2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
全13件 (13件中 1-13件目)
1
都橋にて、「横浜地ビール」のビール職人の方のお話を聞いた。何でもヨーロッパでは、ビール作りを志す人々はバックパッカーになってあちこちの名人を訪ね歩き修行するとか。ワインでも日本酒でもビールでも、お酒作りとはこのように奥が深く、神聖なものなのである。やはり「酒の滴は血の一滴」。大切に飲まねば。このようにして出来た横浜地ビール、なんとか横浜市の名品としてプロモートしていきたいもの。まずは現場の見学とテイスティングをお願いして、この日も有意義な横浜ナイトを過ごしたのでした。
2005.07.30
コメント(2)
朝、地下鉄のホームで「レオノール・フィニ展」のポスターに目がとまった。文化村でやっているのは知っていたけど、7月31日までだったとは!どうしよう、いつ行こうか?と思いきや、金曜日は夜9時まで開館している、という。おお、これなら、会社を7時に出られればゆっくり行けるじゃありませんか!それに、「今日は絶対フィニに行くのだ」と思うと、何となく仕事も楽しくなるし~。そういうわけで、7時に会社を出た私は、一路渋谷に向かう。途中、橋本治の本を買おうと思いつき、ついでに本屋にも寄ると、到着時刻は大体8時頃。閉館まであと1時間あるし、ちょうど良い頃合かも。偶然、その日は美術館隣のレストラン・ドゥ・マゴで、華道家の假屋崎省吾氏と女性作家のナントカさん(名前がどうしても思い出せない)が対談をしていて、50人くらいの人がワインを飲みながら熱心に聞き入っているものの、全然興味がないのでもちろん素通り(もちろんタダじゃ聞けないけどさ)。会場に入ると、結構混んでいる。8割がたが30代とおぼしきOL風情の々。確かにフィニは若い女性に受けるでしょう。1907年ブエノスアイレス生まれ、幼少時代にヨーロッパに移り住み、10代の頃から肖像画家として活躍、後にはバタイユ、エルンストはじめ、そうそうたる面々のアーティストたちと華麗に交流するも、何事にも縛られたくないフィニは、シュールレアリストと呼ばれるのを嫌いブルトンとも決別、独自の世界を歩む。その美貌と超個性はカリスマとして人々を魅了し、その後は演劇界でも活躍し、才能をフルに花開かせた人なのでありました。そんな彼女の絵ですが、私はとても好きです。ちょっとイラストっぽい軽さの陰に隠された精神の深み、みたいなものが垣間見られて、観る者に妄想の余地を大いに与える作風です。フェミ的自己主張炸裂の作品コーナーをつらつら眺めて思ったのは、画家のみならず、女性が社会に出て大仕事を成し遂げようとするときに、必ず立ちふさがる男社会の厚い壁のこと(私のような下っ端仕事には、男も女も関係ありませんが)。アーティストがそういう壁を乗り越えようと思ったら、過剰なまでの自分を主張しなければ打ち破れない面もあったのでしょう。それでも、絵の世界では、フィニのみならず何人かの女性の名前が浮かびますが、これがクラシック音楽の世界になると、とんと浮かびません。以前、女性音楽家を発掘する会を主催している音楽大学の先生のお話を聞いたことがありますが、そういわれてみると、有名な女性作曲家というのは一人も思い浮かびません。絵画より音楽の世界の方が壁は厚いってことなんでしょうか。同じ芸術家と言っても、業界によってやはり掟が違うのか??渋谷まで来たので、帰りはいつものように池尻大橋の友人のお店に寄ってみました。そしたら、昔の会社の同僚が来ていて、思いがけず久しぶりのご挨拶。彼女のお友達が持ってきたビーズのアクセサリーがとってもかわいかったので、思わず1個買ってしまったりして、なんか、女の子してるじゃん、今日の私(爆)そして、たまには終バスに間に合う時間に帰ろう、と10時過ぎに店を出て、東横線に乗ってみれば、思いがけずそこは女性専用車。女性専用車に乗るのは初めての経験でしたが、これは大いに気に入りました。朝は別に男女一緒でもまったく気になりませんが(もはや痴漢に合うこともなくなったので)深夜の場合、満員電車で隣に酒臭いおやぢの一群がいるのとまったくいないのとでは、月とスッポン以上の快適さだと味をしめてしまいました。これからも夜は女性専用車に乗るべし!そういうわけで、今日は久しぶりにおやぢではなく、女の子の生活をした私なのでした。
2005.07.29
コメント(4)
大学院に行って、もっと勉強したい、とずっと思っていた。大学時代にあまり勉強しなかったことを今になってものすごく後悔している。社会に出てみて、改めて勉強することの大切さを感じるようになった。でも、うちは貧乏なので、働かないわけにはいかないし、会社では中堅社員になってどんどんどんどん忙しくなってくるし、そんなこんなで今までだらだらだらだら過ごしてしまった。そんな中、仕事の質が日常業務からプロジェクト関係やマネジメント関係に移行してきて、このままではやはりまずい、と思うようになった。特に、英語力ももう少しあったほうが良い。そういうわけで、ネットで色々と検索してみたら、英語関係ではやはりサイマルかなぁ、と思いつつも、場所が遠いし、毎週日曜日に出て行く気力があるかどうか、と二の足を踏んでしまう。ああ、軟弱な私。。。近くの大学に「横浜在住のネイティブ募集」って紙でも貼って、家庭教師でも探そうかしらん。そんな中、何気に放送大学大学院を検索してみたら、これが結構おもしろそうだ。大学院に正規入学するのは時間的にちょっと無理だけど、聴講生レベルなら何とかいけるかも。早速、資料を取り寄せてみると、大学院政策経営プログラムというのがある。「経営システム」「経済政策」「地方自治政策」「芸術文化政策」「環境マネジメント」あたりがおもしろそうだ。この秋から、入学してみようかな、とマジで思っている。
2005.07.28
コメント(2)
杉浦日向子氏の訃報が流れている。倉橋由美子氏に続き、またしても優れた書き手がこの世を去っていってしまった。私にとっての江戸ものがたりすとベスト3は、杉浦日向子、宮部みゆき、山本昌代のお三方だった。暑い暑い真夏の昼間。吉原の小さな部屋。天井を見つめて寝転ぶ男。傍らにたたずむ遊女は、内輪を仰ぎながら窓の外をぼーっと眺めている。視線の先では風鈴がちりんと鳴って、夏だねぇ、と心の中でつぶやくような、つぶやかないような、そんな絵を書かせたら天下一品だった。ご冥福をお祈りします。
2005.07.26
コメント(2)
夕方から無償にお寿司が食べたくなり、仕事を終えるなりダッシュで新橋に向かった。数ヶ月前に友人が連れて行ってくれたカウンター13席だけのお店にて、遂に鮨屋お一人さまデビューである。新橋の駅に降りれば、夜の蝶がひらひら目の前を舞う。丁度綺麗どころのおねえさまたちのご出勤時間のようで、小雨降る湿ったおやぢの街が俄かに華やぐようだ。鮨屋の扉を開けてみれば、いかにも同伴出勤まえの二人連れが座っていらっしゃる。龍虎似のおじさまに茶髪ショートカットでミニスカの、いかにも~、の30前後のおねえさま。何を話しているのやら、耳をダンボにするも、その隣の3人組のおばさん軍団の大声にかき消されて聞こえず。おばさん軍団も普通の会社員ではあるまい。たぶん、このあたりの小売店主系か。それにしても、横浜でも東京でも、おばさんは3人いるだけで10人分くらいの声量をお持ちである。すばらしい。さて、今日私が頂いたのは、常温の辛口日本酒2合、付き出しのおから煮、ゴーヤの酢の物、京都のししとう焼き、そして中トロ、イカ、あいなめ、さんまを握ってもらい、桃のアイスクリームはサービスでごちになり、〆て5000円也。中トロが、ほっぺが落ちそうなほど美味でございました。家に帰ると、父が特大ステーキを焼いて私の帰りを待っていた。これは食べないわけにはいくまい、と覚悟を決めてぺろっと1枚平らげる。実は、今日のお昼もステーキだったのだ。なので、本日はステーキ合計2枚に、鮨まで食べて私の胃袋の中は盆と正月が一緒に来たみたいな賑わいだ。明日は粗食にせねば。ああ、でも、やっぱり飽食って幸せだなぁ~。
2005.07.25
コメント(0)
年に3回までならしてもよい、と自分に許している贅沢がある。それは、東京から自宅までタクシーで帰ることだ。週末は大抵横浜で深夜まで遊んでいるのだが、それは近距離なのでタクシー代が気にならないからのことで、東京の場合はそういうわけにはいかず、必ず終電までには帰ることにしている。でも、東京のお友達ともたまには遅くまで遊びたいので、年に3回までは、東京でも遅くまで遊んでもよいことに決めている。まぁ、一種の「自分へのご褒美」ってやつでしょうか。というわけで、この日も、池尻大橋の友人のお店でいつもの友人たちとだらだら飲んでいたら、いつのまにか12時をまわってしまったのでした。この日は、たぶん3人でワイン5本くらい飲んだような気がする。翌日はちょっと気持ちが悪くて食欲がなくて、でも夕方になったらまた復活していたので、予定通り横浜のいつもの店で1時半まで遊んでしまい、またしても母親に怒られたのでした(泣)
2005.07.21
コメント(0)
有給を1日貰ったので、旅の疲れを癒しに父を連れて市内のスーパー銭湯に行く。平日の昼間なので、人が少なくて大変よろしい。例によって、何種類ものお湯に浸かった後は、ビールを一杯飲む。本当はこれが楽しみだったりして(笑) さて、この銭湯、100円で遊び放題、というアミューズメントパークみたいなものも併設されていて、早速父と覗いてみた。350円払えば会員カードがもらえて、それがあればゲームは無料で遊び放題、漫画も無料で読み放題、カラオケは15分105円で歌い放題、というシステムなので、早速父と2人、カラオケをしてみたところ、最新装置の音は抜群に良くて、誰が歌っても2割増しくらいで上手に聞こえるというすぐれもの!飲み物は自動販売機から買えば120円だし、これはいい!ということで、父もノリノリで、私が入れた年代別「紅白歌合戦曲集」を嬉しそうに歌っている。結局二人で1時間半歌って会計は1200円ちょっと。お一人様約600円でこんなにすっきりできるなら、また来たいかも。もっとも、土日は混み混みらしいので平日が狙い目なのだが、平日だと私は来られない(泣)それにしても、最近は物の値段が下がっていて、いくらでも安く遊べるんですねぇ。
2005.07.18
コメント(0)
友人宅では遅くまで話し込んでしまい、結局その日はホテルには戻らず泊まることに。翌日、日曜の朝7時のハーバード大学構内を友人と歩いて駅まで行く。キャンパスの中では、夏季講習会に来た留学生と思しき色んな肌の若者たちが集っている。朝早くから皆でどこかに行くのだろうか。その他には、中国人、韓国人観光客がちらほら。不思議なことに、こちらに来てから空港以外では全く日本人を見かけなかった。どこに行っても見かけるのは中国人、韓国人ばかり。昔はどこに行っても、日本人がたくさんいたような気がするのは、単なる気のせいか?駅で友人と別れて電車に乗ってホテルに戻り(こちらの電車システムはわかりやすい)、朝食を食べてからチェックアウトを済ます。あっという間だったけど、濃い旅だった。もっとも、私の旅はいつも濃いのだけれど(笑)機上ではあまり眠れない私は、行きの成田で買っておいた高橋哲哉の「靖国問題」を完読。5月の靖国神社で受けたショックがあまりにも強すぎて、あれからずっとその場所に取り憑かれている。もっと早くこの本も読みたかったのだけれど、仕事に忙殺されて読まずじまいになっていたのだった。哲学者の本らしく、論理的にすっきりポイントを突いて書かれたこの本は、新書ということもあってか非常にコンパクトでわかりやすい。私が靖国で感じたあの薄気味の悪さの正体をずばり言い当ててくれているので、思わず線を引きながら読んでしまう。すなわち「靖国信仰」とは、日本の国家教であり、戦場における死の悲惨さ、おぞましさを徹底的に隠微し、それを聖なる世界へと昇華させると同時に、戦死者の遺族の悲しみ、むなしさ、わりきれなさにつけこんで「名誉の戦死」という強力な意味づけを提供し、人々の感情を収奪していくイデオロギー装置である、と。ただし、このからくりは日本固有のものではなく、世界各地で行われてきたことではある。いかなる国家も、この装置がなければ、戦争なんてできないからだ。つくづく「国家」とは、厄介なことだと思う。しかし、人間も社会も、成熟課程を進んでいけば、おのずから「国家」の役割も劇的に変わっていって、その先にあるものは国家を超えた「何か」なのではないか、と私は思っているのだが、その「何か」がどういうものなのか、まだよくわからない。希望を持って生きる、ということが、こんなにむずかしい時代になってしまって、考えても考えてもどこにも行き着けないし、何もわからない。それでも「考える」ことによってのみ、人は不気味な津波に飲み込まれることなく、その「何か」に辿りつけるのかもしれない、と信じて何とか毎日を過ごしている。日本に戻ったその日、東京では梅雨があけたことを聞いた。今年もまた暑い夏がやってくるのだなぁ、と思いながら、一方ではこんなことをつらつらと考えていたのだった。
2005.07.17
コメント(2)
無事任務を果たし、土曜日はまる1日フリーとなる。たまたまこの時期、ボストンに滞在している友人と朝10時に待ち合わせ、バスに乗ってアメリカ発祥の地、プリマスまで遠足。バスで1時間ほどのプリマスは、メイフラワー号が上陸したところ。ネイティブインディアン関係の資料をまとめたミュージアムもあり、そこではヨーロッパ人による迫害の歴史も綴られている。考えてみれば、ヨーロッパから上陸した人たちは、この地の住人をだまし、虐殺したのだった。それがこの国の歴史の始まりだ。そして、少数民族のようにひっそりと大陸の片隅で生きるネイティブの人たち。今の彼らには、それを糾弾する術もない。このミュージアムでは、そんなネイティブの人たちを説得して、最初に白人が上陸したときの儀式を再現し、話し合いをしながら互いに過去を見つめなおす、というイベントを企画し、ビデオにまとめたものを上映していた。歴史に「今更」という言葉はないのかもしれない。人間は誰でも、過去の歴史と常に向き合いながら生きていく運命を背負っている。3月のドイツでは、ユダヤ博物館へ行き、5月には靖国神社内の戦争博物館「遊就館」に行き、そして今月はボストン郊外のネイティブミュージアムに行った。どの施設も、平和な未来を築くために、という信条のもとに作られているが、1つ決定的な違いがある。それは、ドイツとアメリカが相方向的な開放的な空間であったのに対し、日本のそれはきわめて一方的で閉鎖された空間である、ということだ。「遊就館」で感じた、あの薄気味の悪さ、居心地の悪さは、このへんのことから来ているのだ、と思う。どうして日本だとこうなってしまうのだろう、と帰りのバスの中ではつくづく考えこんでしまった。さて、夕方ボストンに戻った私たちは、ハーバード大学近くに住む友人の家で手作りの宴を開く。近くのスーパーでお酒や食材を仕入れて、野菜中心のヘルシーなディナー。研究者をしている友人は、このたび6ヶ月という時間を与えられ、アメリカで一人、研究生活をしている。異国の地で、一人になって毎日自分の研究に打ち込む生活。羨ましいなぁ。私も長い人生、少しくらいそういう時間があればいいのになぁ。
2005.07.16
コメント(1)
2日目は、ボストン市内のオフィス2ヶ所でミーティング後、今回コーディネーターをしてくれた方々と、こ洒落たイタリアンレストランでランチして2時半に開放された。何が食べたい?と聞かれ、「量の多くないところがいい」と言うと、にっこり笑って「もちろん、そうだと思って量の少ないところに予約しておいたから」と言う。彼は何度か日本にも来ているので、そのへんは楽だ。青山のイタリアンという感じのお店のお食事は、すべて日本サイズだし、さっぱり味で美味。この手のお店はこういうのがグローバルスタンダードかも。でも、彼らは日本で皆と食事に行くと、いつも解散した後、クドナルドに飛びこんでハンバーガーを食べてしまう、という。だって、量が少ないんだもん、おなかすくんだ~、と笑う。今回の旅、思いがけず順調にことが運び、めでたくこの日は2時半に開放される運びとなる。せっかくなので、プルーデンシャルタワーに行って買物をすることにした。ランドマーク系のこのショッピングモール、隣のウェスティンホテルのショッピングモールとかにも足を伸ばし、母親の洋服、親戚の叔父の洋服などを買う。我が家には、海外に行ったら、必ず母親のためにいくつもプレゼントを買わなければいけない、という掟があるので、毎回買物には気を使うのである。とほほ。。両手に一杯買物したあとは、地元で一番人気というシーフードレストラン「Legal Sea Food」のカウンター席に陣取り、白ワインを飲みながらロブスターとサラダを食べる。大きなロブスターに、レモンをきゅっと絞って頂く。実に、美味!隣には、50歳前後と思われるキャリアウーマン系の女性が、やはり一人でワインを飲みながらフィッシュプレートを食べている。一応、会社の人たちも気を使って、どこか連れてってあげる、と言ってはくれたものの、面倒臭いので一人で遊ぶことにしたのだが、正解。こういうところで一人、ぼーっとしながら美味しいお酒と食事を頂くのがとっても落ち着く今日此の頃の私。目の前では、モト冬樹似のウェイターがシャカシャカカクテルを作っていたりして、この人、どこの国の人なのかなぁ、と考える。東南アジアにもいる顔なんだな、モト冬樹って、とかくだらないことを考えながら9時過ぎまでくつろぐ私なのであった。
2005.07.15
コメント(0)
13日夜にようやく到着。とりあえず軽食でも…ということで、同行の同僚と1階のバーに行く。ボストンと言えば、クラムチャウダーとロブスター。とりあえずその日はクラムチャウダーに挑戦。それにサラダとバーベキューを頼んだら、量が多すぎた。大きなお皿に注がれたクラムチャウダーはメチャクチャ濃い。それだけでおなかがいっぱいになってしまう。サラダも大盛り、バーベキューに至っては、想像していたものと全然違う不思議なお肉のてんこ盛り。それでも、付け合せのコールスローと一緒なら、なんとか食べられるかも…と思い、コールスローを食べてみたら、なんか、変な味がするし。。。「…これ、腐ってませんか?」「まさかそんなことないでしょう」「でも、腐ったような味ですよねぇ」 後に、別のレストランで出てきたコールスローも同じ味がしたので、腐っていたわけではなかったらしい。聞いたらこのへんではみんなこの味だという。お国変われば品変わる。でも、さすがの私も、こちらのコールスローはだめだった(笑)翌日は朝5時半起床。朝食後、会社が手配してくれた車でニューハンプシャーのオフィスまで1時間ちょっとのドライブ。ウチの会社は部署ごとにあちこち分かれているので、移動が大変。郊外にあるこのオフィス、まるで大学みたいな感じで、緑に囲まれた庭に面した湖では、白鳥が優雅に泳いでいる。社員は年中カジュアルディなので、遠足に来ているみたいな感じ。平均通勤時間は車で20分くらい。仕事は完璧な分業なので、一般社員はマイペースでゆったり働き、遅くとも6時には会社を出て、子供を迎えに行ってからお料理、家族みんなで夕食をとる。家族第一なので、自分の席にも家族の写真がびっしり。東京の生活はどんななの?と聞かれ、毎朝6時に起きて、7時に家を出て、8時半に会社に着いて仕事して、夜は7~8時くらいに会社を出て、家に着くのは8時半から10時くらいかなぁ、と言うと、みんな信じられない!」と言う。混んでる電車に乗って1時間半もかかるなんて、それだけで嫌だ、という。アメリカでは、偉い人はものすごく働くけど、一般社員はのんびりしている。でも、東京では、偉い人も一般社員も忙しい。やはりお国変われば品変わる。。それにしても、こちらでは「家族」がいないと肩身が狭いのでは、と思ってしまった。会社の机周辺にべたべた貼られた子供や奥さんの写真のオンパレードを見ていたら、なんだかこの社会には、「家族」という脅迫観念があるような気がしてくる。独身女性が帰りにふらっと立ち寄るようなバーもあまりなさそうだし、休日もアフターファイブも基本は家族単位だし、この国に住むのは独身者にはきついかも。そう考えると、東京はやっぱりいいな、混んでる電車に1時間乗るにしても。
2005.07.14
コメント(0)
新規ビジネスの打ち合わせのため、4泊6日というハードスケジュールで一路ボストンへ。ボストンは実に12年ぶりである。前回は、友人の結婚式のために行ったボストン。どんなふうに変わっているのか楽しみだった。それにしても、直行便のないボストン、ミネアポリスで乗り換えるとトランジットの待ち時間も入れて合計16時間にも及ぶ長旅だ。ただ、幸い今回はビジネスクラスのためフラットな椅子で眠ることができ(なんと、マッサージ機能つき)、食事も美味しいし、ワインの品揃いも豊富だし、それだけでだいぶ疲れ方が違うようで、資料を読んだり寝たりしているうちに、結構すぐ着いてしまったような気がした。さて、こちらに着いて最初に思ったこと。やっぱりデブが多いです!歩くとホテルの床も地震のように揺れます、きしみます!日本のデブなんて、問題じゃありません!自分の脂肪なんてかわいいものだと思えてしまうので、長居すると自分もそうなってしまうかも、という危険な国なのでありました。(つづく)
2005.07.13
コメント(0)
先週から風邪を引いてしまった。不調である。でも、もちろん会社は1日も休んでいない。10年近く更新している病欠ゼロの記録を破るわけにはいかないからだ。その気力のせいか、平日は何とか元気なのだが、土日になると具合が悪くなり、先週も今週もほとんど寝たきりだ。昨日は激しい嘔吐のため、1日絶食でうなっていた。今日は腹痛はあるものの、胃はなんとか回復したので、明日からはまた会社に行けるだろうが、水曜から出張で片道15時間くらいもかけて遠方まで行かねばならぬ。しかも、過密スケジュールのため4泊6日、帰った翌日からまた会社だ。本来なら、有給を組み合わせて帰りにどこかに寄って帰りたいところだが、人手不足&新規業務目白押しの今、そんなことはとてもとても無理。何とか体力だけは取り戻さねば!というわけで、今日も家で静養中。このところ本を読む気力もなく、日々会社と自宅の往復だけで精一杯だ。で、最近は唯一の読書媒体、新聞を眺める。今日の日経文化欄では中沢けい氏が韓国の人気作家、申京淑の紹介をしている。若い女性の感性に根ざした感覚的な作品で多大な読者の支持を集めている人気作家だという。調べると私と1つ違いの同年代。話し方は穏やかで柔らかく、寡黙な人だという。そして中沢氏も同席した10年前の某会議で彼女はただ一度きり、こう話した、という。「私は外国旅行をするのはこれが初めてです。外国に出て初めて、自分が何語をしゃべっているのかを考えることができました。それが3日前の体験です。それまで言葉は私の身体の一部でした。世界じゅうの人がそうであるように、私の身体の一部で違う言葉があることなど想像もしてみなかったのです」と。このあたりから俄然この作家に興味を感じた私は、早速インターネットで検索してみたら、なんと、今日、3時半から法政大学で津島祐子氏と申京淑の対談があるという。元気なら是非駆けつけて、その静かな声に耳を傾けたいところなのに、残念。今年、彼女の作品の中から、「隠れ部屋」という小説が集英社から翻訳出版されたらしい。状況が落ち着いたらぜひ読んでみようと思う。
2005.07.10
コメント(3)
全13件 (13件中 1-13件目)
1