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なかなか快方に向わないまま、暮れにひいた風邪の症状が引きずってしまい、毎週末になると年頭祈願を希望していた家人ですが、正月が最終日に成った今日になって、漸く祈願が達成できることになりました。家人の咳が止まらなく、喉も腫れてしまって声が出ないままに、雑用にも追われてしまっていたのでしたが、月末の今日になって、午前中に氏神様の参拝を請われて、元旦明けに引き続いてお参りをしてきました。元旦の騒々しい境内とは打って変わって、氷雨降るなかに佇む社殿が一際厳かに観ることができ、神社らしい神々しさも感じられて、心新たに夫婦で拝礼を済ませ、安堵をすることができました。子供のころには、毎日が遊び場に成っていた神社ですが、当時は社殿も客殿も社務所も開放されていて、無断で自由に上がりこむことができたほど、地元の人々が気軽にし守していました。のんびりとしていた、長閑さが懐かしく思い返されてきますが、小高い丘の上にある社殿の近隣は、海からの防風林になっている松林が広まっていて、東京からの避暑客が大勢散策していた光景がありました。富士山頂上にあります浅間神社本宮の分社で、社殿の廻りを富士五湖にみたてて池を人工的に造営して、その掘削土を盛り上げ富士山を見立てた小高い丘に、浅間様の社殿は鎮座しています。808年の創設ですから1200年の歴史がある神社でして、安産と子育ての社として近隣町村の方々から親しまれ、大祭のある7月の夏祭りには、境内と参道が人の行列となって、一日だけ通行止めの処置がとられるほどの賑わい振りです。普段は住民の生活日用品を販売している商店街も、俄かにお祭り関連の商品を並べて、団扇やかき氷などを家族総出で売り子役になって、俄か商人になっていたものです。子育て意外には特に功名が馳せていたわけでもなく、威勢の好い神輿があって練り歩くわけでもなく、子供のころの楽しみ方は、お祭りに呼ばれて来家した、親類の叔父叔母からのお小遣いをもって、沢山買い食いできた喜びが記憶されています。大祭には沢山の参拝客で賑わう神社も、東京オリンピックを前にした頃の出火で、構築物がすべて灰になってしまう惨状がおきました。高台の社殿は風を適度に受けながら、完全燃焼する時間は短く、出火から鎮火まで、この目しっかりと見届けたのですが、氏子が護っている神社の火事とあって、消火作業は火事場の恐ろしさとして、忘れることのない酷い記憶になっています。丁度高度成長期が創生した時期で、海の埋め立てと、田畑の宅地化が一気呵成に捗った時期の為に、権利売買の現金が手にできた時期と重なって、神社再建の寄付が素早く集って、程なく立派なコンクリート造りの社殿と附属棟が再建できました。再建後暫くして住まいを引っ越した関係で、人生の半分を遠くからの余所者として、時々参拝をしていたのですが、境内の一角に建立されている稲荷神社が、我が先祖との関係が深いことを知って、一昨年から奉納旗を寄贈するご縁と成って、以来ことあるごとに参拝を冴えて貰っています。し守りする人も居ない古びた社殿があった時代には、町の奇特者として、祖祖父や祖父や父達が身銭をきって境内の管理修復をしていたのですが、今と成っては陰徳として、家族の誇りにして伝承しています。海が埋め立てられた後に高層マンション郡が林立して、人口が急増した関係で、神社の参拝者がうなぎ登りで経営を潤してくれ、今の社殿と附属棟はキラキラする新築建造に成っています。先祖が天国から嬉しい眺めをしていることでしょうが、素直に成って信心する社から、いかに参拝客を呼び込むかの商売上手さが目立ちますし、そのお陰をもって境内は毎年整備されて、手入れの施しする場がありません。ご縁が続くのでしたら、先代が身銭で修復したように、何時かは寄進できる日を楽しみにして、毎日を励みをもって生きることも、ご利益の一つと期待をしています。生まれ育った氏神様だけが、年々立派に景気良さを感じてしまうのですが、氏子の一人としても、強いご利益を頂くことで、是非是非景気良さを招き入れるご縁としたいものです。
2009.01.31
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本当に久し振りに床屋さんに行き、照明が利いた部屋の大きな鏡に映る自分の顔を観て、つくずくと思い入ったこととは、まずは皺の数が多くなって、やけに老け込んでしまったことでした。加齢による自然老化は納得できることとして、顔に若さと覇気が無いことが、とっても気になってしまい、散髪をしてもらっている間中、鏡に向って背筋を伸ばして姿勢を正したり、顔の相を変えるための仕草に励んでしまいました。いろいろな書籍の中に垣間見る、艱難辛苦を経験した人の顔こそに、とても深みのある豊潤の味わいがあることだそうで、同じ苦労をしている身としては、味わい深さを醸し出すことがでるまでには、まだまだ修行も足りなく、真の苦労にはほど遠いのかもしれません。本人としては、いつも難儀な生活をしている身の心算なのですが、品性のない老け込んだ顔になるだけでは、その人がもつ品格を表現させる味わいまで、上品な味わいを発揮することが出来ないとしたら、少々残念な思いもしているところです。 散髪をしてくれていた女性のスタッフは、初老の小父さんが鏡に向って、なにやら落着きなく顔を動かしている様子に感づいて、怪訝で不思議な思いをしていたに違いないのですが、作業をしている時間のすべてを、人の頭と顔を身近に眺めることから、人を観る観察眼が鍛えられて、厳しく観際目をしているのでしょう。散髪をする小一時間、鏡の中の自分と対面をする中で、老け顔について思考していたのですが、渋顔になっている自分と対面をしながら、覇気に欠けて若さが感じられないことの原因は、笑顔が無いことなんだとハタと気付き、ハッピースマイルの心得をすることに到達できました。ハッピースマイルの効果として、どれほどのメリットがあるのかはよくは分かりませんが、ニタニタと無意味な空笑顔をするのでなく、腑の中から自然と醸し出してくれる、豊かさのスマイルからは、身の廻りを朗く健康的にしてくれそうです。テレビを観ていても感じることですが、役者のプロが作り笑顔をする演技さに、それなりの職業人として評価をすることがあるのですが、身近に接する仲間の方が、とても魅力ある笑顔をみせていることに接しられ、ただ溜息をしながら、羨望の眼で見せてもらうことがあります。人に感動さえも覚える素敵な笑顔をみせる方には、人徳が具わってもいうのでしょか、幸せをも伝導できるハッピースマイルは、その笑顔がこぼれんばかりに輝いて感じられるのです。人のもつ人生を表現させる顔の表情であればこそ、人様に与える影響も大きく、出きるだけ深刻になることを控えて、ハッピースマイルを演出できる心がけから、接する方々が好感をもってくれて、皆さんをも幸福感に感化できる源泉になりたいものです。仏頂面をしてしまうことで、世間に心配の懸念や不快感を与えるのでしたら、せめてもハッピースマイルを演出する気構えで、世間を和やかにさせる一助のお手伝いを、確りと自覚をしてみたいものです。
2009.01.30
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様々な人が居るから多様性をもって比較することができ、いろいろな方を観させてもらうことで、判断の参考にさせてもらうことは、気に入らない人が居たとしても、自身の心眼力を養える等、それなりに役目を果たしてくれていることに、感謝をしなければいけないのだと気づいています。年齢にも関係があるかも知れませんが、若いときには、兎角気のあったグループの仲間に傾注していたものですが、一歩引いてみての立ち位置から、俯瞰する余裕をもって人々を眺めるときに、人様がもっているすばらしい個性が、一段と輝き良く見えるようになりました。相手の方が若いほど、年齢差から来る意識の差が有って、礼節の価値観や慣習も違っていて、気になる礼儀の欠如は、素直に受け入れがたい不愉快さがあります。気の合う仲間同士の私語も大きく、時を選ばず言葉の品格が感じれなくて、同じ環境に同席した時に感じる羞恥心と、軽蔑の観念は強まるばかりなのですが、ただ顔をゆがませるだけでは、なんの解決策にも繋がりません。これは、自身から一言の注意をする度量にも欠けていて、ただ情けない自分を恥じいるのではなく、真正面から対話をする度量が欲しいものと思っていました。今までも、若い方への注意の声がけは、何回か経験があるのですが、素直に成って聞き入る姿勢が稀薄で、一様に勝手な返答ばかりが多くて、自己主張をすることが気に入らない時期が長く続いていました。それが今と成っては、無礼なと思う言葉や態度を除いて、こうした礼節に欠如した言動も、成長過程の一こまだと、人を許してあげる寛容さが、漸くにして自覚することができるようになってきました。遠くから見守ってあげたい、年長としての親心が、多少芽生えてきたのでしょうか、厳しく批判をするだけでない、教え育てる懐の深さが身に付いてきたように思います。一緒に居る若かった方々も、長い付き合いの中では、同じように加齢が進んでいるわけで、精神的な距離感や価値観までが、少しだけでも短く身近になったことが、心の中ではとても嬉しいものなのです。これからどんどん、成長をしてもらいたい方々には、一日でも早く、自己勝手でない協調性の学びとりをして欲しく、先輩としての役割では、少しでも良き見本と成って、自己成長のお手伝いができることを期待し心がけます。お互いが素直に成って、人格と品格を成長させる心掛けをするならば、大勢の中の多様性の中で、それぞれの立場を認め合うことで、許容できる豊かさを、心がけできるのだと信じます。いつまでも愚痴や蔭口としての、非難話や中傷話をするのではなく、相互に堂々と語り合える環境を構築させて、大人として分かち合いの寛容さを勉強したいものです。将来の希望をみすえて、建設的な会話の交流をいかに自認してくれるかを、先ずは第一歩の目標とさせて、定期的な懇親会を開催させる、大きな役割を果たす責任もあります。品格があって人徳が備わった方々が、大人として一人でも多く成長されるとすれば、どんなにも、心地良い生活環境ができあがって、明朗で清々しい交流ができあがると期待をします。
2009.01.29
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思っていた天気予報よりも雨模様が早めになったのか、JR駅から事務所に向かう道すがら、ポツンポツンと俄かに小雨が降り始めました。午後から損害保険の資格更新試験に向ったのですが、ドンヨリ空は吹く風がとても寒くて、身につけた厚手の皮コートがありがたく、襟をたてて手袋をはめて漸く身体の体温が感じられ、電車内の座った椅子席には、高温のヒーターが入っていて、お尻が火傷をするくらいの温度設定がされていました。学生の頃受験シーズン時に、電車のヒーターが頼れる暖房設備で、座席の下から感じるお尻への熱さからは、ついつい心地良く好い気分になってしまい、白川夜船のコックリが本格的な熟睡にはいってしまい、降車駅の乗り越しを何回経験したことでしょうか。40数年前の記憶が鮮やかに甦ってきたのですが、電車内と試験会場が熱いくらいの暖房に成っている環境から、なにやら深い安堵感を覚えてしまったほどです。駅から目的地までの極寒の吹きさらしの一時が、若き青年時代の一コマを呼び戻してくれて、短い移動時間であったのですが、郷愁を楽しませてくれました。普段は滅多に利用るご縁がない、JR路線で往復をしたのですが、見慣れた街並みとは微妙に視界が変わって観え、資格更新試験の書類に目を通すことよりも、日常とは変った風景に見とれてしまって、窓の外に目を輝かせる様子は、まるで子供のような仕草をしていたようです。高架線のJR車内からは、同じ市内の様子が、真反対側からの模様として目にすることができ、見慣れている建物などが、とても新鮮に感じることができました。人生とは巡り巡ったご縁が脈々と引き継がれて、時の経過は重ねるなかで、まったく同じ経験をしてしまう機会が、巡りまわってくるものだと納得をして、せめてもそんな経験を何回か味わう中で、せめても人間として成長する糧をもちたいものです。それにしても思うのですが、子供のころに毎夏味わった高潮ですが、最近にはまったく現象がなくて、昔話そのものであって昔経験した恐怖感は、どのように伝達して納得して貰うのかが、時代の変遷の仲で思い出してきたのです。子供のころに育った海辺の街でしたが、いまでは埋め立てして、大きな住宅地に変貌しているのですが、高架線路が走る街が、水没するくらいの高潮の現象が、まったく観ることできない気候になっています。JRに乗り合いしながら、見慣れた景色を角度を変えて眺めることができ、変貌した街並みと天候の変化も比べることができ、日常の慣れからマンネリ化している感覚と意識を、ひょんなことで認識することができました。無意識の中から意識を見出すことの心掛けを、ことあるごとに新鮮な感覚として味わうことができるように、五感の働きを敏感にさせていきたいものです。
2009.01.28
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自身を品位高揚させる銘言・格言とは、気にすれば限りなく接することができますが、自身が本気になって学ぶ気さえあれば、何時でもどんなところにも、見つけることができる機会があります。ウエッブサイトの中では数々の情報源があって、瞬時に意味を引き知る便利さを味わっていますが、もっと逆引き辞典が活用できる、よい環境があればと勝手に願い、一層便利に活用できることを期待しているのです。元旦開けに年頭祈願に行った成田山新勝寺では、本堂内を開放していて自由に護摩焚きに参加することができ、声明の後に参拝者と一緒に、真言宗智山派のお経である、不動明王御真言を唱えるのですが、広い本堂に響き渡る読経は、腑を通して心の中に染み渡ってくるものです。神社仏閣はそれぞれにお奉りしている、ご本尊の祝詞やお経を唱えて、ご本尊を敬って、崇拝者の身の安全に御加護があることを、祈願してくれるのですが、特に自家の宗派に関係なく、広義にお参りする方々に、幸福の慈悲と安心を与えてくれます。成田山では、護摩焚きの最後になって、参拝者が唱えを一緒になって声明できるようにするために、名刺大の案内用紙を頂けるのですが、用紙の裏側にある、私たちの誓い、が気に入ってしまい、新たにパソコン内にあるホルダーに、資料としてメモリーを残したところです。◎奴僕(ぬぼ)の行・・・明るい笑顔で奉仕のはげみ、◎羂索(けんさく)のおさとし・・・まごころ込めて助け合い、◎磐石(ばんじゃく)の決意・・・苦難に耐えれば開ける希望、◎燃えさかる火炎・・・誠心努力に豊かな実り、◎ゆるぎなきみ心・・・常に冷静 不動の心、◎利剣(りけん)の智慧・・・正しい判断さとりの目覚め、◎加持力(かじりき)・・・いただくご利益みんなと共に。この7つの教示をもとにして、日ごろの心構えを説くならば、7つの教えを一連文章に置き換えてみることが、肝要で理解が簡潔だと思いました。日々明るい笑顔で奉仕をしながら、真心こめて助け合い、苦難に耐えるも希望をもって、誠心誠意の努力で、何時も変らない沈着冷静な気持ちでもって、正しい判断を目指して生きる中から、頂くことのできる利益は、皆さんと共有共益で分かち合うものである、となると思います。こうして、自分なりの理解をしているのですが、神仏の教えとは、世の中に生かされてこそ、その感謝の気持ちを、世の中に還元奉仕することであるように、自己流で究極の納得をしてしまいます。自己満足だけを追求して、利己的な人間にはならないことを願い、日ごろから自分の理念として持つようにしているのですが、生身の人間としては、雑多の日常に追われてしまう毎日となっていては、信念や信心が希薄になってしまい、おそらくは、自己満足に終わってしまう薄弱さも感じられます。時としては、心新たに神仏からの説法を、自らの意思として目にすること、耳にすることを心がけていくことが、生身の人間が果たしていく、大切な役目になる気がしてきました。日常には、神仏にお祈りをする習慣が希薄になっていますが、あえて自身の工夫一つでもって、自身の心の奥深く、自分を信じる余裕をもって、豊かな人生の道標としていきたいものです。
2009.01.27
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嘲笑する多くの人達が注目する人は、この世の中には結構な数で存在するものですが、人を見分ける自身の能力の偏見もあって、見極めと見境の判断がむつかしい一面があることを知っています。順風満帆な生き方をされている方はそれなりの比率で、身の回りにも世間の中にも見受けることができますが、時流風の吹き回しによって、順風が逆風になんの逆らいも無く激変をすることも知っています。私自身も社会の元気な順風風に流されて、自己能力以上に多大な評価を得ることができ、背伸びをするほどの生活をしてきた経緯もあって、当然のこと羨望視されたことも有るでしょうし、傲慢な心の中は浮き足立っていた時がありました。風とは何処から吹いてくるのかが分からないし、世の中の巡り会わせがどの位置にあるのかもわからないのでは、順風と逆風の流れの変化はなかなか掴みきれないものです。今この世の中におこっている事実は、すべてに自己転結をするものだと認識をしていますと、順風から逆風に変化をおこした弊害に対する、厳しさや苦しみを耐える方策が、すべてに的確で正解の結果を出せるものではないことを、漸く知らされることになりました。逆風の負の重みをこれでもかと味わっているところですが、時々の天恵に享受することができていて、日々なんとか体裁を施すことができている今に、ただただ心からの感謝をしているばかりです。艱難を味わった同じ時期に、大相撲横綱の朝青龍がモンゴルで、療養中に起こした破廉恥な事件が切っ掛けで、横綱としての人格や品格の問題にまで発展して、部屋の親方や相撲協会を巻き込んだ問題がありました。ふてぶてしいほどの豪快相撲を魅せる朝青龍の態度をみて、剛毅さだけでは世間は通用しないものと嘲笑っていた人が多くいたことでしょうが、風の流れは何時か何処かで確実に有った様子で、今場所優勝した原動力には、この風の流れが大きく後押ししてくれたことは間違いないと思っています。世の中から持て囃された時代が長くあったほど、逆風の負担が如何ばかりかと思うのですが、ふてぶてしい横綱であったとしても、世間のバッシングを受けては内心の心細さや不安が複雑で、物凄く心細い心配ごとであったかと推察してしまいます。おそらく取り巻きからや様々な関係者が、万が一相撲界を廃業してからの誘いを画策したのでしょうが、結果的には相撲界で復帰できたことは、それだけ縁が深かったことと、何処かで順風の変化を感じ取ったからではないでしょうか。憎たらしいほど強すぎる朝青龍が、個人生活でみせた体たらくさと不躾な態度に呆れた一人ですが、時に嘲笑したものとして、今回の優勝は、克己心の結果であるとすれば尚更に、心・技・体のそろった人間味豊かな朝青龍に進化して欲しいものと進言したいものです。もって生まれたすばらしい体格と土俵上の勝負の厳しさは抜群なのですから、後一つ人間として心を豊かにすることで、名横綱として後世のお手本となれる絶好の好機到来と受止めたいものです。勝負士とは細々と世間体を気にするくらいでは、大きく出世ができないと言い張る方もいますが、土俵を下りたら同じ人間として、是非是非横綱相撲と一緒の輝かしい人格を見せ付けて欲しいものですし、これからの新生朝青龍に大いに期待をし、親しみをもちながら応援をしたいものです。
2009.01.26
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心の耳心耳と心の目心眼を持ち活用しなさいと、もの静かな声で淡々と話されている姿からは、安心感を持って静寂すぎる心地良さに睡魔を感じるほどで、ふと、だれしもが人として生きる様とは、ごくごく日常当たり前の素直で謙虚な自分であることを、改めてじっくりと感じさせられました。昨日東京であった、致知出版社記念講演会でのこと、101歳の仏教伝道師、松原泰道さんのお話の中に訊かされた、誰しもが人生の苦しみ厳しさを真に受けて、南無地獄菩薩の心を持ちなさいと提言されました。人間の生きる社会とは、都合の好いことばかりが実現されるぬるま湯社会ではなく、日常的に厳しく辛く苦しい生活というものですが、自身が心に構える常に希望と感動と工夫の仕様によって、自分自身が磨かれて成長させることができることを話されたのです。その日一日とはその日で終わることでなく、今日の日と迎える日々を心新たにして、毎日が新たに迎える繰り返しであることの格言として、日々新たに・日々に新たに・また日々これ新たにの、単純で新鮮な心を持ちなさいとのことを、惰性に流されない説法を教えてくれたものです。そのためにも苦しさや厳しさから逃げることなく、真正面から受止め取り組むことで、とかく都合主義の最善を夢見てしまうことを諌めて、あえて天国でない地獄を菩薩として唱えることから、底から這い上がる勇気を身につける生活術を、しんみりと語り伝えてくれました。そのためにも、心に耳と目をもって、静かに心を研ぎ澄ます必要がありますと、101歳の声はあくまでも静かに澄み切って聴こえてきましたし、心の耳と目は偽善が利かないのですから、自身が苦悩から耐え忍ぶエネルギーを変えて、世の中や人様に尽くすことに結びつける大切さを、律儀に説いてくたのです。講演会の後であった懇親会の席で、松原泰道さんとご挨拶する機会があったのですが、目がしっかりと活き活きとして、慈悲心溢れる顔相が、自分が持つ世俗の、貧相な偽善心を見破ってくれているようで、何でも見透かす力は、静か過ぎるお人柄から異常に感じられるのでした。101歳の小さな御身体からは、心温まる包容力をもって、人をひきつけ包み込んでくれる大きな感動を味わうことができ、人の持つご縁の大切さを改めて知ったところです。この現代社会では、とかく先読みを好として、すべてに先手必勝の術を身につけることが、評価されていますが、自然な成り行きの中から自分のタイミングを待つ大切さの教えは、意外なお言葉として耳にすることができ、一つの宿題として新たに考える必要があります。何事にも人間社会は欲があり、その欲とは強欲までのきりが無い現実を見極めて、いかに離脱できるかがその人の大きさに繋がるのだと思います。俗世界から乖離させる為にも、欲を断ち切った真平で最低の場を認識させて、地獄に等しい難儀さを、常に得とくさせる有意義さを説いてくれたのですが、なかなか腑の中にすんなりと落としこむことが難しく、まだまだ自身の未熟さを露呈させているところです。人の世界とは循環世界だと思っている一人として、好いこと悪いことの順繰りがされていますが、最善を求めるだけの狭義社会よりも、最悪時こそ素直に認めることで、広義に耐え忍ぶ力を養生させて、心して自分が無量に生きれる姿勢に活かせたいものです。
2009.01.25
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どうしても訊きたかった講演会がやってきて、前約した高校の同窓会を断ってまでも、東京で行なわれる致知出版社の、新春特別講演会にでかけてきました。昨年の前回の講演会は、千日回峰修験者の塩沼亮潤さんからの、修験道の厳しいお話を訊くことができましたが、席が最後部とあって、お顔も拝顔することができませんでした経験から、受付開始時間早々に到着するようにしました。JRを小一時間乗り込んで、目的のホテルまでを寒空の中汗をかくほど急ぎ足にして、12時からの受付時間を30分も早く到着することができたのですが、既に長蛇の列ができていて、ホテルまでの道すがらカレーショップを見つけて、食事を済ませてから会場入りを企てたことを断念して、ほっと安堵感を覚えたほどでした。定時に受付が始まり、全国から1000名を超える参加者と聞かされた会場内は、大広間に椅子がぎっしり並んだ圧巻の様をみせてくれました。全国から集った致知愛読者の皆さんは、老若男女の様々な方々で、年齢が上の方の参加は納得することができるのですが、大学生の方にお会いできるとは、正直驚いてしまうと同時に嬉しくもなってしましました。致知出版社から対談集がでている、仏教伝道者の松原泰道さんと作家の五木寛之さんの講演が開始されるころには、超満員の聴衆が舞台を見据えて、静寂して聞き入る姿から、同じ価値観に共益できている喜びを感じ取ることができました。101歳になられる松原泰道さんのお話は、仏教徒らしく、毎日真心をもって誠心誠意の思いやりを薦めてくれて、年齢を感じさせない矍鑠たるお話ぶりに感動をしてしまいましたし、こころ豊かに安らぐ空間を享受できたところです。日々毎日の繰り返しが人生だと説いてくれたのですが、日々新たに、また日々新たにの極々自然の繰り返しから、一日暮らしを大切に生きたいものであると、教えを頂くことができました。なかでも言葉を心の支えとできる杖として、活用させる示唆は、新鮮に受止めることができ、苦悩は人を成長させると信じて、すすんで忍耐をしながら人様に尽くす生き方に感銘できましたし、真心を込めた誠実さは、常に心していることと感激をしたほどです。。また作家の五木寛之さんは、世界中が経済不安になっている現世と、歴史に残る様々な社会観と人の意識の変遷を、鋭い感覚で話された中で、仏教者がもっとメリハリのある意見を提示するように、ちょっぴり鋭い私見を述べてくれました。仰ることは、私も同じ価値観をもっていて、現代の仏教家は、今ほど社会が難儀な時ほど的確に向き合って、支援と癒しのメセージを発信させ、社会への償いをする必要性を覚えることができました。こんな景気が悪く不安な世の中にこそ、慈悲心をもって、屈して萎える優しさを心する時代にチェンジする心掛けが時代性に適合していくことを強調されましたし、弱さの代名詞とされる萎えることさえも、有益さに変容させる時代性は意外でしたる。お二人のありがたい講演を拝聴でき多くを学ぶことができて、自分で消化させることには時間が掛かりますが、心掛けとしていることの裏づけができて、なによりもこころ強く感じたことでした。これから月刊で配布されれる致知を座右に置きながら、自分の指針とできる言葉を見つけることができる喜びを感じて、文字の至宝とした支えどころとして、何時までも心の灯台としての燈明としていこうと信じているところです。
2009.01.24
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毎日慌ただしくも時が過ぎ去るのが、ことのほか早すぎる気がして、毎日陽射しが長くなっている夕刻に、春本番を感じ取り、身体の奥から察すられる動物感覚でもって、待ちわびているところです。ここのところ人様のためにと、心して献身出来ることを優先させて、その人が喜んでくれるお顔をイメージさせて、密かにひとりで、喜びを噛み締めているところです。昨年末に韓国の知人の、お見舞いに訪問させて頂いた際には、春になったら再度夫婦してお見舞いできるように、約束をしてきたのですが、昨日ご本人から国際電話がはいって、4月に一流のホテルを予約したから、是非日程を決めてくださいとのことでした。病み上がりの元気付けと、多少のリップサービスでもって、暖かくなったら家人と一緒に再度訪問しますと、御伝えしてきたことですが、ご本人はまともで真に受けとって、4月の訪問日程を、ご自分で決め込んでしまったようです。先日の電話の時でも、私の再訪が待ち遠しくて、首を長くして待ってくれていることを、切々と伝えてくれましたが、そこまで信用されて信頼を一心に受けることは、何よりも驚愕する過分な評価過ぎると、只管の恐縮をするばかりなのです。経済的にも社会的にも、何不自由することが無い知人は、養生している単調な闘病生活に飽きがでて、事のついでのなかから、私を思い出して頂いている経緯があり、物凄く良く理解できるのですが、こそばゆいながらも、気にかけて頂いている立場とは、とっても嬉しいものであります。所属するロータリー・クラブとは、7月が年度始まりなのですが、その為の準備が既に佳境になっていて、我がクラブの幹事職を務める方は、なかなか気になる存在の、かわいい後輩の方なのですが、次年度の準備を始める中での、様々なアドバイスを買ってでているところです。世間でよく言われる、組織や人を管理することではなく、彼が余り接する事が少ない分野の話題とか、色々な情報を提示させてもらい、多様性の中から、一つの判断材料に成ってくれることを少しだけ、密かに期待しているところです。クラブ内での経験を元に、決して押し付けがましい無理な態度を見せないことを、重々認識していることを自覚して、あくまでも一つの選択肢として、さり気無く伝えることにしています。とかくクラブ内の狭義な経験から、多面的に多様性の広義な判断をする機会が少ない彼には、御伝えした情報が、何らかのプラスに成ってくれることを、心から念じているところです。普段からはあまり積極的に、クラブ内での指標を示すことは控えていたのですが、求められたアドバイスや情報には、できるだけ一歩深く、有益な手段を提案させてもらいましたし、普段接する事が稀薄な分野を表面化させることにも、尽力をつくすことを心掛けてきました。人様にも気配りすることは性があっているようで、苦もなく極自然に発揮することができていますので、あえてするのでなく、させてもらえる場ができた時にお節介でなく、喜ばれる空間を見つけて仲間入りをさせて貰いたいものです。韓国の知人にも、クラブの仲間達にも、正直なところどれほどの存在価値を持って、何かしらの有益を提供しているのか、自身では評価できないのですが、手助けをすることをさせてもらえる環境に満足をしています。認めてくれている人様に素直にお礼を伝えたいし、求められている自分が嬉しく、価値を見出し評価をくださる方に、素直になって感謝をしているところです。
2009.01.23
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確定申告の手続書類が郵送されてきたのですが、新年が漸く20日を過ぎたところで、現実の生々しい時間の流れが、物凄く早すぎることを実感させられています。お正月気分は当の昔に過ぎ去って、毎日厳しい現実社会を過ごしているのですが、刻一刻の時の流れに、追いかけられてしまっている自分が、この年末を迎える頃には、一年の時間が早すぎる流れを、ただ呆れるほどに嘆くだけなのでしょうか。間もなく節分を迎えるのですが、季節の冬から春へと着実に変化をしていて、庭にある梅ノ木の天辺が、僅かだけ開花した梅の蕾がみてとれます。時はまったく待ったが利かないほど、的確にかつ刻々と進んでしまいますが、新しい年を迎えても、まったく進化が無い無駄な生活が引継ぎされていて、あっという間の一日が積み重なっていきます。もっと有意義な時間の使い方ができれば、どんなにか、すばらしい有意義と達成感が味わうことができるのかと、何回かため息をつくのですが、時間管理が下手な性格はなかなか、おいそれとは改善できないのだと思っている。それでいても、心の片隅には何時も時間の管理と、時間を使いきる期待感が強くあって、年々老いも深まっていく割には、まだまだCHENGEする気は高く、現実とそぐわないことには、素直になって反省が出来、改心できることは自慢ができることです。真っ新なカレンダーに書き込まれていく予定が、結構埋まってきて、来月も再来月も予定があることは、実に希望と勇気が沸くことで、老いが重なってくるほどに、何ヶ月先に予定があることが嬉しくなっています。先々のカレンダーに予定を書く時の快感さは、難事を引きずっている身でこそ、その嬉しさは特別なもので、この予定が現実になれた感慨は、その先の予定まで平凡に生きていける、生きる目標となれるからです。惰性では生きて行けない厳しさの中でこそ、一日が無事に過ぎて、暖かな布団の中で一日の感謝をして、朝の目覚めで、また一日が生きられることを、素直になって歓喜を味わっている毎日です。生きているというよりも、世に生かされている自分の身を認識して、時を日を月を年を、一刻の積み重ねとして、夢中になって一生懸命に、あくまでも謙虚な人生を確約しています。今日も無事に過ごせることができたことは、世の中のすべてのお陰であるし、家族の支援もあってこそと心から感謝をして、今日の一日と明日の一日への切り替えが繰り返されるのです。あっという間の一年間が、何よりも健康に恵まれて、何とかの日暮ができることを、強く念じて、清潔感のある老いを重ねていこうと期待をします。
2009.01.22
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200万人を超える観衆が集ったと言うよりは、期待をもって心からの応援をするために、自らの積極的な行動をもって参加されたのでしょう。期待の星として、時代の寵児として第44代アメリカ大統領に就任した、バラク・オバマの就任式は物凄い人出のなか、厳粛と言うよりは淡々と、陽気さの無い質術剛健の式典にさえ、見ることができました。真冬のワシントンは物凄い厳寒のようでしたが、テレビ画面からは寒さまで伝わってこなく、むしろ大群衆の熱気が勝ったのでしょうか、就任式に参加される招待者や群集の皆さんが、ニコニコと、希望の大統領に夢を託して、期待感の笑顔が一杯のようでした。大変な厳しく不安な世の中の、大きな期待を背負って誕生した大統領ですから、ことのほか世界から注目された就任式となったのでしたが、淡々とさえ聴き取れる就任演説からは、国民と一緒になって、国家の成長と安泰に結びつける、国民に対しての、力強い共同提案演説に思いました。国民と一緒になって、国家を創り上げえるためのリーダーとしての発言を、国民と苦楽を共に分かち合う行動を起こそうと、力強く主導する姿が、とっても清々しく凛々しい感じに受止めることができました。政治の世界はよく分かりませんが、アメリカという超大国の大統領が、精神論だけをもって国家を統一していけるのか、国家間の複雑な利権の分配方が、オバマさんの力で流れを変えることができるのか、なかなか難しい問題も山積しているようです。国際政治の舞台裏事情は、まったく良く分かりませんが、各国の利権の主導が紛争に結びついている現実から、大国アメリカとしては、軍隊を撤退させることが優先すると思うのですが、各国間の思惑は、ことのほか複雑奇怪な政治があるようです。政治家らしからぬオバマ流政治から、各国のリーダーは国家間の利権をなくして、国際的な平和社会を構築する努力を、大いに励んで欲しいものと、心底期待をしてしまいます。国民と共に因り良き国家の繁栄を願い、国民と一緒に苦難を乗り越えて行こうと発揚し、リードする就任演説は、政治は政治家に任せる時代ではないことを、はっきり意思表示させた、就任演説でもあったと思います。国民の責任を求めたことは、繁栄できる元気な、健康国家を構築させるためには、国民が共に目的を持って、励んでこそ実現できることを、提案したのではないでしょうか。政治家の甘い言葉だけで、政治家の思惑だけでもって、国家の構築は簡単には成立されないことを、確りと国民に知ってほしかったのでしょう。国民あっての国家を再認識させて、国民の平和な生活を確立させる方法論を説き、政府と一緒の責任確認は、国民も貴方任せにできない厳しい現実を知り、リーダーシップの発揮からは、国民の勇気を引き出したのではないでしょうか。何よりも国民に強い団結心と責任を喚起させ、国民の自覚を促すリーダーは、世界平和の役割を担って、新アメリカ大統領は、世界中から力強い期待をされることでしょう。
2009.01.21
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足取り軽く矍鑠たる容姿をもって、淡々と話される言葉は意味深く、まったく自然体で気取らない先達からは、厳しい指摘も含めた薀蓄ある教訓を訊かされ、我々は数々の学び取をすることができました。91歳になるロータリアンは、クラブ入会暦43年間の思い出話を、時間が足りないくらいに伝えてくれたのですが、やはり、差支えのある生々しい話題は避けているようで、場の雰囲気を適時読みきる配慮からは、年の功を含めて、さすがと思わせる人物像をみせてくれました。昭和40年代と言えば、東京オリンピックが開催された時代で、世の中は未来に希望をもって、様々に活気ある時代でありましたし、ロータリー・クラブも沢山の会員が入会されたようで、毎年のように次々にクラブの拡大が、日常のようにされていた時代だったそうです。創立されたばかりのクラブに、入会された91歳のロータリアンは、いろいろな経験をされてクラブライフを楽しんだのですが、クラブ創立10周年の時に拡大誕生させたクラブが、今私が在籍しているクラブになっているのです。その当時の逸話を聴かせて欲しいとの願いに対して、今日の例会に来会されて、卓話として思い出を話されてくれたのでした。この先達のお話を聴かせて頂いて、気付いたことは、決してボス的なリーダーぶりを発揮しないことで、蔭になってのクラブ支援をされて、どちらかと言えばご自身がノンポリ的に、温かくクラブ運営を見守って、俯瞰してきたようです。話をする時間経過と共に、笑顔で活き活きと佳境になってきて、ロータリーを通して、三つの人生の利徳を得たことを伝えてくれました。その一つは、毎週の例会に無欠席で出席できた健康体があり、その二つは、毎週例会で聴くことができる卓話であり、その三つは、色々な職業に携っている方々と巡り合い、友愛が盛んになったことがあるそうです。先達は、若いときには余り健康体でなかったそうですが、毎週の例会を楽しみに出席することが、健康に繋がったそうで、一番の利得を強く訴えていましたし、こうして高齢になっても、病知らずでいれることを、ことのほか喜んでいられました。例会出席に喜びを感じた卓話ですが、人様から教えてもらった数々の知識は、この例会を出席したからこそと、全国のクラブに訪問した時に得た、思いがけない貴重な卓話が、仕事や人生に役立っていることを、ロータリーの価値として評価されました。最後の人との交流ですが、知り得たことに評価をするのでなく、人の考え方に共感や共鳴をして、時には感動を覚えながら、自己形成に役立ったことを力説されていました。ロータリー理念や人生訓は、この次の機会の宿題になってしまいましたが、ロータリー活動の原点である、人との出会いから得る、様々な学びごとを通して得た喜びを、自己の職業に繁栄をさせて、取引先やお客様を通して世の中に還元させ、奉仕の心を磨く感動のすばらしさを、熱弁で説いてくれました。世の中の酸いも甘いも、物事の表や裏のすべてを知り尽くした先達が、人生の半分をロータリー活動に専念しても、いまだ魅力をもって参加ができる摩訶不思議さを、ポツリと述懐してくれたのが、ロータリーマジックと言われる所以なのかとも恩います。人生も経験もすべてに、赤子のように幼稚な自分なのですが、善き先達を見習うことができる幸せさを享受し、身近な先達として、時に、自身の鑑として学んでいこうと念じています。
2009.01.20
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仲間との組織が何年も経過してきた中で、過去いろいろな方が携わってきた担当事柄が、毎年引継ぎされる中でさえも、時の経過がもたらす、記憶が薄れることから、不確定な事実として、多くの方に曖昧なままに、なっていることが多々あります。参加される仲間が入れ変わり、役職もその都度変遷を繰り返してきた事業経過がある中、物事の持っている真実が隠れてしまい、真の事実とは何であるのかが、不可思議になることがあるのですが、その真実が隠れてしまって、人様々な評価をもって論じられてしまっています。約束事、決まりごとはきちっと書類に残って、担当する期間の報告がされてきているのですが、軸になる集合体の運営方法と解釈が、その責任者によってまちまちになってしまい、組織としては運営が滞りなくされているものの、事業報告が実態と乖離している実情があります。それに加えて、その時々には最善であったことが、経年と共に時代変遷から乖離してしまい、現実にそぐわないままに、改善の意見さえも封印させられる事態がおきました。組織であればすべてに、役員会で決議されてきた諸々の議決が、書類で確りと残されていて良いと思うのですが、人の記憶の曖昧さがあったり、さらには議事録さえも行間から解釈される意味合いが変わってきてしまいました。挙句の果てには、当時の責任者を罵ったりする輩がでたり、卑劣な扱いをすることとなって、人としての仁義さえも不安定なものになっています。お互いが不信感をもってしまい、卑劣な言動ばかりが噂としてひろまってしまい、信頼感がない、仲間との集合体が悲惨な状態では、ただただ呆れるばかりなのです。こうした実情を鑑みて、できるだけ安泰に解決尽力したいと決意をして、なるべく過去の資料を整理して、現実の流れを把握してから、仲間達との善後策を練ろうと覚悟をきめました。少しでも仲間との集合体が、友愛を深めることをもって、目的に向って最大限の結果が出せることを念じるのですが、時代経過の中で多少の蟠りと不具合は、どんな素晴らしい組織でも起こりえる、時代認識の誤謬範囲だと認識したいものです。時々の責任者が誠意をもって、ご苦労されてきている現実を認識していますから、弊害の積み重ねを、その時々に解決をしてこなかった悪害の責任論を突き詰めても、人の心情や友情を壊すだけで、積極的で建設的な方策にはならないと信じています。過去の経緯を時系列に把握できればそれで良しとて、今後への発展と繁栄に向けて、少しだけ自己改善策の趣旨を述べてみたく思います。これから主だった方が集まって、仲間の集う組織の改革と改善について、前向きで参加されている方が、負担少なく効果的な活動ができるように、素晴らしい知恵を出し合ってみたいものです。とかく意見感情論になってしまい、お互いが存在意識すら希薄になってしまい、闇雲な敵対意識ばかりを論じてしまいがちですが、俯瞰して一歩引いてみての、総花的な解決策を提案できれば、将来の改善が約束されるものと、明るい気持ちで信じているところです。
2009.01.19
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ここのところ、多少風邪気味もあったのでしょうか、ものごとに執着心がなくなって、当然のこと集中力にも欠けてしまい、仕事の捗りが幾分悪いままに、日々惰性の流されるまま過ごしてきた感がありました。曇り空で暖かになった日曜日に、本来なら事務所に行って、少しでも事務仕事を専念し、捗らせたかったのですが、遅く起きてしまったことから、居間で新聞やテレビを観ながら雑用をしている内に、全国都道府県対抗のマラソン放送が始まってしまい、そのままゴールまで居間にいて、ながら族で過ごすこととなりました。家人が風邪をひき、声がまったくでないほど、喉が腫れてしまっていたのですが、先日に懸かり付けの医院でうけた、栄養剤点滴と投薬も効きだし、あわせて今朝もゆっくりと起床できたお陰でご機嫌がよく、二人してのんびりした時空を味わってしまいました。居間の食卓に雑然と積まれてあった、賀状や郵便物と機関誌などの書類に目を通しながら、半日で結構な整理がつきましたし、目に付いた字句や銘文をチェックできましたことは、最近になくご機嫌な時空になりました。読み込んだ書籍類の中から気付いたことは、どの本を読んでも書かれている多くの言語からは、誠実や正直とか、真心や素直とかで、好意、親切、仁愛・・・・・等々の有意義さが説かれていて、人の心をいつも清純にしておく、謙虚さの大きな価値に、改めて言葉の重さと大切さを痛感したところです。アメリカ次期大統領は、間もなくオバマさんにチェンジされますが、ご自身が選挙中にモットーとして多用したチェンジの言葉は、世界の人民が金銭的な物欲の豊かさから、精神的な心の豊かさを求めに改革するチェンジを、オバマさんの言葉を通して、世界時勢の本流と本音として提言されたのではと、勝手ながら自己流解釈をしているところです。読書から享受できた銘文を目にでき、心のなかに共鳴と共感する言葉の素晴らしさは、読後感の心の中に強く感化されるのですが、この学び取った言葉からは、活かしてこそ人生訓になれるわけでして、ただメモリーホルダーに、積み増すことに専念するのではなく、是非是非人様との会話にこそ、有意義な活用をさせ言葉を活かせてみたいものです。先ずは事業所でも、家庭内でも、社会でお会いする方々へも、自身が無心になって良い言葉を率先して使いこなすなか、善良語の織り成す言葉からの感動は、人様の心の中で大きく開花してくれることを期待してしまいます。少々押し付けがましくなるのですが、言霊として伝導される人の言葉が、人の心をも動かすことができるとすれば、できるだけ感動される言葉を使える語彙をもって、言語の多様化が操れる能力をみにつけてみたいものです。読み書き、話す聞く言葉から発散される情報が、沢山のイマジネーションを発揚して、感性の選択肢が沢山ある言葉に繋がってくれることは、自分や人様を、豊かな心境にさせることができると信じます。影響があるとする自己発信の言語があるとすれば、その機会が多いほどに留意しなければいけないことが、廻りに悪影響をあたえることと、他人の心に厚かましく踏み込まない、真摯な言語を使わなければいけないと、この今になって言葉に愛情と真情を気遣っています。
2009.01.18
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友を裏切る行為は誠に悪いことと知りつつ、自分にもっと正直であれと叱咤したり、これで好いのだとも勝手に自己承諾させていたりして、今の老いた自分の思考が、迷走をして良く分からないことがあります。24日に高校時代の仲間が、定期的に会合する予定が、昨年から分かっていたのですが、偶然に年一回の全体の同窓会が、同じ日時で開催される案内状が届きましたので、仲間に対して同窓会に出席しようと先鞭をつけて、仲間からの承諾をもらえることができました。こうした時間的な経過の中で、ずっと気がかりで継続的に考えていた本心があるのですが、まったく同じ日に東京で行なわれる、致知出版社の講演会に参加してみたいことでした。講演会の申し込み締め切り期限が近付くに従がって、ふと同窓会と講演会への出席選択肢の比重が変化して、腑の中でも格闘をし始めるようになってきたのです。後ろ髪引かれるまでも無く、本心は講演会に参加して、101歳になる仏教伝道師の松原泰道さんと作家五木寛之さんの対談を、この目と耳でもって生でじっくりと聴き入ってみたいことでありましたので、日ごとに念願が募ってきた先日のこと、発作的にインターネットから、申し込みを済ませてしまいました。自身の本心にそって、講演会に参加できる実現ができたことが、本来であればホッとするはずなのですが、結果的に同窓会仲間には不義理と成ってしまい、そのことがなかなか割り切ることができなく、どのようにしたら、欠席することを理解して貰えるかが心配になっていました。5人の仲間に対して立った今しがた、事情を書き込んで不参のメールを流したところなのですが、講演会の件はあえて書き込むことをやめて、不義理とお侘びを丁寧に書き込んだ文章を送信させました。おそらく仲間との再会は何時でもできるからと、同情の返信が返ってくることを期待しているところですが、自身の悪き性格は、自分が行きたいほど魅力がある講演会であれば、他の人にも薦めてあげることができないことなのです。もっと腹をわって、正直に本心を伝えてあげてこそ、親友の仲間からも賛同が得れる可能性もあるのですが、以外にも独りボッチの行動を望んでしまい、大勢と行動を共にするタイプではないことは事実あるようです。協調性がないとか孤独主義とかの、偏見的なものはまったくありませんが、じっくりと孤独の時空をもって、今回の講演会を聴き入りたいと願っていると、自然に仲間とでなく一人で参加することが、自分自身でプログラムされてしまったようです。日常の中でも、他人と組んで作業をするよりは、遥かに仕事量が増えてきても、孤軍奮闘形を踏襲して、夜中までも苦もなく、一心不乱にのめり込んで励む性格ですから、排他的ということでなく、孤独が性格にあっているようです。今回は誘い合うことができませんでしたが、以後反省をして、できるだけ進んで情報を提供する中で、気の会う仲間を増やして、一緒に行動ができることを期待しているところです。意識波長と価値波長が共鳴して、心地良く友愛のハーモニーを奏でることが出きるように、老いて行くこれからだからこそ、積極的に自分の役割としてみたいものです。
2009.01.17
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大相撲初場所を見ていますと、お正月のご祝儀場所かと訝ってしまうほどに、満員のお客さんが連日国技館に足を運んでいますし、当日券も早くに並ばなければ買えないほどの活況を、先日のニュースが報道していました。昨年中は、暴力致死事件から朝青龍の横綱品格問題から、八百長不可解事件、麻薬所持物議、等々の大きな力士難題が起きて、国技である大相撲の存続すら危ぶまれる、誰でもが危機感を抱くほどの諸問題が表面化したものでした。昨年北の海理事長が責任を負って辞任して、新しく伊勢ノ海理事長が就任したことが、改善の功を奏しているのか、よく実体は分かりませんが、国技に人気が戻って活況があることは、ファンとしても国民としても、とっても嬉しいことに思っています。先場所があった福岡では、連日空席が目立って、ニュース画面で流れる不人気の現実を、少しばかり心配をした一人でもありますので、活況ある初場所が、改革された新しい大相撲の再出発に繋がることを期待しているところです。年が明けて初場所の活況状況は、まったく同じ世相であるにも係らず、連日超満員の盛況振りですし、何よりも朝青龍自身が多くの声援を受ける形で、大相撲ファンの注目を独り占めにしている気がしますし、昨年と言うかつい数ヶ月前の不人気度は、何が原因であったのかを知りたいくらいの摩訶不思議さが感じられます。どちらかといえば、趣味嗜好の部類にはいる大相撲の見物が活況で、世の中が厳しく心配をされている報道の中、雇用の不安定な難題と経済不安の真っ只中の社会現象が、大きく乖離しているようにも思ってしまいます。雇用解雇とか賃下げとか厳しさが増す中、毎日国技館が人気を盛り返していることは、実にホッとする現状を確認できて、一方的に報道されるコメントでない実況模様から、真実の確認を見てとる必用があると思っています。マスコミを通して、世の中の現象を公平に流してくれるのですが、何処まで真実として受止めて好いのかも、ニュースを受け取る身としても、単純に闇雲な受止めをしないで、しっかりと確認する必要がありそうです。情報のコントロールは皆無と信じたいのですが、テレビを主とするマスコミから流される、各種情報に一喜一憂している我々は、どこまで素直に受止めることが、自己責任としての範囲に入るかも、確りと目と耳を働かせる必要がありそうです。日常会話の中で使われている、週刊誌が書いていることだから当てにならないのです、と言った言葉を常套句にしているのですが、テレビが言うことだからとか、ラジオの言う事だからとは言わないところも、実に不思議な思いをしています。夜遅くの時間帯に、各局が競って報道番組を放送していますが、出来事の真実から、何を汲み取って、自信の生きる糧にするかは、与えられる情報で無く、自分自信が積極的に得た情報をもって、きっちりとものごとの良し悪しの、判断ができる能力を身につけたいものです。テレビ番組もお笑いとバラエティーが主流になっておりますが、報道もこうした時流を受け入れて、硬軟織り交ぜての番組編成がされていて、バラエテーィとの合体型が、今風の若者好みになるのでしょうか。視聴率と言う制約と、スポンサーと言う営業活動をもって、民間報道番組が制作される過程からは、我々国人一人一人が深く思慮できる能力をもって、世相の判断を見極めていける必用性が、ますます大切になる時代である気がしています。
2009.01.16
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部屋に入って直ぐに、お袋さんが眠っているそのままの寝姿が見えたとき、一瞬時間がタイムスリップしたような錯覚になってまい、その顔つきと言い髪形と言い、入院病棟で逢った叔母の姿は、懐かしい思いが一杯に沸いてきました。昨年秋に叔母のお宅で会った時には、健康そのもので、何時ものように、笑いながらユーモアたっぷりに話すことができ、時間を忘れて世間話等に華を咲かせることができました。農家の嫁として働き者の人生を歩んできたのですが、長姉に当たる私の母親に頼って、子供のころから、姉に頼って沢山遊んで貰う、妹の甘えを一杯経験できた方なのです。何時も叔母の家には、自宅のように気楽に訪問させて貰い、従兄弟夫婦を交えて、時間を忘れて寛ぐことができたのですが、昨年末の未明に突然倒れられて、集中治療室で医療を受けていたのですが、意識が快復しないまま、個室の部屋に戻ったことを聞き、急遽お見舞いに駆けつけてきたところです。一般病棟の一室のカーテンを開けたら、従兄弟夫婦に見守られて、ベッドで眠っている叔母に面会ができ、口と鼻に管を入れた姿が痛々しいのですが、顔の表情が元気に見てとれて、すぐさま、叔母さん分かりますか?、と声掛けした途端に瞼を開けて、目をみせてくれたのです。見守る従兄弟夫婦も、一瞬信じられない顔を突き合わせて、ベッドのそばに歩を進め寄って来たのですが、表情と声をだすことができなく、病との闘いにしっかり頑張ってと、声をかけてあげることしかできないままに、息苦しさと辛さと空しさが感じとれるだけでした。従兄弟からの説明によれば、心臓動脈が破裂寸前で、血管がぼろぼろの状態に成っていて、即集中治療室に入って、大層大変な手術となったようでした。大きな手術にも耐えることができた命は、老いた叔母の身体には、大きな負担となったことでしょうから、長い時間を掛けながら、徐々に快復をしてくれることを、こころから一念するのみなのです。人の持つ血の濃さは、叔母も従兄弟も理屈でない連帯感が有って、何と表現をすれば良いのか分かりませんが、身内の命を何としても護る本能が目覚めてきて、同じ空間に寄せ集ることから、一心同体の感激が沸き起こって、意識をなくした叔母の顔から、身の内としての表情が読み取れたのでした。一生懸命になって、甥っ子に声を掛けようとしている風にも、感じられることがとても寂しくて、薄目で見られる眼力を感じ取りながら、改めて、一日も早く意識を取り戻してくれるように、素敵な笑顔を見せてくれることを、心の中から一生懸命に願っているところです。命の尊さとは死と直面して、生死を闘っている姿を直視してこそ、理屈でない尊厳を感じることができますし、なんとか助命の本能を救い求めあって、延命の力を伝達させてあげたいものです。若い看護師さんが付きっ切りで、心をこめて介護してくれる姿が嬉しくて、肉親以上の親切心が、従兄弟夫婦に安心感と安堵を与えてくれて、全幅の信頼をもって治療に専念できるだけ、身内の一人としても安らぎを覚えるところです。親に甘えて、叔父叔母に甘えることが多々あったのですが、可愛がってくれて人々をお見舞いする年齢に成ってきて、老いる人性の重さと、伯父さんと呼ばれる立場になっている自身が、いまだよく納得できないのです。今は家族中が風邪をひいてしまい、喉が痛くて食欲も無い症状に成っていますが、身内が久し振りに会うときの慣用語になっている、風邪を惹かないように気をつけてね、と注意と慰労をされてしまう役回りにきてしまったようです。叔母の快復を祈願することをあわせながら、どんどん時代が変容していく中でも、身内は勿論ですが人様の健康に労わりを係ってあげれるだけの、豊かな人情を持ち合わせていける人となりを、誇りをもって目指していきたいものです。
2009.01.15
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何時でも身の廻りには、波長が合うあわないの人が居ても、なんら不思議なことではないのですが、毎度毎度その度になると、お互いの存在認識を毛嫌いしていては、何時に成っても、お互いが距離感と偏見をもって接することと成って、マイナス効果だけとなることを実感しています。絶対いつかは腹を割ってこそと思って、気軽に話し合いする中での、意見交流ができさえすれば、誤解やわだかまりも自然に解けて、新しい物事の解決策ができると思っています。皆さんが好く知っていることなのですが、個性が強い方からの意見を、感情的に不愉快に感じて、当たり触らずに距離を置いて、難敵としてしまっては、いつも距離感が開いたままの関係になってしまい、あまり発展性がないままになります。無関心の退化を認めてしまっては、自身の意識の浅はかさを認めることになりますし、如何にして今の状況を打破できるのかを、創意工夫と少しだけの努力がなされれば、抱える難題は大きく解決されることになることでしょう。ことあるごとに、何度も同じことを感じて、思いを整理しているのですが、人間関係の物事を進捗させる時には、意見を纏める役が悲観的になって、さらには処理能力不足ですと、一層纏まるものが纏まらない状況に陥るだけだと感じています。極身近にいる方なのですが、随分時間を溯ってすべてに亘って、すばらしい能力をお持ちの方がいらっしゃって、なにかと積極的な処理能力を発揮されて、多くの運営ごとを纏め上げてきた実績がある方がおります。ところが担当者としての役を終えても、延々として、ご自身のお考えを踏襲するようなご意見番と成ってしまい、押しの強さと理論を述べられては、反論ができないままに押し下がる方が多い現状が散見されます。遅々として問題解決ができない人間関係を、好い加減に問題解決をさせて、参加される関係者すべてが円満に納得をさせる手段とは、結局のところ、直接に相対の議論しか遺されていない気がします。そこで意を決して思ったことは、日常から何かのお役に立つことを、心がけている身としては、そろそろ二人して話し合いの時期が来たのかと、直感的に決意をしたところで。話せば分かりあえることとは、単純でないことは十分に理解していますし、自分が持っている処理能力も劣っていては、理論派の方との議論ができるのかさえ疑問なのですが、立場が違う正論を知ってもらえるだけでも、大きな効果があると信じています。尻尾を巻いて退散ばかりして、いつも従順する方が多い現状が、身勝手な意識を助長させてしまい、人の意見を受け入れできない人間に、させてしまっているのでしょうから、堂々と異論を伝える立場に成ってみたいものです。会合があるたびに、こうした堂々巡りの愚論をしていては、なんの進化も発揮することができなくて、精神退化の一路を下るだけになるのですが、せめても波及効果がされるべく、改善の一石を投じる役目は重く受止めてみたいものです。総花的な意識改善要項を先ずは投じてみてから、各論の主旨を論じ合うことで、とかく敵対的な関係を構築している場の中を、少しは風通し好くできるでしょうし、意見交流ができることだけでも、大きな価値があることと思います。やたらに自分だけが買い被るのではなく、相手こそを買い被ってあげれる心の豊かさをもって、中睦まじい友愛効果を広めていける、適度な役目を担いたいものです。
2009.01.14
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正月中の我家の仕来たりの一つに、爪を切るのは松納めを過ぎてからと、何時しか決まったルールがあって従がっているのですが、タイミング的に年末押し詰まって切る必用もあって、爪切りする日の頃合が結構難しいものです。今年も6日にめでたく松収めをすることができ、すでに伸びてきた爪を切ることができるのですが、底冷えのする寒さを理由に、少々長めの爪を気にしながら今日もそのままになっています。一方頭髪も伸びてきていて、そろそろ床屋に行きたいと思っていたのが、ついつい日伸びとなってしまいながら越年して、今では毎朝整髪が上手くできないほど、ぼさぼさ頭になってきました。そんな髪型を眺めながら、家人からもそろそろ床屋さんに行ったらと、毎日忠告を受けるほどなのですが、ここのところ寒波で風邪気味になり、一層出不精に成ってしまったり、改めて気にもならなくなったりもして、普段の倍くらいの豊富な毛髪量を、工夫をしながらブラシを入れている日常です。髪型もオールバックの変凡な形から、真ん中で分けるスタイルが自然流になって、癖毛の関係なのでしょうか、朝にブラシを入れたオールバックですが、いつの間にか真ん中分けになっていてしまい、会う人から、髪型を変えたのですかと訊かれる始末です。よく世間で言われることですが、苦髪楽爪、苦労すると髪の伸びるのが早く、楽をすると爪が伸びるのが早いとの諺ですが、果たして自分に当てはまるのかと訝っているのですが、良く調べてみれば、逆言葉である、苦爪楽髪もあると言われるようです。ふと自身を思うとき、ここ暫くの年月を艱難の苦しさを味わって来ていますので、爪も髪もどんどん伸びるのが早くて、苦髪も苦爪も当たってると実感しているところですが、長くなった爪も切るこことができますし、長くなった髪も床屋にいって手入れをしてもらえますので、まだまだ神様も仏様も、此の世で努力する役目を与えてくれているようです。毎日報道されている、不安定な雇用契約問題が、大きな不安として社会問題に提起されておりますが、何とか今日明日は安泰に暮らせる身としては、その享受されたすばらしい時空に、心からのお礼を伝える必要がありそうです。何時かは床やさんに行って整髪をしてもらうのですが、せめても、ぼさぼさ頭を小奇麗にさせる気遣いをして、清潔感を意識しなければいけませんし、人様に不快感を与えないように、しっかりと心がける必要があると思います。世の中で、身だしなみはとっても大切な心掛けの一つですが、身につけるものも高価なものを心掛けるのでなく、あくまでも清楚を基本に清潔さを保っていたいものです。お会いする方が不快感を覚えるのでは、社会人として失格ですし、何よりも生きる証としての自己顕示を健全に示すことさえも、表現できなくなってしまう残念さがあります。せっかく此の世に生をうけてきて、誰でもが思いきり良く活躍できる時空を提供されて、すべてを受け入れ認めてくれている現状に対して、責任あるみとすれば、何かしらの生きてきた証をのこす働きをすべきでしょうし、少しは世の中に貢献をする自覚をもつべきでしょう。その結果として、なにかしらの恩返しができ、世の中に対し、できれば最善な人生になりえることを知って、お互いに共存共栄の一助を担って生きたいものです。頭髪が少々長くても、こころの底から輝きがあるとすれば、人の徳として人情味ある温かみが発散されて、安らぎある平穏な世の中にさせて、少しでも、世に貢献できる人となりに専念したいものです。
2009.01.13
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家人が風邪をひいてしまい、二日間寝込んだのですが、健康が当たり前で居てくれる人が寝込んだだけでも、日常のリズムが崩れてしまい、三度の食事から掃除選択までの大変さを、淡々とこなしているところです。普段は勝手な言動をもって、文句の一つや二つを交わしながらも、事務所に入ることで自我のことに専念できると、我が逃げ場があることに救いを求めて、時々の意見のすれ違いは、ご愛嬌として済ますことができるのですが、風邪で寝込まれてしまっては、少しは手助けすることを知ることになります。感情表現を上手くできない世代の為なのか、居てくれなければならない存在の家人に対して、心に抱いている真の情愛を、親愛に上手く伝えることができなくて、いつも傲慢に衝突してしまっている機会が多々ありました。日ごろからできるだけ家人に対して忠実に成って、儚い意固地を持たないことで、もっと素直になり、夫婦愛を家庭内の平安に結び付けることが保たれていくのでしょうが、分かっていることが上手く言えない日常に、言葉だけでない夫婦の深い愛情と絆があるのだと、まことに勝手な解釈に結びつけてもいるのです。この連休に集まりごとがあった家人は、寝込んだために欠席することになったのですが、サークル仲間からお見舞いの電話が数件入って、そのたびに受話器を寝室に受け渡しをしたのですが、亭主が知らないサークル仲間は急に声を控えて、我が家人の亭主を観察するように、電話口での声がけをしてくれました。家人仲間の皆さんからは、咄嗟に亭主評価をするかのように、興味津々に声を余所行きに替えて対応してくれたのですが、果たして、観察心がするどい家人の仲間達からは、どのような評価をもらえているのかが知りたいものです。特別に世間評を気にすることもまったく無い心算なのですが、事務所を居宅隣地にもっていると、何事にも夫婦して接する事が多い時間帯があるのですが、四六時中の亭主を面倒することが、結構煩わしい存在にみられてしまうようでした。職住接近とは誠に都合が好いことが沢山ありますので、私自身は喜んでいるところですがよそ様からみると、いつも亭主の顔を見合わせることが煩わしく、亭主元気で留守が良いとの、世間評とまったく違う生活スタイルに、なかなか姦しい話題に成っていることも事実あるようです。時間の経過とは実に大きな力を齎すのでして、加齢と共に我が儘が発揮されてくる熟年期には、世間で言われる倦怠期も徐々に乗り越えて、何時しか和気藹々の似たもの同志になっている二人が存在しているのです。空気のような存在とは、実のところ、自分の判断としては、なかなか割り切っての評価ができないのですが、言いえているのは存在してくれなければならない、最も大切な人に間違いがない真実があるのです。何時もその時には感じていることなのですが、家人が体調不良で床に伏した時に、健康に一緒にいてくれるだけの有り難味を知り、言葉で軽く感謝を伝えることよりも、はるかに大きな心底からのお礼を知っているのです。少なからず、仕事で犠牲を与えてしまっていることを反省して、いつかは必ず孝行ができる日を信じて、二人三脚を組んで生きたいものです。大真面目になって願うことは、家庭内の平穏と家人の健康を心底から念じて、ひたすら従順になれることこそ自身の役目であるのだと、今後は更なる温厚な亭主役を誓って、誰憚らず断言をしたいものです。
2009.01.12
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年始早々忙しなく毎日が過ぎ去る中で、自分の遣るべきことで精一杯なのですが、毎日時間が足りないほどのすることが連続して、これでお終いと言った区切りができないままでいます。消化予定があっても予定以上の予定が入ってきて、自分で遣りたいこともなかなか手が着けられないままになっているのですが、特に書物やメールの未読状態が甚だしい現実があります。最近になって配信されるメールマガジンを、メモリーに遺すか破棄するかの選択処理できなくなって、メールホルダーに未読のマガジンが溜まっているのですが、この連休に夢中になって目を通そうと思っていたところですが、そうは問屋がおろしてくれなく、毎日配信される数が多くて追いつけそうにもありません。刊行物や機関誌を含めた書籍も彼方此方の机の上に溜まっていますし、数個のカバンの中にも眠ったままの単行本があり、なんとか整理を心がけてみるのですが、ズボラな性格もあったり処理能力の限界もあって、当分変らぬ同じ環境が続きそうな感じです。メールマガジンも、書籍もそうなのですが、人生訓などの為になる言葉を見つけると、パソコンデータとして残す作業をしていますので、その時間があっという間に過ぎ去る時空があり、大事な仕事が後回しになる都度は多々有ります。この連休で始めたのが、ロータリー・クラブの財団寄付一覧表をエクセル数式で作成しているのですが、ことのほか面白くて夢中にのめり込んでしまい、この二日間を深夜までパソコン画面と睨めっこをしたり、日記を打ち込んだりして、深夜になるほどに頭脳明晰に成って、あれこれ思いがけないアイディアに気付き、密かに愉快になっている作業状況があります。自分のことと人様のことを含めて、もっている情報を共有共益することこそ、自身のお役目であることを割り切って承知していますので、携れる環境にいれることに深い感謝をしながら、人様とのご縁を大切にする為にも、お手伝いは喜んで実践心がけをするのです。そのためにも、できことは率先してこそ価値が豊かになると信じて、事業が困難な状況でも変らぬ奉仕精神を大切させて、できるだけ人様が喜んでくれる、最善な方策を見つけ出す努力と工夫をしているところです。妥協することは人の価値観で決まって様々なものですが、何事にも積極的に自ら進んでやり遂げることこそ、自身の成長に役立つことができますし、どんなにお手伝いをしても損はないと思いたいものです。だからと言って、自分の怠慢により引き起こされている、書籍の未読や、メールの未処理に尽いては、所詮は自己責任なのですから、与えられた現状に喜びを感じながら、楽しくことを処理できればと思っています。繰り返して自認しなければならないことは、こうした厳しい自己生活環境化でも、人様に提供できる力を持ち合わせていることを心から喜びながら、その恩返しを実行させる為にも、できるだけのお手伝いを率先させて貰いたい、世の中にむけて報恩をしたいものです。
2009.01.11
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何事にも淡白であまり拘りを持たない性格ですから、食事にも衣類にも特に深い嗜好も無く、贅沢品は縁遠い生活習慣スタイルを踏襲してきました。それでも好きな野球やゴルフの手袋や帽子は、時々の流行り物を買い求めて、いつの間にか数個がストックされてきましたが、なかなかお気に入りの品物が少なくて、いつのまにか時代遅れになってしまって、埃だけが積もった状態で片隅に垣間見れます。なかでも帽子類は数多く有るのですが、使えるものは少なく、なかなか捨てることもできなく、形が崩れてしまったり色あせてしまったりして、なかなか気に入っているものは少ないのです。この冬になってからは、寒い夕刻の散歩時にだけ、台湾の友人からプレゼントされた野球帽を被っていて、デザインとフィット感が好きで一番愛用してきたのですが、使う頻度が多すぎたのか、年季が入って相当傷んできていました。昨年末に病気見舞いの為に韓国の知人を訪問した時のことですが、その時には何故なのかと思う防寒帽のお土産を頂くことができました。知人からは、耳を覆うように折りたたんだつば付きの、防寒帽を使ってくださいと言われて手渡された時に、普段は帽子に縁がないし、余り好んで被るタイプでもなし、と思いつつもカバンの中に入れ込んでいたのですが、意外にも帰国して直ぐに使い始める機会に恵まれました。日中は温暖の輝ける陽光を浴びる楽めていたのですが、大晦日に除夜の鐘を聞いてから、深夜に一人地元の氏神様に年始の参拝に行く際に、何気なく手にして被ったお土産の帽子がフィットして、耳を覆い被さって深夜の寒風を防いでくれた、とっても優れものであることに気がつきました。元旦になって、韓国の知人から年始の挨拶があった時に尋ねられたことが、防寒帽子は使ってくれていますかと聞かれて、咄嗟に、早速便利に使っていますと伝えたのですが、正直お世辞でなく、頂いた防寒帽がとっても軽くてフィット感があって、抜群に便利な優れものであったのでした。一度寒風の中で、とても便利に役立つ味わいをしてしまうと、夕刻の散歩時には必需品となってしまい、着帽感が大好きになってしまい、今日のように寒波が強く襲ってきている時には、寒風を顔から護ってくれて、感触が良くて暖かさが最高に伝わってくるのです。ほっ被りスタイルですから夜目遠目なら好いのですが、日光下鏡で写してみたら、どんな恰好したお爺さんになっているかが気になるのですが、見栄えよりは防寒効果が第一で有効的な季節なのです。今日の大寒波でも心地良く散歩にでれることも、この頂いた防寒帽があればこそで、子供心に成って、帽子を被りたい一心で寒空の中でかけることができました。いまだ何故防寒帽を頂いたのかは、意味が良く分かりませんままですが、何気なく頂いたものが有益に役立っていることが嬉しくて、尚更に、韓国の知人がこうした季節を見越してくれた、長老の心配りと知恵に脱帽をしているところです。降らぬとも傘の用意との諺が言われておりますが、人生の先達は何かを察してくれたのでしょうか、恰好好いゴルフ帽であればニコニコした声でお礼がされたのでしょうが、少々不細工な防寒帽では、さぞかし形ばかりにお礼を述べたと反省しきりなのです。知人が気心を込めて準備してくれたのですから、改めて心を入れ替えて、心からの感謝と御礼を伝える必要があって、今夜のような轟々と寒風が夜空に吹きさけぶ日に、防寒帽の有り難味をどれほどか満喫して、いつまでも大切に活用させて貰う心算でいます。
2009.01.10
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人が喜んで貰えるだろうと思うと、一層面白くなって、真面目に取り組むことができることがあることに、ほのかな幸せ感を抱いてしまっています。単純と言われればその通りなのですが、自分が気付いた工夫をもって、連鎖的にアイデアが浮かんできて、結果的に人様が喜んでくれるだろうと、勝手な憶測をしながら仕事をするのが好きなのですが、なかなかこうした環境になれる時が少なく、こうした心地良さは滅多に味わえていません。先日のこと、所属しているロータリー・クラブの委員会があって、会長と主だった担当委員が参加して、2月に来訪する台湾のメンバーの受け入れ準備をしたのですが、その際に古参会員に当たる方が担当しているロータリー財団委員会の活動について相談がありました。委員会の役割は国際的で、分野も細かく多義に亘っているのですが、その中に会員の源泉にした、大学生から上の成年に対しての奨学生として、各国への国際親善と学業派遣の支援制度があります。会員からの寄付を、クラブが所属している国際ロータリーの関連団体である、ロータリー財団に預けて、3年後にクラブが所属する地区に半分の金額が戻ってくる制度のなかで、地区委員会主導の選考をへて、毎年数人が国際親善奨学生として各国に派遣されてきました。中でも前国連難民高等弁務官の緒方貞子さんとか、地元の地区では、先日スペースシャトル乗船が決定された、宇宙飛行士の山崎直子さんが、奨学生経験者の学友として活躍をされていらっしゃいます。国際親善奨学生を支援できる仕組みとして、多くの会員から積極的な浄財が提供されて90年の歴史があって、制度的に1000ドルを単位に称号をもらえるのですが、制度の中には1000ドル寄付をされた人に対して、他人に提供できる1000ポイントを認証してプレゼントしてくれるのです。我がクラブでは毎月の積み立ても含めて、他クラブに誇れる寄付実績があるのですが、最近入られた会員を含めて数人の方が称号をお持ちで無く、この数人の方々に寄付をし易いように認証ポイントを提供して、クラブ会員全員が称号保有者として、100%達成クラブを目指すことにしました。ロータリー財団から送られてきた、寄付状況の資料と照らし合わせながら、認証ポイントの配布方を工夫している時の充実感は最高で、物事を忘れての一心不乱状態は、事務所のスタッフからは異常に見えているようで、少々過度になり過ぎている自分に反省をしているところです。お陰様で、財団とクラブの資料をエクセルに書き写して、簡単な計算式を入れながら、各人が公平にポイントを分配受け入れできるかを考慮していたのですが、会員一人一人の笑顔が目に見えてきて、特典を活かしながら財団の制度を理解して、結果的に多くの奨学生が新しく誕生できる夢を持てることになって、その一役を担えることができたことが、ことのほか嬉しい思いをしています。もちろんのこと、このことはクラブ行事ですから、私案としてお役に立つのか分かりませんが、参考資料である一人の案としても、多くの会員が喜べる環境を構築できるお手伝いができたことが、何よりも心地良く認識できています。今度行なわれる委員会で持って、各人から提案される私案を良く揉んで、会員も喜び結果としてクラブ会員全体が称号授与者となって、誇りを感じながら国際親善奨学生に、心強い応援ができることとなります。世間とは思うようには簡単に行かない事情がありますが、少しだけでも人様へのお手伝いができたとしたら、こうした喜びの時空を与えてくれたロータリーの仲間達と、ロータリアンとして活躍できる環境を許し護ってくれている家族やスタッフに、心からの感謝を伝えることも大切なことです。
2009.01.09
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昨晩遅くのこと、テレビのスポーツニュースを観ながら、パソコンを叩いていたのですが、各種スポーツのアスリート達は、今シーズンの開幕に向けて、肉体鍛錬の始動がされているようです。それぞれの分野で活躍している一流アスリート達は、豊かな個性があって、輝く華を持っていますし、一種の光り輝けるオーラが漂っているのが感じられました。中でもメジャーリーグで大活躍している、マリナーズ鈴木一郎選手こと、イチローさんの言動が一番刺激になって、練習風景からもコメントからも、超一流選手の雰囲気を遺憾なく発揮してくれていました。このことは長年のすばらしい試合の成績結果と、自身が誇りにしている経験上の自信が齎す、正直な言葉だと納得せざるをえません。だからと言って、奢ることなく、厳しく物事の分別を判断しながら、淡々と昨年の反省をして、今年に向けての課題をもった練習方法を披露するところが、プロ中のプロ職人気質が醸し出されてくるのでしょし、視聴する者達を深く納得させてしまうのです。詳細は分かりませんでしたが、おそらく個人的なチーム・イチローのような集団を構成して、身体のケアーサポートから練習内容までを、細かくプランニングさせて、チームとして練習の成果を上げているのだろうと思いました。イチロー選手自身が、華麗にのびのびと自信をもったプレーを発揮でき、練習に専念できる環境を作り上げてこそ、個人チームスタッフの知恵も工夫も大きく評価されるのですが、大スターの一役を担えるスタッフそれぞれが、大きな喜びを感じとっているのだと思います。特に打撃投手になっている人は、おそらくイチロー選手の目にかなったピッチャーだと思いますし、すべてのスタッフが僅かな期間のお手伝いとしたら、どんな基準で選抜して、個人チームスタッフとしての、纏まりを創り上げたのかが興味あるところです。お手伝いの人がいれば好いくらいの、それで簡単に済んでしまう大スターでなく、おそらくは特別の技量をもったイチローさんのサポーターは、短期なのか一年なのかは分かりませんが、選ばれた特別な人々の集団だと推察しています。華をもったスーパースターのイチローさんは、生まれながらの天才として持ち合わせたすばらしい技量をもってしても、毎年工夫をしながら厳しい練習を積み上げてこそ、その結果として未踏のすばらしい成績を創り上げることができるのでしょう。人気者のイチローさんらしく、何時も節度を持って礼儀正しい姿は美しくさえ観え、走攻守に亘って華美なプレーを見せ付けてくれる才能は、一朝一夕に具わった能力ではないことが理解できます。超一流のスタープレーヤーだからこそ、心と技と体が一体化しての自身を意識させ、常に厳しい環境において忍の一字を身につけて、すべてのプレッシャーに耐え克つ、克己心を磨いているのだと信じます。華麗な世界で活躍する非凡なトップスターも、一人の人間として、大きな悩みを持っているのでしょうが、その苦しみを見せないスマートさが、一層華を活き活きと魅せてくれるのでしょうか。悩み苦しみ打ち克つスターの活躍を期待しながら、平凡な凡人としては、まったく比べものにならない努力だけはするべきと、克己心の確認だけでもする必要性を痛感して、心新たに修練の大切さを、身に感じているところです。
2009.01.08
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結構占い類を気にするタイプで、インターネットのサイトとか、新聞の星座占いコラムが趣味のようになっていて、占いの手法とか特定の占い師に偏らない、勝手気侭な好みをもって、適当なストレスを味わいながら毎日楽しんでいます。深く物事を追求するタイプの人間でありませんので、固定の占い師とか占い方法に深入りしないのですが、星座だけの占い方に限っては、何箇所かのサイトと新聞を贔屓にしています。新年が明けて、名が知れている易者事務所の、星暦表を銀行から頂くことができて、早速家族の星占いを観たのですが、総じて星回りが良いとの運勢が易占いされているようでした。今年は年明け早々に一年を通して、思い通りに順風満帆な星回りを占ってくれていましたことが、とっても嬉しくて、単純軽薄な性格をもろに出して、絶好調気分を謳歌することができています。占いによりますと年回りの厄も終わって、ようやく今年あたりから順調な生き方が出来そうですし、世の中からの後押しも期待できそうで、正直な気持ち、心底ホッとしているところです。晴れてお正月を迎えてから、気が少しばかり軽やかに思え、まだ沢山ある超えなければならない難儀のハードルを、何とか越えることが出来るかと、見通しが明るい占いに元気付けられて、少しばかり安心と意欲が沸いてきていることは、気休めでない力強さを味わっています。2004年からまる4年間が、人生で始めての艱難辛苦の事業の躓きを経験することになり、家族から親類を含めての、様々な人々に大きな助けを請うこととなって、この4年間は、一難去ってまた一難の苦しみがありました。この年が明けても、まったく辛い状況は変わらないのですが、苦しい中にも、4年間を健康に生きることが出来ていることだけが、家族共々最高に幸せな思いをしているところです。機会がある度に、人様からの温情を頂きながら、何とか生きることができている有り難さを享受していますと、何時かは恩返しをできることを励みにでき、精一杯日常を過ごせることには、素直に天地からの御加護だと信じることができるのです。人様から頂く温かみや有り難さの、大切さを知ることになってからは、滅多に人を誹謗することはなくなりましたし、人様を許せる円く豊かな性格が身につき、少しばかり自己進化が出来るようにもなりました。歳は摂ってしまいましたが、人生とは与えられた時空と宿命を信じて、限りある寿命の中で精一杯世の中への報恩を果たしたいものですし、何よりも迷惑を掛けて支援を願った方々に、必ず恩返しをしなければなりません。毎日、朝に感謝夜に感謝の日々となっていますが、こうして、いたって健康にいれることも、何かの役目を担ってのことでしょうから、虚心坦懐になって日々剛毅に励み生きたいものです。その気休めになっている、易占いが明るい一年を授けてくれていますので、朗い明日への背中を押してくれる応援と思って、心新たな頑張りをしていかなければなりません。自分の限られた能力を知ってこそ、助け支えて頂ける世の中に感謝をしながら、営々粛々と自分の役割を誠意をもって、奢ることなく役目を果たせる毎日にしたいものです。
2009.01.07
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門松もお飾りもお正月気分も松の内までと、今日は松収めをしてすっかりと、日常の慣れ親しんだ平穏な姿に戻って、心新たにして新年にかける思いを強く意識したところです。年末に画像の確認をした後に、年賀状の宛書整理作業が重なって、そのことばかりに時間が追われてしまい、慌ただしく年末年始を過ぎてきたら、気が付いて見るとデジタルカメラが見当たらないのです。二日前からあれこれと、年末からの記憶を辿って探しているのですが、一向にカメラの姿が見ることができなく、何処に隠れてしまったか、カメラの行方を捜し求めて今も気になっているところです。家族に当たってみれば、いつもいつも人の性にするからと、怒られたり呆れられたりしてしまい、ここに至っては加齢と共に忘れ物が多くなって、カバンの中や、コートのポケットを確認する作業が、何度も淡々と繰り返されているところです。性格的なルーズさがあって、日常的に探し物を繰り返している身なのですが、最近の探し物を思い浮かべてみると、小銭要れと、名刺入れ、JRカードが常習で定期的に繰り返して紛失をしています。外出から帰ってから、決まった物を決まった所に整理すれば、こんなに何度も探し物をする必要がなくて、気分悪く無駄な時間を過ごすことも無く、家族にも迷惑を掛けないことができるのだと、十分に承知していることなのですが、何回も度を越すと悪癖な性格が恨めしくなってきます。あるものがないことの不思議さと、何処でなくしてしまったかの原因がわからない空しさが入り組んで、カメラが見付る日までは、もやもやして、吹っ切れない毎日が続くことになるようです。良く考えてみても、良く思い返してみても、実に不思議なことですが、実にシンプルに記憶が抜け落ちて消えてしまい、物を失くしてしまった現況がまったく思い返すことができない症状に、何度も繰り返していればマンネリになるかと思えば、不快感は毎度毎度新鮮に甦ってくるのです。今年が始まったばかりですが、早々の紛失物がカメラでしたので、これから一年間にどれ程のものが何回となく空しく行方が分からなくなって、家族を巻き込んでのトラブルには、そろそろ解決策を講じる必要がありそうだと思います。思い当たる紛失原因として、隣接する事務所と自宅には自分用の机が備わっていて、時々に応じて小物を置き容れることが、最大の悪癖人間に成ってしまっている遠因だと確信をしています。せめて一箇所に置くことを決めれば、今の悪癖は半分で済みそうですし、効率よく生活できることが、何よりも気持ちよいものと、硬く信じて願っているところです。マルチ的な掛け持ちしての仕事も紛失する原因になっていて、ことを完遂させない間に、次から次へと物事を始めてしまうことも、そろそろ反省して改心をする時期に思います。じっとして居られない性格も困ったもので、思いつきの儘で次から次へと行動を移す性格は、物事への熟慮が足りなくて、思考も浅はかで幼稚になることを、自身が一番良く承知しているところです。悪癖悪性が進化改心できることを夢を見て、かろうじて松の内の日ですが、新年の達成目標ができたことを喜んで、健康で元気だけが取り柄の自身に、新しい可能性を引き出す機会を自分自身でみ付ける意欲ができたことを、喜び嬉しく励みにしてしまっています。
2009.01.06
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子供の頃のお正月風景と言えば、何処のお宅にも大きな門松が飾ってあって、生まれ育った街は昔の道路のために道幅が狭く、道路の両方から大きな松の木と竹の枝が覆いかぶさってきて、いつもの道路幅が半分位になっていた記憶があります。昔は自然保護をする必用がなかったほど、松や竹は何処にも自生した大木がありましたし、空き地とか公園の木々は、子供らにとっては絶好の木登り遊び場になっていました。年末から年始に掛けて街中がお正月を祝い、お正月飾りも気張っていたように思えていたのですが、そのころの景気状況とか社会情勢からすると、各人それぞれが結構負担になる出費をしていたのでしょうが、律儀に伝統を継承して来ていたようです。我が家の風習では松飾は今日までで、明日には、早くも松納めの日を迎えてしまい、お正月気分もゆっくりと味わう時間も無かったのですが、天候だけは絶好のお正月日和に恵まれて、紺碧の空から燦燦と差し込む春陽を楽しむことができました。これほど恵まれての温暖なお正月は、ここ何年か経験することができなかったのですが、年毎ごとに温暖な正月陽気は、自然環境の破壊によるものなのかが心配ですが、暖かな冬になってくれていることは、家族揃っての健康な生活と共に、改めて感謝の気持ちが一杯の毎日になっています。暦通りに今日から仕事初めとなって、銀行と役所に年賀の挨拶に伺ったのですが、昨年と比べても挨拶に見える方が、気持ちばかり少なく元気が無かったように思えました。年末から連続して、経済と金融の不安な情報がマスコミから流れていますが、昨日のニューヨーク株式も、今日の東京株式も二つの市場が、景気良く大幅な値上がりをした勢いをもって、庶民の不安を払拭させてくれ、心から安心できる政治的な経済環境を構築してもらいたいものです。会社の都合で一方的に職を外された方々が、衣食住の環境を一瞬で無にされて、冬空の寒さのなか路頭に迷う姿を見るに付け、人情として余りにも悲惨すぎる世相があります。雇用の契約は、その主旨に則って行なわれるのが筋ですから、派遣切りでこれだけの方が無職として路頭に迷う現況からは、様々な政治課題を見せ付けてくれています。他人事でなく、厳しい世の中の生き方とともに、何時でもお互いが助け合う人間性の、心の修練の場でもあるように思いますし、個人と国家、個人と会社の信頼関係を構築させる、思いやりの原点を厳しく見直す時期なのでしょう。アメリカ型の契約社会に移行している世相ですが、人情や恩情をもった助け合いの精神は、いつから軽薄になってきたのでしょうか。家庭内でも親子の絆がなくなってきている現状に、我家の親子を顧みてしまいますし、他人事でない、お互いの距離感を感じているのであれば、一歩近付き深く知り合う大切さも必用に思います。家庭内も、ご近所でも、社会でも、意外に割り切ったドライな寂しさが助長されていて、それこそが、今の社会性に合っていると、ある種のマスコミを通して広報されていると、自然とドライこそが時流なのだと、少々勘違いをしてきた反省もする必用がありそうです。国際化が深まって益々複雑化する世の中ですが、常に相手を受け入れて、助け合い思い遣れる心の交流は、誰でもなく自身が積極的に思い行動できることですので、自ら常に学び摂る心掛けをしていきたいものです。
2009.01.05
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JRで成田山新勝寺に向かったのですが、1時から始まる大護摩が猊下のお勤めとあって、参拝客でごった返す参道を避けて、裏道を急ぎ足で歩を進め急いだお陰で、大護摩供養が始まる前の説法を途中から聞くことができました。広い本堂には既に立錐の余地もなく、全国から参拝に訪れた人々が厳粛をもって、熱心に説法を聞いていたのですが、お正月だからか、偶然にも僧侶の通路が開放されて、一気に奥から僧侶の読経場横に座ることができました。猊下の入場から着座までを合掌で迎え入れ、若い僧侶が目の前で読経する大護摩を小一時間ほど会得することができ、正座から立ち上がろうとしたら、脚は痺れるは痛めた腰が痛烈な激痛を起こしてしまい、暫し座り込んで腰痛が治まるまで待つほどでした。腰を庇って中腰になった姿は見ることができませんが、おそらくは傍目からすれば、随分見っとも無いことこの上ない我が姿であったことだと思うのですが、痛みを和らげながらの歩行とは、並大抵のことではないのです。ご本尊の薬師如来不動明王から繋がっている、縄を縁起で触らせて貰えるのですが、参拝者の一番最後列にたどり着くことができて、なんとか恒例の成田山初詣を済ますことができました。混雑する境内を横切る形で帰路についたのですが、近くにある成田空港から連続して陸地側に離陸し、悠然と上昇をする飛行機の姿が見ることができ、瞬間にふと思いついたことがありました。ほぼ数分間隔で離陸する大型旅客機が視界の中に3機見え、果たして世界中ではどれ程の数で空中に飛んでいるのだろうか、その飛行機に乗っている人数を計算すると、世界中で飛行機に乗って、空中に滞在している人はどれ程の人数かが知りたくなったのです。またったく意味なく根拠の無い、ただの思いつきごとですが、国家数200、地球人口が約65億人として、平均所有機数を100機として、2万機の飛行機が世界中にあります。その三分の一の数の飛行機が空中を飛んでいるとすると、最低6000機飛行をしている計算になり、搭乗数が一機あたり200名とすると120万人が空中で生活をしている計算になりますし、半分にしても60万人が空中高く存在していることになります。数字に弱いから当てにならない比較になりますが、0.01%とが正しいとすると、我が国民が1億2千万人とすれば、12000人が飛行中で、一機当たり200名が搭乗とすると60機が飛行をしているようで、なんとなく現況が納得されてきました。地上にいる人、空中にいる人、これに海上にいる人を計算すると、なんの役にも立たなく根拠がない数字をおぼろげに思い、境内が真っ黒になっている人でと同じ数の人が空にいるとすると、なんとなく不思議な感覚になってしまいました。きっと発着する機中からも、成田山を遠く眺めながら、年賀の祈願をしている方もいることでしょうから、のんびり長閑な気分の境内と移動中の機中の人が、それぞれ家内安全と商売繁盛を願う気は、どんな場にいても同じなのだろうと思いを馳せたのでした。時を選ばず場所を選ばず、ますます人は移動する機会が多くなって、多面的に移動をすることが当たり前になっても、神仏への祈祷祈願は何時の時代も変らない普遍の心にしたいものです。好天気の境内にいる参拝客と、紺碧の空中を移動する人々が、共に健康な生活を実現できるご利益を共有共益できる一年を期待し、先ずは是非とも世の中の絶対安泰と平和を、強く強く念じたいものです。
2009.01.04
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裾野まで真っ白な雪を被った富士山の姿は、遠く眺めるほどに情緒があって、霊験あらたかな厳かさが感じ取れる霊峰冨士は日本一の山です。適度な季節風が吹く中、快晴のお正月三が日は、高台に行くと目にできる真白き冨士の山が、見事な姿を空間に浮かべていて、堂々と爽やかに見事な姿を見せてくれていました。連日テレビでの画面からも、お正月の定番のように霊峰冨士の姿が映し出されて、これほど愛着をもって生活空間に溶け込んでいて、尊厳と敬愛と親しみをもった山の存在は、心豊かになれて、実にありがたいものです。紺碧の空の中に、真っ白な姿が遥か遠くに見えるだけで、心が洗われて子供心のように純真になれるのは、まことに不思議な存在ですし、その見事な姿を探し求める意識は、母親を捜し求める子供心に似ています。頭を雲の上にだし 四方の山を見下ろして 雷様を下に聞く 冨士は日本一の山 と歌われている言葉そのままの存在感は、普遍の親しみがあればこその国家の至宝でしょう。昨日の車での移動中も、遥かかなたに冨士山の姿が見え隠れすると、誰からとも無く「富士山だ!」と声を張り上げることとなって、曲がり角での顔を変えての富士山見学は飽きを見せずに、一家が揃って同じ視線をおくることができました。先日に訪問した韓国からの帰路は、早めにチェックインカウンターに行って、富士山が眺めることが出きる左側の窓際の席を確保するほどで、できる限り近くで接してみたい欲望が強くあって、見事な山頂を雲海から眺めることができ、デジタルカメラで撮影をしてきたばかりでした。平坦な駿河湾から意外に程ないところに富士の山は裾野を広げて存在して、裾野は海岸まで穏やかに広がっていることを改めて知ることになって、愛知県から千葉県に入るまでの長い時間を、じっくりと変貌する姿を堪能することができたばかりでした。天空から頂上を眺めることができた思いを重ねながら、遠望できる冨士の山は一層身近な存在として、今年早々に魅力と魔力の力を、限りなく羨望することができたのでした。子供のころには、東京湾を挟んでくっきりと富士山が聳え立って、悠然と構えていて、お天気次第では一日中目にすることができていましたが、その母親のような包容力をもった富士山が、いまだ未踏の山になっていて、いずれは山頂まで登山をしてみたい気をもっています。六根清浄の掛け声とともに、一歩一歩頂上を目指す登山には、日常の生活時間を忘れての信仰心を身につけさせてくれるのでしょうが、遠望できる冨士の裾野のシルエットに、自身が登山をしている姿を重ね合わせて、時には紺碧の、時には茜空の、時には黄金色のバックを重ねながら、季節季節の変貌を郷愁させてくれる味わいをしています。元旦に参拝できた神社も、元宮は富士山頂にありますし、なにかと身近な存在として、ありがたい身近な霊峰を眺めることが堪能できた年初めですので、きっとすばらしいことを迎えいれることを念じて、飛行機の窓と地元から遠望した冨士山と、ともに享受できた空間を大切に活かせたいものです。人生の中で、家族でも職場でも社会のなかでも、多くの方から霊峰富士山に肖れる存在として、自分の立ち位置を構築できたら、それはそれは、生き甲斐が最高に発揮できる至福となれるのです。
2009.01.03
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すばらしい春の陽光は時間と共に輝きが増し、車の窓から差し込むキラキラした陽射しからは、心持ち暑いくらいに感じる正月明けです。家人の両親に年賀の挨拶をするために、昼前に車で出かけたのですが、高速道路に入って直ぐに大渋滞に巻き込まれて、今年が始まって二日目の道路は、物凄く混雑していて、他県ナンバーも数多く散見できるなか、往復車線一杯の車列が、限りなくスローな速さで走っていました。大渋滞の原因が、数台の車が関係する事故があったらしく、パトカーが数台でていましたし、関係する車両の乗員が路肩に出て、心配そうなそぶりをしている様子がありました。何時も通りなれている高速道路ですが、他の車の走り方が新鮮に見えて、ハンドルを握る手も左右のミラーを覗く目も、ことさら神経を過敏にさせて、新年を迎えて晴れ晴れしく、心あらたな気遣いを感じ取ることができました。まったく普段と変らない世の中の情景なのですが、新年を迎えて各人がもつ意識の高揚がさせる、独特な時空が天空の輝きと相まって、心に抱く新年の夢と希望が、一層のわくわく感を齎してくれているようです。そんな明るい新年にむけた、喜びと期待感が通じて、せめても住みよい世の中に生きれるように、こころの中から念じてしまいましたし、渋滞する車の一台一台から発散している、快い念じる気力が心地良く感じられてくるのでした。すれ違う車内の家族にむかって、お互いに幸多きことを願えあう、心配りを伝えあう交流がされたとしたら、どんなにかすばらしい分かち合いの境遇が出来上がるかを、少しだけ真面目になって期待してみました。御正月だからこその純真な気持ちになって、せめても同じ場に居合わすことができる人々との、幸福感の共有と共益を、お互いが強く意識できたとしたら、どんなにか生き甲斐が強まっていくことでしょう。殆どの車が家族連れであったのですが、車の中で交わされる家族愛の思い遣りが、他の家族愛にも波動でき、人を思い愛できる心掛けができたとしたら、平和で健康的な世の中になれるのだと、心強い信念をもつことができました。さきほどに、正月早々事故にあってしまい、高速道路の路肩で心配そうにされていた、数家族の方々に遭遇しましたが、脇を通過するどれ程の車の方が、お気の毒な思い遣りをされたのか窺う事ができませんが、その度合いが、深まってくれる世の中に期待をしたいものです。自分の中でできることを、無理なく実践させる習慣をもって、心掛けの大切さを、できるだけ説いていける立場に意識を心掛けできたら、もっと明るく心強い世の中になれることを、嬉しく自負できると思うのです。
2009.01.02
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輝かしい新年に相応しい暖かな陽光が差し込んで、2009年平成21年が穏やかに時を刻み始めました。昨年末からの穏やかな天候に恵まれて、安堵をもって365日の終幕を下ろすことができ、除夜の鐘と共に神棚と仏壇の燈明と御供えを奉ってから、年神様を頂いた同じ市内にある、氏神様にお参りに向かいました。車で出かけたのですが、神社が近付くに従がって人出が膨らんで、車で神社に横付けは無理と判断して、生まれ育ったかって知った街の空地に車を置いて、5分ほど徒歩で混雑する道を進み、三の鳥居に近付いた時に、友人の県会議員が、のぼりを片手に立つ姿に遭遇しました。参拝客に向かって律儀な新年の挨拶をしていて、早速年賀挨拶を済ませてから、混雑して警備員に整理されての時間差参拝を済ませて、境内で縁起熊手と縁起破魔矢を求めることができました。際立っての暖かな年末でしたが、さすが深夜の高台にある神社では、北からの風が寒くて、先日韓国に訪問した時に、知人からプレゼントされた耳を覆う防寒帽が、早速役にたってくれて大助かりでした。何年ぶりかで年明け早々のお参りを済ませて、清々しく新年のお雑煮を頂くことができ、新年の陽光を受けながら、ゆったりした時空を楽しんでいたら、携帯電話に韓国の知人から新年の挨拶が届き、訪問時と打って変わった、元気に張りのある声で新年の挨拶ができ、久しく会話を楽しむことがでました。昼前に届けられた賀状を振り分けながらしていると、今度は家の電話に闘病中の知人から電話が入って、年末に家族と一緒に過ごした、温泉場の話題を聞きながら、ガラス越しに差し込んでくる、心温まる陽光を重ねて楽しむことができました。新年を迎えて、病身でいる二人からの電話を受けながら、家族が揃って居間にいれることが何よりも嬉しい喜びごとにつながり、健康な家庭生活を改めて享受でき、ありがたく感じとることができました。昨年から引き続いて、難儀な仕事に対峙する大きな役割があるのですが、元旦に思うことは、陽春の輝かしい太陽の暁光に後押しされて、気丈になって心強くいられる自分になっていることが、やけに強きに自信がついているようで、とっても安心できる時空を感じ取れています。具体的には難儀を解決できる説明と、裏打ちができないことですが、何故にか、身を任す流れが変ってきたことか、自分の生き方に味方して剛毅に変容しているのか、積極的に目指し生きていける道筋ができたのか、身体の中に春の陽光が差し込み、とにかく理屈抜きの温かさを自覚できています。これで難儀が少しでも解決できるならば、この恩義を恩返しする義務がありありますし、これまで快く支援をしてくれた方々に対して、真摯になっての報恩を実施させなければなりません。心に秘める恩返しの夢を実現させるためにも、今年始まった一日一日を大切にさせて、世の中に役立つことができることを、心に硬く誓いながら、誠意一杯の毎日を暮らしていけたらと願うのです。
2009.01.01
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