マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.05.03
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カテゴリ: 文化論
~エロスと歴史と習俗~

  源氏物語絵巻

 世界に誇る日本の文学の代表として「源氏物語」を挙げる人は多いかも知れない。その証にこれまで何人もの人が訳している。だが古典文学に明るくない私には、王侯貴族の単なるセッ〇ス依存症としか思えないのである。時代が異なるので単純な比較は出来ないが、皇室における結婚観は現在とは全く異なり、中には「近親〇婚」としか思えないようなケースも多々あることに驚かされる。



 古代の上流階級では「妻問婚」が普通だった由。真っ暗な寝床に男が忍んで行くのだ。当時貴族が風呂に入るのは月に5、6度。それも吉兆を占ってからのこと。長い髪を洗うのは米を研いだ研ぎ汁。ただし光沢を出すため、髪に油を塗っていた由。匂いを隠すため、香を焚き込めていた。だからあまり清潔とは言えなかったようだ。庶民は風呂などにも入れず、たまに体を拭く程度だったのではないか。

  筑波山

 関東平野の北に聳える筑波山。男体山と女体山の二つの嶺の間で、古代は年に2回「歌垣」が催されていた由。本来は男女が歌を詠み交わすことだが、実態は自由恋愛。その日だけは既婚者と未婚者を問わず好きな相手と思いを遂げることが出来たと言う。頂上は筑波山神社の神域だが、神も公認する特別な一夜だった。



 百人一首に陽成院(陽成天皇)の歌がある。「筑波嶺のみねより落つるみなの川 こひぞつもりて淵となりぬる」。みなのかわは「男女川と書く。こひは恋で、筑波山での歌垣を詠んだもの。だが都の天皇は筑波山も、そこで行われていた「歌垣」の実態も知らない。歌を詠んだ天皇は若くして皇位を次ぎ、権力を維持するために苦心した。藤原氏の影響が婚姻に及び、激しい権力争いが絶えない古代の皇室だった。



 時代も場所も遠く離れた沖縄にも、かつて筑波山と似たような風習があった。毛遊びだ。「もうあしび」と読み、祭りの夜にだけ許される草むらでの男女の自由恋愛。琉球王朝とヤマトに同じ風習があったのは決して偶然ではない。日本と沖縄は、人種も言葉も宗教性も風俗も底流でつながるものがある。どちらも祖先は縄文人だからであろう。本土の庶民なら、さしずめ「夜這い」に近いかも知れない。



 男女間の話はまだあるのだが、今日はこの辺りで止めておこう。私は色んなことに興味を持ち、本を読んだり、現地を旅したり、博物館、美術館、神社、古墳、聖地などをたくさん訪ねた。またTVなどの科学番組が好きで観ている。そのせいで、幾つかの疑問点がふとした機会に解けることがある。つい最近もそんなことがあり、自分の直感が間違ってなかったことを知った。まさに事実は小説よりも奇なり。だから自由な発想が大切。自分の知識など知れたものだ。<続く>





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Last updated  2021.05.03 00:00:13
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