2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全30件 (30件中 1-30件目)
1
一気に真夏の様相をみせてくれた4月の末でしたが、半袖のシャツを着て一日中動き廻ってきて、夕刻になった今でもそのままでいれる、心地良い陽気になっています。身につけるものが薄くなるほどに、身も心も軽やかな気分となって、スキップでも踏みたくなるがごとく外出が気軽で苦にならないし、街のあちこちで新緑や百花を目にすることができ、気分爽快に走り回ってくることができました。月末であっても、連休が控えている為なのか、普段の月末以上の混雑振りであったのが、各銀行や街角にあるATMコーナーで、長蛇の列が並んでいる様子が伺えました。お昼近くに取引銀行に行って、ATMコーナーを利用してきたのですが、何故か何時も以上の高齢な方々が振り込み作業をしていまして、慣れぬ手つきで時間が掛かっている様子を観ていますと、あらぬ心配をするほどでした。後ろに長蛇の列を控えながら、あくまでもマイペースで振込み操作を迷いながら行なっている光景にであって、後ろに並ぶ身としては、時間が必要以上に掛かる様子に、少々イラつく恥ずかしい自分を感じとりました。他のことであれば親切心を発揮することができるのですが、ただでさえATMでの挙動不審を怪しまれてしまうご時世なのです、声も掛けることが出来ない情けなさを味わいながら、ひたすら何度も何度も初めから繰り返している方々を見守ることをしていました。銀行内のATMであれば案内の方がサービス精神を発揮して、手続の応援をしてあげることができるのですが、街中のATMコーナーでは、狭い部屋から歩道に並ぶほどでした。長蛇の列の後ろでは中の状況が分りませんから、イライラは募るばかりでしたが、高齢の方が慣れぬ手つきで行わざるを得ない生活状況が、今後の社会では問題化されて、改善の余地が出てきそうな気配を感じました。おれおれ詐欺が社会問題にされている世の中ですが、今日の振り込み状況を観るにつけ、振込み行為の数の多さの原因が分らなくいますが、せめて振込み時期の余裕を持たせてくれる配慮も必要な時がきているのだと思います。何年か先に自身も同じ境遇になりえることを考えますと、ATMに慣れることが先なのか、扱い方や振込み方法を簡便にするかを、世の中から支えあう施策が求められてくるでしょう。今日の月末は数行のATMコーナーを並ぶことになりましたが、本当に多くの高齢の方が何度もやり直しをしている姿を接して不思議に思う、何処に振り込む必用があるのか、待ち時間の間に自分の身に置き換えてみましたが、納得する答えがなくて、世の中は分らないことが数多くあるようです。暫定税率や後期高齢者医療費とか世知辛い話題が多く、高齢の方の生活が厳しくなるばかりですが、だれもが安心して、社会の中で堂々として生活をしてもらいたいものです。
2008.04.30
コメント(2)
人が集る会合の決まりごとを修正する決断と度胸は、大きな度量が必要ですし大きな度胸も併せて必然であることを、身をもって知ることができましたが、そのタイミングの難しさも知ることになりました。改革と改善を行うと言うことは、とっても好い事なのか悪いことなのか、自身で判断できなく困っていることがあったのですが、他の方が自己責任逃避と思うほど消極的な言動になっていて、その信念を維持する努力のエネルギーが大変なものであることを感じています。決して独り善がりの独断を発揮しているのではないのですが、他の皆さんの意識が余りにも低すぎると言いますか、無関心すぎることが原因で、期限がある改定事項を誰一人真正面から対峙しようとしないのです。このままでは期限がきれてしまい、とんでもない迷惑を会合が蒙って、大きな恥を世間にさらしてしまうことになる事態が心配になって、思い切って孤軍の度胸をだして声をだしてみました。話せば解るほど簡単なことでないほど責任逃避は蔓延していて、声を上げても理解を示して支援を約束する人がいなく、自身の行為に儚い挫折感を覚えてしまいました。先日のこと、事情を知って応援を約束してくれて同席をしてくれました知人に、淡い落胆をさせてしまうほど会合に集っている方々の意識を疑ってしまうほどでした。常に意識を高めて問題提起をさせることが慣例化させていなかった、そのものの裏返しが表面化してしまったことが、容易に理解できるほど事情が簡単明瞭なのです。長い間決まりごとを蔑ろにしてきた会合の悪癖が、まさしくすべての活性感を蝕んでしまい、意欲や意識すら陳腐化していたのが実感させられました。惰性におされて狭義な情報を自己満足させ、呉越同舟の狭い範囲の中で自己満足を味わう、扁平された人の集まりに成っていたのが明白されて、惰性の生き方が具現化したのです。誰かが思い切った発言をしなければ、何時までも悪癖な習慣として、時に流されてしまうことを憂いていた良識ある人が、何人かいてくれても勇気が足りませんでしたし、良き機会が無かったのですから残念なことでもありました。こうして思いを書き込んでいる時に、自然に口にする、水戸黄門の主題歌を、応援歌として何度も何度も繰り返しているのですが、きっと今回の声がけが切っ掛けになって、何かが変化することを期待していながら、再度水戸黄門を歌ってみているところです。人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙のあとには 虹も出る 歩いてゆくんだ しっかりと 自分の道を ふみしめて人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行くあとから来たのに 追い越され 泣くのがいやなら さあ歩け人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだ なんにもしないで 生きるより 何かを求めて 生きようよ
2008.04.29
コメント(2)
石川遼君と言う若きプロゴルファーが最近注目されているが、技量や技術的なことは良くわからなくても、人間的な魅力が盛りだくさんの若者で好意をもっています。先日のテレビで特集をしているのを魅入ってしまいましたが、現代っ子らしく何時も自分を意識して、ファンから観られている立場を意識して、ファッションや態度を自己表現しているのだと話をしていました。とっても確りとした優等生の、初々しいプロゴルファー誕生を喜んで、応援する楽しみができて、密かな嬉しい気持ちが湧いてきました。彼は小学校のころから父親と一緒になって、コースにでてゴルフをプレーしていたそうで、ゴルフ三昧な生活をすれば、一般常識や礼節が疎かになると思ってしまうのですが、なかなかの真摯な態度が眩しいほど素敵な若者と受止められました。輝くほどの恵まれたゴルフの才能に合わせて、凛々しい自分に素直すぎるほど純心ですし、なかなかの芯をもっている根性の持ち主でもあり、親を尊敬する姿はまさしく模範的な現代っ子です。テレビカメラが執拗に取材をしているにも拘わらず、自身を過信に思うことなく、素朴に謙虚になって恐いほど素直でもって、真面目な態度はどこまでも好感が持てますし、試合終了後のインタビューが爽やかですし、ファンへのサービスも積極的に取り組む姿勢が素晴らしいのです。常に父親が指導者として帯同しているのですが、師として尊敬するとの闘いを稀有にもって勝負の世界に挑戦する親子鷹は、なかなかの根性の持ち主であると見て取り、文武両道を使い分ける青年は、どのように成長をしてきたのかが興味があるところです。天才と努力の積み重ねがあっても、スランプや悩みと言う魔物があるもので、これを乗り越えていく過程を理解して、一段と成長をさせてくれる身の回りに感謝をしている姿は、豪快な怪物ではなく、凛とした神童としか解釈ができないのです。スポーツ界のなかでは、子供のころから親子が一体になって修業して、プロとして成功を収めてきた各界のトップアスリートがいますが、父親が鑑で師である心情とは、どんなものなのか興味が湧いてきます。何処の家庭にも当たり前のように存在する親子ですが、何処で如何すると神童としてのスイッチが入るのでしょうか。遺伝的な要素が大きいのか、家庭の中の環境と躾がそうさせるのでしょうか、個々の家庭環境でも違うのですが、やはり子供のころからのコミュニケーションの濃さが、すべてに影響させるのだと信じたいです。言葉のキャッチボールをすることから、因り深く心の信頼関係が密になるのだと思いますが、きっと親子の格闘も潜んでいるのだと思いますし、多くの苦難を励みにして活躍をして欲しいものです。心と身体と技量の修練とは、やはり育む家庭の中で形成される愛情から、様々で豊かな人間味が醸造されることなのでしょう。石川遼くんの成功を念じ、プロもアマも沢山いる親子鷹の羽ばたきを、目と耳を研ぎ澄ませて見守れればと思うのです。
2008.04.28
コメント(2)
昨日の長野であった、北京オリンピックの聖火リレーで、80人のランナーが引継いでいく中で、オリンピックを賛成する中国擁護派と、中国惟謙派の小競り合いを興味深く観ることができました。これほどに平和を象徴する国際的な祭典の儀式に、二国間の民族闘争が各国でリレー式に伝染して、同じように社会問題化されたのは、最近には珍しい事態ではなかったでしょうか。民族的にも宗教的にも歴史的にも、国家と言う民の主張が、その国の民族によって繰広げられ、統治する中国政府の圧倒的な政治的管理によって、強引なごり押しの感が強い祭典を感じ取ることになりました。グローバルな世界がテレビと言うメディアを通して、世界中に同時に伝達させてしまうことと、それ以上にどんな小民族でも世界中に住んで活躍している様子が、どれほど地球を小さくさせていることかと実感をさせられました。このことは誰でも自由に国家間を行き来でき、自由な言動生活ができることが保証されている、自由社会の象徴を改めて知ることができたのです。祭典のシンボルである聖火は、過剰すぎる警備の警察官が護衛をして、長野市内を聖火ランナーが走破する姿が、誰の為に何のために行っているのかが疑問になって、市民と共になって共鳴し感動を引き起こすことができない飼い鳥や飼い犬猫の悲哀な心境を、強く反映しているのではないかと推察してしまいました。日本・チベット・中国と同じ東洋人の顔をした民族が集って、暴力行為をけしか合う必用が何処にあるのかが理解できなく、民族間の心情的な怒りを政治的に反映させた手法が、国家のエゴなのだと理解できました。これほどの大きな行事になれば、国家が介入しなければ実行できない仕組みがあるのでしょうが、将来を担い合う同世代の若者が、前面にでて暴動を起こさなければならない理由がわからないのです。ある種の政治的な扇動を嗾けられて、若い方々が義務的な行動をとっている姿が痛々しく、若者の主導する自由な対話が何故かできない不思議さを、悲しく受止めなければなりませんでした。平和な祭典オリンピックが、惨たらしい戦争に利用されたり、軍事に活用されたりした過去の経緯がありますし、時の権力者が政治に利用する事情もあるのでしょうが、国家の未来を担う若者に無謀を扇動させる卑怯さは許せるものではありません。国家の歴史を担う民族の若者が、若者の祭典を有効に生かせて、手を取りあえる思考と行動とを、世界の民族が温かく応援をすることができることを念じたいものです。自国の国旗を誇らしく振り回せる喜びを持てる国民の自覚は、純真な愛国心として微笑ましく感じる時代にしたいものですし、民族友好の真の祭典としての成功をしてもらいたいものです。
2008.04.27
コメント(0)
我が家の狭い庭に無理矢理に植えつけている、過密すぎる木々の若葉が揃い踏みして、新緑の濃淡と色素の違いが際立ってきて、観る目が飽きなく暫しの時間を楽しむことができています。勿論のこと百花繚乱の花も素敵なのですが、樹木によって違う若葉の色が交錯する奥深さは、晴れてよし曇ってよしの味わいがありますし、針葉樹と広葉樹とを良く見れば観るほど、一本一本の特徴をもって春本番の息吹きを見せ付けています。その中でも際立って若葉が綺麗に観得るのは、伽羅木の萌えがあるのですが、素直で純粋なその緑は好感が持てますし、萌芽の密度が奥豊かさを表現してくれています。広葉樹では柿の若葉が透き通る品のよさを見せつけてくれ、いまの時期が最高調なのですが、これから気温の上昇と共に害虫とか病害が出始めますと、とたんに薄黒く見る影もなくなってしまいます。ほぼ一年中庭木の手入れをしていますが、なんといっても今の季節が鑑賞するには最高ですし、気分爽快の心と目の保養にも最適の時期になています。すでに小さな害虫が動き出していますが、間もなくすべての樹木がアブラムシとかカイガラムシとかに汚染されてしまい、樹木もそうですが手入れをする立場の煩わしさと、虫による公害が甚だしく迷惑を蒙ります。角地にある我が家から、三方のお宅の180度の範囲の新緑も楽しむことができ、それぞれ好みによって植えつけた種類の樹木があって、贅沢な借景として目を楽しませてもらっています。植えつけ方や手入れの仕方がちがっていて、庭の雰囲気も個性があって、家屋と庭のバランスが四季によって変容する姿を拝見できるとは、ちょっとばかり贅沢なのかも知れません。我が家の生活レベルが汲々としている状況からすれば、この新緑の背景だけは贅沢すぎる時空が手にでき、窓から外を眺められる時間がほんのちょっぴりの至福環境なのです。ここのところの困窮を深めていた事態が和らぎ、精神的な安らぎの手当てが保証されてきたからでしょうか、いつもの事務的な忙しさから逃れて、無意味な眺めの時間を過ごしているのですが、こうした無駄な時間を過ごす意味合いも有益であるようです。自然と共に自然からの恵みを享受している自分を誇れることを、ただ自己満足に独り善がりをするのではなく、ここのところ世の中から学びを受けさせて貰った、生かさせてもらっている報恩を、社会還元を務めなければなりません。最終的にはすべてを、世のなかの為に納めさせてもらえる心構えは、今回の人生修業で一番に身につけることが出来た至宝なのですから、目にできている素晴らしい環境を通して、心安らいだ値を人様の為に提供させてもらいたいと思うのです。
2008.04.26
コメント(0)
夕方に二階の事務所で仕事をしていると、急にカレーライスの美味しそうな匂いが漂ってきて、急に食欲が湧いてきて仕方ないのですが、食品の匂いに敏感と言うことは、お腹の調子も復調してきた証拠になるのでしょうか。今日一日天候も穏やかになって、車での移動が随分楽しくなり、窓を開放して車内を流れる空気を、まともに味わいながらの走行は、なかなか気分爽快なものでした。町を通る際の特有の匂いは、懐かしい思いを呼び戻してくれるもので、遠距離ドライブになればなるほど、その様々な匂いの様相が変わってきて、時の流れと懐かしさが蘇ってきます。市の中心街では滅多に出来なくなった、焚き火とか野焼きは、天空高く立ち上る煙以上に、その煙から漂う特殊な匂いに、遥か昔の子供のころを一瞬にして呼び戻してくれます。郊外を走っていますと、人の存在をとても意識することが多く、都会の混雑する人と違った人間の存在感を強く意識させられます。慣れ親しんでしまっている光景からは、人の臭いや景色の臭いまでも無意識になってしまい、ましてや自然界からの臭いまでも、鈍感さが無意識にさせてしまい、敏感に感じ取れない現状があります。午前中は郊外に出かける用事があって、窓からは町の彼方此方にある草木の臭いが車の中に入り込んできて、大地の濃き息吹きを臭覚に取り入れることができました。濃縮された熱き大地からの臭いは、太陽の光線が高まれば高まるほど、土中からの存在感を示すがごとく、何処にいても大自然からの臭気を放ってくれます。一面草原化した野原の大地から、風で靡く成長した草丈が、移動する車の速さに合わせるように、その模様を七変化に演舞をして、優雅に目を和ませてくれました。無機質な都会の風景と違って、有機が一杯の土壌や草木からは、大自然界からのエネルギーを貰うことができ、はちきれんばかりの草木が自ら生み出すオゾンのお蔭で、身体中が新鮮に蘇生できた思いがします。疲れ気味の身体の隅々まで、新鮮なオゾンをたくさん吸収して、草木が靡く様を励みの後押しをしてくれる春の息吹きは最高なのです。精神的にも肉体的にも、大地が発する力強くも爽やかなエネルギーを、敏感に享受できる健康さを、いつもかわらぬ新鮮さの意識に反映させたいものです。窓を開け放つ機会が多くなるに従がって、天空からも大地からも、人間が織り成す様々な行為からも、沢山の臭いが漂って、臭気に敏感にならざるをえないようです。
2008.04.25
コメント(0)
神経性の胃腸炎なのかここ二三日ですが、トイレに駆け込む事態となってしまい、食事は摂れなくなってスタミナがない中、一日中忙しい思いをして駈けずり廻っていました。この一週間はブログを書けば支離滅裂な愚痴言葉が並び、いくら赤裸々な体験をコメントするにも、破天荒な言葉の連続では、まったく持って何を言いたいのかも解らないまま、ただの文字の羅列でした。一日中不安で集中力が散漫となって、ぼんやりとすごさねば成らない心情ですが、尚更精神的な不安が高まってしまい、先々の解決する懸案事項の重きさを憂いていたのです。時間を忘れ無我夢中になって、解決のための施策をあれこれ執ってきたのですが、所詮は本人がもつ処理能力が劣っていることに帰結してしまいます。孤軍奮闘が似合ってはいますが、余りにもその奮闘時間が長ければ、気弱な生身の人間も、好い加減になってしまい、自ら背負っている難儀を放り出してしまいたい心境になたりしていました。お腹の調子も漸く復調の兆しを見せた今朝に、早朝の電話がはいって、なにやら慶事に向けて一歩が歩みだしそうな気配の知らせが届きました。寝起きの頭では判断能力がなくて、暫しの時間を寝直ししてから、頭の中を整理するほどでした。始業時間からというもの、あちらこちらの関連した役所と取引先に電話と訪問を繰り返して、問題解決の糸口が見えてきた具体的な方策を提示できたのです。紆余曲折の時間が呆れるほど長く掛かりましたが、関係する皆さんのご尽力を頂き、何とかソフトランディングが成功しそうな気配です。今までの経緯を思えば、ここでぬか喜びとなる危険性もありますので、確りと褌を締めなおして、あらたな問題対峙をして、自らの責任を果たして、生きている役割を果たさせてもらう心算です。
2008.04.24
コメント(0)
ここ毎日が一進一退の繰り返しで、遅々として捗らない懸案があるのですが、お役所や金融機関を巻き込んでの調整ごとは、重い人生の修行の場となってきています。頭が混乱したり、気分が滅入ってしまったりしながらも、身体だけが元気で家族の愛情と支援を受けながら、粛々と頑張っていることができています。鈍感で思考能力が劣っているからこそ、その厳しい判断を果敢に受け入れることが出来ないのかと、気弱になった時など思ったりしているのですが、ここにきて何時も思うことは、こうして何とか生活が出来ていられるだけでも、世の中に感謝をしなければいけないのだと思います。生かされていることを恩義に思い、償いのできる意識をもって、前向きな一歩を歩んでいくならば、必ずや素晴らしい結果を結びつけてくれるのだと、大きな期待と念じをすることにしています。毎日悶々と孤独な悩みと闘っているのでなく、温かな世の中からの人磨きを学ばさせて貰っていることを認識して、真摯にありがたく評価をしなければなりません。ことある度に相談に乗っていただいている方や、多くの関係する人々からありがたいお言葉を掛けてくださる環境があって、ひたすら恐縮と感激をしているところです。世間からしても珍しいケースを味わっているようで、重なる難儀を経験するたびに、自身の心がまるくまるく磨かれていくのが実感させれてきました。明日にある会合で、最終的な善処が見られることを願っているのですが、願えば即叶う単純さの安易さは無いのですが、攻撃的な態度でもって無理を通すことも大人気なく、ひたすら生かしてくれる天命に委ねることが最善だと思います。最善を勝ち取る為の艱難辛苦を十二分に楽しめる、心の余裕をもちながら、人様からの福音を享受させてもらいます。いつもいつもですが、孤軍奮闘の謙虚な生き方が似合っているのですから、愚痴ることなくマイペースで艱難や辛苦に対峙をしていこうと思います。右や左があって、上や下があって、前や後ろがあって、増や源があって、この間を行ったり来たりの人生は、すべてが中庸という恩恵が幸福をもたらしてくれるのです。
2008.04.23
コメント(2)
今経験していることで、あれもこれも思いつくものが、滞ってしまう事態にさせたことは、すべて自己責任だと思っていますしそう思えます。日常の中で自身に起きる物事は、すべて因果の法則で成り立っているわけで、因があって果が結果される経緯をみると、すべてを相手の性にするのではなく、自己責任を強く心がけていたいものです。波風たたない湖面にたいして、大きな石でも小さな石でも意思をもって投じた責任をじっくりと身に感じ取っているのですが、生身の人間が毎日の生活の中で執り行う所業とは、思ってもいないところでの結果となるものです。お互いが寛容をもって許し合えること分かちあえること、此方が一方的に度量を持ったところで、あいての理解がなければ決して円満解決には結びつかないし、一石を投じる意味合いすらなくなってしまいます。湖面に痕跡を残している波動が、徐々に輪を広げていく様は、自身が置かれている現況の苦境を表わしているようですし、いつかは到達できる湖岸までの忍耐と苦難は、自身を成長させる糧になるように思うのです。ここのところ毎日同じような真情となって、似通ったコメントを書いていますが、自分自身の責任処理能力を試されているように、日替わりで様々な提案がされてきて、能力に欠ける頭の中が少々疲弊を起こしているように感じます。困難な事態を乗りきる手段を、一生懸命になって求める姿勢こそが有益なことで、その姿勢が凛としたものであれば、必ずやいろいろな恩恵が授かるものだと信じています。苦難を沢山味わって経験できる幸せごとは、苦難を乗り切る過程でじわじわと心の中に染み渡ってくるものです。ハードルを目の前にして夢中で解決させる尽力から、人様の理解と心温かな恩情が感じ取れ、感謝の念が強まってくれるものです。人様がすべてにキーマンとなって、固く結びついた糸の解き役の天使になってくれて、人を避難をする批判をする気配すら希薄になってくるものです。全てに接する人とは天使のごとくあり難く、益徳を醸し出してくれる至宝としたいもので、常に素直な心構えを必然としなければいけません。わが身を正すことの勇気を知った時に、一時で変容ができない複雑な仕組みに嫌気もでるのですが、公平平等に授かっている時間と言う大き強い味方を、上手く活用特化させていきたいものです。あすも会議を積み重ねる懸案があって、最終的な結果を待ち焦がれるのですが、一石を投じた波紋が必ずや時間という恵みをもって、思い遣る支援の力を授けてくれることを念じたいものです。多くの人々の心温かな慈愛をこれほど享受している幸福者は、自分ひとりだと勝手に思うのですが、ぜひぜひ多くの方も同じ境遇を、味合える環境と心がける必用があります。
2008.04.22
コメント(0)
纏め上げていく作業とは、自己主張ばかりが通る分けでなく、あるめん人様との協調性が必要ですが、なかなか一歩も二歩も譲りあうことが難しく、なおさら実行に移すことは心あらたな覚悟が必要となります。たった今しがた、会議から帰宅したのですが、自分の主張を認めて貰う為の努力と工夫をして、ある程度の自信をもって挑んでみたら、それ以上の素晴らしい企画を提案されて、感嘆をさせられてしまいました。自己満足を勝手に奢ることの無意味さを、嫌と言うほど体験させられて、ひたすら己の情けなさを恥じるばかりでした。いつも素直に謙虚でことに当たることを心得ている心算ですが、ときとして我欲が芽をだしてきて、自惚れの悪癖がでてしまうのです。相手を思い評価できることから、常に人さまから沢山の学びごとができるわけで、人様は全員恩師だと意識すれば、こころ素直になってすべてを受け入れることができます。会議のなかでの協調すると言うことは、すべてを相手の方の言うがままにする妥協ではなく、お互いの意思を尊重したうえでの納得を心得たいものです。今日の会議でも自己主張をはっきりとさせてから、皆さんの意見を拝聴し、ご意見の微妙な流れを汲み取る配慮を心がけました。無理なこだわりや、固唾な意識を無駄に持つのではなく、相手の方の意見を一生懸命に聞き入れる、心の余裕をもつことに心掛けました。会議だからと一言意見を言わなければいけないと、勝手で無駄な覚悟をしたところで、参加された方々の総意が優先するのですから、場の空気を読みきる心配りが肝心になります。一歩も二歩も退いてみて、一言、間をおける余裕を心得ているのですが、感情的な場に入ってしまうと、なかなか心を落着かせて聞き入ることや、伝達をすることができないものです。賢人善人を意識するのでなく、滅私を心がけているだけで、おのずと自分が置かれている身の場と、立ち位置の環境が整ってくるように思います。我侭で猪突猛進する行動の安易さは、ある程度の経験と時間が必用なことでしょうが、一歩の有意義さと一言の価値観を知るのは、人様からの眼差しや意見なのです。思う壺とは良く云ったものですが、常に自らの理念をもってすれば、大きく譲歩することができ、相手を寛容してしまう気構えを持つことで、一歩を譲って百歩を認めさせることもできるのです。取引をする結果が思う壺でなく、相手の人が納得して感服してしまうほどの、人の度量が最大の場の空気と成り、協調をえることを信じて生きたいものです。
2008.04.21
コメント(0)
家人が人から借りてきたビデオテープをテレビで観ていた部屋で、パソコンの復旧作業を進めていたのですが、夢中になっての修復をしながらも、時々耳にできる言葉を敏感に気にしていました。今朝の朝食時のことですが、ミルクコーヒーをカップ一杯分ひっくり返して、少しだけラップトップ型のパソコンにコーヒーが流れてしまい、結果的にイレギュラーの緊急画面となって、急遽裏蓋とバッテリーを外して、ティッシュで拭き取ったり工夫をしていました。ビデオ画面はNHK・BSで放送された、キルティングの展示会の模様であったのですが、大きなキルト作品になると何年間も時間が掛かるそうで、その苦労話がちらちらと耳に聴こえていました。すべてが手作業でこつこつと仕上げた結果が、布を重ねて縫い合わせて図柄を表現させていましたが、画面で観るだけでも、細かな表現を連続する布の切れ端できる、物凄い人の集中力を感じ取れました。出演をされていた方々が、興奮をされながら感動の評価をされているのを受けて、さぞかし実物から発せられる真の迫力は、強い威力があることだと推察をさせられました。製作者へのインタビューの中でご苦労は何ですかと聞かれて、「家族の理解と思い遣りですよ」、と殆どの方が同じ答えをしていましたが、同居の一番の協力者と言えど長い年月ともなれば、勝手な言い分もあるというもので、自分の身内の環境を思っても、心を響かせる素敵な言葉でした。二三日前にも経験したことは、夜の番組の中で、アメリカ人の旅館女将が出演していて、雪深い山形県銀山温泉の女将として、着物姿で立派に活躍をされている様子が放映されていました。言葉も文化も宗教も仕来たりもまったく違う国で、若い人でも真似ができない伝統の厳しさを乗越えて、子供を二人育てながら切り盛りしている生き方には、心からの感動を貰えて大きな拍手を贈ってしまいました。小学生になる長女が言った言葉が、「私達姉弟は日本人のお父さんとアメリカ人お母さんのハーフだけど、お母さんもハーフだよ、だって身体はアメリカ人で心は日本人だから」と告げられて、アメリカ人のお母さんが、素敵な笑顔と日本人の顔になって、穏やかに喜んでいました。その番組が終わってからの報道番組の中では、インドに亡命しているチベットのダライラマ14世が、渡航先のアメリカで行った説法の中で、「お互いの思い遣り(Compassion)が必用です」と、何回も言葉にしたCompassionの言葉を協調していたほどです。たまたまついでに観ていた無機質なテレビから、とっても心温まる言葉が耳に残って、厳しい仕事で毎日索漠としているなかでも、優しい思い遣りをもった心と言葉の言える人を意識せざるをえませんでした。辛く苦しい事柄があればあるほど、自分を信じ人を信じて強い信念をもって、寛容で思い遣りのある意識を高める意義を、テレビを通した人様から、あらためて学びとることができました。家庭でキルトを作成する人も、アメリカからやってきた旅館の女将も、亡命しているダライラマもただ同じ一人の人間であることなのですし、人の心を分かり合える、優しい心の持ち主である同じ人間なのですから・・・時間と共に普及したパソコンにも、故障の原因をしてしまった自分の愚かさを伝えて、謝りと感謝の思い遣りとしています。
2008.04.20
コメント(2)
荒天の合間に薄日がさすなか、暫しの散歩を愛犬とともに楽しんできましたが、行きつけの貝塚公園は一ヶ月の間で物凄い勢いで緑が濃くなっていて、冬の形相とまったく違って目を楽しませてくれました。午後からは既に開幕されている、ロータリー野球の第二戦が予定されていたのですが、昨日からの大雨が影響して順延となったために、お昼に御墓参りを家人と一緒に済ませてから、久し振りで遠出の散歩をしてみたのです。5月に5歳になる愛犬が、ここに来て急に臆病になって、無邪気な活発さが蔭を潜めてしまい、すっかり内弁慶になってしまっていたのですが、中学生か高校生の虐めが原因らしいことが判明しました。クラブ活動から家路に向かう集団と何組か遭遇した折に、尻尾を下げて不安な様相でうろたえ出した様子は、今までにない表情ですので、おそらくどこかで虐めを経験させられたのだと思います。怯えた挙句には、中型犬の愛犬が抱っこをせがんできて、初老人が犬を抱っこして歩く姿は、通りすがる人々が大いに注目してくれて、おそらく、今夜の家庭の話題の種を提供してしまったようです。言葉は発しませんが、犬から伝達される情報は、その顔の表情と目の力が大きくあって、言葉以上の表現を伝えてくれますし、付き合う時間と共にその範囲と深さが増してきているようです。人を見分ける能力も増していて、大事に扱ってくれる人と嫌いな人の見境は、それこそ動物的勘を遺憾なく発揮させて、驚くほどの判断力をもっているようです。公園とかすれ違いざまに良く、触らせてくださいと願われることがあって、子供さんや愛犬家にはリップサービスをしているのですが、犬を飼えない事情の人々にこそ、飼っている人の役目があるように思います。共存共栄の思い遣りを、地元の皆さんと分かち合う生活を目指す毎日ですが、ご近所のお付き合いが垣根の高さに比例して、こころの通う交流が途絶えてしまっている現実は、言葉が通じ合えるだけ寂しいことです。愛犬との散歩ですれ違ったりする人には、出来るだけ挨拶をするように心がけているのですが、一言掛ける挨拶からは笑顔と温かな心愛が感じ取れて、人の友愛が心をウキウキとさせてくれます。特に年配の方は会話の機会が限られているのか、喋り始めたら止まらないほどの、会話に飢えてしまっている様子で、立ち話から長時間の話が続くことさえもあり、微笑ましくさせる心掛けは強くもっています。人も犬もお互いに情報の交流をすることで、内面的な豊かさを深めることとなり、情緒豊かさを大いに磨けることとなれるのです。人を大切に出来ること、動物を大切に扱えることからは、お互いがこの住む世の中を朗く健全なものにさせることができる、そんな大切な役目を重くうけとめることを、再認識させたいものです。朗い声が飛びかう街を期待して、少しでもお役に立てる愛犬家になれることを夢にして、ともども念じながら疲労気味の重き足を労わっています。
2008.04.19
コメント(0)
思っていたことが上手く捗らなかったり、高い評価をしていた人が期待ほどの働きをしなかったりして、この世の中の仕組みが様々な結末を表現している現実とは、何回となく同じ味わいをしている。経験をすればするほどに、反面教師になれるのですが、全く思い通りには進捗ができないことが、時を追って走馬灯のように巡ってくるのです。毎日のように交渉事がある中で、ある程度は経験上から判断できて、そんなに差異がない結果となるのですが、時には経験だけでは判断ができないほどの、予想外な結果があったりして、精神的な不安が高まったり、心の心配も大きく募ってきたりします。人様も持っている責任範囲のことは、確りと能力を発揮してくれるであろうと、当然の期待をもって接しているのだが、以外や以外なほど、任されている責任の重き期待感を、少しも認識していなくて、自己満足的な狭い範囲でのみ、事が済めば良いとする方がいる現状が、ただ驚きと呆気に摂られてしまいます。人とは与えられる立場や役職で、成長変容することができると言われておりますが、役職に溺れてしまう方もいることも事実で、関係する立場でもって応援を心掛けていても、当の本人が親身に役職の重さと責任の大きさを弁えなければ、悲しい結末を味わうだけの残念な事態となります。身の回りには、身の丈以上の名誉的な職責名に憧れて、執拗なまでに職名にかじりつきたい人が居て、その立場になるだけで満足したり、役職を公言したり過大に見せびらかしてしまう方がいます。性格を判断した結果として、こうした事態を何年か前にも直接面と向かって、アドバイスを伝えたことがあって、本人も理解を示してくれたと安堵をしていたのでが、役職を果たす期限がせまったこの時期になっても、役職名に相応しい責任を果たしていないのです。周りが心配しても、責任希薄な本人が危機感を自覚しないのですから、これ以上どのように対処をすれば良いのかを心配してしまいます。この無責任な方が役職的には責任者のなると、今後の運営が危惧されてくるのですが、せめても、役職が人を進化させる現実となってくれることを、真に期待しながら念じているところです。世の中面白いもので、無責任な人と似たような評価をされていた方が、以外にも役職を経験するほどに、大きく成長されて、いろいろと自ら問題提起をされるほどに、自己意識を高めることが出来たのでした。今まではちょっとばかり距離を置かざる人であったのですが、これからは良きパートナーになって貰える期待感が強くあって、高い意識を共有できている仲間として受け入れています。思うように行かないのが世の中の常、人に試されている自分を意識しながら、バランスよく陰徳を積み増しできることを、人の振りをみながら我が身を学び取ることと、良縁に結びつけていこうと思う。
2008.04.18
コメント(0)
急に思いついてしまうと、目先のことをほっといて、夢中で気づいた思いをやり遂げなかれば気がすまない性質で、悪癖な性格をかえる術がないのが情けなくあきれ返っています。早朝から朝食もたべないまま、事務所に閉じ篭って隅隅にある引き出しを全部ひっくり返して、不要な書類等の整理の作業を始めてしまった。数年前も同じような衝動性をもって、整理作業をした覚えがあって、その後の暫くの間は気を遣って綺麗に整えることにさせて、書類が綺麗に整理整頓されているのですが、時間の経過と共に自然と振り分けが雑になって、資料が分からないほど雑多な有様になってしまう。きちっと目的別に棚と引き出しの設備が有るのだから、そのまま利用すればなんのトラブルも発生しないのですが、人間が鷹揚に出来ていますと、いい加減さと言うか適当さと言うのか、粗雑さが大いに発揮されてしまう日常だ。つい先日は保険関係の書類を全部整理し終わって、その衝動の波動が尾を引いていたようで、今日早朝からの作業に結びついたのかも知れない。このたびの二回に分けて整理をしてみた結果は、普段如何に不要な書類の山の中にいるかが納得でき、必要でないゴミ類を捨てきれなく、重ねて日々ゴミの山にさせていることを思い知る事ができた。先日が大きなダンボール二箱分を処分させて、今回は大きなゴミ袋を三つ使うこととなって、その重量といったら大人の体重と匹敵するくらいであった。究極的な合理的さを求めていくならば、必要最低限のものがあれば済むことなのですが、事務所にも住まいにも、どれほどの無駄で余計な物が溢れかえっているのかが、存分に思い知らされた。毎日のように届く郵便物を始め、いろいろな資料の作成とか、ダイレクトメールとかが、自然と時間が経つほどに溜まってしまうが、複雑すぎる現代の社会情勢を再認識させられてしまう。究極的な効率を追求するのであれば、身体一つが最高にシンプルで、ホテルのような生活を求めれば、常に身軽に生活ができていくのだろう。しかし、人間の生き様とは面白いもので、煩雑に汚れまくっている我が家に愛着がもてて、ぶっきらぼうな家族との遣り取りがあって、安心できて憩える空間となる気がする。煌びやかな環境を追い求めること事態が、多様性をもって社会構成が成り立っている人間社会では、困難なほどの無意味な時間となる気がしてしまう。血の通った温かさとは、清濁を受け入れるだけの度量が必要なのかも知れなく、自戒反省の求めに応えられる、臨機応変の心変わりができる、柔軟な豊かさを証明できる気がする。また何年か経ってみれば、きっと不用品の山が見事に出来上がっているだろうから、その時に片付けする気力があれば、まだまだ見捨てた人生ではないことになるのだろうか。それであるからこそ、今までもこれからも同じような体験を、微笑ましくも夢中で味わう宿命になっている気がしてしまう。
2008.04.17
コメント(0)
会合があるとなるべく一番前に座ってしまう習性があって、その気構えとは裏腹な自己能力の悪さが際立ってしまうことを、いつもいつも再認識してしまいます。様々な講習会や、会議や集会では、最前列席はほぼ確率的には高い空席率があって、開始時間ぎりぎりになっても空いていることが多く、結果的には特等席に座って聴くことができます。今日あった損保保険会社の講習会でも、珍しく早めの10分前に到着しましたら、予想通りに空席となった席に座ることができ、パワーポイントを活用したウエッブサービスの学びをしてきました。民間もお役所もどこでも、インターネット上で情報伝達が、当たり前に交流がされて、契約事項もお金の決済も、時を選ばず便利に利用できる環境が整ってきました。これからの時代は益々、全てが電子通信契約に移行されることでしょうが、完全にペーパーレスできるのかと、一心に信じていましたら、とんでもない誤解を認識であることを知らされました。代理店と本社の間では、契約決済はウエッブ上でできても、支店担当と保険契約者には、改めて書類を作成して届ける必要があって、結果的には損害保険会社のペーパレスを目的とした帰来が強く感じ取れてしまいました。確かに形式的に時の時代の流れに乗って、全てを電子通信に変容させまうことをお題目で訴えれば、皆さんが十分に納得をしてしまう、時代性の土壌があるのですから当然な理なのです。損害保険の会社としては、保険契約者との事務手続きを、一切代理店に一任している現状があるわけですから、代理店とのコミュニケーションを密にして、現場である代理店が最も利便性を高められる環境を構築させるべきなのです。講習会の講師は研修担当の社員であって、インターネット取引を啓蒙するだけなので、この辺の事情を相談できる窓口が、結構タイトな業界なのかもしれません。お役所の怠慢と傲慢さが市民へのサービス不在として、何時の時代も社会問題視されていますが、大企業の窓口になっての商売とは、子会社と孫会社の主従関係を髣髴とさせてくれて、ただただ純心に従がっていくだけなのです。随分親切にネット研修を企画して、指導をしてくれたことへの感謝は、確りと御伝えすることができたのですが、いつまでも一方的な提供を受けるだけでは、なにか物足りない自分が居るのに気付いたのでした。気概をもって最前列の席に座ってまでして、少々批判的な意識が芽生えてしまい、自分は傲慢で我侭なのかが良く理解できなくなったのですが、講師役の社員には丁寧に御礼を伝えて、好みの最前列席からゆっくりと立ったのです。
2008.04.16
コメント(0)
昨日とは打って変わった初夏の汗ばむほどの陽気になって、JR車内では、太陽を背にすると上着が要らないくらいの、穏やかな最高の一日となりました。颯爽とJR中央駅から多くの人ごみをかき分けて、約束の場所を目指して闊歩していましたら、前から来るマスク姿の目線が迫ってきて、急に立ち止まって目礼をしてくれるのですが、大きな流行マスクではお顔が認識できなく、怪訝なまま頭を一緒に下げてみました。相手の方がマスクを外しながら、すいません、すいませんの連発の声で、漸く取引先の銀行の担当者であることが理解されて、縋るように、請い願い続けている自分以上に、すいませんたった今しがた事務所に電話を掛けたところですと、平身低頭で初めての握手を求められてしまい、お互いが向き合ったままの握手姿で、暫し丁重な挨拶を受けることになりました。JR駅から独り言のように呟きながら、世の中が絶対に見守ってくれると、見捨てることはしていないからと、やけに大上段な気合を入れていたところに、目指す方が真正面から頭を下げながら握手をしてくれたのですから、時の巡り会わせとは、計り知れない剛毅な偶然性を齎してくれるものを、体験させてもらいました。長い年月の間課せられた宿題が、何とか上手く解決してくれることを念じ、不思議な出会いから分かれながら、約束の明日の連絡を楽しみに出来たことを、ニコニコと心底喜んでいるところです。そのまま帰路に乗ったJRは、発車時刻まで暫しの間ゆったりと空いた座席に座って、何気なく真正面に座った母子の挙動を目線で追っていましたら、3・4歳の元気な男の子は大きな唸り声を出して、母親と対面して忙しそうに遊んでいて、立ったり座ったりの動作を繰り返していました。時々椅子の上に横向きと成った子供さんの目が、一心にお母さんの眼を見つめている姿は、ただならぬ気迫を感じられ、引き続いて親子の手話が始ったときの大きな衝撃は、ハット我を取り戻してくれるのでした。聾唖の障害をもったお子さんとは気付かないほど、元気な声で遊んでいましたので、先ずはお気の毒な一生を憂いてしまったのですが、立派な体格で元気な唸り声を発し、母親との手話を器用に使っての会話を観ながら、心底からの応援を伝達させてもらいました。外見からでは見て取れない親子の苦悩は、深い愛情をもって障害を乗越えていく元気さに、活き活きとした二人の眼から感動も覚えさせられました。偶然見合ってしまった銀行員の眼と、聾唖者である少年母子の眼が、今も目に焼きついているのですが、何時何処でも誰からも、観られている自分の眼を意識して、常に精彩があって何かを感じ取って貰えることを心掛け、今も目をまん丸にしているところです。
2008.04.15
コメント(2)
生業の一つである損害保険代理店の資料が溜まりに溜まって、机に上から会議机の上から、椅子の上とか様々な空き場所に堆く積まれたままの、自動車保険関係の資料が見っとも無くなって、ついに一日がかりの作業を取り掛かってみました。今年に入ってからの資料ですので、安易に考えていましたら、とんでもないことに、仕分けが付かないくらいに、積み重なっていて、自分でも何で早く遣らなかったのかと、自身の悪癖にあきれ返っているところです。暖かな天候に誘われて、漸く愚図な虫が目を覚ませて、会議机の山積みから取り掛かってみたのですが、作業をすればするほど、整理した分類が判らなくなってしまい、同じ繰り返しの分類を何箇所も作り上げてみたり、取捨選択の捗りができないこと、この上ない子供じみたことでした。それにしてもこの四月か販売された、自動車保険新商品移行に入るが為の準備が、早々年初からされてきたのですが、保険会社からの資料の山を整理しながら思うことは、これまでに、どれほどの時間と手間と費用が費やされてきのでしょうか。あくまでもお客様にとっての理解しやすく、安心をして加入できる充実度の高い、保険商品を目座してのことは承知できるのですが、商品開発から社内のコンセンサスと、全国の支店に向けての研修等が重なって、末端の代理店までの周知徹底は、大変な難作業であったことと、親会社の内部事情を思慮してしまったのです。様々な保険契約内容は、保険の代理店を生業にしていても、細部まで十二分に契約事項を理解していなく、保険商品が余りにも数多くあることも加えて、法的にもキメ細かすぎる決まりごとが、あまりにも厄介な判断力を求められます。保険プロとしての自覚と専門家への到達感が、頭を掻きかき不満に思うのですが、人様にむけて安心して貰える、信用と誠実さをもって、保険商品を提供していきたいものと念じています。それにしても百科事典が何冊も並べることができるほどの、契約書類とパンフレット類、更にはマニュワルとかが沢山の種類並べられて、新商品を扱う前段の資料は、恐ろしいほどの量を作成したものです。社会的に資源保護とか環境保全問題とか、リサイクルを奨励されている身としても、資料の入れ替えで発生したゴミ書類を、どのように処理をすれば最善なのかも悩んでしまう。保険会社から送付された膨大な資料の中には、相当数の余分な案内書があったりして、今回の商品入れ替えでは、全国的にもどれ程の無駄な資源消費と、労力が費やされてしまったのでしょうか。経済的な利得の為に予算内という名目をもって、あまりにも無駄でもったいない行為を、商人だから甘えてしまって良いのかを、ぶつぶつ愚痴を言いながら、一日目の作業の手を休めてきました。商売だけを優先すれば、なにも我がままにできるのでしょうが、世の中があってのこそですし、誠実さをモットーとすれば、営利だけに目を奪われては成らないと反省をしています。
2008.04.14
コメント(2)
何事も簡単に考えて、無駄な労力なく解決する方策があっても、あえて物事に対して斜に向いてしまい、無駄であっても時間を掛けてまで徒労して、夢中で解決に向かって努力する意固地な性格があります。昨年の秋に執り行われた、所属するロータリークラブの地区大会の記録誌を作成する時期になって、以前より講演資料テープの整理をしていたものが、文章として印刷物され出来上がってきました。担当する編集仲間達と一緒になって準備がされてきたのですが、二日間開催された会議の内容を専門化に依頼して、テープ起こしされたものが、漸く印字の形で作成されてきました。二日間に亘って行われた講演内容が、文章化されたものを校正して、出来るだけ正確な記録を残そうと、その文章のチェックを始めてみたのですが、人様が話された言葉を文字化する困難さを、今正に体験しているところです。幸いにも当時のDVDが残されていますので、ほぼすべてに亘って校正が進み、校正作業が捗ることができたのですが、3箇所だけですが、どうしても意味が汲めなく、文字化できない文章が残ってしまいました。日曜日の時間を有効に活用させて、出来るだけ作業を進めたいと、一生懸命に気合を入れて見たのですが、この不明な言葉を解明できない苛立ちが残ってしまいました。テープ起こしをされた専門家の方も、好い加減努力をされたのでしょうが、どうしても適当な文章が見付らなくて、カタカナ表示をされたままで印刷されたのでした。これを解決させるための一番の方策は、講演をされた方に直接お訊きすることが最善なことは、充分に理解しているのですが、できるだけ文章の前後の意味合いを汲み取って、辞典とウエッブを駆使してみてから、ギブアップをしてみたいと思って、随分無駄な時間を浪費しながら苦悶しています。これは自分の悪癖なのだと充分に理解をしているのですが、結構意固地な自分の性格を呆れながらも、誇りにさせている喜びを味わっているところがあります。何度も印刷物を読んでも、DVDを何度も繰り返して観たところで、最適な文句が見付らない無駄な時間が過ぎて、徐々に疲労困憊な真情となってしまい、徐々にながらも講演された方に、PDFファイルを送信して、メールにおいてご指導願う結論に気心が変化しています。丸一日掛けてたった三つの語句の文章化に、まったく無駄な時間を費やしてしまいましたが、悪癖家としては無駄を承知で行ったのですから、反省もできない愚図さの愚かさを改めて自戒をしてしまったのでした。良い意味での執着心と、自己責任意欲の尊さを、せめて若さの印として、せいぜい反省をしながらも意固地に護っていこうと自認を改めているところです。
2008.04.13
コメント(0)
物凄いエネルギーで心地よい響きを持ったざわつきが、左右から耳に聞こえてくるのですが、一端途絶えた時の静寂さは、何か物足りない様相があって、この喧騒と静寂を楽しんでいる自分に気付いています。角地にある我が家には、同じ敷地にある事務所の両端に、民間の保育園と子供相手の駄菓子屋さんがあります。保育園は早朝から親御さんが子供を預けにきて、幼少のお子さんの甲高い鳴き声と、時間によってお歌の声が集団の声として聴こえますし、反対の駄菓子やさんには、学校が終わった午後から夕刻に掛けて、大勢の子供と高校生が時間によって屯しています。保育園の声も聴こえることは好いのですが、丁度車庫の出入り口に面している関係で、車の出入りが不都合な場合が多くあり、可愛い子供を送迎する親御さんには、タイミングの悪い時には、気分を害すこともあります。若い親御さんの遠慮会釈無い人が多くいて、我が物顔に路上駐車をさせて、人に迷惑を掛けている認識が全く感じさせない人が多いのです。経営する方がこの辺の事情を汲んでもらえれば、一言説明をしてくれることで、お互いが理解しあえるのですが、未だにこうした配慮に欠ける経営の責任者にも、善意を譲っても多少の不満を持っています。送迎の時間帯は他の方の車の通行料も多くなって、狭い住宅地の路上駐車は近所迷惑なのですし、子供の送迎車が沢山来るために、危険度も多くなっているのですから、経営責任者の方が、現状を見ていないことから、こうした目に見えないトラブルが感じられるのです。一方の駄菓子屋さんは、店のまえの道路一面に子供達が広がって、様々な遊びをしているのですが、意外なことに夕刻近くから高校生が屯して、小学生のように無邪気になって遊んでいる光景は平和を感じますが、それ以上にいろいろな事を感じ取らせてくれます。この駄菓子屋さんは、老夫婦が気侭に仕事をしている為に、曜日と時間が様々な営業時間になっていて、小学生の楽しめる店としては、お店が閉まっている時のリアクションが実に面白いです。三方からの路地があるのですが、あちらこちらから参集してくる声があって、開店時と弊店時の歓声が全く相反する表現をしてくれる様は、聴いている身とすると実に愉快になってきます。子供は国家国民の大きく大切な宝物ですから、こちらの度量を大きくさせて、こうしたトラブルの全てを許し合うことで、子供らしい遊びを満喫させることができるのですから、大人の我慢も当然必要なことです。こうして世の中の一員として、少なからずの社会貢献をさせてもらえるのも、子供の頃に当時の大人に護ってもらってきた事を、大きな教訓にしているからこそで、この恩返しを忘れてはいけないと思います。身の周りの環境は、時代によって様々に変容していきますが、先ずは子供達が健康に平和で夢中に遊べる場を提供したり、護ってあげることが、大切な役割だと再認識しているところです。
2008.04.12
コメント(0)
長い間韓国の知り合いと交流が続けられているのですが、皆さんが先輩にあたる方ばかりで、知り合いの何人かは既にお亡くなりになっています。一番お世話になって、親身になってお世話を頂いた李さんは、5年ほど前にお亡くなりになって、訪韓するたびに御墓参りをしたいと思っているのですが、郊外に墓苑がある為に、日程が合わなくて、いまだに御墓参りができていません。韓国の人間性と言いますか、国民性は気性が激しくて、自己主張が強く人前でも堂々と持論を述べて、慣れていないときには、何事が起きたのかと驚きをしても、一向に遠慮なく口論と言うか激論を交わしてくれるのです。ホテルのロビーでも、食堂でもバスの中でも、お構い無しの激論が済むまでは、どちらに付いていいのか、何をすれば良いのか、何の判断も出来なくて、ただただ呆気に摂られているのです。数年前のこと、滞在しているホテルのコーヒーショップで、韓国の知人達とお茶をしていたら、急に隣のテーブルにいた中年カップルが騒ぎ出して、時間と共にヒートアップして、隣に座っていられなくなりましたが、韓国の知人は一向に気にしなくて、平然とコーヒーをすすっているのです。そんな気性をもったお国柄の知人も個性があって、李さんはボス的なタイプで、仲間達を率先して人望が厚く、少し年齢が上の先輩池さんは、政治家タイプの権力を上手く活用させた、親分タイプの人、李さんより少しだけ後輩の朴さんは、実に温厚で何処に居るのか分からないほど静かなのです。李さんは亡くなって、池さんは高齢から来る余病があって、前の勢いがまったく無くなりましたが、意固地な我侭は変りません。一番若い朴さんは、そんな先輩達の元気なさを見抜いてか、最近になって責任感が富に強くなって、こまめに電話をくれたり、相変わらずの気配りを発揮させてくれます。そんな朴さんの功績に感謝の意を表そうと、我が仲間達が鳩首して相談をした結果、感謝状を贈呈することになって、本人には内緒で準備を始めたところです。お酒は飲まなくてタバコが大好きで、趣味ではカラオケを歌って楽しんでいる様子ですので、機会を見つけて訪韓して、カラオケ屋さんで思い切り好きな演歌を楽しんで貰いたく、内緒の企画は粛々と進められていきます。いまでこそ国家は豊かで反日感情も無くなり、自由に街を歩き回って、カラオケを歌うことができますが、過去には戒厳令が敷かれていて、午前0時になると外出が出来なく、国全体がまだ発展途上の貧しさが垣間見られました。高速道路が無いころの韓国が今になっては実に懐かしく、素朴な人柄も一段と深い人情が感じられて、国家の政策と民間の心情に大きな差があったことが、昨日のように思い出されてきます。同じ国に居るくらいの交通の便と近距離感があって、直ぐにでも飛んで行けるのですが、今年に入ってまだ知人も来日していませんし、此方も訪韓できないままの状態です。近いうちに朴さんを招聘するか、こちらが訪問するか決まっていませんが、サプライズの感謝状を贈呈した時の、朴さんの驚きの顔を楽しみにしているところです。李さん池さん朴さんの高齢な方とは違った、同じ年代の友人と後輩たちも沢山交流があるのですが、何故か敬老精神が発揮されて、若い方々とは距離感を置いてしまっていることを、反省をしながら、いろいろな方のお顔を思い浮かべています。日韓の親善と友愛を深めて、新しい時代の交流を進めるためにも、どしどし喧々囂々の意見交換を望むところなのですが、ハングルができないもどかしさがあって、結局日本語が達者な朴さんにすがってしまうのです。
2008.04.11
コメント(0)
思ったことがビシバシと、捗ったり現実になってくれたら、どんなにか気持ちが爽やかに、気分良く過ごすことができるのだろうかと、いつも勝手なことを羨望している自分があります。いつかは最終結果が出るのでしょうけれども、懇願している事項が希望しているようには捗りができなくて、このまま失墜するのかと心配をする事態になってきました。時間ばかりが空回りをしている事態となっていますが、相談相手から一向に進捗がされなくて、こういった状況が長くなりますと、普段から間抜けで元気だけが取り得であっても、さすがに気が沈みがちになります。人生の仲で経験していることは、すべてに起承転結の摂理に則っているわけで、この世で体験できているすべてが、自らの宿命の中で決まっていることだと納得はできるのですが、人の持つ欲とは悲しい性があります。上手く流れる時、つまずく時、へこむ時があったところで、艱難を乗り切ればことが済むわけで、目の前に与えられている難儀なことに、耐えるだけの現実を、ただただ受け入れることが、たった一つのこたえになります。誰しもが何らかの夢があって、希望をもって精神状態を上手くコントロールをさせて発揚させ、日々の生活をより豊かにする工夫をしています。人様々の生き方の中で、時の差があるだけの喜怒哀楽のできごと、裏を返せばだれでも同じ環境をもって、誰しもが順番に境遇を味わうこととなるだと達観をしています。成るようになる世の中でも、成るようにならない世の中でも、その人が持っている器量が定まっているとすれば、やること、できることを尽くせば、あとは時の裁量に身を任せるだけの運天を待つだけなのです。余計な欲をかくから判断が狂うのであって、最善を尽くした後の時流が正しいのであることを、自ら戒めながら自然法爾したいものです。上手くいかないときほど愚痴が出てしまいますが、生きていくことには何の変わりも無いことで、一時のつまずきが有ったとして、自分自身であることはなんら変化がないとして、強きの心掛けをしてしまいます。今までも、これからも、変らぬ持論は誠心誠意でもって、真心を持った誠実な対処をすることしか、自分の能力があえりませんので、確りと自覚をして生きたいのです。最後の結末を知っているのは神仏しかいないのですから、艱難汝を玉とする、言葉そのままの剛毅な身構えも必用かもしれません。不撓不屈な精神は、啖呵をきれる強さでなく、無我となれる気概を芯に持てる人が、真の強いのだと思います。天上天下唯我独尊、上善水の如し、大開き直りでどこまでも懐深く大きな器量をもって、我が身を磨き上げてくれる天空なのでしょうか、根強く最後まで踏ん張って生くだけです。
2008.04.10
コメント(0)
本屋を眺めるのは大好きですが、難しい文芸本のコーナーから外れた、経営関係の書籍や随筆等に興味が引かれて、よく立ち読みを好んでいます。何処の本屋さんでも店頭に今週のベストセラーとして、人気あるのか売り上げがあるのか売ろうが為なのか、お客の目に付くディスプレーを掲げて、上手く宣伝効果を発揮させています。学生の頃から純文学の本は苦手で、ビジネス関係の本とか随筆は好んで買い求めていましたし、気に入った作家の本がシリーズ化していると、先先に予約を入れていたほどです。青春のかじり始めのころは、男女間の艶っぽい文章表現に巡り合って、若い身体の精悍さを嫌と言うほど真に受けることができましたし、一時そうした関係の専門書を捜し求めていた思い出が蘇ってきます。人の生活ぶりに憧れしやすいのでしょうか、親炙した方に直ぐ洗脳させられてしまい、もろもろの感化を受けることが間々あって、若い心の中に迎合しやすい芽生えがあったようです。昨日も用事で出掛けた帰路に、JRの駅中にある本屋さんで2時間もの間、書籍めぐりの散歩をしてしまいましたが、殆どが立ち読みにもならないで、書店内を放浪の歩きをしていました。何年か前から書籍離れとか、活字離れとかのネーミングをつけて、特に若い人があまり本を買い求めない風潮を揶揄していますが、言われるほどに若い人の数は少なくないように見えます。最近の世の中では、インターネットのウエッブサイトで、様々なところからの情報が公開されていますし、ブログや日記も読みきれない数が検索できます。これの加えて、ハウツウもののメールマガジンが、数多く毎日発行されていますので、印刷はされていない文章が、秒単位で乱発されている現状があります。興味と時間があれば、限りない数の活字の画面を読むことが出来ますし、利用の仕方では印刷された書籍以上の利得を得ることができますので、もし書籍離れがあったとしても、パソコンの画面を通して様々な活字を目にしているように判断できます。書籍とウエッブ上の文章の違いは、文章と文章の間にある行間から、読者の読解力で読み取ることができる、著者からの様々な思いを巡らすことが、書籍の素晴らしい魅力なのだと思います。事務所には仕事を初めとして、印刷された様々な資料が積み重ねられて、追いかけるように毎日配達されてくる出版物も増えるばかりなのですが、読まなければならない印刷物と、新たに読んでみたい出版物とが次々に重なってきて、正しく活字の洪水状態になっています。加えて暇な時間が出来ると、日記を書いたりミクシィを覗いてコメントしたりする時間もあって、活字を読み書きする作業は、今もそうですが今後ますます増えるばかりに思います。ノンビリと活字を楽しみながら、転寝を出来るような一時が出来るように期待をしているのですが、今しばらくは、日ごとに増していく出版物の山を見ているだけの、世知辛い時間をおくるだけに思えてなりません。
2008.04.09
コメント(0)
自分が進化しているのかと思うことが、最近になってと言うよりは、ここ一年間の時間経過の中で、徐々ながら、大きく変容している自分に気付かされています。去年の初めからお手伝いすることになった事務所のオーナーから、大きな学びを受けることができ、それまで斜に観ていた一面があるのですが、時間の経過と共に真正面から対峙している自分を発見することができました。自分の意識が変るほどの大きな出来ごとと、別段に特別のことはなかったのですが、人を親炙できることの意味合いを、これほどに強く感じていることは、おそらく今までの人生で初めてのことだと思います。この年齢でもって人を親炙できる心変わりがあるのかと、自分の精神年齢の若さと、柔軟な心の若さを評価して、思いがけない喜びを感じてもいるところです。厳しい仕事の面ですと、いろいろな方々の高い志向を感化願おうとして、本を読んだり講演会に参加して学んだりしていても、なかなか上手く身に付けられない苛立ちがあります。積極的で果敢に挑むビジネスでは、時を忘れて夢中になれますし、常に真剣勝負の息が抜けない状況に、尊敬できる経営者と巡り合える機会はあっても、私淑できるほどの方とは、なかなかの機会とご縁が無ければ、やたら出会えないものなのです。ビジネスの場合は、数字だけの限定でお付き合いをする、一種変哲な人様の評価があって、お付き合いする人の範囲が、非常に狭く限定されてしまいますので、心許せる器量を持つと言うことはありません。今回親炙させて頂いたオーナーとの巡り合いにしても、何よりもご縁を強く感じとることができますし、朱が赤く染まるがごとく心変わりをするほどに、時間の経過をするほどに深い信頼関係に結びつくことができました。オーナーとの初めての出会いの時は、特に強いインパクトがなかったのですが、波長が合うと言って良いのか、根に持つ価値観が、同じであったように思い返します。人の生きる路線は違っていても、終局的な方向が同じであることが、その人との出会いの宿命となっているのでしょうか。今の生活環境が整ったと時にこそ、ご縁を頂いた方々の為にも、確りと時間を掛けながら、進化できる意識の醸造を期待できるのです。心と意識のギアチェンジが人それぞれに備わっていて、その気付きをギアの入れ替えで実行できる時こそが、同じ波長のご縁となり、同じギアのシフトが噛み合っていくのだろうと思います。噛み合ったシフトを上手く意識し合って、ご縁ができたオーナーと共に、一段一段ステップアップできることを心掛けながら、ギアの確認作業をしていけたらと、剛毅な願いを持っているところです。
2008.04.08
コメント(0)
体調が良く気分が乗っている時にする仕事は、須らく予定以上の効果を生み出して、時間を忘れて集中できるのですが、えてして、効果が発揮できる場合が極端に少ないものです。昨夜は特別に意識はしていなかったのですが、夕食後からやたらに仕事の意欲が高まって、一人事務所で深夜まで、事務仕事を没頭することができました。朝から庭仕事に精を出して、肉体的には疲れきっていたのですが、気が昂ぶっていたのでしょうか、睡魔を感じない、爽やかな精神環境を持つことができたのです。週明けで、何かと遣らねばならないことが、大きく重なっていますので、気合を入れて朝からヤル気のエンジンを調整してみたのですが、少々深夜までの徹夜が影響してか、多少の空回りが感じ取れました。自分なりのペースでもって予定をたてて、少しでもペースアップを図っていたところ、昨日から連絡をしているクライアントさんが、どうしたことか全く音信不通となってしまい、今日中に連絡が取れなければならない状況に、少々慌てる苛立ちが募ってきました。思うように行かないストレスから、精神不安定に陥ってしまい、午後からの予定までが、空回り状態になってしまったのです。遣るべき仕事や予定は、一つ一つ確りとこなしていける事ですが、気が苛立つと、全てが思うように捗らなくなって、一層ストレスが高まっていくのです。気分転換に尋ねた地元の信金で、支店長の人事交代を告げられて、窓口の担当者と今後の仕事の見通しと、資金収支の相談をさせていただく中で、赴任してくる支店長への、申し送り方を懇請することができました。前任支店長は一年で本部に戻るのですが、30年前に信金が開店した時の、最初の担当者が出世をして錦を飾って来てくれたのでした。何時もニコニコ笑顔で、平身低頭な真摯な姿は人気があって、御近所や取引先の皆さんから、大きな信頼をされた方でしたが、本部としてもその実力を必要としたのでしょう。四季のどんなときにでも、紺のスーツに身を包み、前ボタンをきちんとはめて、気配りを発揮させながら支店内を動き回る姿は、男ぼれをするほどに凛々しい男性でした。時々相談を受けてくれる時も、こちらの立場になって、親身になっての語りは、こちらの腑を吐露してしまう安心感がありました。後日引継ぎのご挨拶が出来るそうで、支店長不在の支店での相談の中で、たいした実績も無いわが身を、支店全体で支援をしてくれる、家庭的な血の通った思いやりを身に感じながら、期待に応えられる働きを意識させられたのです。一時の気分だけをもって、身勝手な判断と行動に甘えることでなくして、世の中からの温かな持て成しがあるからこそ、今の自分が生きていけることを自覚しながら、全ては自戒ばかりが心に強くのこったのでした。
2008.04.07
コメント(0)
桜の満開が過ぎ去り、木々の若葉が勢い良く萌芽させていますが、日々最高の陽気になって、羽織るものも一枚一枚薄くなっています。昨日は東京・広尾まで出掛けたのですが、高台にそびえる高級マンション街では、整備された木々の若葉にすっかり囲まれ、街並みがものの見事に調和されていて、都会的センスが遺憾なく発揮されているのを感じ取りました。車を止めるために民間駐車場の路地を通ったのですが、道端に雑草が荒れ放題にされていた自然環境に接することができ、なにやらホットする気分と、手入れの行き届かない管理者の怠慢を嘆いたりしていました。日曜日の今日は、そんな反面教師をうけて、我が家の雑草とりと、木々の徒長枝の選定作業を、ほぼ一日にかけて行いすっかり汗をかきました。半袖の肌着に厚手の長袖オープンシャツを着て、一時間も作業をすると、じっとりと汗がにじみだして、水分補給が必要になるくらいの陽気です。剪定作業で一番気になっていたのが、昨年から柿の木が天空に伸びきっていて、事務所の窓が薄暗くなるほどに覆いかぶさっていたのが原因で、木の枝に足を掛けながらの猿技は、まだまだ若い身体を証明させてくれました。加齢とともに運動能力が劣っているのは間違いなく、家人も心配顔で観ている様子が感じられ、家人から心配を貰うほどの年齢になったことが、少々寂しい気がするのでした。それでも泥だらけになって、爪の先が真っ黒になるほど夢中で作業ができる健康体に感謝し、我を忘れている姿は最高に幸せ者だと思います。仕事こそ大変な苦難を強いられておりますが、何とか間とか日を送ることができてい幸運な巡り合わせに、ひたすら手を合わせて頭を下げる謙虚さは、ますます強くなるばかりです。庭の手入れも、今回が最後の作業になるのかと思うことが、何回あった事なのでしょうか、これまでの人生で、初めての困難な経済状況を体験して、様々な教訓や他人の情けを学ぶことができました。長いトンネルは抜け切れていませんが、かすかな光を有難く感じ取り、素直な心意気を持って、今まさしく若葉の時節がごとし、我が身の萌芽に期待をしています。それまでの間にも、目に見えない根っこの基盤を確りとさせて、何時までも耐えることができる、立派な大木に成長させて、存在価値があってお役に立てる、心掛けをしていきたいものです。
2008.04.06
コメント(4)
先日知り合いの方から電話を貰い、多少興奮を抑えられない上ずった声で、飼い犬がお産をして、二匹子犬が産まれたから、一匹引き取ってくれとの懇請の内容でした。我が家には5歳になるメスのミックス犬が、すでに家族として生活しているのですが、家内と子供達は一緒になって、新しい家族を迎え入れる気合を十分に発揚しています。動物を飼うことが好きですから、家族が増えることは意義がありませんが、ただ飼うのでなく確りと運動管理と躾を身につけることを思えば、思い付きだけでは簡単に引き受けはできません。特に今の愛犬がミックス犬としては、従順にして健康で温和に家族の一員としていますから、できれば相性良く飼い主と愛犬とも上手く仲間入りをして欲しいものです。今の時期、桜花が満開に咲き誇る頃になりますと、動物達も我が世の青春期を謳歌して、小鳥も囀る声が甲高く聴こえて、電線に止まった番がやたらに目に付くようになってきました。事務所があるお隣が民間のアパートなのですが、事務所と面した二階の戸袋に、ここ何年間か連続してムクドリが営巣をしていました。独特な煩い鳴き声が特徴で、時には仕事ができないくらいに、賑やかに、煩い程に元気な声を聴かせてくれるのですが、今年も電線に番が仲良く姿を見せて、大きな鳴き声を聴かせてくれました。今日の様子もアパートの戸袋近くに遣ってきていますので、おそらく今年も営巣をするのでしょうから、自然界の生命力を身近で観察できています。季節季節を敏感にかぎ分けて、その時々の役割を果たす為の励みは、それこそ動物的な嗅覚をもって、本能を誇示しているのでしょう。動物の端くれとして、最近の本能がさび付いてきたように思いますし、感覚的にももっと敏感な動物感覚を取り戻す必要があるのかもしれません。一年中エアコンのお世話になったり、温暖化による四季のメリハリがなくなってきている時に、四季折々の感覚と働きは、よほど意識を改めていかなければ、会得できない時代になっています。種の保存を目指した行為は別にして、一時一時の自分のなすべき役割を、忠実に行動できることが、自らの意識向上に結びつくのだと信じたいものです。最近の傾向として、愛玩動物が同居をすることが当たり前の時代ですので、人類同様の暮らし方が当然のこととしていますので、飼い主とペットがお互いに棲み分けが難しくなってきています。これから仲間入りする仔犬は、どんな性格をもっているのでしょうか、もの大人しい我が家の人類に慣れ親しんでもらって、是非是非手を煩わすことなく、極自然に我が家の住人に仲間入りをして欲しいものです。暫く躾ることが大変な時間と労力になりますが、最初が肝心ですので、二匹の姉妹を仲良く同居させる工夫をしてみたく思いますが、姉御のやきもちがちょっとばかり心配事です。
2008.04.05
コメント(0)
身体に障害をもった方々が、こんなにも多く居るものかと思うほど、受け入れ施設には大勢の方々が寝泊りしたり、通ってきたりしている様子が見えます。ここ20年間ほど、市内の各地にある様々な不自由児養護施設に、慰問を兼ねて訪問をしているのですが、時代の変容を反映してか、随分と障害者も親御さんも表情とかが、健康的で朗く変ってきているように思います。数年前の施設は質素で世間から隔離されたような、目に付かない場所にあって、利用する親御さんとかが、隠れるように出入りしている姿に接していたように思います。今では近代的な電気車椅子とか、電動ベッドとか、驚くほどの補助器具が便利に使われていて、障害をもった方々も、華やかな服装で日当の下、皆して朗く元気を発散されていました。今日は春秋と年二回ほど慰問を継続している施設に訪問して、花見をしながら、おすしを皆さんに振舞ってきたのですが、一口で食べやすいように配慮をして、業者さんに御願いして工夫をしたおすしとか果物を用意しました。施設の運営者も協力をしてくれて、地域のボランティアの方々も応援に駆けつけてくれたりして、皆と一緒になって準備と一時を過ごして戴き、利用者の皆さんが元気に食事をしてくれました。ここの施設責任者の母方は、98歳になる矍鑠とした方でいらして、車椅子に座っているほかは、耳も口も健康そのもので、いつも感心させられることが、挨拶が上手で人の名前を忘れないことが不思議なくらいです。関係する方々を次々と紹介したり、皆さんに落ち度無く声がけをしている姿を観ていますと、人のもつ寿命と宿命は、人が腑に宿す謙虚さが大きな要になっているように気付きました。お話の中に何回も出てきた言葉が、皆さんのお蔭です、感謝して感謝しています、と謙虚な言葉でお礼を伝えている姿から、誰彼に言えることとして、傲慢な生活を離れた謙虚な姿勢こそが、人を豊かにさせているように思います。穏やかな天候に恵まれた屋外での式典に桜が真っ盛りで、最高のお花見慰問が出来ましたし、年度初めに入園した利用者の皆さんと、親御さん始め赴任した新任職員とかが多少緊張されていた姿が、とても微笑ましくすら見て取れました。障害を持った方々の数が何時も多く感じるのですが、ご本人はもとより、親御さんたちもある面を犠牲にしながら、自分たちの家庭を護っている一生懸命さに、共鳴と共感をしてしまいました。慰問の奉仕をしていますと、一種の義務感が拭い去れなくて、恒例的な行事を慣習として執り行っている気もして、大いなる反省をしているところです。今後は一緒になって打ち解ける奉仕作業を見つけ出して、お互いに有意義で価値がある訪問とさせることを、喜びと楽しみにできるように期待をしてしまいました。施設利用者の皆さんの明るさと元気さに感動をして、心新たな学びごとを教えてもらう教訓を、得ることができたのです。
2008.04.04
コメント(0)
最近感じることは、空腹感が強くあって、食事をしても満腹感が無く、仕事の捗りが悪い為の原因の、ストレスからくる過食症になっているのでしょうか、体重計を気にしながら食事過多を気遣いしています。いくらでも食べられることと、食欲があるということは、幸せで健康だからできることと、喜んでいいのかも知れません。それは若いときの身体であればなんの問題も無いことなのですが、食べれるから沢山食べれば済む話でなく、加齢からくる食事制限もしなければいけない時に、成人病の管理もしなければなりません。毎日満腹感が得られない不思議さを味わっていますが、肉体的な運動は愛犬との散歩ぐらいですから、消費カロリーもたかだか知れています。昨日も朝食のトーストを厚めにして、ランチをおそばと半ライスで済ませて、おやつ時間にお菓子を頂き、夕飯は会合で食べたお弁当と、帰宅してから空腹感に負けてしまい、夜食を摂ってしまいました。重ねて就寝までの時間が問題なのですが、パソコンを弄っていると、どうしても空腹感が襲ってきてしまい、冷蔵庫とかお菓子類を探して口に入れてしまいます。晩酌をしない人なので、その飲酒からのカロリーは抑えることができますが、年齢を考慮すれば、徹底的な自己管理をしなければいけないと思っています。今日は歯医者さんに通う日で、ブラッシングの成果を診てもらったのですが、半年振りで通院が完了して、三ヵ月後に様子を診てもらうことで、一応治療が終了しました。年齢のわりに最高すぎる歯をもっているそうで、大切に管理すれば何時までも自前の歯で、美味しい食事ができますと、スタッフ一同からの激励をうけてきました。ほぼ二週間に一度の割合で通院をしてきましたが、秋口の日々つるべ落しの日が短くなる季節から、日々明るい陽光が増してくる半年間でしたが、凍て付く厳しい寒さが、つい先日のことと思い出されます。治療の時間、椅子を斜めにして寝かされた為に、急に首に違和感を覚えてしまい、首を支えることがとっても厳しくなってしまいました。気付けば、先日事務所の階段を踏み外して、植木鉢に強か額を打ちつけて、大変な出血をしたときの衝撃が、今になって、傷口の鈍痛と共に後遺症として現れてきたようです。食事が足りないくらい食欲があって、その食事をするための要である、自歯が健康そのものである評価を貰えている健康体を、もっともっと大切に扱って、これからの人生に向けて、大いなる健康体に向けての心掛けをして生きましょう。あえて心配することは、頭脳の故障があってはならぬのですが、毎年記憶が忘れやすくなってきているのは確実で、ここは運を天に任せてみての、心を病むことなく健康的に若さを保持する為にも、世の中の為になれることを心がけて過ごしてみたいものです。
2008.04.03
コメント(2)
思いがけない人が口にした言葉が耳に残っていて、一日経った今でも、ヤッパリ心に焼きついている言葉でして、思い出されるその言葉は、栄枯盛衰なのですが、この言葉を話された方からは、まったく思いも掛けないことでした。何時もマイペースで、強かに商魂逞しい利権を手に入れながら、時々の政治家と屈託して、それなりの財を築き上げてきた方なのです。これまではてっきりお金ばかりを追いかけて、貧相とか甲斐性が無いとかの、ひ弱な感じはまったく感じさせない威厳を感じていました。近くで見たり聞いたりしていた範囲では、時々の行政トップと結託した許認可ビジネスが数多くあって、時代背景をもって私腹を肥やした、悪徳代官的なものでして、相当なやり手であったようです。高齢な方なのですが、今では左団扇の生活ができて、色事に関する噂話も耳に伝わり聞け、多くの方々から注目をされた生活を送っているのですが、最近になって加齢からくる老人特有の風体がすっかり板についてきました。昨日は一時間ほどご自身の専門職に関する話を聞くうちに、人の一生には栄枯盛衰があるという、言葉静かに話されたことが気になってしまい、傍から見える様子とは違って、どんな立場であろうがそれぞれに栄枯が有るのだと言われました。講演の中で一人述懐をするがごとく、歴史上の名士を例えに出しながら、人間には良い事も悪いことも、繰り返しで遣ってくるもので、その時代時代の背景と社会状況が、人を取り巻く環境を変容させることになる。その結果として時には栄華を誇って素晴らしい生活を送ることもでき、時には正反対の苦しく貧しい生活を味わうこととなると、ご自身が波乱万丈の身であったか、静かに聖人のごとく話されました。生い立ちが分かりませんが、長年の人生を送る身とすれば、様々な生き様を経験されて、おそらく余り恵まれた生活ではなく、傍を羨ましく俯瞰していた時代もあったことでしょう。おそらくそうした不遇の生活を経験したからこそ、時の権力と結びつく悪知恵を発揮させて、人が羨むほどの財を短い時間で構築させたのだと推察してしまいます。それでも人の子とすれば、いつかはこの世の洗礼を受けなければならない、絶対宿命を背負っているのです。今になって彼なりに気付きだした心境が栄枯盛衰としたら、人の心とは皆平等にできていて、時間と言う限られた範囲の中で、何時かはすべてを清算される宿命なのでしょう。我欲だけで悪戯を働く姿は社会全体が許しませんし、人が持つ良心が清く正しい心に改心をさせるのか、よくは分かりませんが、人生のある年齢になるとバランスの均衡を図る自戒作用が働くのだと思います。背中には活力が感じられない年齢になった方が、何かを悟ったのかは分かりませんでしたが、静かに語った言葉からは、表面からは感じ取れない心の挌闘があったのかもしれません。これからの栄枯盛衰の繰り返しを経験する中で、少しでも平穏を心がけできる、大局を見つけ出したいものです。
2008.04.02
コメント(0)
北からの爆弾低気圧の性なのでしょうか、朝から物凄い突風が吹き荒れて、春の嵐はやむことがなく吹荒れ暮れました。今日あった会合の中で気付いたことなのですが、こまめになって働く人があれば、見て知らぬ振りする人もあって、人様々な性格があるとは良く言ったものです。役目上一生懸命になって役割を全うする人がいると思えば、自分の役職をどう勘違いしたのか、人が忙しく動き廻る姿を横目で観ながら、雑談に明け暮れている人も在って、役職が人を進化させる時と、役職に溺れてしまった自心を、悲しく見失っている人がいるようです。午後から在った集まりでは、お寺の本堂をお借りしてみたのですが、机や座布団は自分たちで準備をしなければなりませんし、この突風のお蔭で予定外の仕事ができてしまったり、場が慣れないためのトラブルがあったり、参加者の協力が不可欠な状況となっていました。会場を監督する役割の方々が、前もって下見をしたり早めに集って、できるだけの準備をした心算でも、落ち度があったりしたり細かな備品が無かったりして、限られた時間の中で四苦八苦を繰り返す姿がありました。徐々に集まりだす仲間達の中で、そうした場の雰囲気を理解できない人が、雑談に没頭して我関せずと堂々の無関心振りを発揮させるのです。年齢やキャリアが上の方であればまだしも許せるのですが、最近の若い者は・・・ではありませんが、身勝手な人が多くなってきている時流が、似非本流となりつつあるようです。それでも会合が終わった後には、そうした空気を読み込んでくれた方が、積極的に汗を流してくれたことが嬉しくて、こちらもお名前を大きな声で呼びながら、親しみを一層込めながら作業の手伝いを御願いしました。意気投合ではありませんが、同じ場の空気を読み込むことが出来る価値観は、なにごとにも変えがたい大きな価値があって、心の中から友愛が芽生えだして来るのが、実に嬉しいものです。友になれることとは、価値観と労わりを共にできる切っ掛けが、意外に大きな意味合いをもって、様々な弊害を取っ払ってしまえる、分かち合える友愛に結びつくのでしょう。厚意をもって接してくれる人には、大切に交流をしてあげたいものですし、お互いに助け合いの精神で胸襟を開いて見守ることができると思います。後片付けの時も我関せずと、自身の役職名に溺れてしまっている人も、何時かは場の空気を読みきってくれ、積極的なお手伝いを出来ることを期待してしまうのです。人様々な世界を認めること、人の身勝手を許せてしまえる許容を、できるだけ大きな懐と器をもった人として、人の鏡とすることが出来るように、改めて謙虚な心掛けてみたいものです。
2008.04.01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1


![]()