マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.04.17
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カテゴリ: 旅、温泉
<大連のロシア人街 その2>



 今日も大連の旧ロシア人街の紹介です。明治期には実際にロシア人が住んでいましたが、その後日露戦争の勝利によって、日本人の居住区となりました。でも日本人の建築家は極力ロシア風の西洋建築を維持したのです。それが独特の景観となって、現在では大連観光の目玉になっています。



          町並みは整備され、瀟洒な建物がずっと続いています。



 そのためかこの美しい地区には各国の大使館や領事館が置かれ、大使館ナンバーを付けた高級外車が路上に駐車していました。



 台2次世界大戦の終戦から75年。今でもこうして維持されているのは、きちんと補修もされていると言うことなのでしょうね。



 でも中には、立派な扉の前にゴミが置かれている家もありました。観光地には相応しくない風景ですが、これは一体どうしたのでしょう。観光の目玉の地区がこんな風景なのはとても信じられないですね。



  ロシア風建築に不似合いな漢字の横断幕が掲げられています。ちょっと違和感がありますねえ。
でも、背後の高層建築とは実に面白い対比をなしていますね。



 これなどはとても見事な風景。現代中国ではなかなか見られないエキゾチックな風景です。



 瀟洒なロシア人街の広場に、近代的な彫刻が立っていました。その足元を見ると、見事な揮毫が。



 近寄って見ると、国家主席だった江沢民さんの書でした。さすがは漢字の発祥地、見事な書体でした。





        西洋風の彫刻と東洋風の彫刻。中国もなかなかのセンスですね。




 旧日本人の居住地区に、博多人形風の塑像が置かれていましたが、何だか「取って付けた」ようで、私は違和感を感じたのですが。



 ロシア人街の外れに、貧しそうなテント小屋が建っていた。そこに行くと、ずらりと帽子が並んでいた。小屋の奥から出て来たのは白人の美人。私に向かってしきりに帽子を買ってと言うような感じ。きっとロシア系の人だろうと思い、「スパシーバ」(ロシア語でありがとうの意)と言ったが、何の反応もなかった。そのことを中国人ガイドの価さんに言うと、直ちに否定。今はロシア系の人は大連にはいないとでもでも言いたげだ。因みに価さんは漢族。元々ここは満州族の土地だ。<続く>





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Last updated  2020.04.17 00:00:09
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