まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.10.09
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乳房切除す母よ芒の先に絮 黒ぶどう甘やか母の背にほくろ 発熱の母月光の車椅子 薄月夜母の電卓スタッカート 母の背は硬く娘を待つ秋夜 秋湿り添い寝の母の生返事 手羽を煮る小さき背中や秋彼岸 門付けの母に背負われ蚯蚓鳴く
プレバト俳句。
お題は「母の背中」。

句材はどれも面白かったのだけど、
形式的に理解しがたいものが多かった。




馬場典子。
秋湿り 添い寝の母の生返事
秋の蚊帳 母の背中の生返事
(添削後)

個人的には、
これがいちばん良かったと思うけど、
残念ながら6位の予選落ち。

母のけだるい態度を季語に託しましたが、
逆に「季語が近すぎる」との理由で減点。

添削句のほうは、
出来の良し悪し以前に、
実体験ではない創作になってるので、
添削というよりは改作ですね。



森迫永依。
薄月夜 母の電卓スタッカート
星月夜 母の電卓スタッカート
(添削後)
星流る 母の電卓スタッカート (添削後)

ぎりぎりの4位で予選通過。

下五「スタッカート」の比喩の是非です。

ぼんやりした視界の中に、
音響だけを際立たせる意図だったのでしょうが、
こちらは「季語と噛み合わない」との理由で減点。

たしかに「スタッカート」には明朗な印象があるので、
情景も明るいほうが響き合うとはいえる。

つまり、
馬場典子は季語に寄せすぎて減点。
森迫永依は季語との対比を狙って減点。
この査定に同意するかは人それぞれでしょう。



森口瑤子。
黒ぶどう甘やか 母の背にほくろ
黒葡萄あまやか 母の背にほくろ
(添削後)

これが2位でしたが…

まず疑問なのは、
葡萄の季節は秋なのに、
なぜ母親が裸なのか?ってこと。

なおかつ、
作者は「母のほくろが色っぽかった」と言うけど、
もしブヨブヨふくれた醜いほくろだと解釈したら、
葡萄まで不味くなりそうです。

いずれにせよ、字面だけでは、
取り合わせの意図が分かりにくい。



犬山紙子。
発熱の母 月光の車椅子


これが3位でしたが…

中七に意味の切れ目があるとのことなので、
一方に「発熱した母」が寝ていて、
他方に「冷たい月光に照らされた車椅子」がある、
という解釈になるはず。

しかし、作者の説明によれば、
発熱した母は車椅子に座ってる、とのこと。
それなら二句一章に分けるべきではない。

調べは崩れますが、
その内容に則して書くならば、
月夜の車椅子に発熱の母

のような一句一章になるはずです。



キスマイ千賀。
手羽を煮る小 さき背中や 秋彼岸
手羽を煮る母よ 厨のちちろ虫
(添削後)
手羽を煮る母よ 時雨の過 ぎる窓 (添削後)

これは予選落ち。
季語「秋彼岸」の是非ですね。

ジュニアが言ったように、
「亡くなった人の好物が鶏の手羽だった」
と解釈すれば納得できるかもしれません。

しかし、仏教的な通念からすると、
「彼岸」と「肉食」は似つかわしくないし、
どうも季語のミスマッチ感が否めない。

なお、
添削について一言いえば、
現代の台所にコオロギなんていないし、
もしいたならば、たんなる駆除対象です。



清水アナ (Twitter)
秋の暮 出発ゲートへ向く母よ
秋の暮 出発ゲートへ向かう母
(添削後)

くるりと背中を向けた瞬間だったのかな。

そう考えると、
原句の「向く」と添削の「向かう」では、
やや映像が異なるのですが、
それでも「向く」を使うのはちょっと難しい。

助詞も「へ」or「を」で迷うところ。
動詞「向く」には「を」を使うのが一般的だけど、
母が旅立つのか迎えに来たのかが分かりにくくなりますね。



中田喜子。
母の背は硬く 娘を待つ秋夜
母の背は硬し 吾を待つ秋夜の背
(添削後)

5位の予選落ち。

第一に、主語の問題があります。

形容詞「硬し」と動詞「待つ」の主語が、
どちらも「母の背」であるのなら、
母の背の硬く娘を待つ秋夜

と一句一章になるはずですが、

作者の説明によると、
形容詞「硬し」の主語は「母の背」で、
動詞「待つ」の主語は「母」のようです。

つまり、
主語が違ってるのに後者を省略している。
そのうえ「硬くあり」を省略して、
連用形のように「硬く」と切ってるので、
同じ主語による「硬く待つ」との誤読につながる。

主語が違うのなら、
娘待つ母の背硬し 秋の夜

と書けば済む話です。



第二に、主観の問題があります。

この句は第三者の視点で書かれてますが、
作者の説明によれば、
母の背が「硬し」というのは客観写生ではなく、
娘(=自分)の主観なのだと。

第三者の視点で書かれてるのに、
なぜ娘の主観が入ってくるのか…って話です。

作者としては、
「帰りの遅い自分を待つ母の背中は怒っていた」
という主旨で詠んだらしいのですが、

字面からは、
「娘を心配して待ちわびる母の背中は年老いて強張っている」
としか読めません。

かりに「娘」を一人称にして、
連用形と誤読させる「硬く」を終止形にすれば、
我を待つ母の背硬し 秋の夜

と出来ますが、
それでも「硬し」が怒りの描写だとは読めない。

なぜなら、
俳句は客観写生と解釈するのが基本だからです。

なお、添削では、
一人称の「吾」に直して余った2音分で、
なぜか「背」を2度重ねていますが、
ただの音数合わせとしか思えないし、
下手すると「もう一人の背中」と誤読されかねません。



立川志らく。
門付 かどづ けの母に背負われ蚯蚓 みみず 鳴く
門付けの母よ 真昼を鳴く蚯蚓
(添削後)

最下位の予選落ちです。
これまた主語の違う動詞を連用形でつないでいる。

たしかに日本語は一人称の主語を省略できるけど、
散文で「母に背負われミミズが鳴く」と書いてみれば、
まるでミミズが母に背負われているように見えるはず。

たとえば、
門付けの母が子負えば蚯蚓鳴く

のような形なら主語の問題は解消されます。



春風亭昇吉。
乳房切除す 母よ 芒 すすき の先に絮 わた


これが1位でしたが、なかなかの問題作!

上7字余りの三段切れです。
ほぼ自由律と言っていい。

作者は「ちぶさ」と読ませていますが、
医療的な読み方なら「にゅうぼう」なので、
その場合は上8の字余りになります。


一概に否定はしませんが、
あえてこの形にする必然性があるのかどうか。
…より具体的にいえば、
真ん中に「母よ」の呼びかけを入れる必然性があるのか。
その是非が問われるところ。

たとえば、
乳房切る母と芒の先の絮

とすれば定型17音になるし、
乳房切りし母 芒の先に絮

とすれば句またがり17音になります。
また、
下五の「先に」が不要だと考えれば、
乳房なき母や 芒の絮揺れる

のようにも出来ます。

なお、
俳句の動詞は現在形にするのが基本ですが、
この句は手術の現場を描いてるわけではないので、
手術前なら「乳房切る」、
手術後なら「乳房切りし」「乳房なき」となるはずです。





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最終更新日  2023.10.10 11:17:41


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