マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.11.13
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1-83飛鳥神社.jpg

 「水落遺跡」を探しあぐねているうちに村落の外れに出た。丘の上に飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)があるようだ。名前は聞いたことがある。そこで妻と丘へ登った。神社があったが、さらにその上にも何かがあるようだ。行って見ると小さな社があった。ここで出会った人が、この神社にはとても変わった祭があると教えてくれた。何でもセクシーなお祭りなのだとか。


1-88飛鳥神社.jpg

 旧社格は「村社」だが、延喜式神名帳にも載っている古社のようで、日本書紀の朱鳥元年(686年)7月の条にも記載がある由。天長6年(829年)現在地に遷宮した記録が残されているが、元の場所がどこかは不明。祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)はじめ4柱だが異説がある。天武天皇の病気平癒を祈願したとの社伝があり、近世には「元伊勢」と呼ばれていたようだ。


1-89飛鳥神社.jpg

 それらは帰宅後に調べて分かったことで、この時はまだ何も知らない。ただ、境内にいると、何か不思議な雰囲気をビシビシ感じたことは確か。建物がどこか不自然な感じを受けたが、最近他の神社の建物を移築した由。ああやはりそうだったのかと、今になって納得している。


1-82飛鳥神社.jpg1-86飛鳥神社.jpg

 奇祭のことを後日ネットで調べた。天狗の面をつけた「男」と、お多福の面をつけた「女」が舞台の上で夫婦和合の営みを滑稽な仕草で演じるらしい。いかにも古代のおおらかさを感じる祭だ。古代、筑波山頂では、年に1度だけ他人の妻との自由恋愛が許されていた。ここが明日香村での11番目の訪問先だった。


1-92水落遺跡.jpg 水落遺跡

 12番目の訪問先は水落遺跡。場所は飛鳥坐神社の帰途にようやく発見。昭和47年(1972年)民家建築の予備調査時に遺跡の存在に気づき、それ以来10年以上かけて本格的に発掘調査を行った結果、日本書紀天智天皇10年4月25日の条に記載のある漏刻(水時計)及びその付属施設であることが判明した。


    ネットからの借用資料  水落遺跡.jpg

 発掘調査によれば、ここには楼状の建物の他に水利施設、4棟以上の掘立柱建物などがあったことが分かった。次に立ち寄った「埋蔵文化財展示室」に、水落遺跡関係のものと思われる遺物や写真があったので、参考までに載せておきたい。


1-100水落.jpg

 恐らくはこの写真が水落遺跡のもの。つまり当時の漏刻(水時計)の構造物だ。遠方から水を通すための地下構造物もある。


1-102水落?.jpg

 これは水を貯める「桝」(ます)と、そこから水を流すための設備だろう。


1-96展示室土管.jpg

 これは石製の水道管と思われる。このような設備を作れたのは、百済の渡来人の石工以外にいないはず。当時の技術の高さを知る貴重な遺物だが、明日香村の地下には未だ知られていないたくさんの歴史的遺産が、数多く眠っているのだろう。


 都城模型 1-101都城.jpg

 最後に立ち寄ったのが「埋蔵文化財展示室」。13番目の訪問先の入場料は無料だが、ここには飛鳥時代の歴史資料がたくさん展示されていた。最初の模型は都城で、恐らくは「板蓋宮」だと思われる。


1-97展示室.jpg 同上


 以下は村内の古墳などから発掘された遺物を復元したものだろう。見事なものが多いので紹介したい。


      王冠  1-109発掘品.jpg


1-108発掘品.jpg 鏡


      装飾品  1-107発掘品.jpg


1-106発掘品.jpg1-104展示出土品.jpg

   装飾品                  馬具の一部


1-110閉塞石.jpg1-99展示室具注暦.jpg

 閉塞石(古墳石室内部の扉代わり)  具注暦(ぐちゅうれき=当時のカレンダー)

 この後私達は帰途に着いたのだが、途中で再び道に迷った。村内をグルグル廻るうちに、方向が分からなくなったようだ。<続く>





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Last updated  2014.11.13 04:34:03
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