マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2008.11.10
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先週の土曜日に妻と映画を観た。タイトルは「まぼろしの邪馬台国」。前に映画館へ行った時、この映画の予告編を観ていた。それについ先だってまで、妻役の吉永小百合と夫役の竹中直人がずいぶんテレビでPRしていた。だが、そんなことよりも考古学ファンの私としてはどうしても見たかった映画だったのだ。

「まぼろしの邪馬台国」が市井の考古学研究家である宮崎康平の著書であることは以前から知っていた。改めて調べてみると同書は昭和42年に講談社から刊行されている。宮崎康平は1917年生まれで没年が1980年(昭和55年)。亡くなったのが63歳で、この本が世に出たのは彼が50歳の時のようだ。

宮崎康平が盲目の人で、奥さんと一緒に九州の各地を訪ねながら邪馬台国の在り処を探していたこと。魏志倭人伝の記述に沿って出来るだけ忠実に邪馬台国の位置を推定し、卑弥呼が生きていた当時の海岸線を想定しながら探していたこと。私が知っていたのはそんなことだ。

だが何故今頃になって映画化されたのかが分からない。きっと本の内容よりは邪馬台国研究に賭けた彼の生き方そのものがユニークで、脚本家の目に留まったのだろう。映画も著書を忠実に再現したものではなく、フィクションも交えながら古代史の研究を目指す夫とそれを支える妻の姿を中心に展開して行く。

映画を観ても、どこまでが本当でどこからがフィクションか分からないのだが、元々彼が実業家だったことや、前妻に逃げられて幼子2人を抱えていたことなどもこの映画を観て初めて知った。型破りな人間。思い立ったら一直線の人柄。頑固で融通が利かない大正生まれの九州男児。そんな男を竹中直人が好演していた。後に宮崎の妻となる女性を演じた吉永小百合の素晴らしさは言うまでもない。

それにしても小百合演じる女性が、初めて見る「魏志倭人伝」をすらすらと読み下すのには驚いた。あれは無理と言うものだ。かなり漢文の素養と歴史の知識がないと普通は読めないはず。原文には「ふりがな」など一切ふってないし、あの当時の漢字は特に難しい字が多く、しかも意味が難解だからだ。ともあれ苦労の末書き上げた「まぼろしの邪馬台国」の上梓によって、夫妻は第1回吉川英治文化賞を受賞する。

宮崎が死ぬ直前妻に言う。「邪馬台国の研究なんかどうでも良かった。こうしてお母さんと一緒に旅に出られたことが一番だ」。あれは彼の本音だったのか。それとも観客を意識した脚本家の演出だったのか。古代の謎を解こうとする頑なな研究者で九州男児である宮崎は、最後まで妻に対しては甘い言葉など投げかけなかったのではないか。私にはそう思えるのだが、実際のところは生存する奥様にしか分からないことだ。

さて、邪馬台国の候補地は日本の各地に在る。その大半は単なる「語呂合わせ」や勝手な思い込みに過ぎない。また学界には邪馬台国九州説と畿内説の2説があって、議論が白熱していることはご存知の通りだ。私自身はどっちでも良いと思っている。それよりも大切なのは、弥生時代の日本には既に邪馬台国などのような都市国家が成立し、外国(中国)へ使者を遣わすほど政治体制も成熟していたことだ。

邪馬台国はきっと幻のままだろう。何故なら当時の日本に漢字は伝わっておらず、邪馬台国の直接的な証拠となるものが発掘されない(注)からだ。夢は永遠に夢で良い。それもまた楽しいではないか。さらば卑弥呼。そしてまぼろしの邪馬台国よ。

注)福岡県の志賀島から「漢の委の奴の国王の金印」が出土している。これと同様にもし漢の皇帝から授かった「邪馬台国王の印」が出土したら、唯一そこが邪馬台国だと証明できる可能性があると思う。





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Last updated  2008.11.11 14:28:06
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