まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2020.09.08
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カテゴリ: 政治
今回のユーミンの発言で、
もっとも注目すべきことは、

彼女が、
安倍晋三と 「ロマンの在り方が同じ」 だと述べた点です。

この「ロマン」の意味するところは明確ではありません。

けれど、ごく普通に考えれば、
安倍晋三にとっての最大の政治的ロマンが、
「憲法改正」(とりわけ9条の改正)だったことは明らかです。

今後、
ユーミンの楽曲を分析的に語るうえで、
彼女自身の「政治的ロマン」について考えることは、
おそらく避けて通れないでしょう。
それは彼女の音楽を考えるうえで、ひとつの"棘"になる。

いまや現役ミュージシャンとしてのユーミンは、
ほぼ死んだに等しいのですが、楽曲そのものは今後も残り続けるからです。



ここで、
考えるべきポイントを3つだけ提示しておきます。

ひとつは、
(彼女の楽曲との直接の関わりはありませんが)
松任谷家とユーミンの存在が、
「頭山満」と「日本会議」との連続性を考えるうえで、
結節点の一つになるかもしれない、ということです。

ふたつめは、
ユーミンがデビューする前に収束した、
全共闘運動との関わりについてです。
とりわけ「いちご白書をもう一度」を聴くうえで、
彼女が「学生運動のことをどう捉えていたのか」という問題を、
考えずには済まないはずです。

みっつめは、
やはり日本軍によるインドネシア占領の問題です。

「スラバヤ通りの妹へ」を聴くかぎり、
ユーミンが、旧日本軍のことを、
「インドネシアをオランダから救った解放者」
と見なしていることは、ほぼ間違いないのです。
その結果として、
インドネシアのことを「妹」と表象している。

しかし、この問題は、
たんに日本国内の議論で済まされるものではありません。
じつはインドネシア国内には、
旧日本軍の行為を「解放」とは考えない人々も大勢いる。
インドネシアにも、韓国と同じように、
日本軍によって強制労働を強いられた人々がおり、
さらには慰安婦にさせられたインドネシア人女性と、
現地に在住していたオランダ人女性がいたからです。

ユーミンの音楽において、
頭山満の「アジア主義」はどう反映しているのか。
そのことを考えるうえで、
「スラバヤ通りの妹へ」は重要な手掛かりになります。

さらに「大連慕情」とのかかわりで言えば、
日露戦争で獲得した大連に「亡き父」がおり、
日本軍が解放してやったインドネシアに「妹」がいる、
ということの意味が見えてくるのです。

そして、
安倍晋三に代表される日本会議の「政治的ロマン」が、
頭山満やユーミンの思想とどのように関わっているのかも、
そこから分かってくるはずです。





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最終更新日  2020.09.10 18:11:51


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