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2009年01月19日
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テーマ: 戦争反対(1185)
カテゴリ: 教育時事
 2002年より始まっている日韓歴史共同研究委員会ですが、本日付の読売新聞に委員の一人木村幹氏のコメントが掲載されていました。

 もともと、歴史的見解においてはタカ派の小泉政権下による日韓歴史摩擦のもと、歴史教科書を巡る見解の相違を詰めようとしたものでありますが、すでに第二期の委員会となっており、その動向が気になっていたところです。
 そもそも、歴史教育の基本的立ち位置の違いがあるので、 「歴史学=歴史教育=歴史の政治利用」 という日本以外の世界各国の歴史スタンスを、日本人が理解しない以上、そう簡単にはいかないだろうと思っていましたが、
日韓歴史研究報告に思ふ

今更ながらのコメントでした。それでも、当事者からこうしたコメントがなされたことは一歩前進でしょう。

内容の一部を抜粋しますと
「(前略)すぐにわかったのは、日韓の間では、歴史教育の目的が全く異なる、ということだった。日本では一般的に、日本史や世界史に関わる「事実」を教えることに重点が置かれている。(中略)しかし、韓国では歴史的事実よりも、歴史に関わる「物語」に重きが置かれている。(中略)日韓の教科書の違いには、「歴史観」の違いが表れている。(中略)だとすれば、日韓の間で妥協が成立するためには、日本側の歴史観が韓国のそれに合致する形で是正されるか、韓国式の歴史観そのものが変わる他ない。(後略)」(1/19付けアジアスコープ記事より)
ということです。

 多分、全世界のうち日本ほど「事実」に固執した歴史教科書はあるまいと思うのですが、そう言う意味で日本ほど歴史学が進んでいる国はないのではないかと思うのです(半分、自虐的に)。
 そもそも、日本には木村教授の言うところの「歴史観」というものが存在しないのです。ですから、歴史学という事実探求のためのマニュアルはあっても、歴史教育という国家プロジェクトのためのシステムが存在しない。そこに韓国をはじめとする各国が歴史認識についてクレームをつけるとなると、歴史学のための歴史教科書に対して批判することになるわけです。ですが、歴史学として歴史教育を受けてきた日本人にとって、「事実」を批判されることは学問そのものを否定されていることになるのであって、それに対する抵抗は非常に大きいのです。
 片や日本以外の諸外国では、歴史はあくまで国家プロジェクトの一環であり、国家の正統性を標榜するため、または国民の思想統一を図るための手段でしかない。ですから、歴史教科書には不都合なことは一切書く必要もないし、最悪の場合は捏造だって厭わないわけです。そういう国家から見れば、何故日本の教科書は全てを暴露しているのだ、と感じるのでしょう。

 さて、解決策として木村教授は歴史観の寄り合いを求めているわけですが、それはそれで国家間の解決策としてありだと思います。
 ですが、忘れてはいけないのは、第二次世界大戦後の日本にとって歴史観がないということです。歴史学は事実を証明していく学問であり、日本人は事実の信憑性を確かめる手法については卓越した能力を持っていると思います(ただし、日本史の専攻が必修ではなかった世代は甚だ疑問ですが・・・)。ですが、その事実をどのように組み立て、解釈していくか、そしてそれを世の中にどう生かしていくということについては、タブー視されてきた経緯があるわけです。

 世界各国との歴史観を詰めていくというのであれば、まず我が国の歴史観をきちんと作らなければならないでしょう。
 では、歴史観は誰が作るのか。各国を見る限り、それは世論、マスコミ、政治家、宗教家などが見えてきます。最も影響力の強いのは独裁性が強い国家元首及びグループです。これらは歴史観を作りやすい反面、大変危険な側面があることは言うまでもないでしょう。
 果たして、日本において歴史観など作ることが出来るのか・・・それは私も疑問です。ただ、唯一言えるのは歴史観の根底にあるのは愛国心です。愛国心なくして歴史観は成立しない。ただ、その愛国心が歴史的事実検証を経ているかどうかが大きいのです。他国の愛国心は決して歴史的事実に基づいているとは思えないことも多々あります。それが感情の亀裂を呼び起こすのです。

 本来ならば、歴史的事実の世界共通化ができれば一番良いのでしょう。しかし、他国の歴史家の多くは事実よりも利害をバックボーンにするケースが多いように見受けられます。それは、先にも述べたように歴史の利用目的が異なるからです。先に結論ありきの歴史学では決して事実に基づく融合などありえはしないでしょう。

 これからどういう方向に向かっていくのか。人類の智恵と愚かさの行方を見守りたいと思います。

ちなみに第1期の報告書が出ています。特に第3分科(近現代)の日韓研究者の応酬は面白いです。特に韓国研究者の了見の狭さというか、基盤となる歴史学の足下の狭さが目立ちますね。
■ 日韓歴史共同研究委員会 第1期(2002-2005年)





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最終更新日  2009年01月19日 10時39分45秒
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