マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.08.06
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<2冊の本のことなど>



 玉作資料館のパンフレット。入館料は個人の大人で300円だった。万葉美人のような女性が描かれていたが、何を想定したものかは分からない。

  玉作資料館所蔵の石器

 玉作資料館にあった唯一の石器がこれだった。時代も用途も書かれていない。下の字を拡大すると辛うじて「松江市玉湯町 花仙山産」と判明したが( )内の2文字は潰れて読めなかった。石器と分かるのは石を打ち欠いて形を作ってるため。恐らく左端は槍の穂先のような武器と思われる。右の2点は肉を切るナイフか皮を剥ぐためのものだと思う。もしも用途がそうだとしたら、全て縄文時代のもののはず。弥生時代は稲作が中心になった。思い出すのは稲穂の先だけ切り取る「鎌」の用途を果たした石器だが。



 資料館には2体の埴輪が陳列してあった。どこのものか、そして彼らが何者であるかの説明はなかった。いやあったかも知れないが、私が見逃したのかも知れない。左は机の上に巻物を広げて何かを記録しているように「見える」。右は武人だろうか。右腰に太刀を差しているように見える。そして左肩に鳥が止まっている。

 私はその後丘の上の古墳を観た。円墳の「徳連場古墳」だが、あそこに埴輪が捧げられたようには思えない。玉造温泉近辺には後期の横穴式を含めて4つの古墳があるようだが。私は右上の「記加羅志神社跡古墳」のように思われた。理由の1)はパンフレットに写真が掲載されていること、理由の2)は「きからし」と言う万葉仮名を思わせる地名。そして大事な古墳の上か傍には神社が置かれることが多い。文字がない時代から、「あそこにはこの地の祖先が眠っている」との口伝えがあったのだろう。祖先の霊を祀るための神社を、全国各地の古墳近くで数多く観たことに基づく私の直感だ。

   「各国風土記」編纂に係る詔  

 日本の国情が落ち着き、律令制度が安定して来ると大和政権は各国造に詔(みことのり)を発して、各国に伝わる風土記をまとめて朝廷に差し出すよう命じる。実際は実権を握った藤原氏に都合の良い歴史を記すための材料だがそれはここでは擱(お)く。ともあれ出雲国では他に類例のない詳細な「出雲国風土記」を5年をかけてまとめて提出した。そのため出雲国の豊富な神話が、今に伝わっている。



       <玉作湯神社の扁額(左)と同社(右)>

 館内に玉作湯神社の写真とその扁額の写真があり、後日の参考になるかと思って撮影した。かつては「玉造湯神社」と称したようだ。式内社かどうかは調べていない。この名称が明治に入ってから「玉作」と変えられた。それまでの神仏混交を排した頃だ。そして社格も国家(神祇省)が決めた。恐らく国造にもつながる「造」から「作」に変え、社格も「村社」にしたのではないか。そこまでして「富国強兵」と「神国日本」に突き進んだのだろう。

 この神社の背後の丘の上に「玉造要害城」があったことをネットで知った。別名は湯ノ城、玉造城、湯ケ城、など。古くは出雲国守護の居城だったそうだが、戦国時代は中国地方の英雄尼子氏の武将である湯(ゆ)氏の居城だった由。尼子氏は山陽の雄大内氏の攻撃には耐えたものの、大内氏に取って代わった毛利氏の攻撃と策略の前に敗れた。一時は石見銀山の銀を独占して繁栄した尼子氏が敗れ、湯ノ城を守った湯氏は九州へと逃れたようだ。



 さて「玉造」の地名のうち、出雲(島根)と摂津(大阪)の玉造では、実際に玉を造る工房があったと思われる。陸奥国の玉造郡(宮城)は常陸国(茨城)の玉造から移民が来たことによる地名の移動だろう。常陸の行方郡から陸奥の行方郡(福島)も同様。蝦夷を服属させて大和朝廷の支配圏が拡大すると、人を移動させて開拓を図った。当然収められる税は増える。神社も地名も人の移動によって移動した。人はそれまでに信仰していた神社を移動先にも分祀する。そのようにして神社は「増え」て行くのだ。



 以上、この地の歴史を縄文時代から戦国時代までを駆け足で観て来た。松江藩の御用窯であった布志名(ふしな)焼の作品については改めて紹介したい。



 さて、資料館を去る前に私は1冊の本を買った。「島根の考古学アラカルト」。著者は確か高校の教師を務めた方のようで、多分トンデモナイ内容ではないと思ったからだ。学芸員の女性に明日は「古代出雲歴史博物館」に行くと告げると、あそこの展示物は凄いですよと一言。そしてかつて出雲大社の神事を司った「北島国造家」の話を切り出すと、北島国造家がかつて東出雲の熊野大社を祀り、朝廷の命により出雲大社へ移って司祭するようになったことを教えてくれた。



 「古代出雲歴史博物館」で購入した2冊目の本 「出雲大社の暗号」の謎めいたタイトル。ああ、確かそんなことがあったなあ。本を読み人づてに聞いた古い記憶が、断片的に蘇った。「神が戦い人も戦った古代出雲への旅」おどろおどろしい今回のタイトルはそんなことから付けた。謎の古代出雲に、一体何があったのか。明日はいよいよ、「古代出雲歴史博物館」と「北島国造家」を訪ねる。<続く>





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Last updated  2020.08.06 07:03:45
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