マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2014.11.14
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<明日香村アラカルト>

1-60条里制.jpg 明日香村の風景

 歴史的な内容のブログは下調べに何時間かかかり、1回の文章を書くのにも最低2時間以上はかかる。ほとんど何も知らないからだが、何をどう調べたら良いかは分かる。それまでに知っていたこと、旅先の現地で知ったこと、そして帰宅後にネットで調べて分かったこと。それらをミックスして書いているが、新たな知識が広がるのがとても嬉しい。「現場」を観ることで学んだことが1つに繋がり、これまでの謎が解明されることが多いからだ。


 明日香村の集落  1-81明日香村.jpg

 昨日は原稿を書いている途中に、突然システムが不安定になった。初めての現象だが、何かウイルスが侵入しようとしたのかも知れない。一旦セーブして電源を切った。強力なウイルスバスターが効いたのか、再開後は保存されたデータがスムーズに動いてくれた。一体あれは何だったのだろう。ネットの世界では時々こんな不可思議なことが生じる。さて、今日は明日香村の最終回。説明は最低限に抑えたので、出来るだけ写真を楽しんでいただきたい。


1-41橘寺.jpg 橘寺境内


1-44橘寺.jpg1-46橘寺.jpg

               橘寺の仏像


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         橘寺本尊 聖徳太子35歳時の座像


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 境内の馬像は太子の愛馬の由。太子は蘇我氏と共に排仏派の物部氏と戦っており、馬にも乗ったのだろう。


1-47石舞台.jpg 石舞台古墳

 蘇我馬子の墓と言われている石舞台古墳は巨大な方墳で、使用された石材の総重量は約2300トン。こんな巨大な古墳を築いたのが古墳時代で、大化の改新後に発布された「薄葬令」により、巨大な墓の築造は禁止された。命令を出した天智天皇自身の陵墓も、それまでの天皇のものに比べたらかなり小規模になった。


1-71飛鳥寺.jpg1-64飛鳥寺.jpg

 飛鳥寺の仏像。右側の聖徳太子孝養像は16歳時の太子像で、製作は鎌倉時代。


1-69飛鳥寺.jpg1-68飛鳥寺.jpg

           飛鳥寺の古代瓦で、創建当時に使用されたもの。


1-67飛鳥寺.jpg1-66飛鳥寺.jpg

 左側は飛鳥寺の古代瓦。これは龍だろうか。恐らくは鬼瓦として用いたのだろうが、とても珍しいものだと思う。右側は飛鳥寺の彩色のない曼荼羅図。


1-79飛鳥寺.jpg1-76飛鳥寺.jpg

     左側は今はない飛鳥寺金堂の礎石。右側は飛鳥寺の鐘楼。


1-90飛鳥神社.jpg

 飛鳥坐(あすかにいます)神社。これがエロチックな奇祭を演じる舞台だろうか。


1-87飛鳥神社.jpg

 飛鳥坐神社境内の一角にある小さな社。4柱の祭神のいずれかが祀られているのだろうか。


1-103展示室塔.jpg

      これは創建当時の飛鳥寺だろうか。(埋蔵文化財展示室所蔵)


1-98展示室.jpg

 丘の上から美しい都城を見下す男女の姿。これはきっと華やかだった飛鳥時代の想像図だろう。(埋蔵文化財展示室所蔵)


 この後私達は桜井市へ移動して一泊。翌日は「山の辺の道」を歩いた。明日からは新シリーズ「山の辺の道を歩く」を開始する予定。引き続きどうぞお楽しみに~♪





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Last updated  2014.11.14 06:29:11
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