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楽天ブログの前に使っていた日記サイト「エンピツ」の記事紹介の第二弾です。私は現在労働組合の機関誌に月一回投稿している映画評の前に、学習協会の県内版ニュースに年一回「マイ映画ベスト」を寄稿していました。その原稿をここにも載せていました。2003年分、12年前の映画のまとめになるので、こちらに転載したいと思います。この当時から年間100作以上の鑑賞数を持っていたんだなあと我ながら感心。しかし、このベスト26を観て、マイナーな作品を評価しているなあ、と当たり前かもしれませんが、いまと嗜好が似通っていることを発見しました。現在はレンタル店でも絶版になっているような作品も多い。ただ、ベスト15あたりからは、現代から見ても再鑑賞に値するような作品を選んでいるなあ、と自画自賛したりして。もっともベスト2の「歓楽通り」というフランス映画を覚えている人は珍しいかもしれない。今だから言うけど、この映画の「視点」が、当時の私の引きずっていた「片思い」に被る面があって、ドツボだったのです。映画の評価ってもんは大体はそんなもんです。 ベスト3には、当時はつけていなかった画像をつけます。また、題名ぐらいは太字に加工しました。(以下転載)2004年01月14日(水) 03年私の映画ベスト26(長文です。覚悟して読んでください。) 例年の映画評ですが、今年は私の諸事情から実に簡単に済ませたいと思います。どこが簡単かと言うと、テーマを決めずにベスト作品(私内の基準で80点以上。今回は26作品。)を順番に紹介するというものです。(案外そういう紹介のほうが分かりやすいといわれたりして)今回一年に観た作品は103作でした。もちろんこの26作は私の好みが十二分に入っています。よって世評高い「シカゴ」「めぐり合う時間たち」「至福のとき」「アカルイミライ」「ボーリングフォーコロンバイン」「座頭市」「過去のない男」「マトリックス」「踊る大捜査線」などは選外になっています。いつも私が評価するチャン・イーモウ監督に至っては、「英雄HERO」をワーストにしたいと思います。映像は確かに素晴らしい。けれども志(こころざし)が悪い。期待していただけに裏切られたと思ったときのショックは大きかった。ではベストの低いほうから紹介します。ベスト26。「ドッペルゲンガー」今や世界的に有名になった「CURE」の黒沢清監督作品。自分の分身が突如現れる。ホラーでもなく、喜劇でもなく、シリアスでもない。不思議な映画である。しかし監督の初期作品比べれば、難解な映画ではない。分かりやすいほどだ。ただ、私は好きになれない。作品が悪いからではなく、登場人物たちを好きになれないからである。監督はどうもそれを狙っているとしか思えない。自分の中の嫌いな部分は自分自身も好きになれないように。ベスト25。「T.R.Y.」日本映画だけど、内容的には日韓中合作といっていいだろう。新しい文化交流に乾杯。ベスト24。「ロボコン」去年私がベスト2に推した「まぶだち」の監督の作品。最初津山高専等の実物名が出てきて、実在高校生がぞろぞろ出てきて、主役級の役者さえも学芸会並みの演技をするので、これりゃ外したかな、と思ったのだけど、全国大会になって次々と試合をこなしていくうちに、意外性とドラマと感動がやってきた。何がいいといって「ロボットコンテスト」という素材がいい。あと編集も良かった。要らないところをばっさりと切っていた。「ウオーターボーイズ」が好きな人にはお勧め。ベスト23。「ロード・オブ・ザ・リング・二つの塔」作品の評価は三部作すべてが終わってからでないと付けようが無いと言うのが正直なところだ。終わった直後から「一分一秒でも第3部が早く見たい」となる。そう思わせるだけでも高得点ではあるのだが…。9ヶ月かけて「指輪物語」全9巻を読んだ。「戦争と平和」について考えさせる良書です。こちらもお勧め。ベスト22。「トォーク・トゥ・ハー」ほとんど植物人間と化した女性を看護する男の物語。こういう男と女の関係もありだ、とどれくらいの女と男が思うのだろう。ありふれていると見るのか、特殊な関係と見るのか。純粋な愛と見るのか、汚らしいと見るのか。物語とは無関係に最初と最後に出てくるダンスパフォーマンスが象徴的。ダンスの内容は「男は女が悲しみで崩れるとき前の障害物をとり除いてあげられるだろうか。男は女が愛のうたを歌うときその体を支えてあげられるだろうか。」ベスト21。「ターミネーター3」。シュワちゃんがどんな政治信条を持っていようと、楽しめる映画は楽しめる。要らない能書きは垂れずに、全編ずっとアクションの連続。トレーナーのカーチェイスはこれぞ、映画という感じ。最後の意外な終わり方も私の好みです。ベスト20。「さらなら、クロ」高校生と野良犬との交流。あのつぶらな瞳で見つめられたら、犬嫌いの私でも(本当ですよ)誰でもクロを好きになるだろうと思った。妻夫木聡、伊藤歩、新井浩文、金井勇太、三輪明日美、近藤公園、次代を担う若手が大勢出ていて、手堅い演技をしているのもうれしい。こういうきっちりした映画に残してもらえるなんて、クロはやはり「世界一幸せな犬」なのだろう。ベスト19。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」天才詐欺師をディカプリオが演じる。タイトルバックが良い。主題曲が作品を引っ張って行く近来稀に見る作品。スピルバーグ監督は結局エンターテイメントに徹すればよいのだ。最近不作の彼の作品の中では、肩の力を抜いたこの作品が出色の出来になった。ベスト18。「マッチスティックメン」「無骨な男(ニコラスケイジ)と少女(アリソンマーロン)」という設定は「レオン」以来、私のお気に入り。父親と娘はどの国でもいつの時代でも騙しあい。その関係を見事に写しとって今年最高の詐欺師映画になった。べすと17。「フォーン・ブース」コリン・ファレルが実に魅力的だ。放漫だが繊細、賢いが臆病。そしていざとなった時には…。限られた街中での撮影だが、NYの雰囲気をよく伝えている。パニック脱出サスペンスとしては記憶に残すべき作品でしょう。ベスト16。「WATARIDORI」舞の途中でズッコケル鶴、重戦車の様に飛ぶペリカン、親の目の前で子供が食われるペンギン。風にのって飛ぶ、羽ばたいて飛ぶ、鳥の気持ちになって空が飛べる。見事なドキュメンタリー。ベスト15。「猟奇的な彼女」ラブコメディ。韓国映画が元気が良い。次から次へと新人監督、新人俳優が現れる。一昨年夏と去年の冬、釜山で映画を観た経験から断定して言うと、一途に若者がこの盛り上がりを支えている。通常の夜にどうして若者があんなに映画館に集うのか。あの熱気はすごかった。それを背景に製作会社も監督も思いきった冒険ができるのだろう。この作品もその流れに乗って出来上がった作品。スピーディーな演出。延長戦に入っての脚本の工夫。ちゃんとしたメッセージ。アイドル性。ベスト14。「おばあちゃんの家」韓国のわがまま都会っ子の孫と田舎のおばあちゃんとの交流。定番お涙頂戴映画だと分かっていたから、一応醒めた目で見ていたはずであった。こんなにバリアを張っていたのに泣かされてしまった。登場人物たちの自然な演技。いつか見たような風景。あとでパンフを読むとおばあちゃんも、ほとんどの出演者も、あの村に住む素人だと聞いてびっくり。ベスト13。「黄泉がえり」今年の日本映画の思いもかけない収穫の一つだろう。エンドクレジットが終わり、場内が明るくなるまで、観客が誰一人として動かなかった。シネコンの客としては、珍しい光景だ。いち早く降りて、観客の顔を観察してみた。怒っているのでも楽しそうでもない、穏やかな顔をしていた。『あなたにとって、黄泉がえって欲しい人は誰ですか』そんな宣伝のキャッチコピーを反芻しているのだろうと思えた。最愛の人が突然元気なまま黄泉がえってくる。それも数千人規模で。迎える側はその人の黄泉がえりを真に願う人であり、よみがえった人は正真正銘「昔のまま」だ。ホラーとか、SFとかヘンな理屈をつけないのがよかった。単なる草薙・竹内の恋愛ドラマにしてしまわなかったのもよかった。なかなか絶妙なキャストが揃っていて、通好み。(特に忍足亜希子、市原隼人、北林谷栄は嬉しかった)ベスト12。「ホテルハイビスカス」「ナビィの恋」の中江祐司監督作品。沖縄大好きの私にはなんとも懐かしい世界だった。特別でない普段着の沖縄満載だった。基地が在って、美恵子たちはその中に紛れ込む方法をちゃんと知っている。インターナショナルで情に厚い家族たち。そしてカラットした性格。三線の名手はどこかしこにいて、沖縄音楽はいつも身近だ。なんでもないエピソードの積み重ねだけど、最後に美恵子が父親にしかられた時の言葉「暴力はいけないことだ。それが大きくなると戦争になるんだぞ」(正確ではありません)その後の展開が私はとても好きだ。ベスト11。「ラストサムライ」驚いた。ハリウッドが本気で日本に迫るとここまで真に迫った「日本」を描けるものなのか。ここで言う「日本」とは、貧困武士の共同体としての生活の在り様であり、彼らの意識である。よって農民は描かれてはいない。また、天皇が重要な役として出てくるが、このエピソードは一種のファンタジーとして理解したほうがいいだろう。ベスト10。「8Mile」私はラップは全然聞かないし、エミネムってだーれ、状態だったのだけど、これを観て「ラップもなかなかいいジャン」状態まで変わってしまった。過去に置き去りされた町、デトロイトの町をバスから眺めながら、一生懸命語彙を増やしていつか成りあがろうとしている青年エミネムが印象的。キム・ベイシンガーが、男にだらしない、可愛い女を演じて、魅力爆発。その他、脇役がしっかり演技しているので、エミネムが黙りこくって、眼をぎょろぎょろしているだけで、なんかこいつやりそうだと存在感持たせて、なかなか良かった。もちろん彼のラップはさすが。今年度ピカ一の青春映画。ベスト9。「インファナル・アフェア」アンドリュー・ラウ、アラン・マック監督。久しぶりの見応えのある犯罪映画(フィルム・ノワール)。あまりにも男臭い作品。特殊なドラマがやがて仏教の哲学的な命題に還っていくところなんか、一種の抒情詩的雰囲気さえ漂わせている。ベスト8。「夜を賭けて」本格的な日韓合作映画。最後のエンドロールで日韓入り乱れての名前の列挙が素晴らしい。昭和33年、大阪城のすぐ近くに住んでいた在日朝鮮人たちの追いだされるまでの物語なので、話す言葉はほとんど日本語なのだけど、彼らの気性や生活習慣はやはり日本人ではない。そういう事をキチンと描きながらも、彼らはやはり私たちと同じ「人間」なのだ、という事も(当然ながら)描いている。そして圧倒的なパワーが二時間ちょっと疾走する。この日韓合作の流れもっと続いて欲しい。結局これが今年度邦画ベストワン。今年の日本映画は少しさびしい。ベスト7。「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」ジョニー・デップがはまり役。キャラクターで見せる映画です。今年度エンターテイメントではピカ一。ベスト6。「人生は、時々晴れ」マイク・リー監督。イギリスの労働者階級の家族を暗くなる1歩手前で淡々と描く。運命に疲れているタクシー運転手の夫。生活に疲れている妻。将来に疲れている息子や娘たち。この映画は普通を描いた作品だ。美男美女はとうとう一人も登場してこない。最後疲れた心に少しだけ晴れ間がのぞきこむ。こういう映画も時には見てもいいかもしれない。映画が終ったあと、回りの人々を見て、少しだけ優しくなれるから。ベスト5。「セプテンバー11」世界各地の11人の監督たちに11分だけの9.11に触発された作品をつくらせる。どの監督も国を背負って作品を作ったわけではない。しかし、2002年という時期の「世界」の雰囲気をここまで表わした映画はもう作られることはないだろう。そういう意味では、「歴史的」な映画だ。9.11は悲劇だということではみんな一致している。平和を願うということではおそらくみんな一致している。けれどもこれだけ多様な表現があるのだ。フランスのクロード・ルルーュは恋愛映画を作り、アメリカのショー・ペンは老夫婦の別れを崩れゆくビルを背景に描いてみる。イランで、エジプトで、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで、イスラエルで、インドで、アフリカで、それぞれの監督たちは自国の国民の声を聞きながらもこの事件の衝撃と矛盾をどのように描くかもがいている。最も批判的に描いたのは、皮肉にもイラク戦争で米国とともに戦うことになった英国の作家ケン・ローチであった。彼が描いたのは1973年の9月11日。アメリカが干渉したチリの軍事クーデター。彼の面目躍如たる11分だった。わが日本は今村昌平監督だ。しかし、その出来は11人中最低といってもいい。これは監督の限界なのか、日本の限界なのか。世界には様々な人種と様々な国の景色があり、そして表現がある。この映画の存在自体が最も雄弁に「平和」を訴えている。ベスト4。「ウエストサイド物語」ニュープリント。デジタルリマスターバージョン。冒頭の群舞シーンからずっとかっこよいダンスが続く。歌が無いのに、ダンスだけでジェット団とシャーク団の対立、幼さ、貧しさ等のドラマの背景が良く分かる。当時のニューヨークが見事に描かれている。シネマスコープの画面の中を、右から左、奥から目の前まで、縦横無尽に踊り、走る、まるで画面からはみ出してくるかのような迫力。テレビでは絶対に味わえません。そして「きめ」のポーズ。かっこいー!「一目ボレ」という恋の純粋さを「トゥナイト」等の有名ナンバーが切なく描く。今から40年前に、「自分のテリトリーを守るために武器(ナイフ・銃)を持つことの愚かさ」を見事に描いている。恥ずかしながら、この作品初見でした。ずっと観たつもりでいたのです。この40年間、映画界は一体何をしていいたのかと思われるくらい新鮮なシーンの連続。間違いなくミュージカルの最高峰。「シカゴ」なんて目じゃない。ベスト3。「この素晴らしき世界」 チェコという国は、第2次大戦後50年たって、なんとこんな素晴らしい作品を作るところまで来ていた。普通の夫婦に突然飛びこんできたユダヤ人を匿うことで起きる様々なドラマをペーソス豊かに描く。この映画の原題は『我々は助け合わなければならない』という意味だそうです。助け合う人たちが『アンネの日記』のように匿う人と匿われる人だけではない所に、この作品の奥深さがある。となりの隣人がナチスの協力員であった事も描く。けれども彼も「助け合う」のである。日本のように「水に流す」のではない。笑いの底にチャンと冷たい眼差しがある。罪を知った上で『許す』、そんなラスト。ベスト2。「歓楽通り」「橋の上の娘」のパトリス・ルコント監督作品。誰も見向きもしていない作品ではあるが、私には忘れられない1作となった。たくさん見ていると、年間一作か二作はそういう作品が在るものだ。去年は「まぶだち」だろうか。幼い頃から娼館の世話係をしていたプチ・ルイは決して自分はもてないと思いこんでいる。愛する女性が自分を恋しない運命なら、「運命の女の人と出逢ってその人を一生賭けて幸せにする。」そういう誓いを立てる。彼女に恋人を引き合せ、彼女を幸せにする、それはなんと幸せなことだろう。最初は良かった。彼女も自分のすることを信頼しきってくれる。ただ「良いことは長く続かない…」最後のプチ・ルイが幸せだったのかどうか。フランス映画らしく余韻深い恋愛映画であった。ベスト1。「戦場のピアニスト」ロマン・ポランスキー監督。一人のユダヤ人が遭遇した「戦争」。戦争とはなにかを今までにない視点で描き、そのリアルさ、その映像、音楽、そのインパクトにおいて結局3月に観たこの作品が今年度のベストワンになった。シュピルマンは最初から最後まで穏やかで哀しそうな眼をしている。ワルシャワの市民やユダヤ人たちが非応無く戦争に巻き込まれ、(戦争初期は普通の生活をしていた。その辺りの描写も新鮮だった)ユダヤ人せんめつ作戦にはまっていくのを一人の無力な芸術家として、ずっと眺めている。(戦争全体を描くのではなく個人の視線に限定して描くというのも新鮮)シュピルマンが生き残ったのは偶然に過ぎない。その背後に、愛する家族、したたかに生きようとした男、勇敢に戦った男たちのプッツリと(まるで事故にあったかのような)突然の無数の死があった。(適当に10人選ばれてはいつくばって一人づつ撃ち殺される場面があった。最後の一人が弾が切れて助かったかと思うと弾槽を入れ替えて撃ち殺す。怖かった。ドイツ兵に「どこに行くのですか?」と行き先を聞いただけで、ズドン!と撃ち殺された女性だとか、即物的な描き方が多かった。しかもこれが戦争の事実なんだよね。)個人の力はあまりにも戦争という運命に対しあまりにも無力だ。後半はそのことをこれでもかと描き尽くす。そしてもう一つ我々に見せつけるのは、その無力な個人が超絶的な技巧で美しい旋律を奏でること。結局あの戦争はこの芸術を滅ぼす事は出来なかったのである。戦争と個人の関係。個人と芸術の関係。芸術と戦争の関係。3月は世界中でイラク戦争に反対する同時多発的反戦デモが、ベトナム戦争時以上の人を集めた。この映画がその事に一役買ったのかどうかは分からない。けれどもそういう反戦デモがあった事、こういう映画がアカデミー監督賞をとった事は「歴史的事実」として覚えておいていい事だと思う。
2016年02月29日
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2003年から2005年までの3年間、私は実はこの楽天ブログの前に「エンピツ」という日記サイトを利用していた。最近久しぶりにそれを見ることがあり、かなり懐かしかった。しかし、開設してから13年も経つのにいまだにアクセス数が22000弱なのである。webの広大な森の中では顧みられることのない一本の古木のようなものである。ここに書いている文章をそのまま、埋もれさせておくのはもったいない気がして、書評は主に書評サイトに、映画評は機会があればこのブログに、その他旅の記録もこのブログで少しづつ紹介していきたい。先ずは約12年前に書かれた考古学のレポートを記載する。感想としては、考古学に目覚めて約5年後ぐらいの記事だと思う。よく書けている。反対に言えば、こんなに長い事遺跡巡りをしているのに、あまり進歩がない、ということに唖然とするのでありました。この遺跡については、これから7年後に新内宮内遺跡 GW兵庫を行く(下) として記事にしています。最初に行ったときに書いている「三つの美しい三角形の山」や、「分銅型土製品」、「弥生戦士の墓」につては、こちらの記事に写真があります。参考にしてください。2004年01月16日(金) 播磨新宮町遺跡めぐり(03.11.9) 久しぶりの考古学ポートを送ります。とはいっても、内容は吉備地域ではありません。11月9日兵庫県新宮町で行われた「歴史ウオーク」新宮宮内遺跡周辺巡りに参加してきました。この遺跡は山陽線を播磨線に折れて播磨新宮ICで降り、国道179号線を龍野方面にいくと左側に新宮町が見えてくるので、その中の町民スポーツセンターの隣に在ります。皆さんご存知だとは思いますが、私の関心領域は弥生時代です。特に最近は近藤義郎教授の「吉備東遷説」(3Cに吉備の中心勢力が大和にそっくり移って、前方後円墳体制を作った)を自分なりに解釈咀嚼することに凝っています。今回のレポートもその視点で書いていることをお断りしておきます。今回の遺跡の近くには兵庫県を代表する河川揖保川が流れています。兵庫県西の河川流域には注目すべき弥生遺跡がたくさんあって、以前二号線沿いの有年原・田中遺跡に行った時、非常に大きい円形墳丘墓が在ったことに驚きました。特にここでも吉備地域につながる特殊器台・特殊壷が出土していたのです。この地域は吉備を考える上でも大和とのつながりを考える上でも重要な地域だったのではないでしょうか。少なくとも吉備から大和に向かう通過点ではなくまとまった国があり、「倭国大乱」から「卑弥呼の時代」をへて「前方後円墳体制」に移る段階で重要な役割を持っていた地域と考えていい様な気がします。今回新宮町の遺跡群を見て、その規模と量の大きさ豊富さを見て、そう感じました。先ずは新宮宮内遺跡の見学をしました。弥生時代中期を中心とする縄文時代から平安時代の複合遺跡で竪穴住居跡、溝、方形周溝墓、円形周溝墓などが見つかっています。特に円形周溝墓は弥生中期のものとしては国内最大規模です。吉備でたくさん見つかっている、分銅型土製品が21点も出ています。この土器は謎の祭祀土器と言われていて、木管墓の木管が美作地域のそれと類似しているのと同時に同じような祭りをする首長がいたのかと吉備とのつながりを豊富に想像させます。弥生中期といえば特殊器台が「発明」されるだいぶ前、いったいどんなつながりがあったのでしょうか。その一方で吉備ではあまり見られない環濠のあとや矢じりがたくさん刺さった「弥生戦士の墓」も出土されています。また、私が注目したことで、この遺跡から三つの美しい三角型の山が見えるということです。大和の三輪山、吉備の中山、出雲の茶臼山、弥生時代の拠点集落在るところに必ず「かむなび」(神の降りる山)あり。だんだんと私の確信になってきました。事実、この新宮三つの山はいずれも「播磨国風土記」に出てくる山だそうです。一番形のいい大鳥(風土記では鳳)山だけはまだ遺跡が見つかってません。私はきっとなにかあると思います。そのあと、天神山(風土記では飯盛山)麓の意外と考古資料がたくさん展示されてある「歴史民俗資料館」、国指定重要文化財の16Cの社内殿を特別に見せてもらった「宮内天満神社」、全長11.5mの横穴石室に入らせてもらった古墳時代後期の円墳「天神山古墳」、約30基の後期古墳が密集している「宮内古墳群」、日本最後のあだ打ちをした墓がある(その絵馬がなんと倉敷に5点もあるという)「梅岳寺」等を見せてもらった。箸墓古墳と同じ時期の前方後円墳「吉島(よしま)古墳」は残念ながら天候の関係で見ることが出来ませんでした。このコースはなかなかいいハイキングコースになっている。資料はスポーツセンター隣の図書館で手に入るみたいなので、気が向いたときに訪ねるといいかもしれない。今は新宮町では「邪馬台国への道のり」と題していろんな企画をしておりこの「歴史ウオーク」もその一環。その他スポーツセンター2階では遺跡の出土品の展示をしていて、これがその量の豊富さではちょっとした資料館とひけはとらない素晴らしさである。念願だった田中遺跡の出土品もたくさん見ることが出来た。河内、山陰、吉備のつながりがここでも確認できた。豊富な資料もただで貰えた。このお金の掛け方は凄いとしか言い様がない。岡山県に爪の垢でもせんじて飲ませたいぐらいぐらいだ。
2016年02月28日
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以下の文章を紹介したい。言っていることは一言でいえば、「アベノミクスは沈みつつある」ということである。実はこの人の文章を全面的に信用して紹介するわけではない。しかし、「沈みつつある」ということだけは、確信したので紹介するのである。なぜか。じつはこの高橋洋一という人物、ちょっと前まではアベノミクスを礼賛してやまなかった人物だったのである。こういう本まで出している。そういう人間がアベノミクスを見放し始めている。沈む船からネズミが逃げるように。これは本物だと思うのである。だから、そういう目でこの文章を読んでほしい。アベノミクスついに沈没「消費税8%」がすべての間違いだった現代ビジネス 2月24日(水)6時1分配信文/高橋洋一(元財務官僚) '12年の年末、アベノミクスが始まった当初、日本のGDP(国内総生産)は順調な成長を続けていた。アベノミクス開始時のGDPが約517兆円。これが、'14年3月には実に約535兆円にも達した。 ところが、'14年4月の8%の消費税率導入を境に状況が一変した。'14年度第2四半期までに、GDPが一気に約14兆円も急落してしまったのだ。 その後もGDPは伸び悩み、直近の'15年7-9月期の数字は約530兆円。私の試算では、仮に消費増税さえしていなければ、GDPはその後も右肩上がりの成長を続け、今頃は約550兆円まで達していただろう。 差額は20兆円。これだけの金額が、増税によって失われたのだ。 この20兆円分の伸びがあれば、物価も上昇し、賃金も消費も好調という、良好な循環が生まれ、昨年中には「デフレ脱却宣言」ができただろう。日経平均株価も2万円台、為替も1ドル=120円の水準は保てたはずだ。 そもそも、GDPの6割を個人消費が占めている以上、増税による消費減退でGDPが下がるのはわかりきっていた。 増税の影響で失われた20兆円のGDPを国民一人頭で割ると、約15万円。所得が15万円も下がったと考えれば、買い物をする気が失せるのも当然だろう。 いま、日本では格安商品ばかりが売れる、デフレ時代と同じ状況が生まれている。アベノミクスの目標である、2%の物価上昇に相反する事態が起きているわけだ。だが、経済学の常識からして、増税すれば物価が下がるのは自明の理だ。 優秀なはずの財務官僚たちはそんなことすら理解できていなかった。自分たちの歳出権を拡大するため、なんとしても消費増税を可決させようと、「増税をしてもGDPは下がらない」という机上の空論を組み立て、押し切った。写真:現代ビジネス5%に戻すしかない 失われた20兆円のGDPから試算される消えた税収は約5兆円。一方で、消費増税で増えた税収は約8兆円。 「3兆円多いのだから、増税のほうがいいのでは」と思うかもしれない。 しかし、冷静に考えると、増税によって税収を8兆円増やすのと引き換えに、一人当たり15万円のGDPを吹き飛ばしてしまったのだ。これが日本経済に与えたダメージは、計り知れない。 収益が上がらないのに税負担だけを増やしたので、企業は苦しみ、賃金も上がらない。消費も当然伸び悩む。アベノミクスの理想とは真逆の悪循環にはまりこんでいる。 結局、無知な財務官僚が身勝手な思惑で推し進めた増税で、国民は8兆円を取り上げられたあげく、本来、得られるべき所得までを失ったのだ。 この状況に、本来であれば、「責任をもって2%の物価上昇を達成させる」と明言している日銀の黒田東彦総裁こそが、「増税で物価が上がらないのなら、失敗を認めて減税するか、景気対策をしてください」と政府に強く進言すべきだろう。 だが、黒田総裁は「消費増税で成長が大きく損なわれることはない」と繰り返し発言してきた手前、今更もう何も言えない。起死回生のマイナス金利政策も、消費増税のダメージが大きすぎたため、いまのところ本来の効果が出ていない。 もし、安倍政権が予定通り、'17年の春に10%への増税を実行すると、どうなるか。8%増税の時と同じくらい、いや、それ以上の致命的なダメージを引き起こすだろう。 3%の増税でGDPが14兆円急落した。ということは、上げ幅が2%なら、単純計算で約10兆円のGDPが一瞬で失われる。さらに、今回は中国経済失速などの要因も加わるため、長期的に考えれば、8%増税時を上回る規模のGDPが失われる可能性がある。 消費増税が引き起こした負の連鎖から脱却するには、いますぐにでも消費税を5%に戻すのがベストなのは言うまでもない。だが、政府もいまさら引き返せないだろう。 それでも、本気で景気回復を目指すのならば、取れる策は消費減税の他にもいくらでもある。 例えば、国の特別会計上で余った資金、すなわち、いわゆる「霞が関埋蔵金」を使う手だ。 「外国為替資金特別会計」には円安の含み益の約20兆円、「労働保険特別会計」には約7兆円もの埋蔵金がある。これを原資に、国民に10兆円規模の給付金を配り、増税の痛みを和らげる。 この「埋蔵金10兆円バズーカ」をぶっ放し、景気に良好な刺激を与えて上向かせたところで、日銀が一気に金融緩和を推し進め、国債の購入量を今の80兆円から100兆円まで増やす。 極端な話に聞こえるかもしれないが、ここまでしてようやく、「8%増税の呪縛」は払拭される。 それほどまでに、消費増税が日本経済に与えたダメージは大きい。 「週刊現代」2016年2月27日号より
2016年02月27日
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「ミッドナイト・ジャーナル」本城雅人 講談社昨年モニターで読み終っていました。2月24日に発刊されたようです。ずーとむかし、大学新聞を作っていた。そのとき、「理論をこねくり回す前に足で書け」と教えられた。闇に埋れている事実を明るみに出す。この作品で言えば、微かな犯人の痕跡や沈黙する権力から真実を明るみに出す。言うは易く行うは難し。この本には、その難きことが詳細に述べられている。勿論、趣味半分の学生の仕事とはレベルが違う。新聞作りは記事のみが大切なのではない。どういう割付をするかも、重要な新聞つくりである。何を選びどう見出しを作るか。だから、マツパクの仕事は書かれなければならなかった。最終的に事件の背景までも明らかにするのは、新聞でしか出来ないことだから、調査報道を書いた祐里の仕事は更に重要だ。そこに至るまでの綿密な仕事と言う意味で、豪太郎のスクープに至るまでの取材過程を描いたこの小説は大きな意味があると思う。ただ、学生新聞でもう一つ最も大切なことを学んだ。現場にある無数の事実の中から、一番主張したい事実を拾い上げ、その事実を磨き上げることだ。そのためには、自分がどういう「視点」を持つかが必要になる。今回は、幼児誘拐・殺害という最もわかりやすい「正義」があった。次回は「公益か、個人か」等々、もっと記者が迷うような事件を期待する。【内容情報】(「BOOK」データベースより) 「被害者女児死亡」-世紀の大誤報を打ち、飛ばされた3人の記者。7年後、児童連続誘拐事件が発生する。さいたま支局の関口豪太郎はかつての事件との関連性を疑い、本社の遊軍記者・藤瀬祐里は豪太郎の応援に合流し、整理部員となった松本博史は冷めた目で静観する。警察も、目撃者も、記者も上司も嘘をつく。しかし豪太郎は、絶対に諦めない。記者歴20年の著者が書き下ろす感動の社会派エンタメ!!
2016年02月26日
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「『アベ政治を許さない』というステッカーをナップザックに貼っていたら、ショッピングモールへの入店を断られた」という新聞記事並びにFacebookへの投稿を最近読んだ。「思想・信条の自由」(19条)「表現の自由」(21条)の侵害ではないかと、すぐさま思ったが、法律的には本当のところどうなのか、少し不安だった。この期に赤旗に写真のような、法律家の意見が載ったようだ。少し大きめに写真を載せておくので、読める環境にある人は読んで欲しい。久保田和志弁護士は、「9条俳句訴訟」弁護団事務局長である。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の俳句を、公民館が月報への掲載を拒否した問題で、俳句掲載を求めて、さいたま地裁に提訴しているそうだ。久保田氏は「各人の思想・信条に、合理的な根拠なく立ちいることは許されない」という大原則から、「政治的ステッカー外せ」は許されない。と言っています。民間の私企業は「営業の自由」に基づき、一定の裁量を持ち、客に対して一定の制約をすることが認められているらしい。例えば、高級レストランが、あまりにカジュアルな服装での入店を断わることなど。しかし、ショッピングモールのように、なるべく多くのさまざまな市民が入ることを予定している施設であれば、カバンなどに貼った政治的ステッカーを理由に入店を制限するということは、「合理的な根拠」とはなり得ず、許されないというべきでしょう。と久保田弁護士は言っています。安心しました。そうだよね。これは、チェ・ゲバラの顔をプリントしたTシャツを着た若者は「政治的スローガンを掲げていると、もしかしたら他の客が不快に思うから、出て行ってください」と外に追い出されて良しとするのか、という問題だと思うのです。私が『アベ政治を許さない』ステッカーを貼るのは、思想とまでは言えない。信条の発露であり、いわばマイファッションです。このショッピングモールの店長は、おそらく上司から指示されてしたのではない。「空気を読んで」したのです。それがとてつもなく怖いことのように思います。実は、今月3日の『アベ政治を許さない』を掲げる統一デーに、私は倉敷のあるショッピングモールで写真のようなステッカーを貼って少しぶらぶらしました。あまり目立たなかったのか、何も言われませんでした。今度は、もっと堂々と闊歩しようと思います(^-^)/
2016年02月24日
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「DAYS JAPAN 3月号」表紙写真はby広河隆一(2015年12月12日、福島県大熊町)。Aさんのインタビューを読むと、帰宅困難者の苦悩が伝わる。福島県富岡町、楢葉町、大熊町の除染等で出来たあまりにも広大な廃棄物のコンフレバッグ(黒い袋)の置き場所の写真もあった。それが集まると、ちょっとした小さな小山になる。そうなると、緑色の防水シートを被せることになっている。ひとつひとつの山は、ちょうど方形墓に見える。それが一ヶ所50も、100も並ぶ異様な光景(航空写真)。後世の歴史学者は、何時になったらここを発掘調査するのだろうか。今号は、広河隆一氏の写真の割合がとても多い。非常に精力的に原発取材をしている。チェルノブイリでは、当時20代30代だった被災者が、あれから30年経って60代の若さで次々と亡くなっている。なんという残酷な時限爆弾なのだろう。子供の早く症状が出る時限爆弾も残酷だが、大人の既に補償責任を問いようもない時限爆弾も残酷だ。残酷だし、それに日本の未来だ。原発再稼働を進める安倍に対して、物申す企画が始まった。●短期集中連載(1)安倍政権に命の舵は渡さない!文/森達也(ドキュメンタリー映画監督、作家)、上野千鶴子(社会学者)多くの人は言う。どうせ投票しても何も変わらないと。でも次の選挙は、変えるためではなく変えないことを選択する選挙なのだ。どうせ何も変わらないと棄権するのなら(もしくは周囲に同調するのなら)この国はさらに速度をあげながら、個よりも全体を優先する集団へと大きく転回することになる。(50p森達也)そうなのだ。今度こそは「どうせ」という言い訳で、棄権することは許されない。●コラム「OUTLOOK」1月の首長選の結果から次の参院選を考える文/斎藤美奈子斎藤さんのコラムはさらに悲観的だった。沖縄宜野湾市長選、岩国市長選、八王子市長選でいずれも大差で負けている。二つほどの理由をあげて、斎藤さんは「現在、野党が勝つ条件が熟しているとはいいがたい」という。「とか書くと、希望のないことをいうなと叱られるよね。だけど私はいまは希望なんか持つなといいたい。むしろ絶望を噛みしめるのが先。」彼女は参院選で負けたあとも考え始めている。こういう知識人がいると言うことだけでも、私たちは今を頑張れる。頑張らななければならない。今がいくら絶望的でも、それを打開するのは、やはり民衆の運動の中にしかあり得ない。と私は思う。評論家のように、民主党の損得とか、共産党の損得などを考える暇はない。私たちの未来の問題なのである。2016年2月23日読了
2016年02月23日
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「週刊東洋経済8.29号 特集 下流老人」本屋に新書と並んでこの雑誌が置かれていた。去年は藤田孝典氏の「下流老人」がひとつの流行語に踊り出たのであるが、そのきっかけとなったのがこの雑誌だったのではないかとそうぞして、手にとって見た。新書を読むのにはしんどいけど、雑誌ならば写真や図が豊富で読みやすいのではないかと企んだわけである。ソーシャルワーカーは老人福祉の最前線にいるので、この問題に気がつくのが少し早かったのは当然だと思っている。あと10年で老年期に入る私も、その危機意識はあったし、何よりも労組活動に首を突っ込んで二年ほど貧困問題をやった身としては、生活保護問題と老人問題は首の皮一枚残してほぼ同じだという実感があった。昔はここまでではなかった、なぜこうなったのか、という分析は、この雑誌で54pに表付きでしているし、新書ではおそらくきちんと分析されているだろうし、テレビでは不十分に紹介されているだろうから、ここでは繰り返さない。本人の責任問題ではない。極めて「社会問題」であることだけを指摘しておきたい。藤田さんは、社会基盤を整備し直すべきだという立場だけど、雑誌は個人で防衛するために、貯蓄の検討、生活の検討、再就職の検討の仕方をプロに書かせている。基本的に都市生活者を想定して書かれているので、注意が必要だが、現在の問題点を自覚するためにも面白い特集だと思う。しかし、1番の特効薬は、どんどん貧困格差を拡大していて、軍事大国を作ろうとしている現政権に方向転換を迫る「主権者の一票」だろう。と思う。2016年2月22日読了
2016年02月22日
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20日、倉敷革新懇の主催で「戦争法廃止2000万統一署名シンポジウム」が行われ、雨の中参加しました。70人の参加。おりしも、前日野党五党の共闘が成立したばかりで、民主党の柚木衆議院議員も冒頭あいさつをした。岡山弁護士会の基調講演、宗教者九条の会、ティーンズソウルの発言と続いた。宗教者は次のように言った。3.11をきっかけに社会活動をするようになった。原発事故があったのに、変わらない。やっと日本の異常さにきがついた。「仕方なく失われる命」を認めてはいけないと仏さまは教えています。戦争に向かう動きに仏教者は反対しなければならない。全日本仏教会というのがあって、去年の秋に戦後70年という名目で、「非戦の決議」を上げたが、9.19を受けてのことだと思っている。ティーンズソウルは高校生の反戦団体です。彼女は言います。「高校生は政治に無関心」だと思っているのは大人です。高校生は興味はあるけど、発言していい所がわからない。選挙につながらない。私たちは声をあげる場所を作りたいと思っています。私たちは有権者である前に主権者です。デモに行くには勇気がいります。私たちは楽しめるデモをつくりたい。いろんなところでアピールする必要がある。ロフトに掲示板があるのですが、私はそこに「安保法制は悪法」とか書いています。政治に無関心であっても、政治に無関係ではいられない。会場からの発言も活発に出た。「日本会議の児島支部の活動が著しい。彼らはいま会見を求める1000万人署名を集めて445万筆集めたという。2.14は岡山で150人の集会をした。彼らは九条の会に学んでいる。主戦場は草の根に広がっている。我々はこれをもう一度押し戻さなければならない。」「一度投票に行った人は継続的に投票に行く傾向があるそうです。今度の18歳選挙権、しっかりとアピールする必要があるる」そのあと、雨の中駅までパレードをした。私は水島で署名統一行動があるのでそのあと帰ったが、メンバーは駅前で署名行動をして20分ほど29筆集めたらしい。伊藤千尋(国際ジャーナリスト)は言っている。「15%の市民がデモなど目立つ行動をすれば、すべての人がそうしているように見える。この「15パーセントの法則」を、私は世界各地の取材で実感した。」署名が目立つ行動かどうかは異論があるかもしれないが、2000万人はその実数に近い。頑張りたいと思う。ちなみに水島での署名行動では9筆書いてもらいました。
2016年02月21日
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「ひと月9000円の快適食生活」魚柄仁之助 飛鳥新社今年普及版の文庫本が出たようですが、わたしゃ、本屋でそれを見て図書館にリクエストしたら昔の単行本しか貸してくれませんでした。図書館活用も節約術の一つですから許してください。ほんで、表紙の裏にこういう著者紹介があった。「普段は東京は白金で小道具屋「隠れ家」を営むが、3年前に農文協から「台所リストラ術」を出して以来、生活に根ざした独特の食生活理論と風貌のおかげか、雑誌やテレビで面白がられる機会が増えだした。しかし、時々招かれる講演先で「うおつかじんのすけ」と名前で呼ばれることはまれで「あっ、裸でベランダにワカメ干している人だ」と指さされることが多い…」いわば奇人変人、よく言えば凝り性の人らしい(ちなみに、文庫本の方はもっとまともな著者紹介になっていました)。ここに書いているすべてを取り入れたら、私も奇人変人になるので、参考になることだけを箇条書きした。●イカゲソは安い時に刺身で買う。冷凍しても味が変わらない。お湯をかけて手で揉むと直ぐにほぐれる。おでんの種、刺身、野菜炒めや煮物に。「大豆とスルメの足の煮物」大豆は一晩スルメと一緒に水につけてもどす。そのまま弱火にかけ、20分。戻したヒジキをいれ、醤油とみりんで味を整え、落し蓋して5ー6分煮たら火を止める。●昆布ははさみで切って広口の瓶に入れて置くと使える。●大豆は月に一度鍋に水を張っておいておくと膨れる。それをそのまま、中火でゆでる。沸騰したら弱火で。最初の5分は泡をとる。15-20分で湯であがる。ざるで水けをきってよく冷まし、一回ごとに小分けをして冷凍にしておく。煮豆に、ポークビーンズ、等々いろいろ使える。●ゆで卵はご飯を炊くときに一緒に入れる。●食べたら即洗う。ふきんとたわしとお湯でたいていは落ちる。●つゆびたしのつくりかた。にんじん、ジャガイモ、大根、サツマイモ、レンコン、かぼちゃなどを1-2センチの角切りか箸くらいの拍子切りにして蒸す。どンブリに野菜を入れて水を鍋の底に入れたら蒸し器がなくても大丈夫。蒸しあがったら、熱いうちに熱いうちにざるそばつゆより薄めの汁に漬け込む。冷めるまでほっておくと出来上がり。冬は沸騰しない程度に温めて、夏は冷蔵庫で冷やして。●ポークビーンズのつくりかた。大豆と豚肉スライス、薄切り玉ねぎを中華鍋に入れて中火。豚の脂身と水分が逃げないようにすれば、そのまま火が通る。その上にトマトをおろし金でおろしちゃう。塩、コショウ、好みの香辛料で味を調える。●ひよこ豆のチーズ、玉ねぎ蒸。ゆであがったひよこ豆にスライス玉ねぎ、プロセスチーズを豆の半量づつぐらい入れ、よくかき混ぜてふたをして最弱火にかける。時々ゆすればチーズはとろけ、焦げることなく火が通る。チーズの塩味で味付けは十分、好みで塩コショウ。●玉ねぎそーす。薄切り玉ねぎを油をひいて軽く炒める。弱火にして塩、コショウ、お酒か白ワインをお玉一杯いれすぐふたをする。5-6分弱火にかけて、とろけるようになれば出来上がり。おろしたトマトを入れると、スパゲティソース。おろしリンゴとおろしにんにくを入れて煮詰めたステーキソース。2016年2月18日読了
2016年02月20日
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今月の映画評は、昨年のベストワンです。「滝を見にいく」 去年映画館で観た作品は全部で122作でした。無理やりベスト10と次点20を作ってみました。私の好みはかなりマイナーなので、30まで広げれば、なんとか皆さんも知っている作品が出てくるのではないかと思います。この作品の批評が読みたいというリクエスト受け付けています。 一位 「滝を見にいく」二位 「百円の恋」三位 「おみおくりの作法」四位 「ルック・オブ・サイレンス」五位「マッドマックス 怒りのデスロード」六位 「予告犯」第七位「野火」第八位 「きっと星のせいじゃない」第九位 「0.5ミリ」第十位 「あん」 次点、順不同です。洋画9作品「アメリカン・スナイパー」「KANO 1931海の向こうの甲子園」「博士と彼女のセオリー」「薄氷の殺人」「妻への家路」「私の少女」「アデライン、100年目の恋」「007スペクター」「スターウォーズ フォースの覚醒」 邦画11作品「劇場版サイコパス」「幕が上がる」「百日紅Miss HOKUSAI」「ビリギャル」「駆け込み女と駆け出し男」「海街diary」「天空の蜂」「心が叫びたがっているんだ」「岸辺の旅」「起終点駅 ターミナル」「戦場ぬ止み」というわけで、ベスト一位の「滝を見にいく」の紹介をします。『横道世之介』の沖田修一監督・脚本。一言でいえば、「7人のおばちゃん、山で迷う」です。温泉付き紅葉ツアーに参加した中年女性たちは、ツアーガイドのミスで山中に置き去りにされてしまう。携帯もつながらず、食べる物も宿泊できる施設もない中、彼女たちはサバイバル生活を余儀なくされるのです。有名俳優はひとりも使っていません。でも山の中で悪戦苦闘するうちに、ひとりひとりのキャラクターが立ち上がってきて、それぞれが背負っている人生までが見えてくるという、神業と言っても良いような佳作が成立してしまっています。特に、じゅんじゅんこと、完全素人の根岸遥子は存在感ありました。 ケンカしたり仲よくなったり、途中からセッキーとか、ユーミンとかあだ名で呼び合うようになったり、思わず子供の頃の遊びを始めるとか、「おばちゃんあるある」があって、とても楽しい作品でした。 まったく予備知識なく観にいってぶっとびました。映画鑑賞は、こういう予期しない愉しさがあるから止められません。(2014年作品、レンタル可能)
2016年02月19日
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「安保関連法反対声明アピールを読む」北海道新聞社編あれから5ヶ月が経とうとしている。参議院選挙まであと半年しかない。私の周りはみんな大変なこだ、と言っているし、焦りを感じている。しかし、国民全体はどうなのか。まるで日本国全体が「いい湯だな」という感じで、ぼんやりしているように思える。そのまま「茹でがえる」になろうとしている。ここに掲載している声明、抗議談話、意見書、アピールは、しかし日本の「一部の声」ではない。ありとあらゆる立場の学者が参加する声明、日本弁護士連合会、安保関連法に反対するママの会、SEALDs、日本ペンクラブ、日本児童文学者協会、自由と生命を守る映画監督の会、連合、全労連、日本消費者連盟、主婦連合会、日本YMCA、NGOグリーンピース、岩手県議会、9条の会。等々等々、44の文章が載っている。日本左翼とかでも断じてなく、「良心的知識人」でもない。もっと真ん中に、ぼんやりしていなく、目を覚まして社会を見ている国民ならば誰でも当てはまるような、そんな人々の言葉と言葉によって構成されているのだ。この人々は消えていない。そのことを改めて確認して、少し元気が出た。私は「京都大学有志」より7月に発せられたこんな言葉が心に残っている。声明書戦争は、防衛を名目に始まる。戦争は、兵器産業に富をもたらす。戦争は、すぐに制御が効かなくなる。戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。精神は、操作の対象物ではない。生命は、誰かの持ち駒ではない。海は、基地に押しつぶされてはならない。空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。学問は、戦争の武器ではない。学問は、商売の道具ではない。学問は、権力の下僕ではない。生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。2016年2月17日読了
2016年02月17日
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「福島から問う教育と命」中村晋 大森直樹 岩波ブックレットNo.879(2013年8月2日発行)あの日、2011年5月27日、モスバーガーのモーニングを食べながら、たまたま見かけた朝日新聞の声欄に載っていた投稿に思う処があり、その数日後に全文と感想を入れてブログに書いたところ、何処かのSNSで拡散されたらしく、私のブログ史上最大のアクセス(約7万アクセス、そしてコメント数も95に上った)が来たことがあった。それが「福島の高校生の絶望聞いて」だった。ブログでは投稿者の名前は公開しなかったが、新聞には本名も定時制高校教師であることも載っている以上、その後の中村晋さんの進退に何か影響があるのではないか、とその反響の大きさを見て先ず思った(何のおとがめも無かったようだが、そのあと直ぐあとに予定していた全日制に移動したようだ)。その次には、謂れのない攻撃があるのではないかと怖れた。しかし、そのこともこの本には全く触れられていない。そのことを知りたくて、この本を手にとったのだが、少し拍子抜けしてしまった。その代わり、中村さんが単なる思いつきで投稿したのではなく、しっかり生徒に向き合った結果の投稿だったことを知り、嬉しくなった。先のブログでも書いたが、高校生の問いかけは物事の本質を突いており、さらに言えば未だなんの解決も見ていないと、私は思う。中村さんも「生徒たちよりも、大人たちの方がより深刻な失語状態だったと思う」(19p)と書いている。しかし、物事はまだら模様に進む。全日制の生徒の反応は鈍い。顧問をしていた文芸部の生徒は震災を表現したくないというのだ。ある生徒は云う。「わざわざ、他人の傷口を広げるようなことをして何になるんですか?」中村さんは(おそらく)ぐっと堪えて、今も一人ひとりの生徒に寄り添いながら成長の手助けをし、お互い分かち合えるような学びの場を作っているのだろう。ブックレットは、もう半分は大学の教育学准教授の大森直樹氏のデータによる、放射能の生徒に与える影響の考察である。SPEEDI活用の問題点や、除染の実態、被曝基準の問題点、等々を列挙している。しかし、この小さな冊子では十分ではないような気がした。ともかく、あの時の投稿の背景と、その後の推移が分かって良かった。2016年2月16日読了
2016年02月16日
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平和新聞2月15日号のトップ記事は「従軍慰安婦」とされた女性の国会内集会の発言を載せている。昨年末の日韓政府の合意は、日本の右翼の一部が激怒と大きな失望を持っているといわれるほど、今までの安倍政権の方針をかえて「従軍慰安婦を認めて謝罪した」ものだと報道されている。しかしながら、肝心の被害者の女性たちは反対の意思が明確である。そのことだけは、日本でも何度も報道されるが、「なぜなのか」ということは報道されない。こういうのが、日本のメディアのどうしようもないところだと、私は思う。「日本政府はいくらかのお金を提示し、合意を発表しました。私たちを無視し、私たちの知らないところで合意されました。この方法が、本当に正しいと思うのでしょうか。安倍首相には、私たち被害者の目を見て話してほしい。合意の内容や理由を直接被害者に説明したうえで、納得できるか聞くことが原則です。しかし私たちが来日しても、安倍首相は会おうとはしません。日本はかつて私たちのを強制的に連れて行き、大変な苦痛を与えました。そうした事実を否定しながら、真の謝罪は可能でしょうか。」李玉善(イ・オクソン)さん(88歳)はいいます。日本では、ソウルの韓国大使館前の銅像を撤去するか否かがことの争点のように報道していたが、こういう発言は報道されない。まったくの片手落ちである。中央大学の吉見義明教授は、年末の合意が「慰安婦制度の責任の主体をあいまいにしていること、法的責任を認めていないこと、再発防止措置について一切言及がない事、当事者の意向を無視していること」などを指摘している。こういうことに、安倍首相はきちんと答える義務がある。
2016年02月15日
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春を思わす陽気のなか、岡山市散策をしました。ランチパスポート(雑誌本のパスを提示すると、ランチがワンコインで買える)使用の後楽園前のカレー。上手く城が収まりました。景観、味ともに合格です。今日の目当ては、県立博物館でした。見たかったのは、今回初めて見る「個人蔵」倉敷市中津貝塚。磨消(すりけし)縄文という独特の文様。うーんゾクゾクします。西日本の縄文土器は、明確に東日本のそれとは違う。その辺りも最近の新しい謎です。博物館の本来の企画は「鳥取藩池田家32万石」のあれこれでした。歴史好きには常識だと思いますが、岡山藩主池田光政と鳥取藩主池田光仲は従兄弟同士です。1番びっくりしたのは、鳥取藩の参勤交代一回分の費用。なんと、3億9140万円(1957両。一両=20万円で計算)かるんですって!しかも宿代は、そのうちの一割にも満たない1940万円。足軽雇う費用とかの人足費に1.7億円、通し馬などの「駄賃」に9800万円、諸物品購入費用に7740万円とか、よくわからない費用が多い。これこそ、財政削減するベキ最たるものです。なぜ、できなかったんだろ?
2016年02月14日
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一月に観た映画の後半です。AKBはLIVE鑑賞ですが、映画館で観たということで、この中に入れました。この四作品、すべて一筋縄ではいかないものばかりです。意見があればお寄せください。「AKB48単独リクエストアワーセットリスト100 2016」衝動買いしてしまった。映画館とはいえ、初めて生のAKBライブを観た。最初37位ぐらいで「鈴掛けなんちゃら」が出て来たので「珠理奈が見れる!」と息込んだらなんとよく知らない新人がセンター。その次の「僕たちは戦わない」にも出てこない。その時にやっと気がついた。珠理奈はAKBを離れたんだ。LIVEはやはりテレビとは違う。彼女たちの本気度がひしひしと伝わってくる。西野未姫は噂とおり踊りでの目立ち度ではピカイチ。しかしあれでは単なる頑張りやで終わると思う。あれ以上行くとなれば、スローな曲になった時にそれなりの表現力をつけなくてはダメだろう。幾つかソロ曲があった。島田晴香がゴンドラ乗ってソロをやったのにはビックリ。思いのほか可愛かった。宮脇咲良が自分の曲「彼女」を唄った。LIVEで観るとはっきり分かるが、1番華があった。しかもそれ以外の曲には出てこない。運営側がいかに彼女を特別扱いにしているかを現している。岡田奈々のソロは上手いのだけど、華がない。ダメだと思う。てんとうムチューの彼女たちの賞味期限が切れかけている。小島真子は、LIVEで目立たない。10代の若い子達は、いま若いというだけで何人か光り輝き出していた。この辺りがAKBの魅力なんだろう。こじはるやまゆゆ、ゆきりんが6曲ぐらい踊ったんじゃないかな。当たり前とはいえ、良く覚えれるものだと思う。ゆきりんは自分のスキャンダルを自虐ネタに使っていた。いいのかなあ。しかも、此処がこの日のMCで1番受けていた。珠理奈、さや姉、さっしーの居ないAKBライブは正直物足りなかった。しかし貴重な体験だった。でも次は見ないだろうな。小林の卒業、宮崎の総司会、秋元才加の飛び入りなど、それなりのサプライズは用意する。ただ、映画時間は180分と書いていたので、それなりの気持ちでいたなら120分で終わってしまった。確かに23曲3時間というのは長いが、ちょっと詐欺という気がした。in TOHOシネマズ岡南2016年1月17日★★★★☆「シーズンズ 2万年の地球旅行 」自然撮影ドキュメンタリーではあるが、氷河期から現代までの自然史として演出していた。子どもへの学習映画になるのと同時に、大人への啓蒙映画として作っている。いまも氷河期から生き残っている動物(バイソン、雷鳥等々)は多数いるし、氷河期が終わった一万年前に「森」が出来て、馬や鹿、オオカミや大猫、カケス、カラスなどの生態がその時代からあまり変化していないのを利用して、あたかもその時代にタイムスリップしたかのように描くのは成功していて、興味深かった。面白かったのは、人間とオオカミの出会いの場面。オオカミは協同で狩をする。しかし、明確な順位が存在する。リーダー争いに敗れたオオカミは、独りオオカミになり冬までに新しい仲間を構築しないと飢えて死んでしまう。そんな時に、狩猟生活をしていた人類の少女に出会う。少女は食べ物を分け与える。それを食べたオオカミは少女よりも順位が下になることを了承したことになる。そうやって、オオカミは次第に人類の下位のパートナーとしての地位を獲得したのである。カラスは、最古から上手く立ち回ってきたという。賢く残り物を攫って生きてきた。それは動物が文明によって森を追われたあとも、そのまま残り同じように生きてきた。カラスは常に「傍観者」の立場を崩していないらしい。「森」はやがて「田畑」に代わり、動物たちは絶滅或いは「山」へと追われて行く。ナレーションは「自然を恐れ、自然を支配しようとした」と人間の「罪」を警告していた。西洋と日本の違いがここで出てくる。日本はつい最近まで、「自然を畏れ、崇めようとした」のである。ナレーションはやがて、「自然を支配し、環境を破壊した」ということは言及する。それは「知識が無かったから」だし、「いまは絶滅危惧種も保護し、新たな時代に入った」と啓蒙する。自然を甘くは見ていないが、やはり下位に見ようとする「立場」を崩していないと思った。日本人の「伝統的な心性」は明らかに違った作り方ではあった。しかし、日本では技術的にこんな映画作れないし、もしNHKが作ったら、やはり「自然保護」の立場で作ってしまいそうだ。人類は、地球はどうなってしまうのだろうか。(解説)2万年前、地軸のごくわずかな変化により、気候が劇的に温暖化した。氷河期が終わり、新たな生命が芽吹き始める。見渡す限りの緑の森、自由を謳歌する動物たち、響き渡る鳥のさえずり、その歌声に合わせ口笛を吹く少年。人類も、動物たちと等しく生きる森の住人だった。2万年という悠久の時間、そこで懸命に生きる生命をドラマティックに描いた感動の旅。ここには、この地球のすべての生命の希望に満ちた未来がある――。監督 ジャック・ペラン、ジャック・クルーゾナレーション 木村文乃 笑福亭鶴瓶フランス作品in TOHOシネマズ岡南2016年1月21日★★★★☆「ブリッジ・オブ・スパイ」実は「解説」は間違っていると思う。これは「世界平和の鍵を握っていたのはひとりの普通の男だった」という話ではない。この事件の前もあとも、冷戦危機は延々と続いてゆき、人質交換ぐらいで事態が云々するような状況ではなかった。おそらく解説子は「世界平和」を持ち出さなければ、つまり「大国の平和」を持ち出さなければ、集客出来ないと判断したのだろう。しかし、作品自体はそういう風潮こそに危険があるのだと、勇気を持って告発しているのである。ホントに映画的に観客を集めようとするならば、この人質交換よりも、その数年後ケネディ大統領の要請で実現した、(ドノバン弁護士が関わった)キューバとの数百人にも上る人質交換を取り上げたほうが良かったかもしれない。しかし、スピルバーグがなぜこれを取り上げたのか。それは彼が、アメリカの国益を理由にした憲法無視のスパイ裁判が、現代のイラク戦争やISとの戦いと被ると感じたからに違いない。ソ連スパイ裁判に、判事は最初から「これは民主主義国だと見せつけるための形式的なものにすぎない」という。ドノバンは、逮捕令状に不備があるので、憲法に鑑み被疑者を無罪に出来ると主張したが、最高裁の判断は5-4で有罪だった。スパイを弁護したドノバンの家に市民から実弾が撃ち込まれ、それを取り締まるはずの警官は「あんたが家族を危険に晒した」と非難する。通勤の乗客は一斉にドノバンに冷たい目を向ける。憲法よりも、愛国心を優先させる、そのことを明確に批判する映画だった。そういうアメリカの暗部を55年経ってやっと映画にしたともいえる。それは、イラク戦争やテロとの戦いで、メデイアの情報を信じて、正義を振りかざす現代のアメリカ国民そのものを批判することにもなるのでは無いか?そういう意味で、これは極めて主張の持った作品であり、こういう作品を大作で作れるアメリカの底力でもある。日本では山崎豊子の「運命の人」の映画化を現代出来るかどうか、にかかるだろう。(解説)世界が戦争勃発の恐怖に怯える中、世界平和の鍵を握っていたのはひとりの普通の男だった。アメリカとソ連が一触即発の冷戦時代にあった1950年~60年代。ジェームズ・ドノバンは、保険の分野で実直にキャリアを積み重ねてきた弁護士だった。ソ連のスパイの弁護を引き受けたことをきっかけに、世界の平和を左右する重大な任務を委ねられる。それは、自分が弁護したソ連のスパイと、ソ連に捕えられたアメリカ人スパイの交換を成し遂げることだった。本年度アカデミー賞6部門ノミネート作品賞、助演男優賞、脚本賞、美術賞、録音賞、作曲賞監督 スティーヴン・スピルバーグ出演 トム・ハンクスin TOHOシネマズ岡南2016年1月21日★★★★☆「FOUJITA-フジタ-」最初から絵画のような画が続いて、藤田のパリ生活の全貌が描かれる。説明的な展開や台詞を一切排して、彼の求めていた「美」のみが描かれる。退廃的で、自由で、彼の求める色と一本の線の世界である。「フジタ・ナイト」に象徴されるように、彼のパリでの人気がいかに高かったかが伺われる。もちろん、1920-30年代のパリは迫りくる戦争の影もあっただろうが、藤田の主観の中では、それは一切感じさせない。それは同時に、突然切り替わった日本での活動の描写でも伺われる。日本編は、藤田が日本に戻った経緯も、どのように日本の妻を得たのかも表さずに、突然「アッツ島玉砕」から始める。彼は言う「これは傑作です。私は絵が人の心を動かすものだ、ということを初めて目のあたりにしました(展示している絵の前で婦人が崩れ落ちたことを言っているのだと思える)。貴重な経験をさせてもらった。私は情景には興味がない。人物を描きたい。あの絵はチャンバラではない(戦闘場面ではない)が、動きを描いた。それは技術がないとできない。私は(技術を持っているから)心血を注いだ。満足したものができたと思う」。友人に語ったこのセリフが、藤田の絵画に対する志を最も表していたと思う。「アッツ島」は藤田の「戦争協力絵画」の代表作だと言われている。藤田は自由パリ画壇のエースから、戦争絵画の巨匠にになり、戦後は逃げるようにパリに舞い戻った「転向画家」の象徴として、戦後70年間扱われてきた。しかし、その実態はどうだったのか。藤田の関心は、藤田の「美」しかなかった。戦争とか、平和とかは一切関係なく、「不自由なく」絵が描ければよかったので、そのためにはおそらく何でもしたのだと思う。戦争絵画によって、兵隊が鼓舞されて戦場に向かうことは「関心外」のことだった。確かに、戦争と平和だけが「世界」のすべてではない。絵は世界を描くものだから、出来た絵がどう利用されようと藤田にとってはどうでもよかったのかもしれない。しかし、人間は同時に「時代」に生きている。人が死に、人が生きるのを黙ってみていることも、関係なく生きていることも、出来ない存在である。だからこの映画を見て、藤田の人生の感想を言うとすれば一言「卑怯」ということになろうか。しかし、本当にそうなのか。最後の絵をみて、私はその感想がぐらつくのを感じる。最後の場面で、フランスの小さな教会の長大な壁画が現れる。1966年作成と書いているから、おそらく最晩年のものだろう。そこには聖書に現れるありとあらゆる「人物」が美化されることなく、描かれていた。ほとんど「アッツ島玉砕」の如くぎゅうぎゅうに描かれていた。それは見ようによっては、藤田が今まで生きていた人生そのものだったのかもしれない。そういう意味では、藤田は最後まで自分の人生を完遂したのである。しかも、あの絵の中に「フジタ自身がいる」という人もいる。もしそうならば、あの絵は、藤田なりの戦争絵画を描いたとの「罪」に対する「告解」だったのかもしれない。また、明らかに重要人物として登場した加瀬亮がやったのは、「招集される若い教師」の役目なのだが、監督の意図は絶対そういうものにはなかった。延々と「村の狐のはなし」をした。極めて日本的な自然の中で営まれる日本人の姿がそこにあった。しかし、そのことを藤田が絵に描いたのかどうか、映画の中では一切描かれない。そもそもフジタは人物を描く画家であって、自然は描かないと私は思っていた。あの場面はいったい何だったのか。きちんと細かに絵を見せたのが、結局フランス協会の一枚だったので(しかも全貌ではない)、私はかなりいらついた。結局、藤田とは何ものだったのか、疑問だけが残った。(解説)第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した『死の棘』などの小栗康平監督による伝記ドラマ。フランスを中心に活動してきた著名な画家・藤田嗣治を主人公に、彼の生きた激動の時代を描く。プロデューサーは、ヒット作『アメリ』に携ったクローディー・オサール。主演を務めるのはオダギリジョーと中谷美紀、さらに『最後のマイ・ウェイ』などのアナ・ジラルドら日本とフランスの実力派キャストが集結する。(ストーリー)1920年代パリ、日本人画家・フジタ(オダギリジョー)が描く裸婦像は「乳白色の肌」と称賛され、彼は時の人となった。一躍エコール・ド・パリの人気者となったフジタは、雪のように白い肌を持つリシュー・バドゥー(アナ・ジラルド)と出会い、自らユキと名付け彼女と共に暮らし始める。やがて第2次世界大戦が始まり、フジタは日本に帰国し戦争画を描くようになるが……。(スタッフ)製作・監督・脚本 小栗康平製作 井上和子 クローディー・オサール(キャスト)オダギリジョー、中谷美紀、アナ・ジラルド、アンジェル・ユモー、マリー・クレメール、加瀬亮、りりィinシネマクレール2016年1月28日★★★★☆
2016年02月13日
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一月に観た映画は八作品。二回に分けます。今年はわりと佳作がちらほら。「母と暮らせば」(注・よく読めばネタバレ)息子の能天気な所やラストに批判があるようだけど、私はこれでいいと思う。これは計算され尽くした「父と暮らせば」の「対」の作品だから、である。思えば、宮沢りえはあの映画で見事に「男」になり切った。過去に苦しんで、過去を振り切り未来に生きる決心をする宮沢りえは男である。その対になる二宮和也は見事に「女」になり切ったと思う。死んだくせに過去の女に未練たらたらで、でも優しく男に取られたけど女を祝福する。吉永小百合は最後で本音を云う。それは人間の裏と表であり、ただ母親らしい表し方だったと思う。息子は、母とは独立して出て来ている場面は随所にあるものの、これも「父と」と同じ構造であり、母の心像風景の別バージョンに過ぎない。だから、ああいうラストにせざるを得なかった。ただ不満は、形にはまっているこういう脚本だからこそ、もっともっと自然さが欲しかった。「父と」の対なので、二人芝居ではなくて、登場人物を多くしたのだから、芝居かかった演技はやめて欲しかった。しかしこれは役者の力量不足であると、やはりハッキリと言わなくてはならない。そういう意味では加藤健一の「叔父さん」の「それらしさ」は圧倒的で独り気を吐いていた。テーマは、いつもの通り山田節の反戦である。ただし、戦争がヒタヒタと日常にやって来るという反戦では既にない。ストレートに「戦争するな。こんな悲劇が待っている」になっている。そのことは、現代の世相と無関係ではないだろう。(解説)1948年8月9日。長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で亡くしたはずの息子・浩二がひょっこり現れる。「母さんは諦めが悪いからなかなか出てこれなかったんだよ」。その日から、浩二は時々伸子の前に現れるようになる。ふたりはたくさんの話をするが、一番の関心は浩二の恋人・町子のことだった。「いつかあの子の幸せも考えなきゃね」。ふたりの時間は、奇妙だったけれど、楽しかった。その幸せは永遠に続くようにみえた―。監督 山田洋次出演 吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、加藤健一in movix倉敷2016年1月3日★★★★☆「顔のないヒトラーたち」1958年。ドイツ国内では1930年生まれの検事という知識人のヨハンでさえ、アウシュビッツのことを「保護収容所」としか認識していなかった。既にドイツの東京裁判とも言うべきニュルンベルク裁判ではわずかな戦争指導者が裁かれただけだったが、殺人の場合はまだ時効が成立していないと正義派ヨハンは考える。元ナチは既に権力の至る所に復職していた。また、普通に善良な住民として生活していた。圧力をはねのけて、アウシュビッツの普通の軍人の罪を明らかにしたのは、ドイツの「生真面目さ」であるような気がした。日本にはそれがない。映画のなかで、まるで何事もなかったように戦後のドイツ社会の中に帰っていたドイツ国民たちを観て、やっと中国でやったことを70年間一言も発さずに墓の中に持っていってしまっている、現にしまいつつある御高齢の日本の元兵士たちのことをわかった気がした。「裁かれたくないんだ!」その一点なのだ。この時のアウシュビッツ裁判で、反省の意見を出した被告人は1人もいなかったらしい。日本で、昭和30年代にこれだけのことをしていれば、日本の戦後は大きく変わっただろうに、と思う。(解説)『ゲーテの恋』『イングロリアス・バスターズ』のアレクサンダー・フェーリングが、主人公の検事ヨハン・ラドマンを演じ、『ハンナ・アーレント』で若きハンナ・アーレントを演じたフリーデリーケ・ベヒトが元先遣大隊の父を持つマレーネを演じる。監督は、ドイツ在住のイタリア人で、俳優として活躍するジュリオ・リッチャレッリが、本作で初めてメガホンをとり、自ら脚本も手がけた。戦後70年を迎える2015年、ドイツ人がドイツ自身を裁き、ドイツの歴史認識を変え、大きなターニングポイントとなったアウシュヴィッツ裁判までの苦闘を初めて正面から描いた本作がいよいよ公開される。第二次大戦の終了から70年。戦争の記憶は薄れ、若者の間ではアウシュヴィッツ収容所の存在、そこで行なわれた残虐きわまりない行為を知らない者もいる―。2015年1月、ナチス虐殺の被害者の追悼式典で、独・メルケル首相が発言した。「ナチスは、ユダヤ人への虐殺によって人間の文明を否定し、その象徴がアウシュヴィッツである。私たちドイツ人は、恥の気持ちでいっぱいです。何百万人もの人々を殺害した犯罪を見て見ぬふりをしたのはドイツ人自身だったからです。私たちドイツ人は過去を忘れてはならない。数百万人の犠牲者のために、過去を記憶していく責任があります。」(ストーリー)戦後十数年を経て、西ドイツは経済復興の波に乗り、殆どの人が戦争の記憶、自分たちが犯した罪を過去のものとして忘れ去ろうとしていた。そんな時、一人のジャーナリストがアウシュヴィッツ強制収容所で親衛隊員だった男が、規則に反し、ある学校の教師をしていることを突き止める。駆け出しの検察官ヨハンは、上司の引き止めにも耳をかさず、この一件の調査を始める。ジャーナリストのグニルカ、強制収容所を生き延びたユダヤ人のシモンとともに、アウシュヴィッツでの悪行に関わりながら、罪を問われることなく普通に市民生活を送っている元親衛隊員個々人の証拠を集め、主席検事バウアーの指揮の下、ナチスがアウシュヴィッツでどのような罪を犯したのか、その詳細を生存者の証言や実証を基に明らかにしていく。"そして、1963年12月20日、フランクフルト・アウシュヴィッツ裁判の初公判が開かれた。inシネマクレール2016年1月7日★★★★☆「黒衣の刺客」監督の文法が分かるまでかなり時間を食ったのと、やはりこの時代の力関係がよくわからないのと、道士様の意図が最後までわからなかったのと、日本の留学生があそこで登場したのが何故なのかわからなかったのと、もしかして途中から日本に舞台が移るのではと勘違いして最後まで物語の帰趨がわからなかったのと、公主を討とうとしたんじゃなくて、左遷された田云々を討とうとしたんだと勘違いしていて物語の帰趨がわからなかったのと、ともかくあの太鼓が眠気を誘って途中意識が飛んだので、結局良いのか悪いのかわからなかった。でも、あゝ唐の時代の建物は日本の寺に見事に残っているのか、と再認識したのと、日本の自然を再認識したのと、やはり湖北省の自然は素晴らしいと思った。(解説)『悲情城市』『戯夢人生』などで知られる名匠ホウ・シャオシェン監督によるアクション時代劇。唐代の中国を舞台に、暗殺者として育て上げられた女刺客の悲しい宿命が描かれる。運命に翻弄(ほんろう)される女刺客を『トランスポーター』などで国際的に活躍するスー・チーが熱演し、『百年恋歌』でもホウ・シャオシェンとタッグを組んだチャン・チェン監督が共演。さらに、日本から妻夫木聡が参加している。(ストーリー)唐代の中国、何者かに誘拐された隱娘(スー・チー)が13年ぶりに両親のもとに戻ってくるが、隱娘は道姑により非情な暗殺者として育てられていた。彼女の標的は、以前の婚約者で現在は暴君となっている田委安(チャン・チェン)だった。そんな中、隱娘は任務中にピンチを迎えるも、難破した遣唐使船の日本人青年(妻夫木聡)に救われ……。inシネマクレール2016年1月7日★★★☆☆「人生の約束」福岡の山車、京都の祇園祭、東京の山車、大阪の山車、全国にいろんな山車があるけど、富山の新湊にあんな立派な山車があるとは知らなかった。それを見せつけることには意義がある作品。高橋ひかる(新人)は、ただ佇まいだけで選ばれたのだろう。正当美少女だが、悪くはなかった。あとは、二癖ある役者を揃えているのだが、何となく作り込んだ話で乗り切れなかった。(あらすじ)会社の拡大にしか興味の無いIT関連企業CEO・中原祐馬(竹野内豊)の携帯に、ここ数日、かつての親友から何度も着信があった。共に起業して会社を二人三脚で成長させながらも、その会社を追い出す形で決別した、かつての親友・塩谷航平。電話を疎く思う反面、胸騒ぎを覚えた祐馬は、仕事の予定をキャンセルして航平の故郷に向かう。そこで祐馬が直面したのは、予期せぬ親友の死だった――。町内会長を務める西村玄太郎(西田敏行)に話を聞くと、病に冒され余命わずかだった航平は、最後に曳山につながりたいと、十五年ぶりに故郷の土を踏んでいた。親友の死をきっかけに、仕事人間だった男が親友の想いを叶えるために奔走する…監督 石橋冠出演 竹野内豊、江口洋介、松坂桃李、優香、小池栄子、美保純、市川実日子、橋ひかる、立川志の輔、室井滋、柄本明、ビートたけし、西田敏行in TOHOシネマズ岡南2016年1月17日★★★☆☆
2016年02月12日
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私の周りでは、焦りが広がっている。内閣支持率はまたもや五割台を回復した。2000万人署名をとっていても、なかなかしてくれない。なおかつ、ある女性は凹んだ顔で言ってきた。「○○さんの家はしてくれるだろうと思って行ったら、北朝鮮を見ろ、軍隊は必要なんだ、と大声でいわれて全然聴かない。もう凹んじゃう!なんか元気になるような話題はない?」「ぼくは打出の小槌じゃないんだら」野党共闘も進みそうにない。私も正直、行き詰まっていると思う。そういう時、これは元気のもらえるビデオだと思う。是非、見て欲しい。2000万人署名のポイントQ&A世の中は真面目に見れば凹むようなことばかりなのだから、あとは変えるしかないのである。
2016年02月10日
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「あしたは戦争」企画協力 日本SF作家クラブ ちくま文庫「巨匠たちの想像力」シリーズの第一弾。誰が言い出しっぺの企画かは知らないが、現代への危機感が一杯の見事なアンソロジーでした。日本のSFは大好きなのですが、案外読んでいなかったことを思い知らされました。第一弾の「戦時体制」も10本のうち、手塚治虫の「悪魔の開幕」江戸川乱歩「芋虫」しか読んでいなかった。小松左京「召集令状」(1964)に先ず唸る。突然、各家に昔と全く同じ形式の「赤紙」が届くようになる。最初は性質の悪い冗談だと思っていた人々は、次から次へと若者が忽然と消えて、大騒ぎになる。この時代の親たちは全員戦争の記憶が真新しい。連日国会デモも起き、政府も困惑するだけだったが、やがて諦めが支配する。「考えてみりゃ、おれは前にいっぺんこういう時代を経験しているんだ。その時とちっとも変らんーそれが始まっちまえば、もう個人の力ではどうにもならんのさ。誰の力でもどうにもならん。こういう時代に生まれあわせたのが、不運ってもんだ」(31p)遂には兵隊経験のあった中年課長も召集されて、彼はそう豪傑笑いをするのであった。なぜそうなったのか、という種明かしは最後にはあるが、それがこの作品の意図ではないことは明らかです。筒井康隆の名作「東海道戦争」(1965)を恥ずかしながら初めて読んだ。突然鳴り響く戦車の響き。自衛隊の交戦。実は、自衛隊が東西に分かれて戦いだしたのである。これも、理由付けは重要ではない。文章の中に軍事用語が飛び交い、ホントに戦争したらどうなるか、筒井テイストで描く。既読の手塚治虫「悪魔の開幕」(1973)は、青年誌に掲載された、たった28pの短編。独裁首相の暗殺を試みようとする青年の話である。「丹波首相は自衛隊をはっきり軍隊と言いきり、国民のすべての反対を押し切って憲法を改正してしまった」「しかも!核兵器の製造に踏み切ったのだ。日本が中国やその他の国の圧力から東南アジアの勢力をまもるという名目でだ!」「この三年間、国民の反対運動はことごとく鎮圧されてしまった」「何万人かが官憲に殺され、罪を被せられた」「もちろん野党は丹波首相の非常大権のもとで、まるで手足をしばられた猫みたいなものだ」(112-113p)まるで「2016年このあと3年後の日本」のようではないか!正に「巨匠の想像力」である。アイロニカルなラストが待っている。海野十三「地球要塞」は名前だけ聞いたことがあった。この文庫本で147pも使う長編である。第三次世界大戦がテーマだし、オルガ姫という「火の鳥」に出てきそうなアンドロイドは出てくるし、原爆を彷彿させるような最終兵器も出てくる。でも言葉使いはかなり古臭いので、私は実は1950年代か、60年代の作品だと思って読み進めていた。そして、途中で解説を読んで驚愕するのである。興味ある方は少しググってみてください(^_^;)。辻真先の「名古屋城が燃えた日」(1980)は、一家の主人が4歳の頃に名古屋空襲に遭ったという設定。80歳に手が届くお母さんの話が、かなりブラックなのですが、最後の一行で作品全体をブラックにしてしまう作品。荒巻義雄「ポンラップ群島の平和」(1991)には、戦争「文化」を祭礼行事に組み入れて平和を維持する異星人の話が紹介される。私の何代か前の先祖は地球の日系人であるが、先祖たちの古い諺に、「負けるが勝ち」という逆説的レトリックがある。ポンラップ群島の島民たちの観念も、本質的には同質なのだ。ポンラップ群島語には、戦争を意味する言語は存在しない。彼らのほうこそが、われわれのいく倍も文明人なのである。(415p)2016年2月9日読了
2016年02月09日
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「美麗島紀行」乃南アサ 集英社去年まで集英社宣伝誌「青春と読書」で愛読していた連載が一冊にまとまったので、読んでみた。著者は日本台湾文化経済交流機構プロジェクト「まごころ日本」の協力で台湾を回っているので、言葉ができなくてもディープな場所と人に出会えるという利点がある。その辺りの台湾との距離が、台湾を知り始めた私には、ちょうど良かった。読んでみると、著者は2014年末の台湾統一地方選挙の帰趨を見ている。3月の太陽花学運の出来事が、与野党逆転を演出し、そして2016年初めの新大統領誕生を作ったことがわかる。その始まりが見事に統制の取れた非暴力の運動だったことに、私は台湾人の成熟をみる。台湾人は、生まれながらにバイリンガルである。北京語、みん南語、原住民の言葉、或いは日本語、英語それらの言葉が日常的に入り混じっている。そのすべてはわからないから、家族の中でも意思の疎通がはかれない。それが当たり前になる。「身内でも余計なことは聞かないし、喋らない、そういう癖がついています。(戒厳令下で)密告されることもあった。何も言っていないのに陥れられることだってあった。だから誰も本当のことは言わない」長いこと新聞人として生きてきた人はそう言った。こういう複雑さは、日本人には想像もつかない。原住民と本省人そして外省人たちの間の軋轢、1987年まで戒厳令下にあった台湾の現実、2.28事件の未だ残る影響、そんなこんなで初めて見えてくる「親日台湾」の理由などが、今回単行本として読むとすんなり入ってくる。「台湾の人たちに親日派が多いのは、実は日本が去った後の苦難の方があまりに大きかった、その反動もある」(134p)そのように一言でいうのは乱暴だけど、一つの真実だと私は思う。著者が台湾に興味を持ったのは、東日本大震災で特別な寄付が集まったからだという。今回の台湾の地震は、その何十分の一かの「お返し」をする機会になるだろう。台南市の飛虎将軍の祠は大丈夫たったろうか。昨年の年末年始に台湾を旅したが、まだまだ満足できていない。この本を読んで行きたい処を羅列する。○台南市安南区大安街。撃墜されても村に堕ちるのを避けて神様になった杉浦茂峰を祀る「鎮安堂・飛虎将軍」の祠。朝は「君が代」夕は「海ゆかば」が必ず流されるという。○台南国立台湾歴史博物館○嘉南市の烏山頭ダムと嘉南大しゅう(大水路)、そして八田與一の墓。その前の銅像は戦時中は供出、戦後は蒋介石による破壊の危機に晒されたが、地元民により守られたという。「八田與一記念公園」もある。○花蓮県寿豊郷の台湾寺の石燈籠と狛犬。○基隆市・北白川宮能久親王の石碑。石碑の文字が削り取られている。写真も傷つけられている。2016年2月8日読了
2016年02月08日
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「BLUE GIANT 1-7巻」君塚真一 小学館JAZZ漫画である。少女漫画の中に、POP音楽やクラッシックで成功するまでを描いた作品は多くあったと思う。しかし、青年漫画で、音楽で成功するまでを描いた作品は、すみません、私、音楽映画や音楽漫画が嫌いということもあって寡聞にして聞かない。宮本大は、高校一年の時にJAZZに出会い、三年間休まずに河原でテナーサックスを吹く。やがて時々の演奏で人々を驚かし唸らせ、半年正式な訓練を積んだあとに、東京に出て来て、「才能ある同年代のピアニスト」沢辺に出会い、友人の玉田をドラムに引き入れてトリオの「JASS」を結成して、ライブで客を集めるようになるのである。第7巻までやってきて、少女漫画にあるように劇的な展開で一気に人気者になったり、ジェットコースターのような恋物語は出てこない。その代わり、一巻目の最後に出てきて、ずっとそのスタイルを保っているのだが、宮本大はどうやら将来海外のステージで大成功をおさめる大物JAZZメンになるようで、その時点でその巻で登場している登場人物たちがインタビューを受けて、「昔の宮本を批評する」という体を持っている。よって、宮本のJAZZ人生は大成功することは「約束」されている。それなのに、それだからこそ、読ませる。それは、JAZZをめぐる音楽家たちの世界や人生が「リアル」に描かれているからに他ならない。そういう意味では堂々とした「青年漫画のJAZZ漫画」なのである。7巻では、JAZZ界の武道館、有名なライブ会場のスタッフから沢辺がボロクソに言われる処で終わる。読んでいると、久しぶりにJAZZを聴きたくなるだけでなく、真っ直ぐに夢を追いかけることの「愉しさ」と「大変さ」がひしひしと伝わる。漫画大賞の候補になっているけど、大賞を獲るにはまだ早い。まだ彼らは18歳だけど、早く海外に飛翔させたい。(2015年12月に7巻まで刊行)2016年2月7日読了
2016年02月07日
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「家栽の人」全15巻 毛利甚八作 魚戸おさむ画15年ぶりぐらいに読み返した。毛利甚八氏は真から優しい人だったな、と思う。ただ優しいだけではない。桑田判事の子供の守くんがお父さんのことを評してこう言っている。「おまえ、あんな優しい父ちゃんに甘やかされて育ってるからな」「そんなことないよ。うちのお父さん、怒ると誰よりも怖いよ」「嘘つけ!」「本当だよ‥」「感情的に怒ってるんだったら、子供もつきあいやすいけど、なんたって冷静だからね。許せないって言った時は、もう絶対に許してくれないの」「妥協がないっていうか、融通が効かないっていうか‥。ま、裁判官だから考えが正確すぎるんだよね」(14巻12p)これはそのまま毛利甚八氏の自画像にもなっているだろう。氏の遺作「『家栽の人』から君への遺言」で、私はこの作品に対する毛利甚八氏の人知れぬ悩みを知った。一作一作を血のにじむような推敲で作り上げたことなどや、それでも現実に桑田判事などは居ない、と知った時の落胆、そして数年間の休筆ののちに思い切って描かれた三巻に及ぶ大長編と、以前のような一刀両断の切れ味をわざと無くした処から人気もなくなり連載打ち切りまで、私は知ることになった。第7巻で、粋がっているだけの青年に、桑田判事を野原で殴ろうとして草を切り倒しただけの青年に、草の種が数十万粒持っていることを教えて、「君の暴力なんて、草一本殺すことはできないんだよ」と言う。青年がハッと気がついた処でこの短編は感動的に終わるのである。しかし氏は、その後「そんな簡単には人は変われない」し、「学校や教育委員会も、更には裁判制度にも構造的な問題を抱えている」ことに気がつく。そして学校の体罰問題に絡んだ長い長い長編を描くことになる。著書によると、現実の事件に取材し綿密に描いたらしい。「一粒になった数珠玉、これが今の君です。いつかきっとわかる時がくる」(15巻)現実にはそう簡単に「わかる」ことが出来ないことを知っているから、氏はこんなにも長い長編を描いた。数珠玉は一粒では生きられない。ホントだよね。佐世保の少女の同級生殺害事件は更に深刻だった。氏は、彼女に向けた「いつかきっとわかる時がくる」言葉を、残りの命のすべてを投げ打って書いた。第15巻において、桑田判事は、裁判を引き受けたために、少年に直に接し傷害事件を止めることができなかったと後悔する。判事は湖面のような平静な顔で「私はいま混乱しています」という。誰よりも自分に、冷静に、怒っていたのである。その20年後、そんなことがないように毛利甚八氏は生きたのだ。2016年2月6日読了
2016年02月06日
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「マンガがあるじゃないか わたしをつくったこの一冊」河出書房新社編「そうだ!マンガがあるじゃないか」ふらっと寄った本屋で、この本を見つけてそう思ったのは何故か?別に人生の岐路に立っていたわけではない。面白い本があれば買って帰ろう、という軽い気持ちだったのである。題名に惹きつけられたが、買うほどのものではないことはわかっていた(伊達に約50年間も本屋巡りをしていない)。29名もの寄稿となれば、玉石混交は避けられない。図書館で借りるために、ブクログに登録したのであった。と、そうやって本棚から離れて他の本を物色しているうちに、しかし待てよ、と思う。新刊だ。図書館にリクエストして届くのは、早くて一ヶ月後、悪ければ半年後だ。こんな本は今読みたい、とふと思った。値段は高いが、飛び切り高くはないし、読むのはあっという間という類の本だ。幸い今は買う気満々で来たから手許には金がある。というわけで、結局その日は200円の雑誌とこの本を「衝動買い」してしまった。内容はほぼ予想通りだった。本格的な漫画批評と呼べるものはひとつもなかったのである。しかし、私は満足した。「マンガがあるじゃないか」この言葉に、私の人生何度救われてきたことか。「たかがマンガ、されどマンガ」。そのことを再認識するためだけに、蔵書として、この背表紙をマイ本棚に貼り付けるの意義はあったのかもしれない。この本は「14歳の世渡り術」シリーズの一冊で、中学生向けに書かれた本なので、私の満足いく文章がなかったからと言ってこの本の価値が低いと言っているわけではありません。念のため。2016年2月4日読了
2016年02月05日
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2016年 02月号 [雑誌]表紙写真は2015年9月19日、安保法制が参議院で可決されたことを受け、国会前で抗議する市民。Photo by REUTERS/lsseiKATO今号の見どころは、なんと言っても26人の提言である。そしてそこにあるのは、極めて高い危機意識であった。以下、印象に残った言葉を拾ってゆく。●若者よ自由であれ、賢くあれ、そして蛇のごとく疑い深くあれ。(山田洋次・映画監督)●私たちは性根を据えて安倍内閣と対決しなければならない。それができなかったら、日本の行く末に対し取り返しのつかない禍根を残し、これから育っていく子どもたちの未来を奪うことになるのは確実である。このことを正面に見据えて、時代の動きを逆転させるための運動を構築すること、それを今年の私たちの最大の目標とすべきなのだ。(池内了・天文学者)●(世界最強で経験が1番豊富なアメリカでさえ、タリバンやISのテロ組織を壊滅できなかったのに)安倍内閣は米国一辺倒の外交を続け、テロや戦争の対応も米国と一線を画すことなく、武器輸出にも舵を切りました。(井筒高雄・元陸上自衛隊レンジャー隊員)●安倍首相は「戦争はしない」という。けれど「レールを取り除く」とは言わない。レールがある以上、機関車は走る。このまま走れば、戦争を担った若者の死傷で国民は揺すぶられる。10年後か、15年後か‥、その時はすでに安倍政権ではないだろうから、彼に責任はないことになる。誰が責任をとるのか。それだけに今日が問題なのである。(略)君たち、私たち、機関車を止めるしかない。大事なのは言葉、会話、対話を紡ぎ、編み込むことではないだろうか。(大石芳野・フォトジャーナリスト)●君たち若者こそが未来の日本を創り出す当事者である。政治はいやだ、とそっぽを向いても、政治は疑いようもなく君たちの人生そのものをからみ取ってしまうに違いない。(大田昌秀・元沖縄県知事)●(後藤健二さん事件の時に安倍政権を批判した私は「テロリストの仲間か」と攻撃されたが)もし大勢の犠牲者を伴う「テロ事件」が日本で起きた時には、あの時と同じような言説が、あの時と比ではない猛烈な勢いで社会を覆い尽くすことは、ほぼ確実のような気がしている。(略)(その時に安倍は)その「好機」を逃すはずがない。彼はまず火事場泥棒のごとく、「緊急事態条項」を通そうとするだろう。(略)同時に自衛隊を「テロリスト掃討作戦」や空爆などに参加させるべきだと主張するのではないだろうか。(略)2016年は私たちにとって、相当きつい正念場になるような気がしてならない。(想田和弘・映画監督)●何も過半数の人を変える必要はない。15%の市民がデモなど目立つ行動をすれば、すべての人がそうしているように見える。この「15パーセントの法則」を、私は世界各地の取材で実感した。(伊藤千尋・国際ジャーナリスト)2016年2月3日読了
2016年02月03日
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五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後 / 三浦英之 【単行本】戦前の満州新京(長春)には、五族協和の理想を宣伝・実践するために作られた国際大学があった。各地のエリートが集められたその大学寮では毎夜、大学内だけに通用する「言論の自由」を得て、喧嘩のような議論が行われる。しかし、日本の敗戦のあとに卒業生たちはバラバラになる。彼らは或いはアカと言われ、或いは親日スパイと疑われ、厳しい戦後を過ごす。2010年から取材を始めて80ー90歳の最後の生き残りの声を拾っている。非常に貴重な記録があるのではないかと思って読み始めた。貴重どころではなかった。私は「新たな日本の近現代史」を発見したのかもしれない。満州建国の本質は植民地である。建国大学の本質は日本帝国主義の未熟で未完成な教育機関にすぎない。それを認めてもなお、そこで学んだ日本民族、漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族の若者の理想のぶつかり合いが、見事な「友情」と「見識」を産んだのを、この本で私はまざまざと見せつけられた。戦後、再び大学に入学して大学講師になった百々和(ももかず)91歳は、遺言を残すかのようにこう言った。「建国大学は徹底した『教養主義』でね」と百々は学生に語りかけるような口調で私に言った。「在学時には私も『こんな知識が社会に役に立つもんか』といぶかしく思っていたが、実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていた時に、私の精神を何度も救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。」(101p)「あの大学では毎晩、異民族の連中と『座談会』を開いていただろう。議論に参加するには知識や理論構成力だけでなく、何よりも勇気が必要なんだよ。自分の意見が常に正しいなんてあり得ない。時に論破され、過ちを激しく責められる。発言者はその度に自らの非を認め、改めなければならないんだ。そして、議論で何かが決まったら、その決定には絶対に従う。建国大学が当時、学生に求めていたことは、『時代のリーダーたれ』ということだった。それでは、『リーダーとは何か』と尋ねられれば、私は今もこう答えると思う。それは『いざという時には責任をとる』ということだ。リーダーに求められる資質とは、ただそれだけのことなんだよ。いざという時には、責任をとる。それは易しいように見えて実は難しく、とても勇気のいる行為なんだ。何かあった時に必ず自ら責任をとること。建大生はその点においては、徹底的にたたきこまれていた」(104p)映画監督森崎東の兄の森崎湊の自決や、台湾の怪物李水清の世の中を観る眼力、抗日運動を組織した楊増志、韓国首相にまでなった姜英勲、『藤森日記』を遺した藤森孝一、彼らの人生を知ると、教養が彼らを死にいたらしめ生かしたのだとつくづく感じるし、70年経ってもなお一気に燃え上がる友情は、あの寮生活で育まれたのだと知るのである。京大教授の山室信一は、日本人は近代史を日本列島史だと思っている、という。しかし、満州、朝鮮、台湾に生きていた人たちも日本の近代史を生きていたのである。私を含めて、日本人はまだまだ『発掘すべき近代史』を持っている。私はこれまで、朝鮮や台湾を旅して来た。やはり数度は中国、特に満州だった処にいかねばならない。2016年2月2日読了
2016年02月02日
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「黄泉の国の光景 葉佐池古墳」栗田茂敏 新泉社愛媛県松山市の郊外、未盗掘の長方形円墳からわかる当時の埋葬儀礼。6ー7世紀にかけて行われたその埋葬の仕方から、記紀が示す黄泉の国の光景を再現する面白い考古学の本である。この前、出雲の猪目洞窟遺跡と黄泉比良坂を訪ねたばかりで、非常に興味深かった。大きな成果は、記紀に云うモガリ或いはヨモツへグイ、コトドワタシの存在と具体的な行為が確認出来たことである。遺体にハエの蛹のカラ(ニクバエ、ヒメクロバエ)があったのだ。これは死亡すると、少なくとも3ー4日は石室外、しかもある程度光量のあった夏の頃のある場所に置かれたことを意味する。つまり、おそらく一週間ほどそのまま腐りかけたままにするモガリ屋はあったのだ。イザナミが食べたヨモツへグイ(黄泉の国の食事で、これを食べると黄泉の国の住民になる)も明らかになった。短頸壺の中に蛤の殻が上を向き一枚だけあった。焼いた跡はないので、調理すみの貝を入れたか、そのまま入れたか。蓋はきっちり閉めずに少し開けて置く。二号石室には、カワシンジュガイやカラスガイが使われていた。因みに、古墳から海まで14キロある。二号石室内での儀式を終え、羨道を通り、閉塞石(記紀では千引の岩)を積み上げる前に、ここでは馬具を置いていた。他には割った土器などを置くという。これは記紀に云う「コトドワタシ」だろう。この古墳には、二号石室の最終埋葬後の撹乱が行われている。この古墳には五号石室まであり、四号石室は石室ごとに破却されている例もあり、この古墳を巡る一族に特別な「事情」があった可能性があるという(私は、二号被葬者の最終埋葬後に跡目争いがあったとみる)。墳丘に馬骨が埋めてあった。これは殉葬ではない。下顎のみの出土だった。鎮魂の呪術的な意味があったのだろう。特に「コトドワタシ」に馬を使うのは珍しく、この一族と馬との関わりは大きいかもしれない。一号石室では、子持器台のパーツをわざと外していた。また墳丘から出土した破片400の土器は、何も接合するものは一点も見当たらない。畏怖や再生阻止の念から、毀損したり、破壊した可能性。パーツはモガリ屋で使った等々の可能性がある。筆者は、被葬者一族はこの地方で須恵器生産に関わった渡来系一族だと見ている。これら埋葬儀礼が、大和から遠く離れた一般貴族までに浸透していたことに私は驚く。そして、だからこそ記紀にあるイザナミ・イザナギ神話も生き生きと作られたのだろう。しかし、その前提となる「黄泉の国」思想は、猪目洞窟遺跡などの遺体安置状況からくる「死者と共に暮らす」弥生時代から続く人々の風習から来たに違いない、と私は思うのである。2016年2月1日読了
2016年02月01日
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