2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
全6件 (6件中 1-6件目)
1
ポール・クローデル歿後50年研究上演事業として、早稲田大学大隈講堂にて舞踊詩劇「女と影」が上演された。ポール・クローデルはフランスの外交官として1921年から1927年まで6年間に亘って日本に滞在し、外交官としての任務をこなしつつも同時に歌舞伎、能をはじめとする日本文化を愛し舞踊劇「女と影」を書き上げた。今年はクローデル歿後50年ということで、彼にちなむ文化事業がいくつかあるようで、本日のこの企画もその1つ。踊り手メインは歌舞伎界から福助と舞踏界からは和栗由紀夫のご両人。もともと私は和栗さんのファンというか、昔よく観ていた関係で、懐かしくて足を運んだ。それにしてもクローデルがあのカミール・クローデルの弟だったと知ってびっくり。おフランステイスト溢れる舞台は、いかにも外人向けジャポネスクという感じなので、和栗さんじゃなくてリンゼイ・ケンプがやったらどんな感じなんでしょ、なんてことを思いつつ観てしまい・・・・。日本人としてはなんとなく違和感と物足りなさを感じるものの、福助と和栗さんはやっぱりグローバルスタンダードだなぁ、と思うし、楽しい舞台ではありました。それにしても、和栗さんはやっぱりかっこいい。舞台に立ってるだけですごい存在感。いいなぁ、また久しぶりにソロ公演が観たいかも~!と思わずネットを検索するとありました。来月六本木で。舞踏はやはり世界に誇る日本の財産だと思った次第です。
2005.11.28
コメント(0)
本当は小説など読んでいる場合ではないのである。やることが沢山ありすぎて、有給休暇とっても遊んでる場合じゃないのに遊んでしまう。そして、ああ、またガマンできずに読んでしまいました。そして、またしてもはまってしまいました。リディア・デイビスはアメリカの作家で、元ポール・オースターのパートナー。二人の間には子供も1人いるそうな。そんな下世話な興味から手にとってみたのですが、1ページ読んだだけで雷に打たれた感じです。かなり好きかも、この人。日本では初めて翻訳されたというこの短編集、8行だけの超超短編から数十ページのものまで様々ですが、どれ1つとして同じ作風のものはなく、ラインアップはばらばら、小説と呼べるのかも不明、散文なのか詩なのかも不明、シュールにしてリアル、わかる人にはわかる、わからない人には退屈。翻訳者はそんな彼女の作風をこう評していて、私は激しく共感してしまいます。リディア・デーヴィスの書くものは、どれも一筋縄ではいかない。クールなのに熱い。抽象的なのに生生しい。遠いの近い。思索的なのに官能的。知的なのに滑稽。だから、どんな作品なのさ?と聞かれても困ってしまうような短編集です。一人で本を読むのが何よりも好きで、とりとめのないことを考えずにはいられなくて、考えても考えても真ん中には何もないような気がして、そんな自分が嫌なのに結構好きで、なのにどうしてもある一定の距離をもってしか自分のことを語ることができなくて、背中にもう2つくらい目を持っているようなもぞもぞ感を常に感じていて…という人にはおすすめかもしれません。
2005.11.27
コメント(2)
宮部みゆきは、物事や人の本質を見かけにだまされずに一瞬にして見抜く人だと思う。そして、宮部みゆきは江戸ものが特にいい。母が彼女のファンなので、私はときどき母の部屋から拝借する。「堪忍箱」もその中の1冊で、会社の帰り、電車の中で少しずつ読んでいった。短編集は通勤の友に最適なのである。江戸の町人の生活には、もしかすると現代に生きる私たちよりよっぽど自由な目線があったのでは、と思うのだが、そんな市井の人々を描くとき、宮部みゆきの視線は限りなく優しくて厳しい。そこにはただのいい人もただの悪い人も存在せず、それぞれの人々が善人でもあり悪人でもある。そのへんの描写がこれまたおしつけがましくなくて、名人としかいいようのない筆運びに読者としては唸るばかりなのである。この文庫本のあとがきを書いているのは、NHK金曜時代劇「茂七の事件簿」の脚本を書いた金子成人である。茂七親分もまた、宮部みゆきが生み出したスーパーキャラクターであり、私的にはぜひぜひ中村梅之助に演じて欲しいと常々思っているキャラである。NHKでは高橋英樹がその役をやっていたが、いつか梅之助でみることができるといいなぁ、と思う。
2005.11.20
コメント(0)
うっひゃひゃひゃ!! と手に取って思わず涎ものになってしまった1冊の雑誌。それは「DOLL」。そして、これはなんとあの幻の雑誌「夜想」復刊第2号で、更に発行人かつアートディレクターはあのミルキィ・イソベ氏。イソベ氏は、笙野頼子の本の装丁を多々手がけていらっしゃるので、笙野さんの本を読むたびに「なんて素敵な感性の方なのでせう」とあこがれのような気持ちをずっと抱いていたお方。ああ、それににしても、この雑誌、その昔、結構好きだったのにいつの間にか読まなくなってしまい、そしたらいつのまにか廃刊になっていたそうな。それすら知らなかった。でも、その復帰第2弾に偶然めぐり合えるとはね。今回の特集はお人形。もう、なんていったらいいのかわからないくらい、何度も何度も眺めてはため息ものの素敵な写真が満載なのです。人形好きの私にはたまらない…。人形と言っても、かわいいお人形じゃありませぬ。ハンス・ベルメール系、四谷シモン系というか、そっちの方。更に高原英理が解説みたいなエッセイを書いていて、それを読んでるうちに、またしても若かりし頃にトリップしてしまい、頭の中では一気にリンク張りまくり状態。ハンス・ベルメール→澁澤龍彦→江戸川乱歩→夢野久作…と本棚に走っては懐かしの本たちまで撫でまくる始末。「脂ぎった欲望の露呈は不快だが、ひんやりと他人事のように明晰に語られる猥褻は好ましく思われるものだ」はい、全くそのとおりでございます。いいもの見せてくれてありがとう。宝物にしますねっ!
2005.11.13
コメント(0)
先々週から新しく入った社員から「この会社は何で毎日こんなに色んなことがあるんですか?ありすぎですよね?」と言われてどきっとする。お願い、やめないでね!しかし、確かに毎日よくもまぁ、忙しいっていうか人騒がせっていうか、今週もスリルとサスペンスに満ちた日々でありました。やりがいありすぎなんである(笑)そんな殺伐とした1日を終えて帰路に着く日々の中にも、今週はささやかな楽しみがありました。それは、東海道線のグリーン車に乗ってお菓子を食べながら(ビールではありませぬ)斉藤綾子の「欠陥住宅物語」を読むこと。毎日少しずつ読んで1週間ほどで読了。今週はこの本のおかげで日々の疲れをクリアすることができ、綾子様には感謝感謝なのでございます。気持ちが弱くなってきたときの強烈なカンフル剤に選ぶのは、大抵強烈なおねえさまたちの本。標題の斉藤綾子さまのほかには、西原理恵子姐、中村うさぎ姐などなど、あけすけな文章の数々に気持ちはほぐれ、自分の未熟さを反省、まだまだこんなところでとどまってちゃいけませんわ、という闘志まで湧いてくる。どうせろくでもない人生、行くところまで行かねば!それにしても、男関係ありすぎの綾子姐の体にむらがる男子たちとのからみのシーンはいつ読んでも超リアルで、ノンセクシュアルな私の生きている世界から見ると火星の人のようである。それにも関わらず彼女に惹かれる理由は、たぶん、彼女が好きなのは男子の肉体であって、男子そのものではないあたりなのでしょう。それはうさぎ姐からも漂う同じ臭い…。「欠陥住宅物語」の帯が最高です。 男に依存せず、男を切らさず、男と同居せずあっぱれ!でございますね。
2005.11.12
コメント(2)
その昔、定期的に買っていた雑誌といえば「マリークレール」と「芸術新潮」。もう今から随分昔のことなのですが、当時の「マリークレール」は映画評とか読書関係が充実していてすごく読み応えがあったし、「芸術新潮」は毎回あるアーティストとか歴史建造物とか場所とかをとりあげて、これまた読み応えのある文章と写真が美しく、それに加えて橋本治の「ひらがな美術史」が大好きだったので毎月楽しみにしていました。そのうち「マリークレール」は編集者が変わったのか、いつのまにかスノッブなただのファッション雑誌になってしまったので買わなくなり、「芸術新潮」の方も何となく買わなくなってしまったのでした。そんな中、昼休みに本屋を徘徊していたら、なんとヘンリー・ダーガーの絵を表紙にしている雑誌があるじゃありませんか!おお~、と思って見たら懐かしの「芸術新潮」だったので、迷わず買ってしまいました。そしたら今月号の特集は、なんとアール・ブリュット!なるほど、だからヘンリー・ダーガーというわけなのですね。紙面の多くを飾るのは、アール・ブリュットな作品たち。相変わらず写真がとっても綺麗でうっとり。ううむ、またしても、束の間のパラダイスに耽溺する私。アール・ブリュットとは、精神病などの要因から、社会の周辺にいる人々が作る、美術教育や商業主義に加工されていない生の芸術のことで、1945年にフランス人画家デュビュッフェが命名したとか。ヨーロッパでは、アールブリュットのコレクターなどの働きにより、美術館も充実し、研究も盛んだそうです。アメリカではアウトサーダーアートと呼ばれることが多いみたいだけど、それはちと違うのでは、と異論を立てているのが著名なコレクター、ブルノ氏の見解。なぜなら、彼らは社会的にはアウトサイダーでも、芸術と創造においてはインサイダーなのだから。アール・ブリュットのアーティストたちは、人生のある時点で通常の思考システムがほとんど全面的に崩壊してしまい、そしてその後、再構築という現象が劇的に起こることで、他の誰とも共有できない、自分だけに通用する言語、価値観、思考による内部システムを発明する。なので、彼らの作品は勝ち誇ったような力強さに満ちているのだそうです。今回紹介されているアーティストたちの中では、ヘンリー・ダーガーとゾンネシュターンはワタリウム美術館とパルコギャラリーで本物の作品を観たことがあります。確かに、一種独特なエネルギーに満ち満ちていて、でも、きわめて個人的な内的世界に耽溺した作品なので、人の頭の中を覗き見しているような妙な気恥ずかしさを感じたのと同時に、観る者を開放するような、なんといったらいいのか摩訶不思議な気持ちで大いにくつろげたことを覚えています。この世界を味わってみたい方、今なら銀座の「ハウス・オブ・シセイドウ」で11月27日まで展覧会が開かれているので、是非体験してみてください。私ももちろん行くつもりです。
2005.11.02
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1