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思いついたらどんなことがあっても、直ぐに遣りぬくことも大切な要素なのですが、えてして、思ったことが直ぐに忘れてしまい、とんでもなく時間が経ったころに、思わず突然にも実現されることが間々あります。はたまた、偶然に素晴らしい言葉に出会っても、うっかりと忘れてしまって、なかなか思い出せない悔しさがあったりしているのですが、思い出せないことがストレスになってしまい、悩むほどに重く感じる時があります。年齢と共に脳の働きが鈍化してしまい、つい今しがた遣っていたことを忘れてしまったり、電話の伝言や、依頼された伝達をうっかりと忘れてしまったり、人様には大変な迷惑を掛けることもありで、年中困った、困った状況になっています。今日も月末の慌しい時間を過ごす中で、メモをしながら、仕事を順序だてて消化させていたのですが、とんでもない大事な用件を忘れてしまい、夕刻になって慌てて関係者に侘びをしながら、改めての実行をしたりで、間抜け振りを大いに発揮していました。取引先の多くの方々も、皆さんが月末の多忙の中で、予定をされたことを外れた行動をされては、大きな迷惑を蒙ることは当然のことですし、単純過ぎるミスに対して呆れてしまっているようでした。お陰様で、大きな迷惑を掛けるまでにはいかなく、頭を下げてお詫びすることで許されましたが、日常的に怠慢をしていては、信用問題にもなってきますので、ここは確りと反省と自覚をすることを心がけたいものです。お互いが常に良いコミュニケーションをとることで、人間関係の信頼を得る謙虚さに繋がって、誠意を示す大切さはどんな時でも有益な心掛けとなります。幸いにも、人様からはある程度の信頼を頂けて、大きな友愛をもって寛容の手助けを頂くことができ、恵まれた環境を持っていることに、ただただ感謝をしなければなりません。なんとか世の中で生かさせていただいている時と場を、無駄にすることなく、精一杯活かすことに精進して生きたいものですし、人様のミスを許してあげれる器量も心がけたいものです。
2008.01.31
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何度か飽きるくらいに経験していることですが、人様との交流の中での一番に厄介なことと言えば、人間関係が定番になるのですが、最近も風の便りで耳にする仲間同士の話も、まったく同じパターンで繰り返しされていて、互いに聞く耳を持たない我が儘な態度が感じとれます。話せば十二分に納得できることを、一時の感情論と、一部の片寄った偏見のごり押しが垣間見られて、お互いに歪曲された情報だけが独り歩きして、所属する団体の中を二分三分して混乱に陥れさせています。たかだか50名の集団運営の中で、あの人の遣り方考え方が許せないとか、こう悪く言いました、そんなことは言いませんでしたとの、まったくもって子供の喧嘩のように稚拙な争いごとが茶飯事となって見て取れます。初老の歳だけが立派な大人であっても、子供と同じレベルの意識で争いごとをしているようでは、頭の中身がどうなっているのかと訝るほどで、その人の品格品性を大いに疑ってしまいます。人の悪口は簡単に言えるのですが、人との和やかな協調は何故にできないのでしょうか、まったく不思議なことですが、注意してみますと、年齢や職業的な要素も理解されてきます。たまたま自身が携っている仕事の性質上、言葉を粗くして指示を出すことが必用であっても、その職場の環境を持ち込む必用がなく、皆さんと共に礼節を重んじることで、自身の成長にも繋がるのだと信じたいものです。無責任な人ほど荒い言葉遣いで人を威嚇したり、牽制したり、我侭し放題で、卑怯な方が多くいるようで、大いに自嘲を促したいものです。それぞれが違った生い立ちをもって、違った環境で生活しているわけで、価値観も違いますし信条もまちまちですから、すべての方が一緒の意識にはなれないことは現実としてありますが、まずは自分を知り人をも知ることが大切なことです。お互いに上手に生きていくこととは、相互に譲り合えば済むことですし、仲間を認め合えば善い事ですし、少しの我慢と寛容をもって反省さえすれば、どんなトラブルの芽も無くなると思います。こうした定期的に起こる、人間関係の行き違いトラブルは、まだまだお互いに人格の磨きが足りないと、世間から修練の強いお達しがされているからかもしれません。
2008.01.30
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最近気が付いて惚れ込んでしまった言葉に、「親炙」と書いて「しんしゃ」と、「忠恕」と書いて「ちゅうじょ」がありますが、これからの人生にこの二つの言葉を心に重く受止めて、少しでも稔りある人生に向けて、こころ豊かに温かみを持って、奥ゆかしい生き方を目指してみたいものと思っています。改めて辞書を引いて調べてみましたら、「親炙」の意味は尊敬する人物を崇めて、より深く慕う中から自分を磨いていくことだそうですし、「忠恕」とは信念と真心をもって人様を思い遣る気持ちとのことです。今までにも気にかけて、この二つの言葉の代わりに、いろいろなところで使用していた言葉があるのですが、「親炙」に変る言葉として「私淑」がありましたし、「忠恕」の言葉には「奉仕」があって、結構良く遣っていました。文字がもつ意味合いは、完全に理解をして使用できていないのですが、話し言葉や書き込み文章の中に、できるだけ多用する気構えをもっていました。いつもできるだけ謙虚を心掛けして、人様の為になることを目指す中で、人生の師と言える尊敬できる人を意中に思い描け、できるだけ理想に近づきたい学びを、積極的に遣ってきた心算です。不特定多数の人の集まりのなかでも、少しでも心地良く生活をしたいものであれば、自身を抑制する制御の弁えが非常に大切で必須なことと思います。すべてを自身の手柄にするとか、自分勝手な判断をもって集まりごとの仕切り役をするとかでなく、一歩下がって人様を立ててあげること、蔭になって支えてやれることの黒子の無意識さは、大変な財産であり宝物であると思えるのです。どんな時でも私淑や親炙できる、身近な師を仰げることの誇りと喜びを持ち、自我を捨てても人様と世の中への忠恕や奉仕の心遣いを、精一杯発揮させていきたいものです。一見無意味に思える消極的な行いごとですが、世の中が還元還流を源とする仕組みの、自然環境を良く理解すればこそ、一層のこと無理な自己満足は遠慮させたいものと思います。
2008.01.29
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今朝の朝日新聞に掲載されていた記事に、「どうもだけでいいの?」と言う面白そうな文章が目に付きました。「どうも、どうも」と言う言葉が、日常生活の中で簡単に遣われていていますが、その起源は何時なのか調べた結果が、朝日新聞のコラムの一部とかNHKのアナウンサーであった方が番組で使っていた言葉とか、諸説が解説されていました。コラム風に書かれた中にあった、電車の中で踏みつけられた時に、謝り言葉として「どうも」と言って、ふまれたほうも「どうも」と礼で応える、お互いに可笑しな意味合いだと書かれていました。スピード社会になって、話をするスピードが速まって、短絡言葉が流行っていますが、新聞ではありませんが、どんな時でも場合でもいろいろなシチュエーションで、どうも・どうもと安易に活用している現実がありますね。心地良い言葉の一つに、ありがとうございます、という言葉がありますが、最近の日常生活の中でもみなさんが、気楽にありがとうございますの言葉を遣っている姿に接します。索漠とした世の中で、毎日のように惨たらしい事件が起きる時に、ありがとうの言葉を多用する、心優しい方達が殆どなのだと、理解と認識をしているところです。この大切な言葉の遣い方も、ありがとうございますと言われて、どうも、ではなくて、どう致しましての、確りと意思を伝達できる言葉を多用していきたいものと思います。お互いに気持ちよくありがとうございます、と謝恩をして、どう致しましてと感謝の返答をできる心の豊かさを持ち合わせたいものです。言葉も時代とともに変容していきますが、どんな言葉を遣う時代になっても、お互いに気持ちよく言葉のキャッチボールができて、爽やかな心意気を感じられる、気配りを心得て生きたいものです。この度はありがとうございます、いいえどういたしまして、良かったですねと、こんな会話のキャッチボールを盛り上げていけば、皆さんがどれ程の感情移入が高まり、心地良く興奮されることでしょう。
2008.01.28
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約束のお店に行って、部屋に入るなり感じたことは、老人クラブの様相があって、旧友の皆さんにご無沙汰のご挨拶をする前に、ここは老人クラブの集まりでしょうかと、軽いジョークを言ってしまうほどでした。昨晩は高校の同級生の内、賀状の遣りとりで連絡し合える仲間6名が急遽集ることになって、長い人で卒業以来の方を含めて何十年ぶりかの再会を果たすことができました。年齢的には還暦を過ぎ定年退職をして、再雇用先勤務の方ばかりでしたが、すっかり定年して落着いて、それこそ穏やかな隠居さんの表情をしていて、友人達からは覇気が感じ取れないのことが、ちょっとばかり意外で残念なことでした。宴中で話す内容も退職金と年金の額ばかりで、とっても優雅で羨ましいのですが、同じ年齢の友達でも話題の歯車がかみ合わず、定年を迎えるとすっかり老け込んでしまう姿を観て、定年無しで何時までも現役を一生懸命頑張る自営の立場とは、まったく次元が違う見識を持っていることが分りました。話題も昔話に華が咲いてしまいがちで、一時間も話が続くと飽きが出るほどでした、この辺から現役の自分とは違う空間を感じ取っていたのですが、しかたなしに同じ話題にお付き合いをして、お孫さんのお守りとか、入院体験の話しにお付き合いをしてきました。特段に若さぶったり、別格な人格として特別意識で比較をしようとは考えないのですが、毎日の生活を年齢を忘れて、一生懸命に仕事の現役をしている立場としては、あまりにもノンビリトした時空が異質に感じ取ってしまい、まだまだ自分の希望する生活空間でないことを確認してしまいました。とはいっても旧友の友愛はホッとすることも事実でして、遥か昔に溯っての子供心が嬉しくて、ついつい羽目を外して年齢を超越した、高校生の学園生活に戻ってしまい、利害関係の無い平穏な時間を楽しむことができました。参加した仲間とは今後の定期的な会合を約束して、久し振りの楽しい宴が終わったのですが、厳しい日々の世俗的な生活から離れた、心を許し合える安心できる仲間として、ときたまには大いに楽しめて、許し合える仲間の集いとしたいものであると実感させられました。頭髪をみても、顔をみても、何故に老けこんでいるか分らないままでしたが、JR駅での別れ際にやけに目線だけがきらきらと光り輝いていることが、漸く昔の若い心を取り戻すことができたようで、次の再会が非常に楽しみになった同窓会になり、とてもよかった企画に感謝をしています。
2008.01.27
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寒風が吹き荒むつい先日のことですが、近隣ロータリークラブの創立周年行事に御呼ばれしまして、多くの仲間と一緒になって参加をしてきたのですが、目一杯暖房の効いた会場に心地良く、ホッと笑顔で歓談をすることができました。形通りに式典がお開きとなって、懇親会には30年代の一世を風靡した、双子の演歌歌手である、こまどり姉妹が駆けつけてくれました。丁度関東地方の彼方此方に初雪が積雪された日で、東京から駆けつけてくる交通手段にとても心配をされたことを、舞台の合間に話されていました。年齢をお聞きして驚いたのですが、今年70歳だそうでして、小柄なりにも背筋をピンと伸ばして、お元気そのものに10曲ほど披露してくれましたことは、プロ中のプロのど根性と感銘をいたしました。艶やかなきもの姿からはそれなりの風格が滲み出て、全盛期の活躍ぶりが思い返されてきたのですが、ご本人達が吐露をしたお話しでは、北海道での困窮の生活とか上京してきたときも、屋台で三味線流しの仕事をされていたそうで、その時期の苦労話にはもらい泣きをしてしまいました。親を慕い孝行をするための目的で、三味線を手に当ても無い流しの歌手生活を続けたそうで、華やかな全盛期にはたっぷりと親孝行を果たせたことが嬉しいと話されました。演歌やこまどり姉妹を好きとか嫌いとかは個人の評価ですが、人間的にはとっても尊敬をしてしまう、敬愛するこまどり姉妹を知ることができました。小学校も通えないどん底の生活を経験した人が持つ、淡々と口にする達観したお話しからは、以外にも爽やかさが感じ取れて、人の持つ愛情の強さに只管感激をしてしまいました。とかく貧乏な生活を恨み、親兄弟の身内を嫉んでしまいがちですが、そんな困窮な生活ぶりの中でも、しっかりと両親を大切にして孝行を積み増したことには脱帽です。ご本人達も姉妹愛がとっても強く、舞台の短い時間の中で、何回もお姉さんと読んでいることが、極々自然な愛情表現として受止めることができました。時代は変って世の中が、自己擁護主義とすべてがお金を価値観の重きとしがちですが、家族愛を自信をもって誇れる生き方が、どんな時代になっても、もっとも輝かしい価値であることを教えられました。どんな境遇の時でも、誠意をもって一生懸命に生きることで、目に見えない大きな財産が包み護ってくれていることも訓えてもらいました。軽快なソウラン渡り鳥のメロディーを口ずさみながら、舞台の厚化粧で素顔は拝顔できませんでしたが、素顔もきっと素敵な笑顔と優しい心であることを確信できました。
2008.01.26
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今日の陽気も、コートの襟を立てても容赦なく冷たい風が吹き込んできて、冷蔵庫の中にいるような状況で、凍えそうな小歩き方は、よその方がみると覇気の無い、悲哀さが感じられていたのではないでしょうか。本日はちょっとばかり気になることがあって、塞ぎこんでいたのですが、北風が吹きぬける嵐の中、JRの駅からとぼとぼと下を向いた俯き加減で、事務所に向かって歩いていました。公園に差し掛かった処で、歩調に合わせるように車が近寄ってきて、運転手が窓を開けて、郵便局はどこでしょうか?と尋ねてきました。物思いに耽っていたものですから、とっさの声がけに驚いてしまい、目をまん丸にした顔が引きつったまま、窓を開けた運転手の方に親切に教えてあげました。近隣の道路は一方通行があって、なかなかややこしい道案内をしたのですが、説明が一段落終わってから、元気が無い私に向かって何故声を掛けてくれたのでしょうか?と尋ねてみました。相手の女性ドライバーさんが曰く、心底親切そうで安心感が滲み出ていましたので、気軽に路をお聞きすることにしましたと、笑顔で答えてくれたのです。思わず心のなかで自問自答したのは、落ち込んでいる姿に加えて寒さで凍えているのですから、とても人様を安心させる姿ではなかったはずなのですが。これも人徳になるのでしょうか、人様とのご縁になるのでしょうか、自分の判断では、随分と哀れ寂しそうな表情をしたと自認していたのですが、それでも安心できる人として評価されて、道案内を乞うて尋ねてくれたのでした。自信を失っている時に、思いがけなく見知らぬ方から元気を貰うことができ、気分転換ができたことが嬉しくなり、運転していた方からのありがたい言葉に勇気と自信をもつことができました。袖摺りあうも多少の縁とか言われますが、落ち込んだみっともない姿はだめですよと、発奮の声がけをしてくれた方を神様仏様のように慕うことができ、見ず知らずの方から、世の中の綾組みを訓えていただくことができました。しみじみとして思うことは、人様から頂けた元気を良き教えとして受止めて、ありがたく感じることができたご縁に感嘆して、気を入れなおし元気溌剌として励んでいるところです。
2008.01.25
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誰しもが平凡な生活を望んで、一生懸命に毎日の生活を励んでいるのですし、できることなら順風満帆で豊かな日々を、できるだけ長く送りたいものと望んでいるのですが、時には奈落のそこに落ちるほどの、厳しい困窮する生活に陥ることも間々あるのが現状のようです。強欲でなく、極普通に平凡な生活できれば良いと、できる能力範囲の頑張りをしている毎日で、日々極々普通の生活を営んでいたのですが、人生を送る中にはつきものである、ちょっとしたつまずきを経験してしまいました。そんな時に、人に備わっている機敏な対応しだいでは、つまずいた修正を意図も簡単にできる人とそうでない人では、大きな違いがでてくるのですが、その人が身に持つ能力なのですから、すべては自己責任能力の範疇で人生が左右されるようです。この世の中には、いろいろな部門で先の見える達人がいるもので、知識と叡智を駆使して難解なことを、いとも簡単に乗越えていける人も垣間見られますが、誰しもが簡単に思うようにはいかないことが、この世の中なのだと言いますか、人間社会の摂理のように思っています。順調にいっているときも、つまずいて挫折をした時も、すべては両極に人様がいてくれるから、そのような結果が生まれてくるので、日ごろから常々人様を大切にしてくことを心掛けていきたいものです。困窮して忍耐している時こそ、感情的になることなく冷静になって、交渉ごとになってくれる相手の人を立てることが肝要で、その誠実で真摯な対応が、人の心の中に軟らかな情愛を醸し出してくれて、人情をもって問題解決への相談に乗ってくれるものです。どんな交渉相手でも、どんな組織でも、すべての窓口になる方とは、すべて心のある人様なのですから、解決できない問題はないのであって、相手側の組織の決まりごとの中でできる、最善の合法的な解決方法をみつけることができるのです。立場が違うお互いが、できる精一杯の歩み寄りによって、思わぬ解決方法が生まれることになって、願っている改善が実現させられてくる気がしています。順風も経験し、つまずきも経験して、奥深い相手への思い遣りができる人生を送るためにも、世の中の有益な情報と知恵を求めて、毛嫌いの無い幅広い交流と、正々堂々の交渉を目指して、抱えている諸問題の解決に一生懸命尽力したいものです。
2008.01.24
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いろいろな友達がいる中で、年齢とともにそのお付き合いの仕方が変化してくるのが分かり、時にはこれで好いのか悪いのか、どのように修正したら最善なのかも、試行錯誤の日が続いています。最近になって歳のせいなのか、大いに天邪鬼的な発想が芽生えてきて、自己改革ではないのですが、惰性でなく本筋本道を歩むことの大切さを知り、あえてわき道を避けて孤高を目指しているところです。仲良し仲間とはいろいろなグループに数多くいるのですが、その殆どが無駄な時間とお金を浪費しての行きがかりの行動で、まったくといって良いほど意味無しの集まりごとになっている場合が多くあります。それこそ元気があった若いころは、こんな思いは持つことなく、はた迷惑を承知で無駄な集まりごとに夢中になって、馬鹿さ加減もしらない無駄な時間を過ごしてきました。無知で身勝手な若気を持ち出して、意気揚々と馬鹿さを誇っていたのですから、反省の意思など微塵も無かったころです。そうした体験勉強を反省して、さらには溌剌と楽しく有意義な時間を過ごさなければと、老いの一徹で考えを改めることができているところです。偏屈になっているのではないのですが、長いお付き合いのなかで、先輩ぶっての後輩への無礼な態度を、何時までも改めえることなく、大衆の面前で偉ぶる方がいるのですが、どうしたら、節度あって礼節を足る人に改心させることができるのか、いま本気で思案をしているところです。お互いが気持ち良く、心を許して相互理解を果たして生きたいもので、独り善がりの身勝手さは許せなくなったのですが、果たしてその改善をどのように友愛をもって、伝達していけるかが、今となっては大きな課題になっています。人の行為に注意を与えるということは、正攻法としてのヤッパリ直談判しかないのでしょうから、何時、どこで、どのように注意を与えるかが問題になってきました。理想としては、彼から気付いてくれて、改心をしてくれることが一番なのですが、持っている素晴らしい才能を礼節だけで潰していることが残念で、余りにも勿体無い人だからこそ、人間味のある理想に向けての改善をサポートしてみたいのです。
2008.01.23
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ここのところ毎日のように夕方に行っている愛犬との散歩が、道路の片隅に飛んでいるゴミを集めて拾い集めている作業になっています。木枯らしの日が多かった性でしょうか、道端に落ちている紙袋とか、レジ袋が飛び舞っている場面に出くわすことが、多くなってきました。どう言う加減なのでしょうか、毎日同じお宅の道すがらにゴミが集っていて、その場所からの善意のゴミ拾い作業がはじまるのですが、安易にゴミを捨てる行為をする人の気持ちが分らないのですが、あまりにもあっけらかんと身勝手なポイ捨てをしていきます。街の彼方此方にあるコンビニエンス・ストアーの袋と、大体が食べものと飲料の容器なのですが、一つ一つ別々になって散乱していることは、捨てる人の道徳的なマナーはまったく無く、社会性にも人の品格をも疑ってしまうほどです。歩きながら食べることを止めなさいとは言えませんが、せめても、レジ袋の中に他の容器の空とかゴミを入れ込むことはできるわけで、最悪の行為としてゴミを捨てても、ゴミは何分の一で済むわけです。善意で拾う人の立場になれば、何度もあちこち移動して拾う行為をするよりは、遥かに作業が楽ですし、街の美観的にも多少はすっきりしてくれるのです。善人の行為は、歩きながら先ずはレジ袋を拾って、次に食料品が入った容器を拾って、飲料の容器までを拾い上げて、一人分のゴミを回収する作業になるのですが、公園にいきますと、このゴミが混然として散らかされています。公園の片隅のベンチに駄弁っている高校生は、知らん振りして戯れているのですが、それでも気にすることなくポイ捨てをする輩がいるのには、まったくがっかりさせられます。捨てた直後には、注意をすることにしているのですが、可愛い顔して、すいません、と言うのですが、他のゴミを一緒になって拾う行為までは賛同して貰えません。最近の公園にはゴミ籠が置いていませんので、拾い集めたゴミの類は、コンビニの選別ゴミ箱に捨てさせてもらうのですが、その間人が散らかしたゴミを拾い集めていても、落とした人はまったく無関心ですし、周りにいる人々もそ知らぬふりです。すべてが無関心とそ知らぬ振りと黙認で、人の心は羞恥心も無く、お互いに認め合うことも無く、反省感も無く、お互いが注意し合えるコミュニケーションも無く、寂しく時が流れていくのですが、せめても拾う側の善意と道徳心だけは捨てないように心がけたく思っているところです。
2008.01.22
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日常によくあることですが、相手の都合で急遽予定が変更されて困った時、幸いにもホッと安堵をする時の反応は、その時々の状況によっても大きく変ってくるのですが、今回は明日に予定されていたことが、夕方の電話で翌日に延長されてしまい、ちょっとばかり複雑な心境になっています。昨日の日曜日と今日の一日を使って、取引先に提出する資料を作成していたのですが、なかなか上手く準備ができなくて、今夜も遅くまで資料の作成をする気合充分で、覚悟を持っていました。ある程度は資料も出来上がりつつあったのですが、部分的に納得できないところがあって、時間ばかりが過ぎ去っていたのですが、珍しく集中度も高まって、完成度の高い資料が出来上がると、内心では期待をこめて楽しみにしていたのです。足掛け3年越しの交渉ごとで、念願の会議を心待ちにしていたものですから、明日の会議を稔りあるものにするべきと張り切っていたところで、一日延長はちょっとばかり残念なことです。しかしこの一日間の延長時間をプラス思考で受止めて、じっくりと検討資料の完成度をあげることができると喜ぶこととして、取引先も先方の都合で延長を依頼してきたわけで、申し出を受止めて協力できた形での交渉ごとは、多少気が楽な感じがしています。昔ごとになりますが、血気盛んな若気の至りのころですと、一方的な相手側からの訂正ごとに対しては、こと細かく目くじらをたてて、感情的な言動を伝えていたものですが、今となっては随分懐かしいことと思い出されてきます。最近はもっぱらのんびりと構えて、生き方とは自然流が一番だと受止めていますので、時の流れに身を任す安心感を享受して、日程の時間延長がもつ意味合いを、恵まれた結果に結びつくことと、じっくりと確かめてみたいものです。すべての時の流れは求めるものでなく、世からの与えられた時空なのだとわりきって、毎日を粛々と達観して生きていければと思っているのですが。そんな時代錯誤の甘い考えは、この厳しい世の中では通用しないよと、小言を言われてしまいそうな気もしているところです。
2008.01.21
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去年から楽しみにしていた会合があって、その実現の日が今日のお昼にやってきましたので、心ウキウキ、わくわくしながら会場に足を運んできました。Aさんとは同じ街に住んでいながら、お互いに古くからのお付き合いをしていたのですが、お互いに同じような境遇になってしまい、ここ暫くはまったく逢うことができていませんでした。世の中の高度成長によるバブル景気を経験した仲間として、桁違い豪華な生活ぶりをみせていて、誰しもが羨むほどのご家庭でした。何時も遇うたびに、威圧的に意見を伝えられ、こちらの意見を打ち消されてしまうほどの、元気が一杯あったと時でもありました。景気が下り坂になるに従がって、お互いに不安な要素が見え隠れしだして、風の便りにも、どんでん返しの困窮した生活ぶりが聞こえてきだしました。追いかけるように我が家も同じような状況を迎えて、四苦八苦の毎日と闘うこととなって、お互いが暫くの間ご無沙汰状況となって、お互いの風評を不安なままに知るだけの時間が流れていたのです。そうした時間が何年間と過ぎる中で、JRのホームで時々目にするAさんの姿が気になって、ご近所の方との情報交換でも尋ねてみたのですが、その見方の判断が半々なのです。その判断に、今日の会合に出席してくれれば、大きな困難な山を越えて、漸く平穏な生活ができるようになったことを、苦労したお互いが確認できると思ったのでした。何故か会合の席では隣同士になって、一献酌みまわしながら、苦難の話しは触れずに「人間とは何が無くても健康が一番!」の一言をお互いに納得しながら、二人とも苦悩の激痩せを目視で労わりあったのです。絶頂期の話題といえば、すべてがお金儲けのことしかなかったAさんの言葉が、相手の立場になって、しみじみと同席したご近所の方の、家庭の平安を気にかけている声がけに接することができました。お互い二人して、人様に優しい思い遣りの心掛けができる心境に、よかったよかったと、安堵の気持ちになって、まだ超えなければならない難儀なことも、時間とともに改善してくれることを信じて、二人の交わす酒盃の数が増えてしまいました。
2008.01.20
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週明けに提出する資料を作成しているのですが、作成ファイルを以前のデータに更新させようと、USBメモリーに保存してあるファイルを探しているのですが、いくら探しても探すことができなく、無駄な時間ばかりが過ぎ去っています。朝からの時間が過ぎ去って、少々いらいら気分でストレスが溜まっているのですが、普段から不精な性質での、こまめな整理整頓ができていない証拠と、重ねてファイルの整理を、細かくさせすぎている結果なのかもしれません。パソコンの技量については、どこまでも自己流のままパソコンを扱っているのですが、パソコンの能力が向上するに従がって、オペレータである我が身に備わっている、スキルのレスポンスがどんどん低下してしまい、最新パソコンが持っている能力の、せいぜい一割くらいを利用しているのが現状なのでしょう。つくづく思うことは、日常の人様との交流もパソコンと同じで、おそらくその人のほんの一部分をもって、お付き合いをする中で、その人を勝手に評価することが日常になっていると思います。お付き合いの交流時間に関係なく、人様の性格とか特徴を、すばやく見分けできることができれば好いのですが、自分勝手な比較の物差しをもって、一方的に毛嫌いをしているきらいもある。パソコンや車のように使用頻度を多くする中で、利用する部分を選択するように、人様との交流も長い時間の中で、いろいろと多面的な交流をするなかから、ピカッと光る輝きをみつける必用があると思う。人は見かけによらなく、普段の生活から散見できない一面を持っているもので、感情的にも感覚的にも毛嫌いしていた人が、以外に自分と近い考えを持っていたり、同じ境遇であったりするもの。一歩踏み入れることができない人は、結構身近に多くいるものですから、多面的に多様性をもって、人様の持っている能力を見つけ出してみたいものですし、光り輝く能力を評価できる寛容の意気込みを持ちたいもの。人も許し合え、自分をも許せる広い心は、人の欠点をも許容し受容して、人として大いなる評価をすることができれば、対人関係能力を、パソコン以上のスキルに向上させることができることを期待してしまう。
2008.01.19
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日ごとに寒気が厳しくなって、雪が降ったり木枯らしが吹きつけたり、ここのところの陽気は温暖化は忘れてしまうほどの寒波が押し寄せています。車で外出する時に見たのですが、車の計器に表示された外気温が2度Cでしたから、驚いてしまいましたが、北海道の旭川ではマイナス30度Cと聞いて、体感的にはどんな具合なのかと、ちょっぴり興味がわくほどでした。身体的にも不具合な大寒波が、北極から降りてきているようで、ここ暫くは列島がすっぽりと寒波に襲われるようで、猫背はじっと我慢の時を過ごさねばなりません。経済的な寒波も時を同じくして世界中に襲来して、サブプライム問題の未処理額が、各金融機関で新たに驚くべき負担金額を発表して、連鎖的な株価の大幅下落と、為替の円高が急激に進んでいます。市場主義経済原理が主流のなかで、すべての流れは民間経済の勝ち組に依存しているわけで、世界中に貧富の二極化が、温暖化のように弊害をもたらしているようにみえます。最近のテレビは、自然環境の破壊による、地球的規模での生態系や異常ウイルスの発生で、自然界の保持が、危機的な状況にあることを報道していました。また昨晩の番組では、歌舞伎役者の市川団十郎さんが、大病を経験した自らの生き方を、とつとつと語っているなかで、どんな逆境と苦境のときでも、人様の真心・誠実さが大切であると、胆のあるお話しを聞くことができました。すべては拝金主義の時代は終わり、如何に人間として豊かで愛情を表現できる、心豊かな生き方をする人として、忘れている芳心へのシフト替えをする時が遣ってきているようです。数日前にたまたま訓えていただいた言葉があるのですが、魂をもった人間になれるためにも、是非時々に口にして、身を清めていこうと思います。「人が生きるということは 誰かに借りをつくること そしてその借りを返してゆくこと 誰かにして貰ったように 誰かにしてあげること 人が生きるということは 誰かと手を繋ぐこと そして その手の温もりを忘れないでゆくこと 巡りあい 愛しあい そして別れたのち悔やまぬよう 人は一人で生きてゆけない 人は一人で歩んでゆけない」
2008.01.18
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今朝起きてみれば、一面の雪景色には少々驚かされましたし、早朝に出かけた家人達が、寒い中足元が滑ったり、車のスリップがしなかったかと、幼児を労わる気持ちで心配をしてしまいました。今思えば昨晩遅くのこと、娘が愛犬と一緒になって庭でミゾレを楽しんでいて、これは雪になるねと予報をたてましたので、雪には絶対になら無いでしょうと、自信満々に応えておいたのでした。その時の会話とは在り来たりのもので、ある程度確信的に話をしていた心算でいたのですが、今朝は場所によって3センチも積雪していたのですから、立派に初雪を経験することができたわけで、娘の観測予報に一本取られて軍配が挙がったわけです。街中一面の銀色雪景色は、慣れきった普段の景色とは違った趣があって、太陽の輝きが眩しいほどに燦燦としていますし、雪に反射してキラキラと光る光景のなか、小鳥達が集団で梢を渡り歩いていますし、何故か野鳥が大挙して飛び遊んできてくれました。意志薄弱な初老おじさんは、北風が吹きまくる中、寒ければ「寒過ぎ~」と愚痴を言ってしまい、雪が降れば「滑って危ない!」と文句を並べてしまうのですが、自然は季節の特徴を確りと発揮してくれているわけで、子供のころに経験した極寒は、楽しい遊びの思い出ばかりです。至るところにあった田んぼの水溜りに、厚い氷がはっていて、ここぞとばかりにスケートを楽しんだり、ツララがあったり、土の部分がすべてに霜柱が立って、水分が氷結することが極々当たり前の自然現象の経験ができました。北風が吹き荒れる中で凧揚げをしたり、「子供は風の子」を遺憾なく発揮していたころを、ふと思い出して、遥か昔を懐かしく楽しんでいます。現状に目をやれば、何処に行っても暖房が完備されていて、身につける衣料も保温性がある防寒であったり、格段の生活環境が向上されているのですから、自然相手に愚痴ってしまうひ弱さはやめて、冬の屋外を溌剌と楽しみ、十二分に堪能していくべきと思ったりしています。
2008.01.17
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車の運転は何よりも好きなのですが、視力がないことと機転が上手く働かないこと等で、慣れない街に行くと、とんでもない間違いをすることとなります。いつも同乗する家人からは、ぶつぶつと小言を言われる始末になるのですが、事故暦が無いことだけが誇れる自慢ですが、生業にしている損害保険の代理店としては当然の行為としなければなりません。昨晩にあった大きな会合で、ご一緒した先達の方の送迎役を買って出たのですが、誇れるくらいの方向音痴で、その特技を遺憾なく発揮することができ、先達に失礼は承知の上で、堂々と誤走行をしてきました。お迎えをした時間帯は、まだ陽が残っている時間でしたから、それなりの方向感と目安が見て取れて、安全運転を心がけるだけで良かったのですが、帰路の時間帯が夜遅い時間となってしましました。車幅が余裕ある幹線は、他の車のスピードに合わせる必用があって、目的地までの方向感と距離感がまったく理解できなく、更には街並みに慣れた親しみが無い為の不安感が大きくあって、気配り目配りの疲労困憊となってしまうのです。同乗された先達が気を遣ってくれて、前もっての道案内を早め早目と伝達してくれていたのですが、先達への気遣いが結構なプレッシャーになってしまい、不慣れな幹線道路運転は、ますます頭の中までを迷路化させてくれました。一人で暢気に運転をしている時は、別段気にすることが無いのですが、意外な自身の弱点を再確認させられて、まだまだ克服できない幼児性癖に、大人になりきれていない青さを残していることを自認したところです。自己の弱点を知ること、弱点をもっていることは、克己心を掲げて常に剛毅に粋がって生きることよりは、しおらしくて可愛がりもあって、のんびりと生きていくことに意義ありと、弱者の自信を誇りにして変な生き甲斐をしているところです。
2008.01.16
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本当に世の中には、面白いことが沢山あるものだと思うのですが、一つのものごとに対して、係わる人がいる分の考え方とものごとの評価、価値観が重なり合うだからだと、つくづく感じ入っているところです。連休明けにFAX受信した文面に、所属のグループの代表から、突飛もない事案の一方的な決済を請う依頼文が届き、詳細説明を正式な全体会議で図らなくて、個々の役員の了解をとる変則会議をもって、承認してくださいとの請願文面でした。久し振りに納得できない心底からの不信感が募ってきて、とっさに責任者の方に電話を掛けて、自分の反対する思いと、責任者が信念をもって実行する覚悟であれば、それなりの筋道のある説明と、正式な会議をもって討議結論をだして欲しい旨を、強い口調で伝えました。昼前になると、受け取ったEメールのなかに、以前から依頼されていた件の経過報告をしていた、その受取人と関係者から、別々の礼メールが届いていて、それぞれが詳細な進行経過のご挨拶を書き込んでいてくれました。ものごとを進める過程におきることは、大体が説明不足による不理解なのですが、物事の順序であるなかで一番大事なことは、すべての情報を開示させて、多くの方の判断を願うことだと思うのです。どんなに素晴らしい企画でも善行でも、どんな素敵な方でも善人でも、独り善がりの判断で、すべての方のコンセンサスを得ることなど、とてつもなく困難なことなのです。今回の一方的な決済を見ていますと、無謀な非民主の議事進行ですし、批判者をあえて助長させるだけの愚の骨頂だと思います。電話で直言した効果があって、代表者の侘びと議題提出の会議を開くことを約束してくれたのですが、一歩引いて、少しの一考をしてみれば、誰しもが良識をもって判断と実行ができることなのです。すべては人さまとのコミュニケーションを、上手くとれるかとれないかで左右されるものごとである、この世の定めを知ってこそ、この単純なことだけを信念として、改めての学びごとを、人様から教えられたと喜んでいるところです。
2008.01.15
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昨日はほぼ一日中床に伏して、思考能力が無いまま静養をしていたのですが、夜も遅くなって体調が戻りつつある中で、何気なく家内が観ていたテレビの音声を聴いていました。ドキュメンタリー風なアナウンスを耳にして、時間が経過するに従がって徐々に番組の主旨が理解されてきて、飽食の余った食料をホームレスの方や、生活保護を必用とする方々へ、直に手渡しする奉仕活動をしているドキュメンタリー番組の様子でした。活動をしている方は外国の人で、若いころから日本の各地で同じような活動を続けているそうで、そのネットワークも支援者とともに範囲が広まって、食料配布活動が粛々と実行されている様子でした。NPO法人化されていたのかとかの情報は、番組をしかと見入っていなかったこともあり、すべてを正確に伝達することは不可能なのですが、僅かな時間を見聞きした部分でも、物凄い奉仕活動を頑張っていることを実感させられました。異国の地で生活困窮者の人達と、一緒の生活を体験するなどは、国籍が同じ同胞としても、なかなか実行できるまでには、大きな熱意と人の度量が必要です。日常感じている飽食の不均衡さを憂うことは、実に簡単なことですが、発想の転換をして、自ら食のアンバランスが引き起こしている社会問題を、自身の生活テーマにして、少しでも社会の弱者に温かな手を差し伸べることができるのは、並大抵の根性ではできないことです。番組の終わりにコメントされていたのですが、日本に住んで今のボランティア活動ができる自分が幸せだと語っていたのですが、この一言に感動をしてしまいました。他国にきて異国の言葉を学び、その国の弱者の救済事業を企画して実行することとは、了見の狭いものには絶対にできないことですし、ましてやその行為を誇れると言い張れる自信は、拍手喝采ものですし、本来であれば即お手伝いをする必要があると堅く思うところです。車を運転して食材を求めて移動するアクティブな活躍ぶりは、ただ傍観者としてテレビを観る立場の自分で好いのかと、深い反省感を覚えさせられましたし、奉仕活動の実践の意味合いと、奉仕の実践理念を改めて感じさせられました。一方的な与える奉仕は、提供する側のエゴとなって自己満足の傲慢さをみてしまうのですが、弱者の方が求めているその物とその時にこそ、ジャストタイムで自らの労力を持って支援する活動が、実のボランティアであり奉仕にがるのでしょう。寄付をすること、ゴミを拾うこと等は比較的安易に誰でもが同じような成果を持ってできることですが、貧困者の生活現場に一緒に溶け込んでまでも、心あり体温が伝わる真の奉仕とはならないのだろうと、大いなるジレンマを感じさせられた番組でした。
2008.01.14
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昨日の夕方に、上さんが風邪のようでゾクゾクしてお腹が痛いと言って、早めの就寝をしたのですが、今朝になってみれば、お腹が痛くて身体中の関節が重く、起床することができませんでした。夕刻になるまで床の中で寝入っていたのですが、愛犬が散歩のおねだりに来て、無理をして30分間の散歩に付き合ってきました。朝から木枯らしが吹き付けていて、寝床から厚着をして出かけたのですが、手袋をした手先までもが冷たくて、体調が悪い状況では満足な歩行もできなく、飼い主の体調を気遣ってくれるでもなく、愛犬は北風が強く吹きぬける街中を、軽快に先導してくれました。表通りには、さして人出もなく、時たますれ違う方々は、そそくさと歩測を早めるだけで、冷気を少しでもかばおうと、首をくすめてコートの襟をたてて、両手をポケットに差し込んで、同じようなスタイルの方ばかりでした。此方が苦し紛れの散歩に付き合っているにも係わらず、愛犬は一番遠出のコースをめざしていましたので、無理やり途中から引き返して、何とか家路に向かうことができホッとしているのですが、このまま再度床に入って休養します。比較的温暖な地に育っていますと、これくらいの北風を耐えることが大変なのですが、北国の方々は毎日のように零下の中で厳しい冬を過ごすこと、その強い生活力に敬服をしてしまいます。
2008.01.13
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朝からどんよりとした氷雨が降り続いていますが、自動点灯する街灯の水銀灯が、結局一日中輝いている曇天模様となりました。部屋の中だけが照明で明るい環境は、気分までが滅入ってしまうようなのですが、天気予報に相反して、雪模様にならないだけでも良かったとして、気分の高揚に工夫をしながらの一日となってしまいました。晴耕雨読を実践させて、こんな日こそ読書をすれば良かったのですが、人間的に未熟なままですと、なかなか精神コントロールを活用させることができなくて、不高率で無駄な時間を余計に過ごすこととなってしまいました。体調も良く気分も爽やかな、気分がのっている時が、たまにはあるものですが、思いがけない位に事務処理が進むとか、対外的に躊躇していた案件を、衝動をもって勢い良くことの処理をしてしまうことが良くあるのですが、人の生きる道とか世の中とは、この揺り戻しの中でバランス良く平凡とされていくのでしょうか。世の中には、その道の専門的な賢人がいるものですが、よほどの精神統一と集中力をもって、如何に継続させられるかが冥利として、凡人との厳しい見境を見せているのでしょう。世の中に揉まれた生き方が、最高とはすべてに言いがたいのですが、苦労は買ってでも経験しなさいと、言い伝えられているほどに、成功への歓びごとに向かっては、積極的に苦難や苦労をすることを受け入れる人の器を持つべきのようです。狭い自個の身の回りばかりを気配り心配りをするのでなく、世の社会に目をむけて、世の中の為に役立ちできる自己形成を、時々自問自答できる精神的な余裕を、身につけたら善いのだろうかと自覚はしているのです。人様が喜んでくれる姿に、自身の誇りが感じられると勝手な自己満足をすることなく、隠匿として積善を経験すべきと心得て、道端のゴミを拾うこと等の善行を心がけているところです。それにしても心無い人が増えている世の中です、道端のポイ捨てゴミの量は何故に減らないのでしょうか。ポイ捨てが無く、ゴミを拾える積善ができない世の中の晴天ぶりを、心待ちにして期待を持ちたいものです。
2008.01.12
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この時節に電車の椅子に腰掛けると、必ずと言っていいほど心地良い睡魔が襲ってきて、うとうと白川夜船の舟こぎになってしまいます。午後からJR快速電車の人となって、五反田まで向かったのですが、品川で山手線に乗り換える心算でいて、乗車時には、ありがとうございます、という個人出版の手ごろの厚さの本を再読していたのですが、20分もしないうちに、椅子のヒーターがお尻に適度な温かさをもたらしてくれ、目がうつろになってしまいました。すっかり熟睡して気持ちよく寝ることができたのですが、目覚めたところが東京駅を過ぎた新橋で、カバンを手にしてとっさに下りてしまいました。ホームに下りてから新橋で無く、品川で乗り換える心算であったことを思い出して、時すでに遅く、そのまま新橋駅で地下のエスカレーターを時間を掛けて乗り換えることになりました。3時の会議が結果的には5分間遅刻してしまったのですが、慌てるときには重ねて失敗をするものでして、五反田で下車後に急いで近道を選んだ心算が、道を間違えてしまったのです。一本手前から逆コースを取ったために、ビルの姿が違って見え、二周ほど捜し求めて余計な時間が掛かってしまいました。遅れて始まった会議は先方の大きな慈愛に助けられて、此方の要望を聞き入れてくださり、急いで走り回った身体が火照っているのは、難解な問題に対して理解を示してくれた相手方の、心豊かな温かさも加温してくれたのかもしれません。相手の立場になって物を考えてみる、行動してみることの大変な重要さは、自身が苦難を経験してから学べることなので、なおさら相手方の慈悲に対して、深い感動と感謝をしてしまうのです。相手の難儀を許せる度量は、是非とも身につけておきたいものですし、常に誠実さと謙虚さを忘れずに心がけていく必用があると信じています。心地良く電車内で再読した、ありがとうございます、の簡単でもっとも難しい言葉の活用を素直に発揮させて、何時も接してくれている仲間達が、一人でも多く言霊の恩恵を身につけることができますことを期待したいものです。読むことで文字的に理解をした心算でも、感動を人様に伝道させることができるように、せいぜい一生懸命に再読を重ねていきたいものです。電車内で読む行為は効率がとっても善いのですが、睡魔も疲労回復の妙薬をもって、それなりの役目をもっているのでしょう。
2008.01.11
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いまほど品質に関して厳しく管理されいる時代は無かったのでしょうし、今後もますますその厳しさが、強く求められていくここと思っています。世のなかの安全を求める環境が強まって、全ての国家社会の危機管理から始まって、食の安全は元よりも、衣食住の安全保証をこれほど徹底的に求め、提供する側の責任追及は、倫理観をも変えてしまいました。世の中が総じて提供者への責任追及が原則的な流れとなる中で、故意的な偽装があらゆる業界から噴出して、消費者側は何を安全として受け入れていいものなのかが、まったく信用できない不安な世の中にさせてしまいました。それにしても精密機械から大型機械類までの完成度は、これでもかと驚嘆してしまう先端の技術とアイデアが生かされていて、世界中で安心して求められている、信頼と信用が最大限に発揮されていることも事実にありますね。今となっては珍しくも無く、極普通の家庭にも設置されている便座ウオシュレットは、世界中から注目されている、我が国が誇るべき優良商品だそうで、改めて驚いてしまっているのです。我が家にも取り入れて10年が経っていますが、便座が温かく、お湯のシャワーで洗浄してくれるウオシュレットは、欠くことのできない必需品となっています。ときたまシャワーが無いトイレでは、使用感と満足感が得られなく、不快感が残ってしまうのも、ある意味贅沢な生活に慣れきってしまっているように思えます。便利さを求めて利用する立場になって、安全な商品が出回ることは嬉しいのですが、便利さに慣れきってしまう怠慢もあって、人として成長できる環境を心配もしてしまいます。物ばかりが信用信頼されて、使う側の人の心が欠陥とか偽装のみすぼらしさでは、なんとも情けなくなってしまいます。全てに安心できる信用と信頼を求めて、人も物も更なる進化と発展を出来るように、先ずは自信の腹のうちを温かで豊かに洗浄してみようと思います。
2008.01.10
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この冬は年末から本当に穏やかで暖かく過ごし良いのですが、気になることは全国規模でも、地元でも、ひっきりなしに物騒な事件ばかりが連続していますが、殆どがお金を目的にした事件になっていて、世知辛い世相を反映しているように思います。厳しい経済情勢が続くなかで、原油高とか株安に始まった今年ですが、金利の上昇までが報道されて、極小超零細企業を経営する立場からすると、新聞紙上で活字になっている、「ひそかに増えている倒産企業」の文字が追い討ちをかけるように、精神的な不安を助長させてくれるものです。毎月の資金繰りにキュウキュウしている現状がありますと、金融機関とのコミュニケーションを、誠実に情報交換と取引をしていくことが、これからの不安定な社会情勢の中では、一層必然のことと、自らを納得をさせているところです。しかし、金融機関にもよるのですが、世の中が厳しければ厳しいほど、取引内容や条件がタイトになってくるものでして、心掛けることは真面目で真摯な対応を示すことこそ、お互いの理解が深まるのだと思います。どんな取引でも同じことが言えますが、自己防衛的な贔屓だけをして、一方的に金融機関の評価をすることなく、あくまでも企業人として、経営者としての資質を高めた、品格をもった取引をしていきたいものです。不安定な時代の大変なときこそ、冷静になって世の中を俯瞰して、自らの人間味を高めていくことで、人の品性をたかめる必要があるのでしょう。その人に備わった、胆からの上品さと高い信用の評価は、窮地に落ちいった時こそ、高い評価を得られるもので、大きな財産として力を発揮してくれると思います。どんな時でもどんな場面でも、所詮は人と人の話し合いが基軸となるのですから、一時の感情論を別にすれば、その殆どは互譲の精神で解決されることなのです。もっと冷静になること、家族愛の交流を温かく過ごすことさえすれば、自分勝手で被害者を巻き込む事件になるほどの、悲惨に結びつく衝動はなくなると思います。
2008.01.09
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日ごろは出来るだけ誠実さを心掛けて、自らの言動を陰日当無くしている心算でいるのですが、世の中の厳しさや人様からの偏った評価は、何時ものように酷であるのが恒でして、いつになっても反省と学びをしなさいと、社会から叱咤激励の応援をされているのです。携っている仕事でもそうですし、所属している様々な団体でもそうですが、素晴らしい結果になることを求めて、一生懸命になって心をこめ対応をしている心算ですが、時としてその評価がまったくされないことがあります。最悪の場合には、いらぬ風評や悪評までが席巻してしまい、何故なのと訝るほど自己悩みも多く成って、自信喪失になってしまう時があります。ものごとの本質を求めない、安易な形式論は誰にでも受け入れ易く、幅広く、経験が深い人も浅い人をも一束で巻き込んでいき、伝染病のように蔓延されてしまうのです。議論抜きに、いとも簡単に結論を出しやすく、形骸的に済ますことができる分けですから、幅広い人から賛同を得やすく、衆議引導も安易にできるのです。同じ会議に参加する同輩がいるのですが、会議の理念から逸脱した自己理論をもっていて、勝手すぎる我が儘の卑怯な人です。何癖をつけてまでも同席する気が知れなく、その人の資質を疑ってしまったのですが、人のもつ心の作用は素晴らしいもので、数年の時間を経過しながら、僅かながらも一皮一皮と理解度が深まり、背を向ける態度が軟化してくれています。人それぞれに違う生き方もあります、価値観も違っています、生活概念も違っています、それを分かち合ってこそ、世の中が上手く纏まって作用してくれるのだと思います。世の中を俯瞰できる距離感をもって、心豊かな円みを心得て、せいぜい迷惑をかけない心構えと、多勢に協調できる度量を持ち合わせていければと、期待感をもって自身に語りかけているところです。
2008.01.08
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何日ぶりかの雨が降り出して、なんとなく安堵をしているところですが、世の中は今日から実質の年明け模様で、本格的な仕事始めの活況が感じられます。彼方此方から新年会の誘いがありますし、団体の賀詞交換会が模様されており、狭い地域の中でのご案内は、お金と人の数が足りないほどの数になっていますが、最近は取捨選択の割り切った判断をするようになりました。何処に行っても同じメンバーが重なって、来賓の皆さんのご挨拶や、式次第までが以下同文状況では、出席回数が増えるほどに参加する意欲が減退します。お昼前に開会された賀詞交換会は、地元紙の主宰するもので、知事から市長から、国会議員の先生方、県議市議と続いてまるで選挙運動の会場のようでした。議員の先生方と言えば、総勢500名は参加された方々に対して、会場内を無作為で名刺の配布作業化となっていましたが、その殆どの議員さんは秘書が変りに登壇されて、その形式的な式典模様と、議員だからと奉りたがる主催者側の心遣いがあります。目配り気配りは痛いように理解できるのですが、以外に冷静に世の中の空気の流れを読んでいるのが、当の議員さんのように見て取れました。何人かの議員の方々と、話しをすることができたのですが、厳しい選挙を経験している観方と、判断力は、本当に冷静で市民の肌の感触を取り込んでくれているのです。日ごろからの選挙活動の中で、市民の感情を細かに観察し、市民の要求を理解しているにも係わらず、なぜか行政を動かして政治を執行する段になると、市民の要望と懸け離れてしまうのでしょうか。個人としてはまったく変わりない市民であっても、政治団体とか政党に所属することで、庶民感覚が欠乏し、対峙するのは政党内の権力に専念する仕組みになっているのでしょうか。フェース トゥー フェースの会話の間は、とっても素晴らしい人達であるのですが、何故か胸に着けた議員バッジだけが、不似合いな輝きだけをみせていました。名刺を配るだけの活動よりも、市民の空気を確りと読み取って、政策に生かせる政治力を遺憾なく発揮して欲しい物です。
2008.01.07
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年末から年初に掛けては、あまりにも身に余るほどの暖かな陽気に恵まれていて、午後からの居間では資料や書物を読んだり、パソコンを開いたりしている時間は、まったくもって至福の時間となっています。明るい日差しが燦燦と差し込んで、書物の細かな字も読みやすく、上着を脱いでも身体の芯から温まり、暑い位の贅沢ができているのですが、せめても自然界からの恩恵を精一杯受止められる時間を、感謝をしながら過ごすことにしました。今日こうして資料に目を通していますと、普段から知っている心算でいた情報が、まったくの上辺だけの曖昧なものであったことを、ここのところ続けて実感することとなって、正直なところ反省するよりも、浅く理解していた自身が情けなく感じているところです。年齢的にも経験的にもある程度は理解していたことが、改めて書物の中から真髄になる理念を教えられているのですが、書かれている書物の文字は読めて目に入っても、奥深い文書の内容をお腹の底から理解できていたかというと、読んだことがあったということだけの、ひ弱な理解度であったわけです。人さまの話しや書物を読んで、一時は感動を覚えて納得しても、それは、一時の見惚れた聞き惚れた心算の浅はかさでもあったのです。人のお付き合いでも同じことが言えて、一見では決して上辺の判断となってしまうことを、確りと心の中に受止めておきたいものです。知った心算のことが世のなかには沢山あることを、まずは自ら認めて、すべてに謙虚で寛容をもった豊かな心遣いをもちたいものですし、つねに知ることへの情熱を持ち続けて生きたいものと思っています。それにしても知った心算の多いことを、年甲斐も無く実感しているのですが、遅まきながらも新たな知識に感動できる喜びを味わって、にやっとして悦にしている自分を叱咤して、人様へのお裾分けを心得たところです。
2008.01.06
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昔を振り返れば、子供のころは遊ぶ道具も無く、10円で買い求めた簡易ナイフを砥石で磨きあげて宝物とし、隣町の竹山に入り込んでは、鉄砲とかトンボとかを、手を傷つけながら夢中で作っていた記憶があります。今の子供達は怪我をするとか、人に傷つける心配とかで、危険な遊びや道具は持たないように、学校も家庭も一生懸命指導をしているようです。そんな子供のころには、空き地があれば仲間が集って、三角ベースのソフトボールを楽しんだりして、子供の集団の中で上手く自治がされていました。多少の怪我や悪戯は子供の特権のように、のびのびと遊びを許してくれ、周りの大人たちも目を緩めて見守ってくれていたのですが、こと一線を越えての悪戯とかには、徹底して軌道修正の愛情の鞭を打ってくれていました。今日も何時もの愛犬との散歩をしてきたのですが、時間を早めて行った為、大きな公園では数組の少年が、キャッチボールやトスバッティングをして遊んでいました。暫し公園の端に座り込んで見物をしていたのですが、一角には父親と小学校3年生くらいの男の子がキャッチボールをしていて、母親がビデオカメラで撮影をしている様子が伺えました。ほのぼのとした雰囲気があったのですが、突然母親の指導が始まって、投球動作が思うような形になっていないと、キツイ言葉で指導がエスカレートしてきました。投球の際の腕の動きが悪いと、ビデオ画面を見せながらの言葉は、物凄い剣幕となってしまい、観ているものとしても心穏やかではなくなってしまったのです。時間とともに子供が嫌気をおこしてしまい、夢中でヒステリーの母親とは裏腹の、完全に意欲が無くなってしまい、半ストライキ状態となってしまい、一方の父親は捕球位置で放心状態なのです。反対では活き活きと子供だけの仲間が遊びまわっていて、笑い声や野次が元気に響き渡っているのですが、このご家族が気になってしまい、見物人としての一言がどのように発していいのか躊躇してしまいました。他所の家庭のことと傍観させる自分と、酷すぎる教えにご注意を伝達すべきとする自分がいて、結果的にはその場を離れてしまったのですが、勇気の無さに反省をしつつ今でも悶々としているところです。気弱で自己主張が苦手な子供のころを思い出しながら、是非とも挫けない信念をもって、確りと人生を歩んでいくようにと、叱られていた少年の未来が明るいものとして、公園から離れながら目線でエールを送ってあげました。
2008.01.05
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正月三が日も恙無く穏やかに過ごすことができ、今日から仕事始めの躍動を感じて、朝も早くから身体が起きてくれ、気分良く仕事に携わることができました。事務所の近くにある地元金融機関に新年の御挨拶に伺うことができ、幸先良いスタートが出来ましたし、引き続きJRを利用して中心街にある都市銀行の営業部を尋ねたのですが、こちらは待合室が満員になるほど盛況でした。暫く待つ間に係りの方から呼ばれて、支店長と担当責任者と清酒の祝杯を重ねて、新年の挨拶を交わすことができ、今年の抱負を伝えることができました。銀行の待合室が混雑している様子は、まるで混雑時のファミリーレストランの予約と同じで、大汗をかきながら整理をしている担当者の気配り目配りには、大変学ぶことが多くありました。三つに分かれたブースに待つ取引先を、ご機嫌を悪くさせないための気配りの声掛けをして、順番の確認と進行状況を説明してくれ、お正月に相応しい爽やかで気分良くさせてもらえる時空を味わうことができました。長い間金融機関とお付き合いをさせて頂いておりますが、最近感じることは、都市銀行も地方銀行も、信用金庫も利用者に対してのサービスは、全く遜色なく受けることが出来る時代に思います。貸し出し金額とか、商取引の条件等については様々な差異はありますが、銀行員の資質には全く同じように受け止めてしまっています。厳しい評価をさせていただけるなら、地方銀行のスタッフの頑張りが飛躍的にあることは事実で、都市金融機関の能力に伯仲している、あるいは追い越している部分を評価することが出来ます。資金面でお世話を頂いている金融機関があればこそ、日々仕事に専念でき、あらゆる経営施策を進めることが出来る現実に、改めて企業の営みを携わる責任者として、年明けの希望と信念を確信することができました。年が明けることの大切さと、大変さの両極端を味わっている身として、日々の誠実さを忘れずに、淡々と平凡に仕事を進めていき、12ヵ月後の新年を更に進化させて迎えたいものです。
2008.01.04
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正月三日目の今日も穏やかで暖かな陽射しが差し込んでくれましたが、これから迎える厳しい寒さを思うと、寒がり屋さんとしては、燦燦と降りそそぐ太陽の陽射しの毎日を願ってしまいます。お天道様が真上にある時間を利用して、JRで成田山に初詣に行ってきましたが、コートが要らないほどの陽気に誘われてか、電車内も駅からの参道にも歩けないほどの参拝客が混雑していて、なかなか前に足を進めることができませんでした。お昼時間を前にしてか、参道の両脇にあるお土産屋さんとか、食堂には大勢のお客さんが群がっていて、正月らしい賑わいと、呼び込みの威勢のよさを耳に聞き惚れながら、混雑する人の流れに身を任せていました。成田山の新しい総門が年末に建立されたこと、開山1070年祭の催事が近いこととか、好いお天気に誘われてなのか、沢山の人出が増えているのが良く分りませんが、昨年から比べても相当な人出となっているようでした。12時から行われる大護摩焚きに間に合うように、適度な歩みを速めながら本堂の中に入ることができたのですが、これまた順番待ちの正面席はすでに満席状態で、護摩焚きを左から見上げる席に向かい、運良く最前列に座ることができました。猊下が行う大護摩焚き時間の前に、高僧からありがたい新年の法話を聴くことができ、生きていく人の道の教えを得々と伝えてくれて、満席の本堂の参拝客は静寂のなかで、無心になって聴き入っている様子がみてとれました。誰しもが願っていることなのでしょう、家内安全、商売繁昌の合掌を真剣な表情をして祈願している姿は、人の心の清心をみることができ、神仏を信仰する人の清々しさを学ぶことができました。同じ空間で同じ思いをして祈願している方々との連帯感、心の融和を目指す穏やかな人の顔からは、皆さんが善人であることを認め合っているようで、大きな安堵を感じながら出世稲荷に向かいましたら、去年以上の長蛇過ぎる人の列となっていました。元旦の浅間神社のお稲荷さんの人出も感じていたのですが、お稲荷さんへの参拝客が異常に多いことは、やはり時代背景があるのでしょうか、参拝する皆さんがお稲荷さんに祈願通りの繁栄をされることを、一緒になって心から願ってしまいました。帰路も駅に向かう人の混雑があって、お寺に向かう人とともに穏やかな顔を見ることができて、暫し同じ場を共有する嬉しさを微笑ましく感じ取っていたのです。
2008.01.03
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新年も早いもので二日目があっと言う間に過ぎ去って、この一年間も日々時間に追われてしまいそうな感じがしています。関東地方だけが穏やかな天候に恵まれているようで、晴天の暖かな陽射しが差し込んで、夕方になって感じる日ごとに増す陽射しの明るさが、間もなく遣ってくる節分の時節を伺わせています。冬至が過ぎてからの陽射しの強さと、日没の時間は延びている実感は、自然界からの勇気の贈り物と受止めて、夕日をまともに受けながら、身体の中にエネルギーを注ぎこんでくれました。冬の太陽からはいろいろなことを学ぶ機会があって、心底身体の奥まで暖かさを届けてくれたり、燦燦と降りそそぐエネルギーからは、精神的な勇気と元気を奮い起こせてくれて、大きな大きな支えになってくれています。今日は家内の実家に行き、両親に新年の挨拶をするために愛犬共々伺ったために、愛犬のご機嫌をなだめるために車の中で、愛犬共々暫しの間駐車中の車中で過ごしていたのですが、太陽の位置が動いていく様子に、改めて素直な感動をしてしまいました。後部座席に愛犬と並んで座りながら、無音で無言の時間を流れるままに過ごしてみたのですが、なかなか乙な時間を享受することができました。傍からみれば停車中の閉鎖的な車内で、異様な光景なのかも知れませんが、瞑想にふけることができそうで、精神統一には絶好の場をみつけてしまいました。ガラス窓を通して初春の陽射しが差し込んで、車内の温度が徐々に上昇していく中で、自身の気概もともに上昇するのが分り、極自然に希望を叶えられる勇気と自信が湧きあがってきたようで、気分転換と気分上昇には最高の体験となりました。
2008.01.02
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暖かで穏やかな新年が明けました、今年も元気に一日一日を有意義に、大切にして過ごしていきましょう。朝から輝かしい太陽の陽射しを受けながら、神棚と仏壇と荒神様お稲荷さんにお供えと灯明をあげ、一家で新年のお雑煮を戴くことができました。お正月の御餅は一味違って美味しく味わうことができ、お代わりをしたのですが、我が家流の味付けである、岩海苔の一種である、はばのりとオカカをトッピングすると、ほんのりと磯の香りがして特別美味くなるのです。臼と杵があればの話しですが、施設慰問の際に餅つきをしていますので、自家製の餅を搗いてみたい気持ちがあるのですが、道具が無ければ所詮は無理な話で実現できません。お昼過ぎになってから、生まれ育った街に電車で行き、古くからある浅間神社に初詣のお参りをしてきましたが、JR駅から参拝客が並んで歩いていて、小高い天辺に鎮座する社までは何列もの順番待ちとなり、老若男女の参拝者は人混みで大混雑をしていました。羽織ったコートが要らないくらいに汗ばむ境内で、破魔矢と熊手を頂き、その両方についている鈴の音を爽やかに鳴らしながら、手持ちのまま帰路電車の中でもお正月気分を味わってしまいました。本当に静かで絶好の好天に恵まれた元日を、のんびりと迎えることができ、頂いた賀状を一枚一枚目を通す時間も、人生の幸福を充分に享受できているところです。陽射しが強くなった分、日没時間が長くなっているのでしょうか、夕方5時に鳴るチャイムが明るい日差しを残して、落日から発せられる輝きが神々しく感じられました。
2008.01.01
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