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気が付けば、私は現在三つの労働組合に所属している。そのうちの一つの大会に出た。「平和学」を唱えた安斎育郎氏の講演が付いていたからである。久しぶりに安斎育郎さんの講演を聴く。(手品含めて)騙されない極意は「そんなことができるなら、どうしてこうしないのだ」と問いかけること。「世界平和度指数」というのがあるのを初めて知った。160数カ国のうち、米国114位、北朝鮮153位に比べて日本9位で良いように見えるが、安倍政権になって3位から下り坂らしい。日本が良いのは、憲法があるからです。今日は、大切な沖縄知事選。四年前の知事選に行ったから知っているが、沖縄は本土では考えられないようなデマやフェイクニュースが飛び交う選挙だ。安斎さんの言葉を思い出して、多くの人は騙されないが、大量に出されると、何が真実かわからなくなって、選挙に行く気がそがれるようだ。しかし、そのデマを出している当人たちはそれこそを望んでいる。しかも今回は公明党が前面に出て、期日前投票は前回の四倍だという。今日が台風で沖縄が暴風圏内だったならば、目も当てられない結果になっただろう。いま、非常に危ない。沖縄の人は今日は必ず投票に行ってほしい。
2018年09月30日
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「ビッグイシュー343号」ゲット!表紙は、毎週連載4コママンガの「マムアンちゃん」を描いているウィスット・ポンニミットさん。可愛い女の子がずっと出ていたので、ずっと作者は女の子だと思っていた。イケメン男性でした。吹き出しの文字が独特で全く読めないので、イスラム語だと思い中東の作家なのだとずっと思っていた。タイの作家とは思わなかった。正にマンガは世界共通語だね。特集は「セルフマーケットのはじめ方」。リード文は以下の通り。人は物を交換するためマーケット(※)を開き、それが町の始まりとなった。開かれた広場や交差点などの路上は町の中心になっていった。たとえば、英国では今も身近で日常的な居場所としてマーケットはスーパーよりも愛されている。建築家の鈴木美央さんは、日本と英国でマーケットを研究し、自身も埼玉県で「Yanasegawa Market」を主催。「仮設でできるマーケットが高齢化や過疎化など、日本中の課題を解決するのではないか」と語り、3人寄れば誰もが気軽に〝セルフ・マーケット〟をはじめられると言う。山梨県には出店者を女性に限定したマルシェがあり、女性のスモールビジネスを応援する「マンマメルカート」がある。和歌山県には楽しく働く大人が集まる〝理想の商店街〟をつくりだし、若者とまちをつなぐ「Arcade」がある。3つの事例とマーケットのはじめ方の秘訣も紹介したい。路上を公共空間に変える〝セルフ・マーケット〟、はじめてみませんか。※市、マルシェとも。日常的な買い物の場をいう。日常的な居場所“マーケット”が、日本中の課題を解決する糸口に鈴木美央さん誰でもできる、マーケットのはじめ方!6つの“成功の秘訣”山梨「マンマメルカート」出店は女性に限定、200店舗が軒を連ねる和歌山「Arcade」子どもや若者に働く大人の姿を見せたい一夜にして現れる“理想の商店街”出店の仕方ではない。運営の仕方です。でも、考えてみれば、身近にたくさんマーケットやらマルシェやら市場などが開催されている。古代から市場はあった。ていうか、昔はそれのみがほとんど流通機構だった。岡山県には長船福岡の市という有名な市がある。「一編上人絵伝」に詳しく描かれていて、中世の貴重な資料だ。今でも側の国道を走れば、二日市やら五日市やらの地名が残っている。こんな地名は、全国何処にもあるけど、たいていは毎月二日や五日と決めて市を立てていた名残だろう。水島で毎月第二第四日曜日朝に開かれるフリーマーケットや、最近公園や寺の境内でちょくちょく開かれるマルシェ、細長い岡山市表町商店街で毎月や時々開かれる2種類のマーケットなど直ぐに思い出せる。 「こんなマーケットを、こんな場所で開いて欲しい」と思えば、自分でやればいいのだ。という発想はなかった。ノウハウを鈴木美央さんが「マーケットでまちを変える」(学芸出版社)で書いているらしい。なんかの時に読んでみよう。「判決、ふたつの希望」を撮ったジアド・ドゥエイリ監督のインタビュー記事があった。岡山には10月にやってくる。必ず観ようと思っているが、いい解説だった。「AIに仕事を奪われない!1番のセーティネットは読解力」という記事で、私は例題として出ていたテスト二題とも正解だったので、ちょっと一安心。高校生でも、65%、28%の正答率というのは、やはり本を読め!ということなのか。
2018年09月29日
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「出雲国風土記 語り継がれる古代の出雲」島根県立古代出雲歴史博物館 編集・発行今年の正月に博物館で手に入れた。けれども、ここの図録はAmazonでも買える(巻末にまだ在庫のある図録一覧も載せておいてくれると、帰ってから購入し易いのだけどなあ)。島根県立古代出雲歴史博物館の開館10周年記念企画展図録(2017年)である。かなりチカラが入っている。観覧はしていないし、私の興味は弥生時代なのだが、それなりに面白かった。出雲国風土記は、ほぼ完本として存在する唯一の風土記としだけではなく、私には多くの点で大和政権に影響を与えた国、つまり大和政権の合わせ鏡として見ることで、大和政権の歴史、ひいては、私の生涯テーマである「倭国統一」の真実にたどり着く材料のひとつになる可能性があることで、興味深い。押さえていかなければならないことは、現代の写本は細川家本(1597年)であり、原本自体も733年(天平5年)である。倭国統一(3世紀末)から、隔たること450年近く。それを踏まえて見なくてはならない。上下巻で中央に提出されたのは重要な意味があるらしい。巻物だから、最初の辺りが良く読まれる。つまり「国引き神話」と「杵築大社(出雲大社)創建伝承」が両方とも重要なアピールポイントだったというわけだ。神話が重要なのは当たり前だ。現代もある(はずの)大社の由来が何故重要だったのか。そこに、倭国統一の出雲側からのアピールがあったのだろう。出雲国風土記の特徴として、神社を400もリストアップしていることがあるという。問題は現代にその遺跡の片鱗もほぼ皆無であるということだ。その理由は、神様は樹木か岩、または山麓に設けられた神祭りのための「空間」だったからではないかという。私も同意だ。この信仰形態は四百年ぐらいでは変わらないと思う。実際現代に見る重要な社である意宇の杜の実態は樹木なのである。国引き神話には、八束水臣津野命(やつかみずおみづぬみこと)が、「出雲は若くて小さい国」なので大きくしようと新羅を見ると土地の余りがある。それで引き寄せたのが「八穂米支豆支(やほしねきづき)」の御崎(出雲郡)、とある。その他、隠岐や北陸から狭田国(さたくに)(志谷奥遺跡辺り?)、闇見国(くらみこく)(松江市の東北部)、三穂の崎を引き寄せている。当時、そこを祖先とする人々が住んでいたのだ、とする解釈が最も自然だろう。200年で10代ぐらい変遷するから20代変遷前までは辿れないかもしれない。2018年9月読了
2018年09月28日
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「街場の読書論」内田樹 潮新書初めて内田樹を読んだ。なるほど、一部では評判のリベラルな哲学者の言っていることは、例えばこんなことなのだと独りごちた。この本の多くはブログから採っているという。本を読み、友と語らい、大学で講義を持ち、本を書き、毎日のようにブログを書き、その文章も編集部が編集してくれて本になる。何十冊という本を出しているのも宜なるかなと思う。そして活計(たつき)を得ている。若干共感できるところがある。私も毎日のようにもう13年もブログに文章を書いていて、まとめればおそらく10冊以上は本が出来上がるだろうから。もちろん、質は棚上げして、であるし、だからと言って活計を得ていない私を不満とは思わない。そうではなくて、内田樹の思想には共鳴する所も反発する所もあるが、総じて好感を持った、ということである。最もなるほど、と思ったのは「非実在有害図書」論(426p)。青少年健全育成条例における「有害図書」の正体についての考察である。その論理は省くが、多くの自治体がこの「当たり前の論理」を無視して暴走しているし、内容は変わるが、政府も、いろんな法案に対する「当たり前の論理」による批判を無視しているのだな、と感想を持つ。批判すべき所もあるが、5000字以上必要だというので省く。そもそもそんな力入れて書いても仕方ない。「書物が商品として市場で売り買いされるようになったのは、せいぜいこの200年のことである。書物の歴史はそれよりはるかに長い」(476p)というのは、次になるほど、と思った。私が何故自分宛でもなく、広く大衆に向かってでも無く、ブログを書いているなか?分かった気がした。2018年9月読了
2018年09月26日
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岡山での展示は24日で終わりましたが、高倉健展をレポートします。23日に行きました。高倉健に思い入れはほとんど無い。けれども、日本を代表する俳優の回顧展を近くの美術館で開く。映画のファンであり、博物館フェチでもある私は行くべきだと思った。博物館フェチとして図録も買ってしまった。予算オーバー(3500円)だったが、フェチとして仕方ない。高梁市成羽美術館は、安藤忠雄設計である。これで来るのは3回目なのだが、今回は大幅に展示替えしていて、3回も迷った。迷わすのが目的の設計なのだから仕方ない。この特別展では、205本の出演映画作品の映像を全て、順番に映し出している。デビュー作 は「電光空手打ち」(1956)である。まさかの姿三四郎張りの空手映画。最初から主演だった。以降、ほとんどの作品は主演か、それに準ずるものだ。イケメン俳優として前面に出して、当時石原裕次郎が同期としての他社からニューフェイスで売り出していて、高倉健は東映の看板としてデビューした。1956年だけで11作に出演している。背の高いハンサム男の佇まい。私は、大根と言われても仕方ない演技だと思った。57年10作、1958年13作に出演。この頃はまるでテレビドラマのように作品が作られる。美空ひばりとは何十となく共演している。吉永小百合もそうなのだが、ホント美空ひばりは映画スターだった。1958年、観客動員数は最高を数えた。以降映画は下り坂になる。最初の頃から、愚連隊、軍人、ヤクザ的な男、一方では背広を決めた金田一耕助や学生服姿、会社員等の真面目な男。ともかく最初から堅物というイメージで通っている。演技はやはり、表情のバリエーションはあまりない。昨今のアイドルの方がバリエーションはある。そして、ラブシーン(キスなど)は恐ろしいほど無い。高倉健が極端に嫌ったらしい。晩年と違う所は、よく動き、よく喋る。よく喧嘩する。1963年は八割がたヤクザ、ギャングものだった。1964年。遂に「日本侠客伝」シリーズが始まる(全11作)。表情が生き生きしてる。堅物で朴訥ではあるが型にはまらず最後に怒りを爆発させる高倉健に、世の労働者は共感したのだろう。藤純子とこの時から共演。助演は歌舞伎俳優の萬屋錦之介。型の歌舞伎から高倉健の大きな代替わりだった。1965年。日本侠客伝続編にも出て、「飢餓海峡」、「宮本武蔵」などの話題作にも出ていた。この年から「網走番外地」始まる。1966年。しかし、網走番外地って、こんなに作られているんだ(全10作)。1966年。「昭和残侠伝唐獅子牡丹」。完全に「パターン」を作っている。1968年。異色作も二作あった。佐藤純弥監督の外国映画みたいな「荒野の渡世人」、西口克己原作の時代劇「祇園祭」。あとはヤクザもの。1969年「非牡丹博徒花札勝負」藤純子の非牡丹シリーズ始まる。この年侠客、ヤクザものはなんと11/12作に及ぶ。1971年。「任侠列伝」のチラシを見る。この作は鶴田浩二が主演で高倉健は2番目。次が藤純子。この三人が三枚看板とチラシに書いている。しかし、藤純子は1972年に引退する。この頃から任侠もの自体が作られなくなってゆく。10年以上任侠ものが作られ、さすがに「飽きられ」てきたのだ。1973、4年。「ザ・ヤクザ」外国の脚本の厚い表紙付きの脚本がすごい。「ゴルゴ13」で使用された型と同じサングラス展示。興味深い。この年は半分は侠客ものではない。明らかに「転機」である。高倉健も時々ヤクザでも拳銃を使っている。そして高倉健は、76年に東映を卒業する。まるでアイドルの卒業のようだ。出演作のカラーもガラリと変わる。1976年から78年で5作品だけ。しかしヒットした。これで名実ともに映画スターになったと私は思う。即ち「君よ憤怒の河を渡れ」(76)「八甲田山」(77)「幸福の黄色いハンカチ」(77)「野生の証明」(78)「冬の華」(78)である。この頃から映画は、豊富な予算と大規模な広報戦略を伴う大作主義に移るが、高倉健はその中の最重要俳優だった。高倉健の抑揚のない朴訥な喋りが、演出にマッチした幸せな作品群である。「幸せの黄色いハンカチ」の脚本を見た。細かい所で、勇作のセリフ「こいつと一緒にならなかったら俺は二度と幸せになんかなれない」を「幸せになれんかもしれん」と自然の言葉に直していた。このあと、年一本ペースで映画出演。「南極物語」(83)の過酷なロケ。きちんとした役作りをしていた。少しの表情の変化が、多くのことを物語る幸せな時期。この時期に至っても惚れ惚れするほどのイケメン俳優である。実はリアルタイムで映画館で見始めたのは「鉄道員」(99)からだ。思いもかけず泣いた。大根だと思っていた高倉健で泣けたのが我ながらショックだった。佇まいだけで、全てを語っているように思わされた。この時初めて高倉健をすごいと思った。日本ではあまりヒットしなかったが「単騎千里を走る」(06)はとても良かった。後期は、5年10年7年6年と次回作の間隔が空く。2012年「あなたへ」が遺作である。2014年、没年83歳。1972年、京都東映撮影所で「望郷子守唄」の撮影が行われていた時、テレビでは浅間山荘の中継が映されていた。楽屋でメイクをしながらテレビを見ていた高倉健は、助監督の関本郁夫に向かい「こんな日に撮影なんて出来ねぇよな」とつぶやく。小沢監督に伝えて、この日の撮影は中止になったという。高倉健は連合赤軍の思想に共鳴していたわけではない。ただ、極寒の浅間山麓で冷水を浴びながら闘う者たちを暖房の効いた控室で見ていることに耐えられなかったのだと、関本は証言する。(伊藤彰彦「映画俳優高倉健」)それはおそらくホントだろうし、私は十分に信じることが出来る。高倉健が高倉健として映画スターになったのは、そういう「優しさ」だろうと、私は205作のフィルモグラフィーを観てそう思うである。
2018年09月25日
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次は弥生文化博物館で開催された「弥生のマツリを探る」展である。以下はそのチラシだ。展示意図説明は以下のように書いていた。弥生時代の祭祀。これは大陸から新たに導入された信仰に縄文時代からの伝統が複雑に絡み合うとともに、列島で独自に発達をとげた部分も大きい。描かれた絵画、呪術的文様、銅鐸、銅鏡、 粘土や木で作られたさまざまな造形物など、もの言わぬ出土祭器が発する2000年前のメッセージは読み取れるのか。マツリの場、祭場の姿はどのようなものだったろうか。これまでの研究を踏まえ、弥生人の心に大胆に迫っていきたい。チラシに1部載っているが、正面に「マツリ」を行っているのを、金関怒館長(当時)が監修しながら描いた絵をドンと置く。即ち、シャーマンが鳥の服、鳥の仮面の装いで、祈っている。銅鐸の鐘を鳴らし、鹿の生け贄を捧げ、村の至る所に鳥を模した鳥竿を立てる。住民は「歌舞音曲」を奏で歌い踊りながら参加している。この絵の根拠を以下の展示で紹介する。シャーマンの造形はこれら、人物を描いた弥生土器を基にしている。特に、弥生中期の雁屋遺跡出土の人物の異様な装束は何なのだろう。かなり飾り立てていたのだろうか?股間の⚪︎は、男性器ではなく女性器を表していると確か図録に書いていた。私には、男性器に見えるのだけど。仮面はあまり用意出来なかったようだ。島根県古浦遺跡の朝鮮系土器やト骨があるのは、金関館長が発掘したものなので、借り出されたと思われる。西川津遺跡や堀部第一遺跡の土笛もその関係だろう。鳥がなぜ神の使いとなるのか?私は「魂を運ぶ」機能だけを想像していたが、ここには「穂落神信仰」を書いている。渡り神が落とす稲穂から農耕が開始されたという信仰である。どちらにせよ、そこには豊かさだけを目にしていた弥生人の生活が見える。鹿や魚の自然の恵みも平和な弥生社会が見える。土偶の流行は、縄文と弥生の相剋があったと見る。賛成である。びっくりするのは、亀井遺跡の分銅型土製品。吉備のそれと、全く変わらない。吉備人が来ていたのか。男根型の祭祀については以上の通り。平和な弥生社会。それはやがて大災害と戦争によって、新しい神が登場することを用意して行ったのではないか?龍は水を司る。そして、個として隔絶していた。だから、暴走することもあり、その呪的パワーは普段は縛り付けて「コントロールする」必要があった。それを体現するシャーマンが現れた時、それまでのシャーマンとはまるきり違う人として現れたのではないか?今迄の祭祀は、途絶する必要があった。それはやがて、吉備の特殊器台によって、神に憑依する大王として制度化される。此処に置いて、弥生時代は終わろうとしていた。この「まとめ」の文章で、ひとつ瞠目したのは、弥生晩期の同盟の契機は、「経済的要因もあったかもしれないが、宗教同盟が強かったのでは」と書いている所である。そうかんがえると、確かにすっきりする。新しい視点をもらった、いい展示だったと思う。
2018年09月24日
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8月20日、21日に大阪に行き、古代のふたつの企画展を観てきました。ひとつは、近つ飛鳥博物館の「百舌鳥・古市古墳群に学ぶ 古墳と水のマツリ」展。もうひとつは、弥生文化博物館の「弥生のマツリを探る-祈りのイメージと祭場-」である。百舌鳥は(もず)と読むらしい。(もずちょう)ではない。ところが、府内の人には当たり前の読み方かもしれないが、私のように少し考古学を齧った者でさえ、どっちだったかなと思ってしまうのに、この博物館や図録に、何処にも読み方の振り仮名がつけられてなかった。改善を求めたい。このふたつの企画展、飛鳥博物館の方は写真NOだったので、図録を基に紹介したい。弥生文化博物館の方は、写真はOKだったし、図録も買ったのに、岡山に帰って気がついたのであるが、青春18切符をなくした居酒屋に置いて来たのか、帰りの電車に置いて来たのか、なんとなんと図録が何処にもなかった。切符と同時にこれも痛恨の失敗である。幸いにも、写真にかなり説明書も写した。それらを追記しながら、私の感想も載せたい。「百舌鳥・古市古墳群に学ぶ 古墳と水のマツリ」の博物館開催趣旨は以下の通り。 世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群では、これまでの発掘調査や研究により古墳時代の王権や社会の様子を考える上での 重要な情報が蓄積されています。なかでもさまざまな形象埴輪で表現された場面の中に、大王が執り行ったさまざまな儀礼が 再現されているとする研究があり、大王や首長の活動を知るうえで注目される成果といえるでしょう。 今回の企画展では百舌鳥・古市古墳群における最新の調査、研究成果の中から、 水のマツリにかかわる資料を取り上げ、百舌鳥・古市古墳群をはじめとする王権や周辺の集落でとりおこなわれた 儀礼について考えてみたいと思います。これではなんの説明にもなっていないが、飛鳥博物館のメイン展示は巨大な大山古墳(仁徳天皇陵古墳)のジオラマなので、とまれ世界遺産実現がこの博物館の全てのようなので仕方ないのかもしれない。今回展示のメイン遺物は、誉田御廟山古墳の陪塚である狼塚古墳から出てきた「導水施設型埴輪」である。ポスターに復元形態が示されている。狐塚型の不完全な形は、つい最近金蔵山古墳の作り出から出土したもので見た。囲い型埴輪は囲い込んでいなかったし、導水施設(今日よく見たら、導水施設を引き込む穴は開いていた)はなかったが、家形埴輪は出土していた。四世紀末の古墳であり、この狼塚は五世紀前葉らしいから、金蔵山はこの囲い型マツリの初期段階ということになる。そして完成形の一つがコレということだ。出土状況はコレ。囲い型埴輪に囲まれた閉鎖的な空間の中に、玉砂利を敷き詰め、木樋形土製品を中央に置いている。他には不完全ながら多くは囲い型埴輪と家形埴輪が出ている(野中宮山古墳、長屋1・2号墳、野中古墳‥写真)。以上が古市古墳群。百舌鳥古墳群の御廟山古墳(五世紀前葉)からは完成形の家形埴輪を収めた囲い形埴輪が出土しているようだ。綺麗に入口がついているのが、特徴。また、ここからは「円筒埴輪状土製品」が出土した。形状は円筒埴輪に似ているが、小型で表面がナデ調整されている。内部に礫が詰められていて、井戸枠にも見える。(私は水道の通る道のように見える)いったいどのようなマツリだったのか。被葬者が生前、囲い型埴輪のように秘密裡に行っていた水のマツリをなんらかの形で再現するマツリだったのではないか?というのが筆者の意見のようだ。書いていないが、木樋が使われていること、玉砂利があることなどから、「浄水」を得るための、王様だけが出来る「秘技」を使っていたのかもしれない。水のマツリの集落遺跡においての例で纒向遺跡の導水施設が紹介されていた。四世紀前半の施設。木樋(もくひ)や集水枡(ます)が出土。同時に導水施設に先行する溝から見つかった祭祀用木製品、孤文円板等が見つかり、木樋の上に祭祀用土器、また周りからは半島系土器が見つかっている。この一帯が祭祀に関わる場所であった可能性が高い。建物との前後関係を含めて詳細は不明だが、木樋を伴う導水施設として最古段階で、初期ヤマト政権成立期において導水施設のマツリが重要視されていたことがうかがえる。導水施設マツリ以前では、井戸のマツリが行われていたようだ。展示の土器は、大井戸の周りで見つかった銅鐸の文様に類似する流水文のスタンプを押された土器。近くの柱は紀元前52年に伐採されたことが確かめられている。亀井遺跡(弥生時代中期)の井戸を埋める時に入れられた土器からも流水文が。水が再び湧くことを願ったのでしょうか?八尾南遺跡の井戸(弥生時代後期前半)からは、龍の線刻が施された土器が。やはり井戸廃絶時の儀礼のひとつ。水を司る龍信仰がここまで来ていた、しかも後期前半という時期が示唆的。古墳時代以降では、讃良郡条理遺跡(大阪府寝屋川市高宮)の奈良時代中期から平安時代初期の灌漑用の井堰から見つかった、人面墨書土器というものがある。人や鬼の顔を墨書し、疫病や穢れを土器に封じ込め、水に流すことで祓う祭祀行為だと言われている。これだけは、面白かったので、写真に撮らせてもらった。人の顔でも、鬼である。悪意があると思われるのだが、なぜか憎みきれない顔なのだ。現代人の私の感覚がおかしいのだろうか?その他、ここからは底部穿孔土器、絵馬、人形、祭串が多量に出土。牛や馬の骨も出土。五世紀中頃行われたといわれている動物殉葬(犠牲)が、引き続き行われていたようだ。ここまで証拠を揃えられると、人の殉葬はなかったかもしれないが、動物殉葬は広く行われていたのかもしれない。もっとも、骨以外の土馬や絵馬が広まるのではあるが。この図録は、かなり専門家向けに書かれていて、結果、結論が回りくどかったり、わかりにくかったり、ダメだなと思った。
2018年09月23日
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ピースエッグの合間に、せっかく来たので日本遺産であり国宝の閑谷学校を30分ほどで急いで観た。写真に撮れなかったところは、閑谷学校顕彰保存会が発行している「閑谷学校資料館図録」を元に説明する(この図録、博物館フェチとしては、私の専門外(江戸期)ですがとても力の入ったいい図録です。1540円)。江戸時代初期の三大藩主に数えられる池田光政は、庶民の子供にも読み書き、算用及び孝悌の道を学ばさせるために、岡山城下及び領下に123もの手習い所を設置していたが、藩財政窮乏のために次第に統合され、光政の遺言で閑谷学校に統合される。家老津田永忠(ながただ)は18世紀初めに、閑谷学校を完成させる。それにより「日本最古の庶民のための公立学校」になる。写真は校門から見た楷の木及び聖廟。学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀は、創建当時のまま。国宝である講堂遠景。創建当時は茅葺きだったが、津田永忠が堅牢な「備前焼き瓦」に葺き替えた。閑谷学校の見所は、何と言ってもこの講堂の「中」である。私は、おそらく中学校の時に、学校行事でここに来た。この講堂の板敷きに正座して座り、論語の講義を受けた(はずだ)。途中から痺れが切れて何を聴いたのか、まるで覚えていない。でもそのあと、数百人の生徒が一斉にこの板を乾拭きしたのは覚えている。300年前から、ずっと鏡のように見えるこの講堂に少しだけ貢献出来たようで、嬉しかった。もう40年以上前の話である。まるきり変わらず、時が止まったように、今も鏡のような講堂がとても嬉しい。聞けば、今も月数回、研修生迎えて論語の講義があって、そのあと乾拭きしているらしい。飲室。教師と生徒が湯茶を喫した休憩室。炉の火の始末は、とても厳しいものだった。習芸斎。毎月3と8の日に五経と小学の講釈が行われていた。いったいどのくらい庶民がいたのか。資料館に慶応4年(1868)の入学内訳がある。それを見ると、入学者54名のうち、15名は家中武士、医者の弟子や子供8名、庄屋大庄屋の子供14名、一般農民の子供と見られる者が14名、その他2名だった。ホントに庶民に開かれた学校だったのだ。池田光政は、教育を重視した。それは正しく、儒教に基づく仁政を理想としたのであって、現代福祉教育思想とは中身を異にしてはいる。この書は光政1678年元旦の試筆。「願わくは、実義を明らかにし、広く群英を育て、上は主徳を尊び、下は斯民を庇はんと、こいねがはくは、夙夜、はじの生ずる所無からんと。儒教興隆。天下泰平。延宝六年。正月元旦、光政」しかし、その理想主義が庶民教育を実現した。明治時代、福田英子等の英傑が城下から出たのは偶然ではない。また、この閑谷学校の経営を安定させるために、光政、津田永忠は近隣田畑を無税にして、その利を学校経営に当てた。津田永忠は、建設と経営安定時期には、離れに家を建てて住み着いていたらしい。その跡が残っている。資料館は、明治38年に建てられた閑谷中学校を使っている。この建物がそのまま重要文化財だ。きちんと見るには、2時間ぐらい必要な、いい施設だったと思う。
2018年09月22日
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私の参加している日本平和委員会の全国的な若者企画が岡山でありました。岡山の若者が一年かけて準備してきた企画を当日少し手伝ったので、その内容をレポートします。9月15日から17日の3日間、岡山県青少年教育センター閑谷学校において、ピースエッグ2018inおかやまが開かれました。高校生含めて、全国の青年が学び合い、語り合い、「たまご」から「ひよこ」に成長することを目指して、15県から約90人が参加しました。1日目は六つの分科会に「ジェンダー」「世界」「働き方」「教育」「憲法」「ハンセン病」に分かれて学び、お互い自己紹介などをしながら交流をしました。これは教育分科会で、学生生活でいやだったこととよかったことを話してまとめたもの。これは憲法分科会で、普通の日常生活の中に憲法を感じるものを書き出しています。数字は憲法の条文番号です。2日目はしもいふく平和委員会会長のUさんと沖縄支援に行ったSさんを迎え沖縄の現状と連帯の話を聞いて、班でグループトーク。午後からはメイン企画、ホロコースト教育資料センター代表の石岡史子さんを迎えて講演「なぜホロコーストを記憶するのか」。豊富な写真資料や見聞を元に、ワークショップやパネルディスカッション、グループトークなどを行い、歴史や社会に向き合う姿勢を学んでいきました。写真は石岡さんの講義です。3日目は、これまでの学んだこと、語り合ったことを「班宣言」として発表。各々の想いをまとめましたピースエッグは、10人以下のグループ(班)で行動することが、基本です。それぞれの班で話されたことを最終日に「班宣言」として発表するのが、第一回からのお約束。6班に分けて行われた班宣言は、25年前に、吉備高原都市の青少年自然の家で行われた第三回岡山ピースエッグと比べて、とっても洗練された楽しいものでした。それぞれの発表を私なりにまとめて発表順に紹介します。⚫︎桃のイラストを割ると3匹のサルが出現。「ハンセン病学習で長島愛生園に行った。昔の話にしてはいけない」「ジェンダー学習で、男女の話をしっかり聴こうと思った。意識が変わった」「グループトーク。皆真剣に聞いてくれる。言わなくてもいいと思っていたことも、言いたくなっちゃった」⚫︎桃からヒヨコ登場。「個の自分を大切にしないと、差別と戦争を生み出してしまう」「今沖縄は民主主義の戦闘地域だ」「初めて参加。自分の意見を持てるようになった」⚫︎道行く人にインタビュー。「平和とは人権を尊重すること」「ありのままの自分を認めてくれた。そんな風に変わりたい人を支える人になりたい」⚫︎平和を作ろう。フライパンに7つの材料を入れる。「向かい合う、自分の頭で考える、1人の痛みに耳を傾ける(刺激注意)、自分のものにする、私らしく生きる、想像力(大さじ)、それぞれの平和観(隠し味)」⚫︎シジミ太郎が、イヌサルキジと雇用契約して鬼退治。イヌ「鬼を倒してもいいのかな。私たちと鬼とを隔てているものは何だろう」サル「命の重さは同じ」キジ「ホロコーストもヒトラーだけじゃなくて社会的背景があった」オニ「話がある」みんなでお互い話し合うことになりました。⚫︎平和高校3年C組夏休み明けの会話。「沖縄に行ってきた。基地ひどい」「基地は必要だ。外国の軍隊が攻めてきたらどうする?」「9条で守られている」「加害の歴史も知るべき」「私はピースエッグでホロコーストの講演聞いた。ナチスがユダヤ人を迫害するのを助ける市民がいた。現代につながる」石岡さんの言っていたダイアローグ(聴く、話す、考える、問いを立てる、否定しない、掘り下げる)を再現した、とのこと。
2018年09月21日
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「終わりと始まり」というエッセイ集において、2012年末の衆院選挙結果にかなりがっかりしたようで、池澤夏樹は以下のような文章を書いた。池澤夏樹の「思想」が、ある程度明らかになっている部分だと思うし、私は明確な違和感を覚えたので、演習ゼミの先生たる池澤夏樹先生に物申してみたい。「物語」の喪失(「終わりと始まり」より)「分岐点は1968年だったのだろう」と池澤夏樹は書く。それまで、「マガジン」も「ガンダム」もゲームも理解できなくても、文学があったから、「世の中は良くすることができる」「そのためには社会は変えることができる」(ここに飛躍があるのだけど、加藤周一風に解釈すれば、そのためには人の価値観を変える必要があるので)「文学は役に立つ」と思っていたという。「五月革命がなしくずしに消滅して、つまり革命という大きな物語が失われて」「あのあたりで人は革命という物語がないままに生きる道を本気で探り始めたのだろう。大東亜共栄圏も社会主義も、民主主義さえ、たぶん幻想」(162p)と池澤夏樹は書く。革命をあきらめたから、村上春樹が読まれている、ゲームが流行っている、と池澤夏樹は現代を「分析」する。そういう「フレーム」を宇野常寛と古市憲寿の本を読んで思ったのだという(加藤周一ならばこんな本は絶対読んでいないだろうと思ったが、それはまた別の話)。私も正直、革命が来る、ということを信じられなくなっている。だからと言って「大きな物語」がなくなったという実感はない。何故ならば、私には考古学があるからである。一年間のうちの大晦日の午後に、人々は「文学」を獲得して「戦争」も始めた。けれども夏の頃から既に「物語」は繰り返し繰り返し語られていて、人々は世の中を変えて来たのだと、私は信じている。「今日はちょっと大変だったけど、1日の終わりになってなんとか平和を取り戻した」そんな物語があと少しして語られる時が来ると信じている。池澤夏樹先生、私の意見、間違っていますか?
2018年09月19日
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「終わりと始まり」池澤夏樹 朝日新聞出版社2008年の末に亡くなった加藤周一の「夕陽妄語」に代わり、2009年4月から池澤夏樹の連載が朝日新聞紙上で始まった。 私はその前後に20年近くとっていた新聞購読を中止したので、このエッセイを読んだ記憶がほとんどない。本格的に加藤周一連載の後継に落ち着くことも、実は幾分疑っていた(それまでは暫定的に大江健三郎の連載があった)。あれから10年近く経って、既に二巻目が出ているこの本の第一冊目をやっと読んだ。池澤夏樹は加藤周一の後継であると思っていたわけでもなく、期待していたわけでもない。それでもやはり新聞後継連載のエッセイを読んでみるのが怖かったのだろうと推察する。題名の意味が不明だったが、加藤は漢詩から採ったが、池澤は「さりげないものがいいと思って」外国人の詩から採ったことが、今回知れた。いい詩である。2年後に詩の内容が現実(震災)に追いついたのは、偶然である。読んでみると、池澤夏樹は多くの点で違っていた。文学よりも、旅の話が生き生きと語られる。ともかく池澤夏樹は「行動的」である。被災地に何度も通った。加藤も震災後神戸に訪れているが、その比ではない。もちろんだから優劣をつけるわけでもない。最新のマンガや映画の内容を何度も俎上に載せる。古典を大切にしていた加藤とかなり違う。日本に帰って住んだ土地である沖縄と北海道の話題が多くを占め、「戦後日本文学の1番大事な作家」と評価する石牟礼道子氏の関係か、水俣の話題も多かった。3.11の後からは、少なくとも2年間の2/3は震災関連話題で占める。古今東西の遠くに広がらず、比較的身の回りの話題が多いというのは加藤周一のそれとは違うだろう。しかし、教養はやはり古今東西に広がっており、社会を批判的に見る目は比較的鋭い。イサム・ノグチが好きだから、政治の話をしないわけではない。むしろ積極的にしている。これらは「夕陽妄語」の伝統に似るだろう。加藤周一は私にとっては、仰ぎ見る大先生だった。池澤夏樹は大学で演習のお世話になっている先生のような気がする。学ぶべき所は多いが、時々は「それは違うでしょ」と言いたくなるのである。ともかく、読み継いでいきたいと思った。2018年9月読了
2018年09月18日
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「県労会議機関紙」に連載している今月の映画評です。「ワンダーウーマン」一見は胸躍るエンタメです。マーベルコミックシリーズ(スパイダーマンやアントマンが活躍する世界)に対抗するDCコミックシリーズ(スーパーマンやバットマンが活躍する世界)のひとつとしてこれを観ました。ところがその後、敬愛する映画評論家の町山智浩氏が、パティ・ジェンキンス監督が作ったこの作品を高く評価している文章を読んで意見を変えました(参照『「最前線」の映画を読む』)。ジェンキンス監督にとっては、男たちの女性虐待を糾弾した「モンスター」(シャーリーズ・セロンがアカデミー主演女優賞)のあと14年目にやっと作った作品でした。そのせいか、単なるスーパーヒーロー映画ではなく、様々な寓意を含んだ「映画史における女性の描き方を大きく変えた傑作」になっています。人間(マン=男ともとれる)を救うために、女だけの島アマゾンを離れて、ワンダーウーマンことダイアナ(ガル・ガドット)は第一次世界大戦中のロンドンに赴きます。戦争指導者会議に乗り込むと「どうして女を会議室に入れるんだ!」と怒鳴られたりします。西部戦線に到着すると、膠着状況をダイアナは一挙に変えてしまいます。塹壕を一歩一歩梯子を上がる姿はジャンヌ・ダルクの故事を踏まえているだろうし(英語では女性の社会進出を「梯子を登る」という)、ダイアナの後ろに英仏連合軍の兵士が続く場面は、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」を彷彿させるでしょう。ダイアナの装備は基本的には、全ての攻撃をはね返す腕輪と真実を語らせる鞭だけです。防衛力のみでドイツ軍を蹴散らしてきたダイアナは、人間に扮した軍神アレスを殺せば、自動的に戦争を終わらす事が出来ると信じていたのですが、やがてそんな単純なことではないことを悟ります。人間を見限りるか、困難な道を選ぶかの選択に、ダイアナは後者を選ぶわけです。「どんな人間でも希望はある、大事なのは何を信じるか。私は愛を信じる」と言って最後にキリストのように戦場に降り立つダイアナは、平和の女神でした。原作は女性解放運動に根ざしていて、監督はそれをエンタメに仕上げたのです。シリーズの他の作品に出ているワンダーウーマンは別として、ジェンキンス監督の作品は多くの隠喩そして社会性を隠しています。それを見つける楽しみも知ってもらいたくて、今回はこれを取り上げました。(2017年米国作品)
2018年09月17日
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後半の四作品です。特に「沖縄スパイ戦史」はこの時点マイベスト出ました!「沖縄スパイ戦史」とりあえず、いまのところこの作品がマイベストワンです。戦後73年目の夏。ギリギリのタイミングだった。当時14歳から18歳の少年たちが証言をするのは、1年遅ければ何人かが語れなくなったかもしれない。絶妙のタイミングだった。当時、軍人に協力した住民たちがいなくなったからこそ、口を開き始めた人もかなりいたと思われる。必要なタイミングだった。今沖縄南西諸島に次々と配備されるミサイル基地。自衛隊基地が出来てしまえば、「軍隊は住民を守らない」だけではない。有事が近づけば「住民を利用」し、「住民を監視」することが、正にその場所で、たった70数年前に起きた。しかもたった1年足らずで。純粋な中学生ぐらいの子供を徴用する。スパイとして有効に使えるだけではない。子供を人質に使えるのである。陸軍中野学校の恐ろしいほどの、これはスパイ戦術ではない、人非人の戦争技術である。おそろしい。有事法制で、特定秘密保護法で、しだいと可能になっている。昔の再現なんてあり得ない、という保証はどこにもない。自衛隊の最高法規「野外令」を見る限り、沖縄の出来事を一切反省していないのは明らかである。波照間島の住民を1/3、500人近くを強制移住させてマラリヤ感染で死亡させた山下(偽名)も、一切反省の言葉を語らなかったではないか。波照間島の碑文が強烈である。「山下(偽名)のことを赦しはしても、決して忘れない」。公の碑文にこんな文句を見たのは、私は初めてだ。また、住民をスパイ疑惑で、軍人に密告したと思われる人が雄弁に語ったフィルムを、この映画は記録している。「あの時代は、殺さなかったら殺される。貴方とは認識が違う!」恐ろしい。過去の話ではなく、現代のこととして、とてつもなく恐ろしいドキュメンタリーが出来上がった。岡山では、一週間の上映期間しかなかった。ほとんどの日本人は観ていないことになる。大勢の「日本人」に観てほしい。(解説)第二次世界大戦末期、米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。第32軍・牛島満司令官が降伏する1945年6月23日までが「表の戦争」なら、北部ではゲリラ戦やスパイ戦など「裏の戦争」が続いた。作戦に動員され、故郷の山に籠って米兵たちを翻弄したのは、まだ10代半ばの少年たち。彼らを「護郷隊」として組織し、「秘密戦」のスキルを仕込んだのが日本軍の特務機関、あの「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校たちだった。1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。ある者は偽名を使い、学校の教員として離島に配置された。身分を隠し、沖縄の各地に潜伏していた彼らの真の狙いとは。そして彼らがもたらした惨劇とは……。長期かつ緻密な取材で本作を作り上げたのは、二人のジャーナリスト。映画『標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』で現代の闘いを描き続ける三上智恵と、学生時代から八重山諸島の戦争被害の取材を続けてきた若き俊英、大矢英代。少年ゲリラ兵、軍命による強制移住とマラリア地獄、やがて始まるスパイ虐殺……。戦後70年以上語られることのなかった「秘密戦」の数々が一本の線で繋がるとき、明らかになるのは過去の沖縄戦の全貌だけではない。映画は、まさに今、南西諸島で進められている自衛隊増強とミサイル基地配備、さらに日本軍の残滓を孕んだままの「自衛隊法」や「野外令」「特定秘密保護法」の危険性へと深く斬り込んでいく。2018年8月25日シネマクレール★★★★★http://www.tongpoo-films.jp/OSS_B5_H14_Z.pdf「グッバイ・ゴダール」題名になっているのだから、彼女とゴダールが別れるのはもちろん、その理由さえも途中までで明らかであり、なんの驚きもない。ゴダールをリスペクトしながらも、カリカルチャしているのは予想出来るのであるが、なにしろ私はゴダール作品を一作とも観たことがない。よって、批判しているのか、からかっているのか、わからない。また、それがわからないので、日本よりも遥かに本格的だと聞いていたフランス五月革命について、批判しているのか、冷めた目で見ているのか、それが正しいのかもわからない。当然ゴダールのとる態度もわからない。もう一つの見所は、当時のファッション、音楽、映画についてだろうが、どれだけ再現性が素晴らしいのかもわからない。もう一つの見所は、「映画とは何か」ということだろうと思う。一つの自動車の中での6人の延々800キロに及ぶケンカの場面は、いかにも映画らしいシチュエーションであり、裸になる必然性が台詞に出た途端に2人が完全ヌードを披露するのは、正しく必然性を伴うだろうが、映画文法の使い方である。上手いと思う。しかしだからと言って、素晴らしいことにはならない。私にとって素晴らしい作品は、あくまでも共感出来るテーマが如何に緊張感持って2時間前後の枠の中に納めさせるか、ということだからだ。それによってのみ、私は映画の魔法を感じる。この作品のテーマを「映画とは何か」だとすれば、いろんな点でわからないことが多すぎ、判断出来ないということになる。主演女優の魅力はあった。(解説)ジャン=リュック・ゴダール監督作『中国女』で主演を務め、彼の妻となったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説を映画化。若くしてゴダールと出会い、ミューズとなったアンヌが彼と過ごした刺激的な日々を描く。アンヌ役に『ニンフォマニアック』シリーズなどのステイシー・マーティン、ゴダール役に映画監督フィリップ・ガレルの息子ルイ・ガレル。『アーティスト』などのオスカー監督ミシェル・アザナヴィシウスがメガホンを取った。(あらすじ)パリで哲学を学ぶ19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキー(ステイシー・マーティン)は、映画監督のジャン=リュック・ゴダール(ルイ・ガレル)と恋に落ち、彼の新作『中国女』で主演を務める。新しい仲間たちとの映画作りやゴダールからのプロポーズなど、初めて体験することばかりの刺激的な日々にアンヌは有頂天になる。一方パリでは、デモ活動が激化していた。(キャスト)ルイ・ガレル(ジャン=リュック・ゴダール)ステイシー・マーティン(アンヌ・ヴィアゼムスキー)ベレニス・ベジョ(ミシェル・ロジエ)ミシャ・レスコー(ジャン=ピエール・バンベルジェ)グレゴリー・ガドゥボワ(ミシェル・クルノー)フェリックス・キシル(ジャン=ピエール・ゴラン)監督・脚本・製作ミシェル・アザナヴィシウス2018年8月25日シネマクレール★★★★「カメラを止めるな!」最初の全体の1/3のノーカットワンテイクのゾンビ映画は、正にB級ゾンビ映画であって、この後どんな仕掛けが来ても(「この映画は2度始まる」というのが作品の謳い文句)、この1/3がある限りダメだな、と思っていたのだが、一応それさえも伏線だったというのは、まあまあのアイデアでした。ともかく話題の作品なので、チェックするのが私の義務です。結果は、悪くはないんだけど、今年を代表する作品かというとそうでもない。というとっても中途半端な評価になりました。どうしても、低予算の限界というのがあって、クオリティは低くならざるを得ないのです。でも300万ではなくて、一千万近くかけたぐらいのクオリティは持っています(あの大阪のおばちゃんプロデューサーはよかった)。よくがんばっている。演技(特に劇中主演女優の演技)、ロケハン(もっと仕掛けが欲しい)、脚本等々少しだけ詰めが甘い部分がある。(解説)監督&俳優養成スクール・ENBUゼミナールの《シネマプロジェクト》第7弾作品。短編映画で各地の映画祭を騒がせた上田慎一郎監督待望の長編は、オーディションで選ばれた無名の俳優達と共に創られた渾身の一作だ。国内では「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018」でゆうばりファンタランド大賞(観客賞)を受賞。無名の新人監督と俳優達が創った”まだどこにもないエンターテインメント”を目撃せよ!監督 上田慎一郎出演 濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、長屋和彰、細井学、市原洋、山﨑俊太郎、大沢真一郎、竹原芳子、吉田美紀、合田純奈、浅森咲希奈、秋山ゆずきhttp://kametome.net/index.html2018年8月30日TOHOシネマズ岡南★★★★「検察側の罪人」思いもかけず骨太だった。アイドル映画の欠片もなかった。木村が悪ぶった善人という何時もの役割じゃない、闇を深くする役割をしていつもの大根役者の悪い所があまり見られなかった。正義とは何か。検察はストーリーを作って、罪人を仕立てる。それが検察のやり方である。そう教え込めれた沖野は、しかし最後は反対の方向に行く。「こうやって冤罪は作られてゆくのね」立花さんが呟き冤罪の構造そのものをくっきり浮かばせた。骨太の映画だったという所以である。映画的な行き過ぎの趣向は、そのおまけみたいなものだろう。原田眞人監督だということを失念していた。しかし毎年毎年自ら脚本まで書いて、よくも作るものだ。いかにも映画的な映画でした。顧みれば、原田眞人監督はいつも「正義」をテーマにしている。「八月の1番長い日」「関ケ原」如りである。(解説)ある殺人事件を巡り、2人の検事の対立を描く。都内で発生した殺人事件。犯人は不明。事件を担当する検察官は、東京地検刑事部のエリート検事・最上と、刑事部に配属されてきた駆け出しの検事・沖野。最上は複数いる容疑者の中から、一人の男に狙いを定め、執拗に追い詰めていく。その男・松倉は、過去に時効を迎えてしまった未解決殺人事件の最重要容疑者であった人物だ。最上を師と仰ぐ沖野は、容疑者に自白させるべく取り調べに力を入れるのだが、松倉は犯行を否認し続け、一向に手応えが得られない。やがて沖野は、最上の捜査方針に疑問を持ち始める…。監督 原田眞人出演 木村拓哉、二宮和也、吉高由里子、平岳大、大倉孝二、八嶋智人、音尾琢真、大場泰正、谷田歩、酒向芳、矢島健一、キムラ緑子、芦名星、山崎紘菜、松重豊、山﨑努2018年8月30日TOHOシネマズ岡南★★★★http://kensatsugawa-movie.jp/sp/index.html
2018年09月16日
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8月に観た映画は8本でした。二回に分けて紹介します。「天命の城」朝鮮王朝の戦争を描いたのは、これが初めてかもしれない。朝鮮半島は、常に大陸や日本からの侵略の歴史だった。しかし、朝鮮王朝は奇跡的にその独立を保って来た。何故独立を保つことができたのか?巧妙に世界の力関係を図り、それでも儒教の教えを守って決して「大義と名分」を失わなかったからだ、とおそらく韓国人は思っている。しかし、それが危機的に脅かされることが何度かあった。その幾つかは、秀吉の侵略(壬申の乱)、朝鮮併合(朝鮮の植民地化)、そして「丙子の役」(清の侵攻)である。敵を打ち負かすことも起きずに、外交で危機を乗り越えたのは、おそらく「丙子の役」だけだろう。先ずは王様の世界の力関係の見誤りがあった。籠城に最も適した退却のタイミングも逸した。その上で「大義と名分」を失えば、朝鮮王朝は瓦解するだろう。謝ることは、大義と名分を失うことなのか?否か?「王様、彼らの言う大義と名分は、いったい何のためですか? まず生きてこそ、大義と名分があるのでは」アメリカと日本と中国の力関係を図り、その独立を保とうとする現代韓国の、課題を見せた作品である。(解説)清の軍勢12万人に包囲された、1万3000人の朝鮮朝廷は、進むことも退くこともできない孤立無援の“南漢山城”に逃げ延びる。生き残る唯一の道は、清の臣従に落ちること。恥辱に耐えて民を守るのか、大義のために死を覚悟で戦うのか。同じ国への忠誠を持つ、二人の家臣の異なる信念の闘いの末に、未来のために下した王の決断とは―。リーダーである王の決断、臣の覚悟、そして民の平和。切迫した逆境で起こる、三人の男のスリリングでドラマティックなぶつかり合い。国の天命を背負った彼らの誇り高き生きざまは、「いま、なにが民衆のための選択なのか」というテーマを我々に鋭く突きつけ、380年余りの時を経た現代社会に、深く共感できる大切なメッセージを伝えている。朝鮮歴史上最も熾烈な「丙子の役」と呼ばれる闘い。その最後の47日間を、5カ月にも及ぶ極寒の中でのオールロケ―ションを決行し、初めてスクリーンに描いた感動の歴史大作。最高のキャスティングとスタッフが集結!そして、坂本龍一の音楽が奏でる感動の旋律。清との和平交渉を突き通す大臣ミョンギル役には、『王になった男』以来の歴史時代劇の主演となるイ・ビョンホン。常に冷静沈着な善意のキャラクターを高潔に演じ、平和への熱い想いを深い演技力で伝える。大義と名誉を重んじて、徹底抗戦を貫くサンホン役には、『哀しき獣』など骨太なカリスマ性を魅せる、時代劇初出演のキム・ユンソク。激しく対立する大臣たちの間で苦悩する朝鮮の王を、パク・ヘイルが演じている。監督は『トガニ 幼き瞳の告白』のファン・ドンヒョク。音楽は世界的巨匠、坂本龍一が韓国映画を初めて手掛け、現代的なシンフォニーに韓国の伝統音楽を取り入れ、物語の普遍的な感動と迫力を重厚なサウンドで盛り上げる。(実際の歴史)当時の時代背景1608年に即位した光海君は、外交が巧みだった。当時、中国大陸では、長く統治していた明と新興の後金が激しく争っていたが、光海君は両国と戦略的な二股外交を展開して、朝鮮王朝の領土を守っていた。 しかし、光海君は1623年にクーデターによって王宮を追放された。クーデターを主導した仁祖が代わって即位したのだが、彼は明に追随して後金を卑下する外交を展開した。これが後金の怒りを買い、後金は1627年に大軍で攻めてきた。 朝鮮王朝は武力で後金に歯が立たなかった。仁祖は都の漢陽を捨てて江華島に避難した。そのうえで、講和会議を重ねて後金の怒りを解こうとした。条件は後金を支持することだった。 従来から朝鮮王朝は明を宗主国のように崇めていたのだが、その方針を変更せざるをえなくなった。それを条件に、後金は大軍を引き揚げた。 しかし、仁祖は後金と交わした講和条件を守らなかった。 怒った後金は国号を清と変えた後、1636年12月に12万の大軍で再び攻めてきた。またもや仁祖は江華島に逃げようとしたが、すでに清の大軍が迫ってきており、漢陽の南側にある南漢山城に避難するのが精一杯だった。 1万3千人の兵と一緒に南漢山城で籠城した仁祖。その間に、清の大軍は漢陽で略奪と放火を繰り返した。 民衆は悲惨な状態になった。観念した仁祖は籠城をやめて、1637年1月に漢江のほとりまで出てきて、清の皇帝の前で額を地面にこすりつけて謝罪した。 朝鮮王朝が始まって以来の屈辱だった。 そればかりではない。莫大な賠償金を課せられ、数十万人の民衆が捕虜となり、仁祖の息子3人も人質として清に連れていかれてしまった。 仁祖の失政が前代未聞の惨状を招いたのである。2018年8月2日シネマ・クレール★★★★http://tenmeinoshiro.com/info/「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」いつもの通りのミッションでした。美女が3人出てきて、「あり得ない」展開から「あり得る」結論に至る「安心の展開」を遂げるという意味ではまあ安定のドル箱でしょう。でも、もうトム・クルーズはあんなアクション出来ないだろうから、代替わりすべきではとも思う。いや、そうなればこのシリーズも終わりだ。終わらすべきだ。これでレベッカ・ファーガソンは、IMFのメンバーになったという認識でいいのかな。(STORY)盗まれたプルトニウムを用いて、三つの都市を標的にした同時核爆発の計画が進められていることが判明する。核爆発阻止のミッションを下されたイーサン・ハント(トム・クルーズ)率いるIMFチームは、犯人の手掛かりが名前だけという困難を強いられる。タイムリミットが刻一刻と迫る中、イーサンの行動に不信感を抱くCIAが放った敏腕エージェントのウォーカー(ヘンリー・カヴィル)が現れる。(キャスト)トム・クルーズ、サイモン・ペッグ、ヴィング・レイムス、レベッカ・ファーガソン、アレック・ボールドウィン、ミシェル・モナハン、ヘンリー・カヴィル、ヴァネッサ・カービー、ショーン・ハリス、アンジェラ・バセット、(日本語吹き替え)、DAIGO、広瀬アリス、森川智之、根本泰彦、手塚秀彰、甲斐田裕子、岡寛恵、中尾隆聖、田中正彦(スタッフ)監督・製作・脚本:クリストファー・マッカリー製作:J・J・エイブラムス、トム・クルーズ上映時間148分http://missionimpossible.jp/sp/2018年8月9日movix倉敷★★★★「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」故人のドキュメンタリーなので、証言と白黒フィルムと写真がずっと続く退屈なものになるかと危惧していたら、編集が上手く、しかも熱を帯びていて、まるで1人の半生を描く伝記映画のようだった。つまり、一つの事件が起きると、興味を引くようにカメジローの心情を日記等を使って描き、それを受けるように証言を入れて他人視点を入れてゆく。これはエンタメ小説の描き方だ。カメジローを主人公にNHK大河ドラマを作れば、それはそのまま戦後の日本を照射することになるだろう。彼の人生はかっこいい。刑務所に入れられて、数日のうちに刑務所の暴動を治め、病気で見殺しにされそうになり、出所の時には大勢の人に迎えられ、その日のうちに数万の歓迎集会で演説をする。正に映画になる、小説になる。私が力あるプロデューサーならば絶対作ります。即ち何が言いたいかというと、退屈しないいいドキュメンタリーだった。「カメジローは神様のようだった」複数人が証言する。占領下の沖縄で、カメジローを聞くだけのために十万人が複数回集まったのは、今の沖縄の結集率さえ本土の我々にとっては驚嘆以外の何物でもないのに、凄いというしかない。本人のカリスマ性は、もっともっと掘り下げていい。映画やドラマがダメならば、腕のいい小説家がエンタメ小説を書かないだろうか?つまり、こういう映画や小説が日本で広く読まれないことが、日本の不幸なのだと私は思う。「不屈」の言葉は、どのような経緯で那覇市庁舎に刻まれたのだろうか?今度行った時には是非訪ねてみたい。カメジローの生涯はまさに不屈な生涯だったが、娘さんが「カメジロー本人は沖縄こそが不屈なのだ、と言っていました」という言葉がとても印象的だ。元気な頃の翁長知事が何度も県民集会に姿を現す。翁長知事はカメジローほどのカリスマ性はなかったかもしれない。けれども、沖縄のカリスマ性は受け継いでいた。県知事選挙、頑張るしかない。カメジロー、翁長と続いた不屈の精神を沖縄は、今度も体現するに違いない。連帯支援していきたい。(解説)本作は、「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、筑紫哲也氏の薫陶を受けた 佐古忠彦 初監督作品。作品の主旨に共感した 坂本龍一 による、オリジナル楽曲書き下ろし。さらに、語りには、名バイプレイヤー、大杉漣 が参加。アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ男、瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画。なぜ、沖縄の人々は声を上げ続けるのか、その原点はカメジローにあった━。第二次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人"弾圧"を恐れず米軍にNOと叫んだ日本人がいた。「不屈」の精神で立ち向かった沖縄のヒーロー瀬長亀次郎。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させた。彼を恐れた米軍は、様々な策略を巡らすが、民衆に支えられて那覇市長、国会議員と立場を変えながら闘い続けた政治家、亀次郎。その知られざる実像と、信念を貫いた抵抗の人生を、稲嶺元沖縄県知事や亀次郎の次女など関係者の証言を通して浮き彫りにしていくドキュメンタリー。JNNだけが持つ、当時の貴重な資料映像の数々をふんだんに盛り込んだTBSテレビが本気で製作した映画が遂に公開。2016年TBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組が、第54回ギャラクシー賞月間賞を受賞するなど高い評価を得ており、映画化を熱望する声を受けて、追加取材、再編集を行って映画化。沖縄戦を起点に、今につながる基地問題。27年間にわたったアメリカの軍事占領を経て、日本復帰後45年が経っても、なお基地が集中するなか、沖縄の人々が声を上げ続ける、その原点…。それは、まさに戦後の沖縄で米軍支配と闘った瀬長亀次郎の生き様にあった。JNNだからこそ保存されていた貴重な未公開映像やインタビュー、そしてアメリカ取材を交えて描き切る。2018年8月19日岡山市文化センター★★★★「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」ビターズ・エンド配給らしく、予想とは違った。ハッピイエンドではないラスト。けれども、足立紳脚本らしく、爽やかなラストになっていた。足立紳は「百円の恋」以来精力的に脚本を書いている。全てメジャー系の映画ではないが、今のところ大当たりはないものの外れがない。これは素晴らしいことだ。菊池のように、しゃべりすぎて浮いてしまうことがないよう、がんばってほしい。足立紳は今のところ「不遇時代をなんとか挽回しようとする」主人公ばっかしを描いている。けれども、今回のもう1人の主人公志乃ちゃんは夢は「普通の高校生」というものだ。ここに出てくる「コンプレックス」を持っている3人は、みんな「空気が読めない」或は「空気に溶け込めない、溶け込みたくない」高校生ばっかしだ。そういう意味では、私もそうだった。高校生の時に連むことが苦手だった。社会人になっても、みんな車の話をするのが意味わかんなかったし、人事情報を気にするのが意味わかんなかった。けれどもそのおかげで‥、あ、まあいいや、展開し出すと墓穴を掘ることに気がついたのでここでやめるが、だから、ここの登場人物たちの悩みはそれぞれ真剣なのだが、多くの人には共感できるものだ。志乃ちゃんの吃音の会話を何度も何度も、言いたい事はわかるでしょ、予想できるでしょ、と聞いていると、監督はそれでも時間をかけてゆっくりと描く。結果、描いている事は単純なのに、いつの間にか2時間近くがあっという間に過ぎる。クライマックスは、想定内の展開にせずに、ああいう展開にしたけど、その中の予想外の言葉、「言えないから自分の気持ちを他の言葉で誤魔化していたのは、私」、えっ⁉︎そうだったの‼︎ その他いろんな部分をそう見ることでまた違った風景で見える作品である。(解説)不器用な二人の小さな一歩。悩みもすべて抱きしめて世界はかすかに輝きだす。高校一年生の新学期。喋ろうとするたび言葉に詰まってしまう志乃は、自己紹介で名前すら上手く言うことが出来ず、笑い者になってしまう。ひとりぼっちの高校生活を送る彼女は、ひょんなことから同級生の加代と友達になる。ギターが生きがいなのに音痴な加代は、思いがけず聴いた志乃の歌声に心を奪われバンドに誘う。文化祭に向けて不器用なふたりの猛練習が始まった。コンプレックスから目を背け、人との関わりを避けてきた志乃と加代。互いに手を取り小さな一歩を踏み出すが――。あの頃、誰もが抱いた苦悩や葛藤。戻れないからこそ現在を照らしてくれる、つたなくて、いとおしい日々。胸を打つラストに涙溢れる、傷だらけでまぶしい青春映画の傑作が誕生した!全世代が感動、共鳴した押見修造・人気コミック待望の映画化!気鋭監督・湯浅弘章×脚本・足立紳(『百円の恋』)が瑞々しく繊細に描く思春期の少年少女をモチーフに、独創的な作風で「惡の華」「ぼくは麻理のなか」等の傑作を生みだしてきた人気漫画家・押見修造。自身の体験をもとに描いた代表作「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は、発表と同時に幅広い世代の読者を感動の渦に包み、大きな反響を呼んだ。待望の映画化でメガホンをとったのは、本作で満を持しての長編商業映画デビューを果たす気鋭・湯浅弘章。脚本を『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞など数々の賞に輝いた足立紳が務め、瑞々しい映像と繊細な脚本で十代の揺れ動く心の機微を映し出す。また、物語の舞台となる90年代の音楽シーンをリードした、ザ・ブルーハーツ、ミッシェル・ガン・エレファントなどの楽曲も登場、物語をエモーショナルに彩る。注目を集める十代の実力派女優 南沙良×蒔田彩珠 ダブル主演!本作では、次世代を担う同年齢の実力派女優がダブル主演を務める。志乃を演じるのは、現役モデルにして『幼な子われらに生まれ』に出演、女優としても注目を集める新星、南沙良。加代を『三度目の殺人』やドラマ「anone」などでの高い演技力が記憶に新しい、蒔田彩珠が熱演。思春期、真っただ中の二人が観る者の心震わす体当たりの演技をみせる。更に、志乃と加代の同級生・菊地を『帝一の國』『あゝ、荒野』と話題作への出演が続く萩原利久が演じるほか、奥貫薫、山田キヌヲ、渡辺哲ら、ベテラン俳優陣が脇を固めている。http://www.bitters.co.jp/shinochan/sp/2018年8月19日シネマ・クレール★★★★
2018年09月15日
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「平和新聞9月5日号」のトップは、9月13日告知、9月30日投票に決まった沖縄知事選の候補に、玉城デニー氏が出馬表明したこと。玉城氏は、翁長知事の遺志を継ぎ、辺野古阻止貫徹を誓う、「平和で真に豊かな誇りある沖縄を」実現するために決意を固めた。玉城デニー氏を支え勝とう!という内容です。詳しいことは、のちのち書くかもしれませんが、今回紹介するのは、それとは違い、中見開きの特集です。「CV22オスプレイ横田正式配備 特殊作戦の拠点化許すな」平和新聞は、超マイナーな新聞なので(購読してもらいたいけど)、要点だけ紹介します。特に関東圏・甲信越の人たちにとっては他人事ではないのですよ。知っていますか?いや、この前も岡山の街の上空を戦闘機が通りました。日本全土何処でも他人事ではないのです。在日米軍は、すでに海兵隊普天間基地(沖縄県)に配備している24機に加えて、空軍横田基地(東京都)に新たにCV22の5機を正式配備することを発表しました。計画の「2年前倒し」です。(1)これで「事故を起こしまくっている(表参照)オスプレイ」墜落事故の危険を日本全土に拡大しました。昨年12月に沖縄名護市で起きた海岸「墜落」事故は、あと1分遅ければ住宅に突っ込むものでした。(2)CV22はMV22と同型機ですが、他国に侵入する秘密作戦や暗殺・拉致などの任務を遂行するため、MV22にはない「超」低空飛行用の地形追随装置を搭載しています。米軍機の低空飛行訓練は日米合意で150mが下限とされていますが、これを下回る訓練を横田基地周辺や長野、群馬、栃木、新潟の上空で行う予定です。特殊任務作戦訓練なので、MV22よりも事故の危険性は高いのです。(3)一国の首都(東京都)が、外国(米国)の特殊作戦の出撃基地になるのです。2015年には、米軍特殊部隊がCV22オスプレイを使ってシリアに潜入し、ISの幹部を殺害し、妻を拉致する秘密作戦を強行しました。横田基地で行われるこのような訓練は、「日本の防衛」とはまったく無縁です。沖縄の例を考えると、横田が出撃基地になるのは目に見えています。このような事態は、世界のどの国にもありません。このような部隊を唯々諾々と受け入れる安倍内閣の異常性は、世界の中でも際だっています。横田基地でのCV22機の離発着訓練は、4月から平和委員会が監視し、7月から突然多くなって、8月末に既に362回を数えます。既に中学校にパラシュートが落下する事故が起きている。国民はどうするべきか。私の思うには、(1)「沖縄の問題は、全国の問題」と日本国民が自覚して、沖縄県知事選の必ずの勝利を勝ち取る、そのための最大限の支援をすること。(2)初めての人を含めて、反対集会に参加すること。10月27日に、福生市の多摩川中央公園で行われる「横田基地にオスプレイはいらない!10・27東京大集会」に足を運ぶこと。(3)今年中に発議しようとしている、安倍の執念改憲策動を打ち破るためには、改憲反対3000万人署名活動に参加すること。伊藤千尋さんが言っているように「15%の国民がいっせいに目立った行動を起こせ」ば、必ず世の中が変わります。沖縄県知事選に参加し、集会に参加し、署名活動に参加する。その数が、2000万人に近づいたときに、必ずこの異常事態が終わる。選挙で勝つ必要はない、というよりか、その時には選挙結果自体も変わっているだろう。要は諦めないことだ。
2018年09月14日
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「四人組がいた。」高村薫 文芸春秋社奇々怪々の作品である。高村薫の新作小説をずっと待ち続けているファンは多い。私もそうである。なのに、私は図書館の片隅にこの本を見つけるまでの4年間、その存在を知らなかった。何度か新作をチェックしたと思うのだが、何故かその時Webに載らなかったとしか思えない。世の中も話題にしていなかったので、私の情報収集が劣っているというわけでもなさそうだ。この作品は、何か秘術が使われて、あまり世間に出回らないようになっているのではないか。何故ならば、この12篇の連作短編集は、まるで存在そのものが「在るのに無い」という性格を持たされているからである。則ち、12編とも題名の上に「四人組」を冠していて一見典型的な農村の、元村長、元助役、郵便局長、キクエ小母さんという暇を持て余した四人組老人たちを主人公とした日常を描いているのかと思いきや、実はこの四人組がとんでもないものたちだったという構造があるのかと思いきや、実は農村自体がファンタジー構造に組み込まれていると分かる後半部分でだいたいこんなんだと思った途端、最後は筒井康隆の如く日本の地方問題が批判的に描かれハチャメチャになって絶望的カオスに進んで終わりと思いきや、なんと神仏含めて世界は凡そ事も無しと進み「正体」が一向に現れないのである。色即是空。空即無、無即空也。私はこの題名を見た時に「やった!レディ・ジョーカーの元作「日吉町クラブ」の単行本化か!」と密かに思ったのものである。が、紐解いて、あまりものギャップに、声が出なかった(読書中そもそも声は出さないが)。まあ、高村薫小説世界の王道たる「太陽を曳く馬」も「冷血」も「土の記」も、まだ未読の私に「何をか言われんや」とは思う。
2018年09月12日
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「きのう何食べた?」(1ー6巻)よしながふみ 講談社KC何気なく使えるレシピを探して読み始めたら、家族用ではなく、一人暮らしか2人暮らしにピッタリのレシピが毎回載っていることに加えて、ゲイの2人暮らしの実態を大げさではなく、何気なく描いていて、長期連載になっていたことが理解できた。イケメン40代弁護士のシロさんが、2人で食費2万5千円にこだわっている。此処に出てくる野菜の底値が、私にはあまりにも安い気がする。しかも、毎日スーパーに行かない限りにはこの底値に出会えない(一応地域の激安店らしい。しかし地方の私の周りのスーパーでも滅多に出会えない値段)。しかしそうやって作っている料理なので、生活感ありありなのである。それに、必ず毎食4品作っている。はっきり言って、女性でもそんなに丁寧に作らんやろ。それに(が多いが)料理は、かなり上級なので使えそうで使えない。それでも、6巻目のヒジキのトマト煮や、キュウリのピリ辛和え、焼きナスなどのレシピは、写真に撮って携帯に保存した。やっと6巻まで読んだのだが、実際は青年誌「モーニング」に14巻まで続いていて、1巻の時は2007年で43歳だったから今は54歳ということになる。ゲイの生活史までになった連載がなぜつづくのか、次回はその辺りを読んで行きたい。
2018年09月11日
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「健康で文化的な最低限度の生活 7」柏木ハルコ 小学館今回は理性的で知性的で、けれどもまだ新人2年目の栗橋さんが主人公。子どもの貧困編に突入。アルコール依存症編と同じく、一巻では終わらなかった。一巻で終わらすスタイルでは無理がある、ここまで読んでくれたら固定読者は逃げないだろう、等々の編集者の判断が透けて見えるが、まあその通りでしょ。ここまで読んできた読者はわかるだろうが、受給者は決して善良な弱者然としては現れない。けれども悪人でもない(場合がほとんどだ)。しかも、子どももいる。先ずは「命」、そして「安全」、そのあとに「思い」を聴いてゆく。ホントに経験値が必要な職業である。この親子のように手続きをしても、逃げて行方不明になった人もいるだろう。他の理由だけど、そういう人を私も知っている。でも役所としては諦めずに必要なことをして欲しいとは思う。ケースワーカーさん、ホントにお疲れ様。巻末の「教えて半田さん」では、世の中で誤解のある二大質問に答えていた。多くの国民は貧困層の半分以上が生活保護を受けていると思っている。「困窮した要保護状態にあるのに、実際に利用出来ている人の割合、捕捉率は2割程度」という割合を世の中は知らない。これは欧州の捕捉率の6ー9割と比べると、相当少ないのである。日本は「与え過ぎている」のではない、「まだまだ」なのだ。「でも、生活保護の予算がこのまま増えていくと、財政破綻するのでは?」というよくある疑問に半田さんはこう答える。「海外の生活保護費と比較するとわかるのですが、日本のGDPに占める割合は極端に低いんです。また、支給された生活保護費も国内消費として循環していくことを考えると、財政への影響を予算面だけで非難するのはおかしいのではないでしょうか(私注…これは貯金や海外投資に回る可能性のある賃金アップと比べても、必ず国内消費に回るという意味でも効率の良い公共投資ではないでしょうか。更に言えば、防衛費の5兆円は、安倍内閣になって右肩上がり。これこそ、削減するべきではないか?)。それに、そもそも生活保護費は国民の命を守るための支出。財政問題を理由に引き下げるという考え方は「最後のセーフティネット」である生活保護の捉え方として、根本的に間違っていると思います」全く同意である。2018年9月読了
2018年09月10日
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「盡忠報国 岳飛伝・大水滸読本」北方謙三編著 集英社文庫私は確かに最終巻に於いてこうお願いしておいた。「集英社さん!「読本」は出すんですよね⁉︎お願いしますよ!その時は、シリーズを通しての年表と地図をお願いします!」遅れたが読本は出た。一応年表も地図もついている。だから先ずは感謝の辞を述べておく。その上で大きな声で非難したい。私が言ったのは「シリーズを通しての年表と地図」である。大水滸読本と冠している以上は、岳飛伝年表と地図では不足なのは明らかである。私のイメージしていたのは、楊業の吹毛剣獲得の頃から始めて、上に小説上の出来事、下4分の1は中国の正史を載せる。というものである。それが揃って、大水滸伝を多重的に読み直す事ができるだろう。地図は簡単だ。51巻まで作ってきた地図を全て載せればいい。年表は今までの蓄積があるから、編集者にとっては他の駄文を書く時間を省けば簡単だろう。そんなページ数は無いって?冗談は止して貰いたい。山田某という編集者が、今回はページ数が足りなかったので、わざわざ自分の書いた妄想を新たに50ページも書き下ろして、(本篇よりも120円近く高くして)作ったと言ってるじゃないか。私は「怪文書」なるものもホントに妄言であって必要なかったと思う(それを入れれば73pも空きが出来る)。私は99%は異論があると思われる人気ランキングベスト10なんぞも要らなかったと思う。ただ読み損なっていた、著者が既に亡くなっていた好漢たちに会いに行く「やつら」は、素晴らしかった。いやあ全篇読み応えがあったと思う。特に朱貴の饅頭の秘密が分かったのは良かったし、石勇が知られざる自分の過去を聴いてそして落ち込んでいる場面、扈三娘が著者に聞いた意外な事、著者に自分が死んだ時に弔い酒を飲んでいなかったと告白させた李袞、宋江への想いを正直に語った宋清、等々はとても面白かった。ひとつ、この本を読んでとっても驚いたことがある。テムジンが胡土児の隠し子であるとかの身も蓋もない展望のことではない。著者が元々構想していた「岳飛伝」では、ある人物に吹毛剣が渡り、その人物が岳飛を切って終わらす予定だったという。ところが、その人物は早々に死んで仕舞ったので胡土児に渡ったらしい。誰なのか?どう考えても出てこない。岳飛を切る事が出来て早々に死んで仕舞った人物?梁山泊第一世代ならばみんな資格があるけれども、老人に岳飛を切らすのか?南宋にそんな人物はいなかったはずだ。李師師?物語がムチャクチャになる。辛晃か?あまりにも小物だ。金国には?ウジュは最後まで生きていた。他には人物はいない。蕭炫材?1番資格があり、話も繋がるけれども、まだ生きているじゃ無いか。蔡豹?蔡豹なのか?でもどうして?ともかく、大きな謎だ。
2018年09月09日
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「DAYSJAPAN2018年9月号」表紙はカナダ、オンタリオ州のスミスフォールズにある施設で栽培される大麻草。2018年1月4日。Photo by Reuters/Aflo特集は、この10年合法化が世界中で急速に進んでいる医療大麻の世界。日本は戦後「ダメ、ゼッタイ」のもとに厳しい規制が続いている。その政策に「異議」を唱えるものである。てんかんの治療や、重度自閉症などに目覚ましい効果を見せたレポートと、医師の林真一郎氏の談話等を載せる。ここに書いていることが、全て真実ならば、確かに命を守るという視点で、あるべき薬効が試されないというのは不合理であると、私も思う。しかし、ここまできちんと特集していて、読者の多くが頭に掠ったあの「事件」に、一言も言及していないのは、編集者の世間を見る目が鈍っていると思わざるを得ない。普通の人は「医療大麻」という単語を聞くと、必ず「高樹沙耶逮捕事件」の事を思い出す。あの事件を「どのように位置づけるべきか」という物差しが無い限り、読者は友達に「医療大麻って必要らしいよ」などとは決して言えないだろう。林先生などにとっては語るに値しない事かもしれないが、これが「世間の知識水準」というものである。ということで、非常に残念な特集だった。広河隆一氏のレポート、「大逆事件」と高木顕明は、個人的に大変興味深かった。近代日本思想史にとって、大逆事件は大きなエポックメイキングである。今回は和歌山グループを訪ねる紀行文みたいになっている。いつか訪ねる時には大いに利用したいと思う。高木顕明の名誉回復だけではいけない。という一部大谷派の反省は、たいへん重要なものです。もう一度、その大谷派に右か左かを選択させる時が近づいている気がしてならない。
2018年09月08日
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「ビッグイシュー341号」ゲット!表紙は「シンデレラ」で鮮烈に私たちの前に現れ、「マンア・ミーア2」で準主役級を演じるリリー・ジェームズ。「ビッグイシューEYE」は作家・演出家の鴻上尚史さんインタビュー。9回特攻に出て9回とも生還した特攻隊のパイロット、佐々木友次さんを取材してノンフィクション「不死身の特攻兵ー軍神はなぜ上官に反抗したか」、小説「青空に飛ぶ」2冊を昨年同時に上梓した。むかし、本宮ひろ志が特攻兵を描いたマンガのラストを思い出した(『ゼロの白鷹』)。戦友が次々と亡くなり、主人公は敵艦の前でやっと特攻することを決意する。その前に、敵の前で敵もポカンとするほどの曲芸飛行を見せるのである。「俺たちは、お前たちより遥かに高い飛行技術を持っているんだ。それなのに、体当たりしか選択肢がない俺たちの無念がお前たちにわかるか!」そう言いながら、甲板に追突していく主人公を描いたあと、本宮ひろ志は特攻戦術の不合理性をト書きで書いて終わらしていた。まさか、あのような主人公が生還していた事実があったとは知らなかった。この不合理性は、アメフト事件と一緒の構造だと鴻上さんは言う。特攻兵は「志願した」のではない。「命令された」のである。鴻上さんは、「佐々木さんはもし10年前ならば、絶対に話してくれなかった。関係者が亡くなり、自身も90代になって戦争体験を残しておきたいと考えるようになったからだ」と言っていた。戦後73年。今が最後のチャンス、且つ絶好のチャンスなのかもしれない。
2018年09月07日
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「ビルマ・アヘン王国潜入記」高野秀行 草思社長い準備期間のあとに、高野さんは人民未踏のビルマ・アヘン王国(ワ州)にたどり着く。アヘンの芥子粒の種まきをした直後にマラリアに罹り生死を彷徨う。経験上マラリアと思いながら、治療する医者がいない。諦め寸前の処で西洋医学に救われる。高野さんは思うのである。「あれだけ苦しみ、死ぬかと思った病気がほとんど注射一つで治ってしまったのは、一種のカルチャーショックだった。ワ州内では「発展」しているはずのヤンルンですら、マラリアは手の施しようのない謎の「熱病」だったのだ。私はこのとき西洋文明のすごさを実感した。マラリアにもいろいろな種類があり、私が罹ったのが悪性のものだったら、おそらく私は死んでいただろう。一方、もしも私がチェンマイでしかるべき薬を買っていて、発病後、すぐに飲んでいたなら、ちょっと風邪をひいたぐらいでおさまっていたかもしれない。「死」と「風邪もどき」のあいだに横たわる大きな溝。それはワ州と外部世界を決定的にへだてる溝でもある。(81p)」と。後年、ソマリアで軍隊に襲われたときもおそらく生死の危機があったと思われるのだけど、このような深刻な書き方をしていない。高野さんは、この時日記をつける余裕がなかった。しばらくしてから思い出して書いている。その沈思の時間がこう書かせたかもしれない。「溝」は、この本のテーマを直接表したのと同時に、辺境作家の珍しく見せたホントの危機意識のような気がする。だからこそ、彼の書く文章は価値があり読ませるのである。もちろん、何時ものような「飄々とした」文章の味も価値ではあるのだが。「ずいずいずっころばし」の童謡は、夢の中で鼠が活躍していたのをそのまま歌にしたのだ、という「発見」(96p)は、いかにも「旅の興奮」が見つける興味深い「意見」ではある。多分、これで長編3作目の本である。友人の人類学者の薫陶を受けたのか、「後年」よりもきちんと民族調査票を基にしたかなような記述が多い。家族構成、集落の単位、労働習慣、信仰、出産、結婚式etc。あとで書いているが、ホントに100年前の日本の姿と似通っている。ただし、この村を高野さんは「準原始共産制」と規定しているが、不正確なこと極まりない。ケシ栽培の「国家的な管理」も含めて「商品」の自由売買が村の基盤になっている時点で「原始」とか「共産制」という言葉は既に使ってはいけないのである。この辺りの「いい加減さ」は直さないといけないと思う。現に他のレビューでこの言葉が独り歩きしていた。もうひとつ、「いい加減さ」を批判するとすれば、自らアヘン吸いになり、村の人々が忠告したのにもかかわらず急性アヘン中毒になって、それを反省もせずに書いているのは、やはり納得出来ない。特に「中毒」は、ルポとしての必要性さえない。自らの「文章」の影響力の大きさについて、高野さんは肝に据えるべきだと思う。2018年8月読了
2018年09月05日
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「アマゾンの船旅(地球の歩き方・紀行ガイド)」高野秀行・文 鈴木邦弘・写真 ダイヤモンド社「河口から最長源流までローカル船を乗り継いでさかのぼる、6770kmの旅」。91年の発行。高野秀行さんの実質二作目である。後に集英社文庫「巨流アマゾンを遡れ」になった時には、大幅に(しかもカラー)写真が減っているはずなので、絶版になっているこれはかなりレアな本。文庫本にはないらしいが、巻末40p近く、「地球の歩き方」宜しく具体的な「アマゾンとは」「行き方」「旅に出る前に」「船旅ガイド」「ジャングルツアーについて」「アマゾンの自然」「主な都市案内」「簡単な会話」「参考文献」まである。どうやらそれも全て高野秀行さんが書いていて、普通に書いている処もあって珍しいが、たとえば「ジャリ周辺で"見どころ"とかろうじて呼べるのは、(略)サン・アントニオの滝ぐらい」と普通の「歩き方」では書いちゃダメな表現があり、街の地図も載っているけど、おそらく高野さんがメモしていて「いちおう中心街と呼べるかもしれない」などと書いている。行くつもりは決してないけど(ホントはこんなのを見ると行って見たい気持ちがムクムクと湧くけど)、そんなのを見ているととても楽しい。しかし、もし本気でアマゾン巡りをしようという気が起きたならば、文庫本ではなく、この本を手に入れるのは必須だと思われる。写真の鈴木さんも、よくこの旅について来たな、と感心する。幻の大魚、ピラクルの真紅の尾っぽの見開き2ページの写真などは、よくこの旅の雰囲気を現している。「(最後の源流への旅をのぞけば)普通の旅行者が普通に行ける旅である」といちおう高野さんは言っているが、高野基準で「普通の旅」のことを言っており、事前準備に何年もかけない、一週間で終わらすように短い期限も設けない、普通の旅行者リスクも覚悟する、という意味で言っており、ある程度こういう旅に慣れていない人でないとむつかしいだろうと思う。たとえ「普通の旅」でも、旅にはいつも「ワンダー(驚きの発見)」がついて回る。この本にはどこをめくってもそれがあった。高野さんのデビュー作は、基本的には大学サークルの報告書(「幻の怪獣ムベンベを追え!」)であり、2作目は旅行のガイド本だった。つまり、型から入ったわけだ。しかし、出来上がったものは規格外のものだった。思うに、世に出る人とはそういうものだろう。2018年8月読了
2018年09月04日
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「少年が来る」ハン・ガン(韓・江) 井手俊作訳 クオン出版ある書によれば、「光州事件」を扱った日本で出版されている長編文学は、この本とあと一冊しかないらしい。ルポや資料集は幾つもあるのであるが、隣国の、しかもたった38年前のあれほどの出来事を描いた「文学」がほとんど出版されていない。これは日本の文学にとっても不幸だろう。なぜならば、これを読んでみたらある程度は納得するはずだ。人民戦線の体験が、ヨーロッパの文学を鍛えたように、この未曾有の人類史的な悲劇の内面を体験する機会を、隣国の日本人は持つことが出来ないからだ。わたしは日本に入ってきた映画は全て観ている(「ペパーミントキャンデー」「光州5.18」「タクシー運転手」それでもたった3つ)。ところが、それだけではこの出来事の「ホントの姿」は見えていなかったのだと知った。ありきたりのボールペンでした。モナミの黒のボールペン。それで指の間を縫うように挟み込みました。そりゃあ左手ですよ。右手では調書を書かなくてはいけないから。ええ、そんなふうにひねりました。こっち側もこんなふうに。最初は何とか我慢できました。でも、取り調べのたびに指の同じ部分をそうするものだから、傷が深くなりました。血と粘液が混じって流れました。後になると、この部分に白い骨がのぞき見えました。骨が見えるようになると、アルコールに浸した脱脂綿をそこに挟むんですよ。(略)私もそう思いました。骨が見えるくらいになったのだから、そこはもうやめるだろうと。ところが、そうじゃありませんでした。さらに苦痛を与えると分かっていながら、脱脂綿を外してからもっと深くボールペンを挟んでひねったんです。(129p)思い出してほしいとユンは言った。記憶と真っ直ぐに向き合って証言してほしいと言った。だけど、そんなことが果たして可能だろうか。三十センチの木の物差しで、子宮の奥まで数十回もほじくられたと証言することができるだろうか?小銃の台尻で子宮の入口を破られ、こねくり回されたと証言することができるだろうか?出血が止まらずショック状態になったあなたを彼らが総合病院に連れていき、輸血を受けさせたと証言することができるだろうか?二年もの間その出血が続いたと、血栓が卵管をふさいで永久に子どもを持つことができなくなったと証言することができるだろうか?(204p)15歳の同級生を探して、トンホは危ないと分かっていながら夜の尚武館に入る。その彼の視点。遺体さえ見つからない同級生チョンデの死んだ魂からの視点。冒頭の2人の視点からの描写は、全斗煥の軍隊が無辜の市民を虐殺し通した事を私たちに教える。舞台は県庁前広場や大通りだけではなかったのだ。やがて尚武館に居た3人の若者のその後の人生を見せる後半。光州民主化抗争の当時だけでなく、その後の何十年間も、彼らを苦しめるその内実を、しかし私は想像さえしていなかった。わたしたちは知る必要がある。隣国のこの人類史的な悲劇を。
2018年09月03日
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「江戸東京実見画録」長谷川渓石画 進士慶幹・花咲一男注解 岩波文庫明治44年、東京佃島の渓石の家に大洪水が襲った。その時娘の長谷川時雨はとっさに「実見画録」の画稿を守り、後に渓石に感謝されたという。その後、この画録は大正8年に自費出版されたが、それを更に進士・花咲氏の行き届いた注解を付して昭和43年に発行された。明治150年岩波文庫シリーズのマイ3冊目。我々は江戸時代をそして明治時代を、映画やテレビドラマを通じて映像的にも承知しているかの如く生活しているが、それが果たして正確かどうか、或いはそれだけが全てかどうかは承知していない。今回この本を紐解きながら、世に広く頒布されていない庶民の描いた記録や画稿が多く存在していたことを知った。このようなものを歴史学では第一次資料という。そしてこのような書物がまだ分析し切れていない事を考えると、江戸時代も明治時代も、まだまだ「未知の世界」があることを予想できるのである。わたしはもともとこの時代に疎いので、読んで新鮮だった処も学界では常識の部分も多々あるとは思うが、参考になった処を以下に羅列する。・表紙に使われている寺子屋の画。子供の頭はてっぺんのみ髪を残して一番上をひもで結んでいる。これは水戸の山川菊枝「武家の女性」でも記録されていた。すくなくとも、幕末の関東では広く行われていた子供のファッションだったということになる。・明治4年の頃の市中見廻りの頃の風景は、ちょんまげ、帯刀、袴であり、しかも7人ぐらい徒党を組んでいる。江戸時代の同心たちや火付盗賊改のそれとあまり変わらないどころか、「オイコラ」と威張っていたらしく、その頃の伝統が戦後まで続いたことになる。・上野戦争の直前、寛永寺に居た徳川慶喜が水戸に行ったあと、警護の名目がなくなった彰義隊はその後も市中を巡回して居た。そこで官軍と図のように至る所で衝突していた。・西の丸大手門前で、大名の登城の際、残りの共待はそこの広場で長くそのまま待つことになる。一大名につき図を数えてざっと40ー50人、どんな天候の時でもひたすら待つのは辛いかもしれない。弁当は清白前の飯、ヒジキ・油揚げ、焼豆腐、沢庵。懐より詩歌の小型本を読んだり、武艦と周りの槍等を比べたり、江戸地図、年代記、吉原細見を見たり、田楽、寿司、作り菓子などを買う。辛くも楽しい宮仕えかな。・将軍の御成の時、事前に火事が起こるのを止めるために、ご通行の前日と当日、煮炊きの禁止が言い渡されていた。わたしは「切りが無い」と思うのだが、この「お役人的発想」は現代にも繋がっている。現代の警視庁の高さが中途半端になっているのは、あれより高くしては宮城(皇居)の中を覗く事になると建設中に横槍が入ったかららしい。御成の時、男子だけが土下座して「拝観」することができた。処が、別の図のハリス登城の際には庶民は土下座などは一切していない。行列はあるのに。また、面白からずや。・迷子さがしの立石が、一石橋、両国橋、その他多く建てられていたらしい。岡山でも京橋を市街に渡った直ぐの処にある。・正月に非人の妻子が鳥追歌を三味線と胡弓に合わせて歌い銭を乞うたらしい。・毎年6月1日の(富士山)山開きの日には、駒込・浅草・深川の富士山に、木に麦藁の蛇を取り付ける習俗有り。線香の煙を吸ったり、手にかざして手足につけたり、種々の病を治す効あり。この火は富士の本山より伝火するものらしい。古代より、蛇は生命力の象徴である。二千年以上、この思想が生きていることが驚き。このように書き記していくと切りが無い。渓石は、貧しい娼婦の実態や元職業だった江戸明治の刑罰施設或いは事情の画録化に特に熱心だった。思うに、この時代の小説化に役立つに違いない。2018年8月読了
2018年09月02日
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「江戸芸術論」永井荷風 岩波文庫江戸芸術全般ではなく、主には江戸時代の浮世絵について、大正年間、未邦訳の外国語文献も駆使して、一切図版を使わずに全般的に述べた本。好事家の域を超えて専門家の文章になっているが、絵を文章で説明する処は、荷風の面目躍如たる表現の筆が踊る。今年の「明治150年に読みたい岩波文庫」シリーズのマイ2冊目。荷風の言いたいことは、冒頭論文「浮世絵の鑑賞」に尽きているだろう。特に以下の文章。ああ余は浮世絵を愛す。苦界十年親のために身を売りたる遊女が絵姿はわれを泣かしむ。竹格子の窓によりて唯だ茫然と流るる水を眺むる芸者の姿はわれを喜ばしむ。夜蕎麦売の行燈淋し気に残る川端の夜景はわれを酔はしむ。雨夜の月に啼く時鳥、時雨に散る秋の木の葉、落花の風にかすれ行く鐘の音、行き暮るる山路の雪、およそはかなく頼りなく望みなく、この世は唯だ夢とのみ訳もなく嗟嘆せしむるもの悉くわれには親し、われには懐かし。(略)日本都市の概観と社会の風俗人情は遠からずして全く変ずべし。痛ましくも米国化すべし。浅ましくも獨逸化すべし。然れども日本の気候と天象と草木とは黒潮の流れにひたされたる火山質の島嶼の存するかぎり、永遠に初夏晩秋の夕陽は猩々緋の如く赤かるべし。永遠に仲秋月夜の山水は藍の如く青かるべし。椿と紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禅模様の染め色の如く絢爛たるべし。婦女の頭髪は焼鏝をもて殊更に縮さざる限り、永遠に水櫛の鬢の美しさを誇るに値すべし。然らば浮世絵は永遠に日本なる太平洋上の島嶼に生るるものの感情に対して必ず親密なる私語(ささやき)を伝ふる処あるべきなり。浮世絵の生命は実に日本の風土とともに永劫なるべし。しかしてその傑出せる制作品は今や挙げて尽く海外に輸出せられたり。悲しからずや。(19、23p)解説の高橋克彦も述べているが、荷風は文章だけで浮世絵の魅力を伝えるのに成功している。「日本都市の概観と社会の風俗人情」は、今や、その儘「荷風の文章」と言って良い。それほどに「喪われた」。例えばカバー表紙の広重「浅草金龍山」を荷風はこう写している。浅草観音堂年の市を描くに雪を以ってし、六花紛々たる空に白皚々たる堂宇の屋根を屹立せしめ、無数の傘の隊をなして堂の階段を昇り行く有様を描きしは常に寂寞閑雅を喜ぶ広重の作品としてはむしろ意外の感あり。(57p)浅草観音堂の境内を描くにあたっても彼の特徴は水茶屋土弓場また見世物場等の群衆に非ずして、例へば雷門の大提灯を以て勢好く画面の全部を蔽はしめ、その下に無数の雨傘を描きたるが如きものとはなれり。(59p)2018年8月読了
2018年09月01日
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