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今日は補習校の1年生3クラスが合同で、遠足に行きました。場所は、WestportのSherwood Island State Parkという、海岸です。補習校のあるPortchesterと我が家のだいたい中間あたりです。遠く沖にはロングアイランド(NYの一部です)が見える、きれいな広ーい海岸です。公共の海岸(Public Beach)ですが、駐車料金をしっかりとります。コネチカット州の住民は車1台9ドル、それ以外は14ドルです。歩いてくれば無料ですが、それはまず不可能でしょう。さて、1組と3組はそれぞれ10家族以上の参加がありましたが、わが2組はなぜか先生をふくめて6家族と少々寂しいものでした。それでも、お弁当を食べて、日本式のカキ氷をつくり、スイカ割もして楽しみました。とても天気が良かったのですが、昼前は半袖では寒いくらいの気温で、水温も低かったので、しっかり水着に着替えて海に潜っていたのはうちのヒロキだけでした・・・^^;>。ヒロキは競泳用のゴーグルをつけて海の中を観察、サカナが泳いでいるのが見えたし、ヤドカリもとれたし、岩場ではカニもみつけました。先生に「ヒロキ君は生まれながらにして研究者のようね。」とおだてられましたが、なに、「田舎育ち」なだけです。補習校の仲間は「都会育ち」が多いので、ヤドカリすらさわれない子も・・・。そうそう、補習校の教頭先生ご一家もいらしていました。なんと教頭先生は長野県の出身で、こちらに赴任する前は夫の出身中学の先生だったそうです。海なし県からいらしたためか、一家四人そろってずーっとビーチに座って海を眺めていらっしゃいました。
2003年08月24日
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日記更新が滞ったまま、早くも夏休みは終わろうとしております。まあ、長い夏休みは、大変忙しい夏休みでもありました。ヒロキはハムデン市のサマーキャンプに3週間、ライト・スタッフというお勉強?キャンプに2週間、水泳教室に3週間、その間私の両親が渡米し、ナイアガラの滝やNYやロードアイランドにに旅行・・・・これでは宿題をやる暇がありません!補習校の宿題はかなり多いです。絵日記7まい、プリント約30枚、絵画一点、自由研究二点、読書ノート一冊、読書感想文・・・。とりあえず、23日提出のもの、30日提出のもの、9月6日提出のものに分けて、今日は23日分+絵画一点だけしあげていきました。久しぶりの補習校、欠席は3人だけ(みんな熱心です)。運動会の練習をしたり、楽しく過ごしたようです。あと一週間、現地校が始まるまで、宿題をしあげさせなければ・・・
2003年08月23日
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私の母は結婚前、キリスト教の伝道師として働いていました。そのときいっしょに働いていたアメリカ人の宣教師の先生に、アメリカで会いたいと言い出しました。 私「アメリカのどこに住んでいるの?」母「さあ、ワシントンらしいけど」私「ワシントン州なの?ワシントンDCなの?」母「さあ・・・」 いろいろ調べたら、ワシントン州にお住まいだということがわかりました。ワシントン州はアメリカ西海岸の北より、カナダ国境にあります。コネチカットから2400マイル(約3800km)離れていて、飛行機で5時間もかかるのです。アメリカ旅行は生まれて初めての母は、今ひとつアメリカの広さがピンと来ないようで、「会いに行く」と言っていました。さあ、大変。 ところが、そのうち宣教師の先生が娘の所に遊びに来ることになり、なんとそこはコネチカットの隣のロードアイランド州だったのです。はい、そこなら喜んでお供いたします。 ロードアイランドの州都プロビデンスの「ファースト・バプテスト教会」で再会することになりました。元宣教師と元伝道師にふさわしい再会場所です。78歳と68歳・・・お互い自分のことは棚に上げ「年取ったなあ・・・」(笑) まず、教会を見学。この教会は「ボストン茶会事件」で港が閉鎖されたため失業した船大工が作ったそうで、木造で、天井は船底を造る技法で作られています。昔は、一階席は有料、貧乏人は2階から礼拝に参加し、奴隷は3階でした。ブラウン大学を作ったブラウン家が有力な信者で、礼拝堂の大きなシャンデリアを寄付したそうです。 そこからニューポートまでドライブして、海の見える素敵なレストランで昼食になりました。写真を見せ合ったり、お土産を交換したり、楽しいときを過ごしていました。宣教師先生と御夫人は日本語をまだちゃんと覚えていて、非常に流暢に話します。ローマ字を使ってメールも書くことができます。私も夫も英語が下手なので、ちょっと恥ずかしい気がしました。 お別れしたあと、ニューポートの「マンション」を見学しました。これについてはまた後日。9月17日記
2003年08月15日
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「14日アメリカ東部時間午後4時過ぎから、アメリカ東部全体の広い範囲において停電が起きています。」 と、日本でも大々的に報道されたので、ご心配下さった皆様、ありがとうございました。 ニューヘイブンおよびハムデンでは、停電は一瞬でした!ちょうど、プール遊びをおえて風呂に入っていたヒロキが「だれだ!電気を消したのは!」と叫んで、濡れたままバスルームから出てこようとしたら復旧しました。 しかし、夫の働いているビルは安全装置が働いてしまったためか、それから2時間ほど停電してしまいました。もちろん非常電源はあるのですが、それに付け替えたりでパニックになってしまったようです。1週間分の仕事が全部だめになってしまいました。 ニューヨークでは最大29時間停電し、カナダの一部では数日停電が続いたようです。今日はすごく暑い日だったので、エレベーターに閉じ込められたり、冷房のない部屋にカンヅメだったり、地下鉄が停まった街を歩いて帰宅したり、本当に大変なことでした。でも、ろうそくはおろか懐中電灯さえ用意していない家庭も多いようで、やはり地震のない国、防災意識が薄いのかなー、とも思いました。 ヒロキのお友達(ニューヨーク)の家では、ろうそくは何本も用意してあったのですが、それが「アロマ・キャンドル」で、みんな違う種類だったので、いっぺんにつけたら香りが混ざり合ってしまい、頭が痛くなって消してしまったそうです。あれは、一本だけならいい香り・・・でも、けっこう強い香りなので混ざったら苦しいだろうなぁ。
2003年08月14日
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テーブルロックの岩の中にトンネルが掘ってあり、カナダ滝の裏側を見られるようになっています。その「滝の裏側ツアー」に行きました。エレベーターで降りて少し歩くと、まさに滝の裏側に出られます。水しぶきとすごい音です。もうひとつの出口は、滝の真横に出られるようにできていました。このトンネルが掘られたのは第二次世界大戦中で、アメリカはずいぶん余裕があったのですね。 そのあと「ピープル・ムーバー」という連結バスに乗り、ナイアガラ川の下流にかかっているケーブルカー(スパニッシュ・エアロ・カーと言います)の乗り場まで行ったのだけれど混雑で乗れず、ナイアガラ川を見物して帰ってきました。急流をゴムボートで下っている人たちもいました。 さて、今まで観光してきたところは、すべてナイアガラ滝の「カナダ」側です。これから帰るのには、アメリカに「再入国」しなければなりません。実は、周りの研究室の方から「再入国の手続きにとても時間がかかって大変だ」と聞いていたのですが、「ガイド付のツアーなんだから、大丈夫だろう」とたかをくくっていました。 ところが、一日目の夕方ガイドさんから電話がありました。前日のツアーの客の中に私たちと同じJ1ビザの人がいて、その人だけ別室に連れて行かれて審査にすごく時間がかかり、ツアー全体がもう少しで帰りの飛行機に乗り遅れるところだった、ついてはJ1ビザの私たちだけ先に歩いて入管に行って手続きしてもらいたい。アメリカ側でバスに乗ってもらう・・・ということでした。なんてこった。 ツアーの集合時間より30分ほど早く、私たちは国境の橋「レインボーブリッジ」を渡りました。通行料ひとり50セントなり。橋の上からみるナイアガラの滝はまたステキでした。 いよいよ入管です。案の定パスポートを取り上げられ、待合室で待たされました。他には日本人の一人旅の人と、インド人家族が待たされていました。他の人たちはほとんどフリーパスです。どきどきしながら待っていましたが、15分ほどで呼ばれました。なぜか夫のIー94formが書き換えられ、手数料6ドルを請求されました。ところが、あまりの緊張のためか夫は審査官が言っていることが聞き取れません。「6ドル払え」というのがわからなくてあせっていました(笑)。 さて、パスポートを手にしてほっとして入管を後にしました。バスの集合時間まで少しあるので、散策をすることにしました。なぜかユダヤ教の人たちのグループがたくさんいて、中には非常に伝統的なスタイルの方々もいました・・・真夏だというのに、男性は黒のスーツを着て、黒のつばのある帽子をかぶり、女性は青い長袖ワンピースかジャンパースカートで、白いレースの帽子をかぶっています。まるで、映画に出てくる17~18世紀の服装のようです。ニューヘイブン付近ではあまり見かけない服装なので、しばし見入ってしまいました。 ふと気がつくと、私が持っていたはずのカメラがありません!信じられない!どこに置いてきたのかしら?記憶がないけど、きっと入管に忘れて来たに違いありません。急いで入管に戻りました。窓越しに、審査官に「カメラはあるか?」と聞いても、あるともないとも言いません。中に入れ、というのでまたアメリカの出口を通り、入管の建物の中に入りました。審査官はにこりともしないで、「どこでなくしたか?」と聞きます。自分たちの座っていたあたりを指して「ここだ!」と言ったら、やっとカメラを出してきてくれました。一般的にアメリカで物を置き忘れたりしたら、まず戻ってこないのだけれど、ここは入管だったので運が良かったです。 ツアーのバスにも無事拾ってもらって、空路ニューヨークJFK空港へ。長時間駐車場がとても広くて、どうやってシャトルバスを降りたらいいかわからず、少々遠回りをしましたが(だって、降りるときに知らせるブザーもベルも何もついていない、降りるときは運転手に向かって怒鳴る…なんて原始的!)、夜9時ごろ帰宅しました。 この時には翌日大事件が起こることは知る由もありません。(9月12日 記)
2003年08月13日
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お手軽、日系の旅行会社のツアーを利用してナイアガラの滝観光に行ってきました。 一日目、 午前3:00起床、3:30車で出発。 5:00過ぎ、ニューヨークのJFK空港に無事到着。夫は長時間駐車場に車をとめに行って、シャトルバスで戻る。その間約40分。 6:00ツアーの集合時間。安いことで有名な航空会社なので、行きの機内で朝食は出ないことが判明、サンドウイッチを購入。 7:00飛行機出発、50分ほどで、バッファロー空港に到着。出口に集まった日本人、総勢約70名、二台のバスに分かれて、ナイアガラの滝にむかう。 まず、テーブル・ロックというところで滝を見学、滝の上端が目の高さのところにある。すごい水しぶきでビショビショ。つぎに「霧の乙女号」に乗船し、滝の下までいく。使い捨てポンチョをくれるが、それでもビショビショ。そして、日系のお土産やさんに案内されたあと、Sホテルの13階の展望レストランで食事、上から眺める滝もステキ。これでツアーは終わりですが、なかなか良かったです。 ホテルに入って疲れたので夕方まで昼寝、夜はネットで知り合った方が勤める日系レストランへ(その方には会えなかったのですが)。10時から花火が上がるというので、スカイロンタワーという高さmの展望台に登ったが、花火は私が1発だけ見ただけ(他の人は見逃した)。滝は色とりどりのライトアップがされて、とてもきれい。 展望台で、手話で話をしている親子を見かけ、父が大胆にも話しかけました。韓国人のろうあ者夫婦と健聴の息子さんで、韓国語の手話と日本語の手話がとても似ていることもあり、息子さんが英語で通訳を手伝ってくれたこともあって話が弾みました。ヒロキと同じ7歳なのにとてもしっかりしていて、一生懸命通訳もしてくれて感心しました。 クリフトン・ヒルズというメインストリートには、なぜかお化け屋敷や見世物小屋がいっぱい、ネオンサインもギラギラで、ヒロキはそこを歩くのを真剣に嫌がっていました(笑)。
2003年08月12日
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今日は父の希望で、ハートフォードにあるアメリカで一番古いろう学校を訪ねました。ハートフォード郊外の、大変広い敷地の学校でした。道路から、玄関まで500mくらいあります。建物もいくつもあり、寮もあります。300人ほどの学生がいるそうです。 教室2つ分を使用した小さな博物館があって、その担当者が案内をしてくださいました。父は英語はほとんどできませんが、手話ができるので、私のつたない英語通訳と合わせると、結構意思の疎通がはかれました。 ハートフォードに生まれたお金持ちのお嬢さんAliceは、小さいときの病気で耳が聞こえなくなりました。お父さんはGallaudet という神学生をフランスへ派遣し、ろう教育について学ばせました。フランスはろう教育の発祥の地です。フランス人のClercと帰国したGallaudetは、1817年にこの学校を設立しましたGallaudetの息子のひとりはニューヨークのろう学校を作り、もうひとりはワシントンDCにろうのための大学を作りました。Gallaudet Universityというそうです。 いまでも、フランスからたくさんの見学者が訪れるそうです。言語は違っても手話は同じなので、分かり合えるそうです。しかし、イギリス人は同じ英語なのに、手話が違って混乱するそうです。もちろん、父が使っている日本語の手話は英語の手話とは異なりますが、結構似ているところもあります。 ヒロキはアルファベットの指文字で、「HIROKI」と言えるようになりました。子供って何でも吸収が早いですね。American School for the Deaf139 North Main Street - West Hartford, CT 06107 http://www.asd-1817.org/hist/hist.htm
2003年08月11日
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ニューヘイヴンはイエール大学の町です。他にはこれと言った産業はありません。17世紀に造られた街は、碁盤の目のように規則正しく縦横に道が通っていて、大学と街が渾然一体となっています。つまり、大学はひとつのキャンパス内にあるのではなく、街のあちこちに点在しており、大学の建物の隣が普通の商店だったりします。 今日は私の両親を連れて、イエール大学のキャンパスツアーに参加しました。実はこのツアー毎日(平日は一日2回、日曜は1回)無料で行われているのですが、一度部分的に参加し、英語がわからずにドロップアウトしたのでした(苦笑)。 まず、オールドキャンパスという、イエール創設以来の古い建物のある一角に案内されます。ここは、周りを建物に囲まれた広い中庭があって、卒業式はここで行われます(今年はあいにく大雨で悲惨な卒業式でした)。ここには、イエールゆかりの偉い?方々の銅像があって、いろいろ説明してくれます(理解できません)。つぎに、案内の学生さんの所属する寮(xxカレッジという名前がついています)の談話室を見せてもらって、それから、イエールの誇る大図書館「スターリング・ライブラリー」を見ました。カソリックの大聖堂みたいな造りで、正面には「イエール・マザー」の絵が書いてあります。そして、もうひとつの古文書専門の図書館(壁が大理石でできていて、壁を通して自然光が中に入るような設計です)へ行って、「グーテンベルグの印刷機で印刷した聖書」というのを見ました。他にもたくさん価値のありそうなものが展示してあります。 約1時間30分のコース、巨大な「博物館」見学のようです。英語がわかればもっとずっと楽しいだろうなと思います(涙)。
2003年08月07日
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この日記は9月になってから書いています。※※※※※※※※※※※※※※※※※※日本から私の両親がやってきました。正確には8月3日に到着し、4日はワシントンDC観光、5日はニューヨーク観光(いずれも日本語ツアー)をしていたのでした。マンハッタンのミッドタウン(要するに、ど真ん中)にあるSホテルまで迎えに行くことにしました。しかし、われわれ夫婦は、まだマンハッタンの中を運転したことがありません。結果的には、正確な案内図(Map Quest使用)と的確なナビ(もちろん私のこと)で無事に行ってこられました。帰ってきて、夫が研究室でこの話をしていると、マンハッタン生まれの大学院生のミギーに「何だって、JFK空港まで迎えに行ったんじゃなかったの?マンハッタンのホテルだって?信じられなーい!私だってマンハッタンは運転しないわよー、マンハッタンへは電車で行くものよ。」と感心されました。思うに、マンハッタン以外のアメリカはとにかく広くて土地が余っているので、ここでしか運転したことのない人にマンハッタンの運転は難しいでしょう。日本人は狭い道になれているので、周りの研究室の日本人もマンハッタンへ車で出かける人が多いです。
2003年08月06日
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