マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.09.19
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カテゴリ: 旅、温泉
博物5難波宮.jpg

 いやはやビックリ、マックス爺はすっかり度肝を抜かれた。ここ大阪歴史博物館内はまず最上階の10階に登り、そこから展示物を見ながら7階まで降りて来るシステムなんだけど、エレベーターを降りて最初に出逢うのがこの光景。暗闇の中から女官達が突然現れるものだから、一瞬これは何事?と思ってしまうのさ。もちろん飛鳥時代の難波宮内を再現したものだけど、観客は予想外のスタートに、たちまち異次元の世界へと誘われるんだよねえ。


博物3難波宮.jpg

 これが難波宮の配置図。同宮は第1期と第2期に分かれて建てられているけど、これは第2期のもの。もちろん当時の記録には宮の場所すら正確に書かれておらず、全ては現代の発掘調査によって明らかになったものなのさ。

博物6人面壺.jpg

 宮城県の国府多賀城跡からも同じようなもの出土しているけど、この難波宮跡地からもこんな人面壺が発掘されているんだ。恐らくは難波宮に勤めていた職人が、悪戯で仲間の顔を描いたんだろうね。

河内湾.jpg河内湖.jpg難波潟.jpg
 A              B              C
 さて、大阪府の歴史を考える時に欠かせないのが水との関係。面倒でもここで「おさらい」をしておこうね。
Aは今から約5500年前、つまり縄文時代の地形。現在の大阪湾がかなり内陸部まで入り込み、生駒山の麓まで海水が迫っていたんだ。考古学の世界では、これを<河内湾>と呼んでいるんだ。湾の南部から半島のように細く突き出ているのが「上町台地」。後世この「半島」に、難波宮、四天王寺、石山本願寺、大坂城などが次々に築かれているんだよ。昔の人は小高いこの「半島」が堅固であることを、ちゃんと知っていたんだね。

 Bは今から約2100年前の弥生時代の様子。河内湾はかなり小さく後退し、周囲の川から流れ込む真水により気水化している。これを<河内湖>と呼んでいるんだ。

 Cは今から約1300年前の飛鳥時代の様子。湖はかなり小さくなって干潟化し、一面の湿地帯に変わったよ。これを<難波潟>と呼んでいる。この岸辺に難波宮(四角で囲まれた位置)が設置されたのさ。宮からは難波潟に流れ込む大和川(当時はまだ北流して潟に注がれていた)を舟で遡って奈良盆地へと入ったんだよ。

博物8-2大阪地図.jpg

 これは大阪の古地図。「大坂城」と表示されているので、新しくても江戸時代のものかな。かつての湾や潟湖の痕跡はもうないけど、排水と舟運のために整然とした街の中に掘割が通っているのが分かるだろ?


博物15北前船.jpg

 これは北前船と呼ばれる運搬用の船さ。江戸時代、日本海側の産物(蝦夷ケ島(北海道)産の昆布、奥州(東北)産の紅花や米、加賀の陶器など)が、この船で大坂へ運ばれた。当時の大坂は「天下の台所」だったのさ。

澪標みおつくし.jpg

 これは「澪標」(みおつくし)と呼ばれる航行用の標識でね、水上交通の安全のため、目印として水路に立てられたんだ。恐らく写真は戦前のものだろうね。これが大阪のシンボルとして、市章に採用されたんだよ。

博物16陶器.jpg

 博物館の中にはこんな陶器も飾られていたよ。きっと北前船で大坂へ運ばれて来たんだろうね。ずっと歴史の勉強が続いて、歴史が苦手な人はさぞ大変だったろうね。マックス爺は気の毒に思ったけど、皆が良く分かるようにと思って頭をひねりながら書いたのさ。ウィンク

大阪城2.jpg

 さて、この博物館の目の前には大阪城公園があってね、上空から見事な景色がまる見えなのさ。これには老妻も次男坊も喜んだね。

 この後、3人は天保山に移動するんだけど、あんまり長くなったので続きはまた明日にしようかね。では皆さん御機嫌よう!!明日の続きをお楽しみに~♪





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Last updated  2014.09.19 05:17:11
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