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アメリカの大学院は春学期を迎えキャンパスは活気に満ちている。秋学期の第1週目は緊張のあまり常に落ち着かずソワソワしていたが、春学期は友人も増えて冬休み明けの再会を楽しむまで余裕が生まれている。授業前にお互いの冬休みの出来事を話していて面白い言い回しに遭遇した。“How was your winter break?”“Nothing much. I was hibernating at home.”“Haha, I admit this year’s winter was particularly cold.”<以下略>ベトナムで幼少期を過ごした後、ハーバード大学の修士を終えてこちらのPh.Dプログラムにやってきた彼女は日常会話もどこか知的な感じがする。なんとなくhibernateと聞くと動物が冬眠するイメージがあるが、人が寒さをしのぐために家にこもる際にこの表現はぴったりだと思った。きっと私なら“I was staying at home all the time because it was freezing outside.”とか言っていたと思うが、hibernateを使うことで以下のことを一語で網羅できてしまう。家の外は非常に寒く、出歩く気分にならなかった。家の中は温かく、食べ物があって快適であった。活動はせずにゆったりと自宅での時間を満喫していた。今年の東海岸は冷え込みが激しく日中でもマイナス8度を記録した。また近年では稀に見るほどの積雪もあって20センチ以上しっかり雪が降った。人間も冬眠したくなる気持ちはよくわかる。とある学習英和辞典にはしっかり「(人が)避寒する」と定義されていたが、学習英和辞典の定番とされているジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「<動物が>冬眠する;冬ごもりをする」としか記載がなく、比喩的な使い方について記述がなかった。「<動物が>冬眠する;(比喩的に)<人が>冬ごもりする」とした方がhibernateが持っている意味を的確に捉えることができるかもしれない。言葉の運用は非常に柔軟で自由闊達だと気づかされる。30代に突入して凝り固まった頭脳を英語を通じてほぐしたい。写真:NYの格安ホテルのトイレにあったポスター。今日も良い1日を。きたろう
2024.01.31
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春学期が始まり文字通り研究に忙殺されている。冬休み期間は学期中の慌ただしさが少し恋しくなっていたが、いざ学期が始まると年末年始のスローライフが少しだけ恋しくなる。改めて人間は常に自分にないものを追い求め、無いものをねだる自分勝手な生き物なのだと実感する。オレゴンの旅を続いていた頃だ。友人の自宅にお世話になってアメリカ南部の伝統料理であるSalisbury Steakを振る舞ってもらった。(過去の記事はこちら)具材を買い込むためにオレゴンを中心に展開している大型スーパーであるFred Meyerに行った。明日の朝食のために卵を探していた友人がふと「お前が来ているからこれを買おう」とニコニコしながら手に取った商品があった。普通の鶏の卵パックのように見えたが、よく見てみると“Duck Eggs”と書かれている。アヒルの卵が売っているとは大変驚いた。鶏の卵と比べてみると幾分大きく少しだけ青みがかっていた。翌朝、友人がアヒルの卵の目玉焼きを作ってくれた。見た目は鶏卵の目玉焼きと一切変わらないのだが、食べてみると下に纏わりつき、コクが強かった。なんとなくバーミヤンで食べたことがあるピータンに似ているような気がした。食べた感想を求められこの独特のえぐみをどう表現したらいいのか悩んでいると友人たちが会話を始めた。“Duck eggs are really gamy!”“Yeah, that’s musky, you know.”私の脳内は知らない単語に出くわすとすぐに反応してしまう。「ゲイミー?」「マスキー?」知らない単語と味わったことのないえぐみで私の脳内は大混乱を起こしパンク寸前に陥っていた。オレゴンから自宅に戻ってきてから自宅の辞書で調べてみることにした。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「<狩られた鳥獣たちの肉が>(調理前にしばらく吊るしておくうちに)匂いが強くなった《主に食通が好む》」と書かれていた。スーパー・アンカー英和辞典(学研)にも「(鳥獣肉が)傷みかけてにおう(一部の食通が好む状態)」と記載があった。どちらも似たような記載なのだが、今回のネイティブのgamyの感覚とは若干ズレがあるようにも感じられる。私が感じた違和感は両方の辞書ともに鳥獣の「肉」に限定している点だ。今回の件からすると肉に限定するのは正しくないように思えた。二つ目の違和感は両方の辞書ともに「腐らせる(発酵させる)」プロセスを経ていることだ。今回のアヒルの卵は炒めただけで腐らせる手続きはとっていない。両方の辞書に共通している「食通が好む状態」という記載を最大限尊重して「(発酵や調理などを経て)えぐみがある、独特の風味がある(一部の食通が好む状態)」くらいが適訳なのではないかと思った次第だ。因みにmuskyも同様に2冊の辞書で調べてみたのだが、「ジャコウ[ムスク]の(ような)香りの」としか記載がなかった。辞書の字面通り記憶していたらアヒルの卵の感想を求められてもgamyやmuskyはきっと出てこなかっただろう。これらの単語は英検やTOEICのような資格試験にも出てこないだろうし、IELTSやTOEFLのようなアカデミックな試験にもなかなか登場することのない穴場英単語である。以上、アメリカで出会した新たな単語とその単語と英和辞典にあった定義の若干のズレについて述べてみた。非常にマイナーな英単語をアメリカで暮らす現地の視点から述べてみた。記事を楽しんでいただけたら嬉しい。さて、現実逃避をやめて課題に励むこととしたい。写真:アヒルの卵それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.28
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「大辞泉」で眉唾物(まゆつばもの)を調べてみると「だまされる心配のあるもの。真偽の確かでないもの。信頼できないもの。」と定義されていた。秋学期の終わりにあったワークショップで眉唾物に近い英語表現に遭遇したので紹介したい。時間が経過してしまったのでどのような文脈で使われていたのかすっかり忘れてしまったのだが、スピーカーが話の途中でこのように言ったのだ。“We must take the information with a grain of salt.”なぜこの文脈で「塩」が登場したのかよくわからなかったが、その場で調べて謎が解けた。Cambridge Dictionaryには以下の記載があった。to not completely believe something that you are told, because you think it is unlikely to be true:Cambridge Dictionary: a grain of saltつまり、情報の真偽がわからないときにこのgrain of saltという表現が使われるらしい。情報を鵜呑みにしないよう警告する際によく使われるようである。英語圏では「ひとつまみの塩」には思いもしない意味が隠されていることに驚きを隠せない。英語を10年以上学んでいる私でも日々わからないことだらけだ。学んでは忘れ、忘れてはまた学んでの繰り返しである。今日扱った表現を使って本日の記事を締めくくりたい。“What I write in my blog is not 100% true. You should take my word with a grain of salt.”マンハッタン北部の写真:それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.23
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以前の記事で書いた通り、最近は引越しに向けて幾つも物件を見て回っている。物件を回りながら気づいたことがある。(物件探しの記事はこちら)築100年近く経っている古いアパートでも管理会社がしっかり管理を行なっていれば部屋はしっかり綺麗に保たれていることだ。外観は少し古びて見えても部屋の中に入ると新築物件のようになっている部屋もある。しかし、管理が行き届いていない物件はカーペットに幾つもシミがあったり、壁が汚れていたりと日本では考えられない部屋も存在する。衛生面が非常に整っている日本から来ると水回りの汚さにちょっとがっかりすることがしばしある。不動産仲介業者の方も物件の見極めは築年数ではなく管理会社のきめ細かさだと教えてくれた。とあるアパートの部屋を見に行った時に大家さんが、このように言った。“This is a model room and it’s clean, but all the kitchens in other rooms are also renovated.”大家さんは客寄せのためにモデルルームだけ最新設備にしているのではなく、他の部屋も同様に新しいキッチンコンロを設置していると説明してくれた。壁紙も新しくまるで新居のような状態であった。駅近の物件で日本円にするとかなりの高額だが、インフレを起こしているアメリカでは1ヶ月これくらいしてしまうらしい。ボストンやNYは1ベッドルームでも4000ドルを超えると聞く。すごいタイミングでアメリカに来てしまったとつくづく思う。後日、私のアメリカでの恩師と電話をしている時に恩師がこのように言った。“My daughter is having a lot of redos in the kitchen. I visit her house and help her out.”聞き慣れない単語であった。「ハビン ァロット ヴ リドゥー?」最初は固有名詞かと思ったが、rの音がはっきり聞こえたので携帯で調べてみると“redo”を名詞で使っていることがわかった。つまり、娘さんがキッチンの模様替えをしていてキッチンの物を全て外に出している。その散らかっている間、子供の面倒や模様替えの手伝いで忙しくしているということが言いたかったらしい。棚や機械の交換を含めた内装工事はrenovateで配置交換や気分転換のための模様替えはredoが好まれるらしい。細かいがネイティブは無意識にこの使い分けをしている。日本でずっと生活してきた私のような英語学習者はまだまだ日用英語に弱いと痛感した一日であった。ネイティブの日常会話が聞き取れないのはもしかしたら難しい単語ばかり学びすぎて基本的な日常会話がすっぽり抜けているからかもしれない。残念ながら中学校、高校の単語帳にこんな簡単なredoを見たことがない。※手元の辞書で英和辞典を引いてみたが、名詞的用法の記載はなかった。東海岸では20センチほど雪が積もっている。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.22
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昨日カフェで課題に励んでいたところ急に銀行からメールが届いて飛び上がるほど驚いた。メール送信主は詐欺防犯チームで至急対応が必要なのだという。携帯を確認したら知らない電話番号から数回不在着信も入っていた。以下が銀行から届いたメールである。—————————-(一部変更済み)Dear Customer: It is very important that we speak to you today concerning recent activity on your account ending in ###. Please note that this is not a solicitation email. We were unsuccessful in reaching you earlier by telephone. Please call the Retail Fraud Team at ###-###-####-## option #. Representatives are available to assist you Monday through Friday, 8:00 am until 8:45 pm, eastern standard time. If we do not receive a response from you by #:## pm, EST ##/##/2024, our bank will have to make a decision on how to process the transaction. When you call us, please use sequence number #####, so we can access your information quickly. Thank you for banking with our Bank.———————————-急いでオンラインバンクで口座を確認したが、お金を抜き取られた形跡は全くない。状況が理解できぬまま、このまま放置するのは不味いと思い一先ず支店銀行に足を運ぶことにした。銀行に到着して窓口で先ほどのメールを見せたら早速口座の調べてくれた。奨学金スポンサーに返金する際に作った小切手(check)に不備があったらしく、正しく送金ができずにいることが判明した。所定欄に全て情報を記入したし、送付先も何回も確認した郵送した。どこに手続きの不備があるのか全く理解できなかった。見かねた銀行員がスキャンされた私の小切手を表示してどこかいけなかったのか教えてくれた。銀行員:“You should have put the amount of money in words here as well.”私:「あ、しまった。」確かに小切手のサンプル用紙には数字だけでなく、Payee(受取主)の下に金額を再度書く欄があった。私は右上の数字のみを書いて送付したため詐欺防犯チームから電話がきてしまったのだ。オンラインでの決済が増えつつあるが、それでも物件の初期費用の支払いなどチェックでの支払いを指定される場面がアメリカではしばしある。サンプル用紙:(私が今回記入し忘れた場所を蛍光ペンでマークしておく。)こんなミスを繰り返しながらアメリカの地で逞しく成長していけたらと思う。これから留学や駐在を予定されている方は私の二の舞を踏まないよう気をつけていただきたい。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.21
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東海岸は現在猛烈な吹雪に見舞われている。交通機関への影響も懸念されている。春学期は始まったのだが、本日は大学は病院等の医療機関を除き閉鎖されるらしい。大学からは今朝以下のような連絡があった。(一部変更済み)——————-Alert: Normal University operations are suspended due to weather. Essential University staff and all Health System physicians and staff are required to report to work. See the webpage for details. ———————-朝起きると確かに雪が激しく降っている。大学の図書館もしまっているためこんな日はアパートに篭って課題に耽るほかない。学業と同時進行で私にはもう一つやらなければならないことがある。それは冬休みから始めた新居探しだ。現在住んでいるアパートの契約がもう少しで切れるため、春先に向けて新居を探さなくてはならない。不動産のマネージメント会社とやりとりをしていると以下のメールが届いた。———————-Attached please find the maps I inadvertently left out of my email. Please let me know if you have any questions.———————-注目したいのはこのinadvertentlyである。この副詞を文中に入れることによって、意図せずにやってしまったこと、つまりうっかりミスであったことを表すことができる。地図の添付し忘れたことに対する謝罪と誠意の気持ちがこの"inadvertently"にはある。文法的には"Please find the attached maps I inadvertently..."となるはずなのだが、"Attached please find the maps I inadvertently..."となっている。決して打ち間違いではなさそうだし、これもネイティブの感覚というやつだろうか。この倒置現象?を解説していただける方がいたら是非お願いしたいところだ。寒さのあまり木の枝の上にある雪が凍って氷柱になっている。自然が作り出す氷の彫刻のようだ。それではみなさん今日も良い1日を。きたろう
2024.01.20
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前回に引き続きNYの旅について綴りたい。今回はニューヨークの歴史的建造物をいくつかご紹介したい。Castle Clinton:昔の砲台のようである。現在は自由の女神、エリス島行きのフェリーチケット売り場となっている。Flatiron Building:三角形の建物で非常に有名なNY初期の摩天楼である。ニューヨークの超高層ビル群の第1号と言っても過言ではないだろう。1903年当時は世界で最も高い建物だったという。今では超高層ビル群に追い抜かれ小さく見えてしまうが、貫禄は他のビルに負けていない。Rockefeller Tower:巨大な富を築いたJohn Rockefellerが建てたビル。ホリデーシーズンになると巨大なクリスマスツリーとスケートリンクが設置され観光客で賑わう。テレビドラマや映画の撮影地としても何度も使われている。The Plaza Hotel:ニューヨークの老舗の中でも老舗のホテル。確かF. Scott Fitzgeraldが書いたThe Great Gatzbyにも登場するホテルだ。ホテルの中にはThe Gitzgerald Suiteというスイートルームまで存在するらしい。歴史が好きな方はドル高を是正するために為替レート安定化に関する合意がなされた「プラザ合意」も開催場所となったプラザホテルからそのように呼ばれているらしい。New York Stock Exchange:ウォールストリート沿いにある金融業界の中心地である。1929年10月29日火曜日に起きた世界恐慌がここから始まったとされる。“We are the 99%(我々は99%だ)”と掲げた集団がウォール・ストリートを占拠し一時騒然とする事件が起きた場所でもある。1%の富裕層が富を独占していて、貧富の格差が拡大していることを批判した運動だ。映画The Wolf of Wall Street(2013)の舞台でもある。ジョーダンベルフォートという人をモデルにした映画で主演はレオナルドディカプリオだ。ドラッグ、性的な描写などかなり刺激が強いので見る際には注意が必要な映画だ。Times Square:NYのシンボルと称されるTimes SquareはNYにきたら訪れたい繁華街だ。劇場も沢山あってミュージアムを楽しむのもいいだろう。今回は時間の制約で訪問できなかったが、MoMAなどNYは美術館や博物館の宝庫でもある。訪れる者をエンターテインしてくれるものがあるだろう。NYに訪れたら是非9/11ミュージアムも訪れてほしい。過去にミュージアムのレポートを書いている。過去の記事はこちら。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.19
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エリス島は自由の女神が建っているリバティ島のすぐ近くにある小さな島とその上にある移民局(Immigration Office)を指す。1892年から1954年までの62年間の間、Ellis Islandが移民がアメリカに到着後最初に通過するゲートウェイとして機能していた。ここを通過した移民の数は約1200万人とも言われ、アメリカ人の約半分はこの移民局で先祖を辿ることができると言うから驚きだ。移民局の外観:現在の移民局は国が定めた博物館として観光客で賑わっている。世界でも類を見ない移民の流入がなぜ起きたのか、当時の資料を見ながら学ぶことができる。インパクトは勿論自由の女神の方があるのだが、エリス島もアメリカの歴史を学ぶ上で非常に貴重な資料が並び決して侮れない。自由の女神、エリス島を含めて少なくとも半日は確保しておきたい。当時の人々がなぜアメリカに渡る理由は多岐に渡る。宗教の迫害から逃れてきた人々、政治的対立により追い出された人々、より良い雇用機会を求める者、単純に冒険心に駆られた人々と目的そして人種も多種多様だ。ヨーロッパで勃発しその後世界に飛び火した第一次世界大戦、そしてその後起こった第二次世界大戦と政治的に非常に不安定な時期だったこともあり、現在の移住とは動機が大きく異なることがわかった。中には所持金がゼロで戻るお金もなくまさに背水の陣でアメリカに渡った人々もいることがミュージアムでわかった。この島に上陸したら是非2階のRegistry Room(もしくはGreat Hall)を見学したい。当時はこの大きな広間が受付所となって移民が呼ばれるのを数時間も待っていたという。このGreat Hall以外にも健康診断所や許可が下りなかった者が滞在する勾留所の展示もあって非常に面白い。飛行機で移動が容易になった現代では考えにくい当時の移民の困難と覚悟を垣間見ることができた気がする。アメリカの移民の大移動(Great Migration)はこの場で始まったのか思うと身震いがした。きっと当時の人は自由の女神を見てアメリカの象徴である自由に心を躍らせ、祖国とは全く異なる未知なる生活に夢と希望を抱いていたのだろう。気づくと時計は自由の女神行のフェリーに乗ってから4時間ほどが経過していた。次の予定が刻々と近づいていたため後ろ髪を引かれるような思いで急いで帰りのフェリーに飛び乗った。ニューヨークの旅はまだまだ続く。きたろう
2024.01.18
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フランスからアメリカに送られた自由の女神(Statue of Liberty)はニューヨークのランドマーク的巨大建造物だが、アメリカの「自由」の象徴でもある。フランスの彫刻家であるFrederic August’s Bartholdiによってデザインされ、21年の歳月をかけて建築されたという。土台にはEmma Lazarusの詩が彫られている。Give me your tired, your poor,Your huddled masses yearning to breathe free.南北戦争が終わり、奴隷制も廃止され、新たに建国された国は次の100年を見据えていた。激動の時代にこのフランス革命を経て独立したフランスからアメリカにこの自由の女神が与えられた意義は当時の時代背景を考慮すると非常に大きい。完成した1886年当時、自由の女神はニューヨークで一番高い建造物だけでなく、世界一高い建造物であったとされる。93mの巨大な像はフェリーで近づくにつれて丘で見るよりずっと迫力があり、着物のシワまで緻密に表現されており見る者を圧倒する。自由の女神とエリス等にはフェリーでしかアクセスができない。事前にオンラインでチケット購入したい。チケットはクレジットカードで購入が可能だ。私はフェリーの運賃、Ellis Island National Museum of Immigration, Statue of Liberty Museum, Statue of Liberty’s Pedestalの入場券込みで$24.8であった。The Battery Parkの近くにはStatue of LibertyとEllis Islandのフェリーを勧誘する悪徳業者がいる。彼らは正規料金より高い金額を観光客に請求して、小さいボートで自由の女神やエリス島を回るのだが、島には一切上陸できずそのままLower Manhattanに帰港してしまう。高額なお金だけ支払わされ、それよりも安いチケットが提供するサービスを一切受けられないのだ。必ず自由の女神を見たいのであれば公式サイトから事前購入するか、The Battery Park内にある発券場で購入されたい。↓↓リンク↓↓Statue City Cruises自由の女神のモデルは設計したBartholdi’sの母親らしい。王冠から発せられている七つの光は七つの海と七つの大陸を表しているらしい。デザインに込められたBartholdiのメッセージが非常に興味深い。一部Pedestalの展示より抜粋:“‘Liberty’ was a controversial idea in the 19th century. To many people it suggested violence and revolution. Laboulaye and Bartholdi agreed that their monument should not be seen as leading an uprising, but rather as lighting the way, peacefully and lawfully. A key element was the name they gave to the Statue: Liberty Enlightening The World”日本語の意訳(筆者による)「『自由』は19世紀において物議を醸す考えであった。多くの人々にとってそれは暴力や革命を意味した。LaboulayeとBartholdiはこのモニュメントが紛争を扇動するものではなく、むしろ平和と法によって道を切り開くものとして見なされることを願った。名付けられた像の名前を見ればそれは明らかだ:世界を啓蒙する自由」昔は自由の女神の王冠(Crown)まで行くことができたが、ニューヨークで起きた同時多発テロ以降閉鎖一時的に閉鎖されていた。私がネットでチケットを検索した時はCrownへの入場券は表示されていなかった。私が予約した時にはすでに売り切れになっていたのか、それともそもそもクラウンはテロ以降解放されていないのかその真相はわからない。Liberty Islandまで行く機会があれば、是非台座(Pedestal)の内部やStatue of Liberty Museumも併せて訪問されたい。土台部分の内部がちょっとした博物館になっていて女神の建築過程や自由の女神を題材にした美術品を眺めることができる。また、Statue of Liberty MuseumにはOriginal Torchが展示されている。現在女神が握っているTorchは1986年の大規模補修工事の際に交換された新しいものである。写真:Original Torch個人的にはこのフェリーツアーは非常におすすめだ。家族連れであればフェリーでの移動は子供が大変喜ぶだろう。また、Liberty Islandからニューヨークの超高層ビル群を臨む景色は格別である。Ferry Dockを降りてそのまま直進するとManhattanの超高層ビル群を背景に写真を撮影することが可能だ。ニューヨークの旅を彩る思い出の写真になることだろう。次回はEllis Islandについて書くこととしたい。きたろう
2024.01.17
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以前洒落た英語の広告をご紹介した。その後も何度か面白い英語の広告表現に出くわす機会があった。(過去の記事はこちら)まずはニューヨークで見つけた巨大広告をご覧いただきたい。Apple社が最近リリースしたiPhone15の広告である。iPhone15の機体の上に大きく“Newphoria”と書かれている。この単語が目に入った瞬間「あぁ、なるほどな」と思わず頷いてしまった。勿論newphoriaなんて単語は存在せず、Apple社が勝手に作った造語である。この単語をよく眺めてみると二つの解釈ができるのだ。読者の皆様にも是非写真をもう一度よく眺めてから下にスクロールをしていただきたい。一つ目が解釈が新発売の電話であることを意味する“New Phone”である。二つ目がスペルは異なるもののNewphoriaという音から自然と連想されるeuphoriaという英単語だ。Collins Online Dictionaryには“Euphoria is a feeling of intense happiness and excitement.”と定義されていた。Collins Online Dictionary-Euphoriaまた、ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にも「(一時的な)強い幸福感[興奮]」と定義されていた。つまり、このiPhoneの最新作を手に入れた時に押し寄せる幸福感をこの造語たった一語で表しているんだ。革新的な商品を次々と世に出すApple社らしい粋な英語表現だ。さて次はホリデーシーズンにテレビで流れていたCMからご紹介したい。まずは以下の写真をご覧いただきたい。CMの制作主はお菓子の老舗であるGHIRARDELLIである。このシーズンになると大手ショッピングモールの目立つ場所には必ずこの会社のお菓子が所狭しと並んでいる。さてCMの最後に流れたCaptionが非常に凝っていて思わずクスッと笑ってしまった。Captionには“Makes the holidays a bite better”と書かれている。ただ、ここには誤りが一箇所あるのだがお分かりだろうか。再度この画像を眺めていただき一度考えてから下にスクロールをしていただきたい。正しくは“Makes the holidays a bit better”でbiteのeを削除しなくてはならない。これでようやく「ホリデーシーズンを少しだけ良くします」という意味が成り立つ。制作者は意図的に間違いを犯して視聴者に強いインパクトを残そうとしているのだ。“a bit”は「少しだけ」という副詞なのだが、eを加えることで全く異なる意味になる。ここでは”a bite”で「一口」という意味に大変身を遂げるのだ。つまり、本来は非文法的な文であるが、「(GHIRARDELLIのチョコは)はホリデーシーズンの一口を彩ることができますよ」と暗に仄めかしているのだ。以上、学校では教えてくれない英語の洒落た広告シリーズをお楽しみいただけただろうか。きっと一つ目の広告にあるeuphoriaは入試との関連性が低く学習単語帳から弾かれてしまうだろうし、二つ目に関しても学校で学ぶことはきっとないであろう。しかし、このような洒落た広告に英語の楽しさが隠れていたりする。それでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.16
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ここ最近sickにも様々な種類のsickがあることに気づいた。1. heart-sickニューヨーク滞在中にお世話になるはずだった友人がコロナ陽性になってしまい直前で宿泊することができなくなってしまった。お見舞いの言葉を送ると以下のメッセージが届いた。“I’m heart sick about this. I should have been more careful while being out. It’s my fault.”日本の受験ではbe sick of/ aboutで「〜にうんざりする」と覚えるが、そこにheartを付け加えることでかなり強い失望を表現することができるようだ。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にもしっかり「≪文»しょげた、気の滅入った;ひどく不幸な」と定義されていた。2. sea-sickこちらも同じくニューヨーク滞在中に出会した表現だ。フェリーに乗って自由の女神(Statue of Liberty)とエリス島(Ellis Island)を訪問することにした。前日は夜中も目覚めてしまうほど雨と風がひどく翌朝も案の定、海面は濁り三角波が沢山立っていた。フェリーは定刻より40分遅れての運行開始となったのだが、近づいてくる船はだいぶ揺れている。隣にいた観光客が笑いながら以下のように話していた。“Wow! Look at that. I am gonna get sea sick!!”辞書で調べるまでもなくここでのsickは「海の病気」ではなく、「船酔い」である。なお、車酔いの場合はcar sick、飛行機酔いはair sickという。面白いのは日本語では酔った時に乗っている乗り物の名前が入るのに対し、英語では乗り物を揺らすものに焦点が置かれることだ。船を揺らすのはもちろん海(sea)で飛行機の場合だと大気(air)が機体を揺らすことになる。車の揺れはエンジンによって動いている車なのでcar sickとするのが適切なのだろう。以上見てきた通り、sickの守備範囲は非常に広く、「病気」だけで語義を捉えると思わぬ落とし穴があるようだ。なんとなくsickが使われる時は「外的な要因によって気分/体調が悪くなる状態」くらいに捉えておくといいのかもしれない。写真:Statue of LibertyとEllis Island行のフェリーそれでは今日も良い1日を。きたろう
2024.01.15
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アメリカで家族向けの家探しをしていることは前回の記事でお話した。過去の記事はこちら。仲介業者の方と車の中で会話している時にある英語表現に出会った。郊外の方にでて古き良きアメリカの住宅風景を眺めていた時、この地域の奥にはさらに有名な高級住宅街があると教えてくれた。本当に大きな家は大きなゲートがあって外から家が見えないようにようになっているのだという。そのような人々は現地の人は"old money"と呼ぶらしい。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)にも「(昔からの)財産家」と記載があった。Old moneyの家は大抵丘の上にあってプライベートプールと広々した芝の庭が完備されている。入ったことがないのでわからないが、きっと日本では考えられない広さの部屋がいくつもあるのだろう。数百万ドルを超える物件がこの州の郊外にはいくつもあるというから驚きだ。似たような表現にはbe born with a silver spoon in one’s mouthがある。直訳すると「銀のスプーンを咥えて生まれてくる」となる。起源は調べたことがないのでわからないが、これで「お金持ちの家に生まれる」という意味なる。日本だと御曹司(おんぞうし)がこれに一番近い表現だろうか。後日、ニューヨークでタクシーに乗って暫くすると気前のいい40代の男性タクシードライバーが話をし始めた。彼の話によるとこのあたりは富裕層が沢山住んでいるらしい。やはり彼の口からは"There are a lot of old money(s) in this town.(加算だったか不加算名詞だったか記憶が定かではない)"と以前不動産仲介業者と話していた時に登場した単語が再び出てきた。しかし、今回はold moneyの他になんと"new money"という新たな単語が出てきたのだ。彼の説明ではold moneyが何世代も続くお金持ちを指すのに対し、new moneyは90年以降たった一代で富を気づいた富豪をnew moneyと呼ぶのだという。さらに面白かったのが、old moneyはお金持ちであることを悟られないように少し古びた高級車(ベンツなど)を乗るのに対し、new moneyは煌びやかな高級車(フェラーリなど)を乗り回す特徴があるのだという。彼は"They don’t know how to spend money.(奴らはお金の使い方をわかっていないのさ)"と皮肉めいた口調で話していた。その真否はわからないが、その地域に数十年住んでいて日頃から車を眺めている彼だからこそわかる鋭い洞察(astute observation)なのかもしれない。日本語でold moneyが「御曹司」であれば、new moneyはまさに「成り金」が適訳だろうか。アメリカの郊外に行く機会があれば、庭の手入れ具合や家の大きさにも是非注目していただきたい。アメリカ社会の断片がそこから見えてくるかもしれない。追伸、写真:ニューヨーク、タイムズスクエア近くのカフェ暫く外出をしており、ここ数日ブログの更新が滞ってしまっていた。旅先での出来事については明日以降順次ご紹介していくつもりだ。それでは今日も良い一日を。きたろう
2024.01.14
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先日物件を探すために不動産仲介業者と一緒に郊外のエリアに行った。ドライブをしながら気づいたのが、同じ通りでも街の景観が虹色の如くどんどん変わっていくのである。場所によってはゴミが散乱していて荒れている地域、浮浪者やホームレスがフラフラ歩いている地域、窓が割れた車、タイヤがパンクしたまま放置された車がある地域も存在する。都市部外れの少し荒れた地域を抜けてさらに郊外の方に進むと一軒一軒の家が大きくなり、各家庭にはガラージとドライブウェイと呼ばれるガラージに通じる私道までしっかり整備されている。万華鏡(kaleidoscope)のように変化する景色を眺めながら大学の先生が以前このように言っていたのを覚えている。“Our community is one of the most deeply segregated areas in the United States.”(私たちのコミュニティーは全米で最も格差によって分離されている地域の一つだ。)友人にもあの通りの向こうとあの地域は治安が良くないから絶対一人で夜歩かない方がいいとオリエンテーションで忠告を受けた。面白半分でも絶対に行ってはいけないとネイティブが言うのだから相当危険な地域なのだろう。大学の地域は大学によって雇われた警備員が24時間体制で警備にあたっているため、学内コミュニティの安全は守られている。警備を雇うお金はどこから来ているかというと勿論我々が支払っている学費である。安全はお金を払って自分で守るというのがアメリカという国なのかもしれない。銃社会のアメリカでは100%安全な地域は存在しないのかもしれないが、安全とされる地域の物件はそれなりに値段が高く設定されていて、ある程度所得のある人しか落ち着いた地域には住めないようになっている。自然と似通った所得の人々が集まり、その学区の教育の水準が高まるとその地域の家賃がさらに高くなる。貧困層はその地域に住めないため質の高い教育には最初から手が届かないようになっている。このような図式を見るとやはりアメリカは資本主義国家のメッカなのだと思わずにはいられない。因みに家賃がどんどん高騰して住んでいた住民が家から追い出される現象がアメリカでは起きている。このようにして貧しい人々を追い出してそのコミュニティを浄化しようとすることを英語ではgentrificationという。 ※以前Carlos Lopez Estrada監督のBlindspotting(2018)という映画を視聴した際にこのgentrificationという現象がアメリカ各地で起きていることを知った。生々しくアメリカの人種差別やgentrificationによる悲惨な現実が描かれている。かなり激しい銃撃や暴力シーンがあるので視聴する際はご注意いただきたい。安全な地域に住もうとすると毎月高額の家賃を固定費として支出しなければならないし、支出を抑えようとすると今度は住む地域の治安が気になり始める。英語ではこのような状況をcatch 22と言ったりするが、まさに板挟みの状況である。また、住む地域によって人種のバランス(demographic balance)が異なるのがさらに厄介だ。黒人、白人、アジア人、ヒスパニックのコミュニティが存在して何も知らずに家を選ぶと自分たちだけその地域で浮いてしまうなんてことも考えられる。アメリカではこんな光景を目の当たりにすることもある。窓は木材の板で塞がれ、目の前にはゴミの山ができている。家のメンテもされていないため外観もボロボロである。(上部に焦げたあとがあるので火事が以前起きたのかもしれない。)日本は利便性と築年数で家賃が決まることが多いような気がする。アメリカの家探しは検討事項が多すぎて色々考えているだけで頭がパンクしそうになった。手数料が発生してしまうが、アメリカで住む際はその地域に精通した仲介業者を介して契約すると良いだろう。冬休み期間になるべく足を運んで、自分の目で物件だけでなく地域の様子も見ながら家探しをしたい。それでは皆さん今日も良い1日を。きたろう
2024.01.10
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今回が秋学期の振り返りの最終回となる。週ごとに学習事項をまとめるだけでもかなりの時間を要した。改めて自分で読み返しても非常に濃い秋学期だったと感じる。きっと春学期はこれまで以上に濃密な時間になることだろう。どんなに忙しく大変であっても心の奥底に困難を楽しむ余裕を持っていたいと思う。余裕がなく追われるだけの日々はどこか虚しい。秋学期の反省を生かして春学期はさらに飛躍したいと思う。授業名:Approaches to Teaching English and Other Modern Languages Week 1 Course Introduction自己紹介、授業の概要、授業の進め方、成績の付け方、生成AIツールの扱いについて確認。Week 2 Historical Overview of Language Pedagogy I教科書(2冊)チャプターリーディング。文法訳読式授業(通称GTM)からコミュニカティブアプローチ(CLT)までの通史を扱った。各方法の背景を眺めると当時の外国語の在り方や学習目的を垣間見ることができた。言語教育はその時代を映す鏡のように思えた。日本では急速にスピーキングのニーズが高まっているが、それはビジネス界で外国人との交流が増えているからであろう。しかし、高校入試や大学入試に変化の兆しは見られない。社会の変化に入試システムが追いついていないようだ。Week 3 Historical Overview of Language Pedagogy II教科書のチャプターリーディング(7章)。グループに分かれて、各教授法を分析した上で発表するという授業だった。こちらの授業では各個人の貢献(contribution)が求められる。また各グループの発表に対して質問やコメントをせねばならず自分たちの発表だけでなく他者の発表にも集中を切らさずに見なければならない。まさにstudent-centered learningが実践されている。Week 4 Communicative Language Teaching I教科書のチャプターリーディング(3章)、ビデオレクチャー1本。教授がコロナ禍で作成したビデオを視聴して知識を得た上で授業に臨むスタイルだ。英語では同期型授業をsynchronous session、非同期型授業をasynchronous sessionというが、この授業は2つのタイプをうまく組み合わせた授業となっていた。つまり、授業外ではビデオを視聴し、授業中はビデオで出てきた用語を使ってディスカッションをする形となっている。ビデオはコロナがなければ存在していなかったと思うが、非常によく授業がデザインされている。Week 5 Communicative Language Teaching IIビデオレクチャー1本、論文1本。Dell Hymesが提唱したCommunicative CompetenceをベースにCommunicative Language Teachingの基本理念を学んだ。またその強みと弱みを授業中に議論した。非常に大きな可能性を秘めているが、教師に英語の運用能力が求められる気がした。また、パフォーマンス評価にはそれなりのトレーニングが必要となる。ペーパー試験が重視されるアジア諸国にはなかなか馴染みにくい教授法なのかもしれない。Week 6 Lesson Planning I教科書(2冊)チャプターリーディング(3章)。授業計画に関する授業であった。授業をデザインする上で必要な基礎知識を学んだ。Week 7 Context Shaping the Language Classroom論文2本、ビデオレクチャー1本。教える上で様々な文脈が存在する。年齢、教える人数、国、EFL/ESL、教材、カリキュラムなど数えだしたらキリがない。一つ一つの要素がどのような影響を与えるか教室内で議論した。年齢の特性なども踏まえた上で教えることで教育効果を最大限に引き出すことができるはずだ。Week 8 Teaching Interaction教科書のチャプターリーディング(3章)、ビデオレクチャー1本、論文1本。主に外国語のスピーキング、ライティングの指導法について学んだ。Week 9 Teaching Vocabulary教科書のチャプターリーディグ、ビデオレクチャー1本。語彙の基本的な習得理論と語彙の提示方法について学んだ。語彙をimplicitもしくはexplicitに提示することで生じる学習者の認知力の差についても議論した。日本では単語帳を用いてexplicitに提示することがメジャーだが、ここももしかしたら改善の余地があるかもしれないと授業を受けながら思った。Week 10 Teaching Grammar教科書のチャプターリーディング、ビデオレクチャー1本、論文1本。Week 11 Teaching Literacy教科書のチャプターリーディング(2章)、ビデオレクチャー1本。Week 12 Assessment教科書のチャプターリーディング(2章)診断的評価、形成的評価、総括的評価の違いやそれぞれの特性について学んだ。個々の特性に応じて評価を下すことができれば理想的だが、日本の一斉授業のスタイルできめ細かな評価をするのは困難だと思ってしまった。Week 13 Lesson Planning II論文1本。この授業ではアメリカの外国語の教室を3つ見学してその様子をレポートにするという課題が出されていた。本から理論を学ぶだけでなく実践から学ぶ機会があったのは非常に有り難かった。Week 14 Workshop for Final Paper2000ワードのレポートについて教授に質問できる日となっていた。教授が焼いてくれたクッキーや各自持ち寄った飲み物や料理を味わいながら秋学期を振り買った。教授が履修者に寄り添って授業を進めてくれて非常に学びの多い授業であった。理論と実践を繋げようとする姿勢が窺え大変プラクティカルな内容であった。グループで議論した内容をオンライン掲示板に毎週アップロードするという課題が出され、毎週末ズームでクラスメイトと議論した。個人での作業だけでなくグループでの作業が求められるのが印象的だった。毎週末議論を重ねる過程でクラスメイトとの仲も深まった気がする。やはり授業のデザインの仕方次第でクラスの雰囲気が変わることを実感した。学びの雰囲気作りの重要性をこの授業を通じて再認識した。有難いことにこの授業でもAをいただくことができた。ただ、このAは私個人に起因するものではなく、グループでの作業を評価してもらった結果だと思う。グループワークの比率が他の授業と比べて大きく、そこでの高評価がAにつながった。グループでの作業は勿論時にストレスを伴うが、グループワークを通じて他者と協調するために必要なコミュニケーション能力が高まった気がする。
2024.01.09
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前回の記事に引き続き秋学期の振り返りをしたい。うろ覚えの部分もあるため内容に誤りが含まれている可能性があることを予めご容赦いただきたい。授業名:Linguistics in EducationWeek 1 Introduction教科書のチャプターリーディング。自己紹介、コースの概要説明、評価の仕方、課題の説明。Week 2 Lexicon and Morphology教科書(2冊)のチャプターリーディング。論文1本。語彙の分類や生成方法について学んだ。接頭辞、接尾辞については学部生の頃に学んでいたので少しアドバンテージがあったのが大変助かった。改めて英語の語彙の形成プロセスは多様でかつダイナミックであることに大変驚かされる。Lexical rulesを用いて語彙学習をすると非常に効率よく覚えられるような気もするが、いかがだろう。backformationやblendingといった語彙形成プロセスについてもこの週に学んだ。Week 3 Phonetics教科書(2冊)のチャプターリーディング。論文1本。この週から英語の音声学の分野を学んだ。自然に身につけた音も科学的な視点から学ぶと新たな発見が沢山あった。口腔図(口の中の断面図)は大学生の頃から何度も眺めてきた図である。こちらも大学生の頃の知識が大変役立った。卒業して10数年経過しても染みついた知識は脳内にしっかり記憶されていたことが嬉しかった。努力して獲得した知識は決して無駄ではないらしい。母音と子音の違い。そして一つ一つの音声の出力方法を学んだ。Labiodental, fricatives, affricatesといった基本的な音声学の用語もこの週に学んだ。課題1提出:インタビューを行いその発言を書き起こした上で分析するという課題であった。発話の形態素や語形変化(inflections)を詳しく見ることで発話者の誤りや癖を見つけ出すことができた。Week 4 Phonology教科書のチャプターリーディング、論文3本。前週に続き言語の音声について学んだ。音声学は物理的な側面に焦点を当てるのに対し、音韻論は実際の発話に焦点を当てているように思えた。詳しくphonological rulesについて学ぶのは初めての経験だったが、大変有益だった。この2週だけでだいぶIPA(International Phonetic Alphabet)の正確な表記方法について学ぶことができた。Week 5 Syntax教科書(2冊)チャプターリーディング(3章)、論文2本。Syntaxはいわば文法構造の学問分野である。学部生の頃にも散々学び既習事項であるもののかなり苦手意識のある分野でできれば避けたかった箇所である。特にTree structureと呼ばれる文の分析(parse)は非常に難解でほろ苦い大学生の頃の記憶が一気に蘇ってきた。卒業しても苦い記憶は脳裏の奥底にしっかり残っていて自分でも驚いてしまった。この辺りもNoam Chomskyの生成文法(Generative Grammar)についても学んだ。課題2提出:インタビューを行いその発言を書き起こした上で分析するという課題であった。書き起こす作業にかなり手こずったが様々な分析方法を学ぶことができ大変参考になった。Week 6 Semantics教科書チャプターリーディング、論文3本。MetaphorやModalityについて学んだ。言語によって比喩の使い方、指示語の使い方が異なるのは非常に興味深かった。Week 7 Pragmatics教科書(2冊)のチャプターリーディング、論文2本。この週は文脈が発話に与える影響について学んだ。新出情報と既知の情報を相手にどう提示するか、それによって発話のイントネーションや文の構造にどのような変化が生じるのか文献を読みながら学んだ。英語を外国語として学んできた身としてはまさに目から鱗であった。また、とある研究によると英語学習者はpolitenessがネイティブ話者より低いという結果も出ているようで教育的示唆に富む内容であったと思う。課題3提出:3人にインタビューを実施して、そのインタビュー結果を元に分析を行うという課題だった。10個の文を与え、文法的に許容できるかできないかを判断してもらう。ネイティブと非ネイティブで文法の寛容度に大きな乖離があり非常に興味深い結果が得られた。研究の大変さと楽しさを垣間見た気がする。Week 8 Speech act and Conversation教科書のチャプターリーディング、論文3本。この辺りからだんだん言語学から社会言語学の色彩が強くなってきた印象がある。最初の5週は古典的な言語学を学んだが、後半に行くにつれて社会の中で言語がどのように機能しているか学んだ印象がある。相手によってどのように話し方が変わるか考察した。言語のformalityやpolitenessについて知識を深めることができた。Week 9 Digital Tech and Language Use論文4本。機械翻訳やテクノロジーの進歩が言語学習にどのような影響をもたらしているか学んだ。機械翻訳の歴史や生成AIの基本的な仕組みについて学ぶことができ、非常に知的好奇心をそそられた週であった。この週で中国からの留学生と一緒にグループプレゼンテーションを行った。オンラインで入念なリハーサルもして本番を迎えたが、発表時はやはり緊張した。なるべくアイコンタクトを取って、英語の発話ペースにも気をつけるようにした。教授からは”Thank you for your great presentation!”とお褒めの言葉をいただいた。課題4提出:自分で作文した文章を機械翻訳にかけて、その正確さを評価するという課題であった。昨今はChatGPTやDuolingoの台頭で外国語教育の意義そのものが問われつつある。機械翻訳もまだまだ改善の余地があることがこの課題から判明した。Week 10 Age factors in Language Acquisition 教科書チャプターリーディング、論文2本。臨界期仮説(The Critical Period Hypothesis)に関する論文を読み込み授業内でディスカッションをした。言語はとにかく早期に始めるのが良いという考えがあるがそこには問題がいくつもあることがわかった。家族をつれてアメリカに住む者としては大変興味深かった。自分の子供たちが言語をどのように吸収するのか近くで観察したいと思った。Week 11 Language and Thought教科書チャプターリーディング、論文2本。この週ではSapir-Whorf Hypothesisという有名な仮説を文献を読みながら検証した。言語が思考にどれほど影響を与えているかという問いだが、決定的な答えがまだ導き出せていないというのが個人的には興味深かった。詳しく調べるためには被験者を隔離して言語との接点をなくす必要があり、倫理的な問題があるようだ。英語ではよく”Which came first: the chicken or the egg?”ということがあるが、言語と思考の関係を学びながらこの質問がふと脳裏をよぎった。Week 12 Language Variation教科書チャプターリーディング、論文4本。この週のトピックは言語の方言だった。英語学習者は「スタンダード英語」を学んでいるが、実は英語の方言は多種多様で奥が深いことがリーディングで明らかになった。また、ネイティブスピーカーの文法への寛容度も年代によって変化をしていることも大変興味深かった。またこの週でKachruのWorld Englishesについても学んだ。African American Vernacular English(AAVE)についても学んだのもこの週だ。※エッセイ課題1を提出した。Week 13 No ClassWeek 14 Language Acquisition教科書チャプターリーディング、論文2本。第一言語、第二言語問わず「言語の習得プロセス」について学んだ。babblingから始まり、赤ん坊がどのように言語を学んでいくかを学んだ。まさに自分の子供が言語を学んでいる真っ最中で重なる部分が多々あった。言語習得には特殊なインタラクション(交流)が必要であることもわかった。テレビの前に置いておくだけでは言語の習得はなかなか促進されないらしい。これは大人の言語習得にも同じことが言えるような気がした。 ※エッセイ課題2を提出した。Week 15 Presentation and Discussion最終週は自分が作成したレポートについてプレゼンテーションを行った。最後の方は意識が朦朧になりながら課題に取り組んでいたため、正確に自分が何をしていたのかあまり正確に覚えていない。※エッセイ課題3を提出した。最終的にこの授業の成績でAをいただくことができた。読み込む論文の量も他の2つに比べて一番多く最も苦労した科目であったのは間違いない。そんな大変な科目でAをとれたことは自分にとって大きな自信となった。サイのツノのように一歩ずつ進めばゴールに辿り着けることがわかった。春学期以降も今回得た教訓を胸にどんな困難が待ち受けようとも一歩一歩確かな歩みを続けたい。上記からお分かりの通り、大学院では扱う文献の量が桁違いに多い。授業は3つしか取らないのだが、とにかく一つの授業の課題の量が日本とは比べ物にならないのだ。文献を読んだことを前提に授業が展開するため、文献をスキップした上で授業に臨むとディスカッションにうまく入っていくことができない。
2024.01.08
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春学期を迎えるとまた目まぐるしい日々が始まるだろう。来学期は秋学期よりも1つ授業科目を多く取ることが決まっていため秋学期よりも慌ただしくなることは必至である。備忘録として秋学期に履修した授業3つについて書き留めておきたい。シラバスを見ながら書いているが所々うろ覚えの箇所がある。教科書や論文を一つ一つ照らし合わせながら書いているわけではないので不正確な箇所があることはご容赦いただきたい。授業:Introduction to Applied LinguisticsWeek 1 Orientation自己紹介、授業の概要、授業の進め方、成績の付け方、Plagiarism など違反事項の確認、Week 2 応用言語学という学問とは?論文3本、オプションでもう1本の計4本。全て応用言語学に関する論文である。全て違った角度から応用言語学を定義しており、すべての論文を読んだ上でどのようにこの学問を定義するかという授業であった。従来の言語学、また教育言語学(Educational Linguistics)とどう異なるのか議論するのは非常に面白かった。Week 3 応用言語学が扱う問題論文2本。論文を読んだ後にリスポンスをCanvasに提出しなくてはならない。抽象的な描写が多くなかなか具体化していくのが難しかった。Week 4 応用言語学者の活動論文2本、オプションでもう一本の計3本。応用言語学というより社会言語学(sociolinguistics)に近い内容出会った。言語学者がどう問題を見つけ出し、その問題にアプローチしているか学んだ。Week 5 言語学習の概念化論文2本、オプションでもう一本の計3本。談話(discourse)という枠組みの中で言語学習がどう体系化されているか学んだ。言語と文脈は切り離そうとしても切り離せない。文脈が与える影響について学んだ。課題:初めて長めのレポートを提出した。自由度が非常に高い課題で、自分で問題を提起してその解決策を模索しなくてはならずかなり時間を割いてレポートを仕上げた。論文のフォーマットも慣れておらずスタイルを合わせるのにも苦戦した。結果的に100点中95点を獲得することができた。教授からもお褒めの言葉をいただき自分の投資した時間と努力は無駄でなかったと実感できた瞬間であった。Week 6 Academic Discourse Socializationとそのプロセス論文3本、教科書のチャプターリーディング。この辺りからリーディングがかなり重くなってきた印象だ。読む内容の難易度もかなり難しくなってきて一度読んだだけでは内容が頭に入ってこないことが多々あった。Week 7 議論の提示方法論文2本、ビデオ1本、オプションの論文1本の計4本。論文の書き方を再度学んだ。引用の方法や出典の書き方を復習した。特にPatchworkとPlagiarismの微妙な違いは興味深かった。知らぬうちにAcademic Dishonestyに手を染めないようこれから気をつけたいと思った。Week 8 学術論文でのコミュニケーション方法論文2本。レトリカル・シチュエーション(読む人の背景知識、目標、目的)を意識した論文の書き方を学んだ。アカデミックな論文であっても読み手を意識したわかりやすい文体を心がけたい。Week 9 応用言語学との関わり方論文1本、教科書約60ページ。Week 10 言語とアイデンティティ論文4本、オプションで1本の計5本。アイデンティティ、人種について深く扱った。日本のような比較的homogeneousの国家ではこのようなトピックは扱われたことがなかったので非常に新鮮であった。raceとethnicityの違い、Raceとracismの違いについて授業中に議論をした。アメリカ国内で人種差別を受けたクラスメイトもいて聞いていて心が痛む場面もあったが、アメリカ社会の現実を目の当たりにしたような気がした。自分が日本で育ちそのようなトピックに関心がなかったせいかもしれない。人種問題に対して無知すぎる自分に少しだけ腹が立った。Week 11 リサーチメソッドこの辺りから論文の課題は無くなった。その代わり自分で図書館に行き興味のある論文を探すようタスクが与えられた。与えられたリーディングをこなすのも大変だが、自分の興味に関連する論文を探し出して読み込む作業もそれはそれで非常に大変だ。Week 12 論文課題準備、Week 13 論文課題準備と教授からのフィードバックWeek 14 最終試験に向けて復習課題:レポート提出自分で課題を見つけ、論文を引用しながら解決策を探るという課題であった。いくつか与えられたパターンに応じて書き方を変えなくてはならず、最終的には3000〜4000ワードほどのレポートになった。Canvasに提出したあと両手を天井に突き上げ、心の中で大きく叫んだ。それほど時間をかけたし、達成感を感じた瞬間であった。成績のことはひとまず置いておいて次週やってくるファイナルに向けて机に向かうことにした。この時期は他の授業でも課題が山場を迎え、休む時間がないほど勉強した。授業が終わったら図書館へ、そしてアパートに戻って睡眠をとって、また翌朝図書館に向かう生活を続けた。時間を惜しんで書物に耽り、勉強したのは何年ぶりだろうか。学生時代の懐かしい思い出が蘇ってきた。Week 15 最終試験最後に2時間のテストが待ち受けていた。10数年ぶりに受けるテストはこれほど緊張するとは思わなかった。いくら勉強しても頭の片隅には常に不安が付きまとうのである。どんなに今までの論文を読み込んでも自分が完璧から程遠いように思えてしまう。軽く負のスパイラルに陥っていたが、友人からのアドバイスもありなんとか前向きになり試験を乗り越えることができた。最終的にこの授業はAをいただくことができた。最初は課題のペースについていくのに必死で苦労したが、後半は授業内でのディスカッションにもなれ自分からどんどん発言できるようになっていた。教授や友人が自分の発言の後に頷いてくれると自分の自信につながった。教授がディスカッションがしやすい環境を用意してくださったのも非常にありがたかった。発言をすると”Thank you.”/“I appreciate your remark.”など言ってくれるのだ。自己肯定感を高めるような助言があるとクラス内の発言はより多くなる気がした。あとはクラスのサイズの問題だろうか。私の大学では最大でも人数が17人ほどになっている。教授は17人でも「人数が多すぎる」と不満を漏らしていた。日本ではいまだに30人~40人での一斉授業が当たり前に行われている。そこでディスカッション中心の授業をしろというのにそもそも無理があるようだ。一人一人の発言に耳を傾けるためにはクラスのサイズを15名程度まで減らさないと物理的にディスカッション中心の授業は成立しないだろう。きたろう
2024.01.07
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アメリカの東部もだいぶ気温が下がり朝方は水溜りが凍る日も出てきた。また雪が散らつく日も増えてきた。毎日のように通うため、図書館の警備員と世間話をするようになった。その日は雪がかなり降っていた。お気に入りの図書館に入って雪を振り払い、かじかんだ手を温めてから図書館のゲートを通過した。いつもの警備員がいつも通り座っていて僕が入るとニコッと笑顔を送ってくれた。私が”It is snowing hard outside.”と話しかけると以下のように返事があった。“Yeah, it is a squall! They say it is gonna taper off around noon.”一瞬私の頭に”??”が浮かんだ。「ん?スコール?」私の聞き間違いのような気もしたが、彼女は確かにスコールと発していた。家に戻って辞書を開いて納得した。ジーニアス英和辞典第6版(大修館書店)には「(時に雨や雪を伴う)突風、スコール」と書かれていた。スコールというと東南アジアで突発的に発生する熱帯地域の大雨を想像していたが、冷たい地域でもスコールは使えるらしい。私はずっと寒い地域の大雪はblizzard一択だと思っていたが、squallという選択肢もあるらしい。ちなみに2文目にあるtaper offには「徐々に弱まる、(弱まって)次第に止む」という意味がある。天候を表す際に使える便利な表現だ。併せてチェックされたい。それでは良い1日を。きたろう追伸、ついに本ブログのカウンターが10,000を突破した。今後とも海外の英語表現や留学の手続きなど有益な情報を発信していきたい。今後とも温かく見守っていただけたら幸いである。
2024.01.06
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「心の支え」を英語にするにはどうしたら良いだろうか。先日ピッタリの訳に偶然遭遇した。英語にしにくい日本語の表現は実は日常の中に埋もれていると日々感じている。私の友人は現在男手一つで生後2ヶ月の子供を育てている。子供の母親は子供には一切暴力を加えていないが警察官によって逮捕され現在拘置所にいるらしい。事前の調査もなく現行犯で生後2ヶ月の子供の母親を逮捕できるのだからアメリカの警察の権力は日本に比べて非常に強いようだ。銃社会であるが故に警官の権力を高めておかないと治安が維持できないというアメリカならではの事情もあるようだ。(私は逮捕された現場に居合わせたわけではないので、どのような経緯で彼女が逮捕されたのか全くわからない。友人の話では母親が自分で911に電話をして警察を呼んだ張本人が逮捕されてしまったのだという。それほど彼女は産後ホルモンバランスが崩れ錯乱状態の上、アルコールを大量に摂取しまったらしい。それが児童虐待と勘違いされたのではないかと私は勝手に思っているが、真相は正直わからない。)母親は誰とも接触できない上、子供との面会とも許されず精神的に参っていると友人は複雑な心境を打ち明けてくれた。食後の短い夫婦の電話が家族の絆を保っている唯一の手段なのだという。I am a mental spot for her right now. (今は僕が彼女のメンタルスポットなんだ)友人はさりげなくmental spotと言っていた。日本語にするとまさに「心の支え」がしっくりくるだろう。心が落ち着かせられる隠れ場のような意味合いだろうか。きっと声を聞くだけでも母親には大きな救いになっているだろう。母乳がないため、友人は粉ミルク(英語ではformulaという)を与えているが母乳と味が違うためかすぐに赤ん坊は吐き出してしまう。吐き出してはミルクを飲ませ、飲ませてはミルクを吐き出す。その繰り返しである。今は給料が出た状態で仕事を休めているが、ずっとは休めないらしい。アメリカの警察は母親を逮捕できてもその後のことは全く考えていないらしい。友人もこの制度には憤りを感じているらしく、警察に家族を引き離す権利があるのかと不満を漏らしていた。この大きな試練を乗り越えて家族がまた一つになれる日がすぐに訪れることを願っている。きたろう
2024.01.05
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ペットの後始末を英語で訳そうとしてもなかな的確な役が見当たらない。うまく訳せない時はうまくPhrasal Verb(日本語では句動詞と呼ばれる)で処理してみるとすんなりいくケースが多い。道を歩いていると以下のような標識に出くわした。Clean Up After Your Pet、つまり「ペットが歩いた後を片付けろ=あと始末をしろ」となるわけだ。 「犬のフン」という直接的な表現を避けた美しい婉曲表現(euphemism)ではないだろうか。出会った時に一人で立ち止まって感動してしまった。婉曲表現といえば足が早い食品に使われるperishableという表現を紹介した記事が記憶に新しい。(過去の記事はこちら)英語にはこのような婉曲表現が多々存在するのである。例えば、トイレ(toilet)はあまりに直接すぎるためにrestroomやbathroomが好まれる。ペットのフンはdropping(s)と言われたりするが、フンを「落下物」と呼ぶことも立派な婉曲表現だ。カフェに入って店内が混み合っていたとする。テーブル席が数席空いているが隣には見知らぬ人が座っている。このような状況で”I want to take this seat.”と言うとかなり高圧的な印象を相手に与えてしまう。文法的に誤りは全くないし、意味は通じるが英語圏の人は決してこのような英語を発しないのである。英語圏に一定期間生活したことがある人であれば”Is this seat taken?”/“Is someone sitting here?”/ “Do you mind if I sit here?”と言うだろう。自分が座りたいことを主張する前にこの席の利用状況を周囲の人間に確認するのである。ネイティブが習わずに自然と身につけるサバイバルスキルの一つである。このような言い回しを研究している学問がPragmatics(語用論、意味論)と呼ばれる分野である。学んでみると非常に面白いのだが、日本の英語教育は残念ながらこの分野まで行き届いていないような気がする。語用論を学んだところでなかなかテストのスコア向上に直結しないため授業内容から切り落とされているようだ。日本の言語教育が無味乾燥で文脈がないと批判されるのはこのような側面を無視し続けたからである気がしてならない。人が言語を生きるために用いてコミュニケーションをとっている以上、Pragmaticsは避けては通れないと私は考えている。しかし現実に目を向けるとどうだろうか。日本ではテストのスコアによって合否の結果が決まるテスト至上主義の風潮が非常に強い。Pragmatics(語用論)は教育産業のPragmatism(実利主義)によってその価値がかき消されてしまっている。語源は一緒で両者のスペルは非常に似ているが、内包する意味は全く異なる。言語を学ぶ際はその文法、単語がどのような文脈で使われるのか意識してもらいたい。なぜなら言語は文脈のない「真空(vacuum)」では存在できないからだ。ちなみに住んでいるアパートのキッチンにもこのclean up after〜という表現が使われている。今日も良い一日を。きたろう
2024.01.04
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I woke up in the morning of the New Year’s Day in the US to see the news that a powerful earthquake hit Noto peninsula region in Ishikawa, the north west coast of Japan on January 1st. The magnitude is reported to be 7.6 with seven in the Japanese seismic scale. There is a high risk of tsunami in the coastal area and subsequent earthquakes for the next couple of days. The evacuation order has been issued for the local residents. The casualty number is not yet available at this point and much remains unknown amid the ongoing confusions.The new year’s festive mood was suddenly disrupted by this natural disaster. We humans are all immune to the uncontrollable power of the Earth.An image of CNN reporting the earthquake as a breaking news. The world is deeply concerned about Japan. I pray for people in Ishikawa and those who are affected by the disaster.
2024.01.03
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オレゴンを旅している間、友人の自宅に何日かお世話になった。友人宅でいくつか日米の文化の違いを感じる瞬間があったので紹介したい。1.日本のお土産文化友人宅に泊めていただくことになったので東海岸のお土産をいくつか準備した。友人宅に着いてお土産を渡すと大変驚かれた。友人に「日本では他人のお宅にお邪魔する際はお土産を準備するのがマナーなんだ」と説明すると、友人は首を傾げた。友人曰く、アメリカでプレゼントを渡す際は双方向でなければならないという。片方だけがプレゼントを受け取ると受け取った側は不意打ちをされた形になってしまうらしい。なぜ日本ではわざわざプレゼントを用意するのか英語で説明を試みたところ、相手から「You are the gift!(お前がわざわざ来てくれたことが一番のプレゼントだ!)」と反論されてしまった。その言葉がグサッと胸に刺さったし、そう言ってもらえたことがすごく嬉しかった。日本のわびとさびの文化も非常に美しいが、物ではなく言葉で気持ちを表現する大切さをこの旅で教えてもらった気がする。2.アメリカでのテーブルマナー食事をしながら話題は食事中のテーブルマナーに及んだ。日本では食事前の「いただきます」、食事後の「ごちそうさま」を言うことが重要とされるが、アメリカではアメリカのテーブルマナーが存在するらしい。友人は子どもができたら以下の三つは必ず守らせたいと話していた。調味料を取る際、隣の人のお皿を跨いで手を伸ばさない。無言で席を立つ。肘をつきながら食べる。3については日本でも一緒のような気がするが、1と2についてはアメリカ独自のマナーのような気がした。アメリカでは食事中に立ち歩くことも行儀が悪いとされるため、調味料が欲しい場合はタイミングを見計らって“Could you pass me the salt, please?”と他人に取ってもらうようにするといいだろう。また、無言で席を立つと「料理が美味しくなかった」、「会話の内容が不適切で不愉快な思いをした」というメッセージを同席者に発してしまうらしい。必ず料理を出してくれた人への感謝の気持ちと”May I be excused?(席を立ってもよろしいですか)”と席を外すことを相手に知らせることが非常に重要らしい。家族での団欒を大事にするアメリカの家庭ならではルールだと思った。それは核家族化と共働きが急速に進む日本では薄れてきてしまっている光景なのかもしれない。物質的に豊かになっても家族での食事の時間は大事にしていきたいと話を聞きながら思った。「日本では音を立てながら食べることが許されるユニークな国だよね?」と質問があったので「麺類(ヌードル)を食べる時は音を立ててもいいけど、それ以外の食べ物に関しては基本的に音を立てるのは失礼になるよ」と回答した。友人はどうやら断片的な情報で拡大解釈してしまっていたらしい。味噌汁になぜかレンゲがあったりと日本人には理解できないことがアメリカでは起きていたりする。我々の理解する日本文化とアメリカの人々が理解する日本文化にはギャップがある。急速にグローバル化していく世の中でも文化の違いを感じる場面は多々存在する。そのギャップ一つ一つに遭遇するたびに留学は面白いと感じている自分がいる。レンゲ入りの味噌汁:きたろう
2024.01.02
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2023 is about to finish. I am still in the United States without returning back to Japan given the fact that the flight ticket back to Japan can exceed over $2000, which is obviously not easy to afford for an economically struggling student like me.I admit that the year 2023 was one of the most dramatic years that I have ever experienced in my whole life. I was admitted to a top graduate school that I longed for since 2020. I left Japan and embarked on my new academic journey in my mid-thirty. I spent some sleepless nights, being worried about the uncertain future of my journey brings. No matter how you think that you are strong and resilient, you can become fragile and vulnerable in a place, where you constantly are tested who you really are. Sometimes we must admit that we cannot survive alone and sometimes it is important to seek support around you. Another big concern was my family that I left in Japan. Apart from my family, I had to learn to live my own life without the support of my family, which I used to take it granted back in Japan. I realized that my family is a huge mental spot for me. Nothing can provide me a comfort and relief than a video chat with my family on weekends. Their bright smiles and cheerful voices are my source of my power that propels me forward. I am grateful that we are still virtually and mentally connected, although we are not allowed to see each other in person. Hopefully we will be reunited soon.The academics at graduate school was very demanding. They required me to read 100+ pages of scholarly journals and to submit brief reports on the readings on a weekly basis. I had a very difficult time catching up with the speed of coursework for a couple of weeks after the fall semester. I was just going back and forth between my apartment and the library almost everyday. In mid-November, I felt slightly more comfortable with the rigorous work at the institution. Surprisingly, I have made so many friends on campus, although most of them are almost ten years younger than me. Now I enjoy every moment of my classes. The professors constantly inspired me to push my boundaries. Coming this far, this journey made me think that it is never too old to learn something new. For someone who is pursuing a dream, age might be just a number that goes up each year. However silly it may sound, your journey will begin once you set a new goal. Your grit will take you there as long as your unflagging motivation continues. I would like to conclude my blog article by quoting Nelson Mandela. He said, “It always seems impossible, until it is done.” Most people unfortunately give up halfway through before even they start because they simply believe it is impossible. The truth is that no one knows the difficultly of the task until you buckle down to the business. We need to invest in our time and energy, believing in some potential return that we will earn from our investment. I will continue to work hard until I hit the wall. When I hit the huge brick wall, I will think how I can break or climb over the wall. Many thanks for your time reading my blog. May your 2024 be filled with great joy!
2024.01.01
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