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ところが、妻は私の終活宣言を世間並みに正しく理解したらしく、私が入院生活をしている間にも「お手伝いするからね」と、かつて夢中になって育てていた洋蘭、東洋蘭用のたくさんの蘭鉢などの資材が残されている温室の整理を始めたのである。一応は「ありがとう」というものの、妻の片づけを手伝っているという気分で、さしあたっては私自身の終活の方針は変える予定はないのである。
終活が始まってから、庭の手入れや三度の食事の準備、たぶん一生ものの腎臓病との付き合いがけっこう楽しい終活になることは見つけたのだが、あらかじめ、終活としてやろうと決めていたことがあった。
第一に読書。この 7
、 8
年細かな雑事に追われてあまり本が読めていなかったので、とくに現代思想・哲学で読み落としている領域を中心に読書をすること。これは、終活をやろうと思いついたときに一番目に決めて準備を進めていたので、順調に進んでいる(老化した頭脳を使うので、以前よりはまったく捗らないのだが)。
私はこの十数年、脱原発デモや町内会行事などの写真を撮り続けてきた。いわば、行事の記録としての写真をたくさん撮ってきた(そして、それがとても嫌になっていた)。終活に思い至った時、これからは「良い写真」を撮ろう、と決め、カメラ・写真技術に関する本数冊で勉強を始め、花や鳥、仙台市街の日の出などの写真を撮り始めている。つまり、終活の第二は写真(カメラ)なのである。
花や鳥、月の出や日の出など、撮るべき対象が定まっているのは、とにかくその対象に向けて撮影技術を磨くのが当面の課題としてやることが決まっているのでいいのだが、じつは、私が一番撮りたいのは何気ない街角の風景や人の暮らしの細部、そんなシーンの「良い写真」なのである。ところが、実際にはどこをどんなふうに写せばいいのか、まったくわからないのである。とにかく、自信がない。カメラを持って街に出ても、写すべきものが見つからずに帰ってくることの方が多いのである。
そこで考えて決断した(大げさだが)のが、「街に出て、とにかくシャッターを押す」というごくごく単純なことだった。数を撮っていれば、ちょっとだけ「良い」写真が撮れるかもしれない。まぐれ、偶然に助けられるという確率に期待することにしたのである。
というわけで、 8 月 23 日の午後 3 時半、炎天下の街に出かけた。仲の瀬橋を渡り、花壇地区から評定河原橋、瑞鳳殿前を通って米ケ袋の住宅街を抜けて、東北大学のある片平丁を回ってくるコースである。
評定河原橋への道
評定河原橋から(左手の赤みがかったビルは仙台高等裁判所)
瑞鳳殿前から霊屋橋を渡って米ケ袋に入る。今もそうかもしれないが、この地区はかつて裁判官や東北大の教授などが住んでいる高級住宅街だった。私が助手として最初に仕えた教授もこの地区に住んでいて、毎年の正月には研究室メンバー全員が教授宅での新年会に呼んでいただいた。教授夫人の父君もまた東北大教授だった方で少し離れたところに屋敷があって、 1
、 2
度庭の掃除か何かのお手伝いに伺ったことがあった。
米ケ袋から東北大学のある片平丁への道はすべて坂道で、その坂の風景を撮ってみたいと思ったのだが、シャッターを押す機会を見つけられなかった。
片平から五橋に抜ける道
片平丁の道に上がると、樹々に覆われた涼しそうな道が見えた。東北大学の敷地を分けるように片平から五橋に向かう道である。ここでも涼しそうという一点で、強い日差しの路上からシャッターを切った。
とにかく暑い。まもなく持参した水もつきそうなので、できるだけ早く帰ることにした。たくさん汗をかいていて「熱中症のリスクがあるな」などと考えていたのだが、汗と一緒に塩分が排出されるのは腎臓を患って塩分(ナトリウムとカリウム)を控えなければならない身にはとってもいいことではある。熱中症対策としてのスポーツドリンクは塩分が多くて私にとっては毒に近いのである。
熱中症と腎臓病、大いなる矛盾に悩ませられながら(一部は楽しみながら)の帰途、仲の瀬橋を渡っていると、仙台地下鉄東西線の電車が広瀬川を渡っていくのが見えた。広瀬川、地下鉄、大橋、仙台城址が収まっている一枚と思い、橋の上で電車が来るのが待つことにした。「良い写真を撮るにはじっと待つのも大事」などともったいぶって自分に言い聞かせていたが、何のことはない 2 分も経たないうちに電車が通りかかり、その一枚を写すことができた。
仲の瀬橋から仙台城址方向を望む
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