まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2017.09.28
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昨日の続き。

日テレが2010年に放送した、
葛飾応為のドキュメンタリー番組を見ていて、
はじめて知ったことは、他にもあります。



ひとつは、
灯篭の光に浮かび上がる「夜桜美人図」に描かれた、
夜空のこと。

上空の闇のなかに、
ブルーやピンクの絵具で「点々」が散りばめられています。

これは、
明るさの等級ごとに描き分けた星の表現なのかもしれないし、
あるいは、荒俣宏が言うように、
灯篭の明かりを浴びた桜吹雪の表現なのかもしれない。

もし星を描いてるのだとすれば、
これは、かなり西洋的で斬新な表現だということです。

たしかに日本の文学作品や絵画作品では、
月を題材にすることはとても多いのに、
星を題材にするというのは、かなり少ない。

桜の花びらや雪の舞う情景は好きなのに、
星々が散りばめられた夜空には関心が薄いように思う。

昔の日本列島なら、
さぞ夜空に満天の星々が輝いていたでしょうに、
なぜ日本人は、星をあまり美的対象と感じなかったのか、
考えてみると、ちょっと不思議です。

沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」では、
歌詞のなかに「天の群れ星」というのが出てくるけど、
星を愛でるというのは、もしかして南国的な発想なのかなあ?

ちなみに「夜桜美人図」に描かれた女性のモデルは、
俳人の秋色女だそうです。



一方、「三曲合奏図」という作品では、
3人の女性が一堂に会して音楽を奏でていますが、
現実には居合わせるはずのない身分違いの女性たちとのこと。

久保田一洋の「北斎娘・応為栄女集」を読むと、
こういう画題は、とくに応為だけに独自のものではないようですが、
応為の描いたモダンな女性像を見ていると、
女性たちがその身分から解放されることになる来るべき近代が、
ひそかに予感されているようにも見えます。

事実、北斎が亡くなって4年後、
日本は開国し、近代化への道を進んでいきます。



久保田一洋による「北斎娘・応為栄女集」は図書館から借りてきたんだけど、
これを読んでいると、
北斎と応為の画風の違いというものが、なんとなく分かってきます。

応為の絵は、
やはり筆の運びが端正で、
女性の姿かたちなどは、とてもモダンで上品で垢ぬけている。
鶴田一郎のグラフィックアートみたいに見えることもある。

しかし、その一方、
全体の構図の大胆さや、事物の躍動感には欠けます。

踊っている女性でさえ棒立ちになっているような感じで、
生き生きとした躍動感にはほど遠い感じ。
静物画、あるいは静止画のようなんですね。

構築的ではあるけど、生成的ではありません。
そういう意味でも、応為の絵は、西洋画的なのかもしれない。

他方、父の北斎の絵のほうは、
あらゆるものが今にも動き出しそうで、
88歳の最晩年に描き捨てた沢山の獅子図を見ても、
その異様なまでの躍動感はまったく失われてない。

そこが、応為と北斎の大きな違い。

逆にいえば、
絵を躍動させる父・北斎の才能というものが、
世界的に見てもかなり異質なものだ、ということなんだけど。

北斎作品とされているものの中には、
かなり応為の仕事が混じっているらしいのですが、
両者の筆の特徴を理解すると、
なんとなく見分けがついてくるような気もします。



追記。

10月9日にNHKが放送した「北斎“宇宙”を描く」を見ていたら、
北斎は、ぶんまわし(コンパス)を用いた大小の円を組み合わせることで、
森羅万象の動的な構造をフラクタル的に表現していたのだと思いました。

これに対して、娘の応為は、
久保田一洋もくりかえし指摘しているように、
まるで定規で引いたような直線を多用して、
しばしば立体的な空間性を表現しようとしています。

やはり、このあたりに、
父と娘の特徴の違いがあるようです。



※現在、​ 音楽惑星さんのサイト ​にお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。






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最終更新日  2020.09.27 06:18:43


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