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当店でもメインディッシュの後にチーズを提供しています。チーズの種類は日によって変わるのですが、6種類~10種類。チーズにはいくつかのタイプの違いがありますので、それぞれ風味の違う物を取り揃えます。 写真で掲載しているのは、「サント・モール・ド・トゥーレーヌ (Saint-Maure de Toureine)」サイズは300g弱。サント・モールに限らず、山羊のミルクから製造されるチーズはいくつかの特徴があります。 形状はやや小振りな物が多く、円筒形、ピラミッド型、円盤形などユニークな形状が多々見られます。第二に、切り口は白色で、牛乳のチーズのようなクリーム色ではありません。そして、酸味が強く、ハ-ブのような(と、私はお店では表現しているのですが、正直にいうと古い壁土の臭いや、蒸れた畳の臭いに近い気がしています。)味と香りを備えています。 サイズが小振りであるのは、牛と違い一度に多くの乳を得られないことが考えられます。また、牛は年中乳を出すのですが、山羊は春先にしか乳を出しません。そのため、秋から冬に掛けて製造される山羊のチーズ、シェーブル(Chevre)は冷蔵保存された乳を使用し、春先の「旬」のミルクを使って製造されるシェーブルは夏に出回る物です。 色が白くなっているのは、山羊という動物そのものの特性によるものです。と言うのは、牛も山羊も羊も「草」を食べて育つのですが、食べた「草」には黄色い色素を持った成分「カロチン」(現代では「カロテン」と学校では教えるそうです。)が含まれます。この「カロテン」を牛は体内で分解できません。そのため、カロテンは乳などの分泌物に含まれて体外に排出されることになります。そのような体質の違いから、牛乳を固めたチーズは黄色くなり、カロテンを体内で分解、吸収してしまう山羊や羊のチーズは白いのです。 写真に見られるサント・モール。表面に黒くまぶしてあるのは、「灰」です。「灰(サンドレCendre)」は、主にわらを燃やしたもの、あるいはチーズによっては葡萄の枯れ葉を燃やしたものが使われています。灰は表面を適度な湿気を保つための保護膜となり、防虫・殺菌の効果もあるそうです。 また、味わいにヨーグルトのような酸味が強く感じられる山羊乳のチーズには、この「酸」に対し灰のもつ「アルカリ」性の成分が作用して中和を働きかけ、味わいをマイルドにするといった効果が見られます。と、まあ、こんな風にお客様には説明することもあるのですが、、、「へぇ~、そうなんですかぁ!?ところで本で読んだンですがぁ『やまひつじ』のチーズっていうのは、どれなんでしょうか?」「は?、やまひつじ?やまひつじ、ヤマヒツジ、山羊… …お言葉ですが、それは、『やまひつじ』じゃなくて、『ヤギ』でございます!」
Jan 28, 2006
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ホリエモンが逮捕されたその時間、僕は大阪十三の「養老の瀧」でくたびれた親父さん達に混じって、先輩と未来について語っていた。 養老の瀧にはテレビが備え付けてあり、音声は絞られて聞こえ無いのだが、画面には首都高を連なって走る白いワゴン車と警察関係の車。…ああ、この映像のBGMには「中島みゆきの『世情』」が似合う。そう思った。♪時の流れ~を止めて 変わらない夢を~見たがる者たちと闘うため~僕達の世代なら誰もが覚えのある「3年B組 金八先生」強烈に印象に残ったひとつのエピソード。警察が学校にやってきて教師を監禁した不良生徒を次々と連行していく。スローモーションでその様子が延々と流され、そのBGMが「世情」だった。不良少年のリーダー格であり、事件の発端となった男が「加藤」ところが彼の吐く言葉は、現代の中学3年生の言葉とは懸け離れた大人びた言葉だったのだ。「古いオヤジ達が俺達をこんな風にしたんだ!」ホリエモンも似たようなことを言っていた。 僕達は、高校に進学してから、中学の時はおとなしかった癖に急に不良ヅラするヤツラを「高校生デビュー」と呼んでバカにしていた。ホリエモンは大学生、あるいは社会人デビューだったのかも知れない。当時の不良少年達は「腕力」に訴えたが、ホリエモンは「金の力」だった。そして、どちらも「暴力」であった事にに違い無い。「加藤」は確かにヒーローだった。でも、それは桜中学を卒業するその瞬間までの話だ。
Jan 25, 2006
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先日、1月18日付けの日記で、「西洋料理」とはいづれも「火を通すこと」が大前提の概念である。と、申し上げたばかりなのですが、フランス料理には古くから「ステック・タルタル」という生の肉を食べる料理があります。 ステック、とは、ステーキの事。「タルタル・ステーキ」の名前でも呼ばれ、日本ではメニューに載せているところは少ないかも知れませんが、パリのビストロなどではよく見かけました。 タルタルステーキとは、基本的にはケイパー、玉ねぎなどのみじん切りを加えたマヨネーズソースを作り、ソースをミンチにした牛肉と和えて食するといった料理です。 主にフランスではこの作業をホールで行うため、サーヴィスマンが作って提供するところから各種サーヴィスのコンクールやサーヴィス技能検定の試験課題として扱われることも多いようです。 本来、生肉を食べる習慣の無かったヨーロッパにおいて、この料理が広まったのが実に8世紀という古い時代。ジンギスカン、そして大モンゴル帝国があった頃、蒙古系部族によって伝えられた名残りだそうです。 タルタル(Tartare)の語源を遡ると古代テュルク語で、「他の人々」という意味のTatar(タタル)という言葉でした。そのためタタールの名は、その名が用いられる時代と場所によって指し示す民族が異なっています。 現在では、ロシア連邦内のタタールスタン共和国に住むタタール人、ウクライナ領のクリミア自治共和国に住むクリミア・タタール人などが自称の民族名としてタタールを称しています。中国の少数民族のひとつタタール族は、中国領に住むタタール人のことです。 また、日本では古く樺太と現ロシアの海峡及びその内陸を韃靼(だったん)と呼びましたが、これもタタールが訛ったものと言われています。 料理法としてのタルタルは、大モンゴル帝国の領土拡大とともに広まっていきました。もともと騎馬民族であったモンゴル帝国は遠征先で運んできた食料に尽きると、自らが乗ってきた馬を食したのです。 この時の料理法が現在でいうタルタルであり、また、この手段によってモンゴル帝国が人類史上最も領土の広い国になったことのひとつの原動力になったといえます。 この「馬肉食文化」が西方に向かって広まっていく際にその名をタルタルと変えて現在に至ります。また、ドイツの都市ハンブルグに語源を発する「ハンバーグ」。非常に身近な料理となっていますが、牛肉のタルタルを焼き上げたそのスタイルのルーツもここでしょう。 大モンゴル帝国は東方にもその勢力を伸ばそうと試みました。日本史にも鎌倉時代の出来事として残る、「元寇」です。 元と呼ばれたモンゴル軍は火薬などの新しい文化を東の果て、日本にまで影響を及ぼしました。そのうちの食文化のひとつが「馬肉食文化」だったのかもしれません。現代でも九州の熊本県や、対馬などにおいて馬の肉を食べるという文化は残ってきました。 さらに隣国の韓国では、フランスのステック・タルタルと同じものが、「ユッケ」と呼ばれる料理となっています。
Jan 24, 2006
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「甘口ワインへの見解」 ここ何日かは、「こう見えてもソムリエでんねん」シリーズが続いています。ワインには皆様何かとご興味があるようで、訪問者数も随分と伸びています。 本日はとある方より、「甘口ワイン」に対するネタフリがあったので、今日は甘口ワインについて語ろうと思いましたが、やめました。 甘口と辛口の解説をする前に「酵母」という名の生き物の行動を知る必要があると思われたからです。「酵母」とは、読んで字のごとく、「西孝の母」つまり、「ニシ・タカシくんのおかあさん」という意味からきました。ウソです「菌」です。酵母という響きには化学のような小難しさがありますが、れっきとした生き物です。 さてこの「コーボ」生き物ですから、食事もしますし、ウンコもオシッコもするわけです。他に何をするわけでもありません。食べて増えてオシッコしてウンコして死ぬるというのが彼等の一生なのです。 コーボの食べ物は「糖」です。ブドウを絞ったジュースの中にはこの「糖」がたくさんあるわけですから、コーボはウハウハなのです。そう、お菓子の家を見つけたヘンゼルとグレーテルのように。 で、コーボは糖をどんどん食べていきます。途中で数が増えることもあります。で、どんどん食べ続けているわけですから、ウンコもオシッコもどんどんします。 ウンコとオシッコと書きましたが、人間はコーボの排泄物であるそれらを「アルコール」と「二酸化炭素」と名付けています。 オシッコの方、「二酸化炭素」は軽いものなので、発酵している桶の蓋が開いていればどんどん空気中に放出されます。出ていかないように瓶の口を閉じたものが「発泡性」ワインとなり、シャンパーニュなどのエレガントと表される「泡」になるのです。実はコーボのオシッコなのにね。 コーボはああ見えて結構意地汚いものですから、どんどん糖を食べていきます。そして、アルコールを排泄していくのですが、いづれ自らが排泄したアルコールの息苦しさによって息絶えてしまうのです。コーボ達が息が詰まってしまうアルコールのパーセンテージというのが、10度から13度までくらいなのです。 大方のワインのアルコール度数がこの辺りなのも、コ-ボのその特性からです。 この時にワインの中にコーボが食べきれなかった「糖」がまだまだたくさん残っていると、それは「甘口ワイン」になります。 コーボが息絶えてしまう理由はアルコールと呼ばれる、自らのウンコまみれになってしまうからだけではありません。 ブドウのジュースの中に含まれる糖をすべて食べ尽くしてしまうと、いずれみんな餓死してしまいます。このとき糖は食べ尽くされて残っていませんので「辛口ワイン」になるのです。ですから、本来のブドウジュースの中に充分な糖分がないと、アルコールも糖分も得られませんので、「濃い、重い、ワイン」にはならないのです。 さらにこのコーボ、何かと寒さには弱いので、寒くなると凍死してしまったり、冬眠することもあります。アルコールがたくさん欲しい場合には、少々暖かくしてやってどんどん働かせればよいのです。 働かせるだけ働かせておいて、糖とアルコールのバランスが取れて、人間がちょうどいい感じと思った頃に、温度を下げると意図的にコーボを抹殺することができます。 まるで「火曜サスペンス劇場」に登場する金持ちの御曹子にもてあそばれる不幸なOLのような扱いです。 そして、、、ああ、憐れな酵母は亡骸を土に返されることも無く、瓶の底に溜まります。この酵母の死体は他の成分とひっくるめて「ワインの澱」と呼んでいるものです。 酵母は死して尚、自らの肉体「タンパク質」を分解させ、ワインの中で「アミノ酸」として液体中に溶けていくのです。そしてこの「アミノ酸」がワインに旨味を加えるのです。 多くの人はご存知無かったのでしょうが、ワインとは人知れぬこのコーボの働きによって生まれてきたのです。なんと立派なことか!今後は最もすぐれたワイン生産者と尋ねられたら、、、、「酵母菌」と答えましょう!って、そんなわけありまへんがな。
Jan 22, 2006
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(昨日の記事の続き…) ところが、近年のワインブームはいきなり赤ワインから入って来るようになりました。先ず「健康に良い」がキーワードとなり、赤ワインの成分のポリフェノールが身体によいとされたためです。 1998年2月号の雑誌「ブルータス」3号連続で刊行された「ワイン特集」は世界的なワインブームを日本における牽引の立役者として盛りたてました。 また、ブームもあってか、初めてに口にするワインが「赤ワイン」であった、という方も多いと思います。さらには95年くらいからの醸造法・栽培法の発達はイタリアのトスカーナの例を見ても顕著なように、「濃厚なワイン」を大量に市場に送りだしたのです。 ブルゴーニュの赤ワインの一部は「軽いワイン」の部類に入るようになりました。これはモードが変化したためで本来の味とは変わらないドメーヌも多いのです。ちなみに私がソムリエ資格を受験した当時、料理に添ってワインを合わせるという設問があり、ボルドーワインの後にブルゴーニュワインを提供するというのが正解でした。 さて、とある大阪北新地の高級クラブでの出来事、、、 新地の高級クラブ(銀座も代表的なのでしょうが、私はよく知りませんので)という空間は一種独特の雰囲気を持っています。惜しげも無く高級ブランデーが夜な夜な抜かれ、原価に見あっているかどうかは知らず、高い金額を払った方が女の子にモテるというシステムで成り立っています。こういった空間では、ネームバリューが高く値段も高いブランド商品を注文することがステータスです。ワインブームの前は「ヘネシー」や「ドンペリ」がその座を占めていたのですが、ワインブームと共に一躍「シャトー・マルゴー」や「シャトー・ムートン・ロートシルト」が有名になってしまったのです。 こうなるとクラブのお姉様方も、ワインをおすすめするようになります。ワインの便利な所は一旦抜いてしまうとその日のうちに飲み切ってしまわないといけない、というのが定説でしたから、チビチビとボトルキープされたブランデーを何日も置いてあるという事態よりも効率的であったといえます。 しかし、問題はその「飲み方」にありました。ソムリエという名称はポピュラーになりましたが、別にクラブにソムリエはさほど必要ありませんし、また、でっかいワインセラーを用意することもありません。 と、なると年代ものであれ、ノンヴィンテージのものであれ、「今夜、××社長が来るから、マルゴーでも持ってきておいて」「○○ちゃんが、ワイン好きな△△さんと同伴するから、ムートンを配達して頂戴。ヴィンテージ?そうねぇ、前のムートンより高かったらいいわ。」と、いうような注文が各々のお酒屋さんに注文が入ります。 ワインの勉強をされている方ならご存知ですが、そこそこのワインは入荷された当日や翌日に販売される事は避けられます。輸送のショックといわれる味の不安定感や、もちろんヴィンテージものには「澱が舞う」といった事も見られるからです。 そういったワインを飲む御大のお父様方は「マルゴー」だから、「ムートン」だから美味しいはず、と思って自分を騙しながら飲むわけです。「こんなん、美味しくないやん」 などとは口に出せません。なにせお勘定には7万円、8万円、10万円、運命の分かれ道!(←知っている人は知っています。)のお値段が付けられるわけですから、脳裏には「1000円のワインと100000円のワインの違いの分からない2流芸能人の姿」が浮かぶわけです、、、 値段の高さが「美味い、不味い」の判断の基準になっていることは昔からあったことです。今から20年ほど前は現在とは酒税の税率が違って、ウィスキーやブランデーは非常に高級品でした。「ジョニーウォーカーの黒ラベル」は「ジョニ黒」と呼ばれ、「カティサーク」と共に重宝に応接間の戸棚に飾られました。ハワイで免税で買った「オールド・パー」をものすごくありがたがってアルバイト先の店長に飲まされたも高校性の頃の思い出となりました。 これらのウィスキー、ブランデー、中身も品質も変わってないのに現代ではエライ扱われ方の違いです。 そうしているうちに、「これが美味しいっていうんだ」と自分で納得する訳です。人間とは必ずしも自分の感情が優先する訳ではありません。頭で記憶したものが美味しさの基準になるといった理由がこういうところです。 こうなると角の取れた熟成の進んだワインは物足りなく感じます。果実味の滑らかなワインには渋味が物足りなく感じてしまう。そうして「とにかく重いワインが好き」派が誕生してきました。 新地のクラブの例は極端な一例かも知れません。しかし、ポリフェノール=タンニン分=渋味、が体に良いと喧伝された以上、渋味が無いのは「体に悪い、あるいは良くは無い」という感覚が生まれてしまったのではないでしょうか。
Jan 21, 2006
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今日はお休みなのですが、一日モヤモヤしております。様々な悩みごとも抱えておりまして、、、 ブログも一気カキしてしまいました。昨日、一昨日の分まで遡って作成されています。あ~あ、明日でもよかったのにィ、、、まぁ、気が済まない性格なのでしょうね。 という訳で、ワインの話なのですが、さてこの「ワイン」そのものの成分はというとほとんどが「水」です。 アルコール、いわゆるエチルアルコールは表示されているように9%~13%、その他の成分、例えば酸だとか糖だとか諸々のものが10%~20%くらい、残りの65%から80%は「水」ということになります。 1000円のテーブルワインでも30万円のロマネ・コンティでも7~8割は水なのです。と、いうことは「重いワイン」の定義とはこの「水」以外の成分にありそうです。 この「重いワイン」というもののひとつには、成分のパーセンテージが多いこと、つまり水が70%~65%くらいということです。 もうひとつは成分自体に多くの要素があり複雑さが強調されているということではないでしょうか。 さて、とにかく「重いワイン」をご所望されるお客様が時折いらっしゃいます。 また、結構な渋味が無いと物足りなく感じられるお客様もいらっしゃいます。 その方々は1997年前後に始まったワインブームからワインを飲み始めた方々に多いように見られます。 そもそも、人間の舌に限らず、外部から受ける刺激というものに対して、嗜好は成長とともに単純なものから複雑なものへと変化してきます。 人間が生まれて始めて口にするものは、母乳、あるいはミルクなどでしょう。幼少期にはオレンジジュースなどの単調な甘味を好み、やがて刺激的な炭酸系のコーラやジンジャーエールを好むようになり、大人になるとブラックのコーヒーなどの甘味成分が無いものなども好んで口にするようになります。 ワインでも本来は同じような嗜好の変化を辿っていました。10年あまり前にはワインを飲みなれていない方におすすめするワインとしてはフルーティなドイツワインが専らでした。アルコール度数も少なくジュースの様な感があったからです。 さて、白ワインに物足りなくなると、次はロゼワインをおすすめします。それからご来店の回数が増えるたびに次は辛口の白ワイン、次は軽い赤ワインと段階を経てワインの好みの幅は変化していました。(明日へ続く、、、)
Jan 20, 2006
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日本でソースといえばどうしても思いついてしまうのが「ウスター・ソース」 ウスターソースの派生から、トンカツソース、お好み焼きソース、もんじゃ焼きソース、焼きそばソース、おたふくソース、、、え、そんなん大阪の人しか興味無いって?と、様々なソースが日本において創られてきています。私の祖父母にあたるくらいの年齢の方からすれば、ソースといえばこのウスター・ソースのことがやはり念頭にあるようで、「フランス料理はソースが決め手」と聞くと、オードヴルから、魚料理、メインディッシュに至るまでが、このウスターソース味で仕上げられているような気になるそうです。 さて、このウスターソースのウスターとはイギリスの「ウースター州」の地名から来ています。本来の名称は「リー・ペリンソース」リーさんと、ペリンさんが共同で立ち上げた会社の名前が「リーペリン」そこで作られたソースだそうです。フランス料理で使用することはあまり無いのですが、例えば冷製のオードブルのひとつ、「小海老のカクテル・ソース」というようなベーシックな料理のこの「カクテル・ソース」を作る際に加えられる材料とされる事があります。 バルサミコはワインヴィネガーの一種です。ワインヴィネガーと書きましたが、ヴィネガー、フランス語でいうと「ヴィネーグル vinaigre」です。そもそもヴィネーグルがvin(ヴァン=ワイン)と aigre(エイグル=すっぱい)という意味から来ていますので、ヨーロッパではそもそも「酢」とはワインが酸敗したものであったのでしょう。 さて、このバルサミコ、20年くらい前から日本のレストランで登場するようになったのでは無いでしょうか。一時は非常にブームにもなり、日本の「ヌ‐ベル・キュイジーヌ」の流行と共によく使用される事が多くなりました。 バルサミコのソースは、日本人にとって新しい驚きであり、また郷愁を感じさせる馴染みの深さがありました。馴染みの深さとは、その香りで、日本の「醤油」と同じく「アミノ酸」が分解した時におきる芳しい香りを備えて居たからです。 実際、バルサミコソースを少量加えて香り付けしたソースは、「ねえねえ、このソースって、隠し味にお醤油を使ってるでしょう。」と、お客様からよく声を掛けられたものです。 最近ではさすがに「バルサミコ・ソース」の名前がポピュラーになったこともあって、ほとんどのお客様は「バルサミコ」の名称はご存知のようです。 バルサミコの「バルサム」とは芳香成分バルサム質と語源を同じくします。子供の頃に工作で使用した大変軽い木材「バルサ材」このバルサの樹液の香りが「バルサム香」であるということです。 バルサミコ酢はイタリア・モデナ州で採れるトレッビアノ種のワインを基に樽で発酵させ熟成させます。生まれでる「アミノ酸」の香りはこの樽で熟成させる際に、年ごとにクリ→クワ→クリ→桜→アカシアと、樽の素材を変えていくことにより複雑味が生まれ、長いものになると100年以上の熟成期間を持ちます。
Jan 19, 2006
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Cooking(英語=料理)Cuisine(仏語=料理)Cuccina(伊語=料理) いずれも各々の言葉で「料理」を表す意味なのですが、日本における「料理」全般の概念とは決定的な違いがあります。 それはCookingはCook、CuisineはCuir、Cuccinaも多分同じ意味からの派生でしょうが、いづれも「火を通す」というところにその端を発するようです。と、いうことは、ヨーロッパにおいてはそもそも「料理」とはなんらかの形で「火を通したもの」であったということです。 そもそも原始の時代において人間と動物を分ける要素のひとつが「火を使える」ということでは無かったのでしょうか。野性の生き物のほとんどは火を恐れます。人間が火を用いることができるのは明らかに文明を伴った行為でした。 一方、四方を海に囲まれ、国土が広くない日本においては料理は異なった発展の仕方をします。すなわち「生」を食すという事です。アジアとヨーロッパにおいても然りで、狩猟民族と農耕民族の差もあったかもしれません。 農耕民族であれば、その場所にあるものを食事の時間に応じて食せばよいのですが、狩猟民族とは移動をしながら獲物を追う生活になるため保存と衛生の意味からも加熱するというのは必須の事であったのでしょう。 ヨーロッパにおいてcuir加熱するとは、火であぶって丸焼きにするのが始まりでしょうが、続いて派生するのが鍋による「煮込み」です。 この、煮込みという方法を用いることにより、骨や筋は固くて食べられ無くても、エキスや旨味は充分に抽出することが可能です。また、煮込みに仕上げた後の液体、つまり汁を一緒に食べることによって、丸焼きではポタポタと火の上にこぼしていた肉汁なども一緒に食するようになることができました。 時代を経てくると、加熱した「主食材」と「煮汁」は分離されるようになります。 この「煮汁」が主材料の横に添えられて「ソース」と呼ばれる形態で現在に至るわけなのです。そのため、主の食材とソースはあくまでもともと一身同体少女隊(←ココ笑うトコですよ)のものであったとの考え方があるのです。 そのため、日本の洋食におけるような、たとえばトンカツにソース派の方が居たり、あるいはしょうゆ派、さらにはマスタードなどの調味料を各々の好みに合わせて使い分けるというものではありませんでした。 フランス料理店でも「カスターセット」とよばれる「塩・コショウ」の道具が卓上にセッティングされていますが、各自の味の好みの調節は基本的に「塩・コショウ」まででしかないということです。 洋食におけるソース類の使い分けは、やはり日本の食文化からの融合であると思われます。といっても、日本食でも「ソース」を後から調味して食べるというのは寿司くらいしか思いつきませんし、日本の古くからでも味付けは下ごしらえの際にほぼ決まっていることから、さほど多いものでは無いように思います。 寿司においても醤油を最後につけます。つける量というのはほとんど、どんな人もそう変わりは無いでしょうから、職人さんがあらかじめ醤油をつけて提供してもよさそうな気がするのですが、この行為こそある意味、寿司という料理の完成の一番最後の「仕上げが食べ手に委ねられる」ということでは無いでしょうか。 逆にいえばこの「最後の味付けの仕上げが食べてに委ねられる」という文化があったため、「西洋料理」が日本に入ってきた際に慣れない味を我がの好みに添わす理由から、塩・コショウに限らずソース、醤油、マヨネーズ、タバスコなどの卓上調味料の多様化があったのだと思われます。
Jan 18, 2006
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フランス料理において「辛味調味料」と呼ばれるものはさほど多くありません。 辛いと感じるモノはコショウとマスタードですね。そしてカイエンヌ・ペッパーぐらいがあるのですが、辛いと感じられるほど料理の中に加えられることは少ないようです。 これは歴史というよりも「風土」にその違いがありそうです。 スパイスが多く採取されるのは、インドや東南アジア。いづれも一年を通じて比較的暑い日が続く地域です。この地域においてトウガラシほかの「辛味成分」を嗜好するのは主に3つの理由が挙げられると思います。まず第一に、保存の問題です。肉類などの保存にあたり、気温の高い地域では保存に注意を払わねばなりません。辛味成分の多くはがわずかながら長期の生肉などの保存には有効なのと、また、いわゆる「臭み」消しとして効果的だからです。ふたつめに、食欲を刺激する効果。誰でも暑くなると食欲が減退します。辛味成分は胃の活動を活発にするため、食欲を増進する効果が認められます。そして、発汗の効果。辛いものを食べると自然に汗が流れてきます。汗をかくことは、外気の気温が上がった時に、体温の上昇を抑える目的があります。 このような風土の違いから、寒い地域ではあまり辛い食べ物は必要がありませんでした。寒い地域とはヨーロッパのほとんど、ロシアですとか、ドイツ、そしてフランスなどに顕著です。 コショウ、マスタード、カイエンヌペッパーについては、肉食に対するアクセントとしての使用が多いと思われます。そのため辛くなるほど多くは加えません。肉の「脂」が、口の中に風味として残りますので、赤ワインの渋味と同じ効果、すなわち、「脂を流す」事を目的に使用されるものと思います。 イタリア料理店における「タバスコ・ソース」の扱いについては、そもそも日本にイタリア料理が入ってきた時にアメリカを経由したことが発端であると思われます。 現在より30年あまり前には、イタリア料理といえば「スパゲティ・ナポリタン]「スパゲティ・イタリアン」そして「ピッツア」こういった料理がイタリアンと呼ばれていた時代があったので、現代のようなピエモンテとナポリ、サルデーニャの差異などあまり問われませんでした。 「イタリアンにタバスコ」はアメリカナイズされた、日本の西洋食文化の名残りでは無いでしょうか。 辛い食物に抵抗が得に無いと思われるのは、現在の25歳から30歳の年代の人々。この世代は中高生時代に「激辛ブーム」がありました。感覚が鋭くなってきた時期に、辛いお菓子などを多く口にしたであろうことは容易に予想されます。そのため、昭和40年代生まれとと50年代生まれを見分けるのは辛いモノを食べさせてみるのもひとつの手です。 実はフランスにも激辛ブームはありました。 それはルネッサンスの以前、1600年前後の時期、貴族社会華やかなりし頃で、ちょうどマルコ・ポーロが東方見聞録を著した時代と重なります。 当時のレシピをひっくり返してみると、現代では考えられないようなスパイスの使い方です。このレシピに従って料理を再現するとすれば、とてもとても辛くて美味しそうには見えません。 しかし、当時の貴族達はこういった料理を美味しいと「思った」に違いありません。なぜなら、スパイスを多用するということは、招いた側の貴族の豊かさの主張でもあり、料理そのものがとてつも無く「高価」なものとなったからです。 しばしば見られるのですが、近年のワインブームからワインを嗜好されたお客様の中には、ワインに対して非常な「濃さ」と大変刺激的な「渋味」を求められるお客様があります。「とにかく重いワインを下さい」と注文される場合のほとんどが刺激的な渋味を持った濃いワインをご所望です。「重いワイン」だから、ジェロボアムやレオボアム、商品が無い時はとりあえずマグナムで勘弁してもらっているのですが、、、え、「重い」違い? そもそもワインをのみ始めた時に、「高級な」ワインがそういったものだと誰かに教えられたからです。 こういったケースについての考察は、近いうちにまたお話しようと思っていますが、数ある動物の中において、人間だけが食に「美味い」「不味い」を求めます。 しかしその「美味い」「不味い」は普遍的な感覚の上に成り立つものではなく、「こういうのを『美味しい』っていうんだ」と教えられた記憶によるところも大きいのです。
Jan 16, 2006
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フランス料理においてスパイスといえば、まず筆頭に挙げられるのがコショウ。 ほとんどの料理において用いられ、味付けすることそのものを「塩・コショウする。」と言われる程で、西洋料理の基本中のの基本が「塩・コショウ」です。 コショウという「種子」は他の諸々のスパイスよりも歴史が古く、紀元前ローマ帝国発祥の折りには、すでにエジプトから後にヨーロッパと呼ばれる地域へ輸入されていまいした。 このコショウの普及が、現代にいたる西洋料理の肉食文化を支えてきたのだともいえます。 しかし、フランスはおろかヨーロッパにはコショウを含むスパイスは生えてはいません。そのため、古くスパイスはその価値は金銀などの貴金属と同じ価値があるといわれてきました。 現代では非常に身近な食材のひとつですが、流通事情が悪かった昔のヨーロッパにおいて、スパイスは防腐効果の目的や肉などの臭み消しの要素が強かったのです。 ヴァスコ・ダ・ガマやマゼラン、マルコ・ポーロやコロンブスが危険を省みず冒険に乗り出したのはこのスパイスを求めてと言う説もあります。また多くのヨーロッパの戦争がスパイス生産地での利権争いであったことも歴史上明らかになっています。 スパイスは現代ではヨーロッパだけでなく、世界各地に流通するようになりました。最も消費量の多いのはアメリカなのですが、次いでドイツ、日本と続きその次にフランスが来るのだそうです。意外に日本の消費量は多く、日本の食事習慣がアメリカナイズされるに連れてこの傾向は強くなった模様です。 コショウには、黒、白、緑の3種類があります。3種類と言ったのは製造の過程での変化による分類で、同じ1品種、おなじ一本の木から製造されます コショウはあまりその栽培の様子は知られていません。 実はその成り方は葡萄とそっくりで、生えてくるツルを柱に巻き付けて育てます。夏に白い花が咲き終わると、これもまた葡萄のような房状に緑色の実が成ります。 黒コショウは緑色の実が色づき始めた頃、摘みとって発酵天日干しします。皮は黒くなりますが、中身は白いままです。 白コショウは緑色の実が熟すのを待って黒く熟してから摘み取り、水に漬けて軟らかくなった皮を取り除くといった方法で作られます。 緑コショウはまだまだ白黒コショウに比べると日本で流通している量はぐっと少なくなります。緑コショウは未熟なままの状態の実を収穫し、塩漬けあるいはフリーズドライにしたものが多いようです。 コショウが英語で「ペッパー」なのはポピュラーなのですが、西洋諸国の言葉では「辛い食物」を指してペッパーと呼んでいるようです。唐辛子も「ペッパー」。ホットペッパーとは「辛い唐辛子」のこと、ピンクレディーの代表曲「ペッパー警部」のペッパーもこの唐辛子のことですな。 ピーマンも唐辛子の一種ですのでその形状から、英語で「ベル・ペッパー」。パプリカ、いわゆる赤ピーマンや黄ピーマンになると甘味が増してきますので、「スゥイート・ベル・ペッパー」になります。ベルペッパーを粉にした物で辛口なのがカイエンヌペッパー、辛くないのがパプリカです。パプリカはハンガリーの発祥で、この「パプリカ」、実は古くモンゴル帝国時代の名残を残す名前で「ペッパー」の語がモンゴル語訛りになったものが「パプリカ」だということです。
Jan 15, 2006
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昨日はとある「物件」についてのミーティング。「物件」とはレストランが創れそうな場所です。…以前から、考えてはいたのですが。理想的な物件があれば、、、昨年の末の事です。ネット上に出ていたとある物件を確認しに大阪市内へと向かいました。ネット上の図面では想像できなかったのですが、割とデザインの施された非常に綺麗なビル、そしてスケルトンの状態の1階フロア。1階に貼られていた不動産業者の電話番号に早速電話をしてみました。「すいません。ちょっとお尋ねしたいのですが、○○ビルの1階テナントは、飲食店は不可ですか?」電話に出られた不動産業者の方は、「あ~、そのビルは飲食店はお断りしてるんですよ。」とのお返事。「あの、飲食は飲食なんですが『フランス料理店』でやりたいんです。」「フランス料理店ですかぁ?うーん、ちょっとオーナーに話をしてみましょうか?」しばらくして返事がありました。とりあえず、内部を見てもらっていいとの事で案内していただきました。広さは約30坪、天井高もあります。入り口はビルが面した前の道路より奥まっているのですが、ファサードになっているため、もし雨が降っても店の入り口でお客様が濡れることもありません。ただ、もともと飲食店が入居することは想定された設計では無いため、ダクト(排気)とグリスト(排水)の設備を設けなければなりません。 それで、この不動産業者の方の提案でビルを建てた会社の方と、私がお願いしようとしている設計の業者の方とを交えて、レストランとして改創できるのかどうかをミーティングしていただいたのです。 これは、不動産業者の方からのはからいでした。他店において、もともと飲食店としての設計を行っていない店鋪を契約していまい、工事が入ってから不備が見つかって追加工事が発生し、予算を上回るケースが多々見られるからだそうです。結果は、、、さて、今夜も初期投資にかかる予算と、売上の予測をあらためて検討してみるつもりです。このお話は始まったばかりです。また、続いてこのブログで話せることもあると思うのですが、、、何かと不思議な縁もあったんです。それはまた、次回に。
Jan 14, 2006
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またまた、しばらくブログをお休みしてました。大体、ブログが2、3日開く場合のほとんどは飲み会疲れ…先日、11日の夜の事です。その夜は、「送別会」と言う名の「飲み会」今回、某ワイン輸入会社にお勤めのKさんが東京に栄転されると言うことで、主に大阪のレストラン関係者、他者のワイン輸入業者さんなどなどが集合することに。Kさんは以前は大阪のあるホテルのチーフソムリエとして活躍されていたこともあっていろいろとお世話になった方も多い様です。一次会は19;30から行われておりましたので、仕事のあった私は2次会より参加。2次会は送別会幹事(?)のひとりでもあるWご夫妻のご自宅へお邪魔することになりました。すでに0時を回っておりましたので、恐縮しながら訪れましたが、、、盛り上がってます。夕方から延々と飲み続けている方、すでに眼がうつろで口数の少なくなっている人。深夜まで話は尽きません。3時を過ぎても夜の仕事が終わって集まってくるメンバーがいます。Kさんのお人柄ですよねぇ。 お住まいは東京へ移されると言うことなのですが、大阪の方も営業でいらっしゃるそうなので、またお会いできそうです。その折はぜひよろしくお願いします。明け方、6時頃のことです!突然、水泳帽に水中眼鏡、海パンをはいた男に襲われて、、、スイマーに襲われて、、、すいまに襲われて、、、睡魔に襲われて、、、目覚めたら9時でした。仕事に行かなければなりません!ごめんなさい、W夫妻 m(ーー)m かたずけも、あいさつも無しに出てきてしまいました。ホンマすいません。ワインもごちそうさまでした。
Jan 13, 2006
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今月30日(月)に「メートル・ド・テル連盟 関西本部」のセミナーが開催されます。 私も役員のひとりであり、98年より細々と続けておりますが、今回で第31回の開催を数えることとなりました。(セミナーの詳細にご興味のある方は、このブログのブックマーク「全日本メートル・ド・テル連盟」ホームページ、「新着情報」からご覧いただけると嬉しいです。) さて、そういった活動も行いながら、様々な場所で「サーヴィス」の性格と「メートル・ド・テル」という職業について話す機会があると、「それで、どんな見返りがあるのですか?」「報酬は上がるのでしょうか?」「仕事の特典はどんなモノがあるのですか?」と尋ねられることがあります。 特典と言えるものはレストランによって異なります。単価の高い所と低いところではお客様の喜びの方向が違います。自身が受け取る給料は高いところもあるし、そうでないところもあります。東京と地方ではまた差もありますし、フランス料理店とイタリア料理店でもまた違いがあります。 拘束時間ということで考えれば、他の職種より長いともいえますし、経営者側であれば「拘束」される時間は「ゼロ」であるともいえます。 仕事の安定性という点では、サービス業という職種の弱い部分です。少なくとも日本において100年ほど前は「サービス」という概念は無かったでしょうし、「サービス」は無くとも社会は機能して来たわけです。不況時には削減の対象の上位に位置付けられますし、「サービス」そのものは「売上」には計上されないため厳密な経営の数値化においてはその価値を評価するのは難しいのです。さて、2006年を迎え、今後レストラン・サーヴィスの将来性とはどうなると思いますか?正直にいって、、、「そんなことは分かりません」分からないから、知りたいと思う気持ちがあり、学びたいという気持ちも生まれてきます。人間の発展のほとんどは「好奇心」から生じたものであることは歴史が教えてくれます。人は、道を進む時、懸命に走る人もいれば、ある人は迷いながら恐れながら道を進みます。 ところが、その道を誰かが開いてくれたことにはなかなか気づかないものです。 最初の「誰か」はこの方向であろうと方角を示し、次の誰かは木を切り倒し、山々を開き、そして大勢に踏まれたところが「道」になりました。 今、それぞれのサーヴィスマン望む将来像こそ、まだ開かれていない未踏の地です。 向うべき方向が正しいかどうかは、まず開拓してみないと分かりません。 誰かが道を通してくれるのを待っているより、それぞれ自らが最初の「誰か」になっても良いんじゃないでしょうか?
Jan 9, 2006
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「勝ち組・負け組」という言葉が流行りましたが、私はあまり好きではありません。と、言うか「大ッキライ」です。今時、「2006年は勝ち組になるぞ~(^^)/」なんて堂々と書いている方を見るとなんだか淋しい気持ちになります。そんなこと意識してるのって「負け組」の人だって、、、そもそも「勝ち組・負け組」が言われ出したのがバブル崩壊後でしたから、もう10年も前になるでしょうか。 当時は、「価格破壊・激安」のかけ声と共に様々な業態でコストの削減が図られました。あちこちのホテル、レストランにおいてもリストラが進み、「バイキング」や「食べ放題」に盛んにシフトしていきました。 無駄遣いを止める事はもちろんいいことです。しかし、「コスト削減」の名のもとに多くの「文化」を一緒に失ってしまったように思います。経験を積んだ料理人は給与が高くなるので配置を異動されました。長く勤めたサーヴィスマンは現場を離れ事務職へと異動されます。 では勝ち組・負け組を測る判断の基準は何所だったのでしょう。多くの場合は「株価」でした。株価の高低を論じるのはほとんどにおいて投資家です。 こうなると、我々などは全くの「負け組」の部類に入ってきます。新聞紙上で取り沙汰されているような、何億円の単位の取引などは全く無縁で、料理でも値段の高価な部類に入ってしまうと、消費者の絶対数は少ないですし、また、流通の面から言っても足を運んでお店まで来ていただかないと全く提供できない訳です。増してや、「サーヴィス」などという形の無いモノを販売する以上、ネット上の取引などあり得ません。もう、ニッチもサッチもどうにもこうにもブルドッ~グ♪、、、て感じですね。「会社は株主のためにある」と言ってはばからない経営者、投資家もいます。 しかし私は、規模の大小はあれ「会社・お店」は第一にお客様の為にあり、第二にそこで働く従業員の為にあるのでは無いかとも思うのです。 我々のような職種や、「職人」として呼ばれる人々は、「勝ち・負け」の基準が違います。お客様が、美味い!と思える料理を作れた。お客様に感動を与えるサービスが出来た。人が美しいと思ってくれる作品が出来た。「勝ち組・負け組」って言葉もそろそろ流行遅れになって来ちゃったことですし、そろそろ新しい価値観が生まれてきてもいいんじゃないでしょうか。
Jan 8, 2006
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pepe犬さんへこんにちは。いつもご訪問頂いてありがとうございます。先日頂いたコメントに返事を書こうと思ったのですが、長くなってしまったので日記の方に書くことにしました。(12月24日「カオリン!?」のコメントより)>やはり絵付けしていても、私が日本人なこともあってみんなの私への期待はジャポネズムやシノワズリで、日本風や中国風のものですね。私は古典ヨーロッパをどんどん描きたいけど、フランス人には見慣れていることもあって(?)全然喜ばれません。 ヨーロッパ、特に文化の発信地であると自負するパリを抱えるフランスにおいては、「文化度」の高いところが常に気に成る様です。 近年ではやはり「中国」でしょう。再来年には北京でオリンピックも行なわれ、経済の成長率は高く、GNPは昨年日本を抜いてしまいました。現在、世界第2位です。 文化は高いところから低いところへ流れる水の様です。 日本におけるヨン様人気など、いわゆる「韓流」は正直にいって日本人が韓国を蔑まなくなった事の表れでは無いでしょうか。 経済的な指標が文化度の高低を決定することは否めません。フランス料理においても、フランスがこぞってジャポネズムを取り入れようとしたのは、間違い無くバブル経済絶頂のの頃。生の魚を食べたり、箸を食卓で使用するようになったりしたのは、1980年代後半から90年代前半です。 フランスという国が他国の文化を融合しようとする姿勢は現代に始まったことではありません。 始まりは「ヨーロッパ」そのものが産まれた頃、つまり初期のローマ帝国の時代に遡ります。 紀元前100年の前後、ローマ帝国はカエサルによって大帝国と成りました。この時治めた範囲が現代に続くヨーロッパそのものであったともいえます。 広大な土地の様々な民族を統治する際に用いられた手法が、日本語訳されると「寛容の精神」と呼ばれるものです。 フランスへ日本人が物事を学びにいったとしても、例えば料理人なら、魚の絞めかただとか、包丁の研ぎ方を教えてくれと頼まれることもしばしばです。 フランスは「寛容の精神」でよかれと思ったものを受けいれ、改めて自らの文化のように世界に向けて発信する。誠にフランス的なやり方ではないでしょうか。 相対して日本は「同化」を求めます。と。いうより、「世間」に入って来ることを望むのです。 例えば、外国人が相撲取りに成ったとします。ヨーロッパ系人種であれ、モンゴル系人種であれ、髷を結わせ、プライベートでも着流し姿を求めます。これは角界に限ったことでも無さそうです。>漢字なんて書いたら、それだけで悲鳴を上げて喜ばれます。 おっしゃるように、フランス人は「漢字」とか書いたりすると興味津々になるとか。西洋において、アルファベットはあくまでも自分の意思を伝える記号のひとつです。カリグラフィーの技法などはもちろんあるのですが、「書」として文字そのものが美意識を持つという感性とはかなり差が見られます。 西洋で発生した「社会」と日本の「世間」との差異があるのは確かです。しかし、どちらが優れていると言うものではなく、キャンバスを油絵の具で塗りつぶす「油絵」と黒の墨の濃淡だけで悠久を表現する「水墨画」との違いに似ていいて、どちらの技法を用いても人を感動させるのことに変わりはありません。 日本のフランス料理業界でいうと、「フランス人では無いから『本当の』フランス料理は成し得ない」という声も聞かれる時があるのです。果たしてそうなんでしょうか? 日本人は日本と言う「世間」の中からしか国際化、グローバルスタンダードを捕えようとしませんが、世界の側から見れば、日本とは世界そのものの、人口でいうとおおよそ60の1の部分に他ならないのです。 …で、そんな事を一介のレストランのサーヴィスマンが一生懸命考えてどーするんだと言われそうですが、、、(^^;)「どーもしない。」のです。「文化」とはそもそも「あんまり役に立たない」モノ、平たく言えば「儲からない」モノなのです。「あんまり役に立たない」モノでも人々は大事にしてきました。そしてそれが後々まで歴史に残った時、「文化」と名付けられたのではないでしょうか。
Jan 5, 2006
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日本で呼ばれるジャガイモの語源は実は東南アジアのジャカルタの地名から。 「ジャカルタのいも」が訛ってジャカルタいも…じゃがたらいも…じゃがいもとなったとか。 フランスでは「Pomme de terre ポンム・ド・テール」と呼びますポンムはリンゴ、テールは土と言う意味 ですから、直訳すると「大地のリンゴ」、リンゴは旧約聖書にもアダムとイブが最初に口にしたト言われる事から、 禁断の実でもあり、また、非常に高貴な果物でもあります。 何故あの形のごつごつしたジャガイモが高貴な野菜であるのか、 それは最初に普及したいきさつに秘密があります。 さて、コロンブスがアメリカ大陸を発見してから月日は流れ、ヨーロッパに続々と新世界の食物が入ってきます。 トウモロコシ、タバコ、トマト、、、そしてジャガイモです。 ジャガイモがフランスへ入ったのは、他のヨーロッパ諸国に比べて幾分遅く、主として貴族の間だけで珍重され、 宴会での珍しい食べ物として試食された程度でした。 17世紀初めのルイ13世時代でも、一般大衆の口には入らず、貴族階級の余興の対象にとどまっていたようです。 しかも、ジャガイモはその芽に有毒な物質ソラニンが発芽の際に含まれたこと、また、ジャガイモは其の一部分を 切り取って植えるとそのまま増えます。この事は当時のキリスト教のモラルに反したこともあって、貴族たちの間 では専ら其の白い花が観賞用に用いられていました。 そんな中、1769年と1771年にヨーロッパは大凶作に見舞われたのです。フランス国内においても、切実な飢饉に見舞われました。 対策を講じていたフランス・アカデミーは、飢饉の際小麦に代わることのできる食物を 賞金つきで募集することになり、セーヌ県の薬剤師オーギュスト=パルマンティエの提案を採用しました。 この新世界の デンプン質も多くエネルギー価の高い野菜です。 飢えたパリ市民たちになんとか普及させようと試みましたが、パリ市民は腹がすていても形の悪い奇妙な野菜を簡単には受け入れません。 そこでフランス政府は一計を案じました。ジャガイモをパリ郊外の宮殿の庭に植え、兵士に見張らせたのです。 見張りは夜も続けられました。が、深夜何時間かだけ見張りが付かない時間をわざと設けたのです。 何が植えられているのかと興味津々だったパリジャンは、大いに好奇心を駆り立てられました。 見張りのいなくなった夜陰にすきを窺って掘り出す者がでてきたのです。 深夜のイモ泥棒を、見て見ぬふりをするよう指導したのは、パルマンティエでありましたが、この策略が効を奏し、ジャガイモの普及に拍車がかかったのです。 この薬剤師パルマンティエの功績を称えて、現代のフランス料理においても、ジャガイモを使った料理には、 「ジャガイモ添え」の意味で、彼の名が使われています。「~のパルマンティエ風」と名の付く料理にはジャガイモが 付け合わせで添えられます。たとえば、マッシ・パルマンティエ、パルマンティエ風オムレツ、また、 「ポタージュ・パルマンティエ」とはジャガイモのスープのことです。 蛇足ながら冷製のジャガイモのスープ「ヴィシソワーズ」は出自がはっきりしていて、 1917年ニューヨークのホテルリッツの料理長、ルイ=ディヤが最初に作ったアメリカ生まれだそうです。
Jan 4, 2006
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2006年を迎えました。今年は戌年ですね。犬といえば私のウチにもプリリィなワンちゃんがおります。←ジョン太くんです!オス、8歳、品種;グレートピレネーこのジョン太くん、とても「ワンちゃん」と呼べる代物ではありません。立ち上がると173センチの私の身長を越えそうです。子供達を背に乗せるその様はまるでもののけ姫のワンシーンを見ているようです。食に対しては非常にうるさく、食事中に邪魔が入ると、とてつもなく怒ります。郵便配達の方々に吠えまくるので非常に不評です。。。「ジョン太くん」という名前もどうかと思いますが、、、しかぁし!我が家では代々、飼い犬は「ジョン」と呼ばれる習わしであったからなのです。私の祖父である故人のジイさんは明治生まれのなかなかのナイスガイでした。「おじいちゃん、今日から新しい犬を飼ことにしてん。名前はコロコロしてるから『コロ』やで。」「お~、そうかそうか、コロかぁ。なぁ『ジョン』」「マルチーズのチェリーちゃんです。」「お~、こりゃまたちっちゃなジョンやなぁ」「ウチの茶色いジョンが、よその黒いジョンと喧嘩しよってなぁ」「おぉ~い、ジョンが柵から出たぞぉ~」…どんな犬でもすべて「ジョン」扱いでした。さて、話は全く変わります。私が以前勤めていた職場に中国、上海からの留学生の女の子がアルバイトで来ておりました。彼女の名前は「ペギー・ショウ」「へぇ~、ショウさんはどうしてペギーなん?」「中国の人は、海外へ出る時に自分の名前の音を当てはめてペットネームを名乗ることが多いんですヨ。私は『ペィセイ』だから、『ペギー』」ですって。そういえば、ジャッキー・チェンの「ジャッキー」もそうですし、ルーシー・リュ-の「ルーシー」もそうですよね。「へぇ~、そうなんやぁ。じゃあさぁ、俺の名前、○ ってひともじの名前なんやけど、中国風に(?)ペットネームを付けるとしたら何になるの?」「そうですネぇ~エルネストサンの名前、私達の国の読み方だと「シュゥ・ティャン・ツィ-」デスねぇ。…うーん、、、『ジョン』ですねぇ。」…ってか、俺もジョンやったんかぁ~!!!!
Jan 3, 2006
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明けましておめでとうございます。(@ ̄∇ ̄@)/どうぞ今年も宜しくお願いいたします。さて、年末よりブログをお休みしてしまいました。ココ何日かの私の「日記」を一挙公開します!事の発端は仕事納めの12月29日、、、忘年会は「焼肉」です!まぁ、我々の仕事柄食べ出したのは12時過ぎからでした。こういった場においては専ら日本酒党な私。しこたま飲んだまま続いてボーリングへ。あ、ボーリングと言っても地積調査の方じゃなくて、スポーツの方です。3ゲーム行ったのですが、アベレージ70と惨澹たる結果に終わり、午前5時前からカラオケへ、、、何曲か熱唱の後、午前7時にカラオケボックスが閉店しました。お開きになるかと思いきや、店のナウなヤングたちは元気な模様で、三宮の某ホテルにて朝食。。。36才を迎えたばかりの私の肉体には少々こたえたのかも知れません、、、30日のすでに9時を過ぎた頃に自宅へと舞い戻った私はそのままコタツで爆睡。ウトウトと寝ぼけたままこの日は過ぎていきました。明けて大晦日の31日。普段から自宅での滞在時間が短い私の部屋は散らかり放題だったので、掃除のために重い腰を上げる。しかし、間もなく妻であるマダムJの里の義母が出てきたのでお相手に一時中断。夕刻より、、、私は中学で柔道、高校ではラグビーと格闘系の出なので何より「プライド」を楽しみにしていたのですが、吉田と小川の対決を見たかったのですが、、、家族だんらんの場では許されず、紅白を見るハメに、、、娘達はジャニーズ系に大喜びなのですが、(xx;)そして元日を迎えました。Bonne Annee!例年、我が家では除夜の鐘と共に初詣でに行くのですが、今年は喪中の為控えることとなります。年が明けた1日の朝。朝から腰痛に悩まされる一年の始まりです。。。年末のボーリングがいけなかったのか、コタツで眠ってしまったのがいけなかったのか、、、腰痛で、また一日ゴロゴロしたまま元旦を過ごしてしまいました。うーん、、、さて、私の店も今日から仕事始めです。年々、自宅で過ごされる方の数も減ってきて外出されることが多くなって来たのか、仕事始めの日が早くなって来ています。とは言え、今日は思いの他お客さまの来店も多く、年の始まりには幸先いいですね。☆m( _ _ )m☆ また、明日からいつもの調子でブログ書いていきます。どうぞ今年も宜しくお願いしますぅ
Jan 2, 2006
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