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今日の朝刊によると耳ではなく、骨を通じ、音を直接、脳に伝える携帯電話ができたという。骨伝導ケータイというのだそうだ。ケータイについている骨伝導用のスピーカーをあごや額に当てて使用する。騒々しい場所でも相手の声がちゃんと聞こえる、頭の中に直接聞こえてくる感じだそうだ。外耳や鼓膜の障害による難聴の方なら、骨を伝わる振動によってよく聞こえると言う。いいものがあるんだなぁ。ケーターメールも、難聴の方たちにたいそう役に立っているようだし。不便なところを補うことができる道具っていいなと思う。
2004.01.30
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息子は昨日朝から体調が悪く、小学校を休んでいたが昼頃から高熱。「とうとうきたか!」そして今朝、喘息で通っていた病院で受診したら、インフルエンザA型陽性だった。「ってことは、娘もわたしも、そうだったんでしょうか。」ついでに受診した娘の経過を訊きながら、医師は「多分そうでしょうねぇ。」どうりで、寝ても寝ても寝ても治らないしつこい風邪やと思った。娘が検査で反応が出なかったのは、ウイルスの数が反応が出るほどには増殖していなかったのだろう。仕方ない。タイミングが悪かった。さっそく抗ウイルス薬を処方してもらい、少し安心して家に帰った。今日は体がずいぶん楽なわたしは、昼から娘とアップルパイを作った。以前に作っておいた生地と以前に作っておいたアップルフィリングがあったので、生地を伸ばして型に入れて中身を詰めて焼くだけ。オーブンの中のパイを見ていると、「パイを焼くって、生地の中の大量のバターで小麦粉生地を揚げている状態なんだなぁ。」と感心。型の中でバターがぶつぶつ泡を吹き、それに伴って生地が縮みサックリとなっていく。焼きあがって夕食後に試食。し、しまった!この生地、塩を入れ忘れた生地だった。伸ばすときにでも軽く振っておけばよかった。フィリングはおいしいのに生地が味気ない。塩って大事だね。
2004.01.29
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数年前、わたしが夕方高熱を出し、これはインフルエンザかもと思い、すぐに子供2人を自転車に積んで近くの診療所で受診した。検査をしてもらうとやはり陽性だった。すぐに抗ウイルス薬を処方してもらい、その薬を置いてある薬局を探してもらい、また子供2人を積んだ自転車でふらふらと処方してもらいに行って、やっと薬を手にした。帰ったらダウン。昨年だったか、息子が夜高熱を出したので、別の病院の夜間救急外来を受診した。すると「発熱からあまり早くても結果が出ませんからねぇ、解熱剤と抗生物質だけ出しておきますから、明日かかりつけ医を受診してください。」そんなぁ、検査もしてくれないの?何のために夜中に高い救急外来を受診したんだかわかりゃしない。一昨日、娘を休日診療所に連れて行った。熱が出て約22時間。前回は熱が出て早すぎたのかと、少し様子を見てから受診した。気になるインフルエンザ検査は陰性。ほっとしたのもつかの間、「明日になって、抗体値があがるかもしれないので、明日かかりつけ医を必ず受診して、もう一度検査をするかどうかを相談してください。」なんじゃそりゃ~?!いったい発熱後何時間で受診すれば陰性という結果が信頼できるものであるのか。抗ウイルス薬は確か発症後48時間以内に投与しなければ効き目がないはず。検査の信憑性と抗ウイルス薬の効き目が期待されるタイムリミットをと考え合わせると、いったい何時間ぐらいで検査を受けるのがいいのだろうか?お医者様に訊いてみたいところです。
2004.01.27
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息子の小学校でとうとう学級閉鎖が3クラス。「インフルエンザと思われる高熱、嘔吐、下痢による欠席者が多く出ました。」だそうです。土曜日夕方からの娘は熱と咽頭痛、咳で、まだ熱が下がりきらない。今日は昼間は37度台だったのが、夕方からまた38度台に。私も昨日からの熱が下がらない。今日は娘の幼稚園のお誕生日会だったのです。そして娘は1月生まれ。主役の一人だったのに行けなかった。毎月お誕生日会にはその月生まれの母達が劇などでお祝いをするので、わたしたちも4人で企画し練習していた。朝から、普段は飲まない風邪薬で症状を抑えて、娘を家に残したまま劇をしに幼稚園に行ってきた。生で見られない娘のためにビデオを撮らせてもらった。何とか無事にやり終えて、すぐに帰宅。そのまま横になった。幸い、家の男性陣は元気だ。息子は一人で電車に乗ってスイミングに行った。夕方息子の迎えに行ってくれた夫が、買い物をして、夕食に残り物+鶏手羽元の塩焼きを作ってくれた。今回の熱はしつこいです。
2004.01.26
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今日は娘の6回目の誕生日。無事にこの日を祝えることに感謝する。と思うのだが、昨日の夕方から高熱が出ている娘にはなにもお祝いしてあげられない。朝目が覚めたときに、熱で朦朧としている娘に向って「お誕生日おめでとう。」と言っただけ。夜ご飯は回転すしに行きたいといっていたのに。クリームと果物のいっぱいのったケーキを作ってあげると言っていたのに。お水やスポーツドリンクを飲むのがやっと。休日診療所に行ってインフルエンザの検査をしてもらったら、(-)だったので一安心。プリンが食べたいと言うので、帰ってから作ってやった。一口一口、おいしそうに食べていく。元気出るといいね。-----娘の出産は、破水から始まった。痛くも何ともないけれど、とりあえず病院に向って入院。実家に帰っていたので弟が車を出してくれ、母が付き添った。夫が来ていたのだけれど、夫は息子と一緒に待っておくことになった。(でも、来て欲しかったのは夫だった)なかなか陣痛が起きない。数時間たってやっと陣痛の兆しが。陣痛が強くなって分娩台に移動したら、20分ぐらいで生まれた。それまでの通院時のエコーによって、「男の子ですね。」と聞いていたのに、分娩台の上で聞いたのは「女の子ですよー。」という助産婦さんの声。「えー?!」と、分娩台の上で寒さに震えながら、こけそうになった。そして6年。2歳のころは喘息が発症して入院やら通院、治療で大変だったけれど、こうしてここまで大きくなったなぁ。あなたの、屈託のない笑顔、人の気持ちに寄り添える優しさ、天真爛漫の行動。全部大好きだよ!うちに来てくれて有難う。元気になったらお祝いしようね。(私も風邪治さなきゃ)
2004.01.25
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たまたま近所のショッピングセンターに買い物に行ったら、チラシを配っていた。イラク写真パネル展。昨年春にイラクを訪れ、劣化ウラン弾の被害の実態を調査したヒロシマの平和活動家、森瀧春子さんの写真を中心にしたパネル展。今、イラクはどうなっているのだろう。用事を済ませて、娘を引き連れて会場に向った。写真は、以前見たことがあったものも多かった。そして、自衛隊派兵を問うパネル。自衛隊が行くサマワの町にも劣化ウラン弾が落とされたという。そしてそのことを国は認めていない。自衛隊の人たちは知らされぬまま行かされるというのか。また、テロリストではなく住民の人が自衛隊をアメリカの味方の軍隊だと思って攻撃を仕掛けてきたら、住民に銃を向けるのか、というような内容だった。自衛隊については、断片的な情報しか知らず、新聞によっても取り上げる立場が真っ向から違う。政党によっても「派兵」と言ったり「派遣」と言ったり。実際にイラクの人、サマワの人は今本当に何を望んでいるのか。自衛隊ができること、しに行くこととの間にギャップもあるらしい。人道支援、国際貢献というなら、大地震があって街が壊滅的な被害にあったイランはどうなのか。劣化ウランが落とされて危険ならば、現地の人も立ち入り禁止にすべきじゃないか。などと、素人の強みでいろいろなことを考える。派兵(派遣?)に賛成とか反対と言う考えは、私の中でまとまりきらないので、アンケートを書かずに会場を後にした。ただ戦争は悲惨さ、悲しみ、恨みを長年にわたって残す、ことは確かだ。そして誰かの手によって復興させなければ。復興させても心の傷は癒えないだろうが。戦争反対、これだけははっきりしている。(追記 2月4日の新聞によると、自衛隊は"イラン国際緊急援助活動(地震)"を行っていたそうです。)
2004.01.24
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息子に、ストレートに訊かれました。しばらく考えました。あせってドキドキしながら1○年前のことを思い出しました。現夫の留学が決まって、正直、私は帰国までの1年(あるいはもうちょっと)待てる自信がなかった。もし待てなかったら、一生結婚しないような気もした。それより、急な話だけれど、思い切って一緒に行って苦労を共にしたほうがいいと思った。どうして彼だったのか。それ以前には、お付き合いするまでに至る人がいなかった。そして、この人なら一生一緒にいることができそうだと思った。そして夫はどうなのか。興味深々で答えを待った。「結婚したかったから。」それだけぇー?当然の答えやん。まぁいいか。わたしの心に残る夫の語録がある。「形あるものは、いつかは壊れる。」「明日できることは明日すればいい。」「思っていても、言わなわからん。」そして、"ことば"の使い方について。それまでのわたしは、"物"への異常な執着があった。(今でもかなり強いと思う)「今日できることは今日のうちにしなさい。」と言われ続けて、自分でもそうしなきゃと思っていた。いつも気持ちが焦って、常に今しなきゃいけないことはないかとこ探していた。人に対する言葉遣いは、冗談のつもりだったり自分を守るために、人を傷つけることをたくさん言ってきたと思う。これらのことに気づかされ、そんなに頑なにならなくても、焦らなくても、強がらなくてもいいんだということがわかってきたように思う。言葉遣いには、それまでと比べたら、かなり気をつけるようになった。始めは違和感をもっていたが、だんだん「そうだよなー。」と思えるようになってきた。
2004.01.19
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といっても、本当の誕生日は5月。今年の春に2人の弟に赤ちゃんがそれぞれ生まれる予定なので、その前のほうがいいだろうということで、1月に会食。わたしの両親と姉弟3人のそれぞれの家族とで総勢大人8人子供2人が集合。大阪市内のホテルの中華レストランを予約した。一人の弟は海外赴任中なので、めったに帰国しないが、今回は彼の都合にも合わせたので参加できた。寒い時期だし、妊婦さんもいるし、海外在住もいるしで、当日全員揃ったところで自然と笑みがこぼれた。元気に60歳になる年を迎えられて本当によかったねぇ。人生80年時代まだまだ若いのだろうが、自分の親が60歳というのは自分もそれなりの年を取ったということにもなる。しみじみ。おいしい食卓を囲んで、以前一緒に暮らしていたときに戻った気分であっという間に2時間半が過ぎてしまった。今は4世帯それぞれの暮らしをしているが、たまにこうやって集まって昔話をするのもいいもんだなぁ。母はよっぽど嬉しかったのか、お酒も入り始終上機嫌で、帰りにはなぜだかわからないけれど、子供たちの各世帯に「○○に使い」と言ってお金をばらまいていた。何のためにお祝いしたのだか・・・。やれやれ。とにもかくにも、家族が分かれて増えて、またこうして集まるときがもてるというのは、幸せだなぁ。
2004.01.18
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昨日の夕刊より。「小児慢性特定疾患の治療費 全通院患者に補助」厚生労働省は、新年度から、喘息などの小児慢性特定疾患を児童福祉法に基づく法廷疾患とし、治療費の補助対象を吸えての通院患者に拡充する方針を決めた。対象年齢も原則18歳未満から20歳未満まで引き上げる。これまで治療費を自己負担してきた喘息や慢性人疾患、慢性心疾患などの通院患者も公的補助を受けられるようになるなど、重症患者に手厚い制度にする。・・・----子供の慢性疾患は親にとっては、自分のことでない辛さと永遠に続くかと思われる定期的な通院・検査、毎日数回の服薬。その時間的精神的経済的不安が常にある。新しい制度の詳細はわからないが、不安材料が少しでも軽減されるように望む。ひょっとして、娘も対象になるのかしら?ずいぶん軽くなって、日常生活には支障なくなってきたので、喘息に対するストレスはあまりないけれど、いつ再発するかを考えると、ありがたい制度だなぁと思う。詳細が発表されるのが待ち遠しい。
2004.01.17
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毎年恒例、旧正月の今ごろ行われるお餅つき。園長先生、お父さん、おじいちゃん、教会の方、委員のお母さんたち、先生方総出でもち米をせいろで蒸し、臼と杵でついていく。私自身も本当のお餅つきを見るのは、このときだけ。楽しみ。粒々だったもち米がみるみるうちに白い滑らかなお餅になっていく。子供たちも興味津々。子供たちも形だけ、持ちつき参加。ついたお持ちは、温かいうちに切り分け、子供たちも丸めていく。粘土のようにこねたり伸ばしてしまって、丸くまとまらなくなってしまった子もいた。各自のお皿に入れて、きな粉か醤油をつけてもらう。みんな揃ったところで、神様の恵みへの感謝と、残念ながら休んでしまった子のためのお祈り。そして「いっただっきまぁ~す!」待ちきれずにお祈りの前に一つ食べちゃった子もいた。楽しみだったんだね。お手伝いの終ったお父さん、おじいちゃん、お母さん達は、別室にて、おろしだいこんやきな粉のお持ちをたらふく(?!)いただいた。口直しにと思って、手製の粒あんを持っていった。自分で言うのもなんだけど、おいし!人数が多かったから、もっとたくさん持っていけばよかった。降園まで少し片付けをして、今日の行事終了。-----今日はお手伝いがあるからと思って、早めに登園したかったのに、娘が目覚めてから布団の上に座り20分ぐらい動かない。何度言っても着替えようとしない。やっと着替えたと思ったら、今度は朝ごはんを食べるのもゆっくりゆっくり。イライラ・・・。玄関で用意をする娘を待ちながら、怒鳴り散らしてしまった。イライラの気分のまま、自転車をこぎ、幼稚園に向う。途中のちょっとした上り坂に差し掛かって、横の路地から出てきた自転車と接触。お互いに止まりそうなぐらいのスピードだったため、倒れずにすんだ。たとえ自転車でも、こんな気分のまま運転していたら、注意散漫になって危険だわ。猛反省。
2004.01.16
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8年前の今日、我が家に新しいメンバーが加わった。男の子だった。予定日よりも17日も早くこの世に生を受けた。1996年1月13日 午前11時04分「ちびっこ 誕生 2人のあいだの子供が この世に出てきた 友人知人 一人一人に電話して 世界中にアピールしたいほどの気分 苦しかったけど 痛かったけど 女の一大事業を 一つ 終えた」早く生まれたせいか、母乳の吸い付きもよくなかった。おなかが減っているのに、うまく吸えなくて、いつも泣いていた。黄疸がひどく、一旦母子共に退院したが数日後再び入院した。「このままではお母さんに任せられない。」という言葉を浴びて一人で帰宅した。3日ほどで退院したが、その後もよく泣いた。眠ったと思っても、置くとまた泣き出すので、ずっと抱っこしていた記憶が残る。辛い時期もあったけれど、8回目のお誕生日を元気に迎えることができた。今日はチョコシフォンケーキを作り、ハンバーグにかぼちゃのポタージュスープ、ほうれん草のキッシュ風のディナー。シフォンケーキのはずが全然膨らまなくてしぼんだケーキになってしまったけれど、「いいよ。」って言ってくれたね。愛をこめて、お誕生日おめでとう。うちの子になってくれてありがとう。こんな、怒りっぽいいいかげんな母だけれど、これからもよろしく。
2004.01.13
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今日は、家族でお出かけの日、と予定を合わせていた。昨日の晩にどこへ行くか案を出し合って、決めたのが大阪歴史博物館でのトルコ三大文明展。現地に到着して、せっかくだからと常設展も観ることにした。難波宮の再現や天下の台所の時代の大阪の町並みや生活の再現、発掘調査の現場再現、土器再現パズル、地層パズル、クイズなど子供でも興味を持って歴史や考古学に触れられる工夫がされていた。新しい施設は視覚的、感覚的な工夫がされていていいなぁと思った。ゆっくり観ていたらお昼を過ぎて、おなかが減った家族のメンバーたちは動けなくなってしまったので、一旦外へ出て昼食。昼から特別展のトルコ三大文明に行こうとすると、チケット売り場がすごい行列。チケットは確保していたものの、こりゃ会場もすごいだろうなと覚悟して行った。思ったとおり、会場の入り口はいっぱい。展示物の前には人垣ができていて、よく観ようとすると、割り込むかじっと並んで動くのを待つか、どちらかしかなかった。子供は小さいので、何とか足元をぬって、自分のペースで眺めまわっていた。私は人の頭の間からちらちらと見るだけ。こんなことなら、午前中にこちらを観ておけばよかった。会場の後半は少しスペースに余裕ができていたので、ゆっくり観ることができた。トルコって不思議。古代宗教の様々な神像があったかと思うと、その後硬貨にイエス様の像が彫ってあったり、煌びやかなコーランやコーランカバーや書台、宝石がちりばめられたマグカップ(?)や壷、東洋からの贈り物であろう陶磁器の大皿や壷。文明の十字路の名にふさわしい品々。行ってみたいなぁ。帰りは皆、人ごみでかなり疲れてしまったが、いいものを観られたな。久々の、家族でお出かけ。暖かくなったら外にも行こう。
2004.01.12
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またやってしまったのよねー。でも、たまには子供らのしつけ上、必要なことかもしれないと、自分に言い訳をしつつ。子供たちが時々、ダイニングの椅子に立ってカウンターにもたれる。それ自体はまだ体重も重くないので目をつぶることもできる。でも、もたれながらそこにおいてある食器などを知らず知らず腕で押しやって、台所のシンク側、シンクの中にまで落としてしまい、何度か食器を割ったことがあった。もたれかかるたびに、「物を落としてしまうから。」と注意してきた。今夕もまた息子がもたれかかり、娘の喘息薬吸入器をシンクの中の水の中に落としてしまった!!これは、濡らしてはいけない器具で、おまけに中にまだ薬のカプセルが2つ残っていた。中に水が入り、カプセルの中の薬も湿気て固まってしまった。もう使えない・・・。怒り爆発!「どうするねん!」これをきっかけに色々子供らに対して思っていることが、とめどなく口をついてくる。遊びや漫画に夢中になって、話を聞かない。片付けない。何回言っても、言われたことをしない。・・・・・よくもまあ次から次へと、言葉が出てくるなと思うほどに、次々と出てくる。自分でも恐ろしくなる。こうなったら、自分では止められない。何とか一旦口をつぐむが、腹の虫が収まらない。(息子が「ぼくなんかいなければよかった。」と言っていたのと同じじゃないか?!)片付けていないので布団が敷けないため、「もう言わないから、片付けないなら布団敷いて。明日も学校と幼稚園、あるんやからね。」とだけ言って、一人風呂に入る。湯船の中で、心を落ち着けようとする。収まらない。祈る。でもやっぱり収まらない。こういうときには、子供を見るとまた怒りが湧いてきそうなので、見ないふりをする。あまりテレビを見ないわたしだが、21時からどうしても見たいドラマがあったので、黙って観ることにした。横で、さすがに子供たちも「やばい。」と感じたらしく、協力して片付け、布団を敷こうとしている。ここはやはり年上の息子のほうが、妹をしっかりリードしている。まもなく夫が帰宅した。まだイライラが残っているわたしは、夫を機嫌よく迎え出ることができない。心の内では「ごめんよぉ~。」と思っているのだが。夫も何か察したようで、黙って食事をしていた。(ああ、ごめんよぉ~、ほんとうに。)食事が終り、ぽつぽつと、家庭内の現状報告をした。そして、いつものように一緒にドラマを見ながらドラマの内容について話をした。ドラマの内容が、特番だったこともあり、かなり胸を打ちセンチな気分になった。寝る前に、祈ってたら、涙が止まらなくなった。何でこんなに爆発しちゃったんだろう。子供たちのいなかった2日間のあと、また子供たちとの生活に戻ったときに感じたこと。子供に接していると、しつけという名目で、どうしても自分の思い通りに子供たちを動かそうとばかりしているよなぁ。そしてその通りにならないことのほうが多いことで、イライラが募る。時には厳しさも必要なんだろうけど。育児は悩みの連続だぁ。
2004.01.08
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定年後に海外へ移住する人がいる。私も少し憧れがある。日本にいたら付きまとう親戚をはじめとする人付き合い。それらをいっさい振り切って、物価の安い、美しい自然に囲まれて住むのもいいかなって。テレビでおとつい、金銭的な面から海外移住生活をチェックする番組があった。ある定年後のご夫婦が、移住してみたものの、思ったより生活費などがかさんで、一度チェックしてもらいたいと番組に応募したのだろう。観ていると、立派なコンドミニアムを買い、立派な家具をそろえ、運転手付の車を持ち、メイドを雇い、月2回日本人スタッフのいる美容院へ通う。収入はご主人の年金のみ。奥様のは説明をしてもらったがよくわからず、もらえないとあきらめていらっしゃる。毎月赤字で、貯蓄を切り崩しながらの生活。色々なアドバーザーなる人たちが出てきて、チェックをする。このままでは3年後には破綻!コンドミニアムや家具の現在の価値、貯金推移もチェック。そして肝心の生活費。現地の美容院なら、4分の一ぐらいの値段だ。食費もスーパーでなく、地元の市場でまとめ買いをしてさらに値切り、冷凍保存するなどしたらグンと抑えられそう。家事も自分ですれば・・・車を持たずにタクシーを使えば・・・。そして奥様の年金も、年金番号が2つあったために加入期間が合算されずにもらえなかっただけで、番号を一つにし、さらに足りない期間はさかのぼって加入(掛け金を払う)ことでもらえるようになるということだった。よかったじゃん。ただ、その国のリタイヤメントビザを取得して永住しているのだが、そのビザではその国の医療保険制度には加入できないらしい。医療費は全部自腹だということ。年を取るにつれて医療費はかかるものだから、心配の一つだ。番組を見ながら考えてみると、海外移住するにしても永住するための条件、社会保障制度や収入、言葉、習慣などいろいろなことを調べられるだけ調べ、行くならば知人もいない現地の生活に入り込む覚悟は要るんじゃないかと思った。物価の安さ、美しい自然、わずらわしいお付き合いからの解放、それらだけでは実際に生活していくのは困難なのだろう。そんな不安材料を乗り越え、のびのびと海外生活を楽しんでいらっしゃるご夫婦も紹介されていた。海外移住に限らず、国内においても定年後、見知らぬ田舎に家を買って移住する人もいる。社会保障制度はまあわかるにしても、現地の生活、コミュニティーに入り込む覚悟は要ると思う。とすると、お付き合いがわずらわしいと思っている人にとっては、どこに行っても逃れなれないのではないか。結局は自分の気持ちの持ち方次第なのかもしれない。正面から向き合い、楽しめたら。
2004.01.07
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昨日今日と子供たちが家にいなかった。食事の時間も寝る時間も、全く気の赴くままに。ふと気づいたこと。時計が全く気にならない。なんてゆったりするんだろう。夕方子供たちが帰ってきた。「おっかえりぃ~!」「たっだいまぁ~!」と再会を喜び抱き合う。(麗しき親子愛よ!)と思ったのはそのときだけだった。しばらくすると「そろそろ○時だから夕食の支度をしなくっちゃ。」「そろそろ○時だからお風呂を洗ってお湯を張らなくっちゃ。」「そろそろ○時だから歯磨きさせて布団に入れなくっちゃ。あさってから学校も幼稚園も始まるし。」と、イライラモード。はぁ~、2日間の開放感も終わりかぁ。-----のんびりとした時間の間に、帰省から帰ってからの新聞をゆっくり読んだ。Y新聞1月5日朝刊に「元気出せ!日本」というテーマで3人の方の主張・提言が載っていた。童門冬二氏(小説家)は渋沢栄一氏の「家庭の集合したものが一郷となり、一郡となり、一国となるのだから、夫妻子女により形成されたる一家庭なる小政府を完全にしなければ、理想的国家を円説することはできない。」との言葉を引用し、「小政府とは『権限と責任による自己完結性を持つ存在』ということだろう。・・・『地方主権の実現は、家庭の再構築からはじまる』。当然、家庭の再構築はその構成者である夫妻子女個人の再構築からはじまる。」と言っている。さらに「個人の再構築とは何か。一言でいえば"らしさ"の創造だ。それも接するものに"なら"と思わせる"らしさ"のことだ。『うちのお父さんなら、後姿で学んじゃう。』『うちのお母さんなら、絶対に信頼できる』と子どもたちが感ずるのなら、親としての"らしさ"を立派に父母が創造したことになる。」これは"らしさ"を求めるあらゆるもの(人、組織、企業・・・)に当てはまりそうな考えだと思う。わたしらしさ、我が家らしさ、我が市らしさ・・・わが国らしさ。"なら"と思わせる信頼感、実績を構築するということだろうか。"らしさ"よりはっきりしている"なら"の視点で、生活してみよう。もうひとり、森永卓郎氏(経済アナリスト)は大都市(特に東京)と地方を景気と人々の表情という視点で対比している。「東京がミニバブルと言ってよいほどの活況を呈しているのに対し、地方は商店街のシャッターが閉まり、人通りも少ない。ところが街に住む人たちの表情は、景気と裏腹だ。東京のサラリーマンが無表情で、無感動で、無愛想なのに対して、地方、特に農村部にすんでいる人たちは表情豊かで、感謝の心にあふれ、そして誰にでも優しいのである。もちろん、所得は都会の方がずっと多い。それなのに、都会のサラリーマンのほうが不幸そうに見えるのは、彼らに心の余裕がないからだろう。・・・確かに所得は多いほどよいのかもしれない。だが、これ以上の所得拡大が、心と体を犠牲にしてまで必要なのかを都会の人は考えていないように思う。・・・さらに、農村部では、互いに気遣い支えあうコミュニティーが今も生きている。・・・そこには、誰がやるかと言うルールはないし、必ず自分の利益に帰ってくるという打算もない。あいまいで優しい日本の文化が生きているのだ。・・・都会の人も含め、日本人が本来の姿に戻ることが、私は日本が元気を取り戻す一番の方法だと思う。やることは簡単だ。勘定を素直に表現するようにすればよい。・・・・・・経営者は、グローバル競争に勝ち抜くためには、大幅なリストラが必要だと繰り返す。しかし、完全競争の下では利益がゼロになると、どの経済学の教科書にも書いてある。グローバル競争の勝者は、競争を勝ち抜いたものではなく、競争に巻き込まれなかったものなのだ。私は、日本が目指すべきモデルはイタリアだと思っている。中国と競合しない高付加価値のモノ作りによって、イタリアは空洞化と無縁だ。・・・イタリアの所得水準は日本の半分しかないが、皆が歌って、踊って、恋をして、人生を謳歌している。そこから豊かな感性が生まれている。」大都会と地方を単純に比較したり、日本の本来の姿に戻ることが元気をとり戻る方法だと言いながらモデルはイタリアだと言ったり、納得しがたいところがあるにしても、「所得拡大を目指し続けることが元気が出ることだ」という風潮を批判しているところは一理あると思う。幸せって何か、元気が出ることは何か、もう一度見つめなおすきっかけになった。最後に、増田明美氏(スポーツライター)はマラソンの高橋尚子選手についてこう言っている。「・・・周りは何かと騒がしい。しかし、彼女の生活は変わらない。淡々と、いつもの毎日を送っている。・・・今はまだ目の前に明確な目標があるわけではない。・・・それでも『今日』という日を悔いなく生きなければ明日が始まらない人なのだ。」また、ラドクリフ選手(女子マラソン世界最高記録保持者)の逸話を引用しこう言っている。「(東京国際のゲスト解説の後)『未来の自分にメッセージを』とテレビ局側に頼まれるとラドクリフさんは『自分でコントロールできるのは"今"しかないので、未来のことは話せません』と答えていた。世界のトップアスリートに共通しているのは、『今に生きる』強いエネルギーなのかもしれない。」さらに「人生はよくマラソンにたとえられる。・・・目の前のゴールに向ってひたすら走り続けているのだろう。それでも、うまく行くこともあれば、いかない場合もある。だが、大事なことは、結果ではなく、一日一日を"自分らしく"がむしゃらに生きぬくことではないかしら。後ろを振り向かずに真っ直ぐ前を見つめて。そんな一人一人の『一日』から日本の元気が生まれてきたら、すてき!」と締めくくっている。興味深いことに、ここにも"らしさ"という言葉が出てきた。わたし自身、マラソンのようにじっと前だけ見つめてがむしゃらに走り続けるなんてことはできそうにないが、一日一日を"自分らしく"、さらに言えば今この時を平安な気持ちで自分らしく過ごすことができたらいいなと思う。時計を気にせず、新聞記事を読みながらいろいろなことに思いをはせることができた日でした。余談・・・小さな記事での発見。大平首相ってクリスチャンだったのね。知らなかったわぁ。
2004.01.06
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今日からお仕事の方には申し訳ないけれど、やっと今日ゆっくりお休みが取れた気分です。子供は実家だし、夫は仕事だし、丸一日"自由時間!!"。洗濯やら片付け掃除をしながら、夕方までゆっくり過ごすぞ!でも、気になっていることは色々あるのよね。たまっている新聞を読みたいし、子供のお年玉を貯金しに行きたいし、去年の家計簿を片付けてしまいたいし、手作り品もしてしまいたいし。時間足りるかしら?今日の夕食も、胃腸を休めるためと言い訳しつつ、簡単ご飯にしちゃおうっと。
2004.01.05
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今年は母の還暦なので、兄弟3人でお祝いの品をあげることにした。本人の希望を聞くと、目に合った眼鏡がいいと言う。父の還暦のときにも眼鏡にしたので、ちょうどいい。親不孝でめったに実家に帰らないわたしは、この機会に買いに行ってしまいたかった。朝の用事を済ませて昼前に眼鏡屋さんへ出かける。初めて眼鏡屋で眼鏡を買う母は戸惑っているよう。視力を測ってもらい、フレームを選ぶ。いい物好きの主人は「18金のにしたらええやん。」と勧めてくれたが、デザインより先に値札に視線が行く母は「そんないいものじゃなくていい。」と、引いていた。色々見たうえで、かけやすくフィットするものにした。サービスでスワロフスキーの小さな石をつけてくれるというので、無色の石をレンズの左右の端に一つずつつけてもらうことにした。楽しみだね。これからも体をいたわって、元気でね。予算も大体思ったとおり。昼ごはんは弟夫婦も加わり、大人6人子供2人でうどん屋へ。その後、その場で別れてそれぞれの帰途へつく。子供たち2人は、おじいちゃんおばあちゃんの家にお泊りするんだって。2人で泊まるのは初めてだなぁ。「またね。」と言って別れる。高速に乗ったらまた渋滞情報。わき見渋滞だって。っていうことは、反対車線で事故か何かがあったのかな?その現場に着くと、案の定反対車線で4台の車が絡んだ事故だった。うち2台は、前がへしゃげて、進行方向を向いていなかった。激しい衝突だったのだろうか。けが人はいなかったのだろうか。今回の移動では、事故をよく見かけるなぁ。気をつけなくちゃ。車の中で、夫とゆっくり将来のことなどについて話ができた。そして、夫の考えも聞くことができた。今まで気になりながらも改まって話をする機会がもてなかったことについて、少し夫の考えが聞けたことは、第一歩だと思う。いろいろな話を聞いて気分が重くなったけれども、こうして夫と話す時が与えられて、よかったなぁ。長いロードが終り、やっと新年の我が家へ帰れた。まず年賀状を見て、出していない人には返事を書かなくちゃ。胃腸が疲れ気味なので、今夜は簡単なご飯にしよう。子供たちもいないし、貴重な2人の時間♪-----夜、テレビで「正月時代劇 大友宗麟・心の王国を求めて・戦国の世において平和な国づくりを目指した武将相隣の波乱の人生」を放送していた。夫が見ている横で、年賀状の返事を書きながらちらちらと見ていた。戦国時代のキリシタン武将の話だ。フランシスコ・ザビエルと宗麟との会話。宗麟「罪とは何か?」ザビエル「愛のないことです。殺すなかれ、奪うなかれ、妬むなかれ・・・」ザビエル「戦いは何の解決にもならない」(後に宗麟もこのセリフをいう)宗麟が妻に向って。宗麟「キリシタンは(夫婦は)別れてはならぬという。わたしはそなたの助言に従いキリシタンにならなかったことを喜ぶ。出て行ってくれ。」じっと見ていたわけではないので、セリフはうろ覚えだし、その後妻がどうしたのかわからない。その後宗麟は洗礼を受ける決意をする。宗麟が洗礼を受けるシーンなどもあり、興味深いものがあった。夫は「クリスチャンでも離婚する人多いやんなぁ。」「正しいはずのクリスチャンの国がなんで戦争をしてきているんやろうなぁ。」「何で正月からキリシタンものなんやろ」などといいながら(歴史ものは好きなので)観ている。それをいわれちゃ辛いんだよ。クリスチャンが、皆いつも正しい事をしているとは限らないんじゃないかな。でも、創造主である神と神の言葉(=聖書)はいつも正しい。クリスチャンは神の前に正しくあろうとはしているんじゃないか。でも、人間だから、失敗することもある。思い違いをするときもある。それだからこそ、祈り、神の前に出て、悔い改め、清めてもらうことをしているんじゃないか。と、心の中であとから考えた、わたしの反論。でも、こんな会話もできるんだなぁと、しみじみ。
2004.01.04
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いよいよ主人の実家を後にする。大勢でお世話になりました。また来ますね。義父が作ったお米を30kg積み込んで。ありがたいな。今日はわたしの祖母宅に行って、夜はわたしの実家に一泊。帰宅ラッシュが始まっていた。神戸あたりから込んでいて渋滞だという情報がはいってきた。高速に乗って程なく三木SAでお昼休憩。祖母の家に電話をしてから出発。情報どおり混みだした。高速の電光掲示板に、火災発生と書いてあった。何が燃えたんだろう?ちょっと迷ったが、目的より15kmほど手前のインターで降りて、一般道を行くことにした。ラジオを聞いていると、バイクが燃えたらしい。乗っていた人は大丈夫だったのだろうか。山間の道をすいすい行ったが、目的だったインターの手前5kmほどからまたのろのろ運転になった。これじゃあ、高速に乗ったまま行ったほうが早かったなぁと後悔するが後のまつり。夫は忍耐強くずっとのろのろ安全運転をしてくれた。渋滞の理由は、有名な荒神さんのお参りへ向かう車の交通整理と検問のパトカー。おまわりさん、年始早々お仕事ご苦労さまだけれど、どこまで渋滞してるか知ってる?!と、自分勝手な文句を言ってみる。車の中では、夫と、今回の帰省での懸案事項を少し話すことができた。考え方の違い、夫の思い。少しずつ、少しずつ。わたしも、批判することのない様に気をつけながら。(でも批判しちゃってたかも)そして、何やかんや思うことはあるけれど、夫の両親が健康で経済的にも自立して暮らせていることに感謝しなければなあと思わされた。休憩から2時間かかってやっと祖母の家に着いた。みんな心配して待っていた。そこには、わたしの祖母と両親と弟夫婦。奥さんは4月に第1子出産予定。そしてわたしたちを入れて大人7人子供2人(+おなかの赤ちゃん)が勢ぞろい。元気に集まれてよかったね。もう一人の弟は仕事でアメリカで、義妹は来る予定だったが体調不良のため来られなかった。3月に第1子出産なので、それまでの体調、そして不安な心が守られるように祈りつつ。おばあちゃん、今年もお正月が迎えられてよかったね。今年1年も健康が守られますように。
2004.01.03
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朝から、たまっていた洗濯をする。他の家族も考えることは同じで、結局3件10人分ほどの2日分ずつの洗濯ものが出来上がった。物干し竿もパラソル型のの物干しも室内干しもフル出動して何とか干し終えた。昼ごはんは変わった味のものをと、全国を巡業しているというドーム型九州屋台ラーメンを、義父母と食べに行く。ラーメンがおいしかった。息子が注文した餃子を一口もらったら、胃が弱っていたのか、かなり臭ったらしく(餃子を食べなかった夫にしかわからない)車の中でえらい迷惑をかけてしまった。午後は義父母とは別行動で、大型ショッピングセンターに行く。昨日も別の大型スーパーに行ったのだが、娘がお年玉を使いそびれたのでさらに大型のショッピングセンターに行くことになった。義母は、年末からの疲れが出ていたのか、家でゆっくりしたかったようだ。腰が悪いので、長い時間家事をすると堪えるのだ。大型ショッピングセンターでは、退屈しのぎと大型おもちゃ屋目当ての人の車でいっぱいだった。何とか敷地内には入ったものの、駐車場の手前で待っていたが、要領のいい車がどんどん横から前へ行ってしまい、身動きが取れなくなって、結局あきらめて何とか抜け出して昨日の大型スーパーへ行くことにした。娘は散々悩んで、お年玉の半分をはたいてディズニーのお姫様の魔法のステッキを買った。昨日も見ていたので、よっぽど欲しかったのだろう。電池式のおもちゃなので、わたしはあまり好きではなかったが。頼まれていた夕食の食材を買って、家に戻った。さっそく娘は、ステッキでお姫様になった気分。ステッキを振ると光りながら「シャラララン!」と音がして、まるで映像の世界(の気分)。振り回し踊り回りながら、叔父ちゃんたちに魔法をかけまくっていた。従姉妹と一緒に部屋にはいり電灯を消して、夢の世界に浸る。障子があるのでハラハラしていた。「部屋の真ん中でね。」とは言っておいた。・・・と夜になって「おかあさん・・・」とやってきた。見てみると、ステッキの先端が折れている。聞いてみると、障子の桟にぶつけたそうだ。ありゃー心配したとおり。幸い、中の電気線は切れていなかったので、折れたプラスチック部分をボンドで修理できるだろう。5時間ほど楽しく遊んだからいいか。2歳半の姪も含めてカルタをしたり、庭で遊んだり、従姉妹同志でいっぱい遊んだね。2歳半の姪は、いっちょ前にカルタを読んでくれる。といっても、字は読めないので、読み札を持ちながら、取り札の絵を見て自分で言葉を作って、さも読んでいるように言ってくれるのだ。それがおかしくってかっわいい~!自分の子とこんなに心から楽しく遊んだことあったっけ?貴重なこの時だなぁ。今朝の洗濯物は乾ききっていないので、急ぐものを優先的に暖房の入って部屋に吊り下げておく。明日はまた移動だ。
2004.01.02
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朝ゆっくりそれでも皆より少し早く起きて、昨日から準備できなかった牛のタタキと焼き豚のオードブルを盛り付ける。お雑煮の準備は義母がおきてきてからにしよう。皆がぼちぼち起きてきてお雑煮の準備をして、揃ってテーブルについて、元旦のお祝い。「あけましておめでとう。」「今年も宜しく。」口々に言い乾杯し、日本酒を傾けおせちをつつく。 横になってしまった。子供たちには待ちに待ったお年玉。姪っ子たちはまだ小さいので、昨日おせち作りの間にちょっと時間をもらって用意した、ファンシー文具などをあげた。小学校にあがったらお金であげようかな。こうして義父母を中心とする家族がそろって元気に集まることができて感謝です。今年一年一人一人がその場において導き守られるように、心の中で祈りつつ。お祝いの席の中で、今年主人の祖父母の法事があるという話を聞いた。義父は、自分がとり行うのは今回が最後だろうと言う。長男の嫁としては、つらいなぁ。いやいや、夫に従うだけ・・・。またちょっと気分が重くなる。数珠持っていかなかったら、なんか言われるかなぁ。昼過ぎからは恒例の初詣。いつもは皆で揃っていくのだが、今年は準備のできた人から順次行くことになった。わたしたち家族が先に出発。散歩がてら約1.5kmの道を歩く。今年は風も穏やかで暖かい小春日和の元旦だ。昨年は、寒い風の吹く中歩いて行って、帰ってから義母が熱を出してしまったことが思い出される。無理せず車で近くまで行けばよかった。行く道すがら、夫に「行ってもお参りはせぇへんで。個人的に。」と宣言。夫も「そっか。」とだけ言う。正面の門の前に着くと、ずらぁ~ッとお参りのために並ぶ人の列崖が境内から続き門の外にも約100m。「並ぶ?」と夫に聞くと、「そこまでせんでええわ。」と言うので、並んでいる列の横から境内に入っていく。夫は賽銭も入れずに離れたところから手を合わせ「家族健康、家内安全、学業成就、交通安全。」といつものように言っていた。息子がおみくじを引きたがったので、家族代表で1本引くことになった。このおみくじ、去年から100%値上げされた。つまり、それまで100円だったのが200円になった。このデフレのご時世にあって、ぼったくり、と思ってしまう。(ばちあたり?)小吉ということだったが、そんなものは信じなくていいということを知っているわたしはあまり興味がない。一通り読んで「ふぅ~ん。」こんな内容だったら、ちゃんと聖書に書いてあるやん。境内を出たところで、後発隊に出会った。先に帰るね、と言ってまた散歩がてら引き返す。タニシが住む蓮根畑の間を歩き、田んぼのあぜ道を通り、綿毛を吹き飛ばし、服についたひっつきむしに植物に与えられた知恵を想い、空にはとんびが鳴きながら舞い、川面に泳ぐ鴨たちを眺め、水面下の鯉だか鮒だかの稚魚の群れを追う。穏やかな平安に包まれた元日。今日は一日、食事の心配をしなくてもいいしね♪
2004.01.01
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