伊賀へいらっしゃい
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伊賀上野天神宮で15日「どんど焼き」が行われました。どんど焼は、 この一年、家庭や会社を守ったお守りやしめ縄、お札をお祓いし、感謝 をこめて焼き上げる行事です。 私達の小さなころは焚き火も「どんど」と言っていましたが他の地方で は「とんど」と発音する地方もあるようです。 松の内の最後の日に行われているようで15日の他に7日や8日の地方もあ り調べてみると本来松の内は15日としていましたが関東では松の内 を1月7日までとし、情報が伝わりきらなかった関西ではそれまで通りに 松の内は1月15日までとなったといわれています。 何故7日にしたかというと明暦3年(1657年)1月18日から1月20日までの3日間、 江戸の市街地がほとんど 消失するほどの大火災が起こります。 明暦の大火(めいれきのたいか) と呼ばれている もので、それ以降、松飾りなどの燃えやすいものは早く片づけるようにということで 松の内の 期間が短くなっということです。 拝殿の北隣りで行われていました。 平成22年(2010)に焼失し平成24年(2012)に再建された拝殿 天神宮の裏側にある稲荷神社は南向きに建てられています神社は本来南 向きに建てられるものですが伊賀上野天神宮は西向きに建てられていま す、これは藤堂高虎が伊賀の町並みを造る時に、天神宮を要塞にも出来 るよう、そして馬などで攻められた時直線的に攻められないように 「駒止め」としたという説が有力です。 その町並みが昨年12月イコモスの「日本の20世紀遺産20選」に選ばれま した。発展すればユネスコの世界遺産に推奨されるようです。 藤堂高虎は戦国時代には元来農村居住者であった武士を城下に集住させ市を城下に 取り込みながら商業機能を発達させ,家臣団が居住る「館Jを新しい都市として整備 していくの地方的拡散の表象として,高虎の城下町づくりがありました。
2018年01月15日
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