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夕方、そろそろ夕食の支度をしなくちゃな、と思っていた時だった。夫が急に立ち上がり「さ、バドミントンタイム。」といってラケットを用意しだした。(ちなみに、夫は普段からバドミントンをしている。)ということは、わたしはお相手。「そろそろ夕方の行動開始と思ってたのに・・・。」とぶつぶつ言う。夫は「風もないし、絶好のバドミントン日和だ。おでん、もう出来てるやん。」と言いながら靴を履きだしたので、「副菜も考えな・・・。」とまだぶつぶつ言いながら仕方なくついていった。子供たちは家で留守番だという。夫と2人で家の前の公園に出る。曇り空でほとんど風がない。いつものように2人で打ち合う。「うまなったなぁ。(上手になったね)」と夫。「練習してくれてんの?それとも自分の練習?」と、わたし。先ほどのムッとした気分も和らいで、汗をじわっと感じる。体を動かして気持ちよくなってきた。こんなことなら、ぶつぶつ言わないでサッとついてくればよかった。練習が終り、家に入ると夫はさっと風呂を入れ、子供と一緒に気分よく入っていた。夕食後には、取り込んだ洗濯物を、さっさとたたんでくれた。おかげで夕食後、わたしはゆっくりとすることができた。さっき付き合ったことに無言のお礼を言ってくれてくれているのかな。なんて、いいほうに考えました。
2003.11.30
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ぞうれっしゃがやってきたという合唱組曲がある。元は実話の同名の絵本である。[あらすじ]昭和12年サーカスから東山動物園にやってきた4頭のぞうは子供たちの人気者でした。でも戦争が激しくなり各地の動物園では次々と動物たちが殺されました。そんな中、名古屋の動物園では園長や飼育係が必死で守りぬきました。そして戦争が終った後生き延びた2等のぞうを見たいという子供たちの夢を乗せた特別仕立ての[そうれっしゃ」が全国各地から名古屋へと向かって走ったのです。これを来年春の生協でのイベントに向けてやっていくことになった。今日はその結団式。子供から大人まで、老若男女集まった。はじめに一曲だけ練習をしてみる。初めて歌うのいうのに、途中で声が詰まって歌えない。なんて心を打つ悲しい内容。悲惨な状況の中で生き残ったぞうを守り抜き、やっと戦争が終って、それを全国各地の子供たちが「ぞうれっしゃ」に乗って見に来る。こんなに泣きそうになっていては、練習どころじゃないよなぁ。原作者の小出隆司氏が名古屋から来てくださった。当時の話、戦争体験、動物を殺さざるを得なかった状況、そして平和を願う気持ち・・・。話は尽きない。平和を願う強い思いがひしひしと伝わってくる。子供たちは約1時間半の話の間、退屈してしまったようだ。おとなしくさせるのが大変だった。ちょっと長めの話の後、絵本と楽譜とCDの販売があったので、絵本だけ買ってきた。これから3月まで練習があるが、歌う自信が・・・ない。
2003.11.29
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朝ゆっくりと起きると、もう奥さんが朝食の用意をしてくださっていた。昨日遅かっただろうに・・・。トーストとコーヒーでいいよ、と言っておいたのだけれど、サラダと野菜炒めとソーセージソテーを用意してくれている。また、百貨店でおいしい店のパンを買っておいてくれたようだ。昨日ののっぺい汁もたっぷりあるので、温めてくれた。味がより染みて、おいしかった。支度をして新潟ふるさと村へ向う。総勢8人なので、7,8kmの距離を1台の車でピストン輸送をしてくれた。特産を見たり、新潟の暮らしや歴史の展示を見たりして、ゆったりと過ごした。大阪とはずいぶん違って、第1次産業と生活が隣り合わせのような気がする。都市で生活していると、あたかも食べ物まで安定的に工場生産されているような気がする。ここでは厳しくも豊かな自然がはぐくんだ食べ物大切に調理して頂いている様に感じる。味付けもシンプルでいい。たくさん食べた割にはおなかにもたれていないのも、そのおかげだろう。新潟市では雪はあまり降らないそうだが、ご夫婦の実家がある新潟の山の方では、子供のころ毎日かまくらを作って中で遊んでいたそうだ。昨日も今日も小雨の曇り空。寒さは、覚悟して行ったほどではなかった。冬の間ずっとこのような天気なので、東京から来た人でこの天気で気分が滅入ってしまい、結局東京に帰ってしまわれた人もいたそうだ。わたしももしここに住むことになったら、辛いだろうなと思った。そうこうしているうちにお昼になり、そこで昼食をとって、また車は家へ2往復。休憩するまもなく、飛行場へ向わなければならない時間になった。名残惜しい。「もう一泊できたらよかったのにね。」といってくださった奥さんの温かさを後に、ご主人に空港へ来るまで送ってもらう。再び新潟市内の渋滞に加わり・・・。昨日ほど風はないので、今日はさほど揺れないだろう。ターミナルの前で降ろしてもらい、そこで別れ。信濃川、さようなら。有難う。ほんの24時間だったけれど、たくさんの温かいもてなしを有難う。子供たちも仲良くなった。今度は子供たちだけで行き来するのもいいな。大阪にも来てくれたらいいな。飛行機でほんのひとっとび、帰ってみると夢のような24時間。でも確かに彼らに会い、食べ、語り、共有した時間。帰りは雲の上から頭を出した富士山や、雲の切れ目からの日本アルプスの山々がきれいに見えた。 大阪上空では、自宅近くの川、自宅マンションらしき建物、遠くには夕焼けにシルエットとなって浮かび上がる明石海峡大橋、眼下には大阪城、帰ってきたなぁ。 伊丹からはわたしの父に迎えに来てもらい、実家に1泊。おいしい日本酒を傾けながら・・・。空港までの送迎をしてくれた父にも感謝。車を置かせてもらい、泊めてくれた両親に感謝。いろいろな人の温かさをいっぱいもらった旅でした。
2003.11.23
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新潟に行くぞ!10年ぶりに会う、夫婦同志の友人宅を訪問する。彼らはわたしより10歳年上。なのに話が合って、会わなくなってからも手紙のやり取りをしたり2回ほど子供のお下がりを送ってくれた。10年前に年間ほどわたしと奥さんは一緒に、クリスチャンの方の家でのバイブルスタディーにも行っていた。この秋に子供のお下がりを送ってくれて、御礼の電話をするときに思いたって家族で訪ねることにした。ちょうど夫の飛行機のマイル数がたまっていて、期限切れも近かったので3人分はマイルの分で行くことがでした。うちの子どもは2年生♂と年長♀、あちらの子供は4年生♂と2年生♀。みんな一緒に遊べる年齢なのもよかった。新潟は寒いかなぁ、大阪人にとっては相当の覚悟で臨んだ。飛行機に乗るのは、子供たちは初めて、わたしも9年ぶりだ。飛行機に乗り込んでいざ離陸、かなり緊張。どうしてこんなもんが飛ぶんだろうと思うと怖くなって、離陸に向けての加速、そして急速上昇中ずっと祈り続けた。「かみさまぁ、この飛行機を安全に新潟に到着させてください!」って。子供たちも初めての体感に驚いているようだ。ある程度上昇するとやっと落ち着いてきた。曇りの日だったが、雲の上に上がると晴天!(当たり前や)気分爽快!モニターに今どのあたりをどれくらいの高度で飛んでいるかが映しだされる。早いなぁ、とコーヒーをすすっている間に約50分のフライトで新潟についた。上空から見る新潟平野はどこまでも田んぼが続き、「日本の米どころ」を実感。荒れ模様の天気で小雨が降り、海岸には日本海の荒波がひっきりなしに白く砕けている。新潟やなぁ。荷物受け取りのところに来て、外を見ると「いた!」。10年ぶりだというのにご主人がすぐにわかった。子供たちは、荷物を載せるベルトコンベアの動きが珍しいようで、しゃがんで顔を近づけてみている。お互いに「変わってないねぇ」なんて言いながら、すっかりリラックスして車に乗り込んだ。約10km新潟市内の渋滞に巻き込まれながら家に到着。出迎えの奥さんも変わってない!子供たちも人懐っこく、すぐに慣れてくれた。ここぞとばかりに自分の得意なものを披露してくれた。上のお兄ちゃんは、自分が作った工作品の数々。下の妹さんはバスケットボール乗り。ちょっと休憩して、NEXT21にバスで行き、展望台から新潟市を望む。場図は時間を調べていかなくてもしょっちゅう走っているらしい。ちょうどその日やっていたイベント「第20回新潟県伝統的工芸品展」に行く。なんと入場無料。伝統工芸品の展示や体験コーナーがあって、息子は藍染体験でハンカチを染めた。その間に主人は隣の百貨店に行き、おいしそうな日本酒を物色。大小3本買ってきた。伝統工芸って、いいなぁ。家に戻ると、奥さんが家庭料理を用意していてくれた。お正月に食べるという、のっべい汁。ぶあつい油揚げとちお油揚げやぜんまいや炭火で焼いた分厚い鮭、えご、焼きイカ、かんずり・・・魚沼産コシヒカリの新米!のっぺい汁は11種類の具が入っていて、たっぷりの出汁で2、3日もかけて味をしみこませるそうだ。飲みながら食べながらうだうだ喋る。子供たちは終ったら皆でかくれんぼしたり。時間の経つのが早いこと早いこと。気がついたら10時を回っていた。急いで子供たちに「おふろに入れ~。」と号令をかけた。両家の娘たちはすっかり仲良しになって、おふろまで一緒に。その後順番に入ってやっと片付けモード。先に、それでも11時過ぎだったと思うが、寝室に入ってしまったが、奥さんはそれから最後の片付けとして寝たのだろう。申し訳なかった。こうして、新潟での夜は深けていった・・・。10年ぶりというのに、その空白を感じさせず、こんなにもリラックスさせていただき、温かく迎えてくれたご家族に祝福がありますように。感謝です。
2003.11.22
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今日は幼稚園での収穫感謝会のお手伝い。収穫感謝会とは、果物などを飾って神様からの収穫の恵みを感謝して礼拝し、母の会で用意したカレーを皆で頂く。朝から委員2人で一部園児たちが持ってきたお米と、母の会が用意したお米を大きなガス釜2台で炊く。昨日お手伝いの人たちで作ったカレーを温めて、量と濃さの調節。小分け用のお鍋とジャーを洗って一段落。10時半頃、他の委員さんやお手伝いの方が次々と到着。総勢13人。炊き上がったご飯を温まったカレーを小分けし、礼拝終了の合図を待つ。11時ごろ合図があったら、各クラスにご飯とカレー、果物、お皿を持っていき、配膳する。先生方と、教会からのお客様も一緒に食べる。また、園長(牧師)先生や牧師夫人、伝道師の先生にも食べていただく。配膳が住むと、お手伝いの母達も自分たちの分を盛って感謝して頂く。普段こんな風に神様の恵みを感じながら頂くということを意識することは少ないので、いい機会だなぁと思う。12時ごろに各クラスのお皿を下げに行って、皿、お鍋、お釜を洗う。普段扱わない大きさなので梃子摺ってしまう。無事に終って1時に降園。おなかいっぱい!娘はそのまま友達の家に遊びに行ってしまった。わたしは一人で家に帰り、ちょっとばかり家の片付け。今日は夕方、息子を眼科と耳鼻科に連れて行かなくてはならない。昨日「耳がツーンとして時々痛い。」というのだ。連休に旅行を控えているので、気になる。息子が帰るのを待つ間、朝起きたままの家の中を片付ける。本当は夕食の下準備もしたいところだが、お米を研いでタイマーをセットするのがやっとだった。息子が帰宅しおやつを食べて、4時からの眼科に行く。だいぶよくなりつつあるということ、そして次の診察は週明けの火曜か水曜でいいと聞いてほっとする。これで旅行も心配なさそうだ。すぐに済んで次は5時からの耳鼻科に行く。すいているなぁと思ったら、まだ15分も前だった。3番目に診察してもらい娘を迎えに行く。既に5時半。娘を迎えに行かなくちゃ。娘の友達の家に着くと息子はさっさと上がりこんで2階で遊びだした。片付けをさせ、母達は少しお喋り。(それで余計に遅くなってしまったのだけれど)娘ともう一人の友達を連れて車に乗り込む。次はもう一人の友達の家に送っていく。6時半頃に送り届け、家には6時半過ぎにやっと到着。長い一日だった。しかし、そこから夕食の支度をしなければならない。幸いなことに夫は今日はコンパなので、簡単に済ますことができる。冷凍コロッケと残り物とご飯で何とか出来上がった。ふぅ~。娘が遊びにいってもう一人の友達を送っていくことになった時点で、どうなることかとおもっていたが、祈ったとおり、一つ一つ神様が段取りよく進めていってくださり、一つも滞ることなく事が運んでいった。感謝な一日だった。
2003.11.21
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月曜日あたりから、息子が「目をぱちぱちさせると、痛い」と言っていた。わたしはお気楽に「めばちこならすぐ治るわ。」と思い、手元にあった抗菌剤入りの目薬をさしていた。今朝、さすがに腫れがひどくなってきたので、ようやく眼科に行くことにした。以前かかったことのある眼科の診察券を見ると診察日が月・火・水・金・土の午前だと書いてあったので、ちょうどいいと思った。娘を幼稚園に送っていってから眼科に行くと、8時からの診察のはずなのに、シャッターが閉まっている。シャッターをよく見ると、診察日は月・火・木・土となっている。「ありゃぁ、明日にしようか。」というと息子は「他のとこでもいいからぜったいに今日行く。」と怒ってきかない。他に心当たりがなかったので、一度家に帰り電話帳で調べて再出発。行くと9時半からの診察だった。順番が回ってきて診てもらうと医師は「ありゃあ、何でこんなにひどいことになったんや。」という。患部をカメラで見せてくれた。奥のほうのめばちこをこじらせて膿がつぶれかけ、おまけに結膜炎になって充血していた。抗生剤の内服と、抗生剤とステロイド消炎剤の点眼薬を出してくれた。「今日、明日は学校は休みなさい。」明日もう一度診てもらうことになった。わぁ、どうしよう、今日は午後から娘の定期受診にも連れて行かなくてはならないなぁ。明日は幼稚園のお手伝いがあるのに、他の人に頼まなくちゃ仕方ないなぁ。午後から娘の病院に3人で行った。最近コマなし自転車に乗れるようになった娘に「病院まで自転車で行ってみる?」ときく。自身なさそうに、だけど嬉しそうに「うん。」と娘。息子が先頭で娘、わたしと続いた。息子は娘が遅れてくるとちゃんと左記で自転車を停めて、追いつくまで待っていてくれた。ああ、ずいぶんしっかりしてきたなぁ、人のことまで考えられるようになったなぁ、と穏やかに見守りながら無事に到着。娘も自信がついたようだ。めばちこから、親子喧嘩になったが、結局脅威ってなければ明日はもっとひどくなっていたかもしれないと思うと、息子の言うとおりだったと思う。そして、学校を休むことになって面倒くさい気がしたけれど、娘の初めての自転車での遠出を不安なく導けた。終ってみれば、いい一日だったな。
2003.11.19
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コープ委員会企画で、「色々お鍋の食べ比べ」をした。メニューは、てっちりと雑炊、カニすきと雑炊、合鴨鍋とそば、豚しゃぶ、数の子、黒豆煮、紅白かまぼこ、スモークサーモンの千枚漬け巻き、ミニケーキ。はじめに少し商品の説明をしながらテーブルごとに一つ鍋を作ってもらい、各テーブルを回って色々食べ比べてもらった。小さい子供や赤ちゃんも多くて、会場はごちゃごちゃ。赤ちゃんを片手に食べまわっている方もおられて、申し訳なかった。委員のわたしたちもちょびっとずつ試食。でもふぐ一切れと、カニと豚だけしか口に入らず。終ってから残ったケーキを一口。おいしい。しかし、皆さんよく食べるなぁ。ほとんど残らなかった。昨日に引き続き、いろいろなことを思ってしまった。参加案内には、持ち物として湯呑や食器などと書いていた。にもかかわらず、終了後、貸し出したお皿や湯呑などの洗い物が多くて大変だった。ちょうど出来上がったころに手ぶらで来られる方もいた。食べるだけ食べて、多めに取ったものが食べ切れないと、委員会のアルミホイルを勝手に使い、包んで持って帰っていたのを見てしまった。なんだか少し虚しくなった。無料の試食会で、そこまで・・・。たくさんおいしいものが食べられて、喜んでいただけたのは確かだと思う。ただだもん。でもね、気に入ったら利用していただけるといいな。そのための試食なんだから。その場だけのおなかを満たすための会じゃないんだよぉ・・・。片付けの終った委員たちは、ほとんと食べることができずに帰っていった。昨日に引き続き、愚痴を言ってしまいました。すみません。
2003.11.18
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生協で産直取引のある宗谷牧場長氏本さんによる宗谷黒牛学習会があった。大地の健康、牛の健康、消費者の健康をモットーに日々牛を育てていらっしゃる。牧場の詳しい説明はHPにお任せするとして。「食べ物を作るということは、自然の力を借りて生き物を育てること。」と言っておられたのが印象的だった。牧場では、いずれ食べてしまう牛だけれど生きているうちは健康で幸せに暮らしてもらいたいと願っておられる。健康で幸せに育った牛こそが美味しいんだという信念を持っておられる。学習会の終了後、委員さんたちだけちょっとした交流タイムがあった。そこで質問、「病気になった牛は、どうするんですか?」答え「月齢8ヶ月(人間でいうと幼児)までは薬で治療します。それ以降(学齢期)は病気になった時点でかわいそうですが処分します。それ以降に病気になるということは、ストレスに弱いとかいうこともあるので、治療して餌代をかけてもとしても大きくは育たないのです。それに、処分したほうが、トレーサビリティーの観点でもはっきりしています。」そんな話から、氏本さんの語りが始まった。産地偽装事件などがあるが、自分には考えられない。生産者として、自分の作ったものに誇りを持っているから。よそのもんを自分のとこのブランド名をつけては売りたくない。クリスマス時期でも年がら年中、いちごが食べられる世の中。季節のある日本に居て、季節が反対の国やハウス栽培で作ったものを季節と関係なく食べることが本当に豊かなのか。いくら科学が発展しても、人間は所詮生き物。不自然なものには敏感なもの。安い外国産のものを食べてアレルギー、アトピーや体の不調で医療費が高くついたら、生活費としては結局高くついてる。遺伝子組み替えとかクローンなどの技術は、人間の手間を省くためだけのもの。成長ホルモンにしても、早く大きくなってほしいからと言って、自分の子供に投与するか?消費者が真面目な生産者を育てるんだ。監視してほしい。稲作農家の青田刈り(生産調整のために丹精こめて育てた稲を、実りを待たずに刈り取ってしまう)は、生産者としてこれほど悲しいつらいことはない。それがわかれば、おにぎりをもう一個余分に食べてほしい。などなど。たかが食べ物、されど食べ物。当日、ローストビーフとサラダ、バターロール、炒めたすき焼き用肩ロース肉の試食があった。あくまでも試食、バイキングではない。なのに、「子供の分も下さい」と言って来られる方や、2度3度肉をとりに来られる方がいる。結局用意していた試食はきれいになくなり、残ったものはお茶とローストビーフ少しのみ。お世話役の委員長たち、委員さんたちはすき焼き肉は一切れも口に入ることがなかった。朝9時過ぎに来て片づけを終えたら1時半。ちょっと不満が残る。こんな愚痴を家で家族にこぼしてしまった。すると息子が、「お母さん、仕返しは神様がしてくれるんだよ。」と言ってくれた。仕返しってほどではないにしても、そのとおりだった。いや、仕返しを望んでいたのかもしれない。有難う、息子くん。家で愚痴を言っていた自分が恥ずかしくなった。疲れたけれど、大きな事に気づかされた日でした。
2003.11.17
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今日は幼稚園の行事である幼児祝福式。普段は私服通園の幼稚園だが、この日は制服(と言っても紺色のスモックみたいなの)と園章をつけて行く。(制服を着なければならないのは、園生活で3回だけ。ほかは入園式と卒園式)親達もいつになくきれいな格好をして、11時に礼拝堂に集合。祝福式の礼拝に列席する。静かな音楽とともに、園児入場。黙祷、賛美歌・・・と続き園長先生(牧師先生)のお話。祝福っていうことばの意味を教えてくださった。神様の恵みと守りだって。初めてはっきりと知りました。祝福式とは、幼児から少年に成長する一つの区切りで、今まで恵まれ守られて成長させてくださった神への感謝と、これからもさらにお恵みとお守りがありますようにと祈ること。園長先生が感謝と家族への祝福をお祈りされたあと、園児一人一人の頭に手を置いてくださって、祝福してくださった。子供たちはみな、照れながらもとても嬉しそうな表情だった。わたしも一人一人に対する園長先生のお祈りに心を合わせる。この雰囲気、好きだなぁ。ここまで成長させてくださって有難うございます。そしてこれからもこどもたちとその家族が祝福されますように。
2003.11.14
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今年3月、ちょうど7ヶ月前3月15日のこと。昼間外出していたわたしは夜何となく不安になって、かばんを探った。ない。財布がない。コートのポケットに入れた覚えもあったので、来ていたコートのポケットを探る。ない。やっぱりない。顔面蒼白、どうしよう、夫にも言わなくちゃ。恐る恐る夫に言う。「なんでまた。めずらしいな。」と、驚きはしただろうが怒りを抑えてくれた。その後も何回も、かばんを探し、部屋を探し、コートを探した。やっぱり、ない。小雨の中、荷物を抱えて歩いて帰ったので途中で落としたのか。その財布は、去年結婚10周年記念に自分で(といっても生活費の中から)選んで買ったものだったのに!その日は夜も遅くなり疲れも出たので、次の朝交番に行って、紛失届を出した。中に入っていたもの。これらがないと生きていけない、と思っていた。現金、免許証、クレジットカード、キャッシュカード、商品券、図書券、ハイウェイカード、各種電車プリペイドカード、JAF会員証、献血手帳、スーパーのポイント会員カード、クーポン券などなど。ありゃりゃ、こんなものまで入っていたぞ。パンパンに膨らんでいた財布に。プライド、驕り、欲、執着心、傲慢、優越感・・・。気づいたとたん、ショックだった。しばらくして気持ちが落ち着いたときに、財布を無くしたのは、これらのものをわたしが持っているということに気づかせるためだったのだと思えた。そして、なくした現金、カード類、免許証、などがなくても日々の生活に実際に困ることはなかった。もちろん、悪用されては困るので、カード類の紛失届と再発行手続きはすぐに行った。多少の手数料はかかったけれど、再発行もスムーズに行われ問題はなかった。不思議な感覚。なくしたショックと、普通に生活できている事実。そして、初めて知った財布の見えない中身。-----今日何の気なしに、明日使う予定のかばんを洋服ダンスの奥から引っ張り出してきた。空のはずのかばんの奥に、なにやら懐かしい色のものがある。あ゛~~~~~!!!!!これはなくしたはずの財布!!散々探したはずだったのに。当日はこのかばんは持っていってなかったと思うのに。まさに神隠し。なんだか、驚きすぎて、声も出なかった。が、子供と抱き合って喜んだ。(夫は仕事中)この一件でいろいろなことに気づかされたなぁ。この7ヶ月で自分の心の中もこんなに変えられたしなぁ。財布だけ元に戻っちゃった。懐かしい財布の中身を確かめる。再発行済みの前のカードを、一枚一枚ハサミを入れて棄てていく。再発行されて新しくなったので、もうこれらはいらない。自分の意志で、古いカードを棄てていく。そして、古いわたしも、自分の意志で棄てていく。当時お騒がせした皆様方、本当にご心配おかけしました。お祈りくださって有難う。まだ信じられない気持ちです。
2003.11.13
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先週に引き続き、息子の歯医者通い。今日は代休なので午前中に行ってきた。診察室に入る前から、子供の泣き声がずっとしていた。怖いのかなぁ。いよいよ診察室に入ると、衝立の向うの隣の席で幼稚園ぐらいの子が泣いている。お母さんは困り果てて、子供を怒りののしり「ゆるせない」「治療できなくて痛いのは自分やで」「もう帰る」と言っている。下の子2人(赤ちゃんを含む)を連れて大変な思いをしてきたのに、こんな状態ではさぞかし困ってしまったのだろう。衛生士さんも歯医者さんも優しいので怒ったりはしていないのだが。お母さんも辛いんだろうな。3人もの幼い子を連れてきて、子供のために治療に来ているのに、肝心のその子が泣きわめいて治療ができなくて。他の用事を置いてきたのかもしれないし。隣で聞いていて、わたしも辛くなってきた。かといって、その場で何もしてあげられないように思える。心の中で、「お母さん、ほんのちょっと我慢して、子供を安心させてあげて。」「お母さんが落ち着くことができますように。」「お母さんのイライラが取り除かれますように。」と言うのが精一杯だった。先に息子の治療が終った。その間も、「隣の子はえらいなぁ。」と言う声が聞こえてくる。「息子はもう2年生だから。」と心の中で言う。あの子は治療できたのかな。お母さんは落ち着くことができたのかな。アデュー。(「あなたを神にお委ねします。」「神に!」という意味のフランス語の別れの挨拶だって)と思いつつ家に帰ると、家では先のお母さんのようなことを子供に言っている自分に気づく・・・。ありゃー。この感情をどうか静めてください!-----歯医者で待っている間に、新聞でも読もうと手にとった。選挙の次の日なので、じっくり読むような記事はないに思われた。ふと1面下のコラムに目が止まった。「いのちより大切なもの」について。ある人が中高生にアンケートをとった。その半分弱の子供たちが、「いのちより大切なものがあると思う。」と答えたそうだ。意外。そして、私自身はどうか。あると言い切れるのか。頭ではあるだろうと思っていても、いざ自分の命と引き換えにしなければならない状況におかれたとしたら、それでも「これは命より大切だ。」と言い張れるか。自信がない。神様、それだけの信仰を与えてください。
2003.11.10
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今日は息子の小学校の参観日。参観は3時間目だが、2時間目にPTAコーラスの発表となかよし学級の発表と5年生の合奏があったので、2時間目から行った。実は、去年息子が1年生のときに初めてなかよし学級の発表と5年生の合奏を見て、感動し毎年行こうと思ったのです。PTAのお母さんたち(どうしてお母さんばかりなんだろう??)の美しい合唱を心地よく聴かせていただいた。そのあといよいよなかよし学級の子供たちの登場。総勢7名(だったか?)のクラス。担当の先生の説明によると、かわいいおそろいのベストの型紙とりは6年生が、縫製は5年生が、笛の演奏の練習時の観客は3年生が、そして校長先生も本番でお手伝いするという。始まる前から涙腺が・・・。いよいよ始まり。音楽にのって登場した子供たちは、体と心と魂と全部でもって力いっぱい楽しく表現していた。その表情が生き生きして輝いている。この子達の顔を見ると、こんなに喜んで一生懸命になることって自分や自分の子供にあるだろうか、とまで思えてしまう。涙腺がぁ~!5年生の合奏では、毎年S市の連合音楽会に向けて練習を積み重ねてきた曲を披露してくれた。さすが5年生。学期の準備や立ち位置への移動もきびきびとしている。始まる前に、先日の連合音楽会当日の緊張の様子を書いた作文を代表の子が読んでくれた。自分がその場で演奏しているような臨場感あふれる表現で、わたしの心を一時その場へ飛ばしてくれた。曲目は合唱が「翼を下さい」と「(なんだっけ?ゆんさん、教えてくださ~い!)」合奏が「(これまた、ゆんさんHelp!)」緊張はしていたんだろうけど、みんなの気持ちが一つになって、すばらしい演奏を見せて聴かせてくれた。ありがとう。2時間目が終り、3時間目の2年生の算数。今は九九を習っている。(頑張れ!)かわいいなぁ。一生懸命口の中で唱えて、覚えようとしている。息子の授業態度など、言いたいことはあったが、頑張ってるね。最近仲良く遊んでいる女の子のお母さんにも挨拶ができて、ちょっと安心。家族揃って学校から帰ってきた。あ~おなかがすいた。さぁて、明日は衆議院議員総選挙と最高裁判所裁判官国民審査。と思っていたら、朝刊にこんな記事が乗っていた。「衆院選の投票日が明日に迫りました。どうしようかと迷っている人も多いことでしょう。・・・でも、そんな時、思い浮かべるのは明治の思想家、福沢諭吉です。福沢はこんなことを行っています。『政治とは悪さ加減の選択である』政治的な判断には、これが最高というベストな選択はありえない。ベターの選択だってないだろう。どちらがより悪くないか、という『悪さ加減』の選択しかないんだ。そういう意味です。」これを読んで、これなら選択できるかも、と思えました。今までせめてベターな人、党を、と思っていましたが結局のところ、各人や各党の政策(マニフェスト)の全体はわからないし、選べないよーと思っていたのです。投票しても変わらないよ、と思うかもしれないけれど、投票したら変わるかもしれません。また、変えないことをも選択できます。権利を行使しに行きましょうね。ついでに(と言っちゃ何ですが)最高裁判所裁判官、日本の司法のトップの人を審査する権利もあるんですよ。この人は、こんな信念をもっているんだ、この事件でこんな判断をしていたのか、多数意見だったのか、少数反対意見だったのか、または補足意見を言った人なのか、ちゃんと(一部でしょうが)広報に載っています。読むと結構おもしろいよ。
2003.11.08
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昨日から咳が出て、夜には頭痛があり熱っぽかった。「ほっ。」とすると知らぬ間に忍び込んで体を蝕むウイルス。ゆっくり休まなきゃ・・・。この秋、既に2回目の風邪ひき。疲れてるんかな、やっぱり。
2003.11.06
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今日は、お世話になっている幼稚園の母教会のバザーの日。天気はあいにく曇りで予報も雨。去年は前日に降ったし、一昨年は土砂降りだったし、今日はもってくれればいいんだけれど。教会の方たちは朝6時半頃から来ていらしたそうだが、母の会は9時集合。母の会コーナーに製作品を並べていき、外の子供コーナーに手作りおもちゃを並べていく。9時半から開会礼拝。賛美歌を歌い、聖書を読んで牧師先生のお話。その話の中で、牧師先生がご自身のことを語ってくださった。バザーについてこういう御言葉が与えられたと。「あなた方が、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしから学んだように、また、今歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。」 テサロニケ人への第一の手紙4:1これによって、バザーをやっていこう、と思えたそうだ。牧師先生の個人的な体験(証)を聞いたのは初めてだったので、感動しました。10時の開門と同時に、門の外へ列を作っていた人たちが中に入ってきた。雨がぽつぽつ降り出し、外のコーナーは雨がかかりにくい所に移動させてもらった。そのうち本降りに・・・。天気のせいか人出は少ないように思われたが、それでもちょっとずつ、売れていく。ばたばたとしているうちに、13時半の閉門時間になった。母の会コーナーは、昼からの値下げと、かわいい売り子たちによるマッチ売りの少女方式(というのか?!籠に商品を入れて売って回ってくれたの)による販売のおかげで、大半が売れた。片付け部隊とお金部隊に分かれる。ほぼ終ったところで解散し、教会の方々よりはずっと早くに帰ってきました。教会の皆様、毎年本当にご苦労さまです。天候は雨ではあったけれど、恵み多い1日だった。たくさんの人と話せた。気になってきた人に笑顔で声をかけてもらった。思いがけない方に出会った。牧師先生の話を聞けた。夏休みからたくさんの方が製作に携わってくださった。製作品がほとんど売れた。たくさんのお手伝いの方が母の会から集まった。お手伝いのお母さんたちが、積極的に、そして工夫して動いてくれた。などなど。感謝です。来年は、お客としてゆっくり来たいな。
2003.11.03
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