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下の朝鮮日報日本語版(18.07.26)を読んでもわかるように、ついに韓国の最低賃金が日本の最低賃金を実質超えた。私は個人的にかなりショックである。2011年の旅の頃、こう書いている。「韓国では人口の半数が失業者だという。最低賃金は3800w(?)という信じられない水準だ(日本円で約260円)。」それがたった7年間で約3倍化した(8350ウォン=828円)。文政権の政策である。日本と韓国の物価はほとんど同じだ。けれども、意外に食堂のご飯は安いものが多かった。それは異常に低い賃金のせいだったのだとすれば、韓国のご飯の値段が上がるのも甘受しなくてはならない。最賃引き上げは必ず国内消費を押し上げ、韓国の経済にもいい影響を与えるだろう。問題は日本である。2023年に日本の最賃が1000円を超える見通しだとこの記事は書いている。しかし、それはあくまでも平均である。今回の最賃引き上げも、東京は高く、沖縄は低くなり、地域格差はさらに広がった。しかも、1000円がゴールではない。安倍はゴールと思っているかもしれないが、それでは「生活」できないのである。1500円目指して、韓国に負けないように、世論を上げていかねばならない。最低賃金、韓国は実質日本以上 日本の厚生労働省中央最低賃金審議会は、2018年度の地域別最低賃金(時給)の目安を決め、全国平均の最低賃金を3.1%(約26円)引き上げ、874円とした。前年の引き上げ幅を1円上回り、2002年に現在の最低賃金決定方式を導入して以降、最大の上げ幅となった。 日本経済新聞によると、日本の最低賃金は47都道府県ごとに物価や所得を考慮して定められる。最低賃金が最も高い東京都では27円引き上げられ、985円となる見通しだ。最も低い沖縄県などは760円が見込まれる。韓国の来年の最低賃金水準(8350ウォン=828円)は日本の47都道府県のうち32の自治体より高い。しかし、日本には週休手当がない。韓国は週休手当があるため、それを含めると最低賃金が1万30ウォンとなり、日本を1180ウォン上回る。 安倍晋三首相は2015年、最低賃金1000円を目標にすると表明したが、経済に与える影響を考慮し、毎年3%台の引き上げを促している。昨年並みの引き上げ幅(25円)では安倍首相の目標値(3%)に満たないため、激論の末、26円引き上げで決着したという。 日本の最低賃金算定方式は韓国と異なる。地域別に物価と所得水準が異なることを考慮する。東京都が含まれるAグループには27円、広島県などBグループには26円、北海道などCグループには25円、青森県などDグループには23円の引き上げを目安額として示した。これに基づき、47都道府県が各地の経済状況を踏まえ、それぞれ最低賃金を最終決定する。最低賃金が最も高い東京都(985円)と沖縄県(760円)の差が225円ある。東京都は来年にも1000円を突破する可能性が高い。しかし、19の自治体の最低賃金は来年も700円台いとどまる見通しだ。来年の韓国の最低賃金水準は東京、大阪、名古屋など日本の一部大都市圏を除けば、日本の大半の地域より高い。日本にはない週休手当を上乗せすれば、韓国の最低賃金は既に東京を含む日本の全地域を上回っている。 韓国ウォン建てでは300ウォンにも満たない引き上げ幅だが、日本国内の反発は激しい。読売新聞は夕刊社会面トップ記事で、「企業経営者の負担が増し、危機感が高まっている」と伝えた。大阪で約40人の従業員を雇用する企業の社長は「人材不足に人件費急騰で経営が苦しい」と語った。完全雇用状態を超え、求人難に直面している日本でも3%の引き上げに行き過ぎという声が上がっている。日本経済新聞は、現在のペースならば、2023年にも全国平均の最低賃金が1000円を超えると予想した。東京=李河遠(イ・ハウォン)特派員朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
2018年07月31日
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「鬼平梅安 江戸暮らし」池波正太郎 高丘卓編 集英社文庫池波正太郎の数冊のエッセイをぐうっと縮めたような小冊子。いくつか見たものもあったかもしらないが、どのみち、忘れているから、十二分に愉しめた。これが書かれた頃、藤沢周平は「普通の人」を意識して東京(江戸)の郊外でひっそりと暮らしていた。池波正太郎は東京オリンピック辺りから急速に無くなった江戸の名残を「嘆き」ながら、それでも江戸の粋を残した食を愉しみ、きちんとしたホテルに泊まって次々と名作を書いた。池波正太郎は最近の時代小説に時々見られるような、あからさまに時代の薀蓄を語るようなことは決してしない。むしろ彼があえて描かないものの中に、真に江戸を知っている者の「教養」があったと思う。・天ぷら屋なんて、当時はまだない。ちゃんと店をかまえているような天ぷら屋はね。梅安の時代は屋台だよ。鮨もそうだ。握り鮨はないことはないけど、コハダの鮨ぐらい、あとはいなり寿司。・それから道でもね雨が降ったら歩けないんです、ぬかるみになっちゃって。だから、ぬかるみの中をちゃんと歩くようにして書かなくちゃいけないわけだ。ぼくは、前の晩に雨が降ったときは、必ず読者に納得が行くように書いていますよ。どれを読んでもらってもわかる。今更ながら、鬼平の〈引込み〉や〈火盗改め〉、〈急ぎ盗(ばたらき)〉などは造語なんだと知ったし、長谷川平蔵の私邸を本来の目白台から機動性を考えて清水門外に小説用に移したと知った。小説には書いていないらしいが、使い道がなかった梅安の報酬は1部はおもんに行ったが、大部分は梅安の貧乏な患者にやっちゃうという風に決めていたらしい。梅安は、必殺仕掛け人としてたった一両で毎週のように人殺しをしていたわけでは無いのである。編者の高丘卓氏の巻末解題がきちんと読ませるエッセイだった。私は、鬼平も梅安もまだ数冊未読の巻を残している。初老に近づいた今、読み始める時期が来ているのかもしれない。2018年7月読了
2018年07月30日
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「謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件」川名壮志 新潮文庫最初は直近の佐世保同級生殺害事件と間違えて本を購入した。2014年に起きた佐世保高1同級生殺害事件よりも、10年前に起きた11歳女児のこれは、まだわかっていない事があるのかもしれないが、高1女学生のそれよりも遥かに単純な事件だった。この本は、事件の本質を解明するよりも、事件を起こした周りの人間(被害者父親、加害者父親、被害者兄、被害者部下で新聞記者の著者)の心の襞を記録したノンフィクションである。油断していた。昼下がりのファミレス、被害者父親の記者会見の代わりの手記を読んでいる途中、涙を堪えるあまり「うっ、うっ」とかなり大きな声を出してしまった。毎日新聞佐世保支局長だった御手洗氏は、事件当日の夜、異例の被害者父親本人の記者会見を行う。「自分も逆の立場ならば会見をお願いするだろう」と考えて応えたものだ。八尋弁護士はこの淡々と答える会見を見て「これはもう壊れちゃっている。誰かが止めないと」と思ったそうだ。医師の診断書を得て、2回目の会見ストップの本人と報道陣の納得を勝ち取ったのだ。会見の数十分前に勧められて書いた、被害者娘に呼びかける形の手記が、ものすごいものだった。「さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。」そう始まる手記は、あくまでも12歳娘のために書いたものだが、充分報道陣をも満足させる被害者の心情と家庭環境を説明する所もあった。数分で書いたとは思えないほど、文章が練られていた。私は泣きながら、「これが新聞記者なのか」と思った。この作品には、普通の殺人事件ノンフィクションとは違い、著者が直接の部下というだけでなく、日頃から社屋の3階に住んでいた御手洗さん家族とは親しかったという事情がある。著者自身も事件によって大きな傷を負い、それでも事件報道をしないといけない新聞記者の描写が多くを占める。よって、入社4年目の駆け出し記者の「重大事件報道とは何か」を描くものになっている。横山秀一の小説(「クライマーズ・ハイ」等)を思い出した。また、第二部の三つのインタビューがすごかった。3人とも、被害者と近かった著者だから聴くことの出来たのだと思う。御手洗氏の判決数年後の気持ち、加害者父親の気持ち、そして10年後、妹と加害者の「ケンカ」を承知しながら何も出来なかった事を抱え込んで中学、高校、大学を過ごした被害者兄の気持ち。兄の「あいてが近づいて、一度きちんと謝る。謝ってもらった後は、お互い自分の生活にもどる。」という一見加害者を赦しているかのような微妙な気持ちは興味深いものだった。三者三様、同じものを見ていても見事に見えている景色が違うと思った。直前まで、何一つ前兆を捕まえることは出来なかった二人の男親よりも、歳が三つしか離れていないお兄さんの思う犯人像の方が、1番現実に近くリアルなのだと思う。この景色の見え方、様々な人気作家の小説に似ているが、私は宮部みゆきの小説をずっと思い出していた。そして、1番重要なことがある。犯人の「声」が著者の取材の中に一切入っていないどころか、この本を書いた当時は20歳になっていたはずの、「女性」の近況、心情を伝える一切の情報を全て、わざと書いていなかったのである。一つは、この本の書きたいものは著者の周りの人物像だったからだ。もう一つは、この本の全てが、今は自由に本を買うことのできるその女性に向けて書かれたものだからだろう。2018年7月読了
2018年07月29日
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「通販生活2018年盛夏号」ゲット!いつも、買いたい商品があるわけではなく、リベラルな誌面つくりに魅力を感じて読ませて貰っている。今回は連載「国民投票が近づいてきた(6)シビリアン・コントロールを、自衛隊は本心から受け入れるのだろうか」という特集を読ませて貰って幾つか教えて貰った。(1)この特集のキッカケは、当然4月16日の夜、30代の3等空佐が、国会近くの路上で、小西洋之参議院議員に「国益を損なう行為をしている」「馬鹿なのか」と20分にわたり罵声を浴びさせる事件が起きたことに起因している。そして、その事に関する処分は停職等が当たり前と思われるのに「訓戒」に留まった。これはシビリアン・コントロールが弱まっている印だというのである。3等空佐がどのくらいの位置にいるのか、全然わからなかったのだが、表を見てやっと納得出来た。かなりのエリートである。(2)元防衛大学校校長の五百旗頭真氏の話を聞く限りでは、大学校では建前としてはコントロールの原則を守っているらしい。(3)しかし、もともと一般隊員と防衛大学校や一般大学の出身の幹部候補生は、最初から2等陸士からのスタート、一般隊員の3等陸尉からのスタートという「差」がある上に、防衛大学校出身ではなければ、いくら優秀でも大学出身者は旅団長等の将官までは上がれない、現在の幕僚長は全て防衛大学校出身らしい。よって、極端な身内意識と隠微体質を持つ。今回の3等空佐も、あの田母神も防衛大学校である。(4)政治も後押ししている。2015年防衛省設置法の改正が行われ、前は大臣の下に事務次官や官房長の背広組がいて、その下に航空、海上、陸上、統合幕僚長の制服組がいたのに、それが制服組と背広組が大臣の下で対等の地位に置かれるようになった。「文民統制はこれで骨抜きになった」と纐纈厚氏は言う。これで「改憲」されたら、軍事政策は一挙に戦前に戻ってゆくだろう。「秘密厳守の仕事」も特集していた。その一つが元号の制定。現在、三つの候補に絞っているらしい。商品登録されていない、会社名や商品名に使われていない、過去使われた漢字(247の元号で使われた漢字はわずか72種)を使う等々の約束事があるらしい。だとすると、山本博文さんは「「文」が選ばれるのでは」と予想しています。明文とか、文史とか?(笑)
2018年07月28日
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「武家の女性」山川菊栄 岩波文庫「明治150年に読みたい岩波文庫」シリーズで紐解いた。マイナーなセレクトが多い中で、これは83年発行以来35年間で43冊も重版がかかっている古典と言っていい作品である。残念ながら私は今まで見逃していた。私は社会主義者山川均の妻の堅苦しい女性問題本かと勘違いしていた。一読、重版出来は伊達じゃないと思った。戦前の発行とはとても思えない、優しい文章、けれども練りに練った文体、しかも民俗学の勘所を押さえた貴重な幕末武家社会の民俗聴き取り書にもなっていて、その上で、女性問題の啓蒙書にもなっているし、幕末水戸藩の歴史書にもなっているのである。柳田国男の薫陶を受けたらしいが、頷ける箇所が山のようにある。最初から12章までの見出しの立て方自体が見事に民俗学的な視点である(cf「明治大正史世相篇」)。その他民俗学的視点の素晴らしいところ、三界に家なしと言われた女でも着物だけが唯一の財産だった点、開国を境に作る着物から買う着物に変わっていった点、武家女性のお歯黒は、江戸中期からの習慣で一新後は苦労から解放されてほっとした点、三つ四つの女の子は頭の周りをけずって真ん中に残した毛を赤い切れで結んで「ケシ坊主」にしていた点、青年の遊びに墓参という名の遠足、2月と11月の25日に菅公様のお祭り、打球、等々があった点、典型的なきつねが化かした話が語られていた点、結婚についての迷信の点、などは史料的価値も高いと思われる。水戸の武家社会の史書的価値も高い部分がある。武家の離婚率の高さは、女史の分析通りと思える。また、それに続けての「女大学」批判、そして封建制度批判は、当時(昭18)の地位の低い女性制度批判に繋がる内容だったと思うが、まあ度胸の良い書き方だと思う。最後の三章分は、何処かで読んだと思ったら朝日まかて「恋歌」(直木賞受賞作)のエピソードがまるまる出てきた。おそらく、「恋歌」がこの本に刺激されて作られた長編だったのだと思う。水戸藩の「子年のお騒ぎ」に代表される内乱の内幕を女性の立場から活描した。また、その歴史観の正しさにも舌を巻く。改めて、これが戦中に書かれたことにびっくりする。2018年7月読了
2018年07月27日
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「上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」上野千鶴子 小笠原文雄 朝日文庫おひとり様の老後をずっと取り組んできた上野女史の、遂には終末期の課題が展開する。それは即ちわたしの課題でもある。わたしには後悔がある。この10年間で3人の親族の終末期を、しかも2人は喪主として、わたしは関わった。他に手があったのではないか。とずっと思ってきたが、この本を読んで改めて強い痛みと共にその想いを強くした。3人とも、病院で死なせた。最後の死に方も本人の意思など確認できなかった。しなかった。1人目は「セデーション」を何の疑問もなく選択し、臨終時に兄の到着に間に合わせるために蘇生措置までしてしまった。2人目は、臨終のタイミングがわからずに一週間何も栄養を採っていなかったことに気がつかなかった(医師は苦しくはなかったと言っているが)。妻の見舞いを2回しか実現させなかった。3回目(その妻)は、(反省を活かして)胃瘻をしてしまった。その前に身体拘束が数週間続いたことを了承してしまった。なぜ、わたしがこんな事を判断しなくてはならないのか、ずっと戸惑いながらやってきた。わたしには、まだ10年以上はあると思う。わたしの周りに環境はあるのか、そこから調べなくてはならないし、少なくとも終末期の医療の意思を病院に伝える工夫や、救急車を呼ばない仕組みや、介護必要時の家での介護体制構築の仕組みなど、準備体制を作らないとならない。この本を読んで、終末期でも単身者は、充分希望し満足して死ぬことができることが(いまのところは)理論的に可能だということが知れた。現在、要介護の高齢者は高齢者人口の約1.8割、そのうちまた6割が認知症と言われているらしい。最悪の場合を考えながら、気楽に準備していきたい。1年に一回は読み返して、できる所から始めたい。2018年7月読了
2018年07月25日
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22日の平和行進は、倉敷市役所、水島支所、連島公民館を経て旧霞橋西詰まで歩くコースでした。市役所では、総務部長から伊藤市長のメッセージを頂き、支所では副支所長からメッセージを頂きました。行進の間、核兵器廃絶を訴えると共に、未曾有の水害被害にも寄り添いながらの訴えになりました。水島支所の出発集会では、水島協同病院や医療生協職員や市職労からは通し行進者が抱えきれないほどの折り鶴の贈呈がありました。午前中には40人、午後からは55人の行進になりましたが、酷暑の中、78日目を歩いた通し行進者共々、誰も途中リタイアすることもなく歩き通しました。途中、堀南の黒川餅店の休憩所では冷たいお茶と冷凍バナナを接待してもらいました。ここは、今回の水害で膝したまで浸かったらしいのですが、なんとか被害はなかったのことです。連島公民館では、医療生協組合員手作りの紫蘇ジュースや大小のトマトなどが振舞われ、とても好評でした。霞橋西詰では「1日歩いてご苦労様」と甘い大玉のスイカがみんなに振舞われました。終わってビール。これだけを愉しみに今日は歩いた。
2018年07月24日
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「縄文人の死生観」山田康弘 角川ソフィア文庫特に縄文時代の墓制と人骨を研究している人類学者並びに考古学者。専門用語も多いので苦手な人はいるかもしれないが、章の最後の段落にきちんとまとめを置いているので、結論だけを知りたい人はそこを読むだけでも、だいたいは知ることができる。考古学者は事実だけを述べて、なかなかその先の仮説を言わないものだけど、この方は普通の考古学者と一線を画しているのか、きちんと述べているので、嬉しい。1ー4章までは、その根拠もほぼ科学的であり、わたしは大いに好感を持ったのだが、最終章は少し勇み足のような気がしている。この文庫本の題名ともなった「縄文の思想ー原始の死生観」を述べたところである。曰く。縄文時代の人々が考えた「あの世」は、仏教やキリスト教で考える「あの世」とはかなり違うものであったようだ。生命の循環を信じ、アニミズムの思想を持つ縄文時代の人々にとって「あの世」とは、系譜関係を意識したとしても、まさしく自然の中に還るということにほかならなかっただろう。生きている今は人として生きているが、死んだら自然の一部となり、そしていつか「この世」へと再生してくる。さきにも述べたように、これこそが縄文時代の基層的な死生観であったと、私は考えている。(150p)この仮説に、物的証拠は基本的に述べられてはいない。土偶や石棒の説明があるけれども、それが何故アニミズムの根拠になり、なおかつ、生命の循環思想の根拠なのかは説明できていない。もっとも、人は死んだならば「祖先の霊になって」「山に還ってゆく」という説は、縄文時代まで辿る必要はない。100年前の日本がまだそうだったと、柳田国男が証明している。そうではなくて、「死んだら自然の一部となり、そしていつか「この世」へと再生してくる」というのならば、自然の何になるのか?再生してくるのは何者としてくるのか?再生してくる赤ちゃんの起源は祖先なのか?それよりも他の世界からなのか?きちんとした説明がない。勇み足という所以である。ただ、心情的にはだいたいこの通りだったという気がしないでもない。以下、ほぼ同意出来て参考になった部分。・縄文時代後期には、既に祖霊観念が成立していて、祖霊崇拝が行われていた。多数合葬・複数例により、新たに生まれた集団の紐帯をまとめる必要があった。・前浜貝塚の女性人骨によりわかること。彼女は3000年ほど前の縄文時代に東北地方で生まれ育ち、15歳の頃に成人式を迎え、直ぐ結婚、月日をおかず懐妊、妊娠10ヶ月に入った頃に出産、しかし彼女は死亡、赤ちゃんも直ぐに死亡。享年17歳。母子ともに近接した墓に埋葬。家族は彼女の再生を願い、血液のメタファーである赤色顔料を遺体にまき、そして妊産婦の死亡という異常事態に呪術的に対応するためにオスのイヌを殉死させ顔の上に乗せた。そして、土坑に近接して赤ちゃんを、これまた再生を願って土器に入れて埋葬した。←もっとも、この「再生を願って」の部分が正しいのならば、生命の循環は、「本人」が戻るということになるのだが。・宮野貝塚人骨から。彼女は30代半ばでガンにおかされた。転移もあった。治療の一環として、イノシシ歯牙製の首飾がかけられた。・出産時、死産ならば土坑墓、生きて生まれて直ぐに死ぬと土器棺墓。2018年7月読了
2018年07月23日
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「DAYSJAPAN 2018年7月号」表紙写真は、ラップに包まれ温められたおにぎり。日本人にとってごく普通の日常だが、多くの先進国では、ラップに含まれるBPA(環境ホルモン)を懸念し、ラップを直接食べ物につけて温めることはしない。日本はBPA対策は後進国である。Photo by Getty Images広河隆一氏の取材「パレスチナ 分断されたアイデンティティ 2018.5.14 米大使館エルサレム移転の日、パレスチナ人が非武装で闘った意味」は、命からがらの取材だったのだと思う。パレスチナ人の腹ばいになっているところへ、イスラエル兵は容赦なくガス弾や実弾を浴びさせ、実際子ども看護師を含む62人が亡くなったそうだから、その1人に広河隆一氏がなる可能性は十二分にあっただろう。それにしても、ハマスは非武装闘争さえも、やろうと思えばできるのだ。戦術のひとつだとは思うのだけど。それでもイスラエルはいつの間にかトランプというキングを得て強大になっている。さて、特集のプラスチック問題。最近スタバがプラスチックストローを止めるという方針を出して、やっと関心が向き出した。海のプラスチック問題は、海の生物を傷つけるだけではなく、海に流れたプラスチックゴミは年月とともに微細化され、それは有害物質を吸収しながら人間を含む食物連鎖に入り込むという問題をも持つ。。今回はアメリカのスタバが動いたから日本でニュースになった。しかし既にEU、インドではレジ袋や使い捨てプラスチック製品の販売を禁止しているという。日本のレジ袋廃止はいっとき進んだがまた後退している。更に、今回は「ラップでチン」も危ないということが分かった。表紙写真の説明にある通りである。BPAだけではなく、代替品BPS(ビスフェノールS)も環境ホルモンであることが分かった。日本人のBPS摂取量と尿中濃度は世界でダントツというショッキングな表もある。これは、ゴミ焼却の依存が高い日本では大気から海洋にながれて、魚に取り込まれるからという。どうしようもないではないか。いろいろ避ける手段は書いているけど、なんか牛乳容器の紙パックを広げて乾していた昔と実践と効果は、変わらない気がした。京都大学吉田寮立退きのカウントダウンが始まっているという。うーむ。理不尽だ。昔トロたちの牙城となっていたからと言って、目障りなものを潰すというのは、いかにもえらい奴が考えそうなことだ。完全直接民主制のこの寮は貴重だ。と私は思う。今朝テレビを見ていたら、渡辺あやがNHKBSで「ワンダーウオール」というドラマを作り、「近衛寮」という名前で、そのま脚本を書いていたようだ。さすが、渡辺あやだ!2018年7月読了
2018年07月22日
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今月の映画評です。「新感染ファイル・エクスプレス」6月の初め、東海道新幹線で1人の男が無差別に乗客を殺傷し、パニックになるという事件が起きました。いち度に乗客が他の車両に避難しようとした時に、あまりにも急に人が殺到したのでかえって詰まってしまったという証言を聞いて、わたしはとっさに去年観た韓国のホラー映画を思い出したのでした。「あゝやっぱりそうなるんだ…」皆さん、ゾンビ映画はお好きですか?これは見事に好きな人、嫌いな人に分かれると思います。わたしも、どちらかといえば苦手な方なのですが、何とこれは楽しめました。いえ、怖くないゾンビ映画じゃないんです。何しろ、ソウルから釜山に向かう韓国新幹線(KTX)に、1人のゾンビが紛れ込んだことから始まり、急速に車両全体がゾンビ化して行く映画なのですから。気持ち悪い場面も正直あります。でも、韓国の場合アメリカとは違んです。敵を殺しまくって(ゾンビだから殺すというのはおかしいんだけど)生き延びるんじゃなくて、逃げて逃げて、逃げまくるのです。新幹線という密室なので、日本の事件のようなパニックがどんどん増幅されて展開されます。そして不思議なことに、最後には「泣けるゾンビ映画」になるのです。これは凄かった。こんなの観たことない。こういう所が韓国映画の良くも悪くも真骨頂だと、私は思います。どんな作品も「情(チョン)」に訴えるのです。家庭を顧みない仕事人間(コン・ユ)がひとり娘(キム・スアン)を守る、妊婦の妻(チョン・ユミ)をマッチョの夫(マ・ドンソク)が守る、高校生カップルがお互いを守る。悲しい運命の脇役も大勢登場して飽きさせません。主人公が最初自分のことしか考えない酷い男として登場します。もうひとり会社役員が同じような人間として登場しますが、彼には家族がない。この人と主人公との対比が、最後まで見せ場を作りました。その他、今までのゾンビ映画の「お約束」を踏襲しながらも、工夫満載です。ラストは、冒頭近くのさりげない場面が伏線になっていたのですが、わたしは泣きながら「上手いなぁ」と思いました。ちなみに原題は「釜山行」。久しぶりに「新感染」は、邦題の傑作でした。(2017年韓国ヨン・サンホ監督作品、レンタル可能)
2018年07月21日
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6月に観たのは、12作品じゃなくて13作品でした。ラスト5作品を紹介します。「空飛ぶタイヤ」2016年4月新聞社の調査報道を扱った「スポットライト」の映画の感想を仲間で語ったとき、三菱の燃費偽装問題が起きた。度重なる三菱自動車のリコール隠しであるにもかかわらず、倉敷市はいち早く三菱自動車の全面的な税金投入を決定し、世の中の報道は、三菱労働者の休業生活がどうなっているかに終始した。私は「スポットライト」のジャーナリストと比べて「おかしい!」と文句を言った。「報道すべきは、こんなことではない。なぜ三菱でリコール隠しがなくならないのか。そのことに切り込んだ報道を今こそすべきではないか」映画仲間には、マスコミ関係者もいる。彼は確かこう言ったと思う。「日本では無理だろうね」あの財閥系大企業に逆らう報道をするなんて、ということらしい。この映画の中でも、一旦決まった週刊誌掲載がボツになるのは、グループ全体の広告費のせいだというシーンがある。「おかしいじゃないですか?アメリカに出来てどうして日本で出来ないんですか!ジャーナリストとしてのプライドはどうなるんですか!」私は声を荒げた。しかしそれだけだった。この映画の中ではホープ自動車の事になっているが、2002年の三菱自動車のタイヤの構造的欠陥で死亡事件が起きたことがモデルであることは明らかである(「この映画はフィクションであり」というお決まりの文句さえ、入っていなかったことに今気がついた。監督が入れたくなかったんだと思う)。構造的欠陥を作ったのは、企業の構造的隠避体質であることを、有る程度は明らかにした作品である。そして、あるべき会議の記録は、遂に隠して隠して隠し通したので安心していた「上の人たち」の悪事を暴いたのは、会議の記録の暴露だったことが、わかるラスト。それはそれのまま、現代日本の「政治」の構造的隠避体質と同じだろう。宣伝では、赤松運送の長瀬、ホープ自動車のディーン、ホープ銀行調査部の高橋一生の3人が主要登場人物になっていたが、実は高橋はほとんど関係ない。そして1番のキーマンは、最後貧乏くじだけをひいている中村蒼であるはずなのだが、「現実」と同じように、全然注目されないのである。(ストーリー)ある日突然起きたトレーラーの脱輪事故。整備不良を疑われた運送会社社長・赤松徳郎(長瀬智也)は、車両の欠陥に気づき、製造元である大手自動車会社のホープ自動車カスタマー戦略課課長・沢田悠太(ディーン・フジオカ)に再調査を要求。同じ頃、ホープ銀行の本店営業本部・井崎一亮(高橋一生)は、グループ会社であるホープ自動車の経営計画に疑問を抱き、独自の調査を開始する。それぞれが突き止めた先にあった真実は大企業の“リコール隠し”―。果たしてそれは事故なのか事件なのか。監督 本木克英出演 長瀬智也、ディーン・フジオカ、高橋一生、深田恭子、寺脇康文、小池栄子[120分 ]http://soratobu-movie.jp/sp/2018年6月18日TOHOシネマズ岡南★★★★「ワンダー 君は太陽 」予想されるような陰湿なイジメは、あっさり描かれる。周りの子供も、親も、教師も理想に近いほどの理解があって、酷いのは、イジメを主導した男の子の親ぐらいなものだ。(「これが現実なのよ」)確かにオギーはがんばった。しかし、描きたかったのはおそらくそこではない。非常にテンポいい演出。明るさを強調。うまく行き過ぎが、少し心配。途中で数回語り手が入れ替わる。オギー、姉、友達、姉の友達。友達までならば、観客の我々も彼らの善意は予想の範囲内だ。けれども、姉の友達までになると、その心の内を映画を通じて見ないことには、その美しい顔の容姿の下の淋しい心はわからない。でも、「よく見る」そうすることによって、「理解し合える」ことを押し付けがましくはなく、描くことに成功している。小学5年の修了式の表彰を、クライマックスに持ってきて少しうるっとこらせるのは、オギーの障害が、発達障害や吃りなど、誰にでもあり得ることをみんな承知しているからではある。(ストーリー)10歳のオギー・プルマン(ジェイコブ・トレンブレイ)は、普通の子には見えない。遺伝子の疾患で、人とは違う顔で生まれてきたのだ。27回もの手術を受けたせいで、一度も学校へ通わずに自宅学習を続けてきたオギーだが、母親のイザベル(ジュリア・ロバーツ)は夫のネート(オーウェン・ウィルソン)の「まだ早い」という反対を押し切って、オギーを5年生の初日から学校に行かせようと決意する。夏休みの間に、オギーはイザベルに連れられて、校長先生に会いに行く。先生の名前はトゥシュマン(マンディ・パティンキン)、「おケツ校長だ」と自己紹介されて、少し緊張がほぐれるオギー。だが、「生徒が学校を案内するよ」と言われたオギーは動揺する。監督 スティーヴン・チョボスキー出演 ジュリア・ロバーツ、ジェイコブ・トレンブレイ、オーウェン・ウィルソン、マンディ・パティンキン、ダヴィード・ディグス、イザベラ・ヴィドヴィッチ、ダニエル・ローズ・ラッセル、ナジ・ジーター[ 上映時間:113分 ]2018年6月18日TOHOシネマズ岡南★★★★http://wonder-movie.jp/「焼肉ドラゴン」なぜ監督は既に評価の定まっているこの作品を苦労してまで映画化したのだろう?もしかしたら、有名俳優を使えばヒットするかもと考えたのだろうか?それが全然ないとは言えないだろうけど、大きな理由はそれではない。と思う。いくら演劇で賞を獲っても観た観客数は映画の観客数に遠く及ばない。できるだけ多くの日本人や韓国人に等身大の在日を見せる。それに尽きるのではないか?多くの日本人に、この作品で在日の真実がわかるとは思えない。あの夫婦、北に行って馬鹿だなあ、という感想がたくさん出てくるのがオチと言えばオチかもしれない。セリフでさらっと出てくるだけなので、若者が在日の不平等に心を砕くかどうかはとても疑問だ(戦中の補償、日本籍問題、済州島事件、強制立ち退き等々)。だけど、親と子の情、男女の愛憎は、万国共通である。井上真央と桜庭みなみ、そしてイ・ジョンウン、キム・サンホがとっても良かった。映画だから出来る、ほぼバイリンガルの会話もとっても自然だった。基本会話が多いので、ハングル初心者にも学習用にとっても良い。韓国人は顔が日本人そっくりだから、日本人は韓国人の振る舞いが癪に触って仕方ない。もういい加減気がつかなくてはならない。一世二世は、そうはいっても韓国人なのである。外国人なのである。「情」に厚いが、白黒はっきりつけなくては気が済まない。どんなに人前でも、唾を飛ばして喧嘩をする。人と人との距離が近いから、ゴミゴミしたところでも大丈夫だけど、ホルモンとキムチは、やはり韓国人が作った方が美味しいのである。3人の美人姉妹は三つの違う道に進む。それは戦後在日の歴史でもある。在日映画の秀作である。(ストーリー)日本万国博覧会が開催された高度経済成長期の1970年、関西地方で焼肉店「焼肉ドラゴン」を営む龍吉(キム・サンホ)と妻・英順(イ・ジョンウン)は、娘3人と息子と共に暮らしていた。戦争で故郷と左腕を奪われながらも、前向きで人情味あふれる龍吉の周りには常に人が集まってくる。(キャスト)真木よう子、井上真央、大泉洋、桜庭ななみ、大谷亮平、ハン・ドンギュ、イム・ヒチョル、大江晋平、宇野祥平、根岸季衣、イ・ジョンウン、キム・サンホ(スタッフ)原作・脚本・監督:鄭義信2018年6月28日Movix倉敷★★★★http://yakinikudragon.com/sp/「万引き家族」テレビドラマ「幸色のワンルーム」が誘拐自体を肯定している。助長しかねない、という批判を受けて、1部の放送局の放映を中止した。そのことに関して、その批判に対して「表現の自由の侵害」「コナンなどの殺人を扱った他の作品も悪いことになる」と再批判が起こる。それに対して、当初の批判をした太田啓子弁護士がインタビューに応えている。「殺人、窃盗は、作品の中でも悪いことだという認識が通用している。しかし、この作品の中には、(虐待を受けていた少女が)誘拐された方が幸せになれる、という認識がまかり通る。殺人は世の中がそういう認識を許さないが、誘拐はそういう認識を許すのが現代日本であり、そういう状況がある限りこの作品は放映されてはならない。」と大まかにはそういう反論を行っていた。なぜ長々と、そのことを述べたのか?この作品が誘拐を助長するように描いているからか?そこまではいかなくても、誘拐は結局許されるんだと描いているからか?これが許されるのならば、太田弁護士の論理は通用しないからか?結論的に言えば、映画を見てわかるのは、家族が嫌になったら擬似家族を作ればいいじゃないか、とは決してならない作品だった。ということは、分かる。もっと大事な視点がある。わたしも微かに覚えている。年金受給者が死んだ後も、それを隠してずっと年金をもらっていた擬似家族の報道を。あれが実はこういう家族だったという問いかけの映画ではない。物事の真実は、いつも「微妙な中」にこそあり、報道で分かった気になってはいけないのである。万引きは良くないことである。これはどう言い訳しようとも誘拐である。だから、主人公は法的に罰せられただけではなく、孤独に独り罪と向き合っている。それでも、その後に、何かをつかんでいる。それはこの家族にしか見えないものであり、いくらにているからと言って昔報道された擬似家族がその景色を観たとは誰も思わないだろう。彼らは確かに観た。その確信を、わたしは映像の中に観る。松岡茉優が無人の引き戸を開けた時、安藤サクラが何なんだろうねと涙を拭ったとき、城桧吏がけじめをつけたとき、佐々木みゆがラスト「外」に何かを見つけたとき。リリー・フランキーだけは何も見つけていないかもしれないが(笑)。あ、それから、日本の貧困対するセーフティネットの欠如は、思ったよりも実にさりげなく、作られていた。老人の年金受給が2ヶ月で12万円もないことに、若者は気がついただろうか?日雇い労働者が明らかに仕事中事故をしても、労災が下りないのに若者は怒りは湧かないのか。長年勤めている労働者の首切りが平然と行われることに怒りは湧かないのか?さりげなく描かれているので、若者が「政府から助成金もらっているのに、そんな告発映画作っちゃダメだろ」というのは、二重の意味で「忖度」する発言である。バカらしい。改めていうが、そんなことをいう若者(だけじゃなく大人も大勢いるけど)の殆どは作品を実際に観ずに言っている。映画の批判は、作品を観てからにすべきである。(STORY)治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は万引きを終えた帰り道で、寒さに震えるじゅり(佐々木みゆ)を見掛け家に連れて帰る。見ず知らずの子供と帰ってきた夫に困惑する信代(安藤サクラ)は、傷だらけの彼女を見て世話をすることにする。信代の妹の亜紀(松岡茉優)を含めた一家は、初枝(樹木希林)の年金を頼りに生活していたが……。(キャスト)リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、池松壮亮、城桧吏、佐々木みゆ、緒形直人、森口瑤子、山田裕貴、片山萌美、柄本明、高良健吾、池脇千鶴、樹木希林(スタッフ)監督・脚本・編集:是枝裕和音楽:細野晴臣撮影:近藤龍人2018年6月24日Movix倉敷★★★★http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/「女と男の観覧車」ケイト・ウィンスレットに尽きる。見事な存在感。もしかしたらホントにこの女性は「タイタニック」のあと、作品に恵まれなくてやさぐれていたのかな、とうたぐってしまうほどの迫真の演技。ホントはその後何度も女優賞にノミネートし、遂には最優秀女優賞さえ獲ったというのに。82歳になって、もはやウッディ・アレンはコメディを作らないのだろうか。長い人生で付き合って来た女たちの、少女のような夢、ぞくりとする色気、悪魔のような嘘、醜い執着、それらをまるでこれでもかという風に遊園地の見世物のように見せる。ここに出ている海岸監視員は、軍役の後に世界を旅した知識人という20代の若者。82歳のウディ自身の分身である。だとすると、彼女に儚い夢を持たせ、そして捨てるのは、彼自身の告白なのかもしれない。舞台は最初から危うい均衡に成立している。ギャングに追われた妹が、最初追手から逃れるのは幸運以外の何物でもない。そのつかの間の悲劇の間に、妹は中断の学問をして恋をする。そのつかの間の希望は、まるで観覧車が与える美しさのようでもある。ジニーの息子の放火癖は、彼女の抱える人生の罪の(不倫による夫の自殺、諦めきれない女優の仕事、40歳間近という身体の衰え)合わせ鏡である。冒頭の放火にせよ、心理医療者の家への放火にせよ、冒頭か最終には死者を出す大事故を起こしていても仕方なかった。彼女が若者との不倫で夢観たのは、そのつかの間の観覧車の美しさだったのかもしれない。老いてますます軒昂。ウッディ・アレンは素晴らしい。(解説)ウッディ・アレン監督がケイト・ウィンスレットを主役に迎え、1950年代ニューヨークのコニーアイランドを舞台に、ひと夏の恋に溺れていくひとりの女性の姿を描いたドラマ。コニーアイランドの遊園地内にあるレストランで働いている元女優のジニーは、再婚同士で結ばれた回転木馬操縦係の夫・ハンプティと、ジニーの連れ子である息子のリッチーと3人で、観覧車の見える安い部屋で暮らしている。しかし、ハンプティとの平凡な毎日に失望しているジニーは夫に隠れて、海岸で監視員のアルバイトをしながら劇作家を目指している若い男ミッキーと不倫していた。ミッキーとの未来に夢を見ていたジニーだったが、ギャングと駆け落ちして音信不通になっていたハンプティの娘キャロライナの出現により、すべてが大きく狂い出していく。ウィンスレットが主人公のジニーを演じるほか、ミッキー役を歌手で俳優のジャスティン・ティンバーレイク、ハンプティ役をジム・ベルーシ、キャロライナ役をジュノー・テンプルがそれぞれ演じる。(スタッフ)監督ウッディ・アレン製作レッティ・アロンソンエリカ・アロンソンhttp://longride.jp/kanransya-movie/2018年6月25日シネマ・クレール★★★★
2018年07月20日
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「タクシー運転手 約束は海を越えて」10数年前に、光州まで行った時に、ともかく何も知らずに「国立光州墓地」に、タクシーで行った。一面の墓、墓、墓。全て、1980年の5月19日から20数日にかけての死亡日になっていて、恐ろしく高い確率で19歳、18歳、はては14歳という若者の享年が刻まれていた。資料部屋では、当時の2人の大統領の囚人服姿が延々と流されていた。死刑宣告されたが、彼らはその後減刑される。あの時は、光州駅のロータリー前がまだ当時の様子をとどめていて、入れなかったが県庁の弾丸跡などが生々しかった。流石のソン・ガンホである。冒頭に学生デモを苦々しく思う一般成人の雰囲気を見事にまとい、その後の変貌ぶりを、しかもエンタメで演じた。どこまでが実話なのかはこれから検証するが、事件そのものに大きなウソはない。政府はウソをつく。韓国の民主化運動の大きな転換点がこの光州事件であり、それが失敗に終わることなく成功したのは、ドイツ人記者ピーター(日本人ではないのが、残念)と、韓国の「情」の行動で献身した無名のタクシー運転手に依る、或いは光州で出会ったタクシー運転手たちや若い運動家に依ることが多かった。タクシー運転手が最後に名前を偽ったのは、当時の社会情勢から見て当然だろう。そこから、10数年おそらく必要に迫られ誰にも一言も喋らなかったのではないか?そのあと、遂に名乗らなかったのは、病死等の不幸があったと思うが、映画はハッピーエンドで終わらす。ソン・ガンホが素晴らしい。解説1980年5月に韓国でおこり、多数の死傷者を出した光州事件を世界に伝えたドイツ人記者と、彼を事件の現場まで送り届けたタクシー運転手の実話をベースに描き、韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したヒューマンドラマ。「義兄弟」「高地戦」のチャン・フン監督がメガホンをとり、主人公となるタクシー運転手マンソプ役を名優ソン・ガンホ、ドイツ人記者ピーター役を「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマンが演じた。1980年5月、民主化を求める大規模な学生・民衆デモが起こり、光州では市民を暴徒とみなした軍が厳戒態勢を敷いていた。「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」というドイツ人記者ピーターを乗せ、光州を目指すことになったソウルのタクシー運転手マンソプは、約束のタクシー代を受け取りたい一心で機転を利かせて検問を切り抜け、時間ギリギリにピーターを光州まで送り届けることに成功する。留守番をさせている11歳の娘が気になるため、危険な光州から早く立ち去りたいマンソプだったが、ピーターはデモに参加している大学生のジェシクや、現地のタクシー運転手ファンらの助けを借り、取材を続けていく。キャストソン・ガンホキム・マンソプトーマス・クレッチマンユルゲン・ヒンツペーター(ピーター)ユ・ヘジンファン・テスルキャストの続きを見るスタッフ監督チャン・フン製作パク・ウンギョン製作総指揮ユ・ジョンフン映画評論韓国現代史上最大の悲劇を題材に、笑いも交え感動作に仕立てた監督の離れ業光州事件が起きたのは1980年5月。前年の朴正煕大統領暗殺から、非常戒厳令、粛軍クーデターなどが立て続けに起きた韓国の激動期、同国南西部の光州で民主化を求める20万人規模の市民デモに軍が発砲し、多数の死傷者を出した。さて、韓国現代史上...2018年6月11日岡山メルパ★★★★「羊と鋼の森」3回繰り返される原民喜の理想の文体を表した文章。「ー明るく静かに澄んで懐かしい文体。少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体。夢のように美しいが現実のようにたしかな文体。」この言葉と、森と、そして調律という仕事を、どのようにして映画として説得力のあるものにして行くのか?派手な場面、ラブストーリーもないので、ものすごくむつかしい作品になるだろう、ということはわかっていた。わかっていて、それに挑戦するのだから、見てやろうという気持ちで、観た。結果は、「コツコツ、コツコツですね」という板鳥さんの感想とかぶる。ピアノの音と森の映像をかぶせる。それがうまく行く時(上白石萌音の演奏シーン)と、冒頭の森のシーンのように意味わからない映像になっている時がある。小説を読んでいる時はよくわからなかった、「羊のハンマーが鋼の弦を叩く」という意味が、映像できちんと見せてくれて、調律の音の違いがわからないまでも少し聞き分けられたり、映画ならではの部分があって、良かった。デモ、原作のような感動は、ちょっとむつかしかったかな。(物語)将来の夢を持っていなかった外村は、高校でピアノ調律師・板鳥に出会う。彼が調律したその音に、生まれ故郷と同じ森の匂いを感じた外村は、調律の世界に魅せられ、果てしなく深く遠い森のようなその世界に、足を踏み入れていく。調律師の先輩たち、高校生姉妹、引きこもりの青年、意地悪なバーのオーナー。ときに迷い、悩みながらも、ピアノ関わる多くの人に支えられ、磨かれて、外村は、調律師として、人として、逞しく成長していく。監督 橋本光二郎出演 山﨑賢人、鈴木亮平、上白石萌音、上白石萌歌、堀内敬子、仲里依紗、城田優、森永悠希、佐野勇斗、光石研、吉行和子、三浦友和[ 上映時間:134分 ]http://hitsuji-hagane-movie.com/sp/2018年6月14日TOHOシネマズ岡南★★★★「30年後の同窓会」2003年の元海兵隊員の心情と、当時のアメリカの空気をよく伝える、思いも掛けない興味深い作品だった。原題は「LAST FLAG FLYING 」(最後の国旗掲揚?)。これは悪い邦題のつけ方の見本。アメリカ国民にとって、ベトナム戦争とは何だったのか。イラク戦争とは何だったのか。酒浸りになるにせよ、牧師になるにせよ、地道に労働者になるにせよ、傷を持ち込んで30年間過ごさざるを得なかった。それは、それから15年経った今のアメリカも同じなのだろう。ドクとドクの息子が合わせ鏡の関係を持っていたように、現在も合わせ鏡を持っているのだろう。(ストーリー)男一人、酒浸りになりながらバーを営むサル(ブライアン・クランストン)と、破天荒だった過去を捨て今は牧師となったミューラー(ローレンス・フィッシュバーン)の元に、30年間音信不通だった旧友のドク(スティーヴ・カレル)が突然現れる。ドクは、1年前に妻に先立たれたこと、そして2日前に遠い地で息子が戦死したことを2人に打ち明け、亡くなった息子を故郷に連れ帰る旅への同行を依頼する。バージニア州ノーフォークから出発した彼らの旅は、時にテロリストに間違われるなどのトラブルに見舞われながら、故郷のポーツマスへと向かう――。監督リチャード・リンクレイター出演 スティーヴ・カレル、ブライアン・クランストン、ローレンス・フィッシュバーン[ 上映時間:125分 ]http://30years-dousoukai.jp/sp/2018年6月14日TOHOシネマズ岡南★★★★私のわけのわからない感想よりも、高遠菜穂子さんの映画鑑賞記には、真実が詰まっています。長いですが、是非読んでください。高遠菜穂子戦争場面が一切ないけど、やっぱり反戦映画だと思いました。原題の「Last Flag Flying」の意味を考えても、そう思いました。"Keep Flag Flying "戦い続けるのを、もう最後にしようぜというような。そして、ベトナム帰還兵とイラク帰還兵はやはり似ていますね。2世代にわたって国に命を捧げた親子、ドクとラリー。この2つの戦争は、救いようのないほど大義も意味もなく、長引かせるだけ長引かせ、若い世代は粗末に扱われた。これだけ国に尽くしたのに、払わされる代償が大きすぎやしませんか?「心から恨んでいるものは、大昔の自分の愚かさ」だと断言していたサルが、「辛かった」と本音をぶちまける場面。帰還後は自由に楽しく生きているように見えた彼の心の傷があまりに深いことに、こちらまで胸が痛くなりました。イラクで強張った顔をした若い米兵たちを思い出しました。私たちは、兵士を讃えながら、どこまで彼らを理解しているといえるでしょうか。戦争はウソで始まり、ウソで終わる。僕らはジャングルへ、そこに意味はなかった。息子は辺ぴな砂漠へ。なぜだ?理由なんかない。そして、棺はウソで固められて。どん底にまで落ちないと目が覚めない。この悲劇はわかっていた。ついに3人の口からいくつもの実感が語られます。少し、イラク戦争とイラク帰還兵のことを書かせてください。今年はイラク戦争開戦から15年。開戦以来、イラクは"テロ”の最大被害国のひとつとなり、内戦状態にも陥り、地獄を何度も経験しました。ここ数年は、イラク戦争が生んだモンスター"ISIS"に苦しみました。イラク戦争は「永遠の対テロ戦争」の始まり。テロ撲滅どころか、世界中にテロが拡散してしまった。つくづく...戦争は理想論。ちっとも現実的じゃない。戦争は費用対効果が低すぎる。安全は遠のくばかり。2003年「イラクは大量破壊兵器をもっている」かつての米大統領や英首相は脅威を煽り、勇ましいリーダーたちは「世界の安全のために」イラクへの先制攻撃を強行しました。攻撃開始からわずか数週間で、「大規模戦闘終結宣言」を発したブッシュ大統領でしたが、サクッと終わる戦争なんてない。しかも、敵が誰かわからない。そのうち「動くものはすべて撃て」が繰り返され、夥しい数の民間人がさらに犠牲になっていく。いつか聞いた声。いつか来た道。ジャングルは砂漠に続いていたというわけか。2003年11月、日本の外交官2名がイラクティクリートで殺害。12月、フセイン大統領処刑。私はバグダッドでそれらの報道を見ていました。米軍の占領政策は「失敗」と叩かれ、狙撃や爆弾攻撃が増えていきました。路上には巻き添えになった人々の血や遺体。苛立つ米兵たちは私たちにも銃を向けることが多くなっていました。学用品を届ける米兵たちと学校で行き合った時、生徒も先生も一斉に校内に隠れました。両手を上げないと撃ってくるかもしれない米兵たちを、好きになれとは無理な相談です。何万人ものイラクの民間人が殺されたのち、勇ましいリーダーたちは、大量破壊兵器保有疑惑は「誤情報」だったから謝ると言いだしました。いやいや、遅いよ。遅すぎる。すでにイラクは泥沼です。戦場イラクで路上爆弾や狙撃で殺された米兵の死者数が止まらない。「兵士を帰還させよ」というスローガンが全米でうなっていました。いつか聞いた声。いつか来た道。ジャングルと砂漠が一緒になっていました。「大義なき戦争」でイラクに送られ、過酷過ぎる戦場を生き延びた若い兵士たち。2005年、私は彼らに会うためにアメリカに行きました。故郷に帰ってきた彼らは戸惑っていました。「英雄」と呼ばれながら、自分のしてきたことに「痛み」を感じて。1971年、ベトナム帰還兵が自らの残虐行為を告白し「冬の兵士」となりました。2008年、今度はイラク帰還兵たちが「冬の兵士」となりました。私がそれまでイラクの人々から聞き取ってきたおぞましい米軍蛮行の被害は、加害者である米兵が語ったことで、初めて世間に大きく知られることとなりました。米兵の「告白」は軍法裁判にかけられたり、刑務所送りになる可能性が高いのです。彼らの勇気と良心は賞賛に値します。けれど、「心の痛み」はそばにいてヒリヒリするほどでした。兵士としての行為が、一人の人間としての良心と折り合いがつかないよ。僕が殺したあの子は誰だったんだろう?「動くものはすべて撃て」と上官の命令。そんなこと「あってはならない」のに、イラクとベトナムでは「日常茶飯事」だった。笑っていたって心は痛い。「殺すか殺されるかは当たり前」と米兵はよく言いますが、「殺したくない」は軍隊では罪。戦場で人間性を取り戻すことだけはやっちゃいけないんだ。「名誉」だとされながら、いっそ殺されたいと願う日々。「ウソ」を受け入れねば生きていけない者、隠し通さねば生きていけない者。楽になりたくて戦場に戻ろうとする者。アメリカでは帰還兵が1日平均22人自殺するという。(退役軍人省)「本当ですか?」と訝る私に、「現実はもっと多い」と即答する米専門家。映画の中のベトナム帰還兵3人も若いイラク帰還兵も、命令があれば死ぬことさえ厭わない覚悟をもっている。「国に命を捧げた兵士はみな英雄」。なのに、彼らはみな胸の中に痛みを抱えている。せめて、その戦争を始める理由が「ウソ」でなければ。せめて、ジャングルでの戦いに「意味」があれば。せめて、失われた兵士の棺が「真実」で包まれていれば。〜Not Dark Yet (まだ暗くない)でも やがて闇となる〜私たちが「ウソ」と「隠蔽」に慣れた頃、私たちの「英雄」はさらなる「ウソ」と「隠蔽」で固められていることだろう。それが「国に命を捧げる兵士」に対する敬意といえるの?長らく戦場から遠ざかっていた私たち日本人は今、そこに向かって歩いている。「国に命を捧げる兵士」を戦地に送り出す覚悟が私たちにあるといえるの?もう一度、闇に葬られ、闇に突き落とされないと目が覚めないのか。あたりはもう暗くなってきた。「終わった人」よくある「何もすることなくて妻からゴミ扱いされる人」ではない。そもそも舘ひろしが、ずっとそんな役を勤めることができるはずはない。全編「終わらない人」を演じながら、何度も終わる人になる役である。そもそも、東大卒で役員競争に敗れて地方会社の専務で終わった人の定年後が、退屈になるはずがない。それでも、なんとか居場所を見つけようとする、都会の人の話。まあ、好きにやって、という感じ。それでも、久しぶりの中田監督でした。職人監督です。(ストーリー)大手銀行の出世コースから外れ、子会社に出向させられたまま定年を迎えた田代壮介。これまで仕事一筋だった壮介は途方に暮れる。日々、やることがない。時間の進みが遅すぎる…。このまま老け込むのはマズイと感じ、スポーツジムで身体を鍛え直したり、図書館で時間を潰そうとするのだが、よく見ると周りにいるのは“終わった”ように見えてしまう老人ばかり…。美容師として忙しく働く妻・千草には、ついグチをこぼし、次第に距離を置かれてしまう。「俺はまだ終われない」と、職業安定所で職探しを始めるも、高学歴と立派な職歴が邪魔をして思うように仕事が見つからない。妻や娘からは「恋でもしたら?」とからかわれる始末…。監督 中田秀夫出演 舘ひろし、黒木瞳、広末涼子、臼田あさ美、今井翼、ベンガル、清水ミチコ、温水洋一、高畑淳子、岩崎加根子、渡辺哲、田口トモロヲ、笹野高史http://www.owattahito.jp/sp/index.html2018年6月18日TOHOシネマズ岡南★★★
2018年07月18日
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今回は珍しくたくさん観た(12作品)。三回に分けて紹介する。「恋は雨上がりのように」小松奈菜の走る姿や身体や、ツンデレの表情は想像以上にキチンと映像にあっていて、不器用であり得ない恋に、リアル感をもたらしていた。それだけが、この映画の手柄であり、45歳バツイチ男の未練たっぷりの夢(小説作り)は、私は共感を持つけど、添え物みたいなもの。ホンモノの恋に発展させないのは、ドラマとしては弱いけど、リアルでもあり作品としては爽やかな後味を残したと思う。(STORY)陸上競技に打ち込んできたが、アキレス腱のけがで夢をあきらめざるを得なくなった高校2年生の橘あきら(小松菜奈)。放心状態でファミレスに入った彼女は、店長の近藤正己(大泉洋)から優しい言葉を掛けてもらったことがきっかけで、この店でアルバイトを始めることにする。バツイチ子持ちである上に28歳も年上だと知りながらも、彼女は近藤に心惹(ひ)かれていく。日増しに大きくなる思いを抑え切れなくなったあきらは、ついに近藤に自分の気持ちを伝えるが……。(キャスト)小松菜奈、大泉洋、清野菜名、磯村勇斗、葉山奨之、松本穂香、山本舞香、濱田マリ、戸次重幸、吉田羊スタッフ原作:眉月じゅん監督:永井聡脚本:坂口理子音楽:伊藤ゴロー主題歌:鈴木瑛美子×亀田誠治製作:市川南共同製作:久保雅一、村田嘉邦、弓矢政法、山本浩、中江康人、高橋誠、細野義朗、吉川英作、田中祐介エグゼクティブプロデューサー:山内章弘プロデューサー:春名慶、石黒裕亮、唯野友歩2018年6月5日Movix倉敷★★★★http://koiame-movie.com/sp/#/boards/koiame「デッドプール2」「1」は観ていない。ここまで実在作品に言及するとは思わなかった。これが、アメリカのユーモア作品なのだろうか?アメリカならば、いつも爆笑しているのだろうか?わたしの観た劇場は、ピクリとも笑いは起きなかった(とツイートしたら「うちは大爆笑だった」と反論が来た)。今回の目玉のギャグは、「アナ雪」の「雪だるまつくろう」が、昔の映画のメロディのまるまるパクリである。ということ。日本人はもう少し反応しても良いのにね。今回は、主人公は死にたくて死にたくて仕方ないらしい。バラバラになっても、真っ二つになっても、不死身なのがこのヒーローらしいが、それを逆手にとってここまで作劇するのが、ハリウッドということらしい。基本的に玄人受けする作品だけど、わたしは嫌いじゃないけど、好きでもない。可愛い日本人の女の子、誰だったかな誰だったかな、とずっと思っていたら、なんと忽那汐里だった。英語をものにした彼女の活躍の場が増えている。STORYのんきに過ごすデッドプール(ライアン・レイノルズ)の前に、未来から来た“マシーン人間”のケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れる。大好きなヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)のためにまっとうな人間になると決めたデッドプールは、ケーブルが狙う不思議な力を持つ少年を守ろうと、特殊な能力があるメンバーだけのスペシャルチーム「エックス・フォース」を作る。キャストライアン・レイノルズ、ジョシュ・ブローリン、モリーナ・バッカリン、ジュリアン・デニソン、ザジー・ビーツ、レスリー・アガムズ、T・J・ミラー、ブリアナ・ヒルデブランド、カラン・ソーニ、ジャック・ケシー、忽那汐里スタッフ監督:デヴィッド・リーチ脚本:ポール・ワーニック、レット・リース、ライアン・レイノルズ製作:サイモン・キンバーグ、ライアン・レイノルズ、ローレン・シュラー・ドナー2018年6月7日Movix倉敷★★★★http://www.foxmovies-jp.com/deadpool/sp/「妻よ薔薇のように 家族はつらいよ3」観客はオーバーエイジばかりではあるが、ある程度の入はあるようだ。どうして、60代、70代の女性は、あんなに素直に笑うことができるんだろ。安定の家族会議。安定の特上ウナギの出前10人分。前回は、せっかく頼んだのに人の生き死にがあって無駄に終わったが、今回はホントに上手くいった。きっと、この部分は世の中の庶民感覚からかけ離れていると、山田洋次に意見が届いたのに違いない。わたしも、ずっとそれだけを気にしていた分、今回やっと納得のいく「出前」になったと思う。前回死んだ小林稔侍が、今回当たり前のようにお父さんの友人として再登場しているところが、おお、これはパラレルワールド世界なんだと納得させる。おそらくこれからも少しづつ、設定は変わってゆくだろう。家の間取りはあまり変わらなかったけど、今回も家の前の景色は変わったと思う。えっ⁉︎そういう話じゃない?そうだよね。でも、本来はあり得ないあの家族会議が、現代へのアンチテーゼになっているとは思う(結局寅さんと同じ構造)。主婦のシャドウワークというテーマは、実はその後に来る。西村まさ彦の傍若無人ぶりは、一生懸命工夫はしているが、予定調和であり、まあこういう喜劇としては仕方ないとも思った。反対に言えば、やはり傑作とは言い難い。夏川結衣が、うまい具合に肉が着いて、非常にリアルな奥さんになってた。あれって、役作り?(STORY)平田家に泥棒が入り、長男・幸之助(西村まさ彦)の嫁・史枝(夏川結衣)がひそかに貯めていたへそくりが盗まれる。自分の身を心配せずにへそくりをしていたことに怒る幸之助に対し、史枝は不満を爆発させ家を出ていってしまう。家事を担当していた彼女がいなくなり、母親の富子(吉行和子)も体の具合が良くないことから、父親の周造(橋爪功)が掃除、洗濯、炊事をやることになる。しかし、慣れない家事に四苦八苦するばかりで……。(キャスト)橋爪功、吉行和子、西村まさ彦、夏川結衣、中嶋朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優、藤山扇治郎、広岡由里子、北山雅康、大沼柚希、小林颯、小川絵莉、徳永ゆうき、小林稔侍、風吹ジュン、木場勝己、立川志らく、笹野高史、笑福亭鶴瓶(スタッフ)監督・脚本・原作:山田洋次脚本:平松恵美子音楽:久石譲撮影:近森眞史美術:倉田智子照明:渡邊孝一編集:石井巌録音:岸田和美プロデューサー:深澤宏衣裳:松田和夫装飾:湯澤幸夫音響効果:帆苅幸雄監督助手:佐々江智明、濱田雄一郎タイトルデザイン:横尾忠則VFXスーパーバイザー:オダイッセイ音楽プロデューサー:小野寺重之宣伝プロデューサー:古森由夏スチール:金田正記録:鈴木敏夫製作担当:杉浦敬製作主任:牧野内知行ラインプロデューサー:相場貴和上映時間123分2018年6月7日Movix倉敷★★★★http://kazoku-tsuraiyo.jp/sp/index.html「ラッキー」予想からかなりかけ離れたお話だった。老年の独身男の迎える癌の話だと思っていた。冒頭近くに、彼は倒れる。お話が始まったかと思いきや、ラッキーは変わらず健康体だと医者が太鼓判を押す。彼はラッキーなのである。でもさすがに「死ぬとは何か」を考え始める。青年時には、第二次世界大戦で海軍のラッキーな炊飯兵で(ということは、現在90歳?)、しかしやはり死ぬ恐怖は感じていたようだ。特攻兵、集団自決等の日本人の死生観の前に、どうやらラッキーはずっと「無とは何か」「死ぬとは何か」を考えて来たようだ。常に答えの見つかるクロスワードパズルを解くことを日常としながらも、解釈によって真実は違うことにこだわる。「孤独と1人暮らしは違う」。彼は、沖縄で7歳の女の子が米兵に向けた輝くような笑顔の話を聞いて、やっと「悟り」らしきものをつかむ。死はまぬがれない。死は「無」であり「空」である。けれども、しかしその先にあるのは、「微笑み」である。アメリカ単館系映画の愛すべき一品。(解説)銀行強盗もしない、飛行機から飛び降りもしない、人助けもしない。「人生の終わり」にファンファーレは鳴り響かない ―神など信じずに生きてきた90歳のラッキーは、今日もひとりで住むアパートで目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。いつものバーでブラッディ・マリアを飲み、馴染み客たちと過ごす。そんな毎日の中でふと、人生の終わりが近づいていることを思い知らされた彼は、「死」について考え始める。子供の頃怖かった暗闇、去っていった100歳の亀、“エサ”として売られるコオロギ ― 小さな町の、風変わりな人々との会話の中で、ラッキーは「それ」を悟っていく。現実主義で一匹狼、すこし偏屈なラッキーを演じるのは、2017年9月に亡くなったハリー・ディーン・スタントン。名バイプレイヤーとして知られるジョン・キャロル・リンチが、全ての者に訪れる人生の終わりについて、スタントンの人生になぞらえて描いたラブレターともいえる初監督作品である。また、ラッキーの友人役として、映画監督のデヴィッド・リンチが出演。実際、長きにわたる友人である彼らを当て書きした脚本は哲学的で示唆に富んでおり、彼らの"素"を思わせるやりとりを見ることができる。(STORY)神など信じずに生きてきた90歳のラッキーは、今日もひとりで住むアパートで目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。ヨガを5ポーズ、21回こなしたあと、テンガロンハットをかぶり、行きつけのダイナーにでかけることを日課としている。店主のジョーと無駄話をかわし、ウェイトレスのロレッタが注いでくれたミルクと砂糖多めのコーヒーを飲みながら新聞のクロスワード・パズルを解くのがラッキーのお決まりだ。そして帰り道、理由は分からないが、植物が咲き乱れる場所の前を通る際に決まって「クソ女め」とつぶやくことも忘れない。ある朝、突然気を失ったラッキーは人生の終わりが近づいていることを思い知らされ、初めて「死」と向き合うが ― 2018年6月11日シネマ・クレール★★★★http://www.uplink.co.jp/lucky/
2018年07月17日
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真備町に家の片付けボランティアに行って来ました。分厚い生地の長袖の作業着(ブカブカなので、見た目よりも暑くはない)、帽子、軍手とマスク、貸して貰った長靴、小さなリュックにタオル二枚、凍ったペットボトルと冷やしたお茶、オニギリを入れて、という出で立ちである。ひと山越えると、一挙に景色が変わる。家は立っているけど、中はがらんどうの家が多い。道沿いにずっと瓦礫が積まれている。やがて特有の臭いが鼻についてくる。田んぼは全滅どころか、既に穂が枯れていた。数本ハスの葉が立っていたのが、印象的。支援に入ったのは、決壊したいくつの堤防のすぐそば、みんな二階屋根まで浸かったところだ。泥のかき出しと聞いて到着すると、それよりも「二階の荷物を片付けて」と返事。予定は未定が当たり前。納屋になっていたところを二階部屋に改装したところ。若夫婦が住んでいたのか、ぬいぐるみなどもある。2段ベッドは倒れ、二つのタンスは倒れていた。水(泥水)が入るだけで、こんなにも重たいものが、こんなにもいろいろと移動してしまうのである。水に浸かると、家は全壊扱いだということに今更ながら得心がいった。大正年間建築の家だそうだ。水が来る前に米を二階に上げていたらしく、発酵したような臭いがする。その時はまだ二階まで水が来るとは思っていなかった。米はたった数日で発酵するものなのだ。タンスを起こして、ベッドを分解し、細い階段を何度も往復する。この日、応援は15人くらい行っていたが、タンスを起こすのさえ、四人要る。服があっという間にドロドロになる。最初の40分は夢中で動いたけど、流石に35度を超えそうな酷暑の中、一回目の水分休憩の後はテンポが鈍くなった気がする。どうも、家主さんから今日の片付けは午前中で終わりにするという方針が出したようだ。昨日は真備町だけで21人が救急搬送された。実際、たった2時間半くらいで出来たことは、二階の荷物が半分くらいになったこと。台所の片付けが進んだこと。少しだ。まだまだ先は長そうだ。私は、終わればこの記事を書いて終いにすることが出来る。家主と家族と親類のみなさんは毎日続く。灼熱地獄である。私はなんともなかったけど、汗を拭くタオルに泥がついたり、ペットボトルを飲む手にも泥がついている。清潔な水はまだ出ない状況で、感染症も心配である。家族のみなさんは、二階まで水に浸かったときに、屋根まで逃れた。まだまだ気丈なご主人(70代?)は「ワシは屋根に上がるのは平気だったけど、屋根は怖い人もいただろう。瓦も動くし」「何時間くらいいたんですか?」「あんなときは時間は遅く感じるからなあ。寒いし」暫く考えて「3時間くらいだろうか。屋根からボートが来るのを見たのは初めてじゃ。直ぐには近くに寄れなくて、ぐるりと回ってつけたり大変だった」救出されたのは、まだ雨の降っているときではなかったか?朝方か。前の記事で、私は自治体発行のハザードマップに「小田川決壊は100年に一度の確率」と書いているのを紹介した。確かに、小田川決壊の危険性はずっと言われていて、河川付け替え工事も予定されてはいた。しかし、この書き方で果たして住民のみなさんがどこまで本気になることができるのか?と思う。行政は、責任持って対処してほしいと思う。まだまだ長いボランティア支援と、募金などの金銭的援助、そして行政のバックアップが必要である。
2018年07月16日
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「輝ける闇」開高健事前に解説や煽り文を見ると、この小説はベトナム戦争を描いているかのようで、実は酷く内省小説なのだ(「人間の闇を探った」)という評価なので、そういうものだと思いながら読み進めると、当たり前だが、そういうテーマはあるにせよ、描いているのは、今までに読んだことのない詳細な「ベトナム戦争小説」だった。サイゴン近郊の対ベトコン最前線基地の描写は、「地獄の黙示録」で描かれた川沿いに点々と映った米兵基地の内実のように思えたし、サイゴン市内の戦争に膿んだ市民や記者や知識人の描写は、高野秀行「恋するソマリア」の内実をホントにシリアス化した文章、或いは北方謙三「岳飛伝」の小梁山の800年後の姿のようにさえも思えた。池澤夏樹の指摘する凝りに凝った文体は、私も感じ、感嘆したが、ここでは繰り返さない。主人公が恋人の素娥(トーガ)に何も言わずに戦線に戻る理由は、なかなか分かりにくい。しかし、その分かりにくさが、小説なのだろうとも思う。軍国少年だった主人公が、途中中断した死に赴く自らの主体を取り戻すのが理由なのだろうか?わからない。もっとも、マーク・トゥーエンの小説を延々解説したくだりを読み飛ばすような読み方しかできなかったわたしが、一発でわかるはずもないのではあるが。年譜をみると、安保反対集会やベ平連にも参加、一方でアイヒマン裁判傍聴、徳島ラジオ商殺人事件裁判、東京オリンピック、等々のノンフィクションを手がけ、その延長の最後の頂点にベトナム戦争があったことがわかる。まるでこの小説のようだ。体裁は社会派、内実は内省派。掘れば、もっと面白いのかもしれない。しかしわたしは、此処で撤退する。2018年7月読了
2018年07月15日
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「弥生時代って、どんな時代だったのか?」藤尾慎一郎編集 朝倉書店題名は柔らかいですが、内容はかなり硬い専門書です。テーマ自体は、私の興味関心に80%フィットしているので紐解きました。国立歴史民俗博物館研究業書1という位置付けである。私の理解度が不足しているとは思いますが、著者の幾人かは、大きなテーマを掲げながらも、やはり事実のみを書いて弥生時代全体に対する自分のビジョンを持っていないように思う。小さな発見で良しとしていて、寂しい。前からのファンだからということでもないのだが、この博物館ではやはり藤尾慎一郎氏と松木武彦氏、そして山田康弘氏が突出している。特に松木氏の岡山平野の人口変化を分析して弥生時代全体の社会の変化を概観した論文と、弥生時代の金属器の歴史と意味を書いた藤尾氏の論文から多くの知見を得たので、以下に私的メモを置く。「むら、まち、人口」松木武彦・前期(BC8-5)竪穴建物と地上式建物と土こう墓がセット。数個集まってむらが形成(南溝手、津島)。微高地。特異なむらとして環濠むらがある(百間川沢田)。6-10棟の竪穴建物と数基の土こう墓、中には円形周溝墓、松菊里式建物もある。しかし、周りの建物の家族と対立、不平等であった痕跡はない。もちろん戦いの跡もない。岡山平野に環濠集落はこれだけとも言える。・中期前葉ー中葉(BC4~3)前期と比べて竪穴建物は4.5倍、むらも2倍。順調に人口が増える。(百間川兼基・今谷、津島・南方、加茂政所、窪木)・中期後葉(BC2~1)建物は約5倍、むらは約2.8倍。用木山、矢部堀越、千引のように丘陵尾根や斜面・裾など高いところに立地。居住域から墓域の独立。屈肢葬から伸展葬へ。木管の一般化。・後期(AD1~2)後期前半では建物は約3倍、しかし、むらの数は横ばいか微減。高地むらの消滅。後期後半(AD2)特定のむらに竪穴建物が集中(百間川原尾島、津島・伊福定国前、矢部南向・加茂B)。墓の階層化。そのトップに楯築が現れる。楯築の周りには、岡山平野の竪穴建物の約6割強が集まる。特に、高塚・加茂B・矢部南向にはそれぞれ60・36・25の建物が集中。・弥生から古墳移行期(AD3)建物は後期後半の1.8倍。津寺への人口集中(総数264)。山陰・四国・近畿からの土器の搬入。居館・神殿・倉庫群・防御施設はない→まち。共同墓地(前山)から個人や家族が別個に墓を営む(殿山、七つぐろ古墳群、宮山、浦間茶臼山)。・こうやって、松木氏は弥生時代全体を概観する。少ない人口と緩慢な変化があった前期、人口の急増とそれによって社会が複雑化して競争や結束、帰属感などの変化の促進(人工物の形式変化)があった中期。そして人口の不均等化と流動化があった後期。吉備では人口は増えたが近畿では減ったという。←気候・大災害があった可能性はあとで考えるらしい。そして「まち」と古墳の出現の弥生古墳移行期。この時期、人工物型式の地域色が薄まる。つまり、青銅器などの複雑な文様は必要としなくなった。これは墓が共同墓地から個人・家族に移ったのと関係しているはず。「金属器との出会い」藤尾慎一郎・近畿の鉄器出土量は、倭国乱で変化なし。リサイクル用の鍛治炉もAD3後半にならないと増加しない。よって、古墳時代開始の要因に「鉄」は考えられない。祭祀や政治の要因で考えるべき。・朝鮮半島の製鉄について大きな勘違いをしていた。AD3以前の製錬炉は見つかっていない。ただし、2~3世紀には鉄器と鉄素材の生産量は増大(隍城洞のは四世紀の精錬だった、製鉄炉は四世紀石帳里遺跡)。一方、倭国では四世紀の製錬炉はないが精錬炉はある(纒向、博多、沖塚)。・弥生長期編年の場合、稲作開始から600年間は鉄器なしでやっていた。BC4以前は、森を伐採、水路を通し、造田、杭や矢板の製作、木製農具の製作を全て石器で行っていた。・BC4、燕直接か、半島経由か、鉄器輸入開始。・BC2で北九州で鉄器本格使用。武器にも使用。奴国では鉄器出土量が他国を圧倒。板状鉄製品があるので、加工もしていた。・北九州では中期末には、穗摘を除いて道具は全て鉄器化する。・本州では東に行くに従い、鉄器普及は低下。大陸側の事情なのだろう。・古墳時代成立、古墳造営にも鉄器普及は影響しなかった。2018年7月読了
2018年07月14日
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「ビッグイシュー338号」ゲット!ゲットしたのは、岡山で未曾有の水害が起こり、初めて発令された特別警報が前日に解除された日でした。この日出会った人とは、必ず「どうでした?」と言葉を交わしました。販売者さんともそうでした。特別警報の日も案外普通に販売していたそうです。商店街も半数以上は店を開けていた。「それは怖いよ。旭川が警戒水域を超えていたからね。明治時代に漱石が岡山に来ていた時も、旭川が氾濫して水に浸かったんですよ」「ええ、ツィッターで水に浸かった商店街の写真を見ました。それで、夕方、旭川を見に行ったんです」「それは怖いよ」「そしたら、旭川はホントにギリギリで、あと牛乳瓶一本分くらいしかなかった」「ひぇー、ホントに危なかったよね。高梁川もあともうちょっとで決壊するところだった。決壊したらあんな被害じゃすまなかった」晴れの国のクニ岡山は、ホントに不思議なくらい災害がない。台風もほぼ避けて通る。三大河川がしっかりしてるので、渇水もほぼないし、地震もない。まあ、高潮で最近浸かることが多くなったし、一部水害はあったけど、今回のは、昭和45年にあったみんな覚えている大水害を遙かに超えるものだった。しかし、それでも三大河川は氾濫しなかった。みんな氾濫しないものと思っているから、もし決壊したらきっと被害は今回の数十倍になったに違いない。危ないところだった。ホントに危ないところだったのである。ちなみに、ハザードマップをもう一度見直すと、すごいことを書いていた。私の家は全然大丈夫だったのだが、周りの主要河川の決壊限度降雨量を示しているのだが、小田川は220ミリ代、一級河川高梁川は240ミリ代だったのである。しかも、小田川は「100年に一回」高梁川は「150年に一回」という確率だと書いている。冗談でしょ!今回倉敷市の降雨量は250ミリを超えたのだ。他の県は300ミリ、400ミリ、までいっているだが、倉敷はこれが「史上最高」だった。こういう書き方をしているから、「今回は大丈夫だと思った。油断していた」という感想が被災常民から次々と出ていたのだ。「ホントに危なかった」だけではなかった。具体的に限度の数字を超えていたのである。さて、今回の特集は「"貝"海辺のタイムトラベラー」である。貝塚が大好きな私は知っている。人骨が残るのは、貝殻がカルシウムを発し、酸性土壌の土地をアルカリ性に変えていたからである。よって、貝そのものになると、基本的に何千年もそのままに残る。かつて私は出雲風土記の世界がまだ色濃く残っている出雲市稲佐の浜で、スカスカシパンという花柄の模様を持った貝を拾った。あの貝は今何処に行ったんだろ。キチンと保存する習慣をつけるべきだと、改めて思った。タカラガイは、殷王朝でお金のように使われていた。よってお金に関する漢字には、貝編がつく。そう思って浜辺を歩けば、日本にも様々なタカラガイが落ちているという。ハイガイは、6000年間そのまま残っているのを、盛口満さんは見つけている。諫早湾のハイガイは絶滅したようだ。そうだとすると、韓国の筏橋(ボルギョ)の特産品で大量に売られているコマッ貝は、確かハイガイだと思うが、とても貴重なのではないか?貝は見つけたら、「できるだけたくさん拾い、拾った時の日付と場所と採取者、状況」を貝の裏にメモしたらいいという。実践したい。名前がわかれば絶対楽しい。盛口満氏の「おしゃべりな貝」(八坂書房)を是非手に入れよう。伴英幸氏の「原発ウオッチ」で見逃せないことが書かれていた。原発作業員、除染作業員の被曝労働での労災は、40年でわずか17人しか認定されていないらしい。もちろん、被曝量を越えて病気になれば労災認定は降りる可能性はある。しかし、実態は放射線管理手帳への記録は、雇い主がして、普段は雇い主が保持しているという。厚生労働省は、この情報で「何も問題はない。放射能は完全にコントロールされている」と言っているに過ぎない。7重とも10重とも言われる多重下請け構造の中で、その数字が信じられるわけがない。福島事故後では、認定は17人中4人。その4人も16人の申請で、不認定5人、取り下げが2人、調査中が5人という。申請後も認定はかなりハードルが高いのである。雨宮処凛さんの活動日誌では「オウム事件真相解明の会」結成のことが書かれていた。死刑が実行されたら真相解明は出来ないという危機意識によって結成されたのだが、残念ながら現実のものとなってしまった。真相解明を闇の中に葬る行為が白日のもとで行われる現代日本とは、いったいどういう国だというのだろう。2018年7月10日読了
2018年07月13日
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今回の西日本大水害の被災に遭われた方々、またその親族の方に心よりお見舞い申し上げます。また、現在進行形で復興にむけて努力している方々に敬意を示します。出来得ることから、私も何かします。町の1/3が浸かった真備町と同じ倉敷に住んでいますが、大きく離れていて私は大丈夫でした。実は、真備町の災害は、私が一か月半前に行った南山遺跡現地説明会と、とても関連のあるものだったのです。小田川は昔から洪水に何度か遭ったところであり(ここまでの酷いのはありません)、河川整備計画が立てられていました。下の現地説明会で撮られた遺跡の上空写真で、川の左上にあるのが浸かった真備町です。二本ある河のうち、左側が小田川で、右側が一級河川の高梁川です。小田川が高梁川に合流する地点で、高梁川の水位が上がるとかえって逆流する現象がおこるために、遺跡のある所をまるまる一山削って下流に合流点を移す計画を立て、そのための遺跡の「破壊と記録」のための発掘だったのです。詳しくは、下の市会議員田辺昭夫氏のFacebookを見てほしいのですが、つまりは、「間に合わなかった」ということです。忸怩たるものがあります。せめて、下に書いているように「小田川の河川敷内の伐採」が行われていれば、三つもの堤防が壊れるのは軽減できたかもしれない。南山遺跡はすっかり削られて無くなってしまいますが、洪水対策百年の計としたならば、仕方ないということか。小田川の洪水対策について、日本共産党はかねてから問題点を指摘し、申し入れも行ってきました。以下2015年9月24日に、国土交通省河川事務所に申し入れた時の私のブログを紹介します。あきおの日記 2015.9.24「高梁川の堤防は大丈夫か?」 今日は、須増伸子県議とともに、国土交通相岡山河川事務所を訪ね、高梁川水系の河川整備計画の現状についてレクチャーを受けました。 国土交通相では、平成19年月に100年に一度の洪水に耐えうる河川の整備基本計画策定しています。倉敷市については、洪水の危険性がある小田川と高梁川との合流点を下流に移す河川整備計画を平成22年に策定、平成26年から事業に着手し、平成40年度の完成を目指しています。総事業費は約280億円です。この小田川の高梁川への合流点の付け替え工事は、①洪水時の高梁川の背水影響が軽減されることにより、小田川の水位が大幅に軽減し、小田川沿川の内水被害のリスクが大幅に削減される②高梁川の現在の合流点と新しい合流点の間(付け替え区間)で小田川流量がバイパスすることにより、水位が低下。倉敷市街地の水害リスクが低減する事を目的にしています。 合流点の付け替えとは、現在の船穂町の柳井原地域に河川を新しく作るということですから、とても大きな事業ですが、これが完成すれば、洪水の危険性はかなり軽減されることは間違えありません。しかし、同時に、現在真備町を流れている小田川は、河川敷が木や草で覆われ荒れた状態になっています。大雨が降ればいつ洪水が起きるかわかりません。この小田川の河川敷内の伐採は早急に行う必要があります。その点を、須増伸子県議や田儀公夫市議が指摘しましたが、「予算がなかなかなくて少しづつしか伐採が出来ていない」との事でした。これは、国土交通相に直接申し入れる必要があると感じました。日本共産党国会議員団と相談して、具体化をしたいと思います。(倉敷市会議田辺昭夫氏のFacebook18.07.10より)
2018年07月11日
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「恋するソマリア」高野秀行 集英社文庫まずい。まずいぞ!と思っている。恋をしてしまいそうだ。高野さんの本に。私はお気に入りの作家が出来ると、その人の作品を半分以上は読まないと気が済まなくなる。高野さんのホントの姿、素の人物を知りたい。出来ないけど、高野さんのような旅をしたい。ここに私の理想の旅がある。いや、そこまで美化しないと、ここまで入れ込んでいる自分を正当化出来ないのかもしれない。高野さんが魅力的だから好きなのか、好きだから魅力的に見えてしまうのか、それすらわからない。納豆の本(「謎のアジア納豆」)と並んで、これで2冊目の高野本。集英社文庫だけで17冊も出ているのだから、そうでなくても読みたい本が山のようにあり、人生は短いのに、目の前にそんな風に積まれると、つい禁断の恋をしてしまいそうだ。でも、こう書いた時点で恋は始まっている。高野さんのソマリアへの恋のように。冷静に分析すると、高野本の魅力は(1)韓国台湾などアジアぶらぶら旅をしてきた私の旅スタイルと、規模こそ違え、似ている(2)素人人類学学者、素人考古学者の視点を持つ(3)常に庶民の視点を大切にする(4)よって政治的な立場は鮮明にしないが、結果リベラルになる。(5)何よりも「好奇心」を大切にする。というところだろうか。幾つか面白い箇所をピックアップ。・初対面の人間に先ず氏族を聞くのは、韓国で私が先ず「出身地」を聞かれたのと似ている。いや、韓国以上にシステム化している。・ソマリの知識人は、漱石のように「近代的自我」に悩まない。どこにいても氏族社会に生きていて、「自分とは何者か」と問わない。・民族を何をもって「理解した」と見るか。人間社会を形つくる三大要素は「言語」「料理」「音楽(踊りを含む)」と思う。・ソマリ人の男は詩を吟じないと好きな女の心を掴むことができなかった。女子が男子に歌い返すこともあった。←つまり、これだけ普遍性があれば、平安時代の習慣ではなく、弥生時代にあってもおかしくはない。・ソマリ人が客を招待するときは、盛大なもてなしを用意しなくてはいけない。・国を愛すれば愛するほど、政府と国民(の1部)から嫌われる。ここにも片想いがある。2018年7月読了
2018年07月10日
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第六章「野望」(9巻-)。どうして酒井雅楽頭が新興勢力である堀田一族を目の敵にするのか?また権力に執着するのか?その一端が述べられる。それは、祖父の代の名門の没落と過去の栄光を「没後の憂愁と怒りを聞きながら育っていった」ためと書いている。この歪んだ信条は、正に成長期の親の教育問題に原因があるとでもいいたげである。ここには、もはや江戸幕藩体制の矛盾の発露としての陰謀構造は描かれない。しかし、その後「しかし、忠清の妄執といっていい権力追求の動機は、そんななまやさしいものではなかったのである。それは物語が進むにつれて次第と明らかとなっていくだろう。」(9巻28p)とも述べている。果たしてきちんと説明してくれているのか、どうか。せっかく新しい人生を選ぼうとして訪れた九十九里浜の生活は、佐渡守の追っ手をくらますために、竜之進とカムイが死んだと見せかけることになった。この辺りの「仕掛け」は、昔取った杵柄でお手の物という感じがする。しかし、それは2人を銚子に向かわせるための「作為」のような気もしないではない。銚子の外川浦の港作り、引いては街作りに、竜之進は大きく心動かされる。新しい街には希望がある、そう思うのは、封建主義の矛盾と戦ってきた彼らしくはないように思うのだが、如何なものだろうか?一方、カムイも今だ自分のことを夢を持たずに「何処かの浜に流れ着いて朽ち果てていくのが宿命」と達観している。彼らに夢ができるのが、このカムイ伝のテーマだとしたら、なんかずっと夢はつかめそうでない気がするのだが。さて、ここで突然正助が登場する。紀州の黒鍬衆の庄左衛門としての登場は、やはり日置は紀州ということなのか?しかし、佐渡守の移動の速さを見ると、福島辺りとも思えるのだが、うーむ。しかしあまりにも突然の登場である。第二部をいったん止めるためのサービスの為とはいえ、あまりにも設定を無視しすぎると、当時の読者からはあまり評判は良くなかった気がする。でも、よく考えれば、死んだと見せかけて、生きていた、というのは白土三平の何時ものやり口ではないか。私は納得している。熊沢蕃山が龍の化石を発見する場面(9巻156p)は、その後の相次ぐ考古学的発見のことを考えると予言めいたものさえ思える。また、恐竜の蕃山に言う戒めは(178p)、未だに、いや大震災を数度経た今、更に増して我々に突きつけるだろう。河村瑞軒や崎山治郎右衛門という実在人物のお陰で、正助は助かったことになっている。実際江戸幕藩体制の元では、彼らは「死んだことになって」いないと日置を離れることはできなかった。正助がいきていて、日置ではみんな正助のことをすまなく思っていることの理由はそれでつくだろう。また、正助の夢は、黒鍬衆としての土木事業に従事し「新天地」をいたるところに作れば、非人たちも住むところが出来るかもしれない、という。印旛沼の開拓に正助はこれから手を付ける。このあと、「カムイ伝」は2年ほどの休載を作る。あれは作品構想のためだと思っていたが、今考えると、岡本鉄二の病が悪化したのかもしれない。だとすると、ここで正助がつぶやいた「新天地」構想だけが、この大河ドラマの決着点だったのかもしれない。今となっては思う。影衆と黒鍬衆が結びつけば、封建体制の下でも「新天地」は可能だったのではないか?しかし、この後、その構想の可能性は深く沈殿する。わたしのこの想いは単なる幻想なのだろうか。全体をみながら、考えなくてはならない。ともかく私の漫画評も、ここでしばらくお休みにする。
2018年07月09日
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第四章「念者」(4巻ー6巻)。ここから一挙に舞台は、江戸になる。第二部が、日置から離れた物語であることを、結局強く印象つける章になった。由井正雪の乱、別木庄左衛門の変と、歴史的事実を紹介して、竜之進を巻き込んだ牢人の乱から話を始め、2人の歴史的な人物が登場する。1人は堀田正俊 。登場において、なんとその生涯の解説までしている。五代将軍の大老までなるのが決まっているので、この登場時には一万石の大名に過ぎない。「最後は非業の死を遂げる」とまで解説されているのであるが、反対に言えば、大老になるまでは死なないと宣言された。わたしはこの登場時、単なる脇役に過ぎないと思ったのだが、其の後重要な役を得るのだ。「佐渡守」そしてこの「念者」で、影の主役は錦丹波である。しかも、支配被支配をめぐる話ではなく、戦国時代が終わり50数年、泰平の世に、生き方を模索して、娘は鞘香では死んだこととなり、嫡男の息子は非行に走ってなかなか治らない。恐ろしいほどに彼は子供のために尽くす。それがお家のためということもあるが、やることは時には常軌を逸しているので、正に「教育問題」が、この章の大きなテーマになっていることがわかるのである。そして老中酒井雅楽頭。ちょっと名前が出ただけであるが、この人物がニ部においての最大の悪役となる。そして新たな世代の中心人物、宮城音弥と錦丹波の息子の源之助が表舞台に踊り出すのである。しかし、源之助は心から挫折し、音弥は小姓として出世の階段を登る手前で次の章に移るだろう。第五章「無宿溜(スラム)」(6巻-8巻)。なぜ第五章がこの題名なのかは、途中に判明する。竜之進は、日置で助けた日州との出会いで、江戸のまちづくりの人夫の杖突(現場監督)として、新たな仕事を始めていた。しかし、牢人の身分から変わるというだけで、これが彼の人生というわけでも無い。ただ彼がこのスラム街に興味を持ったのは工事現場監督が好きなわけではなく、おそらくどんどん人口が増えて「新しい街」が出て行くことに、何かの刺激をもらったからに違いない。「第三の道を探している」。読者の私には見当も着かない。此処にきて酒井雅楽頭忠清がきちんと登場した。佐渡守が酒井雅楽頭の参謀的役割をしていることも判明。竜之進があれほど活躍しても、まだ正体に気がついていないのは少しどうかと思うが、忍びの使い方はなかなかである。彼らが(1)何処で結びつき(2)野望は何か(3)その動機は何か。白土三平は解明することを約束している(8巻155p)。これもどうやら未完に終わっている。「異変」の節において、スラム街で医師の道無とサブ(カムイ)の叩く太鼓が古代の血を呼び起こす。白土三平がなぜここで、この重要な「山丈」を出さなくてはならなかったのか?この小さな共同体が白土三平の目指しているものなのか。山丈の「オォー、カムイー」という叫びは、何に対して叫んだものなのか。我々は、慎重に見定めなくてならない。よって、答は保留したい。この場で、サブ(カムイ)、竜之進、音弥、堀田正俊、道無、アヤメ、房州、日州が揃っていたことは、記憶しておかねばならない。んただ、言っておかねばならないのは、第一部において、山丈の登場はいつも作品のテーマに係る場合だった(カムイの登場、白狼カムイの登場、日置大一揆)。このスラム街はこのあと、酒井らの陰謀によって潰されるのではあるが、その後も彼らは浪人や非人、放浪する民として漁業や土木工事などに全国に散らばることになる。この時点まではこれらが何らかの役割を果たすことになっていたのではないか。それと、影衆の役割も不気味である。
2018年07月08日
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第ニ章は「谷地湯」(2巻-3巻)。長編の序章らしく、サル社会からゆっくりと人間社会にシフトする。谷あいの湯治場の宿の番人喜太郎が、ふと大量の金塊を手にすれば、小心者らしく金塊溜めを計画し、疑心暗鬼で殺人も犯す。しかし、それよりももっと狡猾な人間が登場する。日置藩の隣の猿投沢領一万石、佐渡守である。彼は隣の望月藩七万石(実高10万石)領主の弟であるが、弟ということだけで小藩に甘んじているのを不満としているようだ。手近に忍者を飼い、後に分かるが幕閣の水野忠清とも友好関係、或いは懐刀的な役割を持っている。「能力あるものは、手段を選ばず出世するべきだ」という価値観を持っている。80年代、90年代の日本の一つの課題ではあるだろう(原稿完成日付は1988年10月)。ここで、初めて日置領、猿投沢領、望月領の地図が登場する。それによると、日置と望月の国境に五代木の港があり、望月から流れた川は日置に通じているのである。一つわかるのは、太平洋側に国があるということだ。(2巻252p)第三章「佐渡守」(3巻-4巻)。ここから本格的に人間世界に舞台を移す。佐渡守の望みは書付のエピソードで明らか。望月藩を我が物にするということだ。そのために、望月の小姓組頭の団織部之助の殺害を試みる。しかし、その話は一旦切れてそれ以上は展開しない。第三章は、ずっとあの日置大一揆を治めた錦丹波とその娘鞘香と農民の娘加代を中心に話が進むのである。久しぶりの笹一角(草加竜之進)も登場して、カムイ伝ファンはドキドキしたと思うが、もはやかつての主人公(カムイ伝には正助、竜之進、カムイと3人の主人公がいた)竜之進に仇を討つ敵はいない。また、自ら藩主になって理想の政治を行うのは1度失敗している。自らの役割を見つけることの出来ぬ、単なる「黒子」としか役割を持てないのである。岡本鉄二の画は、この頃縦横無尽に描かれている。農民の生活描写も、第1部よりも遥かに細密になっている。返す返すも、彼の早逝が悔やまれる。この章で、草加竜之進の1部における活躍、また「傷魂(きず)踊り」の節に絡めて、正助たち農民の経過、また「舌を切られた正助に怒り、農民たちがなぶり殺しにしてしまった」という「伝説」を紹介する。それは既に非人たちの「踊り」と祭り化しており、かなりの歳月が経ったことを示している。更に言えば、「影衆」の存在も明らかにされる。竹間沢の庄屋、そして苔丸が影衆として、五百棲(いらず)ケ原に大量の米を隠匿しているということも、明らかにされるが、第二部において再び大一揆は起きないので、このエピソードは今のところ不発に終わっている。しかし、実はこの部分はかなり重要な部分なのではないか?とわたしは思っている。第二部は、既に第一部の「志」は無くなったという評価が多く見られるのだが、わたしはこの時まで、第二次日置大一揆を想定していたのではないかと思っている。なぜならば、「影衆」とは、白土三平における「柳生武芸帳」の革命集団、「風魔」の労組集団、に継ぐ、白土三平における「世直し」の「手段」だからである。これについては、また後で書く。ここで、鞘香と加代を中心に描かれているが、この2人が第二部で再び登場することはむつかしかった。いったいどういう未来が構想されていたのか?これも残念という他は無い。
2018年07月07日
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カムイ伝第二部は何処に行くのかひとつ断っておかなくてはならないことがある。私は上記のテーマを掲げた。もう何年も一度は書かなくてはならないと思っていたからである。しかし、何処に行くのか、と書いたからといって、中断している「カムイ伝」が再開するとは一ミリも思っていないのである。もう10年ほど前に「カムイ外伝」の映画化がされた折に、白土三平は何の気まぐれか、外伝を再開すると、銘打った。待ちに待った中編「イコナ」を見て、私はカムイ伝の終わりを知ることになった。話もキレがわるくなっているが、それよりも画がどうしようもない所まで悪化していた。デッサンの狂い、線のみだれ、粗雑な背景。作画に「岡本鉄二」の名前も無かった。赤目プロは瓦解していた。もう幻想を抱いてはならない。「カムイ伝」は第二部で、永遠に中断したのである。ならば、第二部はいったい何を描いて、何処に行こうとしていたのか。短い評論は幾つかある。しかし、全22巻にもなろうとしている、その全貌をキチンと批評した文を、寡聞にして私は読んだことがない。私には荷が重い課題であると、十分承知しつつも、やがて訪れるであろうXデーを機に、一気に華やかに展開されるであろう白土三平評論の先鞭をつけておくのは、その後の評論に何か資するかもしれない、と思い、やってみることにした。やり方としては、底本を小学館のゴールデンコミックスに取りつつも、巻数毎の批評とはせずに、章毎の批評したい。よって、最初は第一巻と二巻に跨って展開された「猿山」について述べる。第二部はなんと明確に「明暦2年(1656年)」という、元号から始まる。「カムイ外伝」第12巻「剣風」のラストが、1654年だった(柳生の解説文章から類推)。第二部は律儀に外伝の終わった直後から始まったと見ていいのかもしれない。第一部が架空の藩の日置藩としたせいもあり、幕藩体制が固まりつつある時代だとはわかっていたが、明確な年代までは遂にはわからなかった。最初にこの言葉から始めたのは、白土三平の第二部への意図が、明確に歴史的事件と絡めてこの長編を作ろうとしていることがわかる。もちろん第一章「猿山」は人間世界の歴史とは、とりあえず無縁性が高い自然社会なので、明暦2年の言葉が活きるのはまだまだずっと後の話になる。ただ、日置7万石が改易となりその城がずいぶんとボロボロになっているので、日置大一揆から少なくとも5年以上は経っている。となると、第一部の年代もハッキリする(おそらく日置大一揆は慶安の時代)ということになる。白土三平にとっては、自然と相対することは人生そのものだ。カムイ伝は、個人と社会そして歴史との関係を描いた壮大な絵巻物であるが、それと同じ比重で、人間と自然との関係をも描こうとした。猿は自然の中でも、最も人間に近い動物であり、動物の中でも明確に「猿社会」を確立して、階層化も進んでいる。猿から見た人間、人間から見た猿。第二部がそこから始めたのは、今回明確に歴史的事件を扱うと共に、明確に人間と自然との関係、そして違いを扱う、作者の決意表明なのではないか。猿の序列社会は一見人間社会と似ているように思える。この一巻は、その類似性を見せているのではないか。もちろん、白土三平。単なるサル社会を延々300ページ以上にも渡って見せるはずがない。そこにはタテガミとカミナリの個人的歴史を想像させる遂には明らかにされなかったドラマと、定住だけではない、「放浪の世界」もサル世界にはあるはずだと、という白土三平の「思い」も見せるだろう(後で調べると、日本ザルはオスは放浪ザルがけっこういるらしい)。
2018年07月06日
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「太陽の塔」森見登美彦 新潮文庫作者のデビュー作である。京都の大学生たちの歯牙ない失恋状態を延々と描写している。或る種の者たちにすれば、聖書のように箴言に満ちた文章であっただろう。わたしは、この書を紐解きながら或る先輩の事をずっと思い出していた。彼は「世のフラレタリアートよ、決起せよ」と叫んだ。職場の寮で賄いの叔母さんが作ってくれているカレーとご飯を、常にモリモリと盛り、そのことによって世の中の搾取を挽回する計画を立てた。タヌキのような大きな腹を見せながら、顔を突き合わせる度にわたしに党に入れと誘った。わたしは客観的にもその資格があることは認めながらも、その度に断った。党に入ると碌なことはない。岡山市表町商店街で月一回の支部会と称して穴蔵でロックを飲み干す企ての共謀正犯になるどころか、独りその前に女性グループに声をかけなければならないという新入党員鉄の掟なるものを強制させられる。という噂を聞いた。バレンタイン革命なるものを目指しているという噂も聞いた。幾歳月が過ぎ、先輩はとおに職場を辞し、人には言えぬあれもこれもした後に、2年前のバレンタイン・イブの日の凍れる道端で行き倒れになった。危なかったところを生還して、なんと未だにわたしに毎日の如くフラレタリアートの党に加入せよと電話してきている。もちろん、わたしは断っている。よって、この作品の登場人物たちがクリスマスファシズムに抗して「ええじゃないか騒動」を共謀する、その未来も充分に予想出来たのである。「幸福が有限の資源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ産みだした」
2018年07月04日
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「IN★POCKET 2018年6月号」講談社久しぶりに購入。ホントは半分近く連載小説なので、毎月買った方がお得感があるのかもしれないが、連載小説は苦手だ。あんな中途半端な途中でブチ切られると、ストレスが溜まる。今回はこの前観た「空飛ぶタイヤ」の記念特集、ならびに好きな脚本家の野木亜紀子さんの対談記事があったので、買ってみた。私の周りには労組関係者が多いので、お仕事界の水戸黄門小説、池井戸潤作品を観る人が多いが、私は一冊も読まないと一応決めている。読んでもし気に入ったら困るからだ。私はお気に入りの作家は半分以上は読まないと気が済まないタチで、これ以上お気に入り作家が増えると困るのである。ここは、「空飛ぶタイヤ」解説は少なくて、既存作品の解説が多かった。予想よりはるかに多くの既刊本があって、ますます読まないと決めた。和歌山のドンファン事件でも問題になっていたが、監察医の絶対的不足の問題(常勤監察医13人)、法医学者の不足(全国で100人ちょっと)の問題を野木さんも海堂尊さんも扱っている。日本の年間死者は130万人、20万人が異状死体、うち2万人しか解剖されていない。病理解剖含めて、97%は解剖されない。見逃している「殺人」は、たくさんあるのかもしれない。枝元なほみさんが師匠を務める「せめて昼メシ」講座も楽しみなコーナー。今回はめんどくさい料理が多かったので、どうかな、と思ったが、ポーチドエッグだけは目からウロコだった。一リットルの沸騰湯に酢を大さじ3入れて、湯をぐるぐる回して落として2分とは知らなかった。簡単だ、と思いやってみたら、白身がまとまらない。でも簡単なんで次回も挑戦します。取材時がちょうど憲法の日、枝元さんが主婦の目線できちんといまの日本のきな臭さを警告しています。説得力あります。2018年6月読了
2018年07月03日
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「古事記外伝ーイズモ・クロニクルー」多羅尾整治 幻冬舎ルネッサンス荒神谷博物館でこの書を見つけて、後で取り寄せた。島根を舞台にした数少ない古代小説ということで置いていたのだろうとは思う。「外伝」とついているように、主にはスサノオを辰韓(紀元前2世紀 - 356年)よりやって来た製鉄職人集団の2代目に設定し、スサノオ(スサの森の王)のオロチ退治(オロチ衆との戦い)、出雲の国造り(日向から大和まで)、大国主への代譲り、大国主の国譲りまでを描き、作者の考える文献解釈を試みている。この時代を描く例があまりにも少ないので、このような長編は出来るだけ読みたいと思っているのだが、結果的には最後まで読むこと能わなかった。小説は、基本的に一つのウソを付くために九つのホントを描かなくてはならない、とわたしは思っている。この小説は大袈裟に言えばその反対、一つのホント、九つのウソだった。以下、良かった処を少し述べて突っ込みどころの1部分を述べる。(良い)・子を作ることを、人々の中の大きな目的にしている。・地域のムラを「・・の森」という呼び名で、区分けする。・時間と距離を歩数でカウント。しかし、当時一千以上を数える能力があったかどうかは大きな疑問。二万四千歩(四時間)六千歩(四キロ)・八重垣の描写「巨木を支柱にして、枝を払った小径木と竹でつくられた、人の高さの倍はある壁。」落とし穴とかの工夫。(突っ込み処)・青銅器材料を日本国内で調達している。成分分析ではほぼ外国産のはず。製鉄に関しては、この時代(おそらく弥生末期)から300年間は出雲はおろか、日本国内でも「製鉄」は実現していない。・砂鉄は鎌倉時代以降に吉田地区で作られた製鉄技術であり、当時ではまだその技術は確立していなかったはず。砂鉄が採れるから製鉄も出来ていたはず、というのは事実を無視した暴論である。・酒をオロチ衆が知らなかったということは、あり得ない。酒はどの時代でも特別な飲み物だった。・皆殺しの戦争を迷いながら実行する。それは、復讐を恐れる近代的な発想に依っている。古代は、違う論理があったはずだが、それは構築されない(そもそも古代の神が全然具体化されていない)。「最も力の強いクニの王が全てのクニを制すれば、争いはなくなります」(71p)これは近代の戦争論理であり、しかも過ちではあるが、作者は無批判にその論理を受け入れる。それは戦争を人間の本能と捉えているからだろう。結果平和を実現するために、戦争に明け暮れる小説になってしまった。・フツシの都造りは安来で行われた。あまりにも意外。同時期、それよりも隔絶した墓を作った出雲の西谷墳墓が無視されているのは如何なものか。・青銅器祭祀の終りが描かれない。よって、荒神谷遺跡等の大量埋納も描かれない。青銅器職人としては無視出来ない出来事だったはず。まだまだもっとあると思うけど、省略する。2018年6月読了
2018年07月02日
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「髪の悩みがみるみる解決する100のコツ 抜け毛・薄毛・白髪」主婦の友社2006年発行。月刊誌「健康」に掲載された記事を加筆・修正のうえ、再構成したものらしい。よって、信頼出来そうな医者・学者から何処かの営業マンみたいな人まで、多くの人が記事を書いていて、重複も多い。ただ、わたしの感心は一点にあって、そのためだけに借りたので、その部分だけメモする。わたしの関心は、「白髪はなぜ起きるのか?その予防法は?」である。幸いにも、親戚や親に1部ある薄毛やハゲは、わたしには起きていなくて、この10年間着実に白髪が進行している。抜いても抜いても追いつかないのは、わかっているけど、気がついたら抜いている自分がいる。その度に、疑問に思う。何がキッカケで白くなりだしたのか?老化現象ならば、何故生え替わるのか?もう黒くなることはないのか?しかし、第一章は【脱毛・薄毛・白髪の基礎知識】なのだが、脱毛についての原因は書いているけど、白髪については一言もないのである。最終章のQ&Aを見て、やっと一言「残念ながら色素細胞が色素を作らなくなるメカニズムは不明です」(187p)と書いているのを見つけた。原因がわからなければ、対処法もわからないはずだ。題名に偽りアリ。ここに延々と書いている、食事法・マッサージ、育毛水・シャンプー等々のことは、脱毛については、効果あるかもしれないが、わたしには無縁であると判断した。ただし、基本的な知識はわかりやすく書いているので、興味深かった。2018年6月読了
2018年07月01日
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