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↑小文字で書くと、まだしも可愛いけど、大文字で書いてみたら、もっとヤな感じだ。仁くんが、「アネゴって呼んでいいっすか」って言った瞬間、わたし自身が「ヤメテくれええええっっ!」と叫びそうだった。個人的には、林真理子の原作って聞いただけで、わたしはかなりマユツバつけたい気分なんですが、ドラマのほうは、くやしいけど、けっこー面白かった。ともさかりえちゃんの、あのフンニャリした演技。思わず、うまいッ!と笑いころげ。「女はちょっと天然入ってるぐらいじゃダメ。」それは、たしかにそうだけど、でも、篠原涼子ちゃんが演じる主人公は、桜の木の前で泣いてるぶんだけ、まだ可愛げがあります。むしろ、見逃せないのは、戸田菜穂のほう。涼子ちゃんより、彼女のほうがはるかに筋金入ってる。最初の合コンシーン。まったくしゃべらず黙々と食べてましたけど、あそこまでツッパるってのも、なかなか、できるもんじゃないです。(~~;でも、あの役を、戸田菜穂みたいな色気のある女優にさせるのは、たぶん、それなりの意図があってのことだろうから。そのうち戸田菜穂が大泣きするシーンとか、ありそう。たぶん、彼女の場合は、モテないというより自分から拒絶してるみたいだし。昔は、それなりに社内恋愛とかもやってて、よくもわるくも、抜け目がない女ってことだから。そもそも、あんなに美人だし。やっぱり篠原涼子ちゃんのほうが、可愛げあります。でも戸田菜穂のほうが先に片付いたりするんだろうな。。とりあえず、わたしは戸田菜穂の行く末に注目。なにはともあれ、林真理子なんぞにダマされませんからーっ!!(ギター侍風)
2005.04.20
ついでに、あたらしいドラマをあとふたつ。 『恋に落ちたら』不必要なぐらいパワフルな演出で、面白かったです。見ただけで、「うわー、これはフジだ。。」と思ってしまった。最近のフジのドラマって、そういうふうに思わせる独自のスタイルとか、力を感じます。ツヨシくんが、母親を連れて、意味もなくアハアハ笑いながら走ったあげく、なぜかドボーン!とプールに落っこちて、運命の出会いになってしまう、というシーン。なんなんでしょうか、あれは。(笑)スゴすぎます・・。荒唐無稽なものを強引に見せつける、ああいう演出って、キライじゃありません。かなり好き。(*~~*)話はまったく荒唐無稽なんだけど、あの無駄にパワフルな演出を楽しみにするだけでも、毎週、見てしまうかもしれません。ああいう演出って、CGうんぬんというより、やっぱり演出のセンスの問題でしょう。とにかくバクハツしてた。つよしくんも、かなりキレてたし、ハワイの海岸の映像も、やたらと迫力ありました。(~~;むかしの、日活とか大映の映画なんかを見てたら、その映画会社特有のスタイルというのがあって、見ただけで、「あー日活だなー。」とか、「あー大映だなー。」と思わせるような、エキサイティングな演出力みたいのがありましたけど、いまのフジTVのドラマにも、同じような力を感じる。ただ、このドラマは演出家が一人じゃないみたいなので、毎回あのレベルにぶち切れた演出が期待できるのかは、ちょっとわかりません。それと、話がメチャクチャなのは別にいいんだけど、てっきり「努力の人」なのかと思ったツヨシくんが、いきなり「天才プログラマー」だったりしたのは、ちょっと興ざめ。それに、話の内容を、急ごしらえでホリエモンへの当てつけにするのも、どうかと思う。まー、フジは、昨年末の『ツヨシ版ツナヨシ』もよかったし、今回のツヨシくんものも、狙いとしてはかなり面白そうに思いました。◇ ◆ ◇ 『タイガー&ドラゴン』前回の単発放送のときみたいな、「うまいっ!」と思わせるほどの話じゃなかったけど、それとはちがう意味で、新しいクドカンかな、と感じました。もしかしたら、今回のクドカンドラマは、ものすごくオーソドックスな「人情もの」なのかも?と思った。下町の風景をとおして、「現代に失われた人情を描く」みたいな。意外に、そういうドラマの王道をやろうとしてるかも。もちろん、それじたいがパロディの可能性も大だけど。(~~;でも、人情ものなら人情もので、それは、クドカンにとっては新しい挑戦なんだろうなと思います。それにしても、ジャニーズ・・すごすぎ。
2005.04.16
『瑠璃の島』、見ちゃいました。あ~、つかれたぁ。やけに、力はいっちゃいました。初回から、かなりズッシリきました。ちゅらさんの二番煎じかなあ、みたいな感じで、はじめはボケーっとして見てたけど、ファーストシーンが繰り返し出てきたあたりから、知らないうちにひき込まれちゃった。日テレ、かなり力はいってますね。今週いろいろ見てて、面白いと思うドラマありますけど、これも、毎回期待して見てしまいそうな感じ。ストーリーはべつにふつうなんだけど、キャストもこれといってどってことないんだけどなあ。なんだか知らないけど、見入っちゃった・・。なんでだろう・・。あー、ズシッときた。そういえば今日、山之口獏を歌ってた高田渡が死んじゃったって。
2005.04.16
20世紀のブラジル音楽は「ボサノバ」を抜きにしては考えられません。そして、ジョビンを抜きにしても考えられない。だけど、それは「ボサノバ」が何よりも重要だからという意味じゃありません。むしろ、ボサノバを中心にすえることによって、逆に「ボサノバ以外」の音楽が見えてくるし、時代的にも「ボサノバ以前」や「ボサノバ以後」の世界が見渡せるようになってくる。つまり、ブラジル音楽の多様性が見えてくる。すくなくとも、わたしにとっては、そっちのほうが重要です。20世紀のブラジル音楽には、アントニオ・カルロス・ジョビンという巨大な作曲家がいます。彼は「ボサノバ」の創始者のひとりといわれてます。南米の国々では、スポーツや文学など、いろんな分野に「英雄」というのが存在しますけど、ブラジルにおける「音楽の英雄」といえば、まぎれもなくジョビンだってことになる。ただ、ジョビンがもっぱら「ボサノバの作曲家」だったのかというと、そうでもありません。ボサノバにとってはジョビンは重要な存在だったかもしれないけど、ジョビンにとってボサノバがもっとも重要な音楽だったかというと、かならずしもそうとはいえないと思います。ブラジルにおいて「ボサノバの時代」というのは、じつはそんなに長くありません。欧米では1960年代後半にボサノバブームに火がつき、現在にいたるまで日本をふくめて世界中で聴かれるようになってますけど、本国ブラジルでは、60年代後半にはボサノバはもう時代遅れになってしまって、聴衆からは飽きられていたようです。なので、ブラジルでボサノバがもっとも流行したのは、1950年代後半から60年代前半までということになります。ブラジルにとって、あるいはアントニオ・カルロス・ジョビンにとって、「ボサノバ」を中心にすえて考えることは、話をわかりやすくするうえでは重要ですが、それは「ボサノバ」がいちばん重要な音楽だという意味じゃなくて、むしろ、それ以外のブラジル音楽の多様性への視界を取り戻しやすくするために重要だってことです。むしろ、ブラジルにおける「ボサノバ以外の音楽」や、ジョビンにおける「ボサノバ以外の音楽」を考えることこそ、ブラジル音楽の面白さを広く理解することにつながると思う。「MPB」(エミ・ペー・ベー)というのは、「Musica Popular Brasileira」の略です。言葉の意味としては、「ブラジルのポップミュージック」というだけのことですが、実際には、この言葉には、もうすこし具体的なニュアンスが含まれています。簡単にいえば、「MPB」という言葉は、「ボサノバ以後の」ブラジルポップというような時代的な意味あいをはらんでいます。つまり、それは、おもに1960年代後半以降のブラジルポップスを指して使われてる言葉のようです。音楽的にみると、その時代のMPBというのは、ブラジルの土着的な部分を強く意識した内容のものが多いように思います。ブラジルで「MPB」が最盛期を迎えた1960年代後半から70年代前半というのは、世界に目を向けると、英米のロックンロールが市場を席巻していった時代に当たります。そして、それは日本でいえば昭和40年代であって、すなわち「演歌」が隆盛した時代にも当たります。この時代に、ブラジルで「MPB」が登場したのは、ひとつはボサノバ・ブームに対する反動があったからだと思います。ボサノバは、ある意味、「都会の優雅なお坊ちゃんたちの音楽」だったし、べつの面からみれば、「欧米に迎合した音楽」だったと思う。そういうよそよそしい音楽に嫌気がさしてきた頃、もういちど、“どっこいブラジル人”みたいな気質があらわれて来るのは理解できないことじゃありません。もちろん、その当時、世界市場を席巻しつつあった英米の音楽に対する反発というのも、ドメスティックな音楽が生まれてくる原因になっていたかもしれません。(こうした背景を考えてみても、ブラジルのMPBと、日本の演歌とのあいだには、共通点があるような気がする。)とはいえ、ブラジルのMPBが、たんに英米のロックに反発した音楽だったかというと、むしろじっさいは逆で、カエターノ・ヴェローゾやミルトン・ナシメントを聴いてみればすぐわかるように、彼らはむしろ、貪欲にロックンロールの刺激を取り入れています。MPBというのは、世界市場を巻き込んだ巨大な変化の中で、ブラジル国内のドメスティックな衝動をはらみながらも、同時に時代の刺激を貪欲に吸収してつくられていった音楽だった、といえます。ジョビンもまた、この時代になると、みずからが生み出したともいえる「ボサノバ」から距離を置くようになります。わたしがそのことをいちばん感じるのは、73年の『Matita Pere』というアルバムですが、それがボサノバとの訣別だったとまでは言えないまでも、すくなくともそこに、ブラジルの土着性へ回帰するような精神があったことは疑いありません。もともとジョビンは、幅広い音楽的な背景をもっているミュージシャンなので、時代の変化によって、どんどん表現が変わっていくのは不思議なことではありません。彼の音楽的な素養は、ジャズ、クラシックから、20世紀初期のブラジル歌謡に至るまで多岐にわたってます。ボサノバを生み出した当時、彼のいちばん近くにあった音楽は、たぶんジャズだったんだと思う。ボサノバは、作曲にジョビンがかかわったとはいえ、実質的にはジョアン・ジルベルトやスタン・ゲッツがジャズの形式をアレンジすることによって生まれた音楽だったといってもいいくらいです。それに対して、ジョビンが「ボサノバ以後」の音楽において発揮したのは、むしろクラシックやブラジル歌謡に近い部分だったんだと思う。そして、それを体現したのが、クラウス・オガーマンやバンダ・ノヴァだったんだろうと思います。「ボサノバ」はジョビンの一部ではあっても、すべてじゃない。彼の音楽世界には、ボサノバをはるかに超えていくような部分があって当然です。そして、60年代後半以降のさまざまな時代の変化が、彼や、ほかのブラジルのミュージシャンの表現を変えさせるきっかけになったんだと思います。60年代後半のブラジル音楽に変化をもたらした原因のもうひとつに、ブラジルにおけるエコロジー思想の潮流があります。すでにこの時期、ブラジルでは、大規模な開発によるアマゾンの森林伐採が深刻な状況を見せはじめていました。そのため、ブラジルでは世界に先がけてエコロジー思想が人々の中に芽生えてました。MPBが土着的・内陸的な要素を強めていった背景には、たんに「ボサノバという都会の音楽、海岸の音楽からの脱却」というだけでなく、あるいは「英米の音楽への反動」という意味だけでなく、もっと積極的な意味で、「ブラジルの大地」を見つめなおそうという動機があったんだろうと思います。・・・//手抜きですみません。こっちからの転載です。→http://maikamaika.hp.infoseek.co.jp
2005.04.13
だいぶ時間がたちましたけど、今クール見てたドラマのうちで面白かったものを、せっかくだから、あと2本挙げておきます。『Mの悲劇』と、『87%』。◇まず、『Mの悲劇』。もともと、TBSのドラマは、フジとかにくらべて、いまいち新しさやパワーを感じないんだけど、それでも『Mの悲劇』は、かなり満足できました。サスペンスもので、こんなふうに映像の美しさに力いれてたドラマっていうと、去年、中居くんがやった『砂の器』を思い出すんだけど、今回のほうが、もっとよく出来てると思いました。わたし的には、今後のTBSのドラマは、この「サスペンス路線」と「クドカン路線」に期待できる感じです。◆『Mの悲劇』の内容は、長谷川京子ちゃんがストーカー的な攻撃をしてくる前半部分が、すごく脚本が緻密で、よくできてると思いました。京子ちゃんの憎悪はただの「逆うらみ」だったんだけど、逆うらみに至るいきさつが、共感してしまうだけの説得力があった。音楽も効果的で、最後の主題歌でカタルシスに落ちるまで、追いこんでいくような盛り上げ方が、毎回ワクワクものでした。わたしは、てっきり最後まで京子ちゃんの攻撃が続くんだと思ってたので、途中で稲垣君と京子ちゃんが和解してしまうのは予想外だったし、そこから「第二幕」みたいになっちゃって、佐々木蔵之助が物語の前面に押し出てくるのも、意外でした。佐々木蔵之助の攻撃がはじまる「第二幕」というのは、もう、ドラマの最後のほうだったので、とつぜんメチャクチャな展開を最後につけたしたような感じで、脚本的にも、穴が多い感じはしたんだけど、個人的には、メチャクチャな展開って、キライじゃないので、終盤に、どんどん話がメチャクチャになっていくのが、逆に面白かったです。最後は、過去の人間関係がカラミにカラんで、だれがだれを恨んでたのか、ワケがわかりませんでした。(~~;でもって、話はメチャクチャなのに、ひたすら佐々木蔵之助の異様な迫力だけがきわだっていくのが、なんか、ほとんど笑えたというか、面白かったです。それと、このドラマはキャスティングがよかったと思う。稲垣君はあのまんまとしても、京子ちゃんとか、伊部雅刀とか、佐々木蔵之助とか、それぞれ存在感がすごく出てて、それだけでも豪華な出演陣みたいな錯覚ができたし、吉行和子とか、岡本綾とか、それから吉岡美穂にいたるまで、ほんとにキャスティングはみごとで、完璧だったと思う。◇日テレの『87%』のほうは、なんとなく、出演陣とか、地味な印象だったけど、でも、脚本は堅実だったし、毎回、次週を楽しみにできるだけのものがありました。本木雅弘と夏川結衣の演技もしっかりしてて、わたしとしては、十分満足できました。日テレは、ちょくちょくいい仕事してると思います。このあいだ、よるドラの『百年の恋』が再放送してました。本放送のときは、この日記でとりあげなかったんだけど、これも、けっこう好きなドラマだった。三島由紀夫みたいな、あるいは三隅研次の映画みたいな、(↑といっても分かりにくいかも)やたらにシャープな雰囲気が気持ち悪いくらい画面にみなぎってて、どう見ても宇宙人にしか思えない江波杏子とか、異様な演出が、かなり斬新だった。ただ、作品の印象がどうしても地味で、放送期間も短かったので、あんまり人気が出なかったんじゃないかと思う。よるドラの場合は、人気のあるしなしでDVDになったりならなかったりするから、好きなドラマが人気ないと、ちょっと悔しい。(べつに、DVDを買うわけじゃないけど)「よるドラ」のなかで、ああいう異色な作品も面白いなー、と思ってたのに。そのほかにも、「よるドラ」の好きな作品で、この日記にとりあげなかったものはあって、そうのへんのドラマのことは、音楽とかドラマの総合サイトをつくったので、そっちに書いてあります。↓http://maikamaika.hp.infoseek.co.jp/index.html◇ ◆ネットの反応とか、新聞の批評とか、そういう評価だけでドラマの良し悪しが決められるのって、しょーがないところもあるけど、自分の好きだったドラマがダメ扱いされるのも悲しいし、せっかくいいドラマなのに、瞬発的な反応で吐き捨てられるのも、作った人たちも気の毒だなあと思うし、できれば過去のドラマも、機会を見つけてとりあげてみたいです。
2005.04.09
テレビドラマ、今季はどこも不調だそうで、『渡る世間』の好調だけが目立ってるんだそうです。いまやってる、NHKの夜ドラ、『恋せよ乙女』の続編。なんていうか、やけに作りが凝ってますね・・(~~;最初からDVD化を意識してるというか、マニア向けになってるというか、ある意味、男の子向けになってるというか・・。『ハナコさん』と『ちゅらさん』と『ニコニコ日記』を、たして3で割ったようなものをめざしてると思うんだけど、たしかに、くりかえしの鑑賞にも堪えるぐらい、セリフのやりとりといい、小物の使い方といい、細かいところまでよく丁寧に作り込んであると思います。東京の風景も、まあまあ可愛く撮れてるし。わたし的には、前回よりも面白くなったと思います。(~~)* * *前の冬ドラのことを総評的に書こうと思ってたんだけど、やっぱり、いまになって思うと、『彼女が死んじゃった。』がいいドラマでした。あのドラマが、わたしの冬ドラ・ベスト。俳優はだれが良かったかというと、助演の女優では『砂の器』の松雪泰子ちゃん。助演の男優は『新選組』の江口くん(坂本竜馬)かな。・・松雪泰子ちゃんは素晴らしかったです。いままであんまり気にしたこともなかったんだけど、なんか悲しみが滲み出るような雰囲気の演技だった。・・江口洋介も、今までイイって思ったことなかったんだけど、坂本竜馬はなんかハマッてたと思うし、いいです。彼は現代劇より時代劇のほうがいいのかも。主演のほうは、女優では、何といっても木村佳乃ちゃん。助演の良し悪しは演技力でハッキリ決まるけど、主演のほうは、演技力だけじゃなくて、なにかドラマをひっぱるだけの魅力がないとダメですよね。だから、主演でよかった人を決めるのって難しいけど、その点、『彼女が死んじゃった。』の佳乃ちゃんは、本当によかったです。わたしが好きだった『ニコニコ日記』のときも、木村佳乃ちゃんは出てたけど、あのときドラマをひっぱってたのは、あきらかに子役のほうの女の子で、佳乃ちゃんの存在はそれほど強いと感じなかった。でも、今回の『彼女が死んじゃった。』は、ドラマじたいが佳乃ちゃん無しに成り立たなかったと思う。そのぐらい、ドラマを引っぱる魅力でした。いっぽう、決めるのがむずかしいのは、主演男優。だいいち、冬ドラのときは、剛くんに、中居くんに、慎吾ちゃんに、長瀬くんと、みごとなまでにジャニーズオンパレード。だれが良かったかを決めるのは難しい。『砂の器』の中居くんも意外性だったし、『僕カノ』が剛くんなしにありえないのも当然なんだけど、いま思うと、やっぱり『彼女が死んじゃった』の長瀬くんがよかった。(*~~*)はじめのうちは、ちょっと表情が硬い気がしたけど、最後は、見事に、役そのものになってました。わたしは当初、主演男優賞は『新選組』の慎吾くんだと思ってました。っていうか、『新選組』は配役がみんなよくて、慎吾ちゃんもけっこうハマリ役だと思ってたから。でも、いま現在、後半の放送が続いてますけど、新選組を結成して、その活動が本格化するにつれて、(みなさん当初から言ってたように、)ちょっとメンバーの性格が、やっぱり子供っぽく思えてきた。ただ、これってすごくむずかしい。たぶん新選組のドラマのテーマにかかわる問題なんだろうけど、しょせん新選組って、血気さかんな田舎の若者が集まって作ったものだから、たぶん、三谷幸喜は、あえてその「若気の至り」ぶりを強調するようにして、今回のキャスティングと役作りをしてるんだと思う。だから、「若さ」が目だつのは演出上の狙いなんだとも思う。そうは思うんだけど、いまの慎吾くんの演じる近藤勇に、多くの浪人を惹きつけて引っぱるだけの魅力があるかな、と思うと、ちょっと疑問にも感じる。近藤勇の実直な性格が出てるというよりも、ただの「良い子」みたいに見えてしまうんだよね・・。その辺を、これからどう演出するのかが、今後の『新選組』の見どころだと思ってます。あ。そういえば、ドラマをやってるときは、『チョマ神』がベストだと言ってたんでした。(~~;;時間がたつと、『彼女が死んじゃった』の印象が強く残ってる。もちろん、『チョマ神』よかったです。ドラマをほとんど1人で成立させてしまったという意味で、宮崎あおいちゃんの力量もすごかったと思うし。脇役もみんなよかった。(~~)最後に、音楽はどのドラマが一番よかったかというと、うーん・・。やっぱり『チョマ神』の小六音楽か、『彼女が死んじゃった。』のショーロクラブですが、どっちか決めるのはむずかしいです。
2004.05.30
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆NHK23時ドラ、『ドリーム~90日で一億円~』について書いていきたいと思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2004.04.03
いま、日本の大人たちの社会が、「いかりや長介」の死を真剣に受け止めているのは、なんだか変な感じもする。「ドリフ」というのは、けっきょく私たちの時代の文化だったんだし、それはどちらかというと「子供の世界」のことだった。本来、大人たちがまじめに取り合うような世界じゃなかった。その子供たちの世界のことを、いま、大人たちが真面目に語ってるのを見ると、なんだかあべこべな感じ。というか、わたし自身が「気づいたら大人だった」ってことなんだけど。。◆ ◇「8時だヨ!全員集合」というのは、子供たちの世界だった。わたしも、そこにいる子供のひとりだった。わたしたちは、志村けんやカトちゃんと一緒になって悪フザケをしていたし、いかりや長介が怒って追いかけてくるのを、笑いながら逃げ回るのが楽しくてしかたなかった。わたしたちにとって、「いかりや長介」が死ぬということは、もう悪フザケをしても、だれも怒って追いかけてくる人がいない、ということ。この喪失感は、やっぱり子供たちのものでしかない。カトちゃんも、志村けんも、仲本工事も、高木ブーも、みんなわたしたちと同じような子供だったし、「いかりや長介」というのは、その子供たちにとって、共通の畏怖とからかいの対象だった。後になって、いかりや長介が俳優として活躍しているとか、「いかりや」を漢字で書くと「碇矢」だったとか、彼のじっさいの人物像がどんなだったかとか、そういう知識は、わたしたちにとっては後付けのものでしかなくて、けっきょく、「ふざけてると怒って追いかけてくるいかりや長介」というわたしたちの原風景は何も変わらない。わたしは急に子供になる。考えてみたら、わたし自身が「いかりや長介の子供」だったって思う。ここ何日間かで、そのことに気がついた。良かったんだか悪かったんだか分からないけど、わたしたちはそういうふうにして育ってきたんだと分かりました。
2004.03.26
わたしはべつに尾崎豊を好きじゃなかったし、好きになれなかった。彼の歌になにか意味があるとも思わなかったし、彼が死んだときも、ただ無残としか思えなかった。でも、今になってみると、彼や、彼に共感していた人たちの、世の中に対する「やり切れなさ」みたいなものが、だいぶ理解できるようになったし、なんとなく愛しく思えるようにもなった。もちろん、この時代になったからといって、尾崎豊のメッセージそのものが、何か「意味」をもつとは思わない。それでも、むしろ、尾崎豊を通して、いろんな人が集まること、それ自体に、いまの時代の「意味」があるんじゃないかなあと思う。いろんな人が集まって尾崎豊を歌うことは、尾崎豊その人をリスペクトすることでもあるけど、むしろ、それ以上に、彼を通して、そこに集まった人が、互いに互いをフィーチャーしあいながら、互いに互いをリスペクトしあう場になってるんじゃないのかな。いま、ミュージシャンのあいだで、そういうことができる雰囲気になりつつあるんだと思います。ここ最近の、坂本龍一のパフォーマンスなんかを見てても、わたしは同じようなことを感じたんだけど、さまざまなミュージシャンが共同で作品をつくるとき、いろんな人がコラボレーションで一つの作品に収斂させる、というよりは、むしろ、お互いが異質であることをそのままに、お互いの存在や、お互いの表現を尊重し合おうとしてるように見える。音楽がそういう場であることが求められてるのであって、そこでは「作品の完成度」とかは重要じゃないのかもしれない。場合によっては、作品として破綻しててもかまわないんじゃないかとさえ思う。今回、「尾崎豊」を通して起こってる事も、そういうことじゃないかと思ってます。
2004.03.21
今季の終了ドラマ、総評します。数日中に、主演俳優賞とかを勝手に決める予定です。ヽ(~o~)ノ「彼女が死んじゃった。」「僕カノ2」「砂の器」につづいて、今回は、とりあえず前半が終了した「新選組」を。(→これまでの内容については1月18日の日記で。)
2004.03.14
しょーがないから買いましたよ・・文芸春秋。でもいまいち読む気になんない。読んだら何か書くかもしれませんけど、このまま読まずに終わるかも(笑)で、受賞作のほうは読んでないんですけど、今回の受賞さわぎから距離をとろうとして、必死に言い訳を書こうとしてる選考委員のみなさんの文章を、とてもおもしろく読みました。(~~;それから、いろんな有名人が、「自衛隊派遣に賛成か反対か」について書いてるのも、ついつい読んじゃいました。(~~ゞなかでも、賛成or反対はともかくとして、梅原猛と久世光彦の文が、スゴイというか、かなり笑えた。◇ ◆そんなネタはともかくとして、わたしは以前から思ってたんだけど、日本の若い世代の「文学性」を考えるうえで、いちばん重要な人は宇多田ヒカルちゃんじゃないのかな。彼女の詞のことが、意外に世間で注目されないことが、私には不思議。たしかに歌のセンスも、メロディメーカーとしての才能も素晴らしいけど、それだけじゃなく、彼女はじつは作詞の能力が秀でてると思う。生まれ育ちからいって、どうしても「音楽的才能」ばかりに目が向けられてしまうんだろうけど、なぜもっと彼女の詞を深く読もうとしないんだろう。今回の芥川の選考委員の人たちの選評を読んでても、「作品を通して、若い世代の心象とか孤独が読みとれる」みたいなことが書かれてた。(シンタロウあたり。龍も。)でも、そんなものを読もうと思うんだったら、まず宇多田ヒカルちゃんの詞の世界を、読みこむべきだと思う。今の世代の孤独や希望のありかたについて、ちゃんと表現されてる。若い世代からムリに「文学的才能」なんかを探すんなら、まず彼女が、何を歌ってるのかをよく聴くべき。彼女のほかにも若い世代ですぐれたソングライターはいます。でも、内容の現代性、抽象度の深さ、思想性の高さ、表現の新しさ、そういう点では群を抜いてると思うし、同世代への影響力もメッセージ性も強いし、詞のレベルは、かつてのユーミンなんかより、はるかに上だと思う。ちなみに、去年の「反戦ソング」といえば、真っ先にスマップの『世界に一つだけの花』が思い浮かびますが、もうひとつ、もっともすぐれた反戦ソングが、ヒカルちゃんの『COLORS』だったと、わたしは思います。
2004.02.11
前にもののけ姫のこと書いたもんだから、つい「ミカド世界によるエミシ差別」とか考えちゃって、そしたら、「伊勢による出雲差別」みたいなこともあったかなー、なんてところから、・・じゃあ出雲と東北が太古の昔につながってて、出雲の昔の高層建築と、山内丸山の縄文の高層建築が・・、なんて、あーだこーだと勝手につぎつぎ考えたんだけど、実際の歴史は、そんなに簡単じゃなさそうでした。(~~;;;でドラマなんですけど、松雪泰子ちゃんが出てきてから、ガゼン、おもしろくなった。とくに、日本海のほうに行ったあたりから。あそこから、ただの推理サスペンスじゃなくなっちゃって、すごい話になってきたよ・・って感じだった。中居くんと境遇が似てるのね。。。(T_T)配役的にも、まあ中居くんは中居くんとして,渡辺謙も、べつに「世界的俳優」ってほどの存在感が出てるわけでもないし、ほとんどドラマとしての緊迫感は、松雪泰子ちゃんひとりでもってる気がする。こんな女優さんだったんだあ・・と発見でした。原作も映画も知らないから、わからないんだけど、中居くんの役って、ずーっとクールなままなのかな?それとも、最後に豹変するんですか?だとしたら、ちょっとコワーイッ!!。(>∇<)。
2004.02.09
ってことで、今クールのドラマも、だいたい出揃ったと思うんだけど、とりあえず見逃せないのは、『ちょっと待って、神様』と、『僕カノ2』なのですが、あとまぁ『新選組!』も見とくとして、そのほかに、もうふたつ。『彼女が死んじゃった。』そしてなんと、もーいっこ、ダークホースは、教育土7の『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』(~~;;ですっ!◇高橋愛ちゃんが、ちゃんと標準語でしゃべってます。(~~;(高橋愛ちゃんって美人ね)でも、そんなことより見逃せないのは、「イボりん vs うぃ~っすバカ」の、・・じゃなくて、「尾美としのり vs ジェイ・カビラ」の、超・特殊ティーチャー対決。ぜったい見逃せません。2人とも、そーとー変です。必見です。土曜日も仕事がある人は、がんばって7時まで帰宅して、家族そろって、「7時のニュース」ではなく、『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』を見るべきだと思います。
2004.01.20
『彼女が死んじゃった』 ・・よかった。・・『僕の魔法使い』、『すいか』と来て、いまの日テレ土9は、「もーなんでもできるだろ」みたいな自信があるみたいね。前半の、長瀬君と木村佳乃ちゃんのくだりは、なんだかもう、奇跡的なぐらいにカッコ良かった。もー、これなら永遠に見ていたいって感じ。途中からは、またちょっと『すいか』みたいになってたけど・・。(~~;;『すいか』が嫌いなわけじゃないけど、どーせなら、最初のカッコよさのまま押し通してほしかった。でも、ま、来週も見てみよっと。じつは恭子ちゃん大スキ(*~ ~*)なんで、見てるだけでドキドキしちゃうし。(『ミニモニ。ブレーメン』については20日の日記で。)
2004.01.19
毎日ドラマのことばっかり書いてると、「家でドラマばっかり見てる」みたいで、なんか「おばさん」と思われるみたいな不安にカラレるのは、なぜなんだ。そんなにドラマばっか見てないよ。ホントだよ。全部チェックしてるわけじゃないよ。たまたま気にいったの見てるだけだもん。主婦じゃないもん。◇ ◇・・ってことで、「三谷脚本だから期待する」みたいな考えは、ぜんぜん無いんだけど、この大河ドラマは、見たらけっこー面白かった。そもそも、『大河ドラマ』なんて、ただ年表見せられてるみたいで、いままでロクに見たことないんだけど、今回の大河の、ある意味、「豪快なワカリやすさ」は、スゴク好き。岡本喜八みたい、っていったら、ホメ過ぎかもしんないけど、(つーか古いよ。)先週の、黒船の大砲発射に超ウケてる坂本竜馬とか、いつ「ドリフ化」してもおかしくない、優香やらドンドコ山口やらの、アブナイ雰囲気とか、とつぜん鳴り出すオペラみたいな音楽とか、もー、なんか、気分は「ジョン・健・ヌッツォ」です。
2004.01.18
なぜかドラマの話から始まるわけです。(~~;◇これでもかってぐらいの二番煎じだったんだけど、内容的には前回よりパワーアップしてる感じ。私、りん(娘)を愛してないっていう、りょうちゃんの苦痛の告白が、すべてをつないでしまった。『僕生き』にも、こんどの『僕カノ2』にも、会話のなかで、よく敬語が使われる。前の『僕が生きる道』のときに、主役の2人が会話につかってた敬語は、まあ、「上品な雰囲気」ぐらいの印象だったけど、でも、今回のりんちゃんが父親につかう敬語は、ぜんぜんちがう。りんちゃんは父親にも母親にも愛されてない。要するに、この家族は、3人とも「他人」。そういう意味での、つめたい敬語。この異様な敬語の意味が、りょうちゃんの一言でつながっちゃった。この「疑似家族」がどんな結末を向かえるのか、1話と2話のこの密度が、最後まで続くのか、かなり不安なんだけど、(~~ゞでも、つらくても、最後まであきらめないで頑張ってほしい。この手の物語は、すこしでも真実に近い表現をしてみる責任があると思う。
2004.01.16
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