まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.10.23
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オーディション帰り渋谷の秋 秋の夜ビルの谷間に光る傘 三十年余勤めし渋谷野分晴 天高しビジョンに写る同世代 青年の歩幅につられ秋空へ 秋雨や渋谷の路地に鼠と吾 甘栗の香を行く渋谷交差点
10月19日のプレバト俳句。
お題は「渋谷スクランブル交差点」。




水野真紀。
オーディション帰り 渋谷の秋そぞろ


句またがり。

下五の「秋がそぞろである」という言い方が面白い。
実景にさりげなく心情をのせて成功してます。



山下真司。
秋の夜 ビルの谷間に光る傘
ビル街の谷間 秋夜を光る傘
(添削後)

句材は良いですよね。

でも、季語を映像化するには、
添削のように書いたほうがいい。



武田真一。
三十年余 みそとせよ 勤めし渋谷 野分晴
三十余年勤めし渋谷 秋高し
(添削後)

渋谷時代は「野分」と言うほど過酷だったのか?!
…と思わせるところが大袈裟だし、
過去への決別みたいな心情を季語にのせすぎた感がある。

添削のように、
晴れ晴れとした境地だけを描くほうが穏当かな。



ネルソンズ青山フォール勝ち。
天高し ビジョンに写る同世代
天高し 街頭ビジョンに同世代
(添削後)

中七の「ビジョン」は展望を意味する単語でもあるから、
添削のように書かなければ伝わりにくいし、

下五の「同世代」という言葉は、
人だけでなく、物や技術にも用いられるから、
《街頭の映像画面に同世代の技術を見てとれる》
みたいな解釈ができなくもない。

字余りですが、
秋空の街頭ビジョンに同期芸人

としてみました。



中田喜子。
青年の歩幅につられ秋空へ


交差点まではイメージできませんが、
空へ舞いあがるような気分は伝わります。

ただし、
「空へ」という比喩は死をも想起させるので、
追悼句のように見えなくもない。

比喩を使わずに、
青年の歩幅まねれば秋高し

と書いても同じ情景は描けると思う。



千原ジュニア。
秋雨や 渋谷の路地に鼠と吾


ブルーハーツみたいな内容だよね。

助詞は「路地の」より「路地に」のほうが平面的で、
地べたに這いつくばってる印象が強まるけれど、
まるでホームレスのようにも見えるので、
わたしは 「路地の」 とするほうが穏当かなあと思う。



梅沢富美男。
甘栗の香を行く渋谷交差点
渋谷 はや甘栗の香の交差点
(添削後)
渋谷 かの甘栗の香の交差点
(添削後)

中七の「香を行く」は面白い言い方だし、
原句のままでも悪いとは思わない。

かたや添削句は、
冒頭3音の「渋谷」で切れる変則的な形。
もしかしたら、
助詞を省略した主語のつもりかもしれないけど、
「渋谷は交差点である」という文は成立しないので、
冒頭3音で切れた二句一章としか解釈できません。

まあ、
たしかに原句の「行く」は蛇足なので、

それを省くとしたら、
甘栗の香立つ渋谷の交差点
甘栗の香が満つ渋谷交差点

のようになるでしょうか。



清水アナ (Twitter)
秋時雨 傘握りしめ交差点


中七の「握りしめ」は、
次につづく動詞の省略を仄めかす連用形ですが、
「立つ」の省略なのか「歩く」の省略なのか不明瞭だし、
曖昧な言い方でお茶を濁したようにも見える。

たとえば最後に助詞を補って、
「握りしめ十字路に」と書けば「立つ」の省略になり、
「握りしめ十字路を」と書けば「歩く」の省略になります。

…しかし、そもそも、
「時雨・傘・交差点」という句材は当たり前にすぎるし、

動詞「握りしめる」の一語だけで、
詩情や心情を十分に喚起できるとは言いがたい。
もうすこし何か具体性が必要なのでしょうね。



白石聖ちゃんの横浜港シンボルタワー。幻想的!





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最終更新日  2023.10.23 12:56:22


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