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ホーボー?ホウボウ?ほうぼう?何だかわかりますか?何のことは無い「魚」の名前です。漢字で書くと「魴鯡」この「ホウボウ」なんですが、最近、私の勤め先のレストランでのメニューにもよく登場します。旬は冬、何でも雪の降っている時期に、脂がのって美味しくなるのだとか。鳥羽の水族館に行くと、たくさん飼われているのをめにすることができます。一目で「ホウボウ」と分かるのはその大きなヒレが特徴だからです。ホウボウの胸ビレは非常に大きく、光を受けると虹色に反射します。水族館で泳ぐその姿を遠めに見ると、水の中で鮮やかな蝶が舞っているようです。さて、このホウボウ、ちょっと変わった名前ですが、名前の由来はいくつか説があって、頭が角ばっているから「方(形状)の頭」という意味で「方頭」が訛ったものだとか、釣り上げた時に鳴き声を発する、それが「ボゥーボゥー」と鳴くので「ホウボウ」になったのだとか。英語名はどうもこの鳴き声を発する生態が由来のようで、Gurnard(ガーナード:文句を言う人、の意)と名付けられています。ちなみにフランス語ではGrondin(グロンダン)多分、英語とよく似た意味だと思われます。もうひとつ、ホウボウの名に由来するのが、その姿のもうひとつの特徴である、「脚」。脚といっても魚に脚はありませんが、ホウボウはエラの下辺りから三対のカニやエビの脚に似た触手を持っています。この触手の先は、人間で言う「舌」つまり味覚を持った器官が付いていて、白砂の底をこの脚を使って探り、餌が見つかったところで大きな口でさらって飲み込むという習性があります。海底の白砂の上を、餌を求めてあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、、、ほうぼう歩き回る姿から「ホウボウ」になったとも言われています。鯛と同じく赤い色をした魚なので、めでたい席の折にも使われ、赤ちゃんが生まれて生後100日目~120日目に行われる「お食い初め」の儀式にはこの「ホウボウ」を用いる習慣もあるのだとか。フランス料理ではブイヤベースの材料のひとつとしても使用されます、また、旬のものならば、ポアレにして軽いバターソースやトマトソースとの相性もよさそうです。…でも、それだけではただの「美味しい料理」に過ぎません。腕のいいシェフが材料を吟味してこの魚を調理すれば、それはただの「とても美味しい魚料理」に変わりはしますが、それでもただの「とても美味しい魚料理」ともいえます。ぶっちゃけて言えば、「印象に残る美味しい料理」「感動を与えるとても美味しい魚料理」としてお客さまに提供するためには、先に述べたような「ホウボウ」にまつわる「言葉」が必要になるのです。サービスマンが料理を美味しくする技術とは、、、(続く、、、)↓「ポチっ」と押してやってくださいませ。人気ブログランキングへ
Jan 31, 2007
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「美しい国、ニッポン!」安倍政権が誕生して所信表明を行って以来のスローガンですね。ところが「美しい国、」を掲げてからでも、政治家の方々の不祥事やら汚職やらポロポロ出てきて、マスコミには揚げ足を取られちゃったりするわけです。「言ってることと違うじゃん。」みたいにね。会社で例えると「社訓」みたいなもんなのでしょうが、特に不祥事を起こして再起しようとする大企業なんか「お客様へのサービス第一」を謳うようになります。この「社訓」というもの、主たる目的は「お客さまへの広告」つまりコマーシャルであることが多いのです。その証拠に「企業理念」などが書かれたポスターをわざわざお客さまの目に付くところに飾ってあるのをよく見かけます。最近では病院なんかもそうですね。受付の上に「私たちは真心を持って治療に取り組みます。」なんとかかんとか、、、ある意味、こういったことを事務所の中に隠さずに表立って掲示してあるのもサービスであるとはいえます。「商品の質を向上させました!」と声を大にするのと同様、{私たちの会社はこんなに努力していますよ」ということを公にして、「ホンマかいな」というお客さまの目をプレッシャーにしていくという手法ですね。しかしながら、なかなか実践できている企業が少ない、また少ないなぁと感じるのは、そもそもそのスローガンが「理想・目標」であるからです。理想や目標であるからスローガンになりますし、理想や目標であるということはスローガンに掲げられた姿まで、現実の姿が至っていないのは当然のことなのです。では、現実の姿とは?本当のところ、第一の目標は「会社として儲かること」ではないでしょうか。儲かること、つまり「お金」がたくさん入ってくることですが、決してそれは悪いことではありません。むしろ、大勢のお客様が来る、多くの金額を使っていただける、ということは、自らの仕事が評価された証でもあるからです。美味しい料理を提供できたから高価なコースを召し上がっていただける。サービスが良かったから再び来店していただける。そうすればお店は儲かりますし、儲かるお店は更なるサービスがお客さまに還元できるというものです。「儲かる」ということはあくまでも結果です。スポーツの世界でいえばチームの勝利ということになりますから、勝たないと意味がありません。サービスマンとしても同じことで、プロとしての自覚があるのなら尚更です。良いサービスを続けることによって、お店が流行るということは、プロとして結果を出すということに他なりません。…では、やっぱり儲かればいいんじゃないかということになりますが、そこでお店にとっては「儲ける」までのプロセスが幾千通りもあるということなのです。「いい料理を作る。」「いいサービスをする。」手法は様々です。ところが、「不正をする。」というプロセスでも儲かるのは儲かるのです。「結果」が出せないとサービスマンも含めた社会人としては失格です。しかし、そこへ辿り着くまでの過程「プロセス」は社会人を作るためにあるのではなく、「人」を作るためにあるのです。「結果とプロセスは両方とも大事です。結果を出せないと、この世界では生きていけない。プロセスは野球選手としてではなく、人間をつくるために必要。」とは、「プロ」野球選手、イチローの言葉にもあります。(続く、、、)
Jan 26, 2007
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自分で言うのも何なんですが、、、、お客さまから「笑顔がステキですね~。」とか、「いっつも笑ってますね~。」と、お褒めの(?)言葉をいただくことがたびたびあります。ホンマです!で、私も関西人としてのスピリットを胸に秘めていますから「そうですかぁ~、ありがとうございます。でも、営業用の顔なんですわ。」と、ちゃんとオチを付けて返したりしております。まぁ、対お客さまの会話としては、ここで「ハハハ」と笑いを取って終わりなんですが、後輩のスタッフに諭すときにはここでは終われません。本当に「笑顔」は営業用の必要不可欠なアイテムであり、プロフェッショナルとしての使命なんです。とある後輩の弁。「いやぁ、忙しくなってくるとボク目つきが悪くなっちゃうんですよね~。もとから笑い顔の人とかトクですよね~。」はっきり言いますが、美男美女の差はあっても、好印象か悪印象かは自らが生み出すものです。「もとから印象の好い人」などは、居てません。私もさほど、四六時中笑い顔をしているわけではありませんし、いっつも笑ってはいません。あらゆる舞台に登場する「役者」という職業の人々がいます。彼らはプロフェッショナルです。役者は、舞台の幕のあいだから一旦お客様の目の前に登場すれば、その役柄になりきらねばなりません。悲しみを表す役柄であれば悲しみを、喜びを演じる役柄であれば喜びを表現せねばならないのです。ちょっとばかりお尻がカユいからといって、ポリポリと掻くわけにはいかないのです。我々レストランのサービスマンにとって、ホール・ダイニングは舞台なのです。舞台に立つ以上は、稽古を積み、立派に「サービスマン」として振舞う必要があるのです。本当の舞台とは、お客さまの視線のその先である、ともいえます。それが国立劇場でも、路上のストリートミュージシャンでもお客さまの視線が舞台なのです。だから、お客さまに見られている、と感じたその瞬間にサービスマンは「笑顔」でいなければなりません。舞台に立ってしまったら、プロフェッショナルとして演じなければならないのです。「それは至難のワザですね~。いつ見られてるか分からないじゃないですか~。」そのとおり!ならば方法は2つしかないのです。ひとつは、常に笑顔でいること、それが至難のワザであるならば、自ら進んで舞台に立てばよいのです。つまり、我々がお客様を「見る」ということ。それも、注意深く、さりげなく、さらにまんべんなく、、、そうすればお客さまの視線が何処に向かっているかが分かります。その先に我々が「笑顔」で立つべき「舞台」があるのです。(続く、、、)
Jan 22, 2007
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このところ、「レストランサービスを向上させるには」というテーマでずっと書いています。まだまだ実務的な内容には行き着いてないのですが、そもそもどうして「サービスを向上」させないといけないかという話になるのですが、、、「サービス」という言葉の中には、色々な意味が含まれています。奉仕、給仕、仕えること、、、私の勝手な解釈なんですが、レストラン業務における「サービス」の意味に「情」という言葉も含めていいんじゃないかと感じてるんですけどね。「情」、「情け」です。レストランにはお客様も来られますが、部下や後輩のスタッフ、食材業者さんなんかも来る。我々は「サービス業」なんですから、何らかの形であるにせよ「情」を持って接しないといけない。「情けは人のためならず」ですね。さて、仏教の説話の中にあの世での食事の話があります。人間は死んだら、天国や地獄に行くのですが、生きているときの所業によって様々な場所に行くのです。死んだ、といってもあの世でも腹が減る(?)こともあります。それで地獄も天国もまぁ、現世でいうレストランみたいなものがちゃんと用意されているんですって。食卓は円卓で、みんな一緒に食事をするわけです。ぐるっと周りを取り囲むような形で。テーブルの中央には美味しそうな料理が。この季節だったら鍋とかもアリですかね~。「美味しそう、、、」と思って箸をのばそうとすると、、、実はこのとき、仏様から手渡されている箸が異様に長い。自分の身長ほどもある長い箸だそうです。目の前にある料理を何とかつまむことはできても、箸が長すぎて自分の口に運ぶことができません。いろいろと試してみますが、やっぱり自分の口にうまく届きません。料理は冷める一方です。…で、どうするか?テーブルを囲むお互いが、長い箸を利用して正面の人の口に料理を運んであげる。これが正解。我も我もと先を争って、料理を奪い合っていては、いつまでたっても自分のお腹は満たされません。これが「情」を持った人の、また「サービス」というものの、考え方のひとつでは無いでしょうか。情けは人のためならず。現代では、「情けをかけることは、その人にとってよくない。」なんて意味に間違ってとらえられがちな格言ですが、実は、「情け」とは人に行う行為であったとしても、人のためでなく、自らにいずれ還ってくる。という意味なんですね。「サービス」もまず、自らが行ってこそ初めて意味が現れるわけです。だから、商売するにしたって、雇われて働くにしたって、「サービス」する気持ちが無いってのは、「情」が無いことでもあり、「情」が無いってのは、「なさけない」という事になってしまいますね。
Jan 19, 2007
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サービスを向上させる手段の一つのキーワードに「笑顔」というのがあります。「笑顔でお客様をお迎えします。」「いつも笑顔でお出迎え」「スマイル¥0」数々のサービス業で、スローガンが掲げられています。スマイルトレーニングや、最近じゃ「笑顔コンサルタント」なんて職もあるんですね。何でですかね?別に笑顔じゃなくったっていいじゃぁないですか。美味しい料理を作ってくれて、聞いたことには答えてくれて、注文したものを待たされること無く間違いなく運んでくれれば、、、スタッフの側にしてもそうです。「楽しくないのに笑えない」「忙しくて笑顔ができない」、「人間だからそんな時も、、、」理由はいろいろあります。しかし、「笑顔が出来ない」、というのは卑怯なことなのです。笑顔は人に「与えられるもの」であるからです。サービスという言葉の中の意味の一つとして「持っているものは与えなければならない。」という思想があります。持っているものを与えるという意味で例を挙げると、お金持ちはお金持ちなりに、社会へ還元・奉仕するべきであるということです。昨今ではマイクロソフト社のビル・ゲイツでしたでしょうか、引退の後に手元に残った数億ドル(数千億ドルでしたっけ?)の資産を奉仕団体に寄付するというニュースもありました。ノブレス・オブリージュ、「高貴なる者の義務」と訳されます。力のある人はその力を他人のために使わなければならない。その義務を果たしてこそ、「高貴なる者」であるのだと。では、それはお金持ちやリッチな人々の話ではないか。リッチな人間でないと他人に与えられるものが無いじゃないか、という話になります。とある調査において、「世界で一番リッチな有名人は?」という問いかけがありました。その中の答えに「マザー・テレサ」という答えが多く見られたのです。マザー・テレサはお金というモノの大小で見れば、必ずしもお金持ちではないでしょう。貧しい人に施しをするにせよ、それは金銭ばかりでも無さそうです。しかし、「彼女には人に与えられるものを誰よりもたくさん持っている。」というのがその答えの意味でした。自らの体力、時間、そして心を惜しみなく与え続けることが出来たからです。他人に与えられるもの。それは必ずしもお金とは限りません。モノだけでもありません。お金もモノも無くても、体を使った奉仕の方法もあります。多くの国において兵士が尊敬されるのは「勇気」が称えられるからです。他人に物事を教えること、これも自らの「知識」を与えることが出来るという点において尊いことです。また、明らかに無力とも見て取れる生まれたばかりの赤ん坊が、他人に微笑みかけることによって幸福感を与えることが出来るというのも事実です。サービスマンがお客さまに与えることが出来るもの、それは美味しい料理を作る技術や、ワインなどのアイテムに関する知識ばかりではありません。レストランサービスの現場において、もちろん料理に対する技術や、深い知識などは目に見えない「与えられるもの」のひとつです。しかし、それが自分には無くても、たったひとつの微笑だけであっても、心地よい一瞬をお客さまに与えることは出来るのです。他人に「与えられるものを与えない」ことは卑怯なことなのです。サービスマンにとって、「笑顔でお客様に接すること」は「与えるべきことを与える」義務です。しかし、義務であるからこそ、それを果たしたときにプロフェッショナルとしての「誇り」を感じることが出来るのです。 (続く、、、)
Jan 17, 2007
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スマイル¥0とあるファーストフード、ハンバーガーの大手チェーンのメニューボードには必ずこの「メニュー」があります。 本気で「スマイル下さい!」という注文はなかなかありませんから、大体、中高生の罰ゲームなんかで遊ばれていることが多いようです。 「スマイル」を間違って、「スモール下さい!」と言ってしまうと、「ポテトのSですか?お飲み物ですか?」と聞き返されてしまったり、また。「スネイル下さい!」なんて言ってしまった日には、カタツムリ(スネイル:sanil)をお持ち帰りする羽目になってしまうこともしばしばです。(↑ありえないって!) さて、この「スマイル¥0」日本人の感覚ではちょっとした「シャレ」として受け止められていることが多いようです。 ところが、よくよく考えてみると、「スマイル」が「¥0」であるというのが効果的な宣伝文句であるというのは、もともと「スマイル=笑顔」も本来は有料であったというのが大前提であるからです。 金額の大小に関わらず、商品の販売価格には「サービス」に値する、「笑顔代金」が含まれています。サービスとは、原材料なしに行えることであったとしても、「価値のあるサービスに」はそれなりの「価値」があります。価値のある「サービス」を無償で提供します。というのが「スマイル¥0」の意味なのです。 我々が考える「サービス」の漠然としたイメージとはちょっとかけ離れてくるかもしれません。 日本に初めて「サービス」という言葉が用いられたのは大正の末のことといわれています。当時、日本の自動車会社の社長がアメリカを視察に訪問した際、「サービス・ステーション」なる施設に感銘を受けたことから始まりました。 この社長、非常に便利だということで、日本にも「サービス・ステーション」のシステムを早速、導入してみようとしました。さて、施設はできたのですが、「サービス・ステーション」に対する適当な和訳する言葉が見当たらない。「サービス」には「奉仕」などの訳があることにはあったのですが、どうも今ひとつだったようで、結局、「サービス・ステーション」は「サービス」の語を残したまま、現代に至る、というところのようです。(続く)
Jan 15, 2007
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サービスが、「サービス業」として、成り立つには、古代から現代へと至る道程の中での変化がありました。ひとつは、もちろん貨幣制度の発達です。知識や技術、センスや気持ち、心などが必要な商品であれば、対価としてのお金が支払われることとなります。また、人間の移動が「サービス」を「業」として具体化したともいえます。人の移動とは、平たく言えば、「旅行」です。現代におけるホテル産業がサービス業界の代表的な産業であるのは、この「旅行」を請け負うからです。その昔、人々は聖地への巡礼のために旅に出ました。当初は、人々は旅の途中で眠るために野宿をしたり、また、修道院などの教会の施設に泊めてもらいながらの道行きです。1400年代に入る頃でしょうか、巡礼者が旅をする途中に宿泊する施設が見られるようになります。「モノ」として残りえない商品、寝泊りする場所や、食事などを提供し対価として金銭を受け取る場所。「Inn」が現れ、これがサービス「業」としての始まりといわれています。1800年代の後半に至ると、「Inn」を単に宿泊の施設としての場所では無く、建物を貴族の館風に仕上げ、来客を徹底的にもてなすことを目的とした施設が現れます。ホテルリッツの創設者、セザール・リッツによるものです。リッツは「Inn」を「貴族の館」、つまり「Hotel」と変革したのです。サービスを向上させることによって、サービスの「価値」が高められることが、証明されました。当然、優れたサービスの方が、より高価で提供されることとなったのです。(続く、、、)
Jan 12, 2007
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「サービス」とは古代において「奴隷」の営みでした。「奴隷」というと、非常にネガティブな響きを伴う言葉です。近代の例でいえば、アメリカにおける黒人の奴隷がすぐ頭に浮かびますし、差別的に使用する感が強いのも確かです。しかし、もっと古代に遡れば、あながちそうでもなさそうな意味がありました。例えば、近年の古代史研究では、「ピラミッドはエジプト王が何万人もの奴隷を酷使して建てさせた」という説が、実は、古代におけるインフラ整備事業の一環として、つまり、多くの人口に何らかの仕事をわざわざ創設することによって、雇用を生み出していたのではないかという説があります。また、古代ギリシャにおいて後世に名を残す語部、「イソップ」は奴隷の身分であったものといいます。また、古代ローマ帝国創設期、ユリウス・カエサルがポンペイウス劇場でブルータスの一味に暗殺された事件において、危険を顧みずカエサルの遺体を引き上げに向かったのは、他でもないカエサル家の使用人、奴隷であったといわれています。古代ローマ帝国において、奴隷とは戦争に負けた側の人々でもありました。ヨーロッパの各地においてローマ帝国と一戦を交え、敗れた側の人々がローマ帝国領内で有力者の家に召抱えられました。ローマ人が更なる軍役で家を留守にするあいだ、屋敷の主人に代わって家の切り盛りをする。それが「奴隷」の役割でもあったのです。フランス語にメートル・ド・テル(maitres d’hotel)という言葉がありますが、メートル(maitrs)とは、「主」の意、ド・テル(d’hotel)は「館」ですから、直訳すれば「館の主」という意味ですが、館の主は本来、その館の持ち主であって、その主人をメートル・ド・テルとは呼びません。 メートル・ド・テルとは、「館の主人に成り代わって、来客をもてなす者」として意味が変化しました。現代において「サービス」は礼拝や、祭式において、、、人が神に仕える公務や軍務において、、、人が国家に仕える給仕・サービス業において、、、人が人に仕えるなどの意味が本来はあります。では、「仕える」「奉仕する」とは?対価が等しいものを交換するにあたり、古代では物々交換が大前提であったはずです。形ある「モノ」と「モノ」との交換であったのですが、交換できる「モノ」が無い場合、自らの知識なり技術なりを交換しました。知識や技術、そして心や気持ち、センス。これらはすべて目に見えないものです。目に見えないもの、これらに「価値」が存在するもの。それらが、名前を付けられて、「サービス」と呼ぶようになったのです。(続く、、、)
Jan 11, 2007
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昨日の続き、、、「レストランサービスを向上させるには!?(その1)」・返品、交換はできません・保証期間はありません・買った瞬間、なくなります・お試し期間はありません・お持ち帰りは不可・ネット販売も不可・ご来店以外は販売できません・お取りおきもいたしません・必ず人手がかかります・転売不可・同じ商品を好む人と好まざる人がいます…なんだかとんでもない「商品」のようです。 ところが、この「商品」、普段あたりまえに眼にしている「サービス業」が販売している商品なのです。日本国内にも多くのサービス業があります。従事する人数の多さや、店舗数の多さからいっても、その中核をなしているのは、レストランやホテルでの「サービス」であるともいえます。 例えば、ある製品を買ったとします。車でも掃除機でも何でも構いませんが、財貨として手元に残る「商品」があります。しかし、「サービス」という商品はレストランで食事をしても、ホテルに泊まっても、演劇を鑑賞したとしても、手元には何も残りません。 美味しい食事をした。心地よいホテルに泊まった。いいサービスマンに遭った、、、 購買する側に残るのは「形ある」商品では無くて、「思い出」という形の無い商品です。 「モノより思い出」昨今のテレビコマーシャルで使われているキャッチコピーです。確か日産自動車でしたっけ?。日産という会社は、当然のことながらクルマを売っているわけです。クルマは手元に残る大きな消費財なのです。それでも商品であるクルマの性能を謳うより、クルマを手に入れた後で生まれるであろう「思い出」が商品の魅力としているのです。 この「魅力」、本体に付随する付加価値に過ぎませんが、それこそが「サービス」と言われる商品でもあるのです。サービスの変革とは、実はこのことにあります。本来は「おまけ」についてきた「付加価値」であったはずのものが、欲しい、欲しくない、の判断の基準になるからです。 飲食業という範疇において、現代の日本で提供されるすべての料理は、少なくとも値段に見合っています。 高級店とファーストフードを比較すれば、ということではありません。150円のハンバーガーには150円の値打ちが、10000円のディナーには10000円の値打ちがあるという意味です。 また、乱暴に「すべての料理~」というのは、値段に見合ってないところは遅かれ早かれ消えていくからです。と、なると「10000円のディナー」なら「10000円のディナー」を提供するお店どおしの差が問われるようになります。そこに現れる差異こそ「付加価値」であり、「サービス」の差なのです。「モノより思い出」多くの人々がこの言葉を耳にする以上、いずれ「思い出」が残らない商品はダメ商品という認識が常識になるかもしれません。(続く、、、)
Jan 10, 2007
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とある日のこと、私の勤務先のホテルのレストランに10名ほどのグループのお客様の予約が入りました。 お客様は隣町のレストランのスタッフの方々。他ホテル・レストランへ研修の意味をも兼ねての食事会を設けられました。 で、ご予約の際にちょっと相談されたのが、“サービス”を教えてほしい。というものでした。 さて、「サービス」と一口にいっても、レストランサービスの方法論は、それこそお店の数だけあるといっていいくらい様々です。A店で好評であったサービスが、B店ではマイナスになることもあります。「“サービス”を教えてほしい。」という質問はちょっと漠然としていますよね。果たして私どもが他の人に教えられるようなノウハウがあるのかどうか、、、じゃあ、一体、「サービス」とは何なのか?私にもあらためて問われると良く分かりません。とりあえず、デイリーコンサイス英和辞書(三省堂)を引いてみました。Service:奉仕、職務、公務、軍務、兵役、(役所などの局、部、課、、、などなどの文字が並びます。現在、日本で一般に使われてる「サービス」の意味と、本来のServiceの意味は少々かけはなれているようです。Serviceは「奉仕すること」であり、一方、例えば関西で「サービスしてえな!」とおばちゃんに言われてしまう。いわゆる「まける」という意味合いとは違うようです。 サービスService。先のデイリーコンサイス英和辞書のServiceの項目のそばに、Servant(サーバント)という語彙が見られますが、どうも語源を同じくしているようです。Servant(サーバント):使用人、召使、従業員、、、と、あります。「サーバント」とは、そもそもローマ帝国の時代に発生していた「奴隷」にその意味を発します。「奴隷」、なかなかネガティブな言葉です。そのために、辞書においては「使用人」「僕(しもべ)」などの言葉に置き換えられているようです。ところで、テニスやバレーボールなどの球技で、最初に打ち出す球を「サーブ」といいますが、コレさえ、球技が発祥した当初、プレーヤーどおしの間に最初に玉をあげる役割の者がいたところに端を発します。 その者が、貴族に仕える使用人であったり、召使であったりしたことから、「サーバントが投げる球」→「サーブ」になったといわれています。また、ホテルに到着すると、フロントの脇にうやうやしくデスクを構えている方を見かけることがあります。彼らは、「コンシェルジュ」と呼ばれるスタッフ。漫画の題材にもとり挙げられたこともありますから、ホテルの花形職かも知れませんが、この「コンシェルジュ」、そもそもは「コン・セルヴス」コンは「~仲間、~たち」という意味で、セルヴスは「奴隷」という意味でしたから、コンシェルジュ=奴隷仲間という意味でもあったのです。サービス業に携わる我々にとっても、少々ショッキングなお話かもしれませんが、実はそういったところに発端はありました。しかし、古代の歴史をひも解いてみれば、そうであったにせよ、時代を経て現代では「サービス」の意味は大きく変わってしまいました。 さらに言えば、この10年、15年においても日本の産業という大きな視観のなかでも変革が起きているのも確かです。(続く、、、)
Jan 9, 2007
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明けました。明けましたのです。2007年が。(すんません、、、なんせ喪中なもんで、挨拶がヘンですね。)…といっても、もう既に1週間も経っています。明後日から普通に学校も始まるじゃぁないですか。 明けまして、、、というには遅すぎますね。それは置いといて。そして、記念すべき2007年、第一弾がなんと「メートル・ド・テル徒然草」ブログ開設以来300件目の日記。ちょっとズルもしてます。1月1日の時点で、287件目だったので、さかのぼって2本を去年の年末分に書き足しましたけどね。我ながらよく続いたものです。最初は日記の記入率も70%を越えてたんですけどねぇ。去年の半ばくらいから中だるみになって、現在52%。がっつり途切れ途切れの更新になってしまってます。それでも、日々アクセスはあるものです。少ないときでも40くらいありますから、ありがたいものです。 なんだかんだで、結構Yahoo!などの検索エンジンに引っかかります。分からないことをネットで調べようとすると、思わず自分のブログが引っかかったり。うーん、あんまりレストランのサービスマンの方のブログって見かけないですもんね。現場の声が知りたいなぁ。一年半前にブログをやり始めた動機と、現在では多少心境も変わっているのではないかと思います。私にとって去年という一年はホンマに最悪でしたもん。多分ね。いろんな方に心配もお掛けしました、迷惑も掛けました、、、そこで、新年にあたって今年の目標!唐突ですが。「今日出来ることをひとつ」それだけなんです。ブログを書く。メールを送る。友人と話す。本を読む。ジョン太くんに餌をやる、、、何でもいいんです。明日、朝目が覚めたときに、「あー。コレをやっておけばよかったなぁ、、、」と思わないような出来事をひとつ。 そう、今夜この一件のブログを書いてないと、明日からの分が書けないんです。 パンツはいてないような、気恥ずかしさというんでしょうか。張り切って表に出る前に、パンツはかんとね。右からはくのが正しいか、左からはくのが正しいか、そんなんで悩んでいるより、どっちゃでもいいからとにかく扉を開けて表に出ないと。いっちゃえ、いっちゃえ。つれづれなるままに、、、
Jan 7, 2007
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