マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.10.22
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カテゴリ: ランニング全般
 私の練習コース 

 私は転勤族だったため、長く赴任先で走って来た。それぞれの地に走友がいたし、それぞれの地に練習コースがあった。今振り返ってみると遠い思い出だが、とても懐かしい。苦労して走ったそれぞれの地の風景が目に浮かんで来る。

 筑波研究学園都市に転勤したのは昭和49年。当時は「つくば市」はまだ存在せず、桜村と言った。私のランニング生活は、ここでスタートを切ったのだ。現在「つくばマラソン」のスタート地点が職場の駅伝大会のコース。練習で走ったのが「学園東大通り」で、私はたいてい筑波山方面に向かった。当時は建物が少なく、また水を飲める場所がないため、特に夏は苦しい思いをしたものだ。

 鳴門勤務は昭和59年から。新しい職場の立ち上げに苦労した。難問の連続で眠れず、夜中に起きて走ることも再々だった。ところが私が走った海岸には照明がほとんど無い。海の向こうに浮かぶ淡路島の明りが遠くに光るだけ。鳴門は海の傍なので練習コースも磯の香りが強かった。前職を辞めた数年後、高島、大毛島、島田島をつなぐ「鳴門スカイライン」を走れたのがとても強く胸に残っている。

 沖縄勤務は平成元年から。当時の沖縄は返還後まだ17年目で、未整備状態。凸凹の道路や下水の異臭。酔っ払いや泥棒の横行と物騒だった。だが亜熱帯に属する島の植生は本土とは違った風景で珍しい。厳しい暑さも内地人を苦しめた。牛舎の臭いがし、冬にはサトウキビの穂が風に揺れる凸凹の道が練習コース。職場のループ道路も良く走ったものだ。

 松山勤務は平成4年から。松山城の堀端を抜け、有名な道後温泉や四国八十八か所の寺を過ぎ、湯山から権現温泉を一周するのが山のコースで、春はミカンの花の芳香がランナーを慰めた。大川(と言っても小さな川だが)に沿って堀江海岸に出、そこから松山観光港で折り返すのが海のコース。瀬戸内海の眺めは最高だが、冬は北風が厳しかった。帰路、高縄山が望めるのが楽しみだった。

 大阪勤務は平成7年から。昼休みは職場の目の前にある「万博記念公園」の中を、許可を受けて走っていた。週末は淀川の支流から本流の堤防に出るコース。ここは変化に乏しく、飲み水の確保が難しい場所だった。冬の堤防は風が強くて大変。そこを20kmから30km走るのは容易ではなかった。たまには摂津峡と言う山のコースにも向かった。周囲には結構立派な古墳が多かった。

 山形勤務は平成9年から。この時代は仙台の自宅からバス通勤。昼休みは馬見ヶ崎川の堤防まで走りに行った。ここは山形名物の「芋煮会」をする場所だが、冬は雪が深くて走れないため、雪かきをした道路や体育館の中を走った。1回だけ千歳山の山頂まで走ったことがある。標高500m以上のトンガリ山だ。職場のグランドではkm5分でのペース走が出来た。

 石川県の職場は平成13年からの1年だけ。山の中で不便な職場だった。山形勤務時代に疲労骨折した影響が残り、前半は走ることが出来ず散歩しながら俳句を作っていた。後半は手取川の河口や金沢まで練習で走った。冬は一晩に60cm以上雪が積り、スコップ持参で通勤。雪かきした後の道路も滑るので怖い。熊も職場付近に2回出没。あまり思うように走れなかった時代だ。

 水戸勤務は平成14年から。足にはまだ疲労骨折の影響が残っていた。当時は全国的な組織の改組が大きな課題で、日夜その対処に忙殺された。心身のバランスを崩し、定年の1年前に辞職することを決意。そんな中で、千波湖の周囲を走ることで辛うじて心を癒すことが出来た。後半は石岡市までの30km走も復活。懐かしい筑波山の姿が観られたのが嬉しい思い出だ。

 仙台の自宅に戻ってからは第2の人生。パートの肉体労働を続けながらウルトラマラソンを目指して、幾つもの練習コースで走って来た。選ぶのはその時の体調次第。不整脈手術の前は、自宅から県境の峠を超えて隣県まで60km以上走ることもあった。仕事も辞めた今、体調と足の筋力が戻り次第、また「峠越え」を復活したいと願っている。<続く>


≪注≫8月19日にデンマークのスカーイェンをスタートした「トランスヨーロッパフットレース」が64日目の昨日、スペインのラ・リネアに無事ゴール。10人の日本人選手全員が無事完走したみたいです。酷い風邪で弱っていたSパパ、終始最後尾を走りながら見事な文章をブログで披露していた旅がらすさんも無事ゴールに到着。4176kmの厳しい走り旅がようやく終わりました。皆さんおめでとうございます。そして、本当にお疲れ様でした!!

 私は昨日、「トランスヨーロッパ」の最終日に合わせて長距離の練習に出かけました。ランパン、ランシャツ姿だと風が冷たく感じたほど。40km以上走るのは、昨年9月「秋田内陸」の45km地点でリタイヤして以来。最近の練習では28kmが最高だったので不安でしたが、トランスヨーロッパに出ている走友のことを思えば大したことはない。何せ彼らの1日分にもならないのですから。

 自宅~米ヶ袋~川内~八幡~折立~愛子~錦ヶ丘~秋保~自宅の周回コースで、途中錦ヶ丘のコンビニでお握り2個を食べてエネルギー補充。6時間7分の旅でした。筋力はまだ戻っておらず、相変わらず脚がもつれます。休憩を入れれば時間はもっとかかっています。フルマラソンを走れるようになるためには、さらに月日を要しますね。それでもトンネルの向こうに少し明りが見え出した感じです。





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Last updated  2012.10.22 14:59:51
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