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過ぎ行く日々は早くてもう12月も半ばだ。令和元年がもうすぐ終わろうとしている。15日が日曜日になるので繰り上げて13日は年金の支給日だしちまたの労働者にもボーナスと言うものが支給されてきているだろうから街中は少しづつ賑わってきている。13日は気合を入れて裁判所に出かけた。裁判おたくのワタクシが少し気になる事件の判決を聞きたかったからだが30数席しかない傍聴席は数百人が詰めかけて抽選となって残念ながら落選。残念 はいそれま~~で~~よ。仕方がないのでこの日は事務所で雑用をこなしながら判決の速報を待っていた。聞きたかった判決は2017年6月に福岡県の小郡市であった妻子3人が殺害された事件で殺人罪に問われている警察官の夫の判決だった。この事件、直接の証拠はなく警察官であった夫は逮捕段階から一貫して無罪を主張している。裁判最大の争点は被告が犯人であるかどうかという「犯人性」と犯人である場合にどの程度の刑を科すかという「量刑」だった。公判では被告の関与を示す直接の証拠はなく検察側が示した間接的な証拠を裁判員がどう判断するのかが注目された。裁判員裁判の間一日だけ傍聴できたが弁護士がやる気なさそうに見えた。「無罪を勝ち取るぞ!!」というような気迫が全く感じられない。訴えようによっては無罪もあり得るし有罪ならまず死刑の裁判なので弁護士に頑張ってほしいと思って見ていたが結果は死刑判決が出てしまった。被告は即日控訴したので次は高裁で争われるが出来れば無罪請負弁護士と呼ばれているやり手の弁護士を付けてやってもらいたいけど金がかかるから無理かな?国選の弁護人ではまず勝ち目はないだろうな。冤罪か本当に犯人なのかは本人にしか分からないけど判決の理由を詳しく読んでみたい。「地獄の沙汰も金次第」なのかな。
2019/12/14
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今日は太平洋戦争開戦の日だ。1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が始まった。今から78年も前だ。1945年(昭和20年)8月15日に日本の敗戦で戦争は終わった。3年と9か月続いた戦争で軍人等が230万人一般国民80万人合計310万人の国民が亡くなった。8月の終戦記念日が近づくと太平洋戦争の悲惨さを伝える特別番組がよく放映されるが真珠湾攻撃をした開戦の日の事はあまり放映されない。マスコミ的にはあまり興味がないのかな?あまり思い出したくない日なのかもしれない。ワタクシは右翼でも左翼でもない取り柄のない人畜無害なジジイだと思う。広島に行けばついでに平和記念公園行くし長崎に行けば平和公園にも行く。神も仏も信じないけど寺にも神社にも教会にも行く。数日前には暇だったので鹿児島の知覧まで行って来た。知覧は太平洋戦争末期に特攻と言う人類史上、類の無い本当にバカで愚かな飛行機もろとも敵艦に体当たり作戦を決行した事で知られている。特攻機と言えば「ゼロ戦」のイメージを持つ人が多いが「ゼロ戦」は海軍の飛行機なので海軍は同じ鹿児島県だが鹿屋基地から特攻に出撃した。知覧は陸軍の基地なのでここから出撃したのは陸軍の戦闘機「隼」や「飛燕」だった事はなぜか知らない人が多い。学校ではこんな事は教えていないから仕方がないか!知覧の特攻平和会館には特攻隊員の遺品や遺書を展示してあった。特攻に出撃して行ったのは20歳前後の若者たちが大多数だ。なんとも切ない気分になる。遺書に「天皇陛下万歳」や「悔いは無し」なんて書いてあるがこんなのはみんな嘘だろう。言論統制された中で手紙類はみんな検閲されると分かっている。実際に「検閲済」の判が押してある展示物がたくさんある。本当の気持ちなんて絶対に書けるはずがない。国の為に喜んで死にますなんて本当に思った人はほとんどいないのではないか?志願と言う名の強制や召集令状一枚で集められ親や妻や子供を残して喜んで死にますなんて言えないだろう。ワタクシが幼少の頃お世話になった海軍の写真班あがりのおっちゃんが言っていたが戦争に反対して特高警察に捕まって拷問され獄死した人もいたらしいが家族・親戚一同は非国民の身内として悲惨な生活を送らなければならなかったらしい。それは嫌だから志願して特攻の道を選んだ若者も多かったと聞いた。ワタクシが小学生の頃、近くの家、数軒に「遺族の家」と書かれた札が貼ってあった。子供の頃は「遺族」という意味がもう一つ判ってなかったが物心ついてからは、 この4文字はとても悲しい思いがした。 愛する家族が戦場に散るという事は残された家族にとってはものすごく辛い事だと思う。本当に戦争は悲惨だと思う。70数年前には生きたくても生きることが出来なかった若者たちがいた。それを今の若い人に言ってもなかなか理解できないかもしれないがワタクシは今戦争のない平和な時代を過ごすことができて幸せだと思う。願わくばこの平和な世の中が孫やひ孫その先の先の代まで永遠に続く事をを願っている。
2019/12/08
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22日の夜のニュースを見ていてびっくりした。韓国が破棄すると言っていたGSOMIAを継続にしたよ。どうしたんだ文ちゃん!アメリカの強力な圧力に負けてしまったのか輸出規制を強化したと言って日本政府に韓国側はあれほど気合を入れて反発していたのにアメリカの気合には負けてしまったのか。仕方がないのかな アメリカに反発して国がつぶれたら終わりだからな。日本は嫌いだけれどアメリカには逆らえないよな日本もアメリカには弱いからその気持ちはよくわかるけどね。文ちゃんもこんな発表しなければいけないなんて本当に残念だろうな。香港では若者がデモだ籠城だと頑張っている。昨日行われた区議会議員の選挙の中間集計で民主派の議席数が7割を超えたようで民主派と親中派の議席数の割合が選挙前と逆転したらしいが香港の後ろには中国共産党が控えているから香港の民意が反映されるかは分からない。香港の人民には頑張って欲しいけどな。しかし、香港の警察も過激だな。自分の国の人民に銃を発砲しても正当防衛で済ましてしまう。日本でもワタクシが若かりし50年位前の東大安田講堂事件に代表される日本の大学紛争事件があったのを思い出す。さすがに日本の警察は自国民には発砲しなかった。それは何と言っても日本だったからだと思う。香港のニュースを見ていて若者と話していたら香港という国があると思っていたようだ。え~~中学や高校でこんな事も教えないの?香港は中国の領土だからいくら若者がデモや籠城をしようが最後は中国共産党の鶴の一声で何でも決まるだろうと若者に話したら 結構マジで驚いていた。香港はかつて、150年以上にわたってイギリスの植民地だった。香港島は1842年のアヘン戦争後にイギリス領となった。その後、イギリスは当時の清朝政府から「新界」と呼ばれる残りの地域を99年間租借した。(無理やり取り上げたのだけどね。)租借期間満了で1997年にイギリスから中国に返還されることで合意して香港は中国の一部になるものの、返還から50年は「一国二制度」の下に香港が「外交と国防問題以外では高い自治性を維持する」ことになった。返還後の香港は香港特別行政区となり独自の法制度や国境を持つほか表現の自由などの権利も保障されているが外交と国防問題は中国の主権が及ぶし自由に出来るのは、あくまでも返還後50年間だけだ。自由を叫べるのは、後のこりは28年位かな。中国共産党が嫌な奴はサッサと香港から出て行けということなのだろうな昔はよく香港に行ったけど最近は通過する事はあっても入国してゆっくりしたいとは思わなくなってきた。
2019/11/25
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「秋深き隣は何をする人ぞ」と松尾芭蕉は詠んだが今は「秋深し隣の人は知らん人」だな。今日は24節気の小雪(しょうせつ)だ。陽射しが弱くなり紅葉がそろそろ散り始める頃で柑橘類は黄色く色づいてきている。次第に冷え込みが厳しくなってきてもうすぐワタクシの地方でも冷たい北風が吹きだすだろう。あっという間に一年が終わる。この2週間は紅葉を求めて近場だがいろんな所に出かけてきた。歳ゆえに、さすがに疲れてきたので今日は休養日にした。基本的には公共交通機関を利用して出歩くのだが山の中まで入って何箇所か見にいく時には公共交通機関が無いので、仕方無く自分の車で行った。自分が運転して行くと紅葉を見ながら酒を飲む事ができないので少しだけ楽しみが減ってしまうような気がする。あまり名の知れていなくて、人が少ない所を見て回ったが期間限定でしか見れない九年庵にも初めて行ってきた。大型観光バスが何台も乗り付けていて人・人・人ですごい込み具合だ。中華のお方も多く来られていたが韓国からの人は少ないようだったが紅葉を見ているのか人を見ているのか分からない状態だ。やはり有名どころは人が多くてワタクシには向いていないと思った。大分の耶馬溪は本耶馬渓・裏耶馬溪・深耶馬溪・奥耶馬溪とも平日に行ったので人は多くなくてのんびり出来たし国東半島や佐賀の竜門峡なども人は少なくゆっくり出来た。春は桜 秋は紅葉を見て歩き回るのも風流なものだ。来年もまだ元気だったらもう少し山奥の僻地まで桜や紅葉を見に行ってみたいと思う今日この頃だ。
2019/11/22
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モミジの葉もそろそろ色付き始め紅葉の季節が始まった。良い季節だが、なんとなく物悲しい季節でもある。年月と言うのか月日と言うのか過ぎ行く日々は残酷なもので希望に満ち溢れて成人式を迎えた20歳の青年も半世紀が過ぎてゆけば立派なジジイになってしまった。気が付けば、最近 笑うことが無くなってきたな。金儲けの仕事もしなくなった。小遣い銭稼ぎ程度のアルバイトは少しだけしている。すべてのものに対しての闘争心もなくなってきたような気がする。これが歳を取るという事かもしれない。暇を持て余して週のうち4~5日くらいは近場を徘徊している。自分がよく知っていると思っていた街でも一本裏の路地に入るとまったく風景が変わって面白い。朝起きて適当な時間に自宅近くからバスに乗ってJRの駅まで行き気が向いた電車に乗る。新幹線の時もあるし在来線の特急の時もあれば快速や鈍行の時もあるが適当なところで降りて適当に歩いてみる。本当に適当だが思わぬ感動もある。歩く距離はせいぜい5キロから10キロ程度だが足の運動にはちょうど良いのかもしれない。腹がへったら目に付いた店に適当に入ってみるがたまには大当たりの店もあるがほとんどがハズレかハズレに近いが地元の住民と喋りながら過ごすのも面白い。たまには地元の珍しいとこを教えてもらえる事もある。文化の日は佐賀のバルーンフェスタに行ってきた。片道1時間程度の所だがなぜか今まで一度も行った事が無かった。人が多くてごみごみしていたがまあそれなりに面白かったがワタクシ的には人が少ないところが好きなので岬の端っこで灯台でも眺めている方が良いのかもしれない。
2019/11/06
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最近、行動半径が狭くなってきたような気がする今日この頃だ。まだまだ元気な方だとは思っているが老いは確実に忍び寄ってきている。足の衰えを防ぐ為に近所の観光地を歩き回っている。この間、地下街を歩いていたら前からジジイが歩いてきた。避けようと思って動いたら相手も動いたよく見たら鏡にうつった自分だった。自分ではあまり自覚したくはないがジジイだ。少し前に、還暦だと言っていたけど気が付けばもうすぐ古希だ。歳をとることは悲しいけれどこれが現実だ。人生60年も70年も生きていくだけでけっこう大変だ。90歳や100歳なんて絶対に嫌だな。しかし、街を歩けばジジイとババアが闊歩している。人口がどんどん減っていく日本だが若者が子供を育てることが難しくなったと言うか育てたくなくなった今の時代。このままで日本は大丈夫なんだろうかと思うがそれでも地球は動いていくし日本も何とかなっていくだろうと思っている無責任なジジイだ。昨日は大雨で千葉や東北方面が浸水やがけ崩れで大変なことになっているようだが異常気象と言うのか地球温暖化の影響と言うのかは知らないが毎年毎年こんな事が続いて行くのなら日本も大変だと思う。 この間、天皇の即位の礼の時には熊本城にいた地震で崩れ落ちた城を年に4回か5回くらい見に来ているが少しづつだけど修復されてはいるがまだまだ時間がかかりそうだ。ワタクシが生きてこの世にいる間にはとても無理そうだ。馬刺しをつまみに地酒を飲んで熊本でのんびりとして翌日も暇なので別府の温泉めぐりをしてみる。久しぶりの湯の町別府はだいぶ寂れてきていた。駅前商店街は昔の面影はまったく無い。シャッター通りだ。韓国からの団体客を当てにしていたのだろうかハングルの案内板が目に付くが韓国人の団体は見かけなかった。大分空港には韓国からの飛行機が飛んでこなくなったらしい。売店のおばちゃんが売り上げが7割から8割減ったと泣いていたが温泉はすいていたし、ゆっくりできたのでワタクシは良かった。明治12年に建てられた竹瓦温泉も混んでなかった。別府市がやっているので入湯料は110円と安い。別料金だが砂湯もあって結構楽しめる。別府の街も韓国人に頼らないで草津温泉みたいに日本人の若者を呼び込む工夫をしたらもっと良くなると思うけど暇なジジイが言っても誰も聞かないだろうけどね。
2019/10/26
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秋分の日も過ぎて、今日は少し涼しく感じる。しかし、22日の台風17号は久々に激しかった。一番悪いコースを通って九州北部に近づいてきた。庭の陶器の置物は割れてしまうし植木鉢も飛んでいって割れてしまうし植木類にも少し被害がでた。建物などには何の被害も無かったので良かったけど強風が建物を揺らすぐらいに吹くとやはり気持ちが悪い。気候変動とかでこれから先は災害が増えて行くのだろうなと思う。そういえば昨日のニュースで 昔 昔 予備校で金ぴか先生として一世を風靡した佐藤君が逝っちゃったらしい。68歳だったのでワタクシと同年代の団塊の世代の人間だが1980年代はテレビにも出ていて年収は2億以上と結構稼いでいたようだったがすべて使い果たして最後は生活保護を受けていたらしいがある程度、才能に恵まれ、楽しんで仕事をし一発大きな花火を打ち上げて、華やかに彩って有り金は全部使い切り気持ちよくこの世を去る。一発も花火を打ち上げられない人間が多いなかでは良い人生だったのかもしれない人生やりたい事をやって楽しく生きてこれくらいの年齢で死ぬのがある意味一番幸せなような気がする。人生100年どころか、80年でも苦行かと思う。好きな事やって適度な年齢でさっさと死ぬ。こういう人生もいいと思う。自分では何も出来ずに寝たきりで介護を受けて無駄に長く生きてても何の楽しみも無いだろう。金ぴか先生が人生の最後に生活保護を受けたのは少し残念だな。せめて自分の家ぐらいは残しておいてどこかに寄付してくれとでも言い残せばもっと格好が良かったのになとは思うが本人は最後の時にどう思ったのだろうか?「我が人生に悔いはなし。」だったかな?
2019/09/26
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まだ暑い日が続いているが気が付いたら9月も半分が過ぎようとしている。昨夜は中秋の名月で月が奇麗に見えた。丸々と太った月を見るのが、なぜかしら好きだ。地上のあらゆる生き物に降り注ぐ淡い光になぜかしら癒される。今日は満月なのだが雲が多くて残念ながらまったく月が見えない。今日も月見で一杯と考えていたので残念だが雲を見ながら一杯と洒落てみよう。少し欲を出して小遣い銭をせしめようと不動産には全く関係のない内職に手を出してしまったので9月の初めから関東や関西を走り回ってこのところ忙しい日が続いていた。何をやってんだ俺!と思っていたけど、やっと片が付いた。いやいや慣れない事は大変だ。下手打ったら、くたびれ損の大赤字になる所だった。危ない危ないと思うけどまたこの話が来たら一番に乗ってしまうだろう。病気だから仕方がない。馬鹿は死ぬまで治らないと言われるけれど死んでも治らないかもしれない。不動産も、ぼちぼちやっているけどいまいち乗り気になれる物件がない。小さな物件を転がして小遣い銭を稼ぐ程度で今は満足している。景気が悪くなりそうな気配もあるので不景気になって投げ売りが始まるまで待ってガンガン買いまくろうと思っている。しかし、よく考えたらワタクシ結構いい歳なのでその時には、もう動けない可能性が高い。いや、人生卒業になっているかもしれないそうなったら、気持ちよくお先に失礼しますでもいいかなと思う。
2019/09/14
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4~5日前の大雨が嘘のように今日は良い天気だ。大雨の被害がひどかった武雄市などは後片付けが大変だろうが頑張って復旧してほしい。8月の中旬はなぜかしら忙しかった。自分のビルを取り上げられそうだから助けてと近所の人から緊急救援依頼があった。事務所に呼んで詳しく聞いてみると商売がうまく行かなくなって4年前くらいから借入金の支払いが出来なくなってしまった。このビルは信用金庫からの融資で建てたけど信用金庫の借入金支払いが出来てなくて遅延損害金が発生している。遅延損害金は年14.5パーセントなので1億円借りていると1年で1450万円もかかる。普通では払うことはできないだろうが2年前に別の不動産を売って信用金庫には1億円払ったけどまだ借り入れが残っていて信用金庫は9月末までに9000万円払わなければ本当に競売にかけると気合を入れている。この相談者はもう80歳で自分の持ちビルの一番上に住んでいて1階で商売をしているがこのビルを取り上げられたら商売する所も住む所もなくなってしまうと言うが登記簿を取ってみてみるともう信用金庫からは仮差押えが入っていたし福岡市からの差し押さえも入っている。ここまで来ると、どうする事もアイキャンノットだ。出来る事はこのビルを出来るだけ高く売って出て行くか居座って競売を待つかしかないので売却して少しでも現金を持ってこの先の人生を過ごす方が良いとすすめた。現在売り出し中だがこのビルが9月末までに売れると良いのだがな。ネットを見ていたらインチョンまで片道3000円の航空券があったので思わず購入して単身1泊2日の弾丸ツアーで韓国に行って来た。日本と韓国がいがみ合っていて韓国からの観光客が日本に来なくなったので韓国のLCCはほとんど客がいないなんて聞いていたので飛行機はガラガラかと思っていたがなんと半分くらいは乗っていた。YOUは何しに韓国へと聞かれたら?何と答えようかと思っていたがそんな人はいなかった。コンビニでアサヒビールを買って飲んでいても誰も関心を示さない。市庁舎近くの街中ではデモがあっているが反日デモも反文デモも娘を裏口入学させたデモもわけわからないくらいいろんな団体がデモをしている。結論として、この国の人民はデモが好きだ。憂さ晴らしにデモをしているのか?今日で8月も終わり 1日が過ぎゆくのが早い
2019/08/31
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暑い日が続いている。外に出ると日差しが強くてジジイは焼け焦げてしまいそうだ。韓国と日本が輸出入の問題でもめているがなぜかしら韓国の方が気合が入っていて不買運動をしたりして盛り上がっているようなマスコミの報道だがロウソクを持って気合をあげているのはどこの国にもいる一部の変な人間なんだけどね。九州の地方都市では韓国からの航空機の減便や運休で団体客が来なくなったようだがワタクシの住んでいる所では中心部に行けば韓国からの観光客がけっこう歩き回っている。韓国のLCCは安もんの団体客が移動しなくなったら大変だろうけど、ワタクシたち地元民は観光客が少し減ったぐらいでちょうど良いのではないかと思っている。あまりに多くの観光客が押しかけてきても騒がしいばかりであまりうれしくない。ワタクシ、もう現役を引退して暇になったはずだがなぜかしら野暮用が入って忙しい。7日の日に10年以上前から不動産投資を始めていて銀行の融資を受けてかなり大規模に賃貸経営をやっていて賃貸経営の勉強会やセミナーをやっている不動産大家の中ではまあまあ名の売れた存在の人から9年ぶりぐらいにメールがあった。物件を買いたいのだが全く融資が付かなくなってしまった。どこか付き合いのある銀行を紹介してくれないかという事だ。金融庁が各地の地銀などに立ち入り検査を実施して「にらまれたくない」との思いから不動産融資の審査を厳格化する銀行が多いのは知っていたがその人がなぜ、ワタクシの様な貧乏人に連絡してきたのかは分からないが、ワタクシはバブルがはじけてから一度も銀行から融資を受けた事が無いので残念ながら融資の事はわからないが大家さん業もそろそろ危ないのかな?盆前なので昨日は先祖の墓参りにも行って来た。もう歳なのであまり無理は出来ないが来週はなぜか?どうしても 仕方なしに成り行きと言うか小遣い稼ぎと言うか分からないけど関西まで出かけなければいけないのだが台風10号が西日本に向かって来ている。新幹線が止まったりしたら面倒くさい事になるので早い事通過してほしいと願う今日この頃だ。
2019/08/11
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23日から今年2回目の沖縄の島めぐりに出かけて来た。1月には最果ての与那国島に行ったがコンビニはない居酒屋も悲惨な状態の過酷な島だったので今回はもう少し都会の宮古島になった。宮古島は過去に4~5回は来ているし狭い島なのでほとんどの観光地はまわっているがワタクシ、ジジイのブランクダイバーなので久しぶりに潜ってみたかったが受け入れてくれるショップが少なくて宮古島のショップが何とかOKだったのでこの島にした。今回の目的は潜る事と趣味の灯台巡りだけの一人旅なので安いエアーチケットと安いホテルと安くてぼろいレンタカーだけを手配した。空港に到着してすぐに迎えに来てもらって潜りに行く。船でほんのちょっとだけ走った水深5~10メーターの所で潜ったが水深が浅いので光が届いて奇麗だ。熱帯のお魚さんと戯れて久しぶりに楽しかった。ショップのガイドからは営業をかけられて明日はもう少し深い所に行きましょうと誘われたがけっこう満足したし今回宮古島には3泊だけの滞在なのでまた今度来る時にお願いすることにした。翌日は朝ゆっくり起きて島の西側の池間島を目指す池間大橋は観光地なのでそこそこの人は来ていたが池間灯台には誰もいない。灯台が好きな人間にはこの環境がすごく嬉しい。木陰で風に打たれながら至極の時間を過ごす。帰り道にハート岩なるものを見つける。潮が引いたら岩がハートの形に浸食されているのがはっきりと見えるらしいがまだ潮が引ききっていなかったがおおよそハートの形には見える。ジジイは早起きが苦手なのでつぎの日もゆっくりと起きだして東に向かうまずは東平安名崎灯台へ向かうここは観光地なので人が多く来ている。まずは少し離れた人の来ない場所から遠景を眺める。なかなかいい感じだ。暑いけど日陰にいれば風が涼しい。のんびりと昼寝をするにはいい場所だ。せっかく来たので灯台に登ってみる。この灯台は日本に15か所しかない参観灯台なので灯台の上まで登って見れる。螺旋階段を汗をかきながら登る。登りきると風が気持ちいい分かるかな? 分からないだろうな!まだホテルに戻るには時間が早いので海沿いの道をのんびりと来間島に向かう。来間大橋を渡って奇麗な浜があったので少し水遊びをする。通りすがりの観光客が変なジジイが砂浜ではしゃいでいるが大丈夫か?なんて思って見ていただろうがそんなの関係ない!童心に帰ってジジイの砂遊びだ。今日は宮古島を離れる日だ。いつものようにゆっくりと起きだし伊良部大橋を渡って伊良部島と下地島に向かう。伊良部大橋は前に来たときはまだ工事中だったので初めて渡る。けっこう長い橋だ。この橋が無料で渡れるなんてすばらしい事だ。写真を撮る絶好ポイントを探して伊良部島を徘徊する。40分ほど徘徊して山の中の細い道を見つけて一眼レフを構えて伊良部大橋の写真を撮る1人で来ているから出来る事で家族や友人と来て居たら絶対に出来ない。満足してレンタカーを返して空港へ向かうがワタクシが予約している那覇行きの飛行機がかなり遅れるらしい。帰りは那覇で一泊してネーネーズのライブを観るつもりだから困った。結局。1時間以上遅れて満席で出発したが夏休みのせいか子供連れの客が多くて小さな子が泣くわ叫ぶわでひどいフライトだった。国際通りのボロホテルに急いでチェックインして何とかライブには間に合ったので良かった。那覇の夜はライブを観るだけの短い滞在になったが日程の関係で仕方がない。次の離島は何処にしようかと考えている。
2019/07/28
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今日は台風の影響もあり朝から雨が降っている。この雨が明ければ梅雨も終わるだろうから被害が出ない程度の雨が降るのは大歓迎だ。降らなければ降水量が不足してワタクシの住む地方では水不足になる可能性もある。このところ暇なのに忙しい不思議な現象が続いているが今日はのんびりと本でも読んで過ごすつもりだ。最近、日本と韓国の争い事がテレビや新聞で報道されている韓国を輸出先として信頼できる「ホワイト国」から除外する方針を日本が示していることについて韓国がかなり反発しているようだ。それよりもワタクシがびっくりしたのは韓国がホワイト国になっていた事だ。ホワイト国というのは大量破壊兵器等に関する条約に加盟し輸出管理レジームに全て参加しキャッチオール制度を導入している国についてはこれらの国から大量破壊兵器の拡散が行われるおそれがない事が明白であるので俗称でホワイト国と呼んでこれらホワイト国を最終仕向地とする輸出については規制対象外となる。ほとんどはアメリカやヨーロッパの国が規制対象外のホワイト国になっている。いつから韓国はホワイト国になったのか?ヨーロッパの国は韓国をホワイト国には指定していないのになぜ日本は指定していたのかがわからない。いろんな事で忖度していたのかな。経済産業省は今回の措置について禁輸や輸出規制ではなく単なる「輸出管理の運用の見直し」にすぎないと言っているが世界8位の経済大国と思っている韓国にはプライドを傷つけられたという気があるのかもしれない。ワタクシは若い頃、仕事で世話になった韓国人がいたので一般の日本人より多く韓国を訪れた。もう30年以上前になるが韓国の友人が車を買ったので見せてもらったらエンジンは少し前の三菱コルトのエンジンが載っていた。街を走っている1トンクラスのトラックはほとんどがマツダのボンゴと同じものだった。1965年の国交正常化以降の韓国の発展に日本の民間企業はすごく貢献している。今や世界的規模になった自動車産業の3大メーカーで「現代」は三菱が支援したし起亜モーターはマツダがそしてサムソンは日産の協力で成長した。ポスコも日本製鉄が支援したテレビや半導体などもサムスンは東芝が、LGは日立が支援したと思う。韓国の国民も日本の国民も多く人はその事を知らない。いや知らされていないと言った方が正しいかもしれない。この密接な協力関係は当然、日本にもプラスになった。これを機に韓国の若者にも「日本にお世話になってきた」という隠された実態がもっと知られれば対日感情も多少は改善されるかもしれない?韓国では日本製品不買運動が一部でおきていてマスコミというか「マスゴミ」が面白おかしく全国で不買運動が盛り上がっているようなニュースを流すのはやめてほしいと思う。隣国なので仲良くしなければいけないなんて事はないがいがみ合っていても仕方がない。自分が住んでいる隣の家に変な人が住んでいると思って顔が合えば「こんにちは」「お元気ですか」くらいの挨拶をかわす程度の付き合いは必要だと思う。トランプが仲裁に顔を出しても良いと言っているようだがまだ出てこない方が良いと思っているのはワタクシの偏見だろうか?ジジイは暇なので来週は南の島に行って1人でのんびりと過ごそうと思っている。たくさん消費して日本の経済の為に少しでも役にたとう。
2019/07/20
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梅雨なのであまり天気は良くないけれどどんよりとした曇り空で雨は降らない。このまま梅雨が明けたら水不足で大変なことになりそうだ。山笠が終わると梅雨があけると言われているが今年はどうなんだろうか?博多は祇園山笠が始まって観光客が増えてきている。昨日は付き合いで博多座まで北島三郎のコンサートに行って来た。演歌はあまり興味はないので仕方がなく付いて行ったが会場は満席だ。ジジイ&ババアの山だ!ワタクシもジジイだけどワタクシよりももっともっと上のジジイ&ババアの集団だ。杖を突いて、よたよたとしか歩けないジジイ&ババアが貸し切りバスに乗って集団で押しかけてきている。年金が少ないので生活が苦しいと言うけどこのコンサートのチケット代は11000円らしいので年金暮らしのジジイ&ババアにはかなりの高額になるだろうに冥土の土産のつもりかな?一番いい席で2時間半のコンサートだったがずーっと座っていると腰が痛くて大変だった。むかし聴いたなつかしい歌もあったがワタクシはフォークソングの方がやっぱり好きだ。北島三郎もかなりの歳で歩くのも大変なようだがコンサートの最後に言った言葉「一度の人生ですのでこの先も悔いの無い様にお過ごしください。」はなんとなく心にしみた。
2019/07/12
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7月になっても雨は降らないし夏のような天気にもならない。中途半端な天気が続いている。歳のせいかこのところ体がだるい。若い頃には分からなかったが40歳から50歳になるとなんとなく疲れるな~~50歳から60歳になると疲れが取れないな~~60歳から70歳近くになると病気じゃないかな~~と思うくらいになる。見た目はシワやシミだらけになって頭は禿げてしまい本当に身も心もがたがただ。まあそれでも邪魔にならないように生きて行くしかないので旅行に出たり映画を観たり消費に協力しながら何とか生きてはいるが2025年には65歳以上の高齢者が人口の30パーセント以上で75歳以上の後期高齢者は20パーセント近くになり日本の人口の3600万人以上が高齢者になってしまう。誰が考えても医療費・介護費・年金などひじょうに厳しい状態になるだろう。少子高齢化の時代に年金の実質的破綻はだれの目にも明らかだしこれから生きて行くのに必要なのは絶対に現金だと思う年金が少ししかもらえなくなったとしても生活していけるようなマネーを確保しておく事は絶対必要だと思う。金融庁が定年後に2000万円必要だと言っていたが少し楽しく生活したいと思ったら2000万円では足らないのではないかと思う。これから先に介護が必要になっても介護施設にも簡単には入れなくなるかもしれない。ジジイ・ババアばかり増えて若者は少なくなって来るので介護をする人材もいなくなってくる。ワタクシは出来るだけ身体を動かして歩き回って筋力を維持して寝たきり状態になら無いように気をつけてはいるがそれにも限度があるし、もしもボケ始めたらサッサと介護施設に入りたいと思っているのだけど入れるのだろうか?現金を持っていたら何とか入れてもらえるかもしれないな?ジジイ・ババアは歳とともに体のどこかおかしくなってくるので医療費も増えてくる。ワタクシ、医療費を自己負担3割で毎月1万円くらい払っているが考えたら7割を健康保険から負担してもらっている事になる。年金も保険も現役の労働者に負担してもらっている。ありがたいことだが次の世代はどうなるのだろうか?政府もいろんな対策を打ち出していくと思われるがそんなに期待は出来ないと思う。やはり自分自身の将来のことは自分で責任を持って準備しておく必要があると思う。定期預金や有価証券・不動産などに投資するのも良いけど場合によっては制度が変わって現金が一部しか引き出せないことも考えられるので現金で持っておく事は大事かもしれない。この歳になって思うのはジジイ・ババアは元気なうちに好きな事をして寝たきり状態になったらいつまでも頑張らないでサッサとこの世から卒業するのが一番だと思う。
2019/07/08
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6月も今日で終わりだ。天気予報では昨夜くらいから大雨になるといっていた。熊本方面ではかなり降っているようだがワタクシの地方ではまだそんなに降ってはいないがこれから降りそうな予感がする。平成31年というのか令和元年というのか2019年も早いものでもう半分終わった。椎間板ヘルニアで腰の状態が良くなかったが温泉に入って腰を温めればよくなるのが早いと聞いたので温泉に浸かって腰を温めて理学療法士にリハビリをしてもらい痛みはほとんど感じない程度まで回復した。良い感じだ!これでまた遊びに行ける。ワタクシぐらいの歳になると意識して徘徊していないと動けないジジイになってしまうので出来るだけうろつきたいと思ってはいる。G20大阪サミットも無事に終わったようで地元の人はやっと日常の生活に戻れてほっとしているのだろう。この会議中のG20のメンバーと招待国の会議の内容はあまり伝わってこなくてアメリカのトランプや中国の習近平の話題ばかりが多かった。2か国の貿易戦争に巻き込まれたくないと思う国が多いのだろうがマスコミの偏った報道のせいかもしれない。トランプが日米安全保障条約は不公平な条約なので変えなくてはならないと言っていた。安部君にも何度も言っていると話していたがせっかくの良い機会だから変えたらいいと思う。アメリカの駐留費を全部出せと言ったら出してやれば良い。今でも75パーセント以上の費用を出しているのだから100パーセント出してやって日本の傭兵にすれば良い。今の日米地位協定なんてものは廃止して日本の法律の下で米軍を雇ってやれば良い。嫌なら引きあげてもらっても良いのではないか。沖縄や基地のある地域の人は大喜びするだろう。アメリカ軍も日本から撤退となると太平洋の前線基地がハワイやグアムになり中国やロシアへの牽制が困難になる。その上、第二次世界大戦を経て手に入れた太平洋を放棄したらそのアメリカ大統領はアメリカ国民の信頼を無くしてしまうそもそも第二次世界大戦での日本の敗戦で日本に武力を持たせなくしてアメリカ主体の安保条約を今の形で結びつけたのはアメリカなんだよね。時代とともにアメリカも力がなくなってしまってるのだろう。日本も自力での防衛力は必要になってきてる。独立国だから自分の国は自分たちで守るのは当然な事だ。G7にもG20にも顔を出さないスイスを見習ってほしい。午後からトランプと北朝鮮のキムが板門店で会っているが北朝鮮が核を放棄するとは思えないけどどうなるかな?
2019/06/30
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今日もよく晴れて暑い。ワタクシの住む地方でも今週には梅雨入りしそうだが観測史上一番遅い梅雨入りになるようだ。今月の前半に気合を入れて遊びすぎたせいか腰が痛くなったので病院に行ったら椎間板ヘルニアだと言われた。痛いとは聞いていたが結構痛いものだ。医者からは自宅でおとなしくしているように言われたがあまりに退屈だったので「空母いぶき」という映画を観にいってきた。感想から言うとつまらない映画だった。法律に手足をしばられた状態で戦わないといけない自衛隊が敵の攻撃に苦労するが 強くて勝ちました。 と言ったありがちなストーリーだ。 なぜか自衛隊が空母打撃群を持っている設定なんだが戦闘機を撃墜しているのに戦争状態ではないと言う設定なっている。実際にはそこまでしたら、戦争状態だろうと思う。応戦するのに相手の主砲とミサイルだけ撃破して船は撃沈しないとかCGなんでリアリテイのなさはどうしようもないが設定も面白くなかった。観にいったワタクシが馬鹿だけどつまらない一日だった。年の初めに買った新築同様の戸建住宅の決済も終わった。思ったとおりに売れて良かった。青森に持っている土地を賃貸していたのだが借り手の財政状態がよくないので契約解除になった。この先、賃料が入ってこなくなるので思い切って売却する事にした。急いで買い手を捜さなければいけない。面倒な仕事が増えたが北国なので雪が降る前に何とかしたい。
2019/06/25
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6月も終盤に差し掛かったのに雨があまり降らない。ジジイが徘徊して回るにはいい天気だ。9日に鹿児島県と宮崎県の県境の日南市まで出かけて来た。天気もよく少し暑いが日陰に入れば風が気持ち良い。ちょうどジャカランダ祭りが行われていたので寄ってみた。ジャカランダは中南米原産の木で青紫色の花を付けて美しい。ずいぶん前に南アフリカで見て感動した事があったので期待して行ってみたが南アフリカで見たドハデな花ではなく外国の物とは少し種類が違って日本の物は花と葉が同時に咲くらしく派手さはないがそれなりに奇麗だった。14日からは気合を入れて山陰の灯台巡りに出かけた広島までは新幹線で行き高速バスで松江まで行く新幹線は1時間だが高速バスは松江まで3時間もかかる。けっこう疲れる。松江からはレンタカーで出雲日御碕灯台に向かうこの灯台は石造灯台としては日本一の灯塔の高さで見た目はすらっとして美しい。螺旋階段で上まで登って日本海を眺めてみたが一気に登ると息が切れる。帰りに出雲日御碕大神宮と出雲大社に寄って今日は松江で温泉に浸かる。 15日は朝から天気が悪いが気合を入れて島根の外れの美保関灯台に向かうこの灯台は山陰地区で歴史ある最古の灯台で灯台の高さはそんなに高くはないけどどっしりと構えた感じで威厳がある。天気が悪くて隠岐の島は見えなかったが眺望は素晴らしかったので良しとしよう。帰りに美保神社があったので見学だけして来た。松江と鳥取の境港の間にベタ踏み坂があると聞いていたので行ってみる。鳥取県境港市といえば水木しげるの出生地でゲゲゲの鬼太郎のまちとして人気の観光タウンらしいがあまり興味がないので通過する。鳥取と島根の県境を結ぶ江島大橋の島根県側の坂の部分のことをベタ踏み坂と言うらしいが期待して行ったのに残念!!たいした事はなかった。少しだけ急な普通の橋だ。まあこんなもんだろうと納得して帰ってきた。
2019/06/19
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5月も終わってもう6月だ!歳をとると月日の過行くのが早く感じる。28日の朝は川崎市の登戸で小学生と保護者が切りつけられて2名が死亡し犯人も自殺するという事件が起きた。人を殺そうと思って襲って来る奴を防ぐ方法なんてまず無いので襲われた人は運が悪かったとしか言いようがないが犯人が自殺しているので殺された人の関係者は怒りの持っていき場所がなくてどうしようもないのではないかと思う。なんとも悲しい事件だが残念ながら日本では時々起きている。無差別殺人で被害にあった方は本当にきのどくだし犯人が一番悪いのは当然なのだが犯人の人生も可哀そうに思う。子供の頃に両親が離婚し父親からも母親からも引き取ってもらえず二人の子供がいる親戚の家に預けられてその子供たちと差別をされながら育てられてきて高校にも行かずか行かせてもらえずかはわからないがそれでまともな人間にに育つのだろうか?盲導犬の子犬は生後1歳になるまでパピーウォーカーと呼ばれるボランティアの家庭で愛情に包まれながら育てられる。この時期が子犬が社会化を学ぶ重要なポイントとなるらしい。人間社会で様々な経験をするために色々な場所に一緒にでかけ子犬は家族と共に様々な経験や出会いをする中で社会や家庭の中で暮らすためのルールを学んでいって人間に対する親しみと信頼感が築かれ将来目の不自由な方との生活がスムーズに送れるようになるらしい。人間も同じだと思う愛情を持って育てられた事が無い人間は僻むことはあっても、優しい人間にはなりにくい。ワタクシの中学時代の同級生にもよく似た奴がいた。どんな理由かは知らなかったが両親がいなくて親戚の家で育てられていた。住んでいる所が近かったのでワタクシとは遊んだがほかに友達はほとんどいなかった。学校にもほとんど出て来ずに来ても悪戯ばかりして同級生や教員とよく喧嘩していた。奴は中学を卒業してすぐに大工の丁稚奉公にでた。棟梁の家に住み込んでの下働きだが本人の性格に合っていたのか帰る所がなかったからなのか頑張ってやっていたようだ。中学校の還暦同窓会の時に奴は出て来てなかったけれど同級生から噂を聞いて尋ねてみた。従業員が10名程度の小さな工務店だけど立派な経営者になっていた。40数年ぶりに会ったけど昔の面影はあまりなかった。食事をしながらいろんな話をしたけど棟梁の家に住み込んで働くのは大変だった。先輩によく怒られて殴られたけど棟梁や女将さんがかばってくれて優しくしてくれた。生まれて初めて人から優しくしてもらった。本当にいろんなことを教わった。おかげで今の自分があると話していた。登戸の犯人も51歳になるまでに誰か分かってくれる人かいろんな事を話せる人に出会えたらまた違った人生が有ったのではないかと思う。人生なんて曲道を一つ早く曲がったか遅く曲がったかで全く違う人生になる事もある。
2019/06/02
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今日もいい天気だ。5月だというのに30度を超える日が続いている。今日は北海道も30度を超える予想が出ているがこの地球は大丈夫か? と思う今日この頃だ。昨日からアメリカの大統領が来日していて今日は安部君とゴルフや相撲見物をするらしい。令和の時代初の国賓として招くならやはりアメリカしかないのはわかるがこの暑い中、警備する人間も大変だろうな。交通規制などで関東方面の人民も大変だろうけど日本国の為に辛抱してほしい。ジジイは金はないけど暇なのでこの一週間は地元の古地図を見ながらあまり知られていない歴史的なところを探して回ったり広島まで出かけて厳島神社を参拝したり結構歩き回っていた。急に暑くなって来たけど体調は良好だし月末かけても特別な用事はないので1人であまり遠くない所をうろついてみようと思う。不動産は早めに売らなければいけない物件を2件抱えているがワタクシはもう歳なのでこれは不動産屋の若い連中に任せて頑張ってもらおうと思う。今日は日曜日だし暑いので家でゆっくりする。
2019/05/26
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今日はどんよりとした曇り空だが少し薄日もさしてきた。令和になってほとんど雨が降らなかったが昨日は久しぶりに雨が降った。たまには雨が降るのもよいものだと思いながら久々にゆっくりと本など読みながら過ごした。3月から売りに出していた物件がやっと売れた。築浅のきれいな物件だから売れるとは思っていたが売れるまではなんとなく心配する。今回の買い主は住宅ローンの心配もないので途中でダメになる事はないだろう。これで金欠病から少しだけ解放される。どこかに遊びに行こうかと考えるが最近体力が落ちて来たのであまり長期の旅には出たくなくなって来た。1人でぶらぶらと国内を2泊か3泊程度であてもなくさまようのがちょうど良いくらいだ。半世紀以上前に行ったきりになっている街をもう一度訪ね歩いてみようかなと思ったりしている。そういえば沖縄で葬儀の為に与那国島に行く途中の高校生が6万円入りの財布を無くして困っているところに出くわした人が6万円を貸してやってその高校生は急いでいて名前も電話番号も聞いていなかったので恩人を探していたが無事に見つかったというニュースが流れていた。詐欺被害が横行している日本で良い話だ。信じて貸した人をほっとさせる出来事が実は日本中ではたくさん起きている事だと思いたい。ワタクシがこの立場になった場合に高校生に貸す事が出来るかは、まったく自信がない。ワタクシは旅行中はクレジットカードとどこのコンビニでも下せるキャッシュカードと3万円以下の現金しか持ち歩いていないのでもし貸したとしても片道分の飛行機代ぐらいかな。葬儀に間に合えば後は何とかなるだろう。
2019/05/19
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今日は5月15日1972年(昭和47年)に沖縄が本土復帰した日だ。もう少し言葉を足すと沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された日だ。ワタクシが沖縄に初めて行ったのは1968年の夏だった。まだアメリカの占領地・統治下にあり太平洋戦争で多くの犠牲者の出た沖縄に遊びに行くのは自分自身に後ろめたい所もあったが大学に入って知り合った那覇から来ていた同じ大学の友人に勧められて友人が帰省する時に一緒に付いて行った。当時、沖縄に行くというのは海外に行くの変わらなかった。まずパスポートの申請をするのだが沖縄の場合は外務省発行のパスポートではなく内閣総理大臣(総理府)が発行する沖縄渡航専用のパスポートで書かれている文字は「身分証明書」中央の紋章は「桐の花紋」下部の文字は「日本政府総理府」であった。最近まで持っていたので写真を載せようと探したが残念ながら見つからなかった。それだけではなく米国民政府発行の入域許可証(査証)が必要だった。出入域管理事務そのものは琉球政府がやっていたが実際に出入域の可否を決めるのは米国民政府であったので県庁に申請書類を提出した際に米国民政府が反米的活動家や復帰運動の運動家かどうか学生運動をしているのではないかの厳しいチェックをするので許可証が下りない場合もあると釘を刺された記憶がある。それだけではない予防接種証明書も必要だった。黄色い色をした紙だったのでイエローカードといわれていた。詳しくは覚えてはいないがたしか種痘の接種を受けたと思う。当時の沖縄では米ドルしか使えないので身分証明書を持って外貨両替を行っている銀行に行って1ドル360円で500ドルまで交換してもらえたが当時の大卒の初任給が3万5千円か4万円位の時代なので貧乏学生のワタクシは確か全財産を両替して45ドルくらいにしかならなかった。出国手続きは海外渡航と同じ扱いなので荷物検査・税関・出国審査を済ませなければならなかった。考えたら今の海外旅行よりもずっと大変だった。今の那覇市内は奇麗になっているがワタクシが行った頃はまだバラック建ての建物も多く道路もアメリカが造った軍道以外はあまり舗装されていなかった。車も日本とは反対に右側通行だった。友達の家に泊めてもらい、ひめゆりの塔や摩文仁の丘健児の塔・首里城などいろいろと案内してもらったがある日一人で島の最北端の辺戸岬を目指した。辺戸岬まで22キロの辺戸名までは順調なヒッチハイクだったがそれからの道は車が全然来なくなりサトウキビ畑しかない田舎道で数時間、道端に座り込んで車が来るのを待った経験がある。あの時はすごく寂しい思いをした。何とかたどり着いた辺戸岬からは与論島が間近に見えて感動した。那覇までの帰りは泡盛の配達をしていた人の車に乗せてもらった嘉手納基地の横を通るとB-52爆撃機がすごい音をたててベトナム空爆に出撃するところだった。今あなたが見てる沖縄の現状を沖縄の姿を本土の人たちに伝えて欲しいと言われた。「今あなたが見てる沖縄の現状を本土の人たちに伝えて欲しい。」は旅行中出会った人たちからよく言われた。特にヒッチハイクで乗せてくれた人たちからは必ず言われた。その当時だったか2回目に行った1970年頃だったかもう記憶がはっきりしないがこの歌を時々聞いた。レコードになっていたのか誰かが勝手に歌っていたのかはわからないが、聞きながらメモしたのでもしかしたら歌詞を間違えているかもしれないが当時の沖縄を歌った歌ではないかと思う。いつか行こう 友の待つ国いつか行こう 海を越えてふるさとにいて ふるさと遠く願いはかなく 岸辺に砕けいつの日自由に 沖縄の島誰が祖国を 彼方に追いやる誰が祖国に とりでをきずく父はなげく 実りの秋も空を見上げりゃ 異国の旗が無情になびく 南の風に伝えておくれ 内地の友に同じ肌と 同じ言葉なぜに悲しい 沖縄の島なぜに悲しい 沖縄の島沖縄返還からもう47年になる。沖縄には1月の末か2月の初めの桜の季節になったら必ず出かけて行くし気が向いたら出かけるのでもう数えきれないほど行った。道路は整備され建物もきれいになり近代的な街にはなったがアメリカの基地は残ったままだ。基地の前では基地に反対する人の座り込みはまだ続いている。日米安全保障条約は絶対に必要だという人もいるしそんなものは必要ないという人もいる。日本が戦争に負けてもう75年になるが北方領土はまだ帰ってこない。今日は沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還された日だ!
2019/05/15
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長かった10連休も終わった。ワタクシ、10連休の間は街にも出かけることもなく自宅の周辺の山を歩いて足腰を鍛えていた。10連休が終わると早速長崎県の南島原まで昨年、世界文化遺産になった原城跡を見学に出かけた。島原の乱で天草四郎時貞が籠城して戦い最終的に討ち死にした場所だといわれているが観光客が多く訪れる天草城のような城は無いし交通の便も悪いので観光客は誰もいない。静かなものだ。本丸跡には天草四郎の像と墓碑がある。墓碑は母親がまつっていたものを移築したようだ。遠く海を眺める3体のキリシタン像が物悲しい。近くに灯台があるというので寄り道をしてみた。口之津の外れの瀬詰崎灯台だが途中、車がやっと通れるくらいのかなり狭い道を進んでいくと小さな灯台が見えてくる。潮の流れがかなり速い。観光地ではないのでここも誰もいない。のんびりと潮騒を聞きながら至福の時を過ごす。帰りは、温泉に浸かって農産品や魚介の土産を買って地元の経済に少しだけ貢献する。
2019/05/08
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元号が平成から令和へと変わった。しかし、元号が変わってもジジイの生活には何の変化もない。「令和元年5月1日」今日も暇しています。どこかの企業が募集していた海外旅行が当たる元号当てクイズにワタクシも応募したが残念ながら外れた。万葉集や古事記など古い本は読まないからむつかしい言葉はわからないが令和の令は美しい、きれいって意味のようだがワタクシ、初めて聞いた時には命令の令ではないかと思ったが安部総理が言うには令和には「希望に満ちあふれた、新しい時代を切り開いていく若い世代が活躍できる時代であってほしい若者がそれぞれの花を咲かせることのできる日本をつくりたい。」の気持ちが込められているらしい。ワタクシが元号あてクイズに応募したのは法律で定められた国花ではないが一般に日本を象徴する花は桜だからその桜を使って総理である安部君の一文字を取って「桜安」と文字の並びが好きな「桜和」を応募したが結果は令和となり外れ。この次の改元の時はワタクシ、もうこの世には居ないが出来れば「桜」が入った元号になってほしいと思っている。日本の国にはやはり桜が似合うと勝手に思っている。元号が変わるのに合わせて実施された10連休も半分が終わった。ワタクシ暇だし金もないので足腰を鍛えるために近くの山に登ってみたが日頃は登山客なんてほとんどいないのだが頂上には珍しく10名以上の登山者がいた皆さんそれぞれに楽しみながら10連休を過ごしているようだ。しかし、10連休をとれて遊べる人は幸せな人だ公務員や大企業に勤めるサラリーマンは休んでいても給料はもらえるので心配はないがパートの人や非正規の人は休んだらその分手取りが少なくなる。観光地に遊びに行く人がいればその人たちを迎え入れて忙しく働く人がいる。日本人は働き過ぎだといわれているので10連休は良いと思うがどうせなら働く国民全員が好きな時に1年の間に必ず10連休を取らなければいけないという法律でも作って休んでいる間の給与は国と会社が半分ずつ負担するなんて事をしないと、いつまでたっても不公平感は残ってしまう。令和の日本が若者達がそれぞれにきれいな花を咲かせられる時代になる事を願うジジイだ。
2019/05/01
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今日から10連休が始まった。日本で初めての10連休なんて言ってテレビではこの話題で盛り上がっているがワタクシの様な年中連休の暇人には何の関係もない。道路や交通機関が混むのは嫌だけど大日本帝国の労働者の皆さんが楽しく過ごせるのならその程度の事はじっと我慢をして過ごそうと思っている。 先週中学時代の同窓会が行われたが今回は出席しなかった。今まで何度かは出たんだけれど同窓会に出てくるのは当時そこそこに勉強が出来て高校や大学へと進み、まあまあの会社で定年まで営々と働き今は年金である程度良い生活を送れているやつばかりだ。当時、ワタクシの住んでいた地区からの高校への進学率は50~60パーセント程度で大学へ行くやつは10パーセントもいなかったと思う。戦後に外地から着の身着のままで引きあげてきた者が住みついた引きあげ部落で貧民の多い地区だったから 貧乏人は学校なんか行く必要がない。中学でたら親のために働け!という時代だったので、こんなものだろうがこの歳になると中学時代一緒に悪そうばかりして一緒に教師から怒られていた奴らは今頃どうしているだろうかと思うこともある。この歳になって本当に会いたいのはそんな奴らなんだけど奴らはほとんど同窓会には出てこない。風の噂には聞くけどあまり良い事は聞こえてこないのでまあ仕方がないかと思う今日この頃だ。6月に大学の同窓会が行われるとの案内状が来ているが出るか出ないか迷っている。
2019/04/27
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このところ いい天気が続いている。福岡市美術館がリニューアルオープンして特別展示をしているので暇なジジイは出かけてみた。入場料はもちろんジジイ割引だ。少し前に桜祭りで賑わった福岡城址はソメイヨシノの花も散って新緑の季節を迎えている。近くでは遅咲きの八重桜や藤の花やつつじが咲き歩き回るには良い季節だ。美術館はかなり綺麗に改装されていてサルバドール・ダリ、ジョアン・ミロ、マルク・シャガールアンディ・ウォーホル、草間彌生などの作品が展示されていたがナイジェリアがルーツの美術家インカ・ショニバレ作の「桜を放つ女性」が良かった。アフリカンプリントのドレスを着た人形がライフルを構えていてその銃口から飛び出しているのは満開の桜だ。人形の頭部は地球儀で出来ていてそこには女性の権利拡大に力を尽くした女性の名前が書かれている。銃が紛争や暴力の象徴で咲き誇る桜は平和や命の輝きを表現している。日本では始めての個展でこの「桜を放つ女性」はこの個展の為に製作されたと説明された。1階の東光院仏教美術室は寺院をイメージした空間で重要文化財を多数含む仏像の姿を360度自由に鑑賞することが出来る。幻想的で綺麗な眺めだ。1階は写真も自由に撮れるのがいい。大濠公園側の出口を出て公園のベンチでのんびりと缶ビールを飲みながら握り飯を食べていると一羽のすずめが足元に寄ってきて食い物を分けてくれと鳴くので米粒を少し分けてやるとうまそうに食べる。食べ終わるとまだ欲しいと鳴くのでまた少し分けてやる。何度か同じ事を繰り返すのどかな時間だ。帰りは少し歩いて護国神社に出てバスで帰ってきた。少し歩きすぎたが 今日も元気だ。
2019/04/18
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急な用事が出来て奈良まで出かけたがせっかく出かけて来たのだから一泊して桜で有名な吉野に行ってみた。奈良は中学の修学旅行で来たことはあるがその時は奈良公園でシカを見て京都に行ったのでまったく記憶には残っていない。奈良駅の隣のホテルに泊まったが駅前にしてはあまり賑やかではない。朝から張り切って吉野へ出かけるが吉野をなめていた。思っていたよりも広くて山なので坂道ばかりだ。下千本あたりはもう満開を少し過ぎていたが中千本くらいまで行くと満開だ。上千本はまだまだ咲ききっていないし奥千本はまだ蕾の状態だ。2時間以上かけて奥千本の旧女人結界の碑まで行った。吉野の山は確かに奇麗だけれど久々の山登りでかなり足に来てしまった。しかし、まだまだ頑張って樹齢300年といわれている又兵衛桜を見に行く周りはきれいに整備されていて立派な桜だ。地元住民からせっかく来たのなら談山神社にも行ってみたら十三重塔もあるし桜も咲いているとすすめられたのでついでに行ってみる。大化の改新で習った藤原鎌足公がまつられていると説明されたがあまり詳しくは覚えていない。十三重塔も桜もきれいだったので良かったがここも長い階段がありジジイの足は限界に近かったがもう一つ長谷寺に行ってみた。4月の末から5月の中頃までぼたん祭りが行われるそうだが今は桜が咲いていてけっこうきれいだがここも長い階段を上って行かなければいけない。ジジイの足も笑い始めた。そろそろ限界が近いし時間も遅くなるので帰る事にした。奈良の一部分だけを駆け足で回ったけど今度は予定をたてて秋にでも来てみようと思う。
2019/04/14
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今日はワタクシの住む地方の県知事・県議会議員・市議会議員の選挙投票日だ。投票には先ほど行ってきた。売りに出している戸建てはまだ売れていないが選挙が終われば動くかもしれないのでもう少しこのままで様子を見てみようと思う。ワタクシの地方のソメイヨシノもそろそろ花吹雪の時期を迎えた。今日も朝からいい天気だったが風が吹いていないので散る花びらはあまり多くない。この一週間は少し寒い日もあったが天気は良かったので毎日桜見物に出かけていた。あまり知られていない桜を探して出かけたがこれは非常に大変だった。知られていない桜はSNSには載っていないし人に聞いてもわからないので自分の勘で適当にバスや電車に乗ってうろついた。ジジイにとっては千円か二千円の交通費で良い運動にもなるし結構楽しいものだ。歩き回ってやっと見つけた誰もいない桜の下で途中のコンビニで買ってきたので少し暖かくなってしまった缶ビールやハイボールを飲みながら貸し切りの一人宴会を始める。知らない人が見たら、さみしい人か変人がいると思われるだろうがあまり気にはしない。きれいに咲きほこった桜も好きだが明日からは桜の花の散る美しさとしての花吹雪を見て回りたい。淡い色から受ける印象なのだろうか桜の花吹雪には美しさと共になぜかはかなさを感じる。
2019/04/07
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今日は4月1日 新年度の始まりだ。5月1日から新しい年号に代わるといってテレビでは朝から大騒ぎをしていた。新年号は「令和」と発表されたが良いのか悪いのかワタクシにはわからないけど5月1日までにポックリ逝かない限り昭和・平成・令和と生きて行く事になるがジジイには時の流れがすごく早くて付いて行くだけでも大変だがこの令和の時代がどんな時代になるかすごく興味はある。新年度の今日は入社式でもある。桜が満開のなか新社会人への門出の日だ。ワタクシも40数年前桜が満開の時に入社式に臨んだ思い出がある。歳のせいかあまり詳しくは覚えていないけど青空をバックにして桜の花びらが光で透けて淡いピンクの色と青空のコントラストが奇麗だった事だけは鮮明に覚えている。しかし、サラリーマンという生活はワタクシのようなわがままで自由きままに生きて行きたい人間には向いていなくて、転進というのかはみ出したというのか結局やめてしまった。ワタクシが生きてきた時代は初めて入った会社を辞めるのは人生の落後者と思われる時代だったのでかなり引き留められたけれども辞めてしまった。あれから何十年も過ぎたけど今まで好きに生きて来た。途中で借金まみれになったけど何とか生き延びてこられたので幸せだったと思う。男の健康寿命は72歳なので好きに遊びまわれる時間はもう少ない。まだやりたい事があるので少し焦っている。 平成31年度の目標 よく遊びよく遊ぶ事
2019/04/01
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3月も、もう終わりワタクシが引越屋や不動産屋をやっている頃はこの時期はすごく忙しかった。特に引越屋は年に一度の稼ぎ時だったので早朝から深夜まで社員とアルバイト100名以上の体制で頑張って稼いだ。中小零細企業の経営者として金銭欲につられて24時間戦った。この頃の自分にはよく頑張ったとほめてやれる。今はそれを懐かしみつつ遊びまわっている。昨日は桜が満開だというので佐賀県伊万里市にある松浦鉄道の浦ノ崎駅まで桜を見に行ってきた。この駅は桜の駅と言われているらしく単線の無人駅なのに多くの鉄道ファンや写真愛好家で賑わっていた。桜は確かにきれいだが人が多いのが嫌だったので来る途中の2つ手前の久原駅の桜が奇麗で人がいないようだったので戻ってみた。車を停める所は少ないが桜の数や美しさは浦ノ崎と変わらないし人がいないのが良い。無人駅に人は誰もいないのでゆっくりと桜見物が出来た。帰るには時間も早かったので近くの土谷棚田に行ってみた。土谷棚田のある福島は小さな島だが橋で繋がっているので簡単に行けるがここは長崎県松浦市になる。もう米造りの準備が始まっていたが観光客は誰もいないのどかでいい感じだ。地元の住人は田植えが済んだ後の時期の夕暮れが一番きれいだからその頃に来るともっともっと奇麗だと教えてくれたのでその頃にもう一度訪ねてみたいと思っている。暇なので島の外れまで行ってみると何と小さな灯台を見つけた。灯台の名前はわからないが浸食された海岸線にひっそりと立っていた。まわりには誰もいない波の音だけの時間を過ごす。けっこう贅沢な時間を過ごす事が出来た。年度末の今日は日曜日でいろんな所で桜祭りの催しが行われているがワタクシは庭に花でも見て過ごす。
2019/03/31
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桜の花が5輪以上開いたよと気象台からのソメイヨシノ開花宣言が昨日出て春の気分になって来た。月末頃には満開になるだろうから今年は気合を入れて見物人があまりいない知られていない所をさがして行って見ようと思うがよく考えたら、知られていない所を探すのはひじょうに難しい。しかし、何とか探し出して出かける予定だ。今までは一眼レフかスマホで写真を撮っていたが老体には重量級の一眼レフは持ち歩くには重過ぎるしスマホではなんとなく物足りないので小型軽量のミラーレス一眼を買ったのでためし撮りもしてみたい。やっと売り出した築浅の戸建物件はワタクシよりも少し若手の不動産業者がオープンハウスをやってくれて、買い付けが入ったけどそれ以上は進まずに撃沈となった。残念だが次を期待している。買いたい人を一人見つければ良いだけなのにこれがなかなか難しい。ワタクシの住んでいる県では知事選挙も始まったし県議会議員の選挙もあるので投票日の4月7日まではなんとなく周りが騒がしいのでこの時期は売れないだろうと思ってはいるが遊びながら期待して待っていよう。
2019/03/22
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日に日に春めいてきて庭の馬酔木の木に花が咲いた。鈴なりに咲いた清楚な花はきれいだ。馬酔木と書いてアセビと読む。ワタクシは実際に見た事がないのでわからないけどこの葉や茎には毒が含まれているので馬が間違って食べるとしびれて歩けなくなり酔ったようになることから馬酔木と付けられたようだ。2月の初めに買った築浅の物件は予定では2月の中頃から売り出すつもりだったが建物にソーラーパネルが乗っていたり蓄電池が付いているのだが使い方がわからなかったり細かな清掃に時間がかかったりしてやっと金曜日に最後の化粧が終わる。最近の新しい家は面倒くさいので思ってたよりも手間取った。やっと今週末から売りに出す事が出来る。買いたい人が1人いればいいのだからすぐに売れてくれることを期待している。今日は外は雨模様だし暇なので万引き家族が日本アカデミー賞を取ったということで凱旋上映と名をうって再上映をしているようなので映画見物がてらショッピングセンターでも散歩してこよう。
2019/03/06
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今日から3月だ!!カレンダーを1枚破って新しい月が始まった。ジジイには日々の流れがすごく速く感じる。今日も天気が良く春を感じる日だが北九州市の顔として親しまれていたJR小倉駅前の好立地にある百貨店が昨日で閉店した。1993年に小倉そごうが開店してその後、小倉そごう・小倉玉屋・小倉伊勢丹・井筒屋コレットと4回目の閉店だ。次は専門店街になると聞いたが、この場所は元々の地権者が多数いて色々問題あるから大変だろうな。もはや百貨店ではここでの商売は事実上不可能と言う事だろうから更地にして地権者に戻すのが一番良いのかもしれない。地権者の数が30人以上だと言われてるから賃料の値下げは出来ないと揉めていると聞くし商売は諦めてオフィスビルにするか改装してホテルにでもした方が儲かるかもしれないと思う。スペースワールドの跡地にはバカでっかいイオンモールを造り始めたし新幹線で15分~17分で、博多の百貨店に行けるし高速バスも博多・天神まで1日100往復以上出ているので若者は買い物にも福岡市まで出て行く人が多いと聞く。住んでいる人間もジジイ・ババアが大半を占めてきていて小倉駅前まで車で買い物に行っても駐車場が大変だから駅前までは来ないで郊外の大型店に行くだろうから物を売る商売は大変だろうなと思う。 ワタクシは幼少期から高校時代までを北九州で過ごした。あの頃は街にも元気があった。人口も福岡市より北九州市の方が多かった。今は福岡市の人口は150万人以上いるのに北九州市は100万人を割り込んで95万人しかいない。いろいろと楽しい思いでもある北九州市が衰退していくのは悲しい。時の流れとはいえ高度成長期を担った政令指定都市の落日は見たくない。がんばれ北九州市!!
2019/03/01
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欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつれて 道を失う 幕末の武士 高橋泥舟の言葉だがワタクシの好きな言葉の一つだ。欲というのは、人が生きていく上で欠かせないものであって決して悪いものではないはずなのだが何故か不思議なものでダークなイメージがある欲という言葉はなぜダークなイメージがついてまわるのか?食欲や睡眠欲が悪いという言葉はあまり耳にしない。考えてみるとワタクシ達がダークなイメージをい抱く場合に使われる欲は同じ欲でも強欲とか私欲・物欲といった欲の方だと思う。強欲とは非常に欲が深いこと 。私欲とは自分一人の利益だけを考える気持ち 。物欲とは物や金銭を自分のものにしたいという欲望とか物や財産への執着心をあらわしていると思う。これらの欲は、あまりいい意味では使われない。しかし、貪欲という言葉はいい意味でも悪い意味でも使われている。「貪欲に知識を吸収する 」というのは、いい意味で使われいるが「 あの人は金に貪欲なやつだ 」という場合は悪い意味で使われる。「貪欲に知識を吸収する 」場合は、誰にも迷惑をかけないけど「 あの人は金に貪欲なやつだ 」といった場合は 他人はどうであれ自分は・・・・。といった、他人軽視の考え方が見え見えの場合が多いので節制が無いと思われるのだろうと思う。ワタクシも欲と道ずれの人生を送ってきたので人間の欲が限りないのはわかっているつもりだがワタクシの知人に変な金持ちがいる。贅沢なことはせず質素に生きて来てもう貯金が20億あると言っていて不動産も多数持っている。(一般の人は成金と呼ぶと思う)もう古希になったのにまだまだ金を貯めたいと言っている。もう良いだろう。使い切れないだろう!あと何年生きるつもりか?と聞いても金を貯めて貯めて貯めまくるのが楽しいと言う。日本銀行が発行した印刷物を貯めるのが楽しいらしい。こうなると欲ではなく趣味なのか?ワタクシのような凡人にはわからない領域があるのか?
2019/02/27
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3連休の中日だが日差しがあって暖かいので自宅の庭でのんびり日向ぼっこをしている。本当にジジイの生活だ。昨年は老犬が足元をうろうろしていたが今年はもういない。時は流れていく。来週・再来週と予定を入れているので街に遊びに行ってインフルエンザにやられるにも嫌だし明日まではのんびりと過ごそうと思っている。数日前に、珍しい不動産物件の買取会?に行ってきた。珍しいというかワタクシは初めての体験だった。この物件、地元では少し田舎の方にあるが新築されてからまだ2年目のきれいな物件だ。売却の理由は離婚の為に早急に売却したいので仲介ではなく業者に買い取りしてもらいたいとの事で事前に連絡があり資料を貰っていた。当日、指定された時間に行くと物件で売主とその弁護士が待っていて一応 内覧をしたのだがなんと購入希望の買取業者がワタクシも含めて6社も呼ばれていた。一番高い値をつけた業者に買い取ってもらうという事だ。こんなの初めての事なのでなかなか難しい。新築時は土地・建物で4500万円ほどかかっているが高台で擁壁があるのでワタクシはあまり好きな物件ではなかったのであまり高い値はつけなかったから買えなかったが売主が考えたのか弁護士が考えたのかわからないがこのような不動産の売り方は面白いかもしれないと思った。この物件がいくらで売りに出るかが楽しみだ。
2019/02/10
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少し田舎だが平成27年に新築されたまだまだ新しい戸建ての物件を購入した。太陽光発電機も付いている。土地は60坪くらいあり建物も30坪くらいはある。南北両面道路で道幅は7メーター以上あり町並みはきれいだ。これから30年か40年位は良い感じな街並みが続くと思う。しかし、ワタクシはこの物件をすぐに売る。なぜか?答えは簡単だ。金欠病の解消が第一だから!買うときは競争だからあまり安くは買えない。売るときは薄利でさっさと売るからあまり儲けはない。ワタクシあまり儲けはいらないので買う人は幸せかもしれない。内部のクロスに落書きがあるのでクロスの張替はしなければいけないので売りに出すのは2月の半ば過ぎ位になるかな。去年1年間は何もできなかったので今年は老体に鞭打って少しだけ小遣い稼ぎをしなくてはいけない。
2019/02/05
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だだなんとなく「最果て」という言葉に惹かれ与那国島まで行ったがワタクシが好きな灯台には与那国で日本最西端の西崎(いりさき)灯台と東崎(あがりさき)灯台の両方に行けたので良かったがあまりに風が強くてワタクシ風邪をひいてしまった。多少体調不良だったが石垣でも灯台を3つ見に行けた。無駄な時間を楽しんだだけではなく灯台にロマンを感じ一度そこに立ってみたいという希望もかなった。岬の端に立つ灯台は小学生のころからなんとなく好きだった。小学生の5年生か6年生か忘れたが初めて灯台に遊びに行った頃は灯台には灯台守の職員が住んでいて沖ゆく船を眺めながらいろんなことを教えてくれた。それが楽しくて同じ灯台を何度も訪ねた。それから60か所以上の灯台を回った。なぜ灯台が好きかと聞かれるが自分でもわからないので答えに困って岬の先に立っている姿が好きだと答えてはいるが本当のことはわからない。平久保崎灯台 石垣島の最北端に位置する平久保崎灯台。黒毛和牛の放牧地を抜けて進むと灯台が見えてくる。そこから見える海はサンゴ礁に囲まれて様々なブルーを見せる。まさに絶景だ。市内からは少し遠いけど一度は行ってみる価値はあると思う。御神崎灯台 石垣島の西側 名蔵湾を越えてから川平方面ではなく、崎枝方面へと左折すると御神崎灯台へ到着する。断崖絶壁に位置するこの灯台からの眺めは美しく、結構荒々しい風景を見せてくれる。琉球観音埼灯台 この灯台は元は昭和28年7月に米軍が建てたもので沖縄返還の昭和47年に海上保安庁に引き継がれ現在に至っていると説明書きがあった。 灯台付近は公園になっているがほとんど人はいない。 石垣島には沿岸灯台は3基なのでこれで取りあえずは全てまわった。次はどこに行こうか考えているがまずは金欠病の回復が先かな
2019/02/03
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昨日、正月だったような気がしているのに気が付けばもう2月になっている。時が過ぎるのは早いもんだ。仕事もせずに遊んでばかりいるのでまた慢性金欠病が再発してきた。少しアルバイトでもしようかと思う今日この頃だ。1月の末に日本の最西端に行きたいと思って石垣島経由で与那国島に行ってきた。石垣まではマイレージを使って無料で飛ぶこの先は琉球コミューターというローカル線に乗り換える。与那国島は人口1700人程度の小さな島なので飛んでいる飛行機も小さなプロペラ機で空港も小さな建物で島流しにあった気分だ。しかし、この島は安全保障上重要な位置にあるため陸上自衛隊の与那国駐屯地が開設されて沿岸監視隊が配備されている。自衛隊員とその家族250人が移り住んでいるので1700人の人口の15%近くを自衛隊関連の人間が占めている。「与那国島の海底遺跡」と呼ばれる神秘の遺跡が海の中にあるので潜ってみたかったが風は強いし波はあるし寒いので潜るのはあきらめてレンタカーで島内をドライブすることにした。ここが日本最西端の地沖縄県、与那国島の西崎(いりさき)灯台。(写真が縦にならないので見にくいが)海は東シナ海に面しておりここで見る夕陽は日本で一番遅い夕陽となるがこの日は曇っていて何も見えない。 残念!!台湾まではわずか111km、本当に国境の島だ。小さな島を1周して反対側の東崎(あがりざき)灯台に向かう途中から天然記念物の与那国馬が放牧されている。東崎灯台の近くは馬糞の山だ。馬糞の上を歩くことになるが出来るだけ新しいのを避けて古いのを選んで歩く風が吹いて寒いが、しばし馬と戯れる。結構楽しい時間だ。夜明けの灯台を見たかったので翌日も早起きして東崎灯台まで出かけてきたが残念!!雲が多くて日の出はあまり見えなかった。だだなんとなく「最果て」という言葉に惹かれまたロマンを感じ一体どんな所なのか、一度そこに立ってみたいただそれだけの理由から行ってみたが本当に最果ての島で何もなかった。でも時には人生、無駄があってもいいと思う。無駄があるから楽しくてまた面白いと思う。
2019/02/02
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平成30年も終りに近づいてきた。昭和・平成と生きてきたが次の元号は何になるのか?別に何でもいいのだけどね。今年はワタクシの周りではあまり良い事はなかった。16年間一緒にいた愛犬を見送ったしこの歳になると同級生や友人がボケたの癌になったのとそんな連絡が多くて嫌になっていたがよく考えたら来年はもっとボケたの癌になったの逝ってしまったのて話が増えるはずだ。ワタクシたち団塊の世代がほとんど古希を超えて生きているのだから仕方がないけど後に続く若い者は大変だと思うあと10年もすれば団塊世代のジジイはほとんどいなくなるのでもう少し辛抱してもらうしかない。しかしババアは後15年から20年位は持ちそうだからやはり大変な事には変わりないか。大丈夫か日本!10年後・20年後には貧困国になったりしていないか?ヨーロッパの国みたいに昔は強国だったのに今は昔の名前でなんとか生きていますになってしまうなよ。頑張れ!! 日本!!ワタクシは良い時代に生きた。戦後の高度成長の時代だったので超貧民の子供でも努力さえすればなんとか人並みに生きられた。1クラス50人学級で11クラスあったから1学年で550人もいた競争は激しかったけど夢はあった。今日食う飯はなかったけど明日は腹いっぱい銀シャリが食えるかもしれないそんな夢を見ながら生きてこられた。ワタクシが育ったところは工業地帯のど真ん中だったのでまわりの景気は良かった。役所も貧乏人には優しく手を差し伸べてくれて貧民の母子家庭には返済不要の奨学金を支給してくれた。おかげで高校・大学と進めたので感謝している。ふるさと納税制度が出来てからは感謝の気持ちで毎年ふるさと納税をしてきた。もちろん返礼品などは受け取らない。しかし、今年は収入がないので残念ながらふるさと納税は出来なかった。もう歳だし辛抱してもらえるだろう。ワタクシ、まだまだ元気にしているので来年の1月・2月・3月と旅行の予定をたてている。もう少しチャレンジしたい事もある。来年も好きな事をして生きる予定だ。予定は決定ではないけどね。
2018/12/30
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昨日、23日に次男の結婚式がやっと終わった。結婚する!! と9月の末に言いだしてから3ケ月たってようやく終わった。見世物にされるだけなのであまり気が進まなかったが子供に恥をかかせるわけにもいかないので父親として両家を代表しての挨拶もしたが葬式も入学式もとにかく式とつくものが嫌いなワタクシにはかなりのプレッシャーになった。両家を代表しての挨拶ぐらい紙を見ずに自分の言葉で喋れよと嫁さんにもかなりのプレッシャーをかけられていた。まあその辺は普通に喋ったがやはり緊張はした。新婦の両親が喜んでいたのでよかったかなとは思うがクリスチャンでもないのに讃美歌を歌わされたりもうこんなのは2度と嫌だ。 今日はクリスマスイブだ、街中は賑やかだろうけど特にすることもない。やらなければいけない仕事もないので年末年始は読みたかった本を読んで過ごそうと思う。年が明けたら与那国島と石垣島に行ってのんびりしてくるつもり。人生の残りの時間がだんだんと少なくなってくる。悪あがきはしないがまだやり残したことが少しあるので元気なうちにやってしまおうと思う。
2018/12/24
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3億円事件からもう50年が過ぎたとニュースが流れていた。早いものでもう半世紀が過ぎてしまったのだ。当時20歳だった若者も70歳のジジイだ。ワタクシもあの頃は若かった。まだ19歳の若者だった。偶然にも事件のモンタージュ写真に似ていて自動二輪の免許も普通車の免許も持っていたし16歳の時にバイクを乗り回していてパトカーに追っかけられてそのパトカーが勝手に遠賀川の土手から転落したのにパトカーを河川敷に落下させたと言われて高校を無期停学になった。結局はパトカーの運転ミスと言う事で停学は解除になったがそんな前歴があったからだろうがすぐに刑事が訪ねて来た。当時、東京の中野区野方の環七の近くの貧民学生アパートに住んでいたが結構しつこく訪ねてこられてかなり迷惑をした事を思い出す。時効が成立してからも犯人はわからずに、いまだになぞが多い事件だが今、このような事件を起こせば簡単に犯人は捕まってしまうだろう。この前の渋谷のハローウインの時に軽トラをひっくり返した犯人を防犯カメラで追っかけて遠方の自宅まで突き止めて逮捕した。すばらしいと思うが、なんだか怖い世の中になって来た。どこにいても完全に監視されている。電車やバスで動こうが車で動こうがすべて監視されている。こんな世の中、住みやすいのだろうか?
2018/12/10
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おんぼろレンタカーなので多少の不安はあったが日が暮れる前に宿に着きたかったので高速道路を走る。危険が危ないのではないかと少し心配だったが100キロ出しても大丈夫だ。思ったよりも調子よく走って日が落ちる少し前には安宿に到着した。一泊4000円と少しの安もんのビジネスホテルだからか?駐車場代は有料だ。仕方が無いので現金で気持ちよく払う。腹もすいてきたのでフロントのお姉さんに地元の高級居酒屋を教えてもらって出撃する。安宿に泊って高級居酒屋なんて見栄を張るせこいジジイだ。阿波踊り会場の近くの居酒屋で道行く人民を眺めながらのんびりと酒を飲む。この時間がたまらなく気持ちが良い。ビールや地元の酒を飲みながら地物の魚を食す。遊びに来ているのだから飲みすぎては面白くないのでほどほどの所で切り上げて狭いベットで眠る。目を覚まして朝飯に1階の食堂へ降りて行く。安ホテルの割りに朝食は良かったので少し気分がよくなる単純なジジイだ。早めにホテルを出て徳島城址を徘徊して眉山のロープウエーに乗る為に阿波踊り会館に行くここの5階から山頂行きのロープウエーが出ている。ロープウエーに揺られて上って行くと街がどんどん小さくなり大きな海が広がってくる徳島は川の多い街だ。展望台でしばらく、ぼーっとしていたが特別に面白いことも無いので大鳴門橋の遊歩道から渦潮が見える 渦の道へ行く。大鳴門橋の車道の下に遊歩道があって足元から渦潮が見えるが、時間が悪かったのか思っていたよりも規模が小さかった。一部分がガラス張りになっている所があるが高所恐怖症のジジイは残念ながら近づく事ができなかった。帰りのフェリーの時間に間に合うように少し早めに切り上げて出発したが途中で道を間違えて少し時間がかかったのでぎりぎりの到着になってしまった。帰りのフェリーでもさっさと風呂につかり食堂でビールを飲む。出港してしばらくするとライトアップされた明石海峡大橋が見えてくる。船の上でビールを飲みながら夜景を眺める。良い瞬間だ。年金暮らしの暇なジジイには安いフェリーの旅行は結構楽しいのかもしれない。この日は少し飲みすぎてしまった。
2018/11/30
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今回は、少し遠くに旅行したいと思っていた時に偶然安い運賃のフェリーを見つけた。新門司から神戸まで超格安料金だ。このフェリーで神戸から淡路島に行ってみる事にした。ワタクシの自宅からバスに乗り中心地の天神で財布に優しい高速バスに乗り換えて小倉まで向かう。23日の夕方6時40分に小倉駅からフェリー会社の連絡バスに乗り新門司のフェリー乗り場に向かう。3連休のせいか思ってたよりも多くの人で賑わっている。新門司のフェリーターミナルに着くとすぐに乗船する。フェリーはワタクシが引越センターをやっていた頃に何度か利用したがそれ以来だから20年以上乗っていない。船は新しくなっていてきれいだ。引越センターの頃はトラックだったのでドライバールームだったが今回はもう少し上等の部屋なのでゆったり出来る。風呂に入っているうちに船は出航する。12時間半の船旅が始まった。食堂で夜景を見ながらビールを飲む。月もきれいだしなかなか良い雰囲気だが飲みすぎてはいけないので明日に備えて早めに切り上げて寝る。翌日8時30分に神戸に到着する。事前にネットで予約していた安物のレンタカー会社に行き車を借りる。翌日の夕方まで6000円と言う格安レンタカーだけあって車は6万キロオーバーの格安マーチだ。傷があってボロイが何とか走るので良しとしよう。まずは明石城に行く。明石駅の前にあって公園の中に櫓が見える。石垣の工事中だったが坂道を登って行くと結構眺めが良くて明石海峡大橋や淡路島が一望できるなかなかの景色だ。3連休中ではあるが人はあまりいないのでゆっくり出来た。ボランティアのジイサマの案内を聞きながら櫓の中も見物する。まわりの紅葉もきれいだった。次にワタクシの好きな灯台に向かうために明石海峡大橋に向かうがレンタカーのナビがおかしい。変な方を案内する。安もんのレンタカーなのでナビまで手が回らないのか?仕方が無いのでグーグールマップを使っていく事にした。明石海峡大橋で淡路島に渡るときに右側の山に見える灯台に行く。この灯台は江埼灯台と言って江戸幕府とイギリスの間で取り決めた大坂条約で造られた5基のうち一番最初に出来た灯台で家島産の御影石を使用して造られている。明治4年に初点灯された由緒ある灯台でAランク保存灯台に指定されている。阪神淡路大震災で灯台に続く階段が断層により大きく横ずれしたが被災の傷跡を風化させない為に地割れした部分はそのままカラーコンクリートで補修しただけになっている。小さな駐車場に車を止めて結構きつい階段を上がっていく老体にはこたえるが気合を入れて上る。きつい上りだが灯台までたどり着くと爽やかで気持ちがよい。のんびりと明石海峡を眺めているとすぐに1時間くらい過ぎてしまう。しかし、その間、誰一人として灯台まで登ってきた人はいなかった。すぐ近くの道の駅には結構な人がいたのに灯台に興味がある人はあまりいないようだ。次は洲本城に向かうがここもあまり人はいない。駐車場に車を停めて古い石垣を見ながら坂道を上って行くと山の上なので見晴らしが良い。もう少しゆっくりしたかったが日が落ちてからの運転は嫌なので徳島市内に予約した安もんのビジネスホテルへ向かう。 つづく
2018/11/28
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早いものでワタクシの誕生日からもう1ヶ月が過ぎた。このブログを書くのも1ヶ月ぶりになる。1ヶ月のご無沙汰です。この1ヶ月何をしていたか?実はほとんど毎日遊んでいた。1人でうろつくのが好きなワタクシは天気の悪い日は映画館でのんびりと映画を見て天気の良い日は近くの山を歩き回っていた。ワタクシの住む所は海にも近いがのんびり歩き回れる山もたくさんある。宝満山・天拝山・油山・九千部山・背振山・トンボ山など標高は500メートルから800メートル程度の山だが1日で行ってくるにはちょうど良い。リックに雨具と非常食を少しつめてのんびりと歩く夏は暑いので今くらいの季節がちょうど良い。紅葉もきれいで平日だと人も少ないのでのんびり出来る。山の頂上に寝ころんだり座り込んだりしながら1人握り飯を食う。至極の時間だ。これがコンビニの握り飯なのが少し色気が無いが年金暮らしのジジイにはあまり贅沢は言えない。下山後にはふもとの温泉でのんびりと湯につかり疲労回復をする。毎日うろついていても飽きないが格安の運賃で神戸まで行けるフエリーを見つけたので23日から26日までは神戸・淡路島・徳島を回ってきた。門司から神戸まで往復客室利用だけで年金暮らしのジジイの懐にはひじょうに優しい。今日は出かけるのでフェリー旅行の事は次に書く。
2018/11/27
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今日はワタクシの誕生日だがこの歳になると誕生日は嬉しいことでもない。今まで生きてこれたことに感謝して残りの人生を楽しませてもらおうと思っている。先日は久しぶりに山登りをした。山登りというよりも山歩きの方が正しいかな。頂上までゆっくり登って別の道をのんびり降りてきてちょうど8時間程度の良い行程だ。紅葉はまだちらほらであと1か月したら見ごろになりそうだ。しかし、この山歩きで体力の衰えを強烈に感じた。数年前にも同じ行程で歩いたがその時と比べるとかなり堪える。息が上がる。気持は若いつもりでも体は確実に老化してきている。少し体を鍛えないといけないと思った今回の山歩きだった。翌日はワタクシの趣味の一つである裁判の傍聴に出かける。裁判所が新築移転して初めての傍聴なので自分の車ではなく公共交通機関を利用してバスで出かける。ワタクシの自宅からは乗り換えなしで行けるのですごく便利になった。裁判所は大学跡地の再開発地区にあってかなり大きくて立派な造りだ。法廷の場所がわからずに少し戸惑うがすぐに分かった。ついでに競売係や執行官室も確認しておいた。この日は殺人事件の差し戻し審の判決があっていた。姉の交際相手の男を殺害して懲役15年の刑が言い渡され控訴した高裁で「被告の精神状態が犯行に与えた影響の審理が不十分」として審理のやり直しを命じられていた事件だ。弁護側は「怨霊に操られていたので無罪だ」と主張していたがこの日の法廷は「犯行を合理化するために生じた妄想」と指摘し「精神障害の影響はうかがえない」として差し戻し前と変わらない量刑判断を出した。高裁の判事がなぜ差し戻したのかはわからないが判決理由を聞いていると弁護側の怨霊に操られていたにはかなり無理があるし殺しているのは間違いないので責任能力があるなら懲役15年程度は妥当な感じがする。弁護士がもう少し上手に攻めていたら情状酌量で4~5年程度は短くなったかもしれないと思いながら帰ってきた。なんの変わり映えもしないジジイの日常だ。
2018/10/28
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愛犬が天寿を全うしてワタクシの元から旅立ってから3ヶ月が過ぎた。今年は記録的な暑さが続いたので心身ともに疲れていたが愛犬が旅立ったときはこの世界が色を失ってしまうほど悲しかった。自分の母親が旅立った時よりも、もっと悲しかった。何をしても心ここにあらずで仕事なんかしたくないので夏休みを長く取って休養した。今でも家に帰るとよたよたと迎えに出てくるような気がするが最近は野暮用に追いかけられて少しずつ心の整理が出来てきている。仕事らしきこともぼつぼつやっているがもう歳なのでそれよりも自分のしたい事を気楽に楽しんでいる。古希に手が届く歳になって人生を振り返ってみると勉強を教えてくれた人よりも遊ぶ事、趣味を持って人生を楽しむ事を教えてくれた人に有り難さを感じる。超一流の学者や教授になるのでなければ勉強なんてそこそこにできれば良い。一度の人生どう楽しむのかの方が重要だと思う。ワタクシがまだ中学生で貧民窟での生活でいじけている頃人生について熱く語ってくれたなべ釜磨きのおっちゃんに世界は広くて大きいぞこんな所でくすぶっていたらだめだと東京へそして世界中へ出て行く事を進められた。海軍上がりの写真屋のおっちゃんにはカメラの使い方をはじめ写真の現像から引き延ばしまで教えてもらった。写真はフイルムからデジタルに変わってしまったがおかげで今でも旅行などしながら楽しく写真を撮って楽しんでいる。二人のおっちゃんにはすごく感謝しているが金儲けのことは教えてもらえなかった。二人とも貧乏なままこの世を去ってしまったので仕方がない。明日は久しぶりに近くの山に登ってみよう。
2018/10/23
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このところ秋晴れのいい天気が続いている。春・夏・秋・冬とある四季の中で春は桜が見れるのが好きだが杉やヒノキの花粉症に悩まされるのでワタクシは秋が一番好きだ。気温的にも過ごしやすくて紅葉も見れるので気分が穏やかになる。不動産はまあまあの物件が有ったので購入しようと思って買い付けを入れたがタッチの差で負けてしまった。現役で生きていかなければいけない身ではないし無理して買うこともないのでまた次の物件が出るまでのんびりと待つよ。昨日コンビニで買い物をしていた親子連れ母親と幼稚園の制服を着た女の子だが買い物の支払いをしてをして、店員さんが「ありがとうございました。」と買い物をした商品をビニール袋に入れて手渡してくれる。その特に母親が子供に向かって「あなたもありがとうございました。」って言わなければだめでしょう。幼稚園でも教えてもらっているでしょう。て言っている。子供は仕方なしに「ありがとうございました。」と言っているがまったく感情がこもっていない。バスに乗った時にも同じような光景を見た。バスを降りる時に母親が保育園生程度の息子に「ありがとうございました。」と言わなければいけないでしょう。と教育的指導をしていた。子供は運転手に「ありがとうございました。」と一応言ったが運転手の方を向くわけでもなく母親から言われたから仕方なしに言っただけ。何かおかしくないかい?と思ったのはワタクシだけだろうか。こんなのは幼稚園や保育園で教えられたからするのだろうか?コンビニのレジでもバスを降りる時でも母親は「ありがとうございました。」なんて自分では一言も言ってなかった。自分が言わないことをむりやり子供に言わせるのはおかしくないかい。「ありがとうございました」「おはようございます」「こんにちは」など母親がいつも言っていれば子供は教えられなくても母親と同じように「ありがとうございました」「おはようございます」「こんにちは」など自然に言えるようになるはず。「子供は親の背中を見て育つ」と聞いたことがある親がいつも挨拶をしていればこんなのって教えなくても自然に身につくと思うのは古い人間の考えなのでしょうか。
2018/10/18
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10月8日から青森に行ってきた。一応、仕事という事にはなるが仕事に費やした時間は?時間程度で後は自由時間・直訳するとフリータイムかな。奥入瀬は何度も行っているが紅葉は見た事がないので奥入瀬の紅葉を見ようと行ってはみたが残念!!まだ少し早すぎた。十和田湖に近い上流部分は多少紅葉していたがもう1週間から10日くらい後ならもっと良かったかもしれない。いつもは安い宿に泊まることが多いけど今回は奥入瀬渓谷に近いやや高級な宿に泊まり朝早くから渓流沿いにのんびりと歩いてみた。観光客がまだいない朝早いうちにのんびりと渓流の音を聞きながら歩くのはいいものだ。結構贅沢な時間を過ごせた。きれいな紅葉は次の楽しみにして八甲田ロープウェーに向かう途中に蔦沼に寄って地獄沼に行く途中の八甲田ゴールドライン沿いの紅葉がすごく奇麗だった。今まで長い事生きて来て、これほどの紅葉は初めて見た。こんなに素晴らしい紅葉があるんだ!!紅葉はまだ早いと期待していなかったので感動した!!歳を取ると感動することが少なくなってくるがここの紅葉には素直に感動した。はるばる青森まで来たかいがあったと思う一瞬だった。残念なのは感動しすぎて写真を撮ることを忘れてしまった事だがジジイの目と心に焼き付いているから良しとしよう。八甲田ロープウェーの乗り場につくと聞こえてくるのは隣の赤い国のお方の言葉だ。連休中なのか団体で押しかけてきている。101人乗りのロープウェーの95パーセント位はお隣のお国の方でロープウェーの中はワーワースースーピーピーとかなり騒がしいが日本に金を落として行ってくれるのだからウエルカムという事にしておこう。途中まではきれいな紅葉も見えたが山頂はガスがかかっていて何も見えないし寒いだけなのですぐに下りてきた。少し早いが予約を入れている大鰐温泉へ向かう。途中はリンゴ畑が時々見えるくらいで普通の、のんびりとした田園風景で特別な光景はない。大鰐温泉は昨日宿泊したの奥入瀬よりももう少し高級な宿にしたので楽しみだった。食事のリクエストも宗教上の都合(?)で鶏と豚は食べれないと入れておいたので夕食の季節の会席料理は希望通りの食事が出てきた。りんごの浮かんだ風呂もなかなか味わいがあり半露天のような造りで風情があったが高級旅館ならやはり露天風呂があった方がよかった。夜は津軽じゃみせんの生演奏があってまあまあ楽しめた。仕事にかこつけた2泊3日の青森の旅だったがまあまあ満足できた。多少の金を使って少しグレードを上げたらそれなりに良いことがある。
2018/10/12
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10月になった。 天高く「豚」肥える秋だ?ワタクシは少しぐらい肥えても良いがそれなりに豚な方は食いすぎにご注意を!!しかし、今日は台風25号の接近で天気は良くない。ワタクシの自宅の近くでタワーマンションの新築が売り出されるというので見学に行ってきた。このマンション地下鉄直結で雨にぬれずに福岡空港や博多駅や市の中心部まで行けるというので人気があるのか事前に予約をしなければモデルルームも見れない。仕方が無いのでアンケートに答えて予約を入れてやっと見学できたがアンケートの職業と予算の欄を見て断られる事もあるらしい。(噂だが真実はわからない)ワタクシ予算の欄に現金で8000万円と嘘を書いたのでモデルルーム見学まで行けたのではないか?モデルルームは上品そうな人々でいっぱいだ。ワタクシ1人がなぜか浮き上がっているが、気にしないで美形なお姉さんに案内してもらう。価格表を見てビックリ! 3LDKで38階が1億8890万円高い所は3億円オーバーだ。とてもじゃないが手も足も出ない。もう少し安い所で同じ3LDKだが25階で76平米程度の部屋で1億190万円!ワタクシには無理なのでもっと安いのはと探すと1LDKで5000万円だ。すばらしい!!40平米の1LDKが5000万円だ。西城秀樹が生きていたら思わず「すばらし~いYMCA」と歌いだすかもしれない。超高級マンションだ。この価格だったら関東並みかそれ以上だろう。ワタクシの地区では土地付戸建住宅が5000万円程度で新築できる所もある。少し離れると3000万円でもできそうだ。誰がこのマンションを買うのだろうかと聞いてみると。地元民と関東の人民が同程度の申し込みを入れているという。現時点で多い部屋は10人程度の申し込みが入っていて申し込みが多くなれば抽選になるという。そうなれば転売が出来てもしかして儲かるかもしれないと思ったがしかし、ワタクシは年金生活の身なのでローンは通らないし、現金も持って無いので夢の夢の話になりそうだ。ワタクシの今住んでいる自宅を売っても建物はもう古くなったので3000万円から4000万円程度にしかならない。1LDKのマンションも買えないとはなんだか情けない気もしてくる。世の中には金持ちが多いと思い知らされたなさけないジジイだ。
2018/10/04
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台風24号はワタクシの住む地方には何の影響もなくさっさと通り過ぎてくれた。今日みたいな日は外に出て行く事は危険が危ないとテレビのニュースでかなり激しく放送されていたので狭い自分の部屋で藤圭子のLPレコードを流しながらのんびりとしていた。音楽はCDで聴くのもいいけど針を落として針でその凹凸をこすって再生するLPレコードで聴くのもおつなものだ。物理的には聞こえない音まで拾って再生するので多少のノイズは入るが柔らかで豊かな響きを再現してくれてワタクシは好きだ。藤圭子はワタクシが学生時代の1969年10月頃に新宿の街でバイトをしている時に偶然新宿のレコード店でデビュー曲のキャンペーンをしていた。個性的なドスの効いたハスキーボイスと独特の凄みのある歌いまわしが気にいって、なけなしの金をはたいて「新宿の女」のレコードを買ってサインしてもらいその後もシングル盤やLP盤を買って聴いていた。藤圭子は2013年に逝ってしまったけどその時のレコードは今も大切に持っている。あれから、もうすぐ半世紀が過ぎようとしている。時代が過ぎて行くのは早いものだ。人生100年時代と言われるがそんなに長く生きても仕方がない自分の事が自分で出来る時までで良い。動けなかったりボケたりして長生きはしたくないがもしもそうなってしまったら家族の者には「自宅で介護はしなくていいので施設に入れてほしい。ただし、安いところは嫌だ。ワタクシの年金と不動産の賃料で賄える程度の中堅程度の所に入れてほしい。」と言っている。もちろん延命治療は一切必要ないと伝えてある。最近、ワタクシの同窓生もボケたり、さっさと逝ってしまったりするやつが増えてきた。ワタクシは好きな事をして来たのでまだ良いが定年まで会社や国のために働いて「お疲れさま。」と言われてすぐにボケたりさっさと逝くのは悲しくないかい。なんぼ高級な仕事をしてきてもなんぼ高額な退職金や年金をもらってもそんなのは面白くも何にもない。明日は同窓生の告別式だなんとなくいやだな。
2018/09/30
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9月もやっと終わりに近づいてきてワタクシの夏休みも、もう終わる。今日は台風24号が沖縄付近にいて四国・関西方面を目指して来ているようで土曜・日曜は危険が危なそうな気配だ。自分のしたい仕事をして自分勝手に生きているマイペースなワタクシの家の2番目のバカ息子が急に結婚すると言い出した。自分の好きな事をして1人で好きなように生きていくのだろうと思っていたのでビックリ!ひっくり!ぎっくり腰だ!おまけに今年のクリスマスの頃に結婚式までするという。先日は両家の顔合わせとやらに引っ張り出される。相手の両親と本人達ワタクシたちの6人で会食だが、こんなのは嫌いだ。何を食っても旨くない。結婚式・葬式・入学式・卒業式と式というものはみんな嫌いなワタクシだから自分の成人式にも出なかったワタクシ。「結婚式は海外でやってきてくれ。」と頼むが嫁さんの方の仕事の都合でそれは出来ないと言う。「嫁さんの仕事はなんだ。」と聞くと「県立高校の教師」だと言う。「お前大丈夫か?馬鹿なお前と話は合うのか?」結婚するのは自由だから好きにしたらいいが俺は知らないよ。(ワタクシ、偏見だけど教育者はあまり好きではない。)結納その他の儀式はワタクシの希望で省略してもらった。どうせ結婚式をやるならみっともない式をしないように祝い金だけを渡した。めでたい事だけど人前で挨拶するのが大嫌いなワタクシとしては気が重い。気分転換に10月の2週目に青森へ紅葉を見に行くことにしたのでとりあえず航空券は押さえた。久しぶりに高級な旅館に泊まってのんびりと温泉に浸かってこようと思う。
2018/09/28
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