マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.09.18
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カテゴリ: 旅、温泉
 9月13日土曜日。旅の第2日目。マックス爺が目覚めたのは5時頃。次男坊が空調の温度を丹念に調節したせいか、体調はそんなに悪くない。やがて連れ合いも起き出した。次男坊だけはうつ伏せになってまだベッドの上だ。爺がそっとカーテンを開けると、目の前にはこんな風景が展開していたんだよねえ。


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 「ここはひょっとしてNY?」。爺は正直そう思ったみたい。もちろんアメリカなどへは行ったことないんだけどね。家族で唯一行ったことがあるのは、この寝坊助の次男坊。まだ学生時代の頃、彼は何を思ったのか研修旅行のパリだけで飽き足らず、親にも内緒で友人とアメリカに行ったんだ。それが後々まで影響するのだが、その話は止めておこう。爺の労災、いや老妻も窓の外を見て簡単、いや感嘆の声を上げたのさ。


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 闇は次第に薄れ、やがて金色の光が空に溢れ出した。これは見事な風景。NYならぬ大阪の朝も凄いじゃん。やがて目が覚めた草食系男子が、「あれは神戸の山でしょ」とのたまう。「違うよ。あれは葛城山と金剛山」。太陽が出ているのが生駒山方向だとすれば当然そうなる。「お父さんはあそこの山を走ったことあるんだ」と爺。「お父さんはいつもマラソンの話になるんだから」と老妻。それぞれ着替えを済ませ、爺とその妻は何か食べ物を口にした。


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 高松に住む長女と2人の孫が新大阪に着くのは11時頃。3人とは天保山の某水族館で落ち合う予定。それまでの時間を有効に使おうと、早朝から3人は出かけたのだ。ユニバーサルシテイ駅から、3人が泊ったホテルが見える。今夜もここに泊るので、荷物はほとんど持たないで済むのが助かる。ここからJRと南海電車を乗り継いで向かった先は住吉大社。これも次男坊のリクエスト。実は前から爺も一度は訪ねてみたいと思っていたのさ。



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 いやあ、行ってみて驚いたね。「何と言うことでしょう」。「劇的ビフォ→アフター」の科白じゃないが、朝日の中に燦然と輝く住吉大社の境内は、実に見事だったんだよねえ。息子が「ここは宗像大社と関係があるんだって。向こうの祭神は3人の女神だけど、こちらは3人の男神なんだよ」と言うのを、爺は「ふむふむ」と聞いていた。「そうか。それじゃ「海つながり」なんだね」。それが爺の感想。ところが帰宅後、ネットで調べてさらに驚いたのさ。



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 住吉大社は摂津国一宮で、古代大和王権の外交と航海に深く関係していたそうだ。遣隋使、遣唐使の船が大社の南、仁徳天皇が開いた住吉津(=住之江津=細江)から出航していたと言うからビックリ。実は九州の宗像大社も、大和朝廷の航路の安全を祈願する神社だったのさ。だから「海つながり」で関係が深かったんだね。ここ住吉大社には、朝鮮半島に出征したとされる神功皇后も祀られている。



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 住吉津は平安初期まではシルクロードにつながる国際港だったんだって。道理で境内が輝いて見えた訳さ。南北朝時代、この大社は南朝方に就いた。境内に楠の大木が多かったのは、案外南河内を根城にしていた楠正成と関係があるのかもねえ。彼は心から皇室を尊崇する男だったからね。ここから3人が懐かしい路面電車の阪堺電車に乗って向かった先は天王寺。途中の駅や街には歴史的な地名がたくさん残っていたことにも、マックス爺は正直驚いたみたいだよ。


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 天王寺駅前で3人は立ち食いのうどんを食べたよ。それが次男坊の望みでもあったのさ。四天王寺に向かう途中の種屋で、爺はこんなものを見つけた。300円のテッポウユリのユリ根。これは食べるんじゃなくて、家族旅行の記念に庭に植えるのさ。俺が死んだ後も毎年ユリが咲いて、きっと庭を賑わしてくれるはず。マックス爺はそんな風に考えていたんだね。


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 これは四天王寺近辺のお店。お土産のお菓子を作って売っていたんだけど、なかなか良い雰囲気だね。


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 四天王寺の門前なんだけど、爺と奥方の後には何と鳥居が。ここはお寺なのにねえ。実はここへ来たのも次男坊の希望なんだ。爺は19年前の大阪勤務の時に一度だけ来てるのさ。四天王寺は聖徳太子が建てた七寺の一つと言われている。寺を建てる時に境内にあった大帝塚山古墳を壊して平らにしたみたいだね。別称の荒陵寺(あらはかでら)はきっとその名残だね。


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 寺から高さ300mの日本一ののっぽビル「あべのハルカス」が見えた。その阿倍野は陰陽師安倍清明の生まれ故郷。そしてこの四天王寺は聖徳太子が物部守屋との戦いに勝利したお礼に建てたと伝えられる、わが国最古の仏教寺院の一つなんじゃよ。境内の高校では文化祭が開かれていたね。さて、長くなったけど、もう一か所だけ訪ねて見るね。


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 3人が次に向かった先は大阪歴史博物館。ここは爺の希望で行ったのさ。大阪城の目の前にあるここは、難波宮の跡地。飛鳥時代二期に亘って、ここに宮殿が建てられたんだ。言って見れば明日香宮の副都みたいな形でね。ここを発掘した人が難波宮の跡地と初めて唱えた時は、気違い扱いされたみたいだよ。学者達も信用しなかったんだね。


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 だが次々に地中から宮の跡や倉庫の跡などが発見されると、ようやく信じるようになったのさ。これは8つあった大型倉庫の1つを復元したものでね、高床式の立派な建物なのさ。大阪勤務の頃、マックス爺は大阪城を訪ねたことがあるんだ。その時に、ここが難波宮の跡地だったことを知って驚いたものさ。



博物0建物.jpg


 難波宮跡地の一角に建っているこの建物が大阪歴史博物館。これはマックス爺が大阪を離れたずいぶん後になって出来たんだ。だから古代史大好き人間の爺にとっては、よだれが出そうになるくらい行きたかった場所。貴船神社や住吉大社もそうだけど、今回の旅行は爺にとって別な意味でも大きな収穫になったみたいだよ。今日はずいぶん長くなったけど、最後まで辛抱強く読んでくれてありがとうね。続きはまた明日、ではご機嫌よう~♪<続く>





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Last updated  2014.09.18 04:30:38
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