まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2022.09.21
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読売テレビ「オクトー」の最終回を見ました。
予想に反して、SFサイコホラー的な結末。

やや説得性に欠ける部分もありましたが、
人間の「感情」というテーマを突き詰めれば、
おのずとこういうところへ行き着くのでしょうね。



このドラマの白眉は、
室井滋が出演した第7話でした。

感情をもつことは苦痛だし、
感情などもたないほうが楽だ。


この考えを一方の極だとすれば、
その反対側の極にふれたのが最終回だったといえます。

精神科医の甲本祐希 (臼田あさ美) は、
嫉妬心に駆られて殺人を教唆したかのように描かれていたけど、

実際の彼女は、
他人の感情だけでなく、
自分の感情までも自在にコントロールする能力を持っていました。
したがって、彼女は、
嫉妬心や罪悪感からも解放されたサイコパスだった、
と解釈するほうが合理的です。

おそらく彼女の目的は、無慈悲な医療実験だったのでしょう。

人間の「感情」なんて、
脳内ホルモンによる生理現象にすぎない。


人生をその生理現象に振り回されないためには、
いっさいの感情をなくしたほうが楽なのか。
それとも、自在に感情を制御できるサイコパスになるべきなのか。

このテーマの行き着く先は、究極の二択にならざるをえません。



主人公は、
最後まで「人間らしい感情」に希望を見出そうとするけれど、
たとえ姉が感情を取り戻したところで、幸福になれる保証はない。

むしろ、
感情などもたないほうが楽だ、という判断のほうに真実味があります。
あくまで「人間らしい感情」を信じようとする主人公のヒューマニズムは、
もはや風前の灯のようにしか見えません。

つまり、この物語は、
どっちに転んでも、
ダークなアンチヒューマニズムに辿り着くしかない…。



実際のところ、
人間の感情を制御できる未来は現実味を帯びています。
そして、その場合、
《個人の幸福の追求》と《社会の安定》とのバランスが問題になる。

感情を自在に制御できるサイコパスは、
たしかに資本主義社会のなかでは危険な存在になりがちだけれど、
じつは仏教などの世界においては、
サイコパスは「無欲な存在」としてイメージされます。

なぜなら、
無欲でもなお幸福でいられるのがサイコパスの能力だから。

おそらく「仏教的な無欲」というのが、
感情を制御した人間社会の、もっとも現実的なイメージになるはずです。





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最終更新日  2023.02.09 23:32:10


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