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TEHRANとGHOMの間にある国際空港に近いところを飛んでいたときに撮影。見るからに乾燥している感じがしますよね。DSC02242 posted by (C)maryam f dDSC02243 posted by (C)maryam f dDSC02244 posted by (C)maryam f dそのおかげで夏は暑くてもカラッとした暑さですが・・・日陰だとかなりしのげます。車を日陰におくのと日向におくのでは大きな違い。日向に置いておくとハンドルがしばらく握れません。にほんブログ村
2011年08月03日
DSC02207 posted by (C)maryam f dDSC02208 posted by (C)maryam f dDSC02211 posted by (C)maryam f d定かではありませんが、、、これはドバイ上空だったと思います。今空手教室から戻ってきました。今日は有難いことに昨日よりも辛くありません。本日は柔軟と形の練習・・・のどは渇いていますよ。形の 裏 というものを習ってきました。ぐるぐる回ります。夏ですもの。にほんブログ村
2011年08月02日
にんぎょうつくりさんの TBS のお人形展でお会いしたときの画像です。お人形、思ったとおり、ブログから感じたままのお人形さんでした。魂がこもっていて、それがそれぞれのお人形さんの個性とぴったり重なっていて、にんぎょうつくりさんの一部であり、でも全てでない。子供 のような存在なのかしらね?息子も私の一部を継承しているけれど、でも彼は私でないように。全ての部分を、手足、顔だけでなくお顔を描き、髪、目玉、お洋服まで、丁寧に心をこめて大切に作られていて、それを思うと私が自分のお腹のなかで自然の力で息子を育んだよりもよほど、よほど、精神力も、ご苦労もお時間も注がれて生み出されたのであろうと思いました。お人形のお写真もじっくりと沢山撮らせていただけました。本当に嬉しかったです。ちょっとだけ位置や角度を変えただけで、人の表情のように、お人形のお顔や表情や年齢や、印象が次々と変っていくのに驚きました。IMG_0021 posted by (C)maryam f dIMG_0022 posted by (C)maryam f dこの日はお昼を元同僚と子供達と食べ、その後展覧会に行きました。彼女達が息子をみてくれていたので にんぎょうつくりさん とゆっくりお話できました。TBSでは採用試験、たぶん面接と思われるものを行っていました。初々しくスーツに身を包んだ学生さんたちをたくさんみかけました。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年06月13日
雲の絨毯。イランの空港に近い場所の画像です。DSC02219 posted by (C)maryam f dDSC02220 posted by (C)maryam f dDSC02221 posted by (C)maryam f dにほんブログ村
2011年06月12日
お墓のある駅の風景。ちょうど電車が来ました。IMG_0299 posted by (C)maryam f dあとの画像は飛行機から撮影した雲の上の青空と光。この青と光は地上の何倍もの濃さ、強さがありそう。私が見たかった青空が見られました。これが本当の sky blue という色なのでしょうね。DSC02215 posted by (C)maryam f d DSC02228 posted by (C)maryam f dDSC02230 posted by (C)maryam f dDSC02231 posted by (C)maryam f dにほんブログ村
2011年06月12日
今朝アップできなかった、日曜日にいったときの画像です。日本の従姉妹と。彼女は今6年生ですが、まだ習ったこともないし、スタートも満足にできませんが、短距離走に素質があり、そんな状態で大雑把に計ったタイムは県の上位なので最近陸上のクラブに籍を置くことなりました。クラブ内では男の子が彼女に敵わずはえーーーーなーーーー。と後ろから声を漏らすとのこと。IMG_0229 posted by (C)maryam f dIMG_0230 posted by (C)maryam f dIMG_0249 posted by (C)maryam f dIMG_0256 posted by (C)maryam f dにほんブログ村
2011年06月08日
今朝はなぜか?ネットの調子がわるくて画像もアップできないほど。昨夜は夫とヴィデオチャットしました。1時間半も。義母が昨日の朝から眩暈がひどいようで、臥せってました。義妹と子供たちと2,3週間後にはメッカ小巡礼を控えているのに、心配です。明日の夜発つので大荷物を宅急便で送りました。長かったような、短かったような、充実した、夢のような2週間でした。これでまた 2,3年 イランで暮らせそうです。2008年に滞在したときは1年の滞在で暮らしていたので、なんというか息抜きではなかったからか、、、苦しかったですね、、、2009年の6月から2011年の2月までは 諦観、虚しさ を抱えて生活していたように思います。今回は生き抜き、休暇、リフレッシュ、これで再活性できるといいなと思います。にほんブログ村
2011年06月08日
動物園画像の続きです。動物大好きの息子には お触りできる動物園が たまらなく楽しかったみたいです。IMG_0160 posted by (C)maryam f dIMG_0159 posted by (C)maryam f dIMG_0204 posted by (C)maryam f dIMG_0196 posted by (C)maryam f d今日は プラネタリウムで星空をみせてあげたいと思い立ち、出かけました。こういうとき都会にいるとちょっと電車にのると見せることができるのでいいですね。実家では満天の星はみられますが、星座というものの存在を教えたかったのでした。そして 月や太陽が時とともに西の空へ沈むことや北極星というものの存在や星は見えないだけで、曇りの夜(も昼)も輝いていることなどなんとなく理解してほしかったのでした。にほんブログ村
2011年06月07日
IMG_0074 posted by (C)maryam f dマックにかぶりつく息子。IMG_0029 posted by (C)maryam f d友人の子供たちと。にんぎょうつくりさん とお会いした後に撮りました。以下は一日目の動物園画像。IMG_0100 posted by (C)maryam f dIMG_0111 posted by (C)maryam f dIMG_0116 posted by (C)maryam f dIMG_0131 posted by (C)maryam f dIMG_0147 posted by (C)maryam f dIMG_0152 posted by (C)maryam f dIMG_0187 posted by (C)maryam f dIMG_0189 posted by (C)maryam f dにほんブログ村
2011年06月07日
IMG_0069 posted by (C)maryam f dIMG_0068 posted by (C)maryam f d足湯。。。。気持ちよかったですよ。温泉はやはり普通のお湯と全然温まり方が異なりますね。にほんブログ村
2011年06月06日
今日は 買い物をしてお墓へ、、、と思ったのだが、連日の疲れと、本日の暑さからか、息子はあまり機嫌がよくなく、だるそうだったので、お土産の買い物を 少しした時点でホテルにもどった。そして息子には友人が送ってくれたアニメをみさせて私は大きなスーツケースに土産などをつめる作業をした。今回、私は女性陣のお土産を、夫が男性陣のものを買うようにした。男性のものはわからないから。お土産はほとんど衣服だが、ネックレス、携帯ストラップ、雑貨類も買った。衣類のサイズがなかなかみつからない子にはバッグを買った。あとは子供たちには本や鉛筆なども。夕方日差しが弱まってからお墓へいった。写真も撮った。この前撮ったときは息子はまだ6歳になってなかった。今回が8歳になる前で、この次は11歳になるだろう。お墓参りしたあと、再びお土産探しをして、ホテルに帰った。日本滞在もあと三日。最後の日は空港へ早めにいくので、二日間と言える。行きたいところへも、行けたし、やらなければいけなかったことも、でき、会いたかった人にも会えた。充実した旅だったと思う。日本の空も、風も、光も、香りも、人々も、町並みも、都会の風景も、電車も、木々も、土も、、、、みーんなこの眼に焼き付けた。記憶に焼き付けた。私と日本という国の関係は今後どうなるのかわからない。でも6,7年ぐらい前よりは少し近くなってきたように思う。この次に日本に来るときにはどんな想いでくるのだろうか?どんな目的があるのだろうか?私と日本の距離はどれほどのものになっているのだろうか?ちょっと楽しみのような気がしている。にほんブログ村
2011年06月06日
IMG_0075 posted by (C)maryam f dIMG_0091 posted by (C)maryam f dIMG_0092 posted by (C)maryam f d空手教室で撮った画像です。息子にとっても、私にとってもとても良い経験でした。3年後には、もっと、もっと心も体も強くなりたいです。
2011年06月05日
今日は姉と子供たちが、こちらまで出てきてくれて、一日楽しく過ごしました。姉の娘はまだパンダを、、、見たことがないということで、息子はまた ヤギや羊、鶏を触りたいと言っていたので上野動物園にいきました。今日は曇り勝ちでしたがおかげで風もあり、涼しくて過ごしやすかったです。昨日は日焼けしてしまうほど暑かったですから。。。。姉といろいろな話もできました。姉に私が帰国してから父がなくなるまでの4ヶ月間のことを聞きました。今まで電話やメールで話は聞いていましたが。もっと詳しいことを細かく話してもらったり、尋ねたりすることができました。以下の画像は、私が今回行くことができた 思い出の場所 です。IMG_0033 posted by (C)maryam f d震災のため石にヒビがはいって上は通行止めでした。IMG_0034 posted by (C)maryam f d上の画像よりも、どちらかというと、この鉄棒のほうに思い出がある。残念ながらもう前周りの連続はできなくなってました。大学時代でも簡単なことだったのにねえ・・・・にほんブログ村
2011年06月05日
疲れがたまっているため、箇条書きで記載します。お許しくださいませ。金曜日、滞在9日目午後1時にイランにもきてくれたことがある、元教え子と会った。その後4時過ぎから6時半まで空手の練習をし、館長とお会いすることができた。7時には私の従姉妹と待ち合わせし、一緒に夜ご飯を食べた。ホテルに到着したのは午後10時半過ぎていた。非常に疲れた。本日滞在10日目朝昨日あった元教え子が旦那さんと息子2才を会わせるためにわざわざホテルまできてくれた。短時間だったが初めてお会いする。その後、お昼をとってから私と息子は動物園に行った。息子にパンダを見せられてよかった。私は小学校に上がる前の年にたぶん両親に連れて行ってもらったように思う。あるいは小1のときに。動物好きの息子は 疲れを知らずあらゆる場所をみることを所望し、 やぎ、うさぎ、羊、鶏、ねずみなどを触ることに飽きることを知らず。。。私は日焼け止めを塗っていたにもかかわらず顔は日焼けし、足は久しぶりに疲労感で痛いほど。息子を9時に寝かした後、私も寝てしまい夫からの電話で目が覚めた。そしてこれを書かねばと思って重い体に鞭打ったところ。久々によいお天気で気持ちよかったが、疲労がたまっているようなのでこの程度のことしか書けない。許してください、あしからず。追記土曜日だったこともあり動物園は家族連れとカップルが多かったのですが、、、、息子は動物園の入園口付近で 子役のスカウトをするひとの目にとまったようでした。子役にさせることを考えたことはありませんか?と尋ねられました。私は 残念ですが海外在住で、まもなく日本を離れますからと丁重にお断りしました。子供さんを芸能界に出させたいと思っている息子のようにミックスのお子さんをお持ちの方はこういう時期にこういう場所へお出かけになるとお声がかかると思いました。にほんブログ村
2011年06月04日
今日は朝、荷物の整理をしました。もしかしたら伯母の家で泊まりになるかもしれないと思ったからです。午後1時から2時の間に伺うと言ったので息子とお昼をとってから行きました。着いたのは午後1時過ぎでした。伯母は数年前に胃がんの摘出のために7,8キロやせその後70歳をすぎてから膠原病をわずらっています。私のリュウマチはどうやら母方の家系のようです。曽祖父がリュウマチ持ちだったようで、伯母と私にでたようですが、それでも私のリュウマチは症状は穏やかだし、リュウマチの症状は二十歳を過ぎたころからあったけれど膠原病、リュウマチの検査をしても日本でもイランでもずっと陰性で38歳をすぎてからリュウマチだと判明した。伯母の膠原病も70歳を過ぎてからということで大変珍しいそう。持病にしては発症も遅く、症状も穏やかなので感謝してます。伯母の家では昨日は伯父の命日だったそうで冥福を祈りました。私が伯母の家に電話をかけた日だったので伯父が冥福を祈ってほしいと私に訴えているような気がしました。私はここ数ヶ月なくなった方々の冥福を祈っていましたが。。。。特別に自分のために祈ってくれと頼まれているような思いを感じました。私は伯母の旦那さんの伯父の命日までは覚えていなかったので、、、。息子は伯母の家で退屈そうでしたが、絵をかいたり、ボール遊びしたり、電子ピアノを弾いたり、歌ったり、踊ったり、テレビをみたりしていました。私はひさしぶりに伯母といろんな話をしました。父母のこと、祖父のこと、伯父さんのこと、従姉妹のことハトコのころ、母の従姉妹や母の叔母のことなど。私は来日する数ヶ月前にこの伯母の夢を2回みていました。そして今回来日したら絶対に伯母に会いたいと思っていました。それが果たせて本当に嬉かったです。 伯母のところは午後8時過ぎにでてホテルには9時半ごろ戻ってきました。明日はインシャアッラー、元教え子と会った後、空手教室へいって館長に会い、そのあとこの伯母の娘である従姉妹、私よりも10歳年上に会う予定です。忙しい日になりそうです。にほんブログ村
2011年06月02日
本日は朝から夕方まで何度となく空手の総本部に連絡をとりましたが連絡がとれず、練習があるということはわかっていたので4時すぎにでました。5時前に到着し4時から7時までは小学生の部でした。あいにく館長はいらっしゃいませんでしたが、息子を日本の子供たちと一緒に練習させ、組み手もやらせることができました。幼稚園の女の子が一人いただけであとは皆男の子で息子をふくめて12人いました。6時で帰った子が一人いましたが。。。3年生が二人いたのですがふたりともかなり体格がよくて私はびっくりしました。4年生以上にみえました。最初彼らは私たちが2年で茶色帯を取得したと言ったらうらやましがりました。いらした範師の方も茶色は日本と同じような過程を経て取得したか?と確認のため尋ねるほどでしたから。しかしミットでの練習ですでに範師は息子が左右の足をバランスよく使っていること、体の軸が安定していることを褒めて下さいました。組み手をしたら自分よりも段は下ですが学年は1,2学年上で背も15センチは高く、体格もずっといい子、15キロ重い子を相手に何度も回し蹴り上段を決めていました。そしたら見ていた子はみな茶色帯を容易に取得したわけではないと、納得したようでした。息子の回し上段蹴りは決まると本当に美しいから。それが何発も大きな子に決まったから。そして範師はじきじきに息子と私に関節技を教えて下さいました。関節技は護身にかかせません。そして護身から攻撃にかえることもできます。これは息子にも私にも為になる教えでした。金曜日に館長がいらっしゃるのでまた、息子とともに練習も兼ねて行ってこようとおもっています。ひざを範師にみてもらったらやはり水が溜まっているのですぐに医者いくようにと言われました。保険がないので私は帰国したら医者へ行くつもりです。明日は母の姉(伯母)の家に行きます。もしかしたら泊まりになるかもしれません。更新できないかもしれませんがあしからず。にほんブログ村
2011年06月01日
今日はなんと長い道のりだったでしょうか。そして長い一日だったでしょうか。朝5時半におきて6時半に出発し、もどってきたのは午後10時。ありがたいことに目的は果たせました。頭痛がするので後日内容はお知らせいたします。どうかお許しくださいませ。
2011年05月31日
本日は いろいろと雑用がありました。まずは帰りのことを考えて、成田までの足につかう交通機関の切符には予約がいるか、どこで購入できるのか?荷物をどうやって運ぶか?などを考えていました。その場所にいって、切符も予約してきました。そのあと、どうしても今回行きたかった場所へ行ってきました。方向音痴の私にはまったくわからず?その上その場所は たった一度だけしか行ったことがなくそれも、夜中に友人たちと行った場所で始発がはじまった明け方に 早稲田の駅でそれぞれ帰途へつくために分かれたところから、記憶をたどって行きました。息子にはかわいそうなことをしましたが・・・・なんと2時間もうろつきまわりました。1時間すぎたころにはもう、もう、半ば以上いきつくことはあきらめました。まったく思ってもいない場所にきたので、再び振り出しまで道を延々ともどったりもしました。。でも一生懸命、行き着くことだけを考え、祈るような気持ちでまた出だしから別の道を目指して行きました。そしてついにその場所だと思われるところに行くことができました。20年以上も前に、友人4人と居酒屋の暖簾が下りるまで飲んで、終電もなくなり、始発まで そのあたりを散歩して丘に向かって坂道を登ったところにあった鉄棒、それをみて 当時の私は小学生だった自分が懐かしくなって酔っ払った勢いで ぐるぐると前転を連続した鉄棒をみつけることができました。頂上とおもわれるところは、震災のために石がひび割れて危険ということで立ち入り禁止となっていましたが、、、、私がいってみたいと望んでいた場所が近づいてきたそのとき、朝から 雨風が吹き荒れていたのに、、、そのときだけ、、、きっと神様が私の姿を見ていてくださって、がんばってみつけた私にご褒美をくださったかのように陽がさして、私たちの上から太陽の光を浴びせてくれたのでした。私は自分の原点にもどりそれを確認してくることができました。また今後そこに再びもどることがあるのか?あるいは戻ることなくその先を進むのか?まだ自分自身にもわかりませんが、私は自分の原点のひとつを確認することができたのです。その後、息子と約束していた場所へいき、息子と日本へ来る前から約束していたことをしました。戻った後は大急ぎでコインランドリーで洗濯をしてきました。明日は実家の付近へ戻ります。やらなければいけないことがあるので、どのぐらい時間があるかわかりませんが、今回の帰国の第一の目的を果たしに行ってきます。インシャアッラー、目的が無事に果たせますようにと願っています。 にほんブログ村
2011年05月30日
にんぎょうつくりさま本日はお会いすることができてとてもうれしかったです。お人形様のお顔には 皆 それぞれの個性が表れていて、いまでも 一つ一つの 表情と印象がはっきりと私の脳裏と胸の裡に残っています。みな にんぎょうつくり さんの 魂の一部を引き継いでいて、そしてそれに個性が重なっていました。ですから にんぎょうつくり さんの お子様やお孫さまとお会いしたのと同じように感じました。とてもかわいがられ、深い深い愛情と慈しみを元に生み出されていて、世界でたったひとつというところも なんら 人 と変わりありませんでした。人形には魂がこもっている、、、、よく耳にしてきた言葉でしたが、私がそれを実際に感じたのは今日初めてでした。これまで写真などで別の方が作った人形をみたときに感じたこともありましたが、今日実際に作者ご自身と作品をお目にかかってはっきりとそれを感じました。このお人形様がたをどなたかに手渡される場合はどうぞ本当に、愛情の深いかたのもとへどうぞ、どうぞお願いいたします。今日はありがとうございました。息子がパソコンでヴィデオを見たがるっているのでここまでしかかけません。あしからず
2011年05月29日
本日は昨夜ネットで調べて、朝10時半に出かけて、室内プールのある娯楽施設に息子を連れて行きました。イランでは子供は5歳以上でなくてはプールに入ることができず、その年になるともう、異性と一緒にプールに入ることは許されないので私と息子は一緒にプールで泳いだことがありませんでした。息子は去年の夏に12回ぐらい水泳教室に通ったので水は怖がりませんがバタ足が多少できる程度でした。今日は息子と水の中に入って、体は自然に浮くものだということを理解させました。彼は背中を丸めると浮くことはしっていましたが、水の中にリラックスして寝ることはまだできませんでした。人体は一旦沈むのですがその後浮きます。でもそれがわかってない人は浮かび上がってくる前に怖がってじたばたしてしまいます。息子も完全に体が浮き上がるところまで理解できていませんでした。私は最初うつむけの状態で足だけで海中を覗くときのように前に進むことができるのを教えていたのですが、それでも彼になかなか最後のところが伝わりませんでした。そして仰向けで浮かせることにしました。顔を天井にむけなさいとかいろいろ言いましたが、お腹をそらせなさい、、、といったら、ようやく私が教えたかったことが彼に伝わったようでした。お尻と足が浮く感覚がどうやら、どうやら、理解できたようでした。息子は長い長い、滑り台をおそらく50回も滑ったでしょうか?この数字は決して大げさではないです。私も彼につきあわされて30回は滑ったでしょうか?滑り台と同じ長さの階段をあがるのもなかなかの運動でした。空手をやっていなければここまで彼のエネルギーと好奇心と興味につきあうことはできなかったでしょう。。。そして一時間に一回、人工的に起こす波が彼は甚く気に入ったようでした。息子を背負いながら、抱き上げながら、手をつなぎながら、体を支えながら、私の肩の深さまで息子をつれて波に打たれていました。彼は体で波がきたときにどうしたらいいのか会得していました。これは私は何も教えていなかったのですが、彼は波がきたとき波の下のほうへ向かってもぐっていました。これは波に巻き込まれないでやり過ごす方法としては正しいと私は思っています。くたくたで、息子はバスで居眠り、それを起こして電車にのせて、新宿ではちょうど土曜日の混雑の時間帯で超満員の朝のラッシュほどではありませんが満員電車ではありました。そんな電車の様子、人の列、人の波などをみせてあげられてよかったと思っています。彼にとっては日本の別の場所、別の顔、別の表情を見たような思いだったのではないかと思います。明日は同僚だった友と私も含め、皆子連れで会います。私が働いていた学校もずいぶんと変わったようです。一人はまだ教育現場にいるので、最近の高校の様子もきけることでしょう。そしてその後、インシャアッラー(神の思し召しがあれば)ネットで知り合った にんぎょうつくりさん ともお会いできることでしょう。楽しみです。
2011年05月28日
一日目は イランを発つ前のことを書いた記事 のコメント欄に書きました。極度に疲労して、張り詰めていた神経はホテルについてからも容易に弛緩せず興奮状態で眠れませんでした。書くことははほとんどなかったので、二日目、本日のことだけ記します。本日は息子は疲れきっていたため、私もですが、活動したのは午後1時になってから、両親のお墓参りにいってきました。入梅したのでしょうか、今にも泣き出しそうな天候でしたが、ありがたいことに最後までもってくれました。この前に行ったときはすぐにみつかったのに、今日は入り口を変えてはいったため、お墓をみつけるのに戸惑ってしまいました。きれいになっていましたが、雑草をとって、水をかけ、水をいれてお榊をあげました。息子と一緒に手をたたきましたし、イスラム式の祈祷もしました。息子が成長した姿をみせて、どうぞ息子を遠い空から見ていてください。と伝えてきました。私が息子ぐらいのときにもここへは来たことがありました。30年以上たっても、ここはあまり変わっていませんでした。大きな桜の木があり、この木はずっとずっと私がこんなに年をとって、いろんな場所で生活していた間もここでじっと時を過ごしていたのだなと思ってみました。栗の花の独特の匂いがしていました。お墓参りをしながら、、、、私の肉体は果たしてどちらの地に、あるいはどこに、置かれるのであろうか?という思いが浮かび上がってきました。なんとなく、、、、予感のようなものはありますが、それは心の裡に秘めておくことにします。持病の薬を飲んでいかなかったのを思い出したのでホテルに戻り、時間があったのでシャワーを浴び、荷物の整理などしていました。7時からは元教え子の二人、、、彼女たちは2年間私が担任をしていた、、、と待ち合わせしていました。二人とも高校時代の面影がたくさん残っていました。私は彼女たちをもう、友人のような気持ちで見てしまいます、社会人としての経験は彼女たちのほうがはるかに長いのでふたりとも独身なのがちょっと心配ですが。。。。。そんな気持ちになってしまいます、、、それなのに、彼女たちは まだ 先生 と私を呼んでくれたことが感慨深かったです。私が彼女たちを担任したのは3年目4年目の2年間で彼女たちを1,2年担当しながら、結婚のため卒業させるまでいられなかったのに。。。。毎年クラス替えがあったのですが、彼女たちは2年間担当しました。縁が深かったのでしょうね。。。こうして、あれから15年以上も経つのに連絡してくれて会ってくれる子たちがいることを本当にうれしく思いました。私の誕生日までしっかり覚えていてくれてプレゼントまでくれました。教師に不釣合いなほどに私の生徒は立派でした。
2011年05月27日
こんにちは。もう更新はしばらくできません。日本に着いてから、可能な時点で致します。膝は一夜明けたら 腫れがひどくなってました。夫にポマード頼みました。痛みはそれで治まります。今朝の夢も とても とても 嬉しい夢でした。こんな夢が見られるようになった自分になれたことに皆様に感謝いたします。自分が変ると見る夢も変るこれは 真 です。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年05月25日
結局本日も空手教室で練習した。開始して15分ぐらいして走っていたら、膝の痛みから今度は腿にあがってきて腿の後ろが両側からひっぱられるような痛みがあったので師範に申し出て腹筋をしていた。どうなるかな?と心配だったのだが、結構痛いほうの足で蹴ったりしたが練習後は・・・なんと痛みがとれていた。もちろん膝の腫れは相変わらず、打撲の痛みもある。痣にはなっていないが。でも筋がつっていたのが治った!治るかもっと悪くなるか?賭けだったのだが、どうやら良いほうへ傾いたようだ。有り難い。範師、空手仲間たちとも 旅行へ行ってくることを告げてさよならしてきた。教室から帰って、お風呂にはいって、そのあと母の日 だったので、 花(花よりも 竹 のほうが楽しめるので竹を 2本買って)義両親の家に行った。まだ誰もきていなかった。その後次々と義姉妹達がやってきて結局2時間半もいた。久しぶりだったので義姉妹たちと会話が弾んだ。みな明日発つのね、気をつけて、楽しんできて!と言われた。お土産も要らないからともいわれた。誰もまさか、私がお土産をもう購入していてホテルに届いているとは思ってもいないだろう、、、と思って聞いていた。最後に義妹の二人と義母にだけあまり心配しているので、すでに購入してあるのよと話した、信じられなかったようだった。でも最後にはわかってくれて、それは良かったといわれた。買わなくても良かったのにとも言われた。私も沢山は持ってこられないから大したものを買ってませんと答えた。まだ・・・実は荷物は完全でなくいろいろ入れないといけない。最後の最後にならないと入れられないものもあるから。でもかれこれ2週間前から持っていきたいものはリストにしてある。いよいよ発つのは明日。息子が風邪ひいたり、熱を出さないことを一番願っている。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年05月24日
ここ数日、来日中にお会いしたいと思う方々へ予定や滞在先を送っている。可能な限り、お会いしたいと思っている。前回来日した、、、というか1年も滞在していたのだが、、、父の具合やら、自分達の生活のためなかなか思うようには出掛けられなかったから。今回は息子を プール、遊園地など娯楽施設に連れて行ってあげたいと思っている。その他にネットで出会ったにんぎょうつくりさんの 赤坂サカス での 展覧会はちょうど来日期間に開催されるのでぜひお伺いしたいと思っている。彼女のお作りになるお人形を見たときなんともいえない気持ちがした。衝撃的で とても心惹かれた。少女のような、妖精のような、人形によっては妖艶な、怖い、近づき難いような気高さ、いろんなお人形からいろんな思いが伝わってきた。彼女達に直接あって、どんな新たな思いを感じられるのかとても楽しみ。そして私が通っている空手道場 拳真館 の総本部 にも範師の伝言をお伝えするためにご挨拶にいこうと思っているので今朝は サイトからメールアドレスを探し、そこから連絡をした。ついでに、私が特別クラスで時々指導を受けているahmad shaghaghi 範師の言を見つけたのでご紹介。(名前の読み方は アハマド シャガギ に近い。 シャガギ の ガ と ギ の音が gha ghi という 咽喉と鼻にかかる音で日本にはない音。この音は ハ と言う口の形のまま ガ と、 ヒ という口の形のまま ギ と言ってみると音の違いがおわかりになるはず。ペルシャ語ではこの音と日本にもある カ行の音を厳密に区別する。)イランは男女の接触には厳しいのでほとんとの場合 彼の奥方の 師範 と 18歳の黒帯4段の師範に教えを受けているが、この半年は機会があれば 範師 の指導も受けている。2週間という短い期間ではあるけれど、充実した時間を、息子とともに無事に健康に過ごせることを願っている。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年05月23日
IMG_2225 posted by (C)maryam f dIMG_2231 posted by (C)maryam f dIMG_2240 posted by (C)maryam f dIMG_2226 posted by (C)maryam f dIMG_2230 posted by (C)maryam f d二日目は本当に夕焼け空が美しくカズピ海を彩っていた。海も穏やかでやさしく、暖かい色に染まって心を落ち着かせてくれた。テヘランでは味わえない澄んで、水気を帯びた空気も肌にとてもやさしい風を運んでくれた。今度いつこの海を見られることになるかは神のみぞ知る。。。。テヘランの生活につかれ、日常に疲れたときこの海はまた今回とは違った表情で私を迎えてくれるであろう。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月23日
二日目は朝から快晴で海もとても穏やかだった。午前中は公園にいき、夕方から海にいった。息子も前の日よりも体を濡らして磯辺遊びをしていた。貝殻も1キロぐらいみつかって、蝋燭作りの材料になるぐらいの収穫があった。画像は一日目の海で荒れ模様なのだけれどご勘弁。現地の人があひるに餌をあげるために海にきていた。あひるの画像だけ二日目の海。IMG_2166 posted by (C)maryam f dIMG_2174 posted by (C)maryam f dIMG_2179 posted by (C)maryam f dIMG_2181 posted by (C)maryam f dIMG_2198 posted by (C)maryam f d馬の画像は車内から撮ったのでお粗末。今回は乗馬もしなかった。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月21日
画像の続き。以前は砂の中にたくさん貝殻があったのに、ここ数年あまり見かけなくなってしまった。金魚や海水魚の水槽ブームで乱獲されてしまったのか?林の画像を採った公園はまだ息子を妊娠する前に行って、画像をもとに油絵を描いたことがあった。ここはほとんど様相が変わっていなかった。IMG_2163 posted by (C)maryam f dIMG_2175 posted by (C)maryam f dIMG_2178 posted by (C)maryam f dIMG_2185 posted by (C)maryam f dIMG_2187 posted by (C)maryam f dIMG_2189 posted by (C)maryam f dにほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月17日
先週の金曜日に断食明けの祝日、エイデ フェトル(fetr)。金曜日と土曜日が休日で私たちは義両親と月曜日から本日までイランの北、カスピ海へ旅行にいってきた。イランの北は秋の気候でとても涼しく、時期がよかったのか、あまり混んでおらずとても充実した旅ができた。海がとても恋しくなっていたので美しい景色や風景を見てとても心が満たされた。IMG_2140 posted by (C)maryam f dIMG_2142 posted by (C)maryam f dIMG_2146 posted by (C)maryam f dIMG_2150 posted by (C)maryam f dIMG_2175 posted by (C)maryam f d一日目は少し海が荒れていたが波紋が美しかった。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2010年09月14日
子供たちは滑り台で大はしゃぎ本当に気持ち良さそう~。次の日も荒れているカスピ海。でも子供たちは波とたわむれる、、、。私も。。。。海で遊んだあと車で少し離れているところへ行った。日本のような山道、林や森をぬけて登っていったところには湖畔があった。蒸し暑かったのにここにきたら肌寒い、、、私はマントの上からウインドブレーカーを羽織ったほど。靴下がなくてちょっと寒い感じ。この景色が、10分しないうちに、、、この通り、、、。あひるもいたし、魚もいました。最後の夜は焼き鳥、、、。イランの焼き鳥 ジュジェキャバブは大きいでしょう!イラン人の胃袋の大きさがわかってしまう?私もすっかりその一人。。。。
2009年08月29日
今回イランで初めてケーブルカーに乗りました。ここをあがっていきました。急勾配で思っていたよりもスリルがありました。このケーブルは去年できたということで安心して乗れました。上にあがっていくとケーブルカーからはカスピ海が見えました。生まれ故郷を思い出す美しい景色でありました。夕方にいったのが残念でした。あと一時間ぐらい早く出かけていたらもっと美しい画像を撮れたかもと、ちと残念でありました。
2009年08月21日
さてこれは何が写っていると思いますか?よくみてください。みたことのある方もいらっしゃるかしら?食べ物です。何でしょうか、、、、、、。鶏です。そーです。鶏の足と頭の部分です。私は足をきれいに洗ってとろとろに煮たものを食べたことがありますが、頭の部分は食べたことがありません。手術の後など傷口をふさぐのに効果があると聞きました。舅が心臓の手術をしたあと手術後の経過が非常に悪かったので義妹が足を買ってきて作ったことがありました。ゼラチンの成分が豊富に含まれているのだと思います。
2009年08月15日
カスピ海は風が強く、波が高く荒れていました。でも磯辺遊びするにはスリルがあってよかったかも。子供はかなり危険だったけど、、、。荒れたカスピ海もなかなかピリッとしていてカッコイイかも。
2009年08月15日
お泊りした施設の庭の様子。朝はこの鶏たちが目覚まししてくれました。
2009年08月15日
こちらがイランの北のお土産もの。木工製品や貝殻などを使っています。
2009年08月15日
イランの北名物の各種ピクルス。果物のピクルスがたくさん。杏のピクルスもある。三枚目の画像はにんにくのピクルスだが、小粒で花のようなにんにく。にんにくのピクルスは年季が入るほど色が茶色そして、黒へと変色していく。6,7年たつと真っ黒で皮ごと食べられる。なにもかもが柔らかくなっている。イランの北ではにんにくのピクルス、くるみとにんにくと一緒に漬けたオリーブを添え物に、にんにくと焼きなす、焼きトマトを混ぜた郷土料理を食べるから、、、、三日間ぐらいは口臭だけでなく汗もにんにく臭くなりまる。一年分のにんにくを食べたかもしれない、、、、。
2009年08月07日
初めて行ったRAMSAR地方は涼しく風が強い気候で、海は荒れていた。子供、泳げない人が入ったら危険極まりないと思ったが、どういうわけか、いつみても満ち潮で前へ前へと押し出されていた。沖にひきずられないだろうとわかり少し安心したが。。。前には石の階段や岩がありそっちに押されて頭を打ったら息子などはひとたまりもない、、、。それでもみると入らずには居られない私は息子の手をとり膝下20センチのところにいたが何度も高波を頭からかぶった。でも波に打たれる感触がたまらなかった。気持ちが良くて波に打たれる度に息子とげたげた笑い転げていた。
2009年08月02日
昨日は、改革運動で亡くなった人の40日目。日本でいう49日のようなもの。でテヘランの各地でいろいろな行動や、車は追悼の意を示すためにクラクションを沢山ならしたりしていた。イランの北に行く途中も行きかう車をみると、ピースサイン、緑の布、ルサリー、マント、中には日本でいうスプライトのペットボトル、、、、緑色なので、、、を車窓の外に掲げて改革を支持する表示をしていた車を沢山みた。非常に写りが悪くて恐縮。テヘランに戻る前の日に山の上の湖畔にいったのだが、そこではなんと女性の半分はルサリーをはずし、首にひっかけていた。義妹は黒のチャドールをしていたが、それをみてある女性がこんなところまできてチャドールしてるよ。テヘランでは必要かもしれないけど、なんでこんなとこまできてそんな格好してるのよ!みたいな意味の言葉を言われたようで、彼女は傷ついていた。。。。改革、自由も必要だが、したい人はして、したくない人はしない自由になるといい。しない人もする人もお互いに相手を干渉しないこと、それぞれの立場や考えを尊重する社会になればいいと思うが、、、、これはかなり難しいことと思われる。
2009年08月01日
美しい青空に緑がよく映えた景色、、、この画像を撮る前も沢山のトンネルをくぐっていましたが、この景色のあとに控えていたトンネルをくぐったら、、皆さんどんな景色がまっていたと思いますか?こんな景色でした。トンネルを抜けるとそこは霧に包まれていた。。。。
2009年07月28日
テヘランからだんだん離れて、イランの北、カスピ海のある方面に近づくと徐々に山が日本人が所謂言う山のようになってきます。イラン的にいうとジャングルが見えてきた。。。画像はちょぼちょぼ緑がみえ、北に近づいてきたかな、、、という感じ。この画像をよく御覧くださいませ。何か気がつきましたでしょうか?よーーーくみてください。。。。。。見つけられた方はすばらし!この画像の中には二頭の牛が写っています。急勾配の斜面だったんですが、こんなところに牛!と思っておもわずシャッター押しました。
2009年07月28日
テヘランからさほど遠くないキャラジというところにあるダムの画像。一ヶ月前から言っていました、今年のテヘランは水不足の心配がない、、、本当でした。ダムにはたっぷり水がありました。テヘランは猛暑ですがありがたや、ありがたや、、、今年は断水の心配がない!!!
2009年07月28日
今回私達がいったのはRAMSAR地方というところ。私は初めて行きました。これまでいったなかで一番遠く、7,8時間かけて行きました。水曜日に行ったので義妹の旦那さんが仕事からかえってきてからの出発となり、午後四時を過ぎていたと思います。到着したのは次の日になっていました。午前1時ごろ着いたのでした。イラン人に山というと日本人が山という言葉を聞いたときに思う緑の木々が一杯の山を想像する人はまずないですね、、、。イラン人にとっての山は画像のような山肌が露出しているのを言います。日本人が思う緑豊かな山は山でなくジャングルといいます。画像はまだテヘランからそう遠くないところで撮った画像です。車内から撮ったのでこんな画像になりましたがお許しくださいませ。
2009年07月28日
今年は猛暑のテヘラン。暑さから逃れ一息つけるかな?と義妹の旦那さんの勤め先のヴィラに行ってきました。イランの北、カスピ海方面は何度となく旅行にいきましたが、今回行った方面は初めてだったのでまだ掲載してことのない画像を沢山とることができました。まだADSLがつながっていないので画像をアップできるかどうか?ですが、少しずつ公開していきたいと思います。7月14日から週三回、日曜日、火曜日、木曜日に息子と息子の従姉妹四人と空手を習い始めました。空手といっても最初は体力づくりと柔軟性を養うための運動、、、。首、胸、腕、おなか、腿、すね、背中、、、全てが筋肉痛となりました。現在は背筋が痛く、ジャンプすることができないこと五日間。でもおかげで4年前に買ったジーパンでここ1,2年ウエストがきつくてはけなかったのが着られるようになりました。おなか、おしり、腰周り、ももはかなり引き締まりました。体重はさほど減っていないのにねーーーー。おなかがでると中年太りと言いますが、太るというよりも筋肉の老化現象でしまりがなくなり、脂肪が外にでておなかがぽっこりすることがよくわかりました。通っている空手教室は拳真館というところであります。現在は つき 前蹴り 立ち 周り など初歩の初歩をやっています。一年以上ぶりにリュウマチの検診に行きました。日本でもイランから持ってきた薬、なくなったら送ってもらって飲んでいました。薬をきらしたらまずいかな?ときらさないように薬の量を勝手に減らしてました。それを正直にはなしたら。医者からいやみを言われたものの、経過はよく、ぶつくさ文句をいいながらも医者は私が勝手に減らした量の薬を処方してくれたのでした。
2009年07月27日
2008年04月28日
2008年04月28日
画像はまだ続きます。
2008年04月27日
こちらがアンティークな建物の窓。本当に古風な感じ。二枚目はアンティーク品を展示していたので撮ってみました。農耕具とか、織機、ランプ、羊飼いが来ていた服や靴、アイロン、コールアンなどありました。
2008年04月27日
2階の窓から見た景色。義父のDASTJERDIにある生家を思い出した。こっちのほうがもっと田舎。庭の中に台所とトイレが離れとしてあった。台所は四畳半ぐらいだったか?どちらも暗くて汚くて画像は遠慮させていただきました。
2008年04月24日
ここが REZA SHAHの父の生家?だったと思うのだけれども、本当に、田舎、田舎、ド田舎だった。どういうわけで王様になれたのか???私たちが行った日に公開したばかりのようだった。修復工事もしていた。農耕具、放牧具などのアンティークも置いてあった。その画像はまた次に。
2008年04月23日
三日目は確かREZA SHAHの父の生家を見に行った。その途中で石炭の採掘現場を通りかかった。この山だけでなくかなりの広範囲に石炭が埋蔵していた。現場はお正月休みのためか?人影もなかったが。。。。
2008年04月22日
海辺には旅行二日目にいきましたが、御覧の通り、この日も本当に暑かった。夏日であった。私はこの二日サンダルを履いていたのだが、サンダルから足の甲がのぞいているところだけかなり焼けてしまった。顔も日焼け止めを塗っていたが2,3段階日焼けして黒くなってしまった。
2008年04月21日
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