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E257系5500番台:臨時特急「あしかが大藤まつり」毎年GWに近くなると運転されるあしかがフラワーパーク臨で、2021年(令和3年)までの運転は快速となっていましたが、2022年(令和4年)からは特急列車に格上げされての設定となりました。先日アップいたしました令和6年度も特急列車としての設定は変わりありませんが、発方向が4か所に分散され、さらに運転日や使用車両もバラバラ感のあるものとなり、従来の上野方向からの2往復体制とは大きく異なる設定となっています。この間も特急格上げとなりながら運転形態が変わらなかったため、個別にはアーカイブしていませんでしたが、今後の運転形態が不透明であるため、過去2年分もこの機会にアーカイブしておこうと思います。今回は、特急格上げ時の設定となった令和4年のご紹介です。※撮影は、令和4年4月24日です。E257系 特急「あしかが大藤まつり1号」E257系 特急「あしかが大藤まつり3号」例年どおり2往復が設定され、いずれもE257系5500番台での運用となりました。せっかくヘッドマークの機能がありながらも使用されない点では、他の臨時列車も同様で、記録以外の面白みがない点で残念です。185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.04.30
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東武鉄道 8000系:秩父直通特急「みつみね」東武鉄道では8000系が貴重になってきたこの頃ですが、東上線で8000系が当たり前だった時代、秩父鉄道への乗り入れ特急が運転されていました。東武東上線から秩父鉄道への歴史は長く、西武鉄道や国鉄からも乗り入れがあり、休日ともなれば秩父鉄道は他社線からの乗り入れ列車で賑わいました。しかし、モーターリゼーションや観光客の減少などもあり、40年前から比べれば乗り入れ需要もかなり衰退してしまったようです。全然気にもしていなかったのですが、平成4年3月をもって乗り入れ運転が廃止されてしまったそうです。昭和63年5月5日 武州日野~白久間にて 東武8000系 特急「みつみね」秩父鉄道にC58が走るようになり、初めて撮影に訪れた際、構図合わせ中に偶然撮影したものです。今までただの乗り入れ列車としての認識しかなく、スキャニングもしないままだったのですが、今回アルバムから見つけ出してスキャニングしたところ、種別窓に「特急みつみね」のマークを見つけて驚きました。撮影してから25年間も気が付かなかったのです。これよりさらに前は特急「ちちぶ」が運転されており、過去ログ『東武鉄道8000系:秩父直通特急「ちちぶ」』でご紹介しています。形状は進化しながら、板状の立派なヘッドマークを取り付けて運転されていましたが、昭和62年から種別幕内に愛称が用意され、回転幕に変更になったようです。秩父鉄道の経営悪化、ワンマン化などが乗り入れ廃止に繋がったものと考えられますが、これから高齢化社会が進むと自家用車需要も衰退し、バスも運転手不足に陥っている状況を考えると、鉄道の乗り入れ需要がまた復活するのでは?などと考えてしまいます。
2024.04.29
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国鉄 直流型電気機関車:EF6643EF66シリーズで、43号機です。下関運転所に配置され、本来の貨物列車に運用後、昭和60年3月ダイヤ改正からは東海道・山陽口のブルートレインを牽引しました。ブルートレインの縮小によりJR貨物へ移籍する車両もありましたが、同機はJR貨物へ移籍することなく、ブルトレ廃止までJR西日本に籍を置きました。昭和57年10月4日 瀬野~八本松間にて EF6643牽引 一般貨物列車まだブルトレにEF66が充当される前、貨物列車の牽引を本業としていた時代の1枚です。当時は当たり前の光景であったワムだらけの普通貨物列車。機関車の直後はレムとかレサが繋がっているように見えます。本来は高速用のEF66ですが、運用の都合上でしょうか、一般貨物を牽くシーンは多く見られました。正確な廃車時期が判らないのですが、情報から整理すると2009年(平成21年)9月頃のようです。東海道最後のブルトレ「富士」「はやぶさ」の廃止が平成22年3月ですから、最後までブルトレを牽いていたことになります。しかし、過去の記録を辿ってみても、何故かブルトレを牽引している写真は見当たらず、「ふじぶさ」最後の頃は結構撮っていたにもかかわらず、国鉄時代のこの1枚しか見つかりませんでした。
2024.04.28
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185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」史上最速でサクラが開花すると予測されたにもかかわらず、その後の気温低下で例年よりも開花が遅れて桜まつりがてんてこ舞いとなってしまった令和6年。あしかがフラワーパークの大藤まつりも例年より1週間早く臨時列車が設定されたようですが、こちらはどのような具合でしょうか?令和6年もあしかがフラワーパーク臨が設定されましたが、例年は上野~足利に1往復又は2往復だったもの(上野東京ライン開業により大船~に延長)が大船以外にも吉川美南や高尾、新宿と言った4方向にも及ぶ多彩な設定となりました。特にこのうちの新宿発着については185系での運転が当初から公表されており、しかもあまり走ってくれないC1編成が充当されました。※撮影は、令和6年4月26日です。185系 C1編成 9524M 特急「あしかが大藤新宿号」特急「あしかが大藤新宿号」は、4月19日及び26日のいずれも金曜日のみの設定であるため、撮ることは諦めていました。しかし、この日の午前中に防災に関する取材が入ってしまったため会社を休まざる得ず、結果としては偶然にも撮影が可能となった次第。もっとも、昼寝してしまって危なく撮り逃してしまうところでした。逆光になるため曇りがちは歓迎だったのですが、思いのほか雲が分厚く、ISO2500まで上げ、シャッタースピードも1/640まで落とさなけれがならないほど暗くて参りました。さらに、定刻になっても一向に現れず。久し振りにお会いした方から白岡辺りで緊急停車し遅れが出ていると情報をいただきました。まあなんとかブレずに撮ることができましたし、貴重なC1編成を捕獲できましたので良かったです。来年はどうなるでしょうか?E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.04.27
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秩父鉄道 3000系:急行「秩父路」秩父鉄道では、古くから有料急行列車「秩父路」が運転されてきましたが、自社発注の300形が老朽化、さらに冷房化もできないことから、平成4年にJR東日本から新前橋区所属の165系3両編成×3編成を購入し、改造のうえ誕生したのが3000形です。平成5年5月16日 三峰口構内にて 秩父鉄道急行形 3202165系時代に比べ、デザインが一新された関係でかなり高級な車輌という見映えがしました。まだ同車が秩父鉄道に入線して間もない頃。塗装がピッカピカでまるで新車のようです。同車が入線してから殆ど秩父鉄道の撮影には行っておらず、この写真が最初で最後となりました。平成18年に元西武鉄道新101系改造車の投入により交代となり、貴重な旧国鉄急行形電車は惜しくも引退となってしまいました。秩父鉄道 300系:急行「秩父路」
2024.04.26
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国鉄 荷物電車:クモニ83鉄道の列車が客車ばかりだった時代、荷物の輸送は鉄道として当たり前の事業であり、どんな列車でも当たり前に荷物車が併結されていました。電車化が進むにつれ、これらの電車列車にも荷物車を併結する必要が発生し、戦前ではクハニやクハユニといった合造車が製作されていましたが、戦後には荷物車の不足も顕著となり、クモユニ81の新製に始まり、さらには旧型国電を改造した荷物電車が大量に製作されました。今回はこれらの荷物電車より、クモニ83をご紹介いたします。昭和52年 品川駅にて東海道線では荷電でもクモユニ74の割合が高く、クモニ83は非常に少なかったように思います。113系普通列車への併結列車が多い中、1日に何本かの単独荷電が設定されていました。2両編成であり、何故に単独だったのか、今となっては分かりません。昭和54年頃 クモニ83+クモユ141+115系長岡行きの普通列車です。郵便車は既に新性能化されクモユ141に変わっています。郵政省の作業環境改善策はかなり早い時期から対応されており、郵便車の冷房化は普通列車の車両などと比べると格段に早かったですね。昭和55年頃 赤羽駅にて クモニ83003赤羽駅の高架化以前の時代。何を撮りたかったのか良く分からないアングルです。昭和55年頃? 上野駅にて クモニ83800番台上越方面の荷物電車は、クモユニ74200番台やクモニ83の一般型の湘南色が走っていましたが、旧型の晩年の頃になると中央本線から転配があったらしく、スカ色の車輌が見受けられるようになりました。特にこのクモニ83800番台は、張り上げ屋根と窓枠のRが美麗で、荷電の中でも一番好きな車輌でした。昭和57年頃 クモニ83+クモユ141+115系コレは珍しく上り列車を捉えたシーンです。しかも、先頭車はクモニ83です。この写真をアップしようと思ったとき、昭和57年と整理していたので???だったのです。この頃は、普通列車併結車は新性能化されていた筈なのでおかしいと思ったのですが、前後のコマからどう検証しても昭和57年なのです。何らかの事情があって復活したのか、それともクモニ143の予備車がなくて点検の際に良く運用に入っていたのかは不明です。昭和57年1月頃 西川口~蕨間にてこちらは旧型国電の最晩年の頃です。3+3の6両編成が2+2の4両編成に減車されるようになってしまいました。中央東線で余剰になったクモニ83800番台が転入してきており、スカ色のまま普通列車に併結されたり、ご覧のように岡山地区でしか見られなかったような湘南色の出で立ちで上越線に進出してきました。私的にはこの800番台の張上げ屋根車が大好きだったんです。しかし、気が付いた時には中央線の115系が新宿に乗り入れなくなってしまい、撮る機会を逸していましたので、このような形態でも同車を記録できたのは非常にラッキーでした。荷物のコンパクト化、さらには宅配便の発展などもあり、需要の無くなった荷物電車は新性能車共々淘汰されてしまいました。国鉄 荷物・郵便合造電車:クモユニ74
2024.04.25
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113系初期車(幕張区):房総地区普通列車首都圏東部南部平坦地域で一世を風靡した113系電車。房総地区で活躍した113系はスカ色が使用されていました。首都圏の旧型国電を置き換えるために111系が導入されたのは昭和37年でした。湘南電車(東海道本線)の導入に始まり、その後横須賀線にも導入。当初は湘南色であった横須賀線も、旧型国電時代のカラーであるスカ色に改められています。111系の出力を増強した113系が登場し、首都圏及び関西の平坦路線を中心とした路線に配置され、冷房改造車も誕生しています。冷房改造が遅れた首都圏の113系初期車は、房総地区の電化用及び73系の置き換え用として幕張電車区(当初は津田沼電車区?)に配置されました。今回は、房総地区で活躍していた113系初期車の写真を並べてみます。昭和55年頃 総武本線???駅にてこれは多分大回り乗車をしている時に撮った写真で、総武本線の成東駅辺りではないかと思われます。木造の駅事務室でしょうかね、古き良き雰囲気を醸し出しています。古いタイプの屋根付き跨線橋も懐かしいですね。昭和55年5月 内房線 五井~姉ヶ崎間にてこちらもデカ目です。ピンが甘いのかブレているのか、方向幕はハッキリ写っていません。113系の編成は全て幕張区に集中配置されており、4連か6連が在籍していました。この列車は4連のようですね。昭和55年 品川駅にて品川駅での駅撮りを楽しんでいると、意外な出会いというのが良くあります。こちらは房総地区以外で唯一出会ったスカ色のデカ目です。大井工場の入出場でしょうかね。昭和55年5月 千葉駅にて千葉駅における並び写真。右側の列車は列車番号からすると外房線の普通列車で、編成は113系1000番台となっています。この頃既に品川開業となっており、横須賀線との乗り入れも間近でしたから、1000番台の冷房準備車の抜き取りや組替がおこなわれ、4連・6連の普通列車運用にも使われるようになったのではないでしょうか。上の写真の左側の列車が発車していった場面のようです。内房線の列車ですが、列車番号が臨時列車のものになっています。シールドビームになっていますが、客窓がサッシ化されていないので、デカ目をシールド化した0番台の後期車(113系用クハ)ではないかと思われます。千葉以遠の普通列車には珍しく、6連に増結され10連になっているようです。横須賀線にE217系が配置され始めると、余剰となった1000番台冷房車がローカル運用に転用されることになり、初期車は転用されることもなく、たちまち姿を消していくことになります。
2024.04.24
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国鉄 直流型電気機関車:EF6630EF66シリーズで、30号機です。JR貨物へ引き継がれ、永く活躍したカマのうちの一機です。平成27年6月6日 EF6630牽引 4083レこちらもやはり半トヨロンです。当時、短い期間で数回の撮影チャンスがあった30号機でしたが、運用の差し替えや寝坊で結局この1回しか撮影できませんでした。本機は、広島車両所で保管され、イベント等で公開されているらしいです。
2024.04.23
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373系:特急「東海」「東海」と言えば、東海道の優等列車の中でも由緒ある名称であり、東海道新幹線の開業後も地域の補完優等列車として長らく活躍し、80系から153系急行車両へ、そして165系へと変化していきました。しかし、老朽化に伴う急行形車両の引退を機に、平成3年3月、JR東海の373系を使用した特急列車に格上げとなっています。平成19年1月7日 品川駅にて 373系 特急「東海」運転当時は新型車両に全く興味が無く、特急「東海」の写真を撮ることはありませんでした。しかし、利用客の低迷からとうとう廃止のアナウンスがあり、ついでではありますが撮影したものです。まだデジカメに慣れず、どうにも構図の良くない写真となってしまいましたが、同列車を撮影したのは最初で最後となってしまいました。そして平成19年3月、50年にも及ぶ運転の歴史に幕を下ろすことになりました。153系:急行「東海」(サハ164・サロ163)
2024.04.22
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国鉄 直流型電気機関車:EF6626EF66シリーズで、26号機です。JR貨物へ引き継がれ、永く活躍したカマです。平成26年6月14日 EF6626牽引 4083レ地元で撮影したハーフトヨロン。出会いはこの時1度だけでした。
2024.04.21
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小田急電鉄 10000形HiSE車:特急「はこね」「さがみ」小田急電鉄10000形HiSE車は、昭和62年、小田急電鉄の開業60周年を記念して誕生した特急ロマンスカーです。当時流行しつつあったハイデッカー構造となり、それまではどちらかというと低床タイプだったロマンスカーのイメージを一新するものとなりました。また、ロマンスカーの誕生以来定番となっていた車体塗装も、まったく異にするものとなっています。4編成が誕生し、その塗装は7000形LSEにも波及しましたが、鉄道業界に多大な影響を与えた「バリアフリー法」をまともに受けることになり、2編成は平成17年8月付けで廃車となっています。(4両単位2編成が長野電鉄へ譲渡、現在も活躍中。)残る2編成のうちの1編成は平成23年6月に運用を離脱し、こちらは保存されることなく解体されています。いつもは列車名別のご紹介としていますが、同車にはヘッドマークがないため、「はこね」「さがみ」を織り交ぜてのご紹介といたします。平成18年10月14日 海老名駅にて 列車名不明平成19年1月26日 小田原駅にて 「はこね8号」平成19年1月26日 栢山~富水間にて 「はこね21号」平成20年1月5日 和泉多摩川にて 「はこね8号」平成23年10月14日 登戸駅にてEXE「はこね10号」「えのしま10号」& HiSE「さがみ67号」平成23年10月14日 登戸駅にて 「さがみ67号」 後部平成23年10月29日 経堂駅にて 「はこね19号」平成24年2月19日 新松田~渋沢間にて 「はこね12号」平成24年2月19日 渋沢~新松田間にて 「さがみ69号」車齢30年ということで、それなりの年数をまっとうした10000形HiSE車ですが、時代の流れ・風潮の中において、先輩の7000形LSE車よりも短命に終わってしまうのは何とも皮肉なものです。【中古】[RWM]92604 小田急10000形 HiSE ロマンスカー 11両セット(動力付き) Nゲージ 鉄道模型 TOMIX(トミックス)(20040930)【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 92845 小田急 ロマンスカー 10000形 HiSE (ロゴマーク付) 11両セット 【A´】 外スリーブ傷み※新製品 5月発売※小田急ロマンスカー10000形HiSE(ロゴマーク付)セット(11両)【TOMIX・98844】「鉄道模型 Nゲージ TOMIX」
2024.04.20
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E331系:京葉線E993系ACトレインの実績を踏まえ、初めて通勤型電車に連接構造を導入したE331系。国鉄時代から小田急との共同研究などもしていたようですが、国鉄~JRにかけても試作車以外に連接台車を導入した例はありません。E331系は先行量産車として位置づけだったようですが、運転を始めては不具合なのか修理なのか、試作車よりも多い頻度で入退院を繰り返し、殆どまともに営業運転に就いていた記憶がありません。そんな中、営業運転を再開した際に、1度だけ撮影する機会がありました。以上、平成22年7月17日 市川塩浜駅にて何か所かで撮りたかったのですが、特にダイヤを知っていた訳ではないので、ほかの撮影との兼ね合いもあり、これだけにとどめておきました。復活が朗報でもあったため、まさかこの後すぐに運用から再度離れてしまうとは想像できませんでした。平成22年10月9日 京葉線全線開業20周年記念「京葉車両センターフェア」にて前回の撮影からそれほど経っていませんが、既に運用を外れていたと記憶しています。フェアでの展示では、引退間際の201系にも負けない人気者でした。いつでも運用に入って良いように準備されていた乗車位置。運用を離脱している期間が長過ぎて、利用者にも殆ど見向きされなかったのではないでしょうか?新機軸として用意された330番台の形式番号ですが、この先、どう使われるのでしょうかね。結局はどのような成果があったのか良く分からないまま、平成26年3月25日、長野に向けて旅立ちました。
2024.04.19
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国鉄 荷物・郵便合造電車:クモユニ74クモユニ74は、昭和37年~40年くらいにかけて、それまで旧型国電同士にしか連結できなかった荷物電車の区間において誕生した新性能車への併結を可能にした荷物・郵便合造車です。すべての車両がモハ72に車体を載せ替えた改造車となっています。連結相手や運用される地域によって、0番台、100番台、200番台があり、さらに番台ごとの製造時期、再改造により形態にやや複雑さがあります。昭和52年 高崎駅にてこの頃、たまたま立ち寄った高崎で信越線の80系を知り、2度ほど連続で訪れています。メインは80系の写真でしたが、この頃は両毛線にも本数は少なくなっていましたが、70系電車が走っていたのでやはり何枚か撮っています。その中でも、偶然居合わせていたのがこの列車で、高崎寄りにクモユニ74を連結しています。シールドビームとなっていますが、車体角にRが付いたシールドビームとなっていますので、201~207のいずれかと思われます。寒冷地仕様のためホイッスルカバーが付いているのが判りますね。勾配抑速ブレーキも付いており、主に上越地区で活躍していました。次位にはサロ85改造の両毛線名物クハ77も見えて、如何にも両毛線らしい編成となっています。昭和53年か54年くらい 品川駅にて0番台の車両で、グループとしても一番多い形態です。同形式同士または新性能車としか連結できません。したがって、113系や153系との併結は見られましたが、80系と組む運用は存在しなかったようです。昭和56年2月1日 早川~根府川間にて昭和56年9月28日 東戸塚駅付近にて昭和58年7月24日 東戸塚駅付近にて東海道線へ撮影に行く都度、このようなクモユニ2連の写真を撮っていたようです。おそらく、撮影しやすい時間帯にスジが設定されていて、同じ列車を何回も撮影していたのではないかと思われます。昭和52年頃 西川口~蕨間にてこの写真はブローニー6×6で撮影しています。クモユニ74を連結した6両編成の荷物列車。私が小学生の頃からずっと存在していました。子供の頃は何が繋がっているのか理解できませんでしたが、クモユニ74やクモニ83で組まれていましたね。寒冷地仕様のクモユニ74200番台も居たのですが、この大目玉の74も必ず連結されていました。方向幕を見ると、どうも「豊橋」の上の部分が見えているような気がします。東海道線と共通運用だったのでしょうかね。
2024.04.18
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419系(晩年):北陸本線国鉄時代末期、寝台特急が衰退し、余剰となって本来の使命から淘汰されてしまった一部の581系・583系ですが、地方線区の電車化という新たな役割を与えられ、近郊型715系へ改造されました。715系の0番台は九州地区、耐寒設備を装備した715系1000番台が東北南部~仙台地区に配置されています。昭和59年のことでした。さらに翌年、フリークエンシーに耐えられない北陸本線においても同様の改造による導入が行われましたが、運用区間中に交直セクションを擁していたため、715系のような交流専用とはせず、交直流の設備をそのまま生かし419系が誕生しました。※撮影は、すべて平成20年4月22日です。クモハ419-12 増設改造された運転台側715系では先頭車が全てクハで構成されていましたが、3両編成の419系ではモハネに運転台を取り付けたクモハ419が存在しました。モーター音が運転席付近のダクトからか大音響で車内に洩れるため、静かな都心の電車になれた身には堪えます。クモハ419-12 車内の様子 寝台セットが残る座席側改造を最小限に抑えたため、特に車内中央部に寝台車時代の面影を色濃く残しています。クモハ419-12 無理矢理改造された開閉式の客窓普通列車への転用改造に際し、空調故障時における対策として窓が開閉式に改造されています。武生駅にて 236M クモハ419-12中間車を改造したクモハ419は、ドアがオリジナルのまま車端に寄っています。ドアの無かったトイレ側は、運転台と増設ドアがそのままブロックごと取り替えられました。武生駅にて 419系同士の並び 236M+231M今庄駅にて 316M初乗車の419系とはここでお別れ。今庄駅にて 235Mクハ419を狙っていたのですが、サハネ581改造のクハ418でした。419系では、元クハネ581改造のクハ419の方が少数派です。福井駅にて 上り352M(福井駅止まり)クハ418-9 ナンバーどこでどの時点で撮ったのか不明。記憶も無し。福井駅にて 419系 到着352M と 475系 上り240M(福井駅始発)の並び金沢駅にて今回の撮影では、何故か元クハネ581のクハ419が撮れなくて、陽のあるうちはこれが最後のチャンスだったのですが、またもやクハ418でした。あまり撮影するチャンスの無かった北陸の419系。残念ながら、最後まで元クハネ581改造のクハ419を記録に残すことが出来ませんでした。715系が改造当初の予定どおり短期間の活躍であったのに対し、交直流電車の製造費が高い419系においては想像以上に長く活躍することができました。結果として、本来の役目である寝台特急としての活躍期間よりも、永く普通電車として活躍できたのも皮肉なものかもしれません。平成23年3月12日の運転を以って、これら寝台特急からの改造車は全て運用から姿を消しました。
2024.04.17
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筑波鉄道:終焉の頃筑波鉄道は、常磐線土浦駅~水戸線岩瀬駅を結んでいた関東鉄道グループの路線。開業は古く、明治44年に遡ります。筑波山への観光路線として栄え、国鉄からは上野~筑波を走る急行列車「筑波」の乗り入れを行うほどでしたが、モータリゼーションの影響を受けて衰退していきました。廃止が目前に迫った頃、それまで訪れていなかったこともあって、1度だけ撮影に行きました。※撮影は、すべて昭和62年3月22日、常陸北条~常陸小田間にて。筑波鉄道のオリジナル車504モヤに霞む筑波山を横目に、土浦へと道を急ぐ。元国鉄キハ30型のキハ301単行。筑波常陸北条駅での交換風景両方の列車とも廃止を惜別するヘッドマークを付けています。取手に次いで2番目に乗降客の多い駅であったらしいです。キハ761国鉄のキハ20型に類似した外観ですが、元雄別鉄道の車両ということです。国鉄キハ10型のキハ821遠くから見ても一見してキハ10系と判る姿が非常にうれしかった記憶があります。その昔、キハ10系に何回か乗ったことがあるにも拘らず、当時あまり興味がなかったために、現役時代の写真を全くといって良いほど撮っていなかったからです。筑波鉄道の廃止は昭和62年3月31日、折りしも国鉄の最期の日でした。それまで1度も訪れることが無かったため、この撮影が最初で最後の筑波鉄道となってしまいました。
2024.04.16
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C58363牽引 旧型客車:急行「パレオエクスプレス」令和6年4月、秩父鉄道で運転されている「パレオエクスプレス」を牽引するC58363が誕生80年になることから、普段は12系客車によるところ、旧型客車を借入れて運転されるとのことです。秩父鉄道 SLパレオエクスプレス 旧型客車編成 運転運転当初は旧型客車が当たり前に使用されており、編成としては好ましかったため、私もかつては何回か通いました。昭和63年3月21日C58363が車籍復活し、初めて「パレオエクスプレス」として走り始めたのが昭和63年3月15日ということらしいです。さいたま博覧会の開催がきっかけとなったようで、まさに運転開始間もない頃の姿です。火室扉の「PALEO EXPRESS」という表記はまだ装着されておらず、テンダ側面にデカデカとサントリーウイスキーのマークみたいな装飾が施されていました。昭和63年5月5日初めてのGWを迎えたパレオ。子供の日にちなんでか、ヘンテコなヘッドマークを付けて走りました。当時はガッカリしたものですが、ヘッドマークの装着が稀なときでしたので、今となっては貴重なシーンです。平成2年4月30日この頃は、火室扉に「PALEO EXPRESS」という表記が入り、テンダーのマークと合わせて非常に目立ちましたね。SLファンには非常に不評でした。平成4年4月5日この頃になると、テンダーの派手な装飾が外されています。ファンの不評に応えたものでしょうかね。これにより、サイドからの写真が非常に見映えする用になりました。旧型客車との組み合わせが良いですね。平成4年4月5日上の写真の返し列車です。秩父鉄道は片勾配なので、返しはまず煙が期待できません。なので、殆ど片道しか撮らずに帰って来ました。このときはたまたま桜並木を見つけたため、珍しく撮ってみた次第。天気が悪くてね、絵にはなりませんでしたが、サービス煙?で応えてくれました。平成5年5月16日結婚後に初めて女房を連れて出掛けたときの写真。適度な撮影場所が見つけられなかったのですが、大量の煙で助かりました。出来れば後の鉄塔が煙でカブって貰いたかったんですけど・・・横風が少し強かったようで・・・。SL+旧型客車という、SL派からすれば最高のシチュエーションの筈なんですが、電化区間で架線柱の間隔が短くうっとうしい、装飾が派手で目立ち過ぎ、といったことから結果的にはあまり訪れなかった秩父鉄道。平成5年の写真を最期に、まったくパレオを撮りに行っていません。最大の要因は12系化されたことで写欲を削がれてしまったこと。そして、各地でSLが復活したため拠点が薄まったことでしょうかね。そして、子供が生まれてからは出歩く時間すら削られてしまいました。TOMIX ぐんま車両センター旧型客車セット 販売98865 JR 旧型客車(ぐんま車両センター)セット[TOMIX]【送料無料】《10月予約》送料無料◆98865 TOMIX トミックス JR 旧型客車 (ぐんま車両センター) セット(7両) Nゲージ 鉄道模型 【10月予約】たっけェ~
2024.04.15
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205系3000番台:川越線・八高線平成14年から16年に掛けて、老朽化した川越線・八高線用103系を置き換えるために改造により導入された205系3000番台。4両編成×5編成が川越車両センターに配置されました。いずれの編成も山手線のE231系500番台化により余剰となった205系を改造したもので、中間サハに運転台を取り付けた先頭化改造車のみ。半自動ドア化されています。改造から約15年が経過しましたが、やはり山手線のE235系化に伴う玉突きにより発生した余剰209系やE231系からの改造車により車両を一新することになり、平成30年7月中旬、最後まで稼働していたハエ83編成の運用離脱により、川越車両センターからすべての205系が撤退となりました。※本記事は、2018-07-25に投稿したもので、当時の表現になっています。※撮影は、平成23年10月22日、川越車両センター公開にて。箱根ヶ崎行き南古谷行き快速いずれも川越車両センター公開の際に撮影したものです。ハエ85編成で、平成30年5月頃に廃車されています。現場仕事の時に八王子や拝島で八高線を目撃する機会はありましたが、本数が少ないために写真に捉えることは殆どなく、205系3000番台もこの時に撮影したものが唯一となってしまいました。今回のハエ83編成の廃車により、川越車両センターに大量に配置されていた205系は全て消滅し、同時に3000番台は番台消滅となってしまいました。『八高線:キハ35系・20系』『キハ38:八高線』
2024.04.14
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717系:配給回送717系電車は、仙台地区に導入された近郊型電車です。余剰となった急行型451系及び453系を種車とし、2扉の通勤適応車内とした新製車体を載せ、足回りやクーラーなどは廃車発生品を使用しています。451系を種車としているものが0番台、453系を種車としたものが100番台に分類されます。昭和59年末頃より、東北本線の黒磯~一ノ関間が電車化され、急行運用から外れた455系等や583系から改造された715系が導入されましたが、仙台を中心とする通勤ラッシュにはドア幅や車内設備から問題があり、417系を基本とした2扉の通勤対応車内を持つ車両が必要になりました。しかし、財政上の問題もあり、改造によって手当されたものです。改造は郡山工場及び土崎工場で実施されましたが、一部が小倉工場で施工されています。昭和62年3月28日 東大宮~蓮田 717系配給回送生まれ変わった717系が同僚の455系に挟まれて回送されるシーン。おそらく先頭ユニットは455系で、後部の急行塗装は453系と思われます。717系は無動力のため、動力車比を高くして迎えに行ったようです。殆どが郡山や土崎で改造されたため、ここを通過する回送は無かった筈ですが、一部が小倉工場で改造されたため、おそらくは小倉からの列車かと思います。資料によると、クモハ717+モハ716-102(←クモハ453+モハ452-17)+クハ716-5(←クハ451-5)が昭和62年1月28日に同時竣工となっているため、これではないかと思われます。確か、「サロンなにわ」だかが関東を通過するという某誌の発表を受けて大勢のファンが待ち構えていたのですが、その時間にピッタリ来たのが彼らでした。その時はガッカリしましたが、今となっては貴重なシーンです。
2024.04.13
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小田急電鉄 20000形RSE車:団体列車『20000形で小田急全線走破!!』小田急電鉄20000形RSE車については、特急「あさぎり」特急「はこね」でご紹介済みですが、ファイナルとして最後に運転された団体企画列車をご紹介してまとめとします。※撮影は、平成24年2月19日、新松田~開成間にて団体列車送込み回送団体列車『20000形で小田急全線走破!!』RSEの引退を前に、江ノ島線や多摩線などの各線を走破する団体企画列車として運転されました。引退したRSE車の一部は改造によって3連化、富士急行(現富士山麓鉄道)に譲渡され、特急列車として再出発を果たしました。小田急電鉄 20000形RSE車:特急「あさぎり」(乗車編)
2024.04.12
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103系(スカイブルー):青梅線前記事で青梅線の103系をご紹介いたしましたが、ここに1枚だけレアな写真があります。青梅線では、73系やクモハ40形による運転が行われていたようで、既に101系で統一されていた中央快速線とは別体の運用になっていました。このうち、青梅直通の快速のみ101系が使用されていました。首都圏における新性能化の過程の中で、昭和51年頃から103系の転入が行われ始めたそうで、これには京浜東北線のATC化準備で余剰となるスカイブルーのクモハを含む4両編成が続々と導入されたみたいでした。中央快速線でさえ103系が導入されていない時代でした。昭和53年2月19日 青梅駅にて スカイブルーの青梅線この時代は記念切符を積極的に収集しており、近場で発売されると分かったときは、わざわざ買いに行きました。この日は青梅マラソンの開催を記念した入場券が発売されることを知り、これを買いに行って初めて青梅線を訪れた訳ですが、乗る電車・留置されている電車の殆どがスカイブルー一色であることに大変驚きました。まだ中学生でしたので、京浜東北線・山手線のATC化などという高度な知識は持ち合わせておらず、何故このような事態になっているのか訳が分からなかったのですが、高校生になって色々な情報がアタマに入るようになり、やっとこの時の状況が理解できるようになりました。くやしいのは、この写真を撮ったときには72系が運用が残っていたようで、この翌月にさよなら運転があったということ。今となっては何の興味もないマラソンの記念切符などどうでも良く、旧型国電の記録を漏らしてしまったことに悔いが残ります。
2024.04.11
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103系:青梅線青梅線では、昭和53年の旧型国電さよなら運転まで、73系やクモハ40が走っていたそうです。その頃はまだ南武線や横浜線でさえ73系が活躍していた頃ですので、旧型国電にはまだ興味を示していない時代。新性能化が比較的に早かったため、興味を持ちだした頃には旧型国電は既に無くなっていました。その当時の運用体系は全然知らなかったのですが、青梅線内は旧型国電が基本で、東京からの直通に101系が使用されていた程度だったようです。旧型国電淘汰の際、101系を飛び越えて103系が転入してきたことにより、むしろ中央快速線よりも早く103系化が完了しています。昭和56年10月20日 青梅線 場所不明何処の駅で撮ったのか忘れてしまいましたが、ED16を撮影に行った時のものです。この頃は中央快速線も含めて103系が使用されていました。もちろん、ラインカラーはオレンジバーミリオンに変更されています。もっと沢山撮っていても良さそうなのですが、ED16牽引貨物列車の存在に押され、この1枚しか撮っていなかったようです。昭和61年3月17日 軍畑この頃既にED16は引退しておりました。どこかに撮影に行く途中に何故か青梅線に立ち寄った時のものです。貨物はEF640番台か1000番台が牽いていました。他の列車も大した成果が残っていないので、何故に立ち寄ったのか全く記憶がありません。何度か撮影に行ったことのある青梅線ですが、行った時に辛うじて1枚づつ103系の写真を撮っています。それだけメジャー過ぎて撮影の対象にはなっていなかったということでしょう。ED16が無くなり、さらには貨物列車が廃止になってしまったことも相俟って、冷房化後の103系ですら1枚も撮っていません。結婚するとき、仲人さんが河辺に住んでいて青梅線沿線へはかなりの頻度で通っていましたが、クルマでしか行ったことが無かったので、まったく触ることのない路線になってしまいました。
2024.04.10
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209系500番台:中央総武緩行線山手線からのE231系500番台の転入により置き換えが進んでいる中央総武緩行線ですが、このうち209系500番台が平成31年4月19日の運用をもってすべて運用から外れたそうです。国鉄を退職してからは、今の仕事で9年間ほど新小岩駅まで通勤したことがありましたが、101系が撤退して以降、総武緩行線の写真は殆ど撮ったことがありませんでした。103系、201系、205系の写真を撮り逃したこともあって、デジカメ導入後からは機会があればできるだけ記録するように気を付けていました。平成19年4月1日 市ヶ谷~飯田橋間にて平成19年7月30日 船橋駅にて 513編成ポケモンスタンプラリーの引率の際、船橋駅で突然の雷雨。あまりにも酷い状況だったので、雨の様子を記録するために撮った写真。たまたま209系でした。平成22年2月2日 新宿駅にて 507編成平成22年2月2日 新宿駅にて 511編成首都圏に大雪が降った朝、通勤ダイヤの乱れを予測して家を早く出ましたが、意外と遅れはなく早く着き過ぎたので、サザンテラスから通勤電車の様子を記録。「おはようライナー」の185系湘南ブロック塗装も懐かしい。平成22年3月6日 両国駅にて番号が不鮮明で判りません。新聞輸送列車の最終日。並び写真を狙って撮ったものですが、これも偶然に209系でした。平成22年4月4日 水道橋駅にて 516編成現場の仕事があって新宿に戻る際、サクラがきれいだったのでホームから記録。これも偶然に209系でした。平成22年7月1日 阿佐ヶ谷駅にて 506編成これも現場回りの途中で。この時は東西線の編成を中心に撮影していました。平成22年7月17日 東船橋駅にて クハ209-501臨時快速「白い砂」を撮影に行った際、見事にブロックしてくれた犯人。それはトップナンバー編成でした。平成30年1月10日 秋葉原駅にて 516編成最後に撮ったのは、買い物で下車した秋葉原駅。夜で条件は悪いですが、6ドア車の絶滅を危惧して撮影に臨みました。既に少数派になってしまった209系は、夕方のラッシュ帯でも全然来てくれず、かなりの時間を粘ってやっと1枚だけ撮ることができました。実は平成22年から30年の間も、何度となく中央総武緩行線の撮影ができる機会があったのですが、とにかく209系の遭遇率が悪かったようです。そんなこともあって、E231系に比べて大幅に少ないコマ数で終わってしまいました。
2024.04.09
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165系 パノラマエクスプレスアルプス+EF63165系「パノラマエクスプレスアルプス」は、国鉄末期の昭和63年3月から営業を開始したジョイフルトレイン。新幹線の開業や特急格上げにより大量に余剰となった165系直流型電車を種車とし、大井工場で改造された。名鉄パノラマカーや小田急ロマンスカーと同様に運転台を上に載せた、国鉄としては珍しいスタイルとなりました。Tc+M’+MCを背面に連結した6両編成で、全車グリーン車としています。オレンジカード 国鉄 東京西鉄道管理局発行「パノラマエクスプレスアルプス」の誕生を記念し、国鉄最末期の昭和62年2月に発行されたオレンジカード。実車の写真は間に合っておらず、完成予想デザインを使用しており、赤・オレンジの色調が実車より濃くなっています。オレンジカード JR東日本 立川営業支店発行運転開始後すぐに民営化を迎え、新たな所管となった立川営業支店から昭和62年8月に発行された、実車の写真を使用したオレンジカード。ヘッドマークデザインを比較すると、1段目と2段目の割り付けが違うことが分かります。平成9年4月12日 横川駅にて 団体列車「パノラマエクスプレスアルプス」及びEF632ほか碓氷峠の廃止直前、横川駅を訪れた時に撮影できたもの。満開のサクラをメインに撮影していたため、肝心の「パノラマエクスプレスアルプス」が蔑ろになってしまいました。「パノラマエクスプレスアルプス」の活動範囲が中央本線を中心に、武蔵野線や房総方面と地元を通ることが少なかったため、全く撮影する機会がありませんでした。東京ディズニーランド臨には他の165系ジョイフルトレインを併結した列車なども多数運転されましたが、駅撮りを全くしていたかった時代と重なったため、特に被写体とならなかったようです。JRとしては平成13年8月を最後に廃車となりますが、翌月に富士急行電鉄に譲渡され、平成14年から「フジサン特急」として第3の人生を歩むことになります。しかし、この「フジサン特急」も世代交代を迎え、平成26年を最後に完全引退となっています。
2024.04.08
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EF651000番台牽引:寝台特急「さくら」東京~長崎・佐世保を結んでいた寝台特急「さくら」それまで東海道ブルトレを牽く絶対的エースであった500番台P形も酷使により急速に老朽化が始まりました。昭和53年頃、長距離運用による定格アップを目的とした後期PF形が導入され、これを東海道ブルトレに充てるようになりました。今回は、置き換えの始まった頃からのEF651000番台PFが牽引する「さくら」をご紹介いたします。昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF651107牽引 2レ東海道形のPFに置換えが始まった頃。来る列車によって500Pだったり1000PFだったりしました。 一方、14系B寝台客車はまだ3段式であり、新幹線博多開業と相次ぐ料金の値上げなどにより、利用に翳りが見え始めたころだったと思います。昭和54年3月 東京駅にて EF651109牽引 1レこの時点では完全にPFに置き換わっています。当時のブルトレは12・13番線発着。9・10番線は横須賀線ホームとなっており、113系の横須賀線も懐かしい。昭和55年 品川駅にて EF651105品川駅で展示会があった様子。何のイベントだったかよく覚えていません。昭和58年12月1日 根府川~早川間にて EF651099牽引 2レ 14系B寝台の2段化改造が行われており、カマの次位は不足するスハネフ電源を確保するために連結された座席車スハフに変更されることもあった。この後、東京発着の24系25型客車を使用するブルトレにロビーカーが連結されることになり、「さくら」もそのあおりを受けてEF66が牽引することになります。EF65500番台牽引:寝台特急「さくら」
2024.04.07
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東葉高速鉄道:1000形東葉高速鉄道は、千葉県・船橋市・八千代市・東京地下鉄・京成電鉄・東武鉄道・新京成電鉄を主要株主として起こされた第三セクターです。西船橋 ~ 東葉勝田台16.2kmを結ぶ鉄道で、西船橋では東京メトロ東西線と相互乗り入れとなっており、平成8年4月に鉄道線の営業を開始しています。1000形は、同鉄道が開業する少し前の平成8年3月から東西線内で運用が開始され、同年4月27日の東葉高速鉄道の開業により本格使用となった車両で、10両×10編成が用意されました。すべてが営団地下鉄5000系を種車とする中古車となっていますが、前面の改造や車体色の区別により、元5000系とはかなりイメージが変わっています。平成15年5月3日 東京メトロ東西線 原木中山駅にて東葉高速鉄道が開業した際、営団地下鉄東西線の05系導入により余剰となった5000系を改造して導入されたのがこの1000形です。実は、この写真を撮る時まで知らなかったんですよね。そう言われると、側面はそのまんま5000系ですね。千葉方面に新興住宅地を走るこの東葉高速鉄道というのは、未だにどこをどう通っているのかすら良く分かりません。そんなことで、どこに向かっているかすら分からない電車でしたが、東西線を利用するとしばしば見掛けた電車でもありましたので、存在はもちろん知っていたんですけどね。103系と301系の最後を記録する際、偶然にも撮ることが出来た1枚でした。平成18年12月をもって運転を終了し、廃車になったもの、インドネシアに譲渡され生き残っているものもあります。
2024.04.06
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東武鉄道 8000系・5700系:快速「たびじ」日光は、昔も今も小学生の修学旅行の定番となっている地域です。したがって、昔から修学旅行列車の設定が途切れたことはないと言っても良いでしょう。新型コロナは想定外でしたけど・・・。日光へは国鉄(JR)日光線経由、並びに東武鉄道からのアプローチが考えられますが、ある程度乗車に便利な方を利用するといった形が一般的ではないかと思います。ちなみに、埼玉県南部に居住している当方の地域では、昔からバス利用の形態は変わっていないようです。本線の停まる駅に直接接していなく、乗車時間が短いことも一因でしょう。さて、東武鉄道においても修学旅行臨があります。種別は「快速」で、名称を「たびじ」としています。昭和56年6月6日 栃木駅にて 5700系 快速「たびじ」撮影したときは、臨時快速「だいや」だとばかり思っていた5700系のヘッドマーク付列車。良い構図ではなかったので、プリントもしていませんでした。約30年振り(当時)にプリント化した際に、初めて「たびじ」だと判りました。昭和56年6月6日 新大平下~新栃木間にて 8000系 臨時快速「たびじ」こちらは、8000系使用の「たびじ」です。被写体ブレをしてしまい、カラーとモノクロとの差があって判りづらいですが、ヘッドマークの作りが少し違うような気がします。(字体や字の大きさが明らかに違うように見えるのですが・・・。)両方とも絵的にはダメダメなんですけど、今となっては見ることができなくなってしまった車両たち。やはり貴重に思います。
2024.04.05
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国鉄 米子機関区出雲支区(レンガ庫)山陰本線にある出雲市駅。県庁所在地でも無い駅ですが、昔から山陰地区の交通の要衝として有名です。現在でもその地位は揺らぐことなく、山陰地区における特急列車の拠点となっており、現在唯一となった定期寝台特急「サンライズ出雲」の最西端到達点にもなっています。過去に2度ほど出雲市駅を訪れたことがありますが、いずれも昭和時代となります。初訪問は昭和55年8月で、特急「やくも」を撮影後、夜行普通列車「山陰」に乗車するために利用しました。2度目は昭和59年2月で、大社線に乗車後、出雲大社を観光し、やはり夜行普通列車「山陰」に乗車するために利用しています。いずれも夕刻から「山陰」の発車時刻である19時まで駅及び周辺をブラブラしていた筈ですが、最初の時は何をしていたか全く記憶はなく、2回目の時は暇つぶしに駅前のパチンコ屋に入り、パチスロでかなり儲けて夕食を買いに行った記憶くらいしかありません。駅前もそんなに栄えていたような印象もなく、Wikipediaに載っているような駅前の光景もまったく記憶にないのが残念。あまり印象が残っていない出雲市駅ですが、唯一、駅の情景を印象付けているのが駅構内にあった機関庫(レンガ庫)の写真です。※撮影は、昭和55年8月、出雲市駅にて。過去ログ『キハ181系:特急「おき」(その1)』からの再掲写真です。出雲市駅の下関寄りから撮影したものであり、構内にはそこそこ広さのある留置線があるのが判ります。旧型客車が留置されているので奥が見えませんが・・・留置線の奥には機関庫(レンガ庫)があり、検修中と思われる車両が留置されています。写真はおそらく300mmレンズで撮影したものと思われ、ホームからはそれなりの距離があるようです。これはキハ181系「やくも」が留まっていたために偶然撮影したもので、写真には2線分しか写っていませんが、ググった情報では3線分のレンガ庫であったようです。暗がりで見づらいのですが、庫の中にはスユニ60と思われる客車も見て取ることができます。昭和40年代前半くらいまでは、交通の要衝として蒸気機関車などが元気に構内を駆け回っていたものと思われますが、この時代でも構内は静寂な印象しかありませんでした。出雲市駅は平成10年に高架化されたらしく、現在の駅舎写真や航空写真から確認してみましたが、当時の面影はまったく見当たりません。駅前(おそらく北口)でブラブラしたときは、ゴチャゴチャしていてホコリが立ちそうな街の印象しかないのですが、現在は想像を絶するほど整った都市に発展したようです。逆に、昭和の鉄道の街を回顧することがまったく出来なくなってしまい、寂しさを感じざる得ません。
2024.04.04
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DD51&EF64PP牽引:臨時快速「本物の出会い栃木」※本記事は、2018-04-02に投稿したもので、当時の表現になっています。平成30年度いきなりの地元を沸かせた臨時列車。「本物の出会い 栃木」デスティネーションキャンペーン初日のイベント列車として、臨時快速「本物の出会い栃木」号が運転されました。編成は宇都宮方からEF641053+12系客車+DD51842のプッシュプルと組成され、運転区間は浦和~日光の片道運転の設定となっています。浦和駅では折り返し運転ができませんので、高崎~尾久~浦和と回送区間が設けられました。※撮影は、平成30年4月1日です。川口駅にて DD51842 回9824レ時刻表を見たときから貨物列車の6090レと競合しそうな雰囲気ではあったのですが、情報によると浦和辺りから東十条間は完全に並走したままになっていたようです。せっかくサクラとのコラボを目論んで構えていたのですが、目標位置に達する前に京浜東北線北行が発車してしまい、ご覧の有様でした。EF641053同じ列車の後部は、1053号機でした。後で聞いた話では1001号機ではないか?という情報があったようですが、この点でも裏切られた感があります。DD51842 回9525レ(後部) 臨時快速「本物の出会い栃木」 送り込み回送尾久から折り返した回送列車は、貨物線をやって来ました。尾久からの回送とあって、自転車橋ではみんなが本線に向かって構えていたのですが、私はサクラとのコラボを諦め、絶対にカブられないように上からにしていました。見えた列車は貨物線を良いスピードで走ってきたため、慌てて跨線橋を移動し、なんとか後部だけキャッチすることができました。事前のチェックで浦和駅の時刻表を見たとき、湘南新宿ラインのページに情報が載っていたのですが、すっかりアタマから飛んでいました。天気も良いし、サクラも持ったし、ある意味絶好の条件だったのですが、運が悪いのと調査不足で散々な内容になってしまいました。
2024.04.03
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185系:団体列車「静岡DCオープニング号」※本記事は、2019-04-01に投稿したもので、当時の表現になっています。昨年の『185系:団体列車「快速 プレDC静岡まつり号」』に続き、平成最後となる今年も団体列車「静岡DCオープニング号」が運転されました。静岡ディスティネーションキャンペーン初日に合わせ、東京~静岡間に設定されたのも昨年と同様で、やはり185系が使用されました。昨年は完全にノーマークだったので偶然に記録できたのですが、今年はあらかじめ情報を注視していたので、余裕をもって迎え撃つことができました。※撮影は、平成31年3月31日です。185系B5編成 団体列車「静岡DCオープニング号」 送り込み回送他の撮影者はゼロ。ゆったりと撮影できましたが、如何せん天気が悪くて7時前後でも結構暗かったですね。まったく人出がないので、ひょっとしてヘッドマークが無いのか?と心配もしましたが、昨年と同様にきちんと掲示されていました。立ち位置は悪いのですが、なんとかヘッドマークを撮ろうとチャレンジするも、残念ながらシャッタースピードを稼げなかったためにブレてしまいました。冒頭の写真はコントラスト注入によりモヤを飛ばしましたが、実際にはこれくらいモヤモヤしていました。天気が良ければシャープに撮れたんですけど。昨年と同じ設定で、ヘッドマークも似たようなイメージでしたが、列車名は大きく変わっており、マークも文字とイラストのバランスが逆転していました。
2024.04.02
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185系 OMC1編成:団体列車「上野運輸区乗務員・上野駅社員と行く185系回送ルートの旅」東日本に残存する国鉄特急形電車である185系編成のうち、C1編成は200番台風塗装となってレアな存在となっていますが、これがなかなか動いてくれません。185系 回送線・貨物線など周遊ツアーしかし、鉄道コムを見ていたところ、どうも団体列車で地元を走るらしい情報があったので、桜まつりの撤収作業(まだこれから咲くのに・・・)を終了した後、線路際へ行ってきました。※撮影は、令和6年3月31日です。185系 C1編成 9585M185系 C1編成 9586M団体名は「上野運輸区乗務員・上野駅社員と行く185系回送ルートの旅」というめちゃくちゃ長い困ったものです。経路は、上野(11:40頃発)~東北本線・東北回送線~尾久~東北本線・東北貨物線・東北回送線~東大宮操~東北回送線・東北貨物線~田端操~常磐貨物線・常磐線~金町~上野(15:30頃着)という感じで、まあ、乗り鉄には面白いコースかもしれません。当日は、午前中から宇都宮線の事故でダイヤが乱れており、しかも尾久車両センターに寄り道するコースのようなので、通過時間も良く分かりませんでした。結局は線路際に40分以上も待機する羽目に。帰路はスノ・ラビさんから大体の時間情報が入ったため、予定はしていなかったものの、もう1カット記録することができました。いつも思うのですが、せっかくヘッドマークがあるんですから、もうちっと活用して欲しいと思っているのは私だけではないと思います。
2024.04.01
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