マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.04.02
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~わたしと皇室~



 今上天皇の退位宣言に伴ってか、このところ皇室関係のTV番組がやたら目についた。私も関心がないわけではないが、ミーハーでもない。ただ、皇室や皇族による公務が、国民の精神に安寧をもたらしていることは確かなように感じる。今日は不敬にならない範囲で、皇室に関する私見を述べたい。



 民間から初めて皇太子妃となった美智子様のことをTVで知った。皇室に入る前後に受けた教育のことだ。皇室関係の行事や公務のみならず、書道、和歌、フランス語などを超過密なスケジュールで学ばれた由。特に和歌は皇族の必須事項であるため1日1首は詠むよう指示され、みっちり朱を入れられた。講師は自分の心を素直に詠めば良いと教示された由。。それを知って詠んだのが昨日のブログの短歌だった。



 さて、初の民間人妃となった妃殿下のプレッシャーはいかばかりだったろう。その中でも東宮に初めてキッチンを作り、3人の子供を自分で育てるなど、自らの意思を貫かれた。もちろん殿下の協力もあったはず。皇后になられて5年目。過激な報道に心を痛め、急に話せなくなった。その時、陛下や子供たちが妻であり母である皇后を支えたのだと言う。心が通い合っていたのだ。その家族愛の深さに私は打たれた。



 バッシングと言えば雅子妃殿下のケースはさらに激しかった。実父である小和田氏が退職後も国際機関に勤務したことや、女子しか生まなかったことをマスコミが取り上げて騒いだ。そのため、彼女は長期間「不適応症」で体調を崩された。愛子様が一般のお子さんとは異なる感覚であることでもマスコミの餌食となり、さらに妃殿下を苦しめた。何と言う無神経で封建的な国。何と言う非常識な一部のマスコミ。



 今、マスコミの追及は秋篠宮眞子様のお相手に向けられている。どれだけそのことで眞子様が苦しんでおられることか。妹の佳子様が姉君を庇っているのがせめてもの慰め。皇室に関心を寄せるのは良いとして、過剰な関心やプライバシーの侵害は、知る権利とは言えない。単なる野次馬根性は皇室にも礼を失している。もちろん国民の多くが、幸せなご結婚を願っていると信じてはいるが。



 さて私は、昭和天皇が仙台に来られた時に出迎えたことがあった。確か昭和26年の国体開催時だったはず。先生には「陛下の車が通過するまでは決して頭を上げないよう」注意された。未だ「人間天皇」ではなかったのだ。さらに平成5年には、今上天皇と皇后の車列を松山市で出迎えた。植樹祭か何かの時だったはず。あの時期、皇后は憔悴し声を失っていたのだと思うと、お気の毒でならない。



 さて、新元号が決まった。その発表を、私はさる場所で見ていた。菅官房長官が掲げたのは「令和」の文字。墨痕鮮やかな元号だったが、一瞬覚めた気持ちになった。なにせ「命令の令」だもんなあ。「でも」と直ぐに思い直した。令室、令嬢、令息、令弟などにも用いられているので、きっと良い意味があるのだろう。それに「和」は、非の打ち所のない文字だ。



 典拠が万葉集と言うのにも驚いた。和歌からではなく、「梅の巻」序文からの引用。これまで元号に用いられて来た漢字は、日本に伝わってカタカナや平仮名の素となり、組み合わされて使用された。同じ漢字圏ではあり得ない発想と文化だ。そして『万葉集』には天皇から庶民までの歌が採択され、長く国民の心をつないで来た歴史がある。素晴らしい元号を慶祝し、残された日々を過ごしたいものだ。





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Last updated  2019.04.02 00:00:29
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