マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2017.02.04
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カテゴリ: ランニング全般


 先日の夜、あるTV番組を観た。記憶を失った青年の身元を、何とか探し当てようとする内容だった。ある青年は言葉の特徴から、岩手辺りで暮らした形跡があると言う。だが見つかったのは九州の佐賀県。列車マニアで地名にも詳しい。ところが記憶は島根県辺りで途絶えてしまった。彼の姿を見た方の証言では、幼い頃にとても厳しい環境に育ったことが分かった。




 もう一人の青年は、愛知県岡崎市周辺の景色や食べ物に強い反応を示した。だが彼の顔を見たかつての恩師は、彼が京都府の出身であることを告げた。さらにお姉さんと言う女性が現れて彼と話したが、全く記憶がないとの答だった。どちらもまだ20代の若さなのに、記憶を失うような大事件でも起きたのだろうか。

 我が家の近辺では認知症の老人が何人か行方不明になっている。ある時散歩していて、「ちらし」を見せられた。奥さんが必死で手掛かりを探していたのだ。徘徊の結果行方不明になる人の話は、さほど珍しくはなくなった。それだけ認知症の人が増えているのだろう。




 あるブログ友が四国八十八か所の別格本山を訪ねたとブログに書かれていた。今回訪ねたのは愛媛の三か寺。そのうち2つは知っていて、あとの1か所も大体の場所は分かった。何故なら私は松山でも勤務したことがあったのだ。また不思議な縁だが、昭和20年代の後半に父親が夜逃げした先が松山市だったのだ。


        松山城  

 卒業した小学校は街の真ん中。そして中学校は松山城の二の丸跡にあった。その懐かしい校舎はもうない。その後、史跡公園になったのだ。そして高校入学後間もなく父はそこで死に、私達兄弟は故郷の仙台に帰って来た。父が残した財産はほとんど継母に持ち去られた。そんな苦い思い出のある街へ、その34年後に再び勤務することになるとは全く不思議な巡り合わせだ。




 松山勤務当時の練習コースを思い出して見た。昼休みは職場の周辺を8kmほど走り、休日はkm5分ペースで最長30kmほど走った。山のコース、海沿いのコースなど20kmから30kmのコースが3つあった。当時は水が飲める場所が限られていたため、夏でもほとんど水を飲まなかった。良くそれで走れたものだ。それは当時制限時間が3時間36分の「愛媛マラソン」完走に向けての、良い練習になった。



      雪中の灯り   

 私が走り始めたのは35歳の時。当時は茨城県のつくばに勤務していた。それから、徳島県の鳴門市、沖縄、愛媛県松山市、大阪、山形、石川県の山奥、そして茨城県の水戸。59歳で辞職する時まで、私はずっと走り続けてた。その距離の累計が地球2周を超えた。

 記憶が朧げになって来たが、今でもそれぞれの勤務地の練習コースを思い出す。同時に厳しかった勤務のこともだ。それぞれの練習コースには、私の血と汗が沁み込んでいる。いつか再び訪れて、また走って見たいとも思うが、きっとそれは無理。あの懐かしい風景は、私の胸の中で生き続けている。<続く>





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Last updated  2017.02.04 04:30:05
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