マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.10.13
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カテゴリ: 旅、温泉
<嵐の東京を歩く>

 10月5日日曜日。旅の最終日は、東京で息子と落ち合う予定。ただ、この日は台風18号の接近で、関東地方も朝から強い雨になることが予想されていた。このため上野駅で会う時間も正午から9時半へ、さらに9時へと変更した。早めの帰宅を考えたのだ。上野に着いた私達はロッカーに荷物を収納し、改札口で次男を待った。

 長男からは結局何の連絡もなかった。私の古稀を祝う大阪での家族会の時も、反応しなかった長男。帰省時に妻が小言を言ったら、それが面白くなかったようだ。40を過ぎても心が通じない長男と経済的な自立が出来ない次男。まだ結婚も出来ない彼らの将来がどうなるのか、親としてはとても気がかりだ。私達がいつまでも元気な保証はないし、いつまで経済的な援助が出来るとは限らない。

 車中では穏やかだった空が、駅から一歩外へ出たら猛烈な風雨。その雨の中を、先ず向かったのが湯島天神。だが、途中でずぶ濡れ状態に。気を利かせた次男がドンキ○ーテへ入った。私はここでビニールの雨合羽とタオルを買い、妻は安物のブーツを買った。まさかの大雨で夫婦喧嘩を始めた両親を、彼が救ってくれたのだ。それにしても酷い雨。ランニングシューズが、たちまち水浸しになる。


1湯島1.jpg 本殿


 湯島天神は通称で、正式な名称は湯島天満宮。社伝によれば雄略天皇時代の創建とのことだが、5世紀の東京などほぼ無人状態だったはず。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により学問の神である菅原道真公を勧請して合祀したと言う伝えの方が正鵠を得ているように思う。



3湯島3.jpg2湯島2.jpg


 ここは東京勤務だったまだ20代の頃に、一度だけ来たことがある。仙台から転勤し、新しい仕事を覚えるのに必死だったことを次男に教えた。当時の私は今の彼より8歳若く、既に結婚もしていた。今にして思えば、あの時ほど辛く厳しかったことはなかった。

 この日も、妻のショルダーバッグは私が持った。だが中に入れようとしてもビニール合羽は窮屈で、たちまちバッグは濡れてしまった。雨の中を神田明神まで急ぐ。ここは初めて通った道。坂が多く、本郷台地が海に接していた頃の感じがまだ残っている。太田道灌が江戸城を築いた頃が偲ばれる。


6明神1.jpg17明神.jpg

 神田明神は通称で、正式な名称は神田神社。元々この地には伊勢神宮の神田があった。それが名前の興りだ。


10明神夫婦大.jpg

 祭神は一之宮には大己貴命(オオナムチノミコト=大黒様)。二之宮には少彦名命(スクナヒコナノミコト=えびす様)。そして三之宮には平安時代の武将である平将門。かれは反乱を起こし、京都で曝し首になった。だが嘉元年間(14世紀初頭)の疫病流行で多数の死者が出たのは将門の祟りとされ、延慶2年(1309年)神として、この神社に合祀された。勝負事にもご利益がある由。


8明神3.jpg 随神門正面


 随神門裏面 13明神.jpg


15明神.jpg




     本殿 11明神.jpg


18聖堂.jpg

 次に向かったのが湯島聖堂。ここは徳川五代将軍綱吉が、儒学の振興を図るために元禄3年(1690年)この地に聖堂を建て、大学頭(だいがくのかみ)である林家から廟殿と家塾を移した。


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 寛永9年(1797年)には幕府直轄の昌平坂学問所を開設。明治に入るとここに文部省が置かれ、以降博物館(現在の東京国立博物館)、東京師範学校(現在の筑波大学)、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)、書籍館(しょじゃくかん=現在の図書館)が次々に設置され、我が国の近代教育の嚆矢となった。



22聖堂.jpg 聖堂の中


        孔子像 18-1孔子.jpg


23聖堂妻.jpg24聖堂お茶の花.jpg

 湯島聖堂の構内では、雨に濡れながらお茶の花が咲いていた。ここから聖橋を渡り、私達は最後の訪問地へと向かった。


ニコ1.jpg

 これはニコライ堂と呼ばれている。キリスト教の一派であるギリシャ正教だが、ここは日本国内なので「ロシア正教」ではなく「日本ハリストス正教会」が正しく、正式名称は「東京復活大聖堂」。ニコライは聖人の名を冠した通称。


ニコ2.jpg

 明治24年(1891年)に竣工したこの建物は、日本で最初でかつ最大の教会建築。ビザンチン様式の建築美で、昭和37年(1962年)国の重要文化財に指定されている。


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 第二次世界大戦中に迫害された大勢のユダヤ人に対して、大量のビザを発行して国外脱出を助けた正義の人、杉原千畝(当時のリトアニア領事館領事代理)は、この教会の信者で一時教会の教師も勤めていたことがあるようだ。


ニコ5妻子.jpg

 この後私達は、御茶ノ水駅近辺で早目の昼食を摂った。次男は上野駅まで見送ってくれた。最後は雨で散々な東京見物だったが、妻と2人の今回の旅は案外充実したものだったように思う。東北新幹線の車中では、濡れた合羽やタオル、靴などを干し、ビショ濡れの靴下を替えてようやく落ち着いた。雨は途中で止み、仙台へ着いた頃は曇り空。東京の嵐が、まるで嘘のような静けさだった。

 さて今回の旅では、一度も「座席指定」を取らなかった。「大人の休日倶楽部パス」は通常6回まで座席指定が可能。今回は不要と考えたその勘が、どうやら当たったようだ。


            榛名湖畔の私  榛名0.jpg

 旅から帰った翌日には、写真の整理を終えた。疲労感の中で旅日記を書き出した時、初めて左手首の痛みに気づいた。旅行中はきっと緊張していたのだと思う。消炎剤を吹きかけ、湿布薬を張って必死になって治した。痛みは2日後にはきれいに消えていた。

 帰宅の翌日は大雨。台風の影響だ。激しい雨の中を、次の旅の費用を支払いに行った。その後の旅の「足」も確保し、観光地図が載った本も2冊買った。旅は心の慰め。果たして老妻と一緒の旅が、これから何度出来るかどうか。そして3人の子供達と、これから何度会えるかどうか。人生の旅は、もう少し続きそうだ。<完>





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Last updated  2014.10.13 11:07:02
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