マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.12.17
XML
~最終章・出雲王国と大和政権~



 さて、用意した写真も尽きかけた。そろそろ結論を急ごう。出雲と大和との関係であり、大国主神の本質の解明であり、古代日本に何が起こったのかの謎解きだ。私は端的に「出雲王国」と「大和政権」の勢力争いと見ているのだが。



 これは出雲大社の神紋、「亀甲に剣花菱紋」である。これにも花は勾玉であり、中心の円は鏡、そして剣が4振りあるとの言い伝えがある。勾玉、鏡、剣は「三種の神器」そっくりではないか。出雲王国の意地が秘められているのだろうか。また大和政権に譲ったのは出雲ではなく、出雲以外の領地との説もある。つまり出雲王国は大和朝廷より以前に成立し、広範囲の領地を有していたとの考えだ。



 大国主神は杵築大神、大物主神、大己貴命(おおなむちのかみ)、大穴持神など15以上の別名を持っている。大和国一之宮である大神(おおみわ)神社の祭神は大己貴命で、第七代孝霊天皇の皇女ヤマトトトソモモソヒメの夫とされる。だが、三輪山の主は蛇の形になって姫の元に通ったと言う。姫が葬られたとされる箸墓は、卑弥呼の墓とも言われている。出雲族と大和王権との関係が窺える伝説だ。


 蛇は龍であり、水の神、農業の守り神だ。大神神社には白蛇が棲み、神前に「生卵」が供えられている。出雲は蛇を祀る神社が多いことでも知られる。毎年秋から冬にかけて対馬海流に乗って産卵に来るウミヘビを捉え、神前に供える儀式が伝わっている。不思議なことに沖縄の久高島では、ウミヘビの捕捉は身分の高い祝女(のろ)だけに許された仕事、つまり出雲同様重要な神事なのだ。


 神武東征の際に協力した熊野三山。その中でもっとも奥地の熊野本宮大社は、松江市にある熊野大社(出雲大社と共に出雲国一之宮)からの分祀とされる。そして祭神の櫛御気(くしみけ)命の「くしみけ」は奇しき食べ物と言う意味。丹後一之宮である籠神社の奥宮、ひいては伊勢神宮外宮の祭神と深くつながっている。さらに出雲大社近辺には、大和と共通の地名が幾つも残されている。



 上の写真は「四隅突出墓」と言われる古い形の古墳。四隅に「舌」のような出っ張りがあるのが特徴だ。最初に出現したのは中国地方の山中で広島県三次市近辺。それが日本海沿岸に進出して、出雲を代表する古墳となった。この古墳が分布するのは北陸から新潟付近までで、その他の地方には全く存在しない。出雲王国との協力関係にあったことを窺わせる事実だ。



 島根県下の荒神谷遺跡及び加茂岩倉遺跡からは、おびただしい数の銅剣、銅矛及び銅鐸が出土している。2つの重なった文化圏を持つことから、出雲は九州から機内に至る広範囲の交流関係にあったと推定される。上は島根県立古代出雲歴史博物館に陳列されたもの。あまりの量の多さに度肝を抜かれる。不思議なことに、これらの中には✖印を付されたものが混じっている。それは一体何を意味するのか。



 銅鐸も尋常な数量ではなく、中には国宝もある。淡路島からも同じ型が出土しており、古代出雲王国の影響力が分かるだろう。だが出雲の銅剣と銅鐸は深く土に埋められていた。銅は鉄に劣り、銅剣は鉄剣に敗れる。それは大和王権に屈した証だろうか。そして大和王権に下ることで、稲作祭祀に不可欠だった銅鐸も、存在意義がなくなったのだろうか。銅鐸の幾つかにも✖印が付されていたのだ。


       <CGで再現した古代の出雲大社>

 能登の浜辺に鳥居が立っている。気多大社の祭神は大国主命。能登には大国主命が村々を練り歩く祭りが今も残る。出雲と交流があった証拠だ。宗像氏が祀る宗像大社には辺津宮があり、市杵姫を祀る広島の安芸の宮島も鳥居が海中に立つ。対馬の和多津美神社も同様だが、最近韓国人の立ち入りを禁止した。落書きなどをするのだ。私は昨年訪れたが、境内の石垣に韓国式の積み石がしてあり非常に腹が立った。



 さて、「旅・歴史と美を訪ねて」のタイトルで書き始めたこのシリーズだが、最後に歴史に触れることが出来た。私は歴史学や考古学を専攻した訳ではないが、日本の古代史に深い関心を寄せて来た。今回の旅が少しは謎を解くきっかけになれたかどうか。残念なのは島根県立古代出雲歴史博物館に立ち寄れなかったこと。旅行会社のツアーでは到底無理だし、帰宅後にその存在を知ったのだが。


 出雲は国つ神=在来の民。天つ神=天孫族は後から日本列島に来た人たちだろうが、出雲は縄文人と早めに通婚していたことがDNA分析で分かっている。「魏志倭人伝」には「倭国大乱」とあるが、両者での争いはどうだったのだろう。大国主命はスサノオの子とも7世の子孫とも言われるが、それなら天孫族同士の国譲りだったのだろうか。神話で歴史の謎は解けず、科学的な実証が必要。私の歴史を学ぶ旅は続きそうだ。ではまたね。<完>

<お断り>
 ここに紹介したのは定説ではなく、一つの考え方に過ぎません。学問の進歩に伴って、今後も新たな事実が解明されることでしょう。日本の古代史が科学的に解き明かされる日が一日も早く訪れることを、心から願って筆を置く次第です。頓首。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.12.17 00:00:19
コメント(11) | コメントを書く
[考古学・日本古代史] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: