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今日も頑張って歩きます。ようやく広島市内に入る予定。今日は雪の心配はなさそうです。
Feb 6, 2011
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松子山峠を越え、西条の街にきました。酒蔵が多くあるので有名ですね。重いので買えないのが残念。しかし、雪がずっと降ってます。寒いです。
Jan 30, 2011
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さて、しばし休憩のあと、今日一番の難関に入ります。迷わす行けるかな?半凍りの池に光があたって綺麗です。
Jan 30, 2011
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西国街道の続きを歩きます。寒いです。間違なく氷点下。体が暖まってくるまで、頑張って歩かなきゃ。
Jan 30, 2011
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尾道の先からの続き。吉和小学校の前を通り、吉和川を越え、大人峠へ。いつキツイ登りがくるか、と思って歩いていると、陸橋でバイパスを越えました。陸橋を渡ったところには大人峠の一里塚。ここから先は緩やかな下りです。登り坂を覚悟していたのですが、あまりたいしたことなく、助かりました。ふたたび2号線とJRの付近まで下ってきます。ここで貨物列車が通過。山陽道を歩いていていつも思うのですが、やたら貨物列車を見るな、と思ってたのですが、神戸よりも電車の本数が少ないので、貨物列車の比率が高く、そう思うだけなんでしょうね。目の前に瀬戸内海が見えます。ここまで海に近いのは舞子付近以来かな。国道2号線を出たり入ったりしながら、西へと進みます。遠くには因島大橋が見えます。この辺りも幅が狭い。海、道、線路、山。家は1つもありません。須磨の雰囲気に似てますね。国道沿いのバス停。待ってるのはかなり危険です。反対側は歩道があるので、そこで待つのかもしれませんが、交通量がかなり多いので、渡るだけでも危なそう。糸崎神社の手前、側道にはいったところで六本松の一里塚。何本松、というのが多いですね。糸崎神社のクスノキ。樹齢は500年だといわれているそう。立派だなあ。糸崎駅の手前で国道に合流。糸崎駅。国道を離れ、三原の街へ入っていきます。三原城の東惣門跡の碑がありました。酔心山根本店。こちらの創業は万延元年(1860年)だそうです。三原城跡まできました。とりあえず、ここまでは来たいと思っていたのですが、順調に歩いてこれたので、もう一つ先の駅まで行くことに。順勝寺の山門。もともとは三原城内にあった御作事奉行所門を明治時代に移設したのだそう。この門そのものは1500年代後半のものだとか。西の惣門跡もちゃんとありました。三原八幡宮。立派な鳥居です。西野川は渡らずに手前を右折して川沿いに歩きます。その後、八坂神社を過ぎて梅観橋で西野川を渡ります。その後、山陽新幹線と山陽本線のガードをくぐり、道なりに歩いていくと‥県立広島大の前にこんな補強された道標が。みてみると、従是東 備後国 従是西 安藝国と書かれていました。道標というよりは、国境を示すもののようです。沼田川にあたると、渡らずに川沿いを右へ。一旦国道2号線から離れますが、福山通運の西側で国道に合流。その後七宝橋北詰の交差点で国道から右側へ。一旦JRの踏切を渡って左折し、西へ行きますが、1.5kmほどでまた踏切を渡り、JRの南側へ。このラブホテル街の裏側の二股は左。その後、また2号線に合流。本郷の街にはいってきました。納所橋北詰の交差点を左折し、国道から離れます。この辺りは最近に区画整理されたのでしょう。まっさらな土地と道路がならんでしました。PC上の地図サイトを見ても、サイトによって道路の形が全然違います。なので、この辺りは適当に歩きました。JR本郷駅の南側に「佛通寺道」、「稲荷道」とかかれた道標。この日はここまで。約50km弱、9時間25分、66300歩でした。さすがに疲れた‥JR本郷駅のホーム。そろそろ日帰りも限界に近くなってきました。この日も3時に起床。帰宅は8時半ごろ。あと2回ぐらいは日帰りでいけそうですが、その先はどうするかな‥
Jan 29, 2011
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西国街道の続きを歩きます。前回終了地点のJR横尾駅からスタート。約2か月ほど間があいてしまいましたが、再度スタートです。車を福山駅の近くにとめ、電車で横尾駅まできました。横尾駅の到着が朝の6時半前。まだまだ暗いままです。大渡橋で芦田川を渡ります。まだ月が出ていました。GPSロガーの調子が悪く、なかなか衛星を捕捉してくれません。川を渡ってからは堤防沿いの道でなく、その下に見える地道を歩きます。山陽道の高架を通過。その後、堤防沿いの県道378号線に合流。二代目二本松の石碑が。隣に説明書きのようなものが書いてあったのですが、少し遠くて判読できず。暫くは御幸松永線という県道378号線を歩きます。山手町江良の交差点のところには一里塚跡。旧一本松跡。そういえば、先ほどの二代目二本松とここの間に三本松、というバス停がありました。順番が変なような気もしますが‥地神などの石塔。1つでなく、複数まとまってあるのを何カ所かでみましたね。備後赤坂の街をぬけ、しばらく行くと右手に立派な金比羅神社の常夜燈。遠くに見える高架は国道2号線の松永バイパス。ここは右側の登り坂へ。バイパスを越えると、本来の2号線に合流します。案内標識も広島や尾道の文字が。その後、福山西署の前で右斜めの側道へ。トモテツのバスターミナル。鞆鉄道(今はバスのみ)の略だそうです。トモテツ、でお笑いコンビを思い浮かべたのは、私だけでしょうか?今津の街にはいると、今津本陣跡。石垣が立派ですね。さらにその少し先、連華寺のところには脇本陣の碑も。さらにすすんで藤井川を渡ると、尾道市に入ります。一度国道2号線に合流し、すぐ右斜めの側道へ。伊勢音頭と書かれた碑が。なんでしょうかね?尾道バイパスへ通じる道の途中で道標がありました。よく見ると、「右 ちかみち」の文字。言われるままに近道へ。高須一里塚跡。尾道バイパスの手前で左手の側道へ。その後、バイパスにあたったら越えずにバイパス沿いに左折。トラックステーション。天然温泉&サウナの文字も見えます。いいなあ。トラックステーションの先、新池と防士古池の間をとおり、バイパスをくぐります。その先は防地峠への急な登り坂。抜け道なんでしょうか、結構交通量も多いです。峠を越えると、当然のように下りが待っています。再びバイパスをくぐり、どんどん下っていくと‥やがて尾道の中心地へ。JRと2号線を越え、尾道の商店街を歩いていきます。朝の連ドラ「てっぱん」は尾道と大阪が舞台ですね。みてませんけど。尾道の街中、いろんなところでポスターを見ました。「海が見える 海が見えた 五年振りに見る尾道の海は懐かしい」放浪記を書かれた林芙美子さんの像。尾道が神戸に似ているからでしょうか。尾道は大好きな街なんです。訪れるのも5~6回目かな。林芙美子さんの像のところの踏切をわたり、JRの北側へ。吉源酒造さん。創業は安政元年(1854年)だそう。立派な蔵ですね。その後、サティの北側を通り、栗原川を渡ると登り坂。本当に坂の多い街です。また道も狭い。コチャコチャした道を通り抜け、JR沿いの道に出ると、その道を西へ。立派な教会がありました。ここまででスタートから5時間ほど。まだまだ続きますが、長くなったので続きは後程。
Jan 28, 2011
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本日の予定終了。よく歩きました。さすがに疲れた…。
Jan 23, 2011
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三原の駅前まできました。三原城跡です。もう少し頑張って歩くか。
Jan 23, 2011
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尾道の街に入ってきました。尾道は大好きな街のひとつです。ゆっくり観光したい気持ちもありますが、今日は先を急ぐことにします。あっ、尾道ラーメンはどうするかな…
Jan 23, 2011
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1ヵ月以上開いてしまいましたが、山陽道の続きを歩きます。朝、まだ暗いうちから歩き始めて、ようやく日が昇ってきました。頑張って歩きます。
Jan 23, 2011
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西国街道の続きです。今市の集落には相田嘉三郎の旧邸。神戸川を越えて南に進路をとり、しばらく行くと小田川へ。ここも直進できないので、右手に見える橋で渡ります。川を渡ったら再び西へ。七日市宿に入りました。ここは跡地の石碑だけで、本陣邸などは見当たりませんでした。井原鉄道の井原駅を北側を通り、歩いて行きます。やたら派手な交差点。ここまで塗らなくても‥。背の高いガードレール。ここまで高くする必要はあるのでしょうかね?下出部の街を抜け、大曲公園の二股の道を右へ。ここに大曲の説明がありました。大曲とは、二か所の大きな直角の曲がり角を併せることにより、単調な旅に変化を付けるため一里塚と共につくられたものだそう。大曲の先、国道313号を越え、高屋川を越えた所には法泉院。高屋宿に入りました。中国地方の子守歌発祥の地だそうです。高屋宿を抜けると岡山県と広島県の県境。だいぶ来たような気もしますが、この先の広島、山口は横に長いのでまだまだです。どんどん西へ歩いて行くと、右手に八幡宮。境内には立派な石灯籠もありました。さらにしばらく行くと、上御領の一里塚跡。上御領から下御領にかけては、細い路地が続きますが、基本は西へ。こちらは明正寺。境内のトイレをお借りしました。日吉神社。この日見かけた神社は山の中腹に建てられ、長い石段を登らねばならない神社が多かったです。宮池とその奥は下御領八幡神社。この辺りから道は南西方向に。福山市消防署の分署。かなり古い建物らしく、看板は右からの横書。県道181号と西国街道の交差地点には国分寺へつながる参道。その後、国道313号線に合流。南下して井原鉄道のガードをくぐります。井原鉄道のガードをくぐるのって、今日何度目だろう?高渕橋東詰の交差点で右にはいると高屋川。この先は神辺宿に入ります。神辺宿に入り、荒神社のところには一里塚跡。廉塾と菅茶山旧宅。菅茶山は京で朱子学を学びここに塾をつくった方。全国から塾生が集まってきたそう。廉塾ができたのは1781年頃。この神辺宿にも立派な旧家が多く残っていました。県道390号線を南へ行き、右手には光連寺。少し行くと右手にはJRと井原鉄道の神辺駅。神辺駅で終わってもよかったのですが、時間と足に余裕があったので、さらに進むことに。一瞬国道313号線と合流しますが、そのまま直進します。写真は丙里池の右側のところ。直進が2本ありますが、右側へ。天理教の前を通ると、国道182号線にあたります。182号線は高架になっていて、くぐることも横断することもできましたが、信号待ちが面倒なのでくぐることに。ゴルフ練習場の横をとおり、少し行くと国道313号線に合流。国道は歩道がないので気をつけて歩きます。やがて鶴ヶ橋南詰の交差点。街道はここを右へ行きますが、この日はここで終了し、左方向のJR横尾駅へ。JR横尾駅。無人駅でした。JR福塩線で神辺へ。1駅分だけです。神辺駅で井原鉄道に乗換。スタート地点の吉備真備駅まで戻ります。吉備真備駅には無料の駐車場があり、そこに車を停めてました。この日は約39kmを7時間半、51600歩でした。行けるところまで日帰りでつなぐ予定ですが、だんだん日帰りがきつくなってきた‥
Dec 10, 2010
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西国街道の続き。井原鉄道・吉備真備駅を朝の7時前にスタートです。しかし、歴史上の人物名がフルネームで駅名というのも珍しい。まだ少し薄暗い中を歩いていきます。吉備公墳と書かれた石標。ここを右折するとまきび公園、まきび記念館、吉備寺など吉備真備に関するものが集まっていますが、立ち寄らずに前進。国道486号線に合流してすぐ、右手には熊野神社。この辺りはこのような急階段の神社が多い。ようやく明るくなってきました。井原鉄道のガードをくぐります。この日は井原鉄道に沿うように歩いたので、何度もガードをくぐりました。高架を走る井原鉄道。赤鳥居のバス停を過ぎ、大武谷川を越えた所で川沿いに右折し、一旦国道から離れます。農道のような道をのんびり歩き、再び国道に合流。吉備大臣宮の手前で道が2つに分かれてました。地図を見ると、先ではまた合流するので、どちらを行っても結果は同じ。ただ、国道は歩道がなく車やトラックもガンガン走っているので、左側の道へ。しばらく歩いていて何気なく国道の方に目をやると‥こんなものがありました。やっぱり国道を歩かねばならなさそうです。国道はこんな感じで、路肩が極端に狭い。歩くのなら気をつけて‥またこの近くに吉備真備公園や吉備大臣宮がありました。先程書いた「まきび公園&吉備寺」vs「吉備真備公園&吉備大臣宮」でどっちが本家だ、なんて争いは起こらないのでしょうかね。この常夜燈のところから国道を分かれ、右手の旧道へ入っていきます。旧道はこんな感じ。やっぱり国道よりこっちの方が落ち着きますね。その後、井原鉄道のガードをくぐり、東三成の集落へ。東三成の集落を抜けると、またガードをくぐります。しばらくは田んぼの中をまっすぐ西へ。突き当りで国道486号線に合流。ここを右折。2~300mで国道から分かれて右手の旧道へ。程なく右手に矢掛神社の参道が見えてきます。ここで道を間違えました。右手に見える参道の反対側、つまり左手方向への道に入らねばならなかったのですが、気づかず直進してしまいました。慌てて戻る羽目に。川の手前には矢掛神社の郷社昇格記念碑と旧山陽道の看板。すぐ矢掛宿に入ります。矢掛宿に入ってすぐ左手には一里塚跡。矢掛の街は岡山県の街並み保存地区に指定されていて、当時の雰囲気を色濃く残しています。矢掛本陣石井家。中を見ることもできます。開館は9時で、ここの前に着いたのが9時2分。まだ開いていませんでした。矢掛宿を通り過ぎ、美山川を渡ってまた国道と合流。5~600mほどで右斜めに伸びる側道に入ります。この大曲の看板を左に曲がり、また国道と合流。大曲ってなんだ?と思っていましたが、正解は後程。しばらくは国道を歩いて行きます。この辺りは歩道があるので、安心して歩けます。史蹟旧山陽道備中國浅海村才の前下座所跡と書かれた新しい石標。柵の向こう側なのでちょっと読みにくい。折角なのにもったいないな‥。毎戸下池の先には一里塚跡。この先で左にのびる側道へ入ります。少し行くと堀越宿。堀越宿は矢掛と七日市の間の「間の宿」。街道沿いの宿場と宿場の間にある宿駅を補完する所を間の宿と呼んだそうです。堀越宿を過ぎると、また国道486号線に合流。国道沿いにいたちいさなお地蔵さん。麦わら帽子がやたら似合ってますね。井原市に入ってすぐ、右手の細い路地にはいり、また井原鉄道をくぐります。高架をくぐり、坂を登ると井原鉄道の線路がまっすぐ見えました。列車が来ないかな~と思い、2~3分待っていたのですが、残念ながら現れず。押延の集落を抜け、井原鉄道のガードをくぐり、国道に合流。早雲の里荏原駅の南を過ぎ、次の信号のところで右斜めの側道へ。国道へ合流、側道へ、を何度か繰り返し‥今市の集落へ。ここは今市駅本陣があったところ。ここまででスタートから4時間と少し。まだまだ歩きましたが、長くなってきたので続きは後程。
Dec 9, 2010
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西国街道の続きです。田んぼの中のまっすぐな道を歩いていくと、芦守川にあたります。ここもまっすぐ対岸に渡れればいいのですが、橋がないので迂回します。足守川を渡って少し行き、鯉喰神社の手前には指差し道標。鯉喰神社。なんとも凄い名前ですが、由来はこんな感じ。ここの村人達は温羅という賊に苦しめられていた。吉備津彦命がここに来た時、賊退治のため戦った。なかなか決着がつかなかったが、最後は温羅の形勢が悪くなり、温羅は鯉になって川に逃げた。そこで命は鵜に姿を変えて追いかけ鯉を喰いあげた。ということです。なのでそれを祀って鯉喰神社。山陽自動車道の高架をくぐって少し行くと、広い道に出ます。ここを右折。県道270号を越え、しばらく歩くと左手には古墳群。これは一番街道沿いにある千足古墳です。その後県道270号に合流します。交差点の脇にぽつんと道標がありました。4~500mほど県道を歩いたところで右の側道へ。田んぼもすっかり稲刈りが終わっています。この辺りはウォーキングでなく、自転車に力を入れているようです。至る所にサイクリングロードの案内板がありました。山手の集落にある三宅酒造さん。寄りませんでしたが、酒造資料館もあるようです。備中国分寺の五重塔。周りに高い建物がないので、いろんなところから眺めることができました。この辺りは道標もしっかりありました。西国街道では最近の道標が整備されている場所は少ないです。熊野古道に比べると、かなり差がありますね。こちらは最近建てられた道標。山手村の一里塚跡。一里塚には大きな松が植えてあったらしいのですが、昭和30年ごろに枯れてしまったそうです。山田池の畔。この先県道270号線をしばらく歩いて行きます。まっすぐな県道270号。高梁川にあたります。川沿いに走る国道486号線に合流し南下。この国道は歩道がありませんでした。交通量も多く気をつけないと危険。川辺橋を渡ります。南下してきて最初の橋は自動車専用の橋なので、そのすぐ南側にある橋を渡ります。こちらの橋は自転車や歩行者のみ。川を渡ると川辺の一里塚跡。ここは江戸の日本橋より180里(約707km)だそう。川辺本陣跡。すぐ先には脇本陣の跡もありました。案内板によると、ここ川辺本陣での諸大名の宿泊率は40%強で、この先にある矢掛本陣と同程度だったそう。そんなこともわかるんですね‥川辺の集落を抜け、まっすぐ歩いて行くと右手には倉敷市立図書館。こうしてみると、建物って随分様相が変わりましたね。真備の街に入ってきました。この日の予定はここで終了。約38kmを7時間45分、51500歩でした。この交差点を左折し、吉備真備駅に向かいます。駅前にあった待合所。なんでこんな中華風の建物なんだろう‥ここの出身である吉備真備は遣唐使として唐の国に行ったからでしょうか。井原鉄道の吉備真備駅。人物名がそのまま駅の名前になるのも珍しい。電車(といってもディーゼル車)は1両編成。1両だと編成とは言わないのかな?お客さんは立っている人が数名程度。10分ほどで清音駅へ。ここでJRに乗換。伯備線で岡山駅へ。30分ほどで到着です。何故かやたら一直線の長い道が多い区間でした。直線の道は飽きてしまいますね。次回は吉備真備駅からスタート。広島県に入る予定です。
Nov 26, 2010
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西国街道の続きです。今回アップする区間は上道~吉備真備。さらにその先の区間も歩き終わっているのですが、アップが追いつきません。まず岡山駅周辺の駐車場に車を止めました。スタート地点の上道駅にも駐車場はあったのですが、終了後に戻る電車の接続が悪かったので、岡山駅周辺に止めました。岡山駅からJRで上道駅へ。前回終了地点まできました。朝の7時半にスタート。スタートしてすぐ、安国寺の経塔。安国寺は1492年、戦火によって焼失しますが、江戸初期に再建されました。この経塔は1624年に作られたもの。総社八幡宮。この辺りは藤井の宿場町だったところ。岡山の城下町に一番近い宿場町だったそうです。さらに行くと素戔嗚神社。幕末の頃、長州藩の攘夷実行により幕府は長州征伐を断行します。備前藩では長州征伐に赴く諸藩の藩士が岡山城下を通過することを回避するため、山陽道を北方へ迂回させたそうです。その迂回路を新往来と呼ぶそうですが、ここがその分岐点。南西に行けば従来の山陽道北に行けば新往来。今は幕末でもないので、従来の山陽道を行くことにします。東岡山駅の手前で、JRの踏切を渡ります。しばらくは一直線の道。幡多小学校前。一度角を曲がりましたが、この辺も一直線の道を歩きます。百間川にあたりました。正面の白いマンションの左側が続きの道なので、このまままっすぐ川を突っ切っていければ早いのですが‥そうもいかないので、北側にある原尾島橋を渡ります。またまた一直線の道が続きます。迷わないのはいいのですが、どうも単調で飽きますね‥惣門跡。惣門は1573年に作られたそうです。旭川を渡ります。遠くに小さく見えるのは‥岡山城。今は高い建物も多く、歩いていても城が見えるのは稀ですが、昔はどこからでも見ることができたんでしょうね。旭川の中には小さな中島が2つあり、3つの橋を渡って対岸へ。小橋、中橋ときて3つ目は大橋かと思いましたが、何故か京橋。旭川を渡り、商店街の中へ。ここまでで上道駅から2時間ほど。岡山市内を走るバス。岡山は路面電車も走っていますが、歩くことが第一の目的なので、どちらも乗るチャンスはなし。商店街を抜け、後楽園通りを西へ行きます。JR岡山駅のすぐ北側のところで線路にあたります。踏切がなく、迂回せねばならないか‥と思っていたのですが、地下道がありました。線路をくぐってから奉還町商店街を西へ。商店街の中にあった最上稲荷。案内板には「最上稲荷奉還町道場」とありました。道場??その後、国道180号線を越えて旧道を西へ。ところどころ立派な旧家が残ります。国神社。トレーニングにはうってつけの階段。鳥居の下で階段を見上げる若者はトレーニングに来たのかな?成願寺。この手前から北に進路をとります。いったん国道180号線に合流しますが、すぐ左手の道へ。矢板の集落辺り。旧家の維持って大変でしょうね‥笹ヶ瀬川を渡り、しばらくは国道180号線を歩きます。左手にはデオデオが。中国地方に来たんだな、と変なところで実感。中川を通過。この日もいい天気に恵まれました。国道180号線をを30分ほど歩き、途中のラーメン屋さんで昼食休憩。国道180号線から分かれてすぐのところにある真金の一里塚跡。岡山城下からは2つめの一里塚。吉備津駅の西側でJRの踏切を渡り程なく板倉宿。横を見ると立派な倉が。この辺りに脇本陣があったそうです。国道180号線を交差し、さらに西へ歩きます。だいぶ民家が少なくなってきました。まだまだ続きますが、長くなってきたので続きは後程。
Nov 25, 2010
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本日の歩きは予定通り終了。滅多に乗れない井原鉄道に乗って帰ります。
Nov 23, 2010
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よく見えないかもしれませんが…一応岡山と広島の県境です。当たり前ですが、ここを境に止まってる車のナンバーが倉敷から福山に。(笑
Nov 23, 2010
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少し間が開いてしまいましたが、西国街道の続きを歩きます。できれば岡山と広島の県境を越えたいのですが…頑張って歩きます。
Nov 23, 2010
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西国街道の続きです。伊部の街は本当に備前焼でいっぱい。こんや茅葺の家もありました。維持するの大変だろうな‥伊部の街を抜け、しばらく行くと大ヶ池。池の上の高架は新幹線です。走ってるところなら絵になるかな?と思ったのですが、残念ながら通過せず。大内山の麓にある大内神社。一里塚跡があるハズなのですが、見当たりません。見上げるとありました。下ばかり見てたらダメですね。香登(かがと)の街に入りました。味噌や醤油を扱うお店が多いです。でも、なぜ醤油屋の店前にソフトクリーム?よく見てみると、「備前名物 しょうゆソフトクリーム」なるものが売ってました。怖くて手が出せませんでした。 どんな味なんだろう?街道沿いに教会がありました。後で調べてみるとなんと大正12年築。この教会には「踏絵」なども残っているそうです。石長姫神社。常夜燈の上部分の石がなんともいい感じです。吉井川の手前の用水路を越え進路を南へ。新幹線のガードをくぐり、国道2号線と合流します。合流してすぐにあったおさふねサービスエリア。なんと温泉も併設。ちょうど昼時だったので、食事にしようと中に入ったのですが‥高かったのでやめました。しばらく国道を歩くので、またドライブインはあるだろうと思い、歩いていると‥備前長船刀剣発祥の地の碑が。近くには博物館もあるようです。で、こちらのドライブインで昼食。なにを食べたかはこちら吉井川に沿って歩きます。遠くに見える備前大橋を渡ります。備前大橋。まっすぐな長い橋。あっ、まっすぐでない橋のほうが珍しいのか。川を渡ると岡山市の東区に入ります。岡山市内に入って少し国道を歩くのですが、歩道がなく交通量も多かったので田んぼの中を通る道に一時避難。一日市の集落に入る手前にあった立派な常夜燈。御休小学校の隣にあった福岡神社の鳥居。社殿は少し奥のようです。でも、御休って「おやすみ」と読むのでしょうか?倉安川沿いには立派な遊歩道が整備されていました。誰もあるいていなく、もったいないので遊歩道を歩くことに。ここを右前方に入り、倉安川から離れます。秋芳川を越えたあたりで雨がポツポツと落ちてきました。少し急ぎ足。県道37号、砂川を越えるとやがて上道公園。少し雨が落ちる量が多くなってきたので、ウィンドブレーカーを着用。本降りとまではいいませんが、普通なら傘が必要なぐらいの雨。急いで歩きます。ここで国道250号線と合流。少し国道を歩き、ビデオ屋さんのところから右斜めの側道へ入ります。曲がり角には旧山陽道の案内柱。山陽本線の踏切を渡ってすぐを左折します。しばらく歩き、今度は新幹線の高架をくぐります。この辺りになると、雨がきつくなり屋根があるところでしかカメラを出せませんでした。JR上道駅の北側で終了。本当は次の東岡山まで行きたかったのですが、雨が強くなり断念。上道駅から山陽本線で大阪方面に戻ります。和気駅で乗換。相生まで出てあとは新快速。三石駅から上道駅まで約31km。昼食時間も含め6時間10分、42900歩でした。次回は上道駅からスタートし、岡山市内を抜けて西へと進みます。
Nov 9, 2010
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西国街道の続きです。前回終了地点の相生駅が次の出発地点。相生から有年峠、船坂峠を越え岡山県に突入、というコース。ところが、ちょっと嫌な情報を耳にしてしまいました。どうも有年峠はまだマムシがうじゃうじゃいるらしい、と。たぶん、「うじゃうじゃ」はかなり誇張された表現だとは思うのですが、マムシがいることには間違いなさそう。どうするか悩んだのですが、相生からの区間はマムシが冬眠した頃に歩くことにして、今回はその先を歩くことに。というわけで電車を乗り継ぎ、JR三石駅へ。もうここは岡山県。駅前にある三石一里塚跡。ここを朝の7時半ごろ出発しました。程なく金剛川を渡ります。看板が錆びてしまい殆ど読めませんが広島の文字が。国道2号線に出て、ダラダラとした坂を登っていきます。この坂は通称「弟坂」。反対側の下りは「兄坂」。順番が逆のようですが、よく考えてみるとここは既に岡山。つまり岡山側から見れば順はおかしくない。山陽自動車道の備前ICの所で右側の側道に入ります。八木山の集落の入り口には、石燈籠の頭のようなものが並んでいました。で、集落を出るところにはお地蔵さん。先ほどのものと併せて村の出入り口を見張っているような感じです。再び国道2号線に出て、山陽自動車道を越えたところに八木山一里塚の跡が。一里塚跡は国道の反対側にあり、交通量が多くて渡れませんでした。この辺りは備前片鉄バス、という会社が路線バスを走らせているようです。土日祝は全く運行していないようです。通勤・通学用ですかね。ということは、この辺りを歩くのには使えない‥国道の四軒屋の交差点の少し先から再び右側の側道へ。しばらく持出川沿いを歩き、伊里川を越えたところに関谷神社。ここを左折。この辺りから先でよく見かけた屋根。瓦屋根の上にすっぽりと覆うような屋根が。瓦を全部葺き替えるのは大変なので、苦肉の策ですかね。一本松の集落に「藤ヶ棚茶屋跡」の案内柱がありました。三度国道2号線に合流し、しばらく行くと片上一里塚跡が。ここも反対側にありましたが、渡って脇にあった案内板を読んでみると、一本松一里塚、との表記が。どっちが正しいんだ??国道を下っていき、新幹線の高架の手前でまた側道に入ります。山陽道は写真の建物の手前の道を歩いていきます。国道2号線を横切る手前にある天神宮。梅鉢の紋が見えたので、中に入ってみると、やはり祭神は菅原道真。大好きな道真さんの所だったので、しっかりと参拝&見学。国道2号線を越え、JR赤穂線を越えると片上の集落へ。こういう線路がまっすぐ伸びた構図が実は好きなんです。さらに行くと右手に宇佐八幡宮。狛犬はなんと備前焼で、1826年のもの。いま作ったら、いったいいくらするんだろう?と下世話なことを考えてしまいました。JR西片上の駅の手前ぐらいから、こんな白い案内柱がいっぱい立っていました。側面には簡単なコメントも。脇本陣というのは、本陣がいっぱいになった時に使う宿だったそうです。片山商店街を抜けていきます。ここまででスタートから2時間ぐらい。しばらく登り坂を登っていくと、お夏の墓をお夏の追悼碑が。お夏って?? 詳細は後程。さらに坂道を登っていきます。坂を登り切ったところが葛坂峠のお夏茶屋跡。案内板には、「お夏は天性の美貌と知れ渡った評判の店は随分と流行った」とありました。茶屋の娘さんだったのでしょうね。見てみたかった。葛坂峠を越え、下っていくとまた国道2号線に合流。スーパーマルナカを左手に見ながら側道へ入っていくと備前市の伊部地区へ。この辺りには備前焼の店がたくさん並んでおり、観光客もいっぱい。しばらく行くと右手に天津神社。鳥居の額束部分を見てみると、「天神」の文字が見えたので、中に入って確認すると、ここも祭神は道真サン。狛犬だけでなく、神門の瓦や、塀にも備前焼が使われていました。電柱にはこんな看板が。備前カレーに備前バーガーはなかなかそそります。しかし、手前に339歩っていうのはなんとも中途半端。もし「この先339歩」だったら、間違いなく本当にそうか確認していたと思います。店先に陳列してある備前焼を眺めながら、西へと進んでいきます。不老川のたもとには備前焼のお地蔵さんが。備前焼一色ですな。この備前焼のお地蔵さんでスタートから約3時間。まだまだ歩いたのですが、長くなってきたので続きは後程。
Nov 7, 2010
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岡山市から倉敷市へ入りました。越境というほどではありませんが…
Nov 3, 2010
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岡山駅を通過。デミカツ丼を食べるには時間が早過ぎるなあ。残念…。
Nov 3, 2010
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今日も頑張って西国街道の続きを歩きます。前回は雨に降られましたが、今日は大丈夫そう。少し寒めですが、歩くのにはちょうどいい。帰りはきびだんごでも買って帰るかな。
Nov 3, 2010
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西国街道の続きです。姫路の商店街を西へ歩いていきます。突き当たった所が本徳寺。ここを北に行き、国道2号線を越え2本目を再び西へ。道端にあった道標と説明板。草で読めません。手で除けて読もうとしたのですが、草が固く、ほとんど読めませんでした。残念。国道2号線の北側の旧道を蛇行しながら西へ。水尾川を越えていきます。東今宿付近。風情のある建物が残っています。ポストもこの形のものがよく似合いますね。高岡郵便局の手前に大きな道標が。矢印は大阪方面を指していますが、西から歩け、ということでしょうか?JR播磨高岡駅の手前で2号線に合流。バイパス風の国道2号線でJRの線路を越えて再び北側の旧道へ入ります。夢前川を越えます。国道の北側の旧道には橋がないので、川を渡るときだけ2号線を使用。夢前川を越え、旧道に戻る手前にあった道標。左:備前 九州 金毘羅 宮嶋、右:因州 伯秋 昨州 雲州、すぐ:姫路 大坂 京 江戸 と表記が。江戸はすぐでもないと思うのですが‥。稲岡神社の鳥居。奥に見える小山の手前に社殿はある模様。この先で国道2号線にまた合流。少し国道を歩いた後、今度は南側の旧道へ。正面に見えるレンガ色の建物はホテルサンシャイン青山。ホテルの前から南側に進路の向きを変えます。山田の集落に入ると、明治天皇山田御小休所。明治18年の天皇巡幸のときに御小休所となった所。姫路バイパス(2号線)のガードをくぐり、国道179号線に合流。山陽新幹線。新幹線が通る音が聞こえると、慌ててカメラを取り出すのですが、なかなか間に合わない。ようやく1台捕捉。太子メモリアルパークの入り口の1つ西から北側へ延びる旧道へ。旧道に入ってちょっと行くと、左の竹林の中に桜井の水の碑。戦国時代に播磨を治めた赤松義村が選んだ「播磨十水」のひとつ。稲刈りを待つ田んぼ。秋、ですな。黒岡神社の鳥居。社殿はかなり奥なので参道入り口の鳥居と思うのですが、そこに玉垣があるのはあまり見ないですね。行基作の太田の地蔵。この先、国道179号線に合流。この合流地点で土山から7時間。国道沿いにはコンビニや食べ物屋も多いので、休憩にはピッタリ。東保の交差点の先から旧道へ。しばらく行くと阿宗神社の石標。林田川の手前で茶屋垣内地蔵尊。林田川を渡るため、県道725号線に出てすぐまた旧道へ。川を渡るときだけ国道や県道を使うことはよくあります。そんなに橋ばかり架けてはいられないでしょうからね。ある意味、川を渡るのは今も昔も大変、ということでしょうか。林田川を渡るとたつの市。また旧道へ戻ります。乗願寺。祭りの準備中か片付け中か。揖保川を渡るため、国号2号線へ。川を渡って再び南側の旧道へ。揖保川沿いにある正條の渡し場跡。この先から西へ。郵便局前にあった道標。右:ひ免ぢ かうべ 左:た津の 山さき とあります。本陣跡井口家、JR竜野駅前を通りながら西へ。いくつかの地蔵尊、頌徳碑などを見ながら進みます。山陽新幹線の高架をくぐり、しばらく行くと相生の中心地へ。普光沢川を越えるとJR相生駅前まであと少し。相生駅前到着。土山から相生まで50km弱、9時間半、65500歩でした。いや、よく歩きました。いろいろ歩きましたが、距離・時間・歩数とも今までで最高数。歩いた日の夜から、膝が痛くなってしまいました。京都からだいぶ歩いた気もするのですが、まだ兵庫県内。まだまだ先は長い‥
Nov 1, 2010
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西国街道をさらに西へ向かいます。JR土山駅を朝の6時にスタート。自宅から電車で来るとなると、一番早くてこの時間。スタート地点にあった地蔵尊。お地蔵さんに見守られながらストレッチをしてスタートします。JR山陽本線の踏切を渡り、線路の南側に出てしばらく行くと右手に五社大神社。その先、一旦国道2号線に合流。まだ日は完全に昇っていません。2号線を200mほど行って再度右側の側道へ。JR東加古川駅の前を通り、そのまま行くと加古川サティにぶち当たります。ここはそのまままっすぐ通り抜けることができます。サティ手前には全高225cmの五輪塔。この五輪塔は無銘のため、詳しい造立年代はわからないそうですが、室町初期のものではないかとのこと。サティを抜けるとマンション群の前へ。ここも通り抜けることはできますが、どうするかはご自身の判断で。マンション群を抜けたところに五社宮野口神社。常住院の前にあった道標。もちろん、最近のものです。まだ日は昇っておらず、影が長い。もちろん実物はこんなに足は長くありません。宝篋印塔。南北朝から室町時代にかけてのもの。伝承では、和泉式部の墓と伝えられているそうです。一旦国道2号線に再び合流し、すぐまた側道へ。別府川を越えてしばらくすると右手に胴切れの地蔵。その昔、この地蔵を深く信仰していた人がうっかり殿様の前を横切ってしまい、胴を二つに切られてしまったそうな。ところが気が付くと自分はなんともなく、この地蔵の胴が真っ二つに。信仰していたおかげで身代わりになってくれたのだとか。加古川駅の前を通り、商店街の中を進んでいきます。ここでスタートから1時間半ぐらい。加古川の手前で国道2号線に戻り、川を渡ります。JR宝殿駅前を通り、踏切を渡って線路の北側にでます。しばらくいくと左手に生石神社の一の鳥居。生石神社まではここから直線距離で1km以上あるみたいです。姫路バイパスの北側に出て、しばらくいくと作曲家・佐々木 英の碑。「月の砂漠」を作曲されたそうです。阿弥陀町に入ったところにあった地蔵。地蔵の上の縄が見えるでしょうか。この辺り、どの家もこのような縄が張り廻られていました。祭りの時期だったようですが、なにか関係あるのかな?JR曽根駅の手前、県道の高架下に道標が集められていました。工事や造成の際、邪魔になったものを、集めたのだと思います。なくすよりマシですが、なんとか同じ場所で保存する方法はなかったのでしょうかね。また2号線に出てすぐに国道の北側の側道へ。しばらく行くと六騎塚。別所小学校をすぎ、しばらくいくと弁慶地蔵。弁慶の母がこの辺りの生まれだそうで‥2号線の南側へ。凄い送電線の数。播但播磨道の高架をくぐり、しばらく行くと右手に大歳神社。神社の前がごみ収集所、ってのも‥。徳証寺の前にあった手作りの道標。JR御着駅の西で踏切を渡り、しばらくいくと一里塚跡。名前が欲しかったですね。市川の手前で北上し、JRを越えて国道2号線に出て市川を渡ります。市川を渡り、ケーズデンキの先から北側の側道へ。ここは地蔵院前。姫路の中心地が近くなってきました。看板にも姫路城が。JR播但線の京口駅。どうせ写真を撮るなら電車がいたほうが好きなのですが、運よく電車が止まっていました。姫路城の手前で南下し、国道2号線を越えて西へ。商店街を抜けていきます。姫路城は平成の大改修中。終わるのは2014年だそうです。ということで、商店街の中にあった写真で我慢。姫路城の前までで土山から4時間45分。まだまだ歩きましたが、長くなったので続きは後程。
Nov 1, 2010
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西国街道の続きです。西宮以西、チョコチョコとつないで来たのも今回で終了。JR大久保駅前から。古い道標が立っていました。また国道2号線に合流。交通量は多いですが、幅の広い歩道あり。富士通、近畿コカコーラの工場前を通り‥この交差点、ガリバーさんの手前を右折します。右折してから道を間違えました。右折後、しばらくで左折なのですが、どうも通り過ぎてしまったようで、途中で引き返すはめに。引き返してきた写真。田んぼの向こうに見えるこげ茶色の建物の所を左折でした。こげ茶色の建物は牛小屋()。ニオイですぐわかると思います。右手には金崎宮の鳥居と燈籠。地図上は黒岩神社との表記になっていました。大山寺の道標。東から歩いてくると、見つけにくい所に立っています。正覚寺。古前中池。この辺りにはたくさんのため池がありました。藻が大量に発生しており、悲惨な状態になってます。夏の暑さのせいでしょうかね?市立魚住小学校の前を通過。街道沿いの田んぼは見事に稲が実っていました。収穫間近、といったところでしょうか。石造五輪塔。墓地の中にありました。貞和2年(1346年)のもので、県指定の文化財。こちらのシャッターにはぶんぶく茶釜。明石市の消防団の人達は、絵が好きなんでしょうかね。清水神社。西福寺。神社やお寺がほんとうに多いです。これも旧街道ならでは。西福寺の近くにあった石標。読めませんでした。瀬戸川を渡ります。遠くに見える塔のようなものはなんだろう?ひらがなで「あかし」と書いてあるのは読めるのですが‥清水新田の集落付近にあった石塔。なんでしょうね?県道208号線と旧街道が交差するところにあった地蔵さん。囲いは古いものではなさそうです。県道208号線を横切ります。県道は第二神明道路の出口からつながっているので、交通量は多いです。土山の街に入りました。止まれの先を左に行けば土山駅。街道はこのまま直進です。須磨から土山までつないでつないで歩きましたが、トータルすると‥27.5km、約5時間10分、35,200歩でした。ほとんど起伏もなく、歩きやすいといえば歩きやすい区間でした。これ以上西は来るだけでも時間がかかるので、チョコチョコつなぐのは無理。いつも通り休みの日に1日かけて歩くしかありません。だんだん遠くなると大変になるな‥
Oct 27, 2010
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最後、1時間ほど雨に降られましたが…今日はこのくらいにしておいてやろう。(笑
Oct 24, 2010
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まともな時間に食事にありつけました。問題です。さて、これは何でしょう?正解は明日にでも。
Oct 24, 2010
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今日も歩きます。雨がいつ降ってくるか…
Oct 24, 2010
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西国街道の続きです。山陽電車の西新町駅を北へ。JRのガードをくぐって、もうちょっと北。ガードをくぐって2つ目の信号を左折します。まっすぐのバス道を北西方向へ。バス道の進行方向に向って右手に十輪寺。バス停にあった時刻表。明石市営バスは休日でも1時間に2本。一方、神姫バスは休日は1日1本だけ。この違いはなんだ?国道175号線を横断すると、右手前方には明石市交通局の建物が。交通局からすぐ、右手には坂上寺。階段を登る元気はありません。入り口のそばには石標が。左側のものは、折れたのを継ぎ足したような感じです。明石市のマンホール。鯛とか蛸ではありませんでした。ここで一度国道2号線に戻ります。といっても、またすぐ左斜めの側道へ。西明石駅前。正面に見える駅の手前の高架をくぐり、駅の北側へ。駅を回り込むように、駅前の狭い道を抜けると‥2号線に合流。ただ、また5~600mほどで左の側道へ。ミドリ電気とツタヤさんが目印。側道に入ってしばらく行くと、右手に住吉神社。こんなバス停が。市内循環バスでしょうか、「Takoバス」だそうです。松陰ルートの目印はイルカ。鯛はなかなかでてきません。別ルートの愛称かな?右手には常徳寺。ようやく出てきた鯛。JR大久保駅前。土山まではまだありますが、続きは後程。
Oct 23, 2010
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西国街道の続きです。JR舞子駅から見た明石海峡大橋。基本的には国道2号線を西へ西へと行きますが、時々旧道に入ります。JR舞子駅の少し西側、ここも左の側道へ。舞子六神社。祭神は伊邪那岐大神・伊邪那美大神・天照皇大神・素盞男大神・月夜見大神・蛭子大神の六神。一旦側道にはいりましたが、ホンの500mほどで再び国道へ。山田川上からみた明石海峡大橋。国道28号線は神戸から淡路島経由で徳島まで。海の部分はフェリーが国道代わりです。明石海峡大橋ができ、さらに高速料金休日値下げの影響で経営が苦しくなり、フェリーの廃止が決定。ということは、この看板もなくなるのでしょうかね?JR朝霧駅前を過ぎ、朝霧川を越えたところで左折し、旧道に入ります。国道沿いとは違って、一本裏の道に入ると雰囲気もかなり違います。穂蓼八幡神社。ほたて、と読みます。しばらく旧道を西へ行くと、正面に教会が。教会の前を左折し、すぐ右折。右折する角には‥慶応元年道標がありました。右 加古川・姫路道、左 兵庫・大阪道とあります。ただ、実際の表記は 右 か古川・ひ免ぢ道、左 ひやうご・大阪道。道標の隣には「大日本中央標準時子午線通過地標識」が。世界の標準時が決められたのが明治17年。日本はそれに基づき明治21年に東経135度子午線上を日本の標準時として使用。ところが当時の一般の人達は標準時子午線が明石を通過していることを知らない人が多かったそうです。子午線の存在を知ってもらうため、小学校の先生達が自分の給料を割いて明治43年にこの碑を設置したのだとか。柿本神社の石標がありました。神社はここから北へいったところにあります。まあ、ここから見える距離ではありません。明石駅の南側に出ました。ここを左(南)へ行くと、たこフェリーの乗り場。ここにも道標が。みぎ ひめぢ道、ひだり 大坂道、とあります。明石、魚の棚商店街の2つ南の道、旧浜国号と呼ばれる道を西へ。明石焼きの看板が多いですね。さすが本場。そのうち、この看板も取り外されるのでしょうかね‥商店街を過ぎると明石川。川を越えて一つ目の信号を右折し北へ。200mほどで山陽電車の西新町駅前。駅は改修工事が行われていました。チョコチョコ繋ぎはまだまだ続くのですが、長くなったので続きは後程。
Oct 21, 2010
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西国街道の続き。あいかわらずチョコチョコと少しずつ繋いで歩いています。山陽須磨駅を出発。西へ向かいます。しばらくは国道2号線沿いに歩いて行きます。源平史跡 戦いの濱の碑。国道2号線は両サイドに歩道があるのですが、北側(山側)を歩くほうがいいかもしれません。南側はすぐ海なので、こんな石碑などは北側にあります。私は南側を歩いて失敗。横断する場所も少ないです。須磨海づり公園。私は釣りはやらないので、行ったことはありません。須磨浦ロープウェイ。まずロープウェイで鉢伏山の中腹まで。そこからカーレーターという怪しげな乗り物に乗り、さらにリフトで山頂へ。ロープウェイで一度に運ばないところがなんともいえませんね。敦盛塚石造五輪塔。室町末期から桃山時代のもので、高さ約4m。中世の五輪塔としては、全国で2番目の大きさのもの。この辺りは極端に狭い。南側から海・JR・道路・山陽電車・山。つまり建物がひとつもありません。やがて塩屋駅の手前で国道2号線はJRの南側へ。ようやくこの辺りから建物が出てきます。この辺りも国道は両側に歩道がありますが、交通量は多いです。写真ではわかりにくいと思いますが、線路が三段重ねになっています。写真の上の建物は山陽滝の茶屋駅。こちら側からは遠回りをしないと行けないんですかね。遠くに明石大橋が見えるようになってきました。垂水駅の手前、福田川を渡ります。川の向こうはすぐ海。海神社。わたつみじんじゃと読みます。主祭神は三神。上津綿津見神は航海の神、中津綿津見神は漁業の神、底津綿津見神は海藻、塩の神。さらに2号線を進んでいくと、左手に舞子公園があります。孫文記念館。右の四角い建物が神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂の別荘「松海別荘」。隣の八角三層の建物が楼閣「移情閣」。明石海峡大橋の建設に伴いいったん解体され、元の位置から西南方向200mの現在地に移転されたもの。国の重要文化財。明石海峡大橋。こうして改めて見てみると、メチャメチャデカいですね。明石藩舞子台場跡。幕末に外国船の侵攻に備え、幕府の命を受けた勝海舟の指導のもと明石藩が建造した砲台場の跡。対岸の淡路島には徳島藩の松帆台場があり、明石海峡で挟み撃ちにしようとしたもの。今でこそ華やかな東京のお台場も、もとはここと同じ砲台場。ミニチュアの大砲が置かれていました。当時、実際にぶっ放したことはあったんでしょうかね。チョコチョコ繋ぎは明石に西、土山まで続いたのですが、長くなったので続きは後程。
Oct 20, 2010
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相変わらず、時間を見つけては西国街道を西へ西へと歩いています。現在、相生まで進んでいるのですが、三宮以西の詳細を挙げるのを忘れてました。西宮~三宮間と同じく、ちょこちょこ継ぎ足しながら歩いているので、写真の見た目の時間がいきなり変わることがありますが、その辺はご容赦を。では三宮をスタート。三宮神社。慶応4年、ここの前で神戸事件が起きました。備前藩の隊列がここを東に向かって歩いているとき、沖に停泊していた外国軍艦の水兵数人が隊列の前を横切ったそうな。怒った備前藩の人は水兵を切りつけ、国際問題になってしまい、日本人が切腹させられたもの。今は買い物客で賑わう場所ですが、昔はこんな生臭い事件もありました。神戸大丸の北側を通り、元町商店街へ入っていきます。元町商店街は1丁目から6丁目まであり、かなり長い商店街。大阪の天神橋筋商店街ほどではありませんが‥商店街を抜けるとJR神戸駅前。ここに兵庫県の里程元標があります。神戸から各地までの距離を測る起点になるもの。JRの高架をくぐり、神戸駅の北側へ出ます。新開地の商店街の近くに西国街道の石標がありました。再びJRの南側に出ると、八幡神社の前に湊口惣門跡が。昔の兵庫の街に入る際、ここの番所を通る必要があったようです。八幡神社から南へ下り、国道2号線を越えます。ただ、2号線には横断歩道がありませんので、迂回が必要。2号線を越え、さらに南下すると札場の辻跡。ここ南仲町は兵庫の中心地にあたり、大きな高札場があったそうです。ここを右折し、北西方向へ歩いていきます。再び2号線を横切ります。今度は横断歩道あり。JR兵庫駅の手前、柳原えびす神社の所に西惣門跡。JRの高架をくぐり、兵庫駅の北側に出ます。大開通り(国道28号線)に出ます。ここからは広い道の歩道を歩いていきます。高速長田の駅前からは県道21号線。県道21号線はほんとうにまっすぐな道。単調な道を歩いていきます。新湊川を越えると、北側には長田神社。山陽電車の西代駅。この辺りはまだ電車は地下を走っています。須磨警察署の前を通り過ぎると妙法寺川。この高架道路は阪神高速。県道21号線はここで右に行きますが、このまま直進し、阪神高速をくぐっていきます。山陽電車月見山駅前。震災以前はこの先は行き止まりでしたが、きれいに整備されました。その都市計画道路の完成記念碑。完成が2008年なので、随分時間がかかりました。須磨寺駅の手前、幹線道路の北側には菅の井公園。延喜元年、菅原道真が大宰府に船で流される途中、風雨が強くなったため、須磨で一時避難。その際西須磨の旧家である前田家の人が井戸の水を汲んで差し上げたところ、道真は大いに喜び自画像を前田家に与えたそうな。そのことからその井戸を「菅の井」と呼んだとのこと。道真フリークの私にとっては、なんとも興味をひくものがありました。菅の井公園の先の右手の細い道に入り、須磨寺駅前へ。そこから国道2号線に合流します。国道2号線に合流してすぐ山陽須磨駅。ここでいったん終了です。三宮から須磨まで10.5km。2時間弱、12,700歩でした。ここからはしばらく2号線を歩いていきますが、続きはまた今度。
Oct 18, 2010
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本日の目的地に到着です。JR土山駅から相生駅まで。50km弱を9時間半でした。よく歩きました。
Oct 11, 2010
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姫路に到着。姫路城は改修中ですね。まだまだ行きます。
Oct 11, 2010
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秋祭がピークですね。歩いている途中、たくさん見掛けました。
Oct 11, 2010
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西国街道の続きを歩きます。出勤前にチョコチョコつないで少しずつ前身していたのですが、だいぶ勤務先からも離れてきて、そろそろ朝に歩くのも限界。また一日かけて歩いていきます。さて、今日はどこまで進めるかな。
Oct 11, 2010
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西国街道の続きです。住吉付近から三宮まで。先ほどの「くび地蔵」のところから南へ下り、再び国道2号線へ。分離帯を挟んだ向こう側は、あの「灘中・灘高」。住吉川。川沿いには「億ション」が並んでいます。六甲の山並みがきれいに見えてました。本住吉神社の前にある西国街道の石碑。京都東寺口から発した西国街道は、芦屋の打出付近で本街道と浜街道に分かれ、三宮の生田神社の南側で再び合流したそう。本街道は西国大名の参勤交代に使われ、浜街道は一般庶民の道だったとか。本住吉神社。この前から国道2号線と分かれて南へ下ります。横の筋の3本目を右折し、再び西へ。阪神御影駅前にあった沢の井の石碑。昔、神功皇后がこの地で化粧をしたとき、ここにある沢の井の水面に御姿が美しく映ったことから「御影」という地名がついたという伝説があるそうです。御影中学の横にあった道標。最近のものですね。一里塚橋。昔、この辺りに一里塚があったそうなのですが、今は塚もなくわずかにこの橋が名をとどめているだけ。徳川道起点の案内板。徳川道は江戸末期に幕府が兵庫津を開港するにあたり、開港場付近の外国人と西国街道を往来する諸大名や武士との衝突を避けるために作られた迂回路のこと。ここから六甲の山並みを抜け、明石の大蔵谷付近で合流したそうな。しかしその後すぐ明治維新を迎え、ほとんど徳川道は使われることがなかったそう。石屋川から六甲山方面を望む。処女塚道標。ここから南へ下ると処女塚古墳があります。ちなみに「めおとづか」と読みます。阪神新在家駅。阪神は駅間が非常に短い。ヘタすりゃホームから隣の駅のホームが見える、なんてところもあります。阪神沿線を歩いている時は、なにかあってもすぐに電車に乗れるのはいいですね。阪神大石駅の近くの公園にあった道標。都賀川。2年前、ゲリラ豪雨による鉄砲水で尊い命が失われた川。天気のいい日はこんな川なのですが‥ 合掌。都賀川を越えて再度国道2号線に合流。500mほど行くと西灘の交差点で国道は左へカーブしていきますが、西国街道はそのまま直進。あとはひたすら道なりに西へ向かいます。春日野道商店街にあった道標。この辺りにもリーズナブルで美味しいお店が結構あります。葺合警察署の近くにも道標がありました。大安亭市場。この辺りには、明治時代にできた「大安亭」という人気の高い浪花節の寄席小屋があり、それを取り巻くように商店街ができたため、「大安亭市場」というそうです。その寄席小屋は今はもうありません。生田川にかかる橋にも西国街道が。ここもそのまま直進。JR三ノ宮駅の近く。ミント神戸の北東の交差点にも道標がありました。この道標を右に曲がってJRと阪急の高架をくぐり、すぐ左折。生田筋にぶつかったところで南下。奥にちらっと見えるのが生田神社です。生田筋を下がり花時計線まできました。今回はここで終了。3回に分けて歩きましたが、合計で17.5kmを3時間半、23300歩ほど。ここがひとつの自分なりの分岐点。ここでオシマイにするのか、先へ進むのか。どうしようかな‥
Sep 12, 2010
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西国街道の続きです。前回終了時点のJR西宮駅の南、青果市場の横からスタートし、三宮まで。西宮~三宮間は17kmほどなのですが、この辺りから三宮までは、通勤時間に歩くことも可能なので、1時間程度に区切り数回に分けて歩いてみました。なので、途中で写真の日の当たる方向が逆になっていても気にしないでください。まず国道43号線の手前まで、まっすぐ南へ歩いていきます。国道43号線の1つ手前の道を右折。西宮本町の交差点にある「銘酒のまち西宮」の看板。灘の酒造りに必要な宮水は、このすぐ南の井戸で取れた水。いろんな日本酒メーカーの井戸が現存しています。まっすぐ西へ向かうと、やがて西宮神社へ。全国のえびす神社の総本社として有名な西宮神社。1月の十日戎にここで行われる開門神事は、福男を目指して境内を疾走するもの。テレビなどでご覧になられた方も多いはず。スタートはこの表大門(赤門)からになります。西宮神社の角にある常夜燈。寛政11年(1799年)のものだそうです。西宮神社の南側を西へいき、西宮成田山の先から43号線から離れ脇道へ。夙川の上にある阪神香櫨園駅。なかなかお洒落な駅舎です。芦屋市に入るまで、阪神の高架沿いを歩いていきます。芦屋市に入ると、阪神電車の踏切を越え、北へ。お地蔵さんと小さな道標。道標には「右 西宮道」の文字が見えます。踏切を越えたら、1つ目の信号を左折し再び西へ。阪神打出駅に北側にある平城天皇の第一皇子であり、在原業平の親である阿保親王塚の碑。実際の親王塚古墳はここより5~600m北側にあります。宮川の手前を北へ曲がりますが、この辺りは‥打出小槌(うちでこづち)町。縁起がよさそうというか、なんともいい町名。この辺りの方が全員お金持ちかどうかはわかりませんが‥宮川の畔にあった地蔵尊。普段あまり気にしていなからか、こうして歩いてみると、地蔵尊や小さな祠が結構多いことに気がつきます。昔の街道沿いを歩いていることもその一因でしょうけど。細い路地を通り、JR芦屋駅の南、国道2号線の手前へきました。写真の左手に見える細い路地を通って2号線に出ます。先ほどの細い路地の途中にこんな看板がありました。国道2号線に出ました。ここからは暫く国道を歩いていきます。芦屋川に架かる業平橋から。この辺りでスタートから1時間ぐらい。芦屋市を越え、神戸市に入ってもまだまだ国道を。JR甲南山手の南側あたり。ここのずっと北にある稲荷神社の赤鳥居。この鳥居のある交差点の名前は「赤鳥居前」。なんともわかりやすい。2号線の田中の交差点の東にある三王神社。境内は工事中でした。この神社の手前を北へ入り、2つ目の角を再び西へ。突き当りにあるくび地蔵。なんでも首から上の病気に霊験あらたかだそうです。あくまで「病気」にあらたかであって、毎日拝めば男前になる、わけではなさそうです。しかし、なんともインパクトの強い地蔵さんだこと。長くなってきたので、続きは後程。
Sep 6, 2010
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前回、高槻から石橋まで書きましたのでその続きを。阪急石橋駅から少し南へ行くと‥旧石橋村の札場跡。札場は前回も書きましたが、昔の掲示板です。ここは西国街道と大坂と能勢方面を結ぶ能勢街道が交わったところ。阪急の線路を横断し、中国自動車道をくぐって国道171号線に再び合流。写真の軍行橋の手前で兵庫県に入りました。ここでスタートから4時間。橋の手前に気温表示があり、11時の段階で既に35度。かなり水分も接種しましたが、自動販売機がそこら中にあるのは助かります。伊丹空港がすぐ近くなので、軍行橋が架かる猪名川には誘導灯が。兵庫県に入ると、案内板のスタイルも変わっていました。県道13号線の手前で多田街道と交差。多田街道の一部は伊丹市の都市景観形成道路に指定されており、キッチリ整備されていました。こんな水車小屋もありました。多田街道との交差点から少し行くと伊丹坂。ホンの一瞬の上り坂でしたが、久しぶりの上り坂。大鹿地区に入ってきました。単なる民間の月極駐車場ですが、ご覧のような壁で仕切られており、なかなかいい雰囲気です。その近くにあった伊丹消防団の分団も、ご覧のような感じ。伊丹の自衛隊駐屯地、伊丹市役所の南側を抜けていきます。西国街道の一部も伊丹市の都市景観形成道路に指定されているようです。先ほどの大鹿地区も含まれているようですね。そのためか、こんな立派な案内板もいくつかみられました。再び国道171号線に合流し武庫川の畔へ。昔はこのまままっすぐ川を渡ったようなのですが、現在は橋がなく、南方の遠くに見える橋を使って回り道するしかありません。川をジャブジャッブ突っ切っていってもよかったのですがね。その回り道用の甲武橋。六甲の山並みがはっきり見えてきました。手前には甲山も見えています。ここでスタートから6時間ほど。橋を渡ってから再び北上すると‥高校野球全国ベスト4の報徳学園があります。新チームで練習しているかとも思ったのですが、残念ながら姿は見られず。報告学園から南西方向へ進み、西宮を目指します。この辺りから、曲がり角にはご覧のような道標が。わかりやすくてありがたいのですが、完全に車仕様の道標。一方通行の道などもあり、間違えて入ってしまう車はないんでしょうかねえ。阪急門戸厄神駅前の商店街。いつもそうなのですが、歩きの後半になってくると写真の数が減ってくるんですよ。後日、まとめてる時に「イカン、またか‥」と思うんですがねえ。厄神道標。日本三体厄神のひとつの門戸厄神はこの近く。なお、正式名称は門戸厄神ではなく、松泰山東光寺。再び国道171号線にちょっとだけ合流し南下。阪急、国道2号線を横切りJR西宮駅付近へ。今回はここで終了。本来ならもう少しだけ歩き、西宮神社で終了にすれば区切りはいいのでしょうが‥高槻からJRの西宮まで35.5kmで約7時間半。46700歩でした。昼食タイムやコンビニやスーパーへ入っての冷却タイムを除くと、実際の歩行時間は6時間半ぐらいでしょうか。ここから先は三宮を目指しますが、通勤の前後に歩くことも可能なので、ちょこちょこ進むかもしれません。しかし、暑い一日でした。
Sep 1, 2010
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西国街道の続きを歩きます。前回終了地点の高槻・芥川一里塚から。朝の7時すぎにスタートしました。芥川の手前にある橋詰地蔵尊。芥川を渡ります。天気がよく、気持ちがいいのですが、何度まで上がるかが不安。太田付近の街並。昔ながらの雰囲気を残している建物も多く見られます。名神高速をくぐり茨木川へ。この辺りは白井河原合戦があった場所。かなり激しい合戦だったようで、この辺り一面血に染まったといわれています。モチロン、今はその面影もありません。中河原の道標。西国街道と難波宮からの三嶋路、亀岡・福井への清坂越道と、主要幹線の拠点だったようです。国道171号線を横断し郡山宿本陣へ。この辺りは石畳になっています。京都~西宮間には5つの宿駅があり、ここ郡山はちょうど中間。この建物は1721年に建てられたもの。橋の欄干にはこんな細工が。こんな配慮はいいですね。所々、田んぼもあります。まだ頭を垂れるほどではありませんでした。大阪モノレールの豊川の駅をすぎ小野原地区へ。写真は春日神社の御旅所。小野原辺りも下は石畳。できることなら、他の場所と同じ石畳にして統一感を出して欲しいのですが、自治体が違うとそうもいかないのでしょうね‥しばらく行くと、勝尾寺の表参道が右手に見えてきます。ここから勝尾寺までは4kmほどの道のり。いったん国道171号線と合流。この時点でスタートから2時間半。新御堂筋を越えてから左に入り、再び住宅地を歩きます。萱野三平旧邸。三平は赤穂藩士で、大石内蔵助と共に討ち入りをしようとしますが、反対にあい参加できず、苦心のすえここで自害したそうです。再び国道171号線と合流。牧落の交差点を越え右手へ。ここまでで3時間ぐらい。牧落の旧札場。幕府や領主から出された命令・規則などの御触れを書いた木札・貼紙をここに掲示して、村民たちに知らしめたそうな。町内の掲示板なんぞ、今もいろんな場所で見ますが、昔とスタイルは一緒なんですね。阪急箕面線の踏切を渡ると、まっすぐな一本道がしばらく続きます。瀬川本陣跡。この奥は今は自動車教習所になっています。阪急石橋駅の南側交差点。ここまででスタートしてから3時間半。まだまだ歩いたのですが、長くなってきたので続きは後程。
Aug 31, 2010
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熊野歩きが一段落してから、どこを歩こうか悩んでました。琵琶湖一周にするか、西国街道にするか。これだけ暑いと、エスケープポイントが多いほうがいいな‥ということで、西国街道に決定。京都の東寺の少し西にある羅城門跡。ここから基本的には西へ歩いていきます。この日は朝ちょっと用事があったので、ここを10時半ごろスタート。まもなく久世橋で桂川を渡っていきます。久世橋のたもとにあったいづみやサン。遊船出船元、遊船料理の文字があり。川に船を浮かべ、料理と一杯‥ということでしょう。なんとも風流。いづみやのすぐ南にある道標。道標どおりに右手の道を行きます。新幹線の高架、JR東海道線を越えると、阪急の東向日駅へ。この辺りは激辛商店街として売り出し中。試食なら、いくらでもやってあげるのに。向日神社の前を通り過ぎていきます。この辺りは、道も石畳になっており、雰囲気があります。所々、こんないい感じの建物も。小畑川に架かる一文橋。ここには室町時代頃から有料の橋がつくられていたそう。橋の名前通り、通行料は一文。長岡京まできました。スタートから1時間半ぐらい。この日は35度を超す暑さのため、大量の水分が必要でした。道の横に駅名標が。もちろん後ろにホームや線路があるわけではありません。今のJR長岡京駅は平成7年に神足駅から改名されたもので、その改名で不要になった駅名標を移設してきたものです。旧石田家住宅。江戸時代の典型的な店舗と住居を兼ねた町屋。現在は長岡京市が買い取り、「ふれあい町屋」として整備されています。大山崎町に入る手前にあった道標。ここでスタートから2時間ぐらい。サントリーの山崎工場。ちょうどサンダーバードが来たので、一緒に撮ってみました。桜井駅跡。現在のJR島本駅の前にあります。駅とは大化の改新以降、幹線道路に中央と地方の情報を伝達するために馬を配置した役所のことで、30里ごと(約16km)に設置されたそうな。ここもその1つ。しばらくJRの線路と並行するように歩いていきます。街道沿いの畑山神社。ここの神社には一度来たことがあります。だんだん民家が多くなってきて、高槻駅前に到着。大きな鳥居は上宮天満宮のもの。この上宮天満宮(じょぐうと読む)も何度か来たことあり。芥川商店街の近くを通り、芥川の一里塚へ。この日はここでおしまい。21kmほど、4時間ちょっとでした。西国街道の定義はいくつかあるみたいで、京から下関とか、いや大宰府までとか、京から西宮までで、あとは山陽道だとか‥時代によって呼び名も変わってるみたいなのですが、どうもはっきりしません。西宮まで、と考えると、次にでも終わりそうですが、大宰府までとすると‥日帰りの尺取虫方式では無理。どうしよう。
Aug 30, 2010
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本日のウォーキングは終了。一息ついて帰ろう。
Aug 29, 2010
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今回はまともな時間に食事にありつけました。さて、どこまで歩こうかな…
Aug 29, 2010
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高槻から茨木、箕面、池田と通り、軍行橋の手前まできました。この橋の手前で兵庫県に入ります。今日も真夏日です。そろそろ休憩しよう。
Aug 29, 2010
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歩き始めて2時間ほど経ちました。そろそろ休憩兼朝食を。ランチパックのUFO焼きそば入り。美味そう…
Aug 29, 2010
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ようやく、本当にようやく苦手の難敵に黒星を着けることができました。打ち崩した訳ではありませんが、舐められっぱなしだったので、なにはともあれよかったです。後ろ2枚を完全休養日にした試合だったので、中山の出来にかかってましたが、課題の四球病も出ずよく投げてくれました。金曜、球場で最後まで見てフラストレーションが溜まってましたので、少しはスッキリしました。今日は頑張って歩くとします。
Aug 29, 2010
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結局、食べる所がなく高槻まで来てしまいました。疲れてきました…今日は終了にしよう。
Aug 21, 2010
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阪急の大山崎の駅まできました。そろそろ休憩するかな。
Aug 21, 2010
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JR京都駅から阪急の東向日駅まできました。道が石畳で街道っぽくていいですね。この辺りは以前ブログに書いた激辛商店街の所。お昼にはまだ早いので…残念。またの機会だ。
Aug 21, 2010
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頭にく〇が付くほど暑い日が続いてますね。熊野古道を歩き終え、次をどうするか悩んでたのですが、こう暑くてはなかなか歩く気が起こりませんな。イカン、イカン。これでは足が鈍ってしまいます。ということで、京都から西国街道を西へ歩いてみることにしました。暑さで無理ならどこでも止められるので、気楽に行きます。
Aug 21, 2010
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