら、この2倍以上します。この町には、ツゥクツゥクのようなタクシーが走ってました。大体、町内であれば、5Q(60円)で行ってくれます。これは便利です。市場を廻っていたら、珍しく写真を撮ってくれと言う、おっさんがいました。そう言えば、メキシコでも、ベリーズでも写真撮ってくれと言う人いませんでしたねー。バングラデシュでは、煩いくらいでしたが。市場を、ほぼ一周し、銀行で両替して島の方へ帰りました。因みに両替ですが、このような違いです。100US$を替えた場合で比較。750Q 10.5% の損 (イミグレの両替屋)800Q 3.6% の損 (ホテルの両替)829Q (銀行の両替)と、どこの国でも同じですが、ボーダーで多くのお金を両替せず、最小限の金額にするのが良いと、はっきり分かります。さて、ホテルに戻りましたが、まだ陽は高いので、ペテンシートと言う、湖の中ほどに浮かぶ、小さな島へ行きました。こんな舟ですが、YAMAHAのエンジン積んでます。これが、その島です。本土とは、この橋で結ばれています。動物が放し飼いされているし、水鳥も見られるって事でしたが、確かに、猪はいました。先ほどの橋を渡った本土側に、動物園があります。せっかくなので、そこへも行って見ました。ボートの運ちゃん、頼みもしないのに、案内をしてくれました。彼が言うには、これが、グアテマラの国鳥、ケツァルだって言いはるのです。違うと思うのですがねー?一応、動物園なので、動物もいます。面白いなー、と思ったのがこれです。何だと思いますか?滑り台ですね。ここに水を流して、水と共に、滑り降りて行くのです。途中で、くるりくるりと、何回も廻っているので、滑ったら面白そうです。で、その行き先は、湖の中へ、ドボリです。120Q(1500円)も払って行く場所かいな? とは思いますが、湖の上をボートで走るのは、気持ち良いものです。ホテルへの帰り道、旅行代理店へ行ったら、あっと驚く、ショウくんがいました。彼とは、コスメル島のカーサ・コスメレーニャで一緒に泊まり、キーカーカー島では宿は違うものの、ばったり出会ったのです。そして、ここ。 3回目です。奇遇ですねー!僕は、陽気に、「よー! 又、会ったねー!」と声をかけましたが、なにやら、険悪なムードが漂っているのであります。後で聞いたのですが、彼は、ここからアンティグアまでのバスチケットをここの代理者から買ったらしいです。それが、350Qと言う金額です。「歩き方」には、85~230Qと書いてあります。高いチケットを買わされた訳です。それで、お金を返せ、いや返さないで、揉めていたらしいです。結局、お金は200Qしか返さないって事になってしまったのです。まぁ、腹立ちますわなー!可哀そうなので、この島にある日本食レストランへ連れて行き、ご馳走してあげる事にしました。まぁ、お腹立ちでしょうが、ビールでも飲んで下さいな。と二人で飲んだのが、グアテマラ産のこのビールであります。彼は、カレーライス、僕は、親子丼を頼みました。ここ、日本人の女性が、キッチンにおりましたが、日本人が作ったと思えない、日本食まがい物でした。まぁ、お昼の弁当よりはマシかもしれないけど、ちょっとねー、って感じでした。それに、こう言うところへ来る日本人は、情報を求めてやって来るって目的もありますよね。しかしながら、食事を運ぶ人は、現地人で、日本語も話せず、その意味ありません。コスメル島、カサ・コスメレーニャの、女主人:Yukikoさんの爪の垢でも飲ませてやりたいと思いましたですな。あの方は、夜中を通り過ぎ、朝の3時まで、色んな話を聞かせてくれたのです。と言うことで、ショウくんは、350Qも支払った夜行バスで出発しました。それから、キーカーカー島を出る前に、捨てるなら欲しいといわれていたバスタオル、宿へ預けて来たのに、渡されなかったそうです。 宿に、ネコババされました。そして、グアテマラへの入国税、彼は要されなかったそうです。僕も、20Qをネコババされたことが、明々白々になりました。タオルは、宿にネコババされ、イミグレでは、お姉ちゃんに、20Qもネコババされ、ショウくんは、旅行代理店に、150Qも、騙し取られました。さすが、ここ、ペテン・イツァ湖です。
2009.10.21
コメント(8)
2009年10月17日(土) 24日目(ベリーズ4日目)ダイビングを止めたので、本日は、何もしない、まさにリゾートライフであります。何時に起きても良いと言う、「ゆったり気分」何とも言えませんな。日本にいたら、ありえない睡眠時間、8時間半を記録しました。(しかも、昨日も8時間半で、且つ、昼寝までしています。)どうして、こんなに眠れるのでしょう? 暑いからかなー?して、暇だと、コーヒーとか飲みたくなります。そこで、今回の旅も、湯沸器が、大活躍であります。毎日活躍しています。そう言えば、「旅がらす2号」、どうしているかなー?昨年12月、インドを廻っていた時に、世界一周中の穏やかな、幸せ一杯のカップルさんに会いました。北海道出身です。湯沸器の話になったら、買いたかったけど無かった、と言うのです。そうなんです。地方では売れないから、大きなお店にも売ってません。僕は、インドの旅を完了し、お二人は、世界一周を続けるので、「旅がらす2号」を、嫁に出すことにしたのです。これです。仲々、良い顔、スタイルしてますよね? お気に入りだったのです。思い起こせば、「旅がらす1号」タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、カンボジャなどを共に旅したのに、ラオスのルアンパパーンの宿にて、油断した隙に、空焚きしてしまい、あの世行きになってしまったのです。可哀そうなことをしました。そうです、話好きな日本人の先生と話し込んでしまったのでした。そして、帰国して同じ物を買いました。それが「旅がらす2号」彼女も活躍しました。オマーン、トルコ、ヨルダン、エジプト、イエメン、モロッコ、あと、どこかなー? 共に旅を続けたのであります。そうだ、シリアやレバノンへも行きました。カタールや、クェートにも行きました。そして、ネパール、バングラデシュ、それからインドでしたね。愛着はありましたが、世界一周のお供が出来れば、彼女も幸せであろうと、その、穏やかカップルさんへ、お渡ししたのであります。その後、元気でいてくれれば、アフリカから、僕より一足先に、南米を廻り、中米も通って、さて、今頃、どこにいるのでしょうか?つい先日、連絡がつきまして、中米の後、欧州を1ヶ月廻り、タイにてゆったりし、今頃は、バリ島へ行っているはずです。どうなのかなー? もう1年にもなろうとするから、壊れてしまったかなー?そして、日本へ帰って、「旅がらす3号」を買おうと思ったら、もう製造中止となってしまっていました。恨みますぞ! サンヨーさん!あれだけ、良い物を何故、作り続けないのでしょうか? 愛用者は、かなり多いのです。で、代わりに購入したのがこれです。カシムラ製です。名前が、ワールドポット。あんまり良い名ではありませんなー。サンヨーの銘々、「旅がらす」には、足元にも及びません。ヤッパリ、旅の共に、「旅がらす」おめぇさんさえいれば、一人旅もさみしかぁー、ねぇんでござんす。そういやぁ、お朋さんは、どうしていなさるかなぁー? 蘇州から帰って、どっかで、働いていると、風の便りに聞きやしたが、もう、27、8歳になる頃でございやしょう。もう、嫁にでも行ったんで、ござんしょうか?気立ての良い、いいぃー、娘さんで、ございやした。いけねぇ、いけねぇ、異国の地にいると、ついつい、感傷的な気分になっちまいやす。あっしには、関わりのねぇことでござんした。おっと、知らぬ間に、いつの間にか、亜州の星次郎になっておりやす。失礼さんで、ござんした! 時には、そんな気分になるもんですなー。これが、旅の途中って、もんでござんしょうか?そうだ、姿、形は、違えど、「旅がらす3号」と、名づけやしょう。一緒に旅してみると、色白で、どこか気品もありやす。あっしのようなやくざな者のお供には、不向きなほど、上品でござんすなー。ってぇ、ことで、今後とも、「旅がらす3号」、よろしゅー、おたの申しやす。で、この「旅がらす3号」なんですが、機能的には良いのですが、何が不満でサンヨー製が欲しかったかと言うと、サンヨー製は、ポットの中にすっぽり入るコップも付いていたのです。そして、それらを納める袋も付いていたのです。ですから、すごく利用し易かったのです。で、活動しました。渋谷や、あちこちのお店を探しまくりました。結局、近くの大森近辺のお店で見つけたのが、このコップです。すっぽりと中に入り、その為に作られたと言うようなサイズです。それと、袋。これは、なんと100円ショップで見つけました。これで、「旅がらす1号」、そして「2号」にも負けない姿になったのであります。さて、さて、時間があります。しかし、ゆったりもしていられない事情もあります。危ないと言われている中米を予定通り行くのか、通過するのか?早速、MIXIで、経験者の意見を伺いました。通過したら? と言うご意見、せっかく来ていて、通過はないだろ! と言うご意見に分かれます。アドバイスは有難いですが、決断が出来ません。外務省の安全情報を、中南米各国、全てを読んで見ました。ふぅー、疲れました。で、驚いたことに、中米各国は、ベリーズを除き、「十分注意して下さい」なのです。因みに外務省の、安全情報は、4つのカテゴリーで示されます。1.十分意して下さい。 渡航、滞在に当たって特別な注意が必要であることを示し、危険を避けて いただくよう、おすすめするものです。2.渡航の是非を検討して下さい。 渡航の是非を含めた検討を真剣に行っていただき、渡航される場合には、 十分な安全措置を講じることをおすすめするものです。3.渡航の延期をお勧めします。 渡航は、どのような目的であれ延期されるようおすすめするものです。 また、場合によっては、現地に滞在している日本人の方々に対して退避の 可能性の検討や準備を促すメッセージを含むことがあります。4.退避を勧告します。渡航は延期してください。 滞在している全ての日本人の方々に対して、滞在地から、安全な国・地域 への退避(日本への帰国も含む)を勧告するものです。この状況では、 当然のことながら新たな渡航は延期することが望まれます。今まで、歩いてきた、メキシコ、ベリーズは、何の勧告もありませんので、安全であるとと言えたのですねー。喉渇いたので、パパイヤを買って来て食べました。一人では、全部食べ切れませんので、半分だけ食べました。 うまいですよ。これ、夜のビールのつまみになるかなー?で、一番危ないのは、なんとコロンビアなのです。それと、エクアドルとコロンビアの国境ここが、危険度3「渡航の延期をお勧めします。」なのです。パナマからコロンビア国境は、以前から危ないので陸路のバスは止めて、飛行機にした方が良いってのは聞いてました。すると、結論的には、中南米各国は、予定通り、十分注意しながら旅する。パナマから、コロンビアを経由せず、エクアドルまで、飛行機で行く。このような結果になりました。ですが、コロンビア、そんなに危なくないよ! って人も多くいるのです。外務省の安全情報も、いい加減でっせ! とおっしゃる人もいます。まぁ、いずれにしても、危ない所には、近寄らず、スリやこそ泥にも気を付けながら、慎重に行動しましょう。町と言うか、村でしょうな、その村を歩いていたら、なんと、チョウミンがありました。確か、クェートのネパール食堂で、初めて食べました。ネパールへ行ったら、当然ありました。インドの、ダージリンへ行ったら、そこでもネパール系の顔立ちの屋台で売っていて、そこでも食べ続けました。ま、まさか、こんな小国ベリーズで食べられるとは!野菜に、肉もたっぷりです。麺が見えませんので、少しかき混ぜて見ました。ここは細めんですね。これで、10ベリーズドルですから、500円です。 やっぱ、高いですなー。それでも、メキシコ料理に合うのがあまりなかったので、「こりゃーうまかとです!」 と、良いながら食べました。まったく、ゆったりした1日、旅の休養日でした。
2009.10.18
コメント(8)
2009年10月16日(金) 23日目(ベリーズ3日目) ダイビングは、高額すぎて無理なので、シュノーケリングへ行って来ました。シュノーケリングでも、40Bドル、2000円もします。小さなスピードボートで行きます。英語圏の国の女性4名、同じくカップルで2名、あたくしの、合計7名。魚影が濃いとまでは言えませんが、そこそこの、お魚さんはいます。ちっちゃいですが、青いきれいな魚もいました。岩陰には、こんなのも隠れていましたぞ。大した珊瑚ではありませんが、珊瑚もあります。えい、もいました。。こいつ、人間に慣れているのですよ! こんな風に抱かれています。きれいなコーラルでしょう?ふぐもいました。ずいぶん追っかけて撮ったものです。昼食弁当を買いました。8Bドル、400円程度です。チキン、ライス、サラダです。ここは中国人が多いようで、食事も食べやすいのが多いです。メキシコでは、あまり食べたいものなかったですから。夜のメインストリート。ここがメインの通りですよ! どの位の田舎か、想像つきますよね?
2009.10.18
コメント(8)
2009年10月15日(木) 22日目(ベリーズ2日目) 昨日、バス置き去られ事件に会い、行き着けなかった、キーカーカー島へ移動です。ベリーズシティのど真ん中、スイング橋のたもとに、ボートタクシー乗り場があります。出発しました。船と言わず、ボートタクシーと言われるように、小さい船です。イスラ・ムヘーレス島や、コスメル島へ行くような、りっぱな船ではありません。幾つかの島を横目で見て、45分も乗ると、キーカーカー島が見えて来ました。ここでも、沢山の宿を見て廻りました。この島、全長7キロしかない小さな島です。中心部は、1キロ以内にほとんどの施設がありますので、沢山見ても、大した時間は必要ないです。中心地の北方にある、ホテル・トロピカル・スターにしました。ダブルベッドが二つも入っている大きな部屋で、勿論、トイレも付いてます。ベランダに出れば、海がすぐそこで、涼しい海風が、そよいで来ます。僕の部屋の前の、ベランダです。ここを選んだ理由の一つに、無線ランが24時間無料で使えるのです。貧乏旅人兼ブロガーの僕としては、このサービスは大きいです。ベランダで、ゆったりネットにつなげます。それに、それに、バスタブがあるのです! 驚きました。今回の旅に出て、初めてのバスタブ。しかも、しかも、お湯も出ます。どっぷりでます。さらに、さらに、ちゃんとバスタブに、お湯も溜まるのです。などと言うと、当たり前じゃ! バスタブにお湯がはれないでどうすんじゃ!と、お怒りの言葉が出てくるでしょうが、なになに、さにあらず。バスタブなんて、使わない国の方が多いですから、排水栓がなかったり、壊れてたり、する所が多いのです。お湯を満たして、ゆっくり寝転がりました。あ~ぁ、気持ちええなー! 日本人を心ゆくまで、味わいました。その後、このキーカーカーの中心地を散歩して見ました。気付き事項として、1.舗装道路が一つもありません。 埃が大変だろうと、思うでしょうは、車はゴルフカートのようなのしか 走ってませんので、気になりません。2.スーパーは、中国人経営がほとんど。 4軒ほど行って見ましたが、みんな中国人です。 そう言えば、ベリースシティのスーパーも、中国人でした。そこは、鉄格子、 金網の向こうに商品が置いてあり、中には入れません。欲しい商品を言うと、 小さな穴から、出してくれます。 治安が、悪いのだなー! と思いましたなー。 それを見て、 こんな売り方をしているのを、どっかで見た記憶があります。 インドのコヴァーラムって言う、僕の好きなリゾート地の酒屋さんです。 同じように鉄格子の中に商品がありました。 ホテルの近くのスーパー。 若い女性の店員が、「どこから来ました」って言うので、「中国」と答えました。 ここまで、英語。 以下は中国語。 「えぇー! 日本人かと思った! 中国のどこから?」 「蘇州。 あなたはどこから?」 しばし、中国語で会話しました。彼女、ここへ来て、まだ1年だそうです。 そして、彼女は、どうも僕が中国人であると、信用したようです。 ええー? と言うことは? おおー! あっしの中国語もかなりなレベルに あるって事ですなー! うふふ。ちょっと気分よし。 しかし、騙すのは良くない。ここに滞在中、ほんとの事を言わねばな。3.物価は高い。 ビール小瓶1本、200円です。コスメル島では、缶ビール6缶で400円強。 3倍ですなー! 高すぎまっせ! カップヌードル100円。コスメル島では、20円位でした。5倍じゃ! ダイビングが1万8千円弱。コスメル島では、7千円。 ここへ来た目的が、ダイビングだったのですが、あまりの高さに、もう 潜る意欲を失いました。 世界の超高級リゾートへ行ったって、こんな高いダイビングは経験 ありません。ちょっとふざけてるなー。この島、観光客来なくなるぞ! 近くのメキシコには、美しい海でも、半額以下で潜れるのだから・・・。まぁ、でも、車は走ってないし、ちっちゃな島で、ゆったり気分は最高なのです。マレー半島の東に浮かぶ、ティオマン島を思い浮かべる雰囲気です。ですが、物価が高すぎます。長居は出来ませんな。お金持ち以外に、お奨め出来ません。ここなら、コスメル島の方が、ずっと良いです。
2009.10.17
コメント(4)
2009年10月14日(水) 21日目(ベリーズ1日目)前のブログからの続きです。この前のブログ、全て読んだ方は、表彰しますので、連絡下さいませ。(あんな長ったらしいのを、全部読むのは、大変です。)身体はヘタヘタ、汗はポタポタ、頭を垂れて、ガックリ茫然自失しております。どうすりゃ、良いんじゃ? 歩いては行けんぞ、ベリーズシティ。ヒッチハイクで行くかなー? 乗せてくれる人いるかなー? 強盗だったらどうしよう? 頭の中で、どうすべきか、グルグル廻っております。そんな時、、色浅黒いお兄さんがやって来て、声をかけてくれました。「どうしたの?」「へぃ、バスに捨てられました。置き去りにされました。このチケットです。」それを、見せると、「これなら、あと2時間したら次のが来るから、それで行けば?」おいおい、親切なのは、ありがたいが、この暑い屋根もない所で2時間も待ったら、干からびてしまうぞ! それでなくても、人生に疲れて干からび始めているのです。見ると、いつの間にか、オンボロバスが近くに止まっています。「あれは?」「ベリーズシティへ行く、俺、車掌」「そんなら、それ乗るよ、いくら?」「10ドル」高ぇーなー、と思いましたが、止むを得ません。ここで2時間も待つより、バスに乗って移動してた方が楽です。こんなバスです。道端に人がいれば止まって拾うし、そこで降りるって言えば、降ろしてくれるバスです。乗ったり降りたり、忙しいバスですぞ。ベリーズのお金は、ベリーズドルです。2ベリーズドル=1US$で固定です。ビザ取得時に、これで危うく、席を蹴ってメキシコへ戻ろうと思ってしまいました。と言うのは、ちと老けたお姉さん係官が、手数料100ドルだ、と言った時です。調べて行ったのですが、50ドルなんです。こ、この奴、50ドルも袖の下、取ろうとしてんのか! くっそ!もう怒り爆発です。「おい、50ドルって聞いてんぞ! 100ドルってのは、どう言うこっちゃ!」もう、この時は、ベリーズなんて入国するか! このアホ! と思ってましたから、怖いものなしです。かなりの怒りの表情してました。(たぶん)そしたら、彼女、慌てず騒がず、「ベリーズドルなら100ドル、US$なら50ドルよ」と、にっこりして言うのです。はぁ、すんません、恐縮して、身体が一回り小さくなった気がしました。てな、事だったのですが、考えて見れば、このちと老けたお姉さん、悪い所はないのです。僕が、イミグレで待たされて、カッカしながら行ったので、悪い先入観があったのですね。部屋へ入ると、「そこへ座って下さい」と言っていたし、申請用紙も内容は全く同じでしたが、許可番号を書くような所が少し違ったのかも知れません。部屋を出るときも、注意してくれたし、こちらがカッっとして言っても冷静だったし。後で見ましたが、パスポートに、きっちし領収書が挟んでありました。そう言うことです。怒ると、身体に悪いですから、笑いながら、にこやかに行きましょう。オンボロバスの外を眺むれば、牧場もあったりします。バスに乗り降りする人たちを見ていると、メキシコとは明らかに人種が違うことが分かります。黒人系が多いのですねー。そして美人さんがいますよ! デブもいますが、メキシコに比べたらその率はずいぶんと低いです。一等の高級バスばかりに乗って来たので、普通のバックパッカーの良さを忘れておりやした。そうなんです、ローカルバスには、こう言う良さがあるのでしたね。安全であるならば、僕は、ローカルバスで移動したいのです。途中、止まった所で、トウモロコシを3本買いました。この辺りで主食のトウモロコシ、さぞかし、うまいだろうと思いました。3本で、45円程度で、安いですしね。でも、日本のに比べると、甘さが全く不足です。残念。19時45分、ベリージシティのバス停に着きました。キーカーカー行きの船は、もうありません。ここに泊まって、明日移動せざるを得ないのです。1日と、バス代2重に支払ったので、その分、ロスしましたが、旅にこう言う事はつき物。安全に移動出来た事に、感謝しましょう。宿です。もう、暗いし、あまり探し回るのも、危険なので、1軒目で決めました。エアコンなしなので、ちょっと気になりますが、カサ・コスメレーニャで耐暑経験をしたので、大丈夫でしょう。ホテル スモーキン・バラム 27.25ベリーズドル(1300円)ファンのみ。水シャワー(お湯なし)、トイレ共同。ネット30分のみ無料。この宿は、あまりお奨めしません。
2009.10.16
コメント(9)
2009年10月14日(水) 21日目(ベリーズ1日目)昨日、汗びっしょりかきながら、重いバックパック背負って、宿探しをしたのは、既報の通りであります。その時に、購入したバスチケットを無くしてしまいました。ここメキシコの、プラヤ・デル・カルメンから、ベリーズ国境に近い町、チュトゥマルまでのチケットです。204ペソ(1500円)も支払い、且つ、明日中に、プラヤ・デル・カルメン(メキシコ)→チュトゥマル(メキシコ)→ベリーズシティ(ベリーズ)→キーカーカー島(ベリーズ)このように移動しようとしたいので、朝早い7時10分発と言うのを購入しました。で、お金も惜しいし、もし乗れなかったら、キーカーカー島まで行き着けないので、昨夜、ホテルへチェックインした後、バス停まで、チケットの再発行依頼に出かけました。購入したオフィスは、船の発着所の近く。そこのお姉さん、とっても親切で、明日の朝、ここへ行って再発行して貰いなさい、と、メモと、スペイン語で、その証明を書いてくれました。こことは長距離バス停です。でも、僕は心配なので、昨夜の内に、再発行して貰おうと、長距離バスが出発するチケット発行した場所の反対方向へ、又もや、汗かきながら行きました。そしたら、答えは同じ。明日の朝、6時半に、ここへ来て下さい、と。くたびれ損です。人を信用するべきです。しかも、ハンケチをポケットから、出したり入れたりしながら、汗を拭き拭き歩いたので、そのハンケチまで無くしてしまいました。ブランド物の高い奴です。あ~ぁ、ついてないなー・・・。ここまで、昨日の話。そして、本日、チケットは、きっちり再発行してくれました。おー!今日はついてるぞ!さすが、ADO。(大手のバス会社です。)予定より、若干遅れて、7時20分、出発しました。エアコン効きすぎのバスですが、乗客は半数も乗ってなくて、快適です。5時間かかって、チェトゥマルに着きましたが、最近の寝不足解消とばかり、半分以上は、寝てました。で、昼食です。昨日とは、ずいぶん違いますなー! サヤカさんとの食事は奮発してしまいました。本日は、普段の貧乏人、ケチな奴に戻りました。カップメンと、バナナ1本です。ここチェトゥマルで、ベリーズのベリーズシティ直行のチケットを買いました。メキシコを出国し、ベリーズへ入国し、そして、ベリーズシティまで行くのです。便利だなー! と迷わずに買ったのであります。が、これが「どえりゃーことの元」となったのです。話すと長いなー、お付き合い頂けますでしょうか?メキシコは、20US$も取られましたが、難なく出国。問題は、ベリーズへの入国でした。何故か、このベリーズ、日本人には厳しく、ビザの取得が必要なんです。予め取得して置いた方が良い、との情報は入手済みでした。しかし、陸路の場合、入国手続時に、取得可能であるとの、情報も入手しておりました。で、怠け者の僕としては、当然ながら楽な方、現地で取得を選んでいたのです。ビザの申請書は、チェトゥマルのバス会社がくれたので、事前に記入して、簡単に取得出来るものと思い、「51カ国目のベリーズぞ!」、と少し浮かれた気分で、イミグレに並んだのであります。あぁ、書くのも面倒だなー。読むのはもっと面倒でしょう。箇条書きにします。1.イミグレのお姉さん、ビザの申請書を見て、隣のお兄さんに相談。2.イミグレには、その二人しかいません。3.お兄さん、あぁ、必要だよ、ジャパニーズだろ、と答えたようです。4.お姉さん、僕のパスポートを横において、「ちょっと待て」と言いました。5.どうするかと思いきや、長い列を作っている、通過者の手続をしています。6.僕は、バスに、置き去りにされるのではないか? と気が気ではありません。7.かなり待ったあと、「おい、あっしは、どうすりゃーええんじゃ?」と聞きました。8.意地悪そうな目でチラっと僕を見て、「ちょっと待て」と、同じ事を言いました。9.こっちは、ちょっとどころか、かなり待ってます。10.列の人並みを捌いたのを見て、もう一度言いました。あぁ、書くのが面倒になって来ました。読むのはもっと面倒でしょう。でも、続けます。1.「バスに置いていかれてしまうよ!」、ちと、声高に言いました。2.「バスなんて、いくらでもある。」、」意地悪お姉さん、すかさず言いました。 ここで、もうかなり、むかっ腹立ちましたわい。そりゃそうでしょう?3.「ばっかやろ! 俺はな、204ペソも支払って、ベリーズシティ直行の お前みてぇな貧乏人には乗れない、超高級バスに乗ってきたのじゃ! 置き去りにされたら、訴えるぞ!」4.やりとりを聞いていた、隣のお兄さん、こっちへ来てくれと、別の 事務所へ連れて行ってくれました。やれやれ、ようやく、ビザが貰えるか、とほっとしました。ですが、それも束の間、先ほどのお姉さんより、もうちぃっと老けたお姉さんが担当官です。5.「そこに座って」6.やさしいのか、居丈高なのか分かりません。取り合えず座りました。7.準備した、ビザ申請書を渡します。8.「あ、これ古い。書き直して!」9.出された書類を見て、もう我慢の限界に来ていました。10.ほぼ同じなのです。って言うか、内容的には全く同じです。すいません、ほんとに面倒になって来ました。読む方も、我慢の限界でしょう。結論を書きます。ブーブー文句言いながらも、何とか、ビザに取得を完了しました。老けたお姉さんが言いました。「そのまま、入国したらダメよ、さっきのボーイの所へ行って、入国スタンプ貰いなさい。」やさしい声で、2回も言いました。ボーイとは誰ぞや? イミグレのお兄さんです。このちと老けた女性、偉いのですなー。イミグレ検査官を、ボーイと呼ぶのですぞ。今度は、待たされず、そのボーイが、スタンプを押してくれたのです。喜び勇んで、荷物チェックをスルーし、外へ出ました。い、いません! 案の定、いません! バスがない! 置き去りにされました。茫然自失。ヘタヘタと、その場にへたり込んでしまいました。身体はヘタヘタ、汗はポタポタ、心はガックリ。書くとリズムは良いけど、最悪です。老けたお姉さんの個室のオフィスで、「ベリーズ入国止めて、カサ・コスメレーニャに戻るかなー?」、などと思ったことを、うな垂れながら、思っておりやした。続く
2009.10.16
コメント(6)
2009年10月13日(火) 20日目本日、4泊も、僕としては長居させて貰ってしまった、カサ・コスメレーニャと涙のお別れして、コスメル島を離れました。ダイビングも素晴らしかったし、Yukikoさん経営の、カサ・コスメレーニャも素晴らしかったので、いつまでも、僕の脳に残ることでしょう。予定通り、9時発の船に乗り、対岸のプラヤ・デル・カルメンへ移動です。ここの町のダイブショップから、車でポイントまで行きます。セノーテ(セノテ)とは、チチェン・イツアーで説明し通り、石灰岩質の当地では雨が、地中に沁み込み、その雨が地中を溶かし、空洞が出来ます。その中に水が溜まったいる場所を、セノーテと言います。セノテとも書くようですが、聞いている限り、セノーテの方が近いようです。で、セノーテと書きます。ダイビング参加者、フランス人の男性二人。そして、サヤカさんと、このアジアの星一番、の4名です。行き先で揉めました。僕らは、すごく美しい場所が良いと主張。フランス人は、アドベンチャー的な洞窟ダイブが良いと主張。2対2なので、結論が出ません。ダイブショップのオーナーであり、インストラクターでもある、マイクがコインで勝負しようって事になりました。結果、負けました。くっそ!僕らの希望したセノーテは、車で50分ほどかかり、フランス人達が希望したセノーテは、たった25分くらいで行けるのです。マイクは、どうも近い方へ行きたかった素振りがあります。え? あいつ、イカサマやったか?コインを手の甲に乗せる時、何かが、怪しかったぞ?ともあれ、こんな所に着きました。この地図のように、、地上から見える部分もありますが、洞窟内で全く見えない部分の方が、圧倒的に多いようです。潜って上を見上げると、もうこんな景色になります。これは何でしょうか?木の根っこなのです。岩を砕きながら、水を求めて、地下へ侵入して来たのです。すごい生命力ですよねー!こんな風に、泳いで行きます。ん? これは誰じゃ? アジアの星一番さんでした。これでは、お化粧する必要もありません。どう撮っているのか、分からないでしょう?洞窟内なので、真っ暗な所もあります。で、懐中電灯は欠かせません。そして、上が空気に触れている箇所に出ると、こんな色になるのです。又々、アジアの星一番です。ここは、出番が多いですなー! 何しろ化粧しないで良いから出易いです。このセノーテは、海とも繋がっているようです。深く潜ると、突然、暖かくなります。そして視界が途絶えます。何故か、理由まで分かりませんが、海水の所まで潜ると、全然、見えなくなるので、パニクリますよ。事前に説明を受けていたので、それほどでもなかったですが、見えないって言うのは、且つ、水中ですから、怖いですねー!2本潜ったあと、全員で記念撮影しました。さぁ。私はどこでしょう?因みに、このダイビング、90US$であります。セノーテダイビングから、プラヤ・デル・カルメンの町へ戻りました。これから、サヤカさんはカンクンへ、僕はここに留まり、明日は、メキシコとさよならして、ベリーズへ向かいます。で、お別れの、遅い昼食会となりました。魚とチキンを頼み、半分づつ食べました。 ビールも、3本づつ飲みました。これ以上飲むと、別れがたくなるので、3本で打ち切りましたです。 涙のお別れ(嘘だろう? って? へぃ、嘘です)のあと、ホテル探しです。何とか、エアコン付きの個室に泊まりたく、探しまくりました。安くとも、350ペソで、それ以下だと、ファンのみです。諦めかけましたが、メイン通りから、何本か外れた道路を歩いていたら、ありました。250ペソ(1800円)、個室、エアコン付です。Hotel Hacienda Agua Azul と言います。 久しぶりの、エアコンルーム。気分良く眠れるかなー?明日は、早起きで、国境越え。早く寝なければ・・・。ずっと、寝不足でしたから。
2009.10.15
コメント(9)
2009年10月11日(日) 18日目本日は、竜宮城へ行って来ました。あまりの美しさに、海から上がったら、380歳くらいになってしまうか、心配しながら、泳いでいたものです。しかしながら、年齢は、相変わらず、20歳以上100歳以下で変化ありません。良かった、良かった。こんなスピードボートで行きます。そう言えば、小型4級船舶のライセンスを取り、一時期、スピードボートを運転していましたが、更新しなかったら期限が切れてしまいました。この位の船まで運転できるのですがねー・・・、残念。1本目潜りました、コスメル島の南で、Palancar Reef と言うポイントです。こう言う珊瑚があり、上を見上げると美しい色です。どうですか? お魚さんも泳いでいます。ん? なんだ? でっかい魚だぞ!と、思ったら、アジアの星一番さんです。お化粧してませんなー。 ふぐがいました。可愛いですねー! このふぐ。な、なんじゃ? サメか? とビクッっとしましたが、サメではないようです。 ソフトコーラルです。実物はもっと綺麗です。この魚達は、岩場の下で、じっと動きません。大家族と言うか、一族郎党と言った感じです。えいもいましたねー。 こいつも、岩下で、じっと動かずです。魚沢山いますので、縮小して、写真だけお見せします。 ここは、どこでしょか? 月面です。 アメリカの宇宙船が撮りました。と言うのは、真っ赤な嘘。海底なんですよ。しかし、海底に見えないでしょう? 海が澄んでいるから、地上のように、見えます。さらに、こう言う所を泳いでいきます。 結構、潮の流れがきついので、見たい所に留まって見るには、結構な技術が必要です。これは、何だと思いますか? ごみ? ブッブー、違います!この小さいゴミのように浮いているものは、孵化したばかりの魚さんなんです。多いですねー! すごい量ですわ。2本目も50分ほど潜りました。もう上がる時間です。海の色は、あくまで青いです。水面へ上昇中の、アジアの星一番さんです。満足そうな表情ですねー! あ、見えませんか? そう思って下さい。右足が少し攣っています。 一緒に潜った人たちです。写真右が、インストラクター。中央後ろが、ショウくん。東南アジア、中南米の旅の途中。インストラクターのライセンスを持っています。前の中央にいる人が、世界一周中の、サヤカさん。オーストラリアから入り、フィージー、タヒチなどの国々を廻り、南米へ入り、そこから北上し、メキシコ入りしてます。僕の逆ルートなので、色んな情報を教えて貰いました。そして、あれ? 後列の左、誰じゃ?久しぶりに現れたな、化粧男め。たまには化粧を落として出て来い!あ、すいませんですねー。化粧を落とすと、人前に出られませんので、相変わらずの顔で我慢願います。後列左が、アジア星一番です。 よろしく!そんな訳で、久しぶりに感動できるダイビングでした。アラビア湾、アカバ湾、紅海エジプトのハルガダ、トルコのマルマリス、タイのパタヤ沖、などなど、近年に潜った場所は、有名なれど、季節的に合わなかったか、今ひとつ、どえらく感動するまでに到らなかったです。しかし、ここ、コスメル島。完璧に素晴らしいです。グアムのブルーホール、サイパンのグロット、あの辺りで見た、海の青さ、深さに匹敵する、素晴らしさだったです。尚、この写真提供は、サヤカさん、ショウ君からでした。僕のカメラは、3mまでしか堪えられません。今回は、最深部で、30m位だったでしょうか?満足出来る1日でした。
2009.10.13
コメント(8)
2009年10月10日(土) 17日目やはり、エアコンなしのドミ、暑いです。熟睡は出来ませんでした。貧乏なのに、体が、もうエアコン在り生活に慣れきっています。暑さに絶える、精神も持ち合わせていません。軟弱体質であります。それでも、疲れていれば必要な睡眠はとっているのでしょうねー?朝、目覚めれば、気分良好です。朝食です。宿が食パンを準備してくれるのですが、スーパーで大量に買い物して来てしまったので、ちょっとヘビーですが、食べました。目玉焼き作ろうと思ったけど、蓋が見付からないので、玉子焼きです。さて、コスメル島の2日目、どうすっぺ? と考えておりました。すぐに、ダイビングへ行く事を考えていましたが、カンクンで出会った女性とメールのやり取りをしていたら、本日、この宿へ来る、そして、出来れば明日、ダイビングしたいって言うのです。アジアの星一番、心の中を眺むれば、これを断る精神構造になっていません。我が精神、軟弱ではありますが、誘われたら断らない、。断れない、のです。ん? これって、軟弱か?で、本日は、イスラ・ムヘーレスに引き続き、島内一周巡りに出かけました。バイクです。こんな所を、心地よく走って行きます。ヘルメットが、重くて邪魔ですが、安全の為には、被らねばなりません。因みに、運転免許持って来ていませんが、デポジット支払い、と、保険加入なしとの条件で貸してくれます。1日、24時間で、20US$(ちと高いです) そして、コスメル島最南端の、海浜公園へ来ました。入場料を取られるのですが、島の東側は何もないと聞いているので、ここでゆったりする事にしました。(入場料、10US$)入場してから、トコトコと、何もない海岸線を走ります。お? なんじゃ? ワニがいるらしい。 と横道へ入って行きました。高い塔があるので、登って見渡しましたが、ワニなんていません。海から隔てた、あんまり水の綺麗でない、沼ですねー。係りのおっちゃんが来て、ピーピー口笛を吹いています。客である、この僕にも、口笛を吹けと言います。なんじゃとこの! 入場料返してくれんのか! とも思いましたが、口笛位なら吹いても損はしません。僕の場合、指笛で、まぁ、3キロ四方にまで届きます。そしたら、どうでしょう! 一匹のワニが遠くの方から、そろそろと泳いで、こちらへ向かって来るではありませんか!シンガポールとか、タイとか、で見るワニ園のワニは、全く身動きしないのがほとんでだったので、驚きました。指笛にも力が入ります。アメリカからの観光客集団もやって来ました。僕の指笛日つられてやってきた、愛い奴、可愛いワニ君がこれです。遠くの方でも、数匹のワニが泳いでいました。自然の形で、飼っているのですね。さらに、バイクを走らせます。何せ、入場口から中が広いのです。こんな浜辺や、こんな浜辺や、こんなレストランのある浜辺を通りました。 そして、一番奥、8キロも中へ入った所に、シュノーケリングスポットがありました。もうツアー集団が、シュノーケリングの準備をしています。早速、マスクとフィンを借りて、海の散歩です。ありゃー? な~んにもねぇーぞ! 珊瑚も魚も、な~んもない!かなり沖にまで出て行きましたが、短い草がはえているだけで、魚もほとんどいません。疲れて足も痙攣おこしそうなので、一旦、引き上げました。機材を借りた所で、文句言うと、ポイントを教えてくれました。そう、多くはないですが、魚もいました。 夜は、スーパーで買った、サラミソーセージを振る舞い、そしてまだ使ってない、野菜や豚肉で、得意のと言うか、それしか作れない、野菜炒めを大量に作りました。それも、大判振る舞いして、3人で大宴会と、相成りました。世界の話で盛り上がりましたなー!貴重な情報も沢山あります。日本人宿を敬遠する人もいますが、こう言うのも時には良いもんであります。
2009.10.12
コメント(10)
2009年10月9日(金) 16日目カンクンは、あまりに高級なリゾート地であり、貧乏旅人のアジアの星一番が長居する場所ではないと悟りました。で、次なるコスメル島へ移動します。ここもリゾート地、カンクンと並び、ダイビングのメッカなんです。今回の移動も、ADO社のバスです。これをエーデーオー、と発音してもこちらの方には通じません。アーデーオーと発音せねばなりません。「長距離バス停、しかも1等バス停へ行きたい」などと、そんな面倒くせぇこと言わずに、アーデーオーと言った方が、た易く伝わります。ADOの社員二人です。こんな道路を走ります。メキシコ、一等バスが通る道は、このようにどこも整備されています。ここが、コスメルへの船が出る、プラヤ・デル・カルメンです。ここも、リゾート客が多くなっていると聞きました。この船で行きます。イスラ・ムヘーレスへ行った船と似てますね。船内です。やっぱり、りっぱですよ。コスメル島、リゾート島なので、ホテルも高いのばっかりです。3軒見て廻り、一番安くても、450ペソ(3200円)、高いので、680ペソ(4900円)高級バックパッカーにも、ちと、高すぎます。で、日本人の女性が、この地の人の元へ嫁ぎ、ドミを経営していると言う、「カーサ・コスメレーニャ」へ行って見ました。メールでは、連絡を取っていたのですが、ドミしかなく、且つ、エアコンなしなので、僕には、耐えられるか心配でありました。2段ベッドが、3つある、最大6名が泊まれる宿です。キッチンも綺麗です。これで、120ペソ(900円)なのです。悩みましたが、昼でも部屋は、そうそう暑くないし、1泊だけ泊まって見ようかと決めました。近くに大型スーパーが2軒あります。そこへ行って見ると、買いたいもの沢山あり、野菜や豚肉、タマゴ12個、トマト、モモ、缶ビール6個、テッシュ、などなど、1泊で宿を替えることなど、思いつかないほど買ってしまいました。どうする気じゃ?参ったなー! これが衝動買いって奴なんでしょうか?ビーチへも行くので、バスタオルにビーチサンダルも買ってしまいました。さらに、短パンまで買ってしまいました。もう、そんなものを入れるスペースは、バックパックにも、手提げバッグにも、どこにもありません。コスメルを出る時に、捨てて行かねばなりません。どうして、そんなに買ってしまったんじゃ? 困ったもんだ。
2009.10.11
コメント(10)
2009年10月8日(木) 15日目又、変な名前の島がありましたぞ! イスラムヘーレン。何でじゃ? 何で、イスラムは入れんのじゃ? あっしは何せ、イスラムの盟主サウジアラビアに住んでおったもんで、少しはイスラムの味方したいのじゃ。帰国間際、サウジ人が家へ招待してくれて、お土産に、クーヒィーヤ(白い帽子)、シュマークと、ゴトラ(頭に被る布)、イカル(ホガールとも言う)→頭に乗せるワッカ、オバQが着るようなトーブ、そして、下着まで、サウジ衣装を一式くれました。それで、サウジの印象、良くなりましたなー!で、イスラムヘーレン? ほんとか? あれ? ちょっと違うかな?よく見れば、「イスラ・ムヘーレス」でした。すいません。一字違いです。区切り方も違いました。なんじゃ、その、イスラ・ムヘーレスと言うのは? とこの辺りの事情に疎い人は、そう思うでしょう。それがですねー、カンクンのホテルゾーンの北にある島なんです。見てください。この7の字のホテルゾーンの北に島がありますね? ここです。実は、昨夜、カーサ吉田のキッチンで、世界を廻っている男性1名、女性2名と談笑しましたです。(皆、別々の旅をしているのですよ)。皆さん、仲々のツワモノでありまして、超一流高級リゾートホテルのプールをただで使ったり、シャワーもただで使ったり、おまけに、ジュースまでタダ飲みしたり、面白いお方であります。そんな話の中、イスラ・ムヘーレスへ行って来た話も聞きました。それじゃー、是非、行かなーいかん、ってことで、行ってめぇりました。カンクン市街地からバスで北へ10分ほど乗った所から船が出ます。海が綺麗ですねー!船です。豪華ですよ。 バイクで島を廻ろうと、これを借りました。1時間100ペソ。1日250ペソです。1日150ペソで、交渉しましたが、180ペソまでしか負けません。暑いし、汗でベタベタなので、面倒だし、180ペソ(1300円)で手を打ちました。この島は、道路から海が見えないのですねー。だから走っていても、景色を見ながらって状況にありません。ところどころにホテルやレストランがあります。でも、有料なんです。ドルフィン何とかって言うところは、イルカと一緒に泳いだり、写真を撮ったり出来ます。が、入場料だけで、な、なんと、39US$です。写真を撮るとそれにプラス30US$くらいだと言います。いかに高級バックパッカーと言えど、そこまで払えません。よって、入場は断念。入り口までなら、タダなので、写真撮らせて貰いました。昼飯もどっかで食べねばなりませんが、こう言うリゾート地は、どこでも高いです。でも、腹減るのは我慢できません。で、とあるレストランへ入りました。ビーチが目の前です。タコスではないのですが、タコスの高級なような、チキンを頼みました。このレストランで一番安い奴でした。(ケチやなー! きみ!)でも、60ペソですぞ! 定食なら、この値段で、ジュースに、パスタにメイン料理に、且つフルーツまで付くお値段なんです。次は、島の一番南にある、シュノーケリングポイントです。今度の旅の為に購入した新兵器 水中カメラの活かしどころです。シュノーケリングポイントと言いながらも、魚はそれほど多くはないです。珊瑚が全くありませんから、お魚さんも、住み着きたくないのでしょう。それでも、カラフルな魚が気さくに寄って来たりもします。ここは、入場料60ペソシュノーケリングセット60ペソロッカー20ペソで、合計、140ペソ(1000円)でした。海からあがり、シャワー浴びて、宿で借りた日本語の小説をゆっくり読んで夕方まで、ここに居ました。リゾート気分ですなー。帰りは、島の東側を廻って船の出る北側へ帰りましたが、東側はホテルらしきものもほとんどなかったです。まぁ、ゆったりした、1日でありました。
2009.10.10
コメント(10)
2009年10月7日(水) 14日目メキシコの遺跡巡りを満喫し、メリダからカリブ海の大リゾート地、カンクンへ移動しました。チチェン・イツアーでお会いし、数分話したカナダ在住の日本人お二人から、泊まっていたと聞いた、「カーサ吉田」です。ドミは、たったの110ペソですが、そこは高級バックパッカーの私、アジアの星一番はエアコン付きのプライベートルームにしました。240ペソ(1700円)宿にチェックインしたのが、午後3時過ぎ、腹減り減りなので、定食屋へ、「コミーダ デル ディア」は、もう覚えました飲み物が出ます。(左)サラダも選べるのですが、パスタにしました。(中)ビーフ、ポーク、海鮮、チキンから選べます。今回はチキンにしました。(右)唐揚げみたいで、おいしかったです。 カンクンは、下図の、左上の小さい四角が市街地です。右の数字の7のようなのが、ホテルゾーンで、リゾート地区であります。早速、遅いお昼を食べたあと、ホテルゾーンへ行って見ました。このように、大型ホテルが並んでいます。洒落たホテルですねー!マリオットかな? このホテル?この辺り、リッツカールトンとか、メリディアンとか、ヒルトンとか、有名なホテルだらけです。アクアワールドの、船着場へ入って行って、写真を撮って見ました。どうですか? この空の色と、海の色と!ボートが沢山並んでいます。スピードボートではないようですぞ?アクア・レイ、と言うそうです。見て下さい、日本の会社、頑張ってます。YAMAHAです。YANAHAではありません。正真正銘のYAMAHAです。しかし、YAMAHA強いですねー!世界中の海の駆動は、YAMAHAの占有率世界一でしょう。もう一枚、海側からパチリ。アクアワールドで、ダイビング情報を仕入れる為に、話を聞きました。ボートダイビングで、2ダイブ、全部混みで、70US$だと言います。まぁ、こんな値段なのでしょうねー。明日、8時出発し、2本潜って、11時過ぎに戻って来ると言います。1本目と、2本目の間隔が、10分と短いのです。普通は、30分以上間隔をあけなさいって、教えられるのですがねー。潜るか、潜らないか、今晩、ゆっくり決めることにして、夕食はメキシコへ来て初めての和食にしました。宿の近くに日本食レストラン「山本」があったのです。こんなお店です。日本に居るようです。トンカツ定食にしました。 色は黒いけど、珍しくデブでない店員さんへ、「ビールと、トンカツを先に持って来て下さい。ご飯と味噌汁はあとでね。」と頼みました。日本食レストランらしく、突き出しはすぐに出されました。ですが、ビールが出て来ません。 「ビールとトンカツ」って言ったから、トンカツとビールを一緒に持って来いと勘違いされたかも知れません。慌てて、ビールを先に持ってきて! と頼みました。コロナビールです。暫くしたら、トンカツも、ご飯も、味噌汁も全部一緒に持ってきました。「あほ! か? 君は?」「僕はだねぇ、トンカツ食べながら、ビール飲みたいの! ご飯はあと」「分かった? えぇ? えぇ? 分かった?」と、何度も、しつっこく言ったら、隣の白人のカップルが笑ってました。「このー、ここで笑う所じゃーねぇーだろ!」、とちと、むか!っとしました。店員さんは、素直に嫌な顔もせず、持ち帰りました。トンカツ、多すぎです! 一人前でこんなに食うから、デブになるんじゃ!トンカツ食べながら、ビールを飲む。これ、どっかで経験したなー? うん、そうだ! バハレーンのチエンサエンだ。タイ人のアッチャラー、と言う、美人ではないが、可愛い娘がウエイトレスでいたお店です。それは、まぁ、家庭的なお店で、雑談したり、肩揉ませたりしながら、一人で行っても、楽しく食べて飲んだものでした。しかし、ここは、ちと、最初に文句を言ってしまったので、色黒の店員さん、僕の席に寄り付きません。遠くから、見ています。何度も、飲み終わったか、チラチラ見ているのですよねー!職務に忠実です。手を上げて、ご飯と味噌汁持ってきて? と言えば、にっこり微笑んで、すぐに持って来ました。ってな訳で、久しぶりの日本食にありつけました。ですが、トンカツ、頑張って食べたのですが、食べ切れませんでした。多すぎです! それと、少し硬かったです。これで、トンカツ定食170ペソ(1200円)ビール1本25ペソ(180円)チップ20ペソ(140円) →チップときっちり、会計に書いてありました。合計、概ね1500円でした。高いでしょうか? 安いでしょうか?カツの量は、ベラボォーに多いですが、普通のこちらの料理の定食だと、50ペソ位ですから、日本食は、やっぱり高いですねー!
2009.10.09
コメント(8)
2009年10月6日(火) 13日目「チチェン・イツアー」、なんだこれは? クが抜けてるじゃーないか?んん? 「チチェン・いくツアー」、と違うんか?イが余分に付いてんのか? 「チチェン・ツアー」と違うんか?、「チチェン・イツアー」を見つけた時、そう思いました。そしたら、「チチェン:イツアー遺跡ツアー」なる文字も発見しました。なんじゃ、こりゃ? ツアーが二つもはいっとるど!しかし、Chichen Itza これで、チチェン・イツアーと読むのでした。イツアーとは、ツアーではなかったのです。マヤ人の言葉で、チチェン・イツアーとは、「泉のほとりのイツアー人」つまり、イツアー人と言う人々がいたのであります。この辺り、もう既に、何箇所もの遺跡を見てきましたが、このチチェン・イツアーは200年以上にもわたって、ユカタン半島における、芸術、宗教、経済の中心地であったそうな。言わば、この辺りの遺跡巡りのハイライトと言うべき場所です。バスで行きました。。111ペソ支払って、中へ入ると、道の両脇にお土産を売る人たちで満杯です。でも、全くしつっこくありません。そこを抜けると、いきなり、巨大な、そして美しいピラミッドが見えました。「エルカスティージョ」とスペイン語で呼ばれています。そんな名前より、マヤ語の名前で呼んで欲しいです。このピラミッド、階段が4面にあります。普通は正面だけなので珍しいそうです。そして階段が91段ずつ。合計364段。あれ?1年365日だから、1段足りないなー? と思いきや、頂上にもう1段あり、365段になるのでした。その他、すべてが、マヤの農耕暦と、祭事暦を象徴するよう作られているとの事。このピラミッドの右手を歩いていくと、おびただしい柱が出て来ました。こりゃ、何の跡なのでしょう? 分かりません。が、単純ですが、すごいです。「戦士の神殿」です。「戦士の神殿」を左に廻り、ちょっと進むと、又、両側にお土産屋さんがずらっと並ぶ道が出て来ました。なんじゃろなー? 何かあるんじゃろな?と、同じようなお土産を見ながら、歩いて行きました。これが、「聖なる泉」セノテです。深い濃い色ですが、僕には神秘的とは思えない。ですが、この泉、ユカタン半島最大の規模らしいですよ。この地域は、石灰岩質の土壌の為、雨は全て地下に沁み込み、川がない。沁み込んだ水は地中に空洞を作ります。そしてその上の地面が陥没すると、このような。セノテになるとの事です。ここには、日照りの時期に、「若い処女が人身御供」として投げ入れられたそうです。生け贄と一緒に、多くの貢物も投げ込まれたそうです。実際に、多くの人骨や貴金属が、この中から引き上げられたとの事です。嫌ですねー、生け贄。生きたまま、投げ込まれるのかなー?可哀そうですねー。村民全員を助ける為に、命を犠牲にする乙女、自ら喜んで、飛び込んだのでしょうか?「ジャガーの神殿」ジャガー像が置かれています。「球戯場」です。今まで見た中で、一番大きいです。とんでもなく大きいです。全長150mもあります。必死で走っても、20秒はかかるでしょう。(途中で倒れて行き着かんか?)この球戯、やはり遊びではなかったようです。豊穣の神に祈りを捧げる宗教儀式で、勝ったチームのキャプテンが栄光を称えられ、生け贄として捧げられたと言うのです。「そんなら、勝ちたくないよなー!」 と思うのは現代人だからでしょうか?マヤ人の時代は、死を恐れていなかったのですかねー?「ツォンパントリ」、頭蓋骨の城と言う意味だそうです。生け贄の骸骨を大衆にさらす場所でした。ここまでが、新チチェン・イツアーでした。何故、巨大な都市を作りながら、移動してしまうのか?これが不思議でしたが、古代のマヤ人は暦によって、定期的に遷都していたようです。ここも、6世紀頃から7世紀に栄えたチチェン・イツアーでしたが、王族達は、自らここを去り、歴史の舞台から去ったそうです。そして10世紀になって再び戻り、新たな都を築いたのでした。古い方を、旧チチェン・イツアー,新しい方を、新チチェン・イツアーと呼ぶそうです。(そのまんまじゃな)そして、旧チチェン・イツアー。「高僧の墳墓」「カラコル」一番上にあるドームが、天文観測台だったようです。これで、太陽や、月や、星を観測して、精密な暦を作り上げていたとのこと。さぁ、これで、メキシコシティ近辺から、ユカタン半島の遺跡巡りが完了しました。しかし、まだまだ、遺跡はあるのですよ。ベリーズとの国境近くの、「トゥルム、コバ遺跡」グアテマラの、「ティカル遺跡」ワシャクトゥン遺跡」「ヤシャ遺跡」ホンジュラスの「コパン遺跡」などなど、カリブ海で、リゾートした後、そこら辺へ行きます。で、メリダに戻りスーパーへ行きました。OXXOと言うコンビニが多くあります。そこへ行って見ました。(まる、ばつ、ばつ、まるではないですよ!)そしたら、なんと、ニッシンのカップヌードルがあるんですよ!買っちゃいました。10個くらい買おうと思ったけど、持ち歩き不能なので1個にしました。レバノンで、インスタントラーメン見つけた時、喜び勇んで、2個も食べて、腹こわした経験があります。で、その経験を活かし、1個にしました。こう言うこともあろうかと、折りたたみ式の箸も持参しているのです。2週間ぶりに、箸を持って、スープ麺を食べました。辛い! けど、うまい!やっぱり、スープ麺はええですなー!
2009.10.08
コメント(8)
2009年10月5日(月) 12日目ウシュマル遺跡もマヤ文明を代表する遺跡です。7世紀の初頭に建てられたと言うので、日本では、飛鳥時代頃で、仏教が伝えられ、古墳が作られたり、聖徳太子が活躍した時代ですね。ローカルの2等バスで行こうと思ったら、ウシュマルだけでなく、5箇所の遺跡を巡るバスがあると言うのです。欲張りな僕は、それに乗ることにしました。毎朝8時出発です。「その、ウシュマルだけでなく、色んな所を廻るバス、チケット下さい!」「£@$&§⊇∋%?」「何言ってんのか分からん! チケット下さい! ここATS社でしょ?」「£@$&§⊇∋%?」何やら、メモして、紙切れをくれました。が、全く分かりません。2等バス停で、そのチケットを買おうとしたら、売ってくれないのです。後ろにチケット買う人が並んでいるし、いつまでも窓口で粘っていられません。「困ったなー!」早起きして、ホテルから、急ぎ足で23分も歩いてきたから、もう汗だくです。誰も並んでいない、窓口で、必死で説明しましたが、肩をすぼめるだけで、取り合ってくれません。「困ったなー!」そしたら、明らかにメキシコ人でない、白人のお姉さんが、やはりチケットを買えず帰りかけているのを発見。声をかけて見ました。「あの、こう言うチケット買いたいんです!」「それ、キャンセルされてますよ!」「えー! えええー! ど、どうして? 23分も急いで歩いて来たんです!」「どうしてって、知らないわよ! あたしだって困ってるのよ。」暑い汗に、冷や汗もかいて、顔面、汗が吹きまくりです。ここで、1日無駄にしたくありません。お姉さん、さらに説明してくれました。「そのバスはキャンセルされて、その後のウシュマル行きのバスもキャンセルよ」「えー! えええー! ど、どうやって行ったら、よろしおますか?」「そんなの知らないわよ! プンプン」、彼女も怒っています。宿のホテルで、ウシュマルツアーってのを見たのを思い出しました。確か、9時発です。時計を見ると、8時5分前。慌ててタクシーに飛び乗りました。バックパッカーが乗るべき乗り物ではありませんが、仕方ありません。料金さえ確認しないで、飛び乗ってしまいました。で、そのウシュマルツアーに参加出来ました。お金は、少々、余分にかかりましたが、1日を無駄にしないでよかったです。1時間20分で、ウシュマルに着きました。入り口付近にある、「魔法使いのピラミッド」、丸みを帯びた形状は珍しいようです。「魔法使いのピラミッド」を見て、左へどんどん歩いて、行くとありました。「グラン・ピラミッド」高さ、32mですが、でかく見えます。先ほどの、「魔法使いのピラミッド」が、遠く右手に見えます。こんなジャングルの中なんです。そのジャングルの中にも遺跡が見えます。「鳩の家」と呼ばれる格子窓がついた建物。この壁だけが残っており、どんな建築物で、どのように使われたか分かっていないそうです。グラン・ピラミッド、こんな急な階段なのですよ!高所恐怖症の、僕は、後ろ向きに降りて行きました。「総督の宮殿」です。でかい建物ですねー。横180m、縦153m、高さ12mもあるそうです。貴族の住居であったとか、行政府であったとか、諸説があるものの、実際はどんな使い方か分からないそうです。この総督の宮殿の上の壁には、2万個以上の切石で、格子模様、雷文、チャックの顔、頭飾りをつけた人物像など沢山あります。敷地内を歩いていると、こんなのが沢山いて、ぎょっとします。敵さんも、ぎょっとして逃げて行きますが。「球戯場」です。山を切り崩して作られた、モンテ・アルバン遺跡では、この丸い石の輪がなかったです、サッカーのように手は使えなかったようです。「尼僧院」広大な中庭をもった、4つの矩形の建物が取り囲んでいます。南のマヤ・アーチから見たところです。「魔法使いのピラミッド」に戻って来ました。ここまで、普通に廻って、1時間45分かかりました。どこかの木陰で、空想に耽る時間を取り入れれば、もっと時間が必要です。出口へ向かうと、二人の白人女性とすれ違いました。「お! 東洋のおっさん! あんた! どうやって、ここへ来たの!」な、な、なんだ、いつから俺、おっさんになったんだ?あ!前からか。前からだったなー、そう言えば。あの2等バス停で出会った、お姉さんでした。聞けば、何とか別のバスを探して、やって来たと、言ってました。僕より2時間遅れで到着したので、メリダを、11時頃出発したのですね。と言うことは、3時間もうろうろとバスを探していたのでしょう。言葉は話せませんが、僕の方が機転が利いてますね。(勝ったぞ! 白人に。)さて懸案でありました、メキシコ女性の写真です。ずんぐりむっくり型女性です。この遺跡の切符切りをしている、お嬢さんお二人にお願いしました。「私は、日本の有名なブロガーです。あなた達を日本の方々に紹介したい。1000万人の日本人が見ます。写真撮らせて下さい。」 (嘘、言いました)そしたら、快く、承諾してくれました。どうでしょうか? 色浅黒く、腰周りはしっかりしてますよねー?この方々、まだ、細い方かも知れません。ウシュマル遺跡を後にして、カバー遺跡へ移動です。22キロの所にあります。これが、ウシュマル遺跡と、カバー遺跡をつなぐエントランスです。やはり、マヤ・アーチの特徴ですね。この二つは、姉妹都市のようです。ここにも建物は沢山ありますが、これが一番大きいものでした。雨神チャックの顔が、180も壁に作られていました・さて、夕食です。今夜は、安食堂でなく、ちょいと小洒落たレストランへ行って見ました。写真が多すぎるので、小さくしました。始めに、頼まないのに、トウモロコシチップスが出て来ます。(写真左)タレが4種類もあるのです。それに、鳥のコンソメスープを頼みました。(写真右)量もたっぷりで、おいしかったです。 メインのポークです。(写真左)知らなかったですが、これにもスープが付いているのです。そんなら、コンソメスープ要らなかったですよ。(まぁ、味は全く違うので、結果okでした)写真右は、トルティーヤです。この壷の中に入っています。これ、冷えないようにしておいるのでしょう。独特の味がします。 コロナビールも2本も飲み、食事前に丁度、日本からメールを貰ったので、そのことも考えながらだったので、一人でしたが、楽しい食事となりました。
2009.10.07
コメント(8)
2009年10月4日(日) 11日目暑い! まったく暑い! 昨夜は暑くて、ほとんど眠れず。5部屋を一人で占有可能、24時間無線ラン使用可能、これに目が眩んで、泊まってしまった、モンキー・ホステル、どえらく暑かったです。風が全く通りません。シーリングファンはあるものの、暑い空気をかき混ぜるだけで、寝てても、汗が流れてきます。シリアのデリゾール以来の暑さでしょうか?ユーフラテス川の辺でした。あそこも暑かった。停電で、ファンも止まってしまって、蒸風呂の中で寝ているようなもんでした。隣の部屋のカップル、お兄ちゃんは、パンツ一丁で、部屋から出て歩き廻っていました。お姉ちゃんも、パンツ一丁で、出て来い、と願っていたら、さすが、お姉ちゃんは、暑くても、パンツ一丁ではなかったです。しかし、明らかに、ノーブラで、ぷるぷるさせながら、歩いておりましたです。暑くて頭がボヤーとしてましたが、そう言うことは、鮮明に覚えているものですな。(エヘヘ)あの暑さよりは、ここの方がマシだったかも。かも、じゃーなく、ましでした。本日は、要塞都市カンペチェを後にして、メリダへ直行する事にしました。ウシュマル遺跡を途中で見て、さらにメリダへ移動する強行軍は、ちと、厳し過ぎると判断したのです。ウシュマル遺跡は、ジャングルの中にあり、周辺に町がないし、寝不足と、この暑さ、無理です。本日は、メリダへ移動するだけです。(軟弱なかなー?)暑くて、眠れなかったモンキーホステル。夜中、風の通る、受付の方へ行くと、こんなにも美しい所なんです。暫く佇んでいました。メリダへの移動は簡単です。たった、2時間20分で着きました。早速、市場の安食堂へ直行です。例のスープを頼みました。但し、ここでは、「カルド」と言わず、「ソパ」でした。オアハカで食べたスープは、「caldos de menudo」、牛肉のモツスープ。本日のは、「sopa de mariscos」、海鮮スープとでも言うのでしょうか?海老とか、タコとか沢山入ってました。メキシコおばちゃん、明るいですよ!ホテルです。昨日は、エアコンなしのホテルで、どえらい目に会いました。で、本日は、エアコン付きです。これを第一条件にしました。見てください! エアコンです! トイレも温水シャワーも付いてます。3泊するから負けろ、と、英語の話せるおばあちゃんと交渉しました。10%負けてくれました。1泊305ペソ。3泊で、915ペソ。10%カットですから、823ペソになるはずなのに、おばあちゃんの計算では、915マイナス90で、825ペソです。計算を教えるのが、面倒なので、825ペソ支払いました。これで、2000円弱ですから、あの暑さから開放されると思えば、天国です。ところで、大問題発生です。もう、5年も愛用の、PROGRESS社製のバックパックです。破れました。もう4度目です。 1度目は、日本で補修。 2度目は、インドのミシン屋さんで補修。 3度目は、日本で補修。新しいのを買おうかと、グレゴリーとか、カリマーとかのメーカー品を東京で見て廻りましたが、気に入ったのがないのです。このPROGRESS社のバックパックが、僕にとっては、物凄く使いやすいのです。でも、又、穴があいてしまいました。これをねー、恐れていたのですよ。PROGRESSの同じもを買うか迷ったのですが、何とか持つだろうと安易にそのまま来たのです。まだ旅は始まったばかり。何とか補修して使わねばなりません。針と糸を買って来ました。15ペソ、100円とちょっとです。しかし、生地がないのです! 丁度いい色と材質の生地が。それで、止む無く、こそ泥対策用に、バックパックに縫い付けた生地を使用することにしました。見えますか? ここに縫い付けてあるのです。ほ~ら、あったでしょう? ここに1500ドル、15万あまりを縫い付けておいたのです。まだ10日目でこれを剥がしてしまったら、何のために、苦労して縫いつけたのか分かりません。ですが、止むを得ませんよね?完成です。これで、何とか、あと、5ヶ月は持って欲しいものです。黒の生地は、まだ残っているし、針と糸もあるので、又、破れたら補修は出来ますが、破れないほうが良いなー!バックパックも補修したので、ユカタン現代美術館へ行って来ました。人物画、風景画、宗教画などもありましたが、意味が良く分からない、こんな絵が多かったです。ついでに、州庁舎の壁画ギャラリーへも寄って見ました。これは、建物内部ですが、この周囲の壁に大きな壁画が27もあります。「トウモロコシからの人類に誕生」、この絵は有名らしいです。さすがに、トウモロコシを主食にしている人種ですね。これは、神である鷲が、悪魔である蛇と戦っている壁画です。ここは、マヤ文明をテーマにした画と言う触れ込みですが、多くはマヤ人を捕らえている画とか、拷問にかけている画とかが多く、侵略者スペイン人の観点から、描かれたような気がしてなりません。
2009.10.06
コメント(8)
2009年10月3日(土) 10日目ジャングルの中に眠っていた、パレンケ遺跡を後にして、ユカタン半島の西側、メキシコ湾に面した、カンペチェへ移動です。ズボンも含めて、昨日、全て洗ったので、気持ちいい朝です。荷物を最小にする為、着替えのズボンを持たないで歩いているので、洗濯したら出歩けません。しかし、プールサイドに、干したら、2時間で完璧に乾きました。時間の無駄が省けたのであります。それほど暑いです。昨夜の夕食は、カルボナーラです。(写真右)ぱさぱさでしたが、まぁ、まぁ、食べられました。暑いのでビールも必要です。ビクトリアを頼みました。(写真左)あんまり、好みでない味なので、コロナをもう一本頼みました。コロナの方がおいしい。気持ちよいですなー。トルティーヤでない、普通のパン、この方がおいしいなー。(写真中央) パレンケの夜の街。そして、本日は、カンペチェへ移動します。 こんな所と、 こんな所を通って、 メキシコ湾に出ました。 カンペチェは、ユカタン半島の西側、メキシコ湾に面する要塞都市です。1540年にスペイン軍に制服され、マヤ人の都は、大変貌してしまったのです。このカンペチェの町は、世界文化遺産に登録されているそうです。ホテルにチェックインしました。ホテル・ラパロキアへ行ったら、ドミしか空いてないので、断念。モンキーホステルへ来たら、ここもドミしか空いてないと言うので、さらに探そうと思ったのです。そしたら、フロントのお兄さん、他の人を入れないから、一人で部屋を使って良い、と言うのです。「しかし、シャワー、トイレも共同だよな?」、と嫌がる素振りを見せました。これが、交渉の手口です。そしたら、そこにもお客をいれないから、一人で使って良いと言うのです。一人で、5部屋を占有するようなものですので、OKしました。しかし、敵もさるもの、普通は100ペソだけど、便宜を図るのだから、120ペソ支払って欲しい、と言うのであります。日本ならば、たかが缶コーヒー1杯ですから、鷹揚にOkしました。こんな簡単にOkしたのが、どえらいことになってしまったのです。ここは、無線ランが24時間、無料で使えるのが、魅力的ではあったのですが・・・。で、次は食事です。遅くなってしまった昼食です。メキシコには、日本と同様、定食なるものがあると言います。セットメニューとでも言うのでしょうか?その定食のあるお店を探し歩きました。ありましたねー。1軒目の高級そうなレストランで聞いたら、定食を出す店を教えてくれました。ですから、簡単に探し当てることが出来たのです。メキシコ人、ほんと親切です。飲み物と、パスタです。 チキンと、トマトです。 この他に、デザートが付きます。メロンを選びました。食べていて、何か足りないなー、と思っておりましたが、隣の席を見て気が付きました。トルティーヤが来なかったのです。メキシコで、トルティーヤのない定食なんぞ、有り得んでしょう!くっそ!と思ったです。で、チップ置いて来ませんでした。全部で、たったの48ペソ(350円)だし、食べたいとも思わなかったので、特に問題はないのですが、これではチップは渡せません。ケチな東洋人じゃ、と思われた事でしょうか? たぶん、トルティーヤ忘れた事に気が付いていないでしょうから。定食なんですが、「込みだ 出る でぃあ」と言うのです。「込みだ!」ってのが、定食らしいです。「全て込みだ!」 って言えば、まるで定食です。スペイン語と日本語と、こじつけですが、似てるところありますねー。Comida del dia と書きます。Comidaが食事とか料理と言う意味らしいので、diaが日なので、日替わり定食とでも言うのでしょうか?暑くて、暑くて、仕方ありませんが、世界文化遺産だという、このカンペチェの散策に出かけました。ここは、どの町にもあるソカロ(公園広場)です。ここのすぐそばに、ホテルもあり、定食屋もあります。ラソルダー砦です。う~ん、感動しませんなー。大したことありませぬ。万里の頂上を見てしまったら、どこを見ても、そう思ってしまうかも知れませんが、見なかったとしても大したもんだ、さすが世界遺産とは思えない代物です。ここ31ペソも取るんですよ。博物館もあるからだろうと思いますが、高いっすよ。31ペソの価値ありませぬ。おまけにチケット売り場のおっさん、何を血迷うたか、始め51ペソと自信持っていいよるのです。英語が話せないのに、無理に英語で言って、間違えただけですが・・・。海(メキシコ湾)の方へ行って見ました。大砲が置いてあります。スペイン人が、ここを占領してから、海賊が頻繁に襲って来たらしいので、その防御が大変だったのでしょう。サンカルロス砦です。ここも入場料取るのですが、入りません。その価値を認めず。グルッと町を廻って、サンフランシスコ砦まで来ました。ほんとは、世界遺産の町だと言うので、もう1泊して、明日ゆっくり見て廻ろうと思っていたのです。しかし、その必要を感じません。明日、メリダに向けて出立します。このカンペチェとメリダの間に、マヤのウシュマル遺跡があるのです。途中でバスを降りて見て行けば、移動と見学が1日で済みます。しかしながら、この暑さ。バックパック担いで、ショルダーバックかけて、さらに、手持ちバッグを持って、遺跡を見て廻るのは、きつすぎます。迷っています。明日メリダへ行ってしまって、明後日、ウシュマル遺跡を見に戻るか、日程短縮の為に、途中で見ていくか?
2009.10.05
コメント(8)
2009年10月2日(金) 9日目夜行バスで、パレンケへ着きました。朝の8時40分です。昨日の夕方5時に出発したので、15時間40分のバスの旅でした。このバスにおいて、メキシコで初めて美人さんと会いましたぞ。歳の頃、25、6歳。僕の席は3番。一番前の通路側です。彼女は、僕の後ろの後ろに座っていたのですが、どこかでバスが止まった時に声を掛けられました。「これはパレンケへ行くのか?」、と。なんじゃと? 行き先も知らないでバスに乗ったのか? と驚きました。「パレンケへ行くよ」と、答えると、「I hope so」って言うのです。この人、顔は良いけど、頭がおかしくないか? 変わった人だなー、と美人ではありますが、関らないようにしようと思いましたです。しかし、まだ声を掛けてきます。 「パレンケは、午後3時に着くのよね?」 「ちゃいます! 朝の8時です!」行き先も、到着時間も知らないで、良く乗りましたなー、このバスに。その後、朝の6時頃、どこかのバス停に止まりました。アナウンスがあったあと、皆さん、ぞろぞろ降りて行きます。彼女と僕だけが残りました。運転手に、「パレンケか?」、と聞けば違うと言います。なんだか、訳が分からないので、どうしたもんかと困っていたら、彼女が運転手と話して、バスの点検かなにかをするので、10分間、外へ出て待って欲しいと言っている、と言うのです。助けられましたね、彼女に。しかし、あんなにスペイン語を話せるのに、行き先と到着時間を知らなかったとは信じがたいのであります。その後も、バスに乗るまで世話をやいて貰いましたし、パレンケに着いたら、「May I help you?」、と言われるし、親切な娘さんでありました。でも、一瞬考えましたが、助けて欲しいことは、何もないし、そこでお別れしたのであります。彼女、ほんとに美人です。スタイルも良いのですが、尻がとてつもなく大きかったです。それも横幅が大きいのです。縦幅が大きいメキシコ人とは違います。白人でしたが、なに人だったのかなー?謎のままですな。本件、これで完結。さて、宿を探して、チェックインしました。ホテル・アベニーダと言います。僕の部屋の目の前に、プールがあります。シャワー、トイレ付き、机もあるし、清潔だし、これで、200ペソ(1400円)はお得です。朝食は奮発しました。マメのスープです。これに、好みによって、チーズいれたり、辛いソースを入れたりします。トマト味のオムレツ。中にマメをつぶしたのが入ってました。お馴染みの、トルティーヤです。この布で包んであるので、知らない人はなんだか分かりませんよね。宿も決まり、朝食も豪華にとったので、、早速、パレンケ遺跡に出発です。町の中心から、西へたった8キロのところにあり、ローカルバスで20分で着いてしまいます。ここは、7世紀に繁栄したようですが、その後、18世紀にスペイン人によって見つけられるまで、800年もの長い間、ジャングルの中に眠っていたのです。「碑文の神殿」です。高さは23m。最上部に600以上の碑文が刻まれた石板があったので、銘々されたそうです。マヤ文字で綴られた碑文は、2世紀にわたるパレンケ王家の歴史だったとのこと。碑文の神殿の前を通り、水路を渡って、さらに右手方向へ歩きます。ジャングルの中の道です。ジャングルを抜けると小高い丘の上に、「十字架の神殿」がありました。「十字架の神殿」に登ると、遺跡が見渡せます。左手前に見えるのが、「太陽の神殿」です。神殿内部の壁画に太陽のシンボルとされた盾と槍からなる戦いの神が彫刻されていたから、この名前がついたとの事。前方を見ると、この遺跡の中心である、「宮殿」が見えます。左側に見えるのが、「碑文の神殿」です。宮殿の真ん中に、マヤ遺跡でも他には例がないと言う、4階建ての高さ15mの塔です。天体観測に使われたようです。アップで撮ってみました、宮殿の塔ジャングルの中を歩くと、壊れた遺跡もありました。ここパレンケ遺跡には、500棟以上の建物があるのが分かっているそうです。発掘、修復されているのは、その一部で、如何に規模が大きかったかが、想像できます。説明出来ませんが、宮殿や神殿の壁にあったものです。 一昨日に行った、モンテ・アルバン遺跡は、山の頂上を切り開いて作られました。水の確保をどうするのかが、問題だなーと思ったもんです。しかし、ここパレンケ遺跡は、水路が作られており、地下水路さえある模様。遺跡の敷地の中にも、このような滝さえあります。しかし、ここも、9世紀ころに、どこかへ移住して廃墟となったとの事です。不思議ですねー。 その後ジャングルに埋もれていたのです。18世紀にスペイン人がやって来て、世紀の大発見とか言って、大騒ぎになったのです。埋もれていた、貴重な品々も大半はスペイン人が、持ち去ったのでしょう。しかし、暑いですなー!バスで一晩、移動しただけなのに、この暑さ!同じ国でも、こんなに気候が違うのですねー。
2009.10.04
コメント(10)
2009年10月1日(木) 8日目もう10月に入りました。本日は、夜行バスにて、次の地、パレンケへ移動します。で、ゆっくりと、時間まで、オアハカの町を散歩する日にしました。あ、そうそう、ホテルですが、ここにはたった2泊なのに、二つのホテルに泊まりました。最初は、「ポサダ・マルガリータ」、サントドミンゴ教会のすぐ近くにあり、環境はよろしいです。部屋です。窓の外には、サントドミンゴ教会が見えます。しかし、ここは、トイレ、シャワーが共同なのです。これが、高級バックパッカーの僕には、満足出来ないのですねー。180ペソ(1300円)ですから、あまり大きな期待をしたらいけませんけど。、メキシコシティでは、120ペソ(850円)で、個室、トイレ、シャワー付き、バスタオルは毎日交換、トイペも毎日新品と交換、石鹸も毎日新品と交換、テレビでは、24時間本番エロ画像流しっぱなしと、サービス満点だったのです。ま、最後のサービスは、なくても全く不自由しないし、余分なサービスのような気もしますが、見なきゃー良い訳だから、あっても問題ありません。大きな期待をしたらいけないので、このポサダ・マルガリータで、我慢しようとも思ったのですが、「節水しろ!」 「 洗濯はダメだ!」って言うもんで、それは困る、と、次なるホテルを探したのであります。 あぁー、メンドーくせぇー!水道の蛇口も、出口についているポチを押し上げないと、水が出て来ないのです。片手で押し上げ、片手を洗う。これはまだ良いのですが、顔はどうやって洗えばいいんじゃ? んん? 片手で押し上げ、片手に水をためて顔洗っても、量が少なすぎます。時間かかる、あぁー、メンドーくせぇー! ホテル替えるっきゃない!そして探して移動しました。ホテル・ティピコ。225ペソ(1600円)。ダブルルームで、シャワー、トイレ付き。机に椅子もあるし、パソコンに向かいやすいし、良い宿見つけました。因みに、このホテルは、「歩き方」に載っていません。近くに市場があるので、昼食を食べに行きました。小さな食堂が、沢山並んでいます。シンガポールなどで言えば、ホッカセンターと呼べるところです。スープらしきものを、皆さん食べている食堂で、それと同じものと指差し、注文しました。結構、おいしいのです。中には、モツのようなのが入っています。なんと言う食べ物なのか、しつっこく聞きました。これがこの食堂の看板です。「ロリタ」って言う料理か? と聞いたら、それは、おばあさんの名だとの答え。で、「カルドス」か? って聞くと「そうだ!」と答えます。「カルドス」と言う料理名であることは分かりましたが、さて、それは何でしょう?分かりません。あの手この手で、聞き出した答えは、カルドはスープ。スープはソパと言いますが、カルドと言うスープもあるようです。「メヌド」が、牛肉のモツのようです。Caldos de Menudo とは、牛肉モツスープでした。これに、例のトーモロコシで作った、トルティーヤを頼んで、スープに浸して食べました。これはいけますねー!スープ類があると、食欲が増します。因みに、このお値段が、25ペソ(180円)で、トルティーヤが3枚頼んで、3ペソ(20円)、合計200円の昼食でした。満足、満足。満腹となったので、市場を見学しました。パン屋、肉屋、魚屋さんです。 乾物屋、肉屋、帽子屋。まだまだ沢山のお店があり、何でも揃っています。 食料を、買いました。バナナ5ペソ(35円)バナナは、インド方面では、お世話になりました。これで飢えをしのぎ、餓死(ちとオーバーですな)しないですみました。夜行バスに乗るので、万一、食べ損ねた場合の非常食です。 トマト5ペソ(35円) →朝食用。 タマゴ1.5ペソ(10円) →朝食のゆで卵用。 生姜2つで10ペソ(70円) →ショウガ紅茶用。これは、ちょっと高いですね。野菜屋に売っていると思ったら、無くて乾物屋に売っていました。左側のを買ったけど、古そうなので右のを追加で買ってしまいました。 黒砂糖5ペソ(35円) →コーヒーや紅茶飲むのに必要。砕かねばならないですねー。面倒だなー。ポロポロこぼすと虫が来るし。 パン2ヶで、同じく5ペソ(35円) →朝食用。 合計220円の買い物でした。もし料理が得意で、ここで自炊したら、安く暮らせますねー!それと、市場で、こんな食料の山を見つけました。なんでしょうか?これ、拡大して見ますね。見えますか? 虫なんです。すごい量の虫ですねー! これを食べろ! って言うのです。 1ケ貰って食べましたが、ちょっとしょっぱいですが、うまいのですよ。ビールのつまみに丁度いいかも知れません。でも、気持ち悪いですね。買いませんでした。ゆっくりしたなー、本日は。さぁ、もうじき、夜行バスの出発時間だ。バス停まで、歩いて30分くらいありそうだ。ゆったりと歩いて行くかなー! 時間もあるし、お金の節約にもなるし。マヤ遺跡である、パレンケ遺跡、楽しみだぞ!そこは、ユカタン半島の喉元って言った場所です。
2009.10.03
コメント(8)
2009年9月30日(水) 7日目「モンテ・アルバン」、聞いた事があるでしょうか?これは、紀元前500年から建設が始まったと言う、中米最古の遺跡です。マヤ文明が全盛期を迎える前に、ここが栄えていたと言う代物です。これを見逃したら、何しにメキシコへ来たか分かりません。オアハカへ来たのは、この「モンテ・アルバン」を見る為なのです。ここへは、ローカルのバスに乗って行きます。山の上にあるようです。着きました。町のバス乗り場から、きっちり30分です。往復、38ペソ(270円程度)入場料、51ペソ(360円程度)を支払って、ちょこっと歩くと、いきなり急な石段のある、ピラミッドが出て来ました。それが、ここでも一番大きい、南の大基壇と呼ばれるピラミッドでした。この一番南から、見た所ですが、石段が邪魔して、全容が見えません。南の大基壇の北側へ来ました。上の写真の石段の上です。これで、モンテ・アルバンの全容が見えます。これが山の上とは思えません。大昔に、よくぞこんな大規模な工事をしたものです。よほど権力が大きかったのでしょう。 「踊る人々のピラミッド」と言うのもあります。下の写真のようなレリーフがある為、そう呼ばれているそうです。300枚もの巨石石板に描かれております。しかし、このレリーフからは分かりにくいですが、裸で、目を閉じ、口を開けて、局部からは血が出ているそうです。どうも、捕虜の拷問の模様を描いて、権力や軍事力を誇示していたようです。怖いですねー。戦いの時代は。平和な現代の日本に生まれて良かったです。北の大基壇へやって来ました。ここも急な石段です。しっかりした、石段ですよ。僕に作れ、と命令されても、とても作れません。この上から、周囲を見回しますと、遠い山から麓が良く見えます。風も通って、とっても爽やかです。先ほど登った、南の大基壇の方を写したものです。山の上を、このように平坦に削り取り、神殿や、ピラミッド、球戯場や生活する家などを作り、最盛期には、2万5千人もの人々が暮らしていた由。生活水や、排水はどうしてたのでしょう?これが、球戯場です。殺し合いの戦いでもやらせて、王様が楽しんだのかと思いきや、さにあらず。皮製の防具を備えた選手が、壁に取り付けた石の輪に、ボールを入れあう試合だったようです。バスケットみたいですねー。入り口近くに博物館もあります。現地においてあった、踊る人々の石板は複製で、本物は、この博物館にあります。複製を見ても、偽者って分からなかったですが。サポテコ人が作った、巨大な遺跡でした。尚、このサポテコ人ですが、850年ころから、ミトラの地などへ移住し、ここは廃墟と化したそうです。何故、移住したかも定かでないようです。これだけのものを作って、住んでいながら、捨てて移住するとは、何かよほどの事がなければ、移動しないでしょう。テオティワカン人と同様、不思議な行動であります。
2009.10.01
コメント(8)
2009年9月29日(火) 6日目メキシコシティには、又、戻って来るので、ルチャリブレとか見たいものをありますが、移動することにしました。メキシコシティ。この町の印象ですが、一言で言って、きれいです。建物とか、町の造りがきれいとか言うのでなく、ゴミが少ないです。落書きなども少ないように思います。(落書きを見ませんでした。)インドのように、色んな動物のウンチなども、落っこちていません。踏んづけてしまうか、心配しながら歩く必要もないです。エジプトのように、吹っかけられる事もなく、細かいお金まで、きっちりお釣りをくれるし、安心して買えます。土産売りも、中国のように、やかましい事もありません。しつっこくもないです。そう言えば、当地についてから、腹立たしい事が、一度もありません。貧乏旅していると、必ず、嫌な思いをするんですが、ここではないです。食事さえ合えば、好きな都市の上位に入りそうです。オアハカ行きは、東方面バスターミナルから乗りました。すごい建物で、ドーム状になっています。写真ではどんな構造か分かりませんか?出発まで、1時間もあるので、コーヒーを頼んだら、普通飲む3倍ほどの量があります。こんなのに、たっぷり砂糖入れて飲んでいるのだから、太りますよ。1等バスです。2等は、途中で乗り降りがあるようで、強盗に遭う可能性が高いと言われているようなので、ここは奮発して、直行の1等バスにしたのであります。メキシコの1等バスは、すばらしいです。韓国の3列バスには、適いませんが、座り心地は快適です。座席だけでなく、トイレも付いています。各国、あちこちのバスに乗りましたが、トイレ付きのバスは、日本以外乗ったことがありません。(ローカルバスに乗っているので、1等バスとかあったのかも知れません。)さらに、発展途上国のバスは、サービスのつもりか、どでかい音で音楽をかけたり、鼓膜に影響しそうなほどボリュームあげて、テレビをつけるとかする国が多かったです。ここメキシコも、テレビをつけました。なんじゃい、メキシコ好きになりかけたのに、インドや中国と同じじゃわい、とガックシ来ました。ですが、違ったのです。各窓際の席の上に、スピーカーがありまして、なんと、そこに音量のスイッチがあるのです。聞きたくなければ、スイッチをオフにすれば良いのです。いやー、このような気配りバスを作ろうとする精神を持っているのですねー!感心しました。メキシコ人! 繊細な人々です。こんなトウモロコシ畑の所を走ります。放牧地のような所も走ります。予定通り、ほぼ6時間。朝9時に出発して、午後3時過ぎに着きました。オアハカです。メキシコシティより高度が低いのか、ここは気温が高いです。メキシコシティは、長袖シャツでは、寒くて、もう1枚羽織らねばならなかったのに、ここは、長袖シャツでは、暑いです。喉が渇きます。それで、夕食は、メキシコへ来て始めて、ビールを飲みました。コロナビールです。冷たいビールは、うまいですねー!そして、料理は分からないので、「ケ プラト メ レコミエンダ?」と、お奨めの品を聞いたのであります。(どなたかのアドバイスに従い)一応、チキンと、白飯と、野菜と聞いたので、それにしました。そしたら、こんなのが出て来ました。野菜は、どこにあるんじゃ?チャーハンと、チキンらしい形の上に、茶色いのがどっさり、かかっています。何でしょうか? 少し肉を切って見ました。確かにチキンです。なんじゃい? これは? と聞けば、モレ(mole)と答えます。よう分からんので、高価な、電子辞書を引っ張り出しました。Moleとひいても、出てきません。スペル間違えてないか? と聞いても、自信もって、moleと言います。聞き方を変えました。「デ ケ エスタ エチョ?」、材料はなんですか? と。答えを得るまで、何度かやりとりしましたが、チョコレートでした。確かに、チョコレート色です。恐る恐る、食べて見ました。チョコレートの他に、色んなのが入っているらしく、「まぁ、うまいのー」、と食べ始めましたでござる。しかし、飽きますなー、この味は。栄養つけなけりゃいけないので、無理に食べましたが、もう注文したくありません。これが、一番のお奨めとは・・・、メキシコ人の舌はどうなっているのでしょう?これだけじゃー足りん。ご飯(チャーハン)持って来いと言うと、これ食わないのか?と言いおる。これです。(フラッシュたくと、真っ白になるので、薄暗い所で撮ったら、変は色となりました。)これは、トルティーヤと言うそうで、トウモロコシの生地を焼いたものです。パンみたいですが、小麦粉でないようです。これがメキシコ人の主食なのです。これに肉などの具を挟んだのが、タコスだそうです。カゴの中に、ナプキンで包んであったので、トルティーヤが置いてあるのが分かりませんでした。これに、チキンを切ってそれを挟んで食べようとしました。モレが付いているので、このチョコレート色のモレが、トルティーヤからこぼれ落ちます。こいつが、手に付くし、テーブルにポトポト落ちるので、困りました。食べ終わる頃には、テーブルも、膝の上に置いたナプキンも、汚ったなくなっていました。お恥ずかしい次第です。メキシコ人は、手を汚さずに、どうやって食べるのでしょうか?チキンは、うまいのに、モレの味が、どうしても合いませんでした。しかし、腹は膨れて、満腹、満足です。これで、ビール140円を含めて、700円だから、まぁ、安いでしょう。メキシコのレストランでは、チップを、10~15%あげるのが、常識だそうです。これは慣れてないので、損した気になるのですねー!
2009.10.01
コメント(12)
2009年9月28日(月) 5日目面白い地名があるもんですねー! 「クエルナバカ」、なんとも日本語的で覚えやすい地名です。そこへ行って来ました。このクエルナバカ、「バカ」などとは呼べない、当地の富裕層、大金持ちが週末を過ごす、別荘地になっているようです。なんで、どうして、そんな所へ行ったのか? ですと?別荘でも買うつもりか? ですと?違いますがなー、そんなベラボーなお金は持っとりまへん。じつは、ここに、ブラディ博物館と言うのがあるのです。メキシコ絵画や民芸品だけでなく、インドやアフリカの美術品、それに日本の安藤広重の浮世絵まで、1300点を超える作品があると言うのです。まぁ、それを、ちょっくら、見ておこうと思った次第です。それと、ついでに、タスコの街。タコスでなくって、タスコです。18世紀ころ、銀の発掘で、たいそう栄えた街だそうで、その後、銀の産出が衰えると、衰退した街なのだそうです。栄えている町も良いですが、衰退した町も風情があります。(と思います。)世界遺産なんて、衰退したものが多いですもんね。ここが、クエルナバカの、ブラディ博物館です。かれが住んだ家が、そのまま博物館になっており、現実的でない、メルヘンチックな可愛い感じの家です。居間からプールサイドのスペースを見た所です。ここが、オリエンタルルームと名づけられ、安藤広重の浮世絵や、親鸞上人像もありました。オリエンタルっぽいか、と言われると、ちょっと首を傾げますが、まぁ、それなりに、良いのではないかと思いました。中庭です。良く整備されています。キッチンですね。色んな部屋があり、全部、ここで写真は見せられませんが、絵画はそれほど多くはなかったです。が、色んな飾りや、置物などが多く、各部屋や、バスルームもどれもが、夢の中の部屋のようで、面白い博物館でした。ここに住めと言われると、落ち着けるかなー? と思います。別荘なら、良いですけどね。この家は、窓にガラスもなく開放されています。なので、掃除が大変で、作品の維持も、そりゃー大変なのだと、係りの女性が言ってました。カテドラルにやって来ました。同じく、クエルナバカにある、大教会です。ガイドのペッペが、ジャパニーズ、云々と、説明していました。大デブのアメリカ人のおっちゃんが、僕の方を見て、ニヤっと笑ってます。聞き逃したので、あとで、ガイドに聞いてみると、ここの教会の壁画に関係がありました。豊臣秀吉が、外国人宣教師を処刑したものを題材とした殉教画面があるのだそうです。確かに、この左手の前面に、多くの人が十字架に磔にされた壁画がありました。でもねー、どうして、こんな遠くなのに、日本の殉教図なのでしょう?どこの国でも、地元民と宣教師の戦いはあったでしょうに。教会では、お祈りと唄を唄ってましたが、すご~く、やさしい声の持ち主です。それは、この教会に限らず、他でもそうでした。やさしい、心安らぐ声ってあるのですね。四国のどこかのお寺に空海の声を再現したと言うテープを聴きましたが、その声と似ています。人種は違えど、安らぐ声は、似ているのでしょうか?教会の外に出て、空を見上げると、メキシコに来て初めて青空を見ました。気持ち良いです。ここを歩いていたら、修道女の方から、声をかけられました。日本語がうまいのです。聞けば、日本の東京、長野、群馬などに、4年住んでいたと言います。コスタリカ人で、宣教しながら、各国へ行っており、又、日本へ行きたいと言ってました。澄んだ目をした女性でした。神を信じ、人々を幸せに導き、悪いことなど考えもしない生活をしていると、ああ言う澄んだ目になるのかなー、と、恥じ入るような気持ちになります。(僕は、悪いことしてませんよ。ただし、空想はします。が)穏やかな気持ちになった後、又、車に乗って移動です。クエルナバカから、さらに90キロほど走ると、タスコです。銀鉱山で栄えた町であり、早速、お土産屋さんに連れて行かれました。発掘の場面なども、再現されており、そう言った説明もしてくれました。お土産を買わないのは、悪いようですが、仕方ありません。旅の途中です。 ここが、タスコの町です。山の上まで、家並みが続きます。この中腹に、教会があります。サンタブリスカ教区教会です。帰りは、170キロの高速道路ドライブ。メキシコシティからここまでの道のりは、小高い山に木々が繁り、気持ち良いです。窓の外を眺め、居眠りしながら、帰り着いたのは、夜の21時を過ぎていました。
2009.09.30
コメント(8)
2009年9月27日(日) 4日目ラテンアメリカ最大の都市遺跡、テオティワカン。僕も、この遺跡は、テレビとか、他の人のブログなどで、何度となく見て来ました。今回は、自分の目で見られるチャンスがやって来たのであります。テオティワカン。メキシコシティの北50キロにあります。テオティワカン人、これだけ巨大な建造物を作りながら、8世紀頃、謎の滅亡、どこへ消えたか、今も解明されていないと言うのです。見たいですねー!と言うことで、本日も1日ツアーに参加しました。一気に、その都市遺跡へ行って欲しいのに、又、カトリック教会へ行きます。グアダルーペ寺院。日曜日だったので、多くの人がミサに来ていました。そして、次がツアーに付きものの、土産屋へ。こんなでかい、サボテンのジュースと、テキーラを飲ませてくれました。土産は、勿論買いません。持ち歩けませんから。ここで、飲んだテキーラ、効き目ありすぎて、あとで困りました。そして、着きました!テオティワカン遺跡、最大の太陽のピラミッドです。ピラミッドの麓では、テオティワカン民族衣装を着た人たちが、太鼓に合わせて踊っています。単純な音と踊りですが、引き込まれそうな魅力的な踊りです。この仲間には、入りたかったです。太鼓の他に、踊り手が、足に何かの実を沢山付けていて、踊るたびに、その音も響くのです。ええなー、この踊り。テオティワカン人になりたい。こんな急な階段を登らねばなりません。ここへ行くときは、スカートでは無理です。ま、見せたい人には許可しますけど。踊ってますねー! よーく見えます。頂上に近いです。高さ65m、底辺の一辺が225mもあるのです。ここは、55m位か?これが頂上です。これが、月のピラミッド。太陽よりも小さいですが、重要度はこちらの方が高く、大きな儀式は、月のピラミッドで行われたそうです。もう、ここへ来る頃は、息も絶え絶えで、とても、月まで登ろうという気力はありませんでした。登ると言うより、近づくことも困難でした。どうして、こんなに疲れるのか?太陽のピラミッドの前から、月のピラミッドの正面へ通じる、大きな通りが「死者の道」って言うらしいです。ここを歩くと、うつ病の症状が悪い時と、似たようなもので、身体がふわふわして、心臓も速く動いています。死者が、呼んでいるのか? 底知れぬ不安を感じながら、心臓に負担をかけないよう、ゆっくり、ゆっくり、深呼吸しながら歩いて来ました。たぶん、これって、高山病だよなー、と、さらに、ゆっくり歩いていました。死者が何故、単なる貧乏旅人を呼びに来るんじゃ? こりゃ、おかしいわいと、気付きました。呼ばれる筋合いがありません。後で気付きましたが、高山病気味なのも確かですが、あの土産屋で飲まされた、テキーラが、それが効いていたようです。酔っていたのです。その高山病と、さらに酔いが廻っている時に、太陽のピラミッドに登ったので、息が切れるのです。ゆめゆめ、高度の高いところで、飲んではいけませんな。ケツァルコアトルの神殿この神殿の前面にケツァルコアトル(羽毛の蛇、水と農耕の神)とトラロック(雨の女神)などのレリーフで覆われており、装飾美の面から、テオティワカンの中でも、際立って優れているって言うので、楽しみに見に行きました。如何でしょうか?アンコールワットや、アンコールトムと比べると、どこの装飾美が際立って優れているのか、僕には分かりませんでした。本日のツアー参加者は、どこの国か分からぬが、英語が話せない老夫婦、そして、チリから来た、バツイチのご婦人二人、もう一人、同じく、チリから来た男性でした。バツイチのチリ婦人、愛想が良くて、おしゃべりで楽しい1日となりました。テラピストになる勉強中だとかで、メキシコへ講習会にやってきたのだそうです。バスから降りるとき、「バ~イ!」とか言いながら、きつ~いハグしてくれました。こちら、ハグなんて慣れてないもんで、頬をくっつけられそうになったら、逃げそうになってしまいましたよ。サンチアゴに来たら、寄ってくれと連絡先もくれました。多分、行かないな。有難いことですが。
2009.09.29
コメント(6)
全211件 (211件中 151-200件目)