マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.06.02
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カテゴリ: 歴史全般
~皇帝から一庶民への人生~




 わずか3歳で清朝最後の皇帝(遜帝)となった愛新覚羅溥儀。紫禁城(故宮)で大勢の臣下に傅かれた日々もあったのだが、清は欧米の列強、ロシア、日本の外圧に苦しむと共に、国内では漢民族と満州族との内乱などが続いて疲弊して行った。



         <特急「あじあ号」と旧満州国地図>

 日清戦争、日露戦争に勝利した日本は、ロシアが保持していた満州の権益の移譲を受けて、「五族共和」を推進すべく満州国を建国した。五族とは、日本人、漢族、満州族、ロシア人、そして朝鮮族。「満鉄」は単なる鉄道会社ではなく、銀行、病院、シンクタンク、博物館、図書館などを有する国家の代行機関であり、後に国内での暴動を抑えるため、関東軍が設置された。

 満州政府は広大な土地を開拓すべく、内地や朝鮮(日本と併合)から移民させた。鉄道は北京や現在のソウルまで延びて路線が拡張され、世界最速の「特急あじあ号」を主要路線で走らせた。当時統合下にあった朝鮮や台湾同様、満州においても産業を興し、医療、教育、国民の文化向上に尽力した。これらは植民地ではなく、日本は何も奪わず、むしろ多くの国家予算を投入したのだ。



 清朝皇帝の座を奪われた溥儀は満州国の執政(左)となった。また弟の溥任は日本の華族の娘を妻に迎え、日満両国の懸け橋となった。娘の彗生(すいせい)は大戦後日本に留学し、日本人青年と恋愛し、天城山で心中する。中国に残った日本人妻は、戦後中国の孤児を救うなど慈善事業に余生を捧げた。右は弟溥任とその家族。

  溥儀の満州国皇帝就任式。

 清の皇帝の座を追われた溥儀だったが、祖国満州に日本が建国した満州国の皇帝として錦を飾った。だが、清王朝滅亡後も中国の内戦内乱は続き、満州においても満州族や漢族の抵抗が頻発し、それが「満州事変」による張作霖の爆死事件に繋がった。その間、日本は英米と戦争状態となり、ついに第二次世界大戦に突入し戦線が拡大して行く。

  「南京虐殺」とされる写真   

 蒋介石率いる国民党は首都を南京に移転するが、日本軍による攻撃を受けると漢口に首都を移転。そこも陥落すると、さらに重慶へと移転。毛沢東率いる共産党人民軍は江西省瑞金から延安へと脱出する。いわゆる「長征」で、その地で「中華ソビエト共和国」建国を宣言。後に国民党と合作して日本軍に当たる。「重慶爆撃」は機上からの目視で誤爆が多く、後に「無差別爆撃」と非難される元となった。



 溥儀は終戦前に満州に乱入したロシア兵によってロシアに抑留され、帰国後は中国共産党によって、一市民とされ、再教育のため研修施設に入所させられる。退所後は共産党に入党したものの要職には就けず、ひっそりと老後を送る。映画では幼児に戻った溥儀が紫禁城に潜入する場面で終わるが、実際の彼はごく穏やかな表情の一老人だった。

      晩年の溥儀夫妻    

 映画『ラストエンペラー』では、第二夫人(側妃)は大戦のさ中に愛人と逃亡し、正室(元皇后)はアヘン中毒者として描かれている。上は老後の正室だがアヘン中毒患者の面影はない。映画では甘粕大尉は終戦直後ピストルで自殺するが、服毒死したのが真実だったようだ。映画は映画であり、歴史そのものではない。だが今回も偶然観た映画を通じて、近代史を学ぶ機会を与えてもらったと思っている。

  「コウラン伝」より

 中国の歴史ドラマ「コウラン伝」を視聴中だ。秦の始皇帝の母となった女性の数奇な運命を描くもの。同じ歴史ドラマでも韓国製とは全く重みが違う。どちらも正室と側室の熾烈な戦いの場面が付き物だが、韓国製は話がワンパターン。その点中国製はさすがと思わせるものがある。漢民族の歴史や「中華思想」が良く分かる。韓国の「ミニ中華思想」はうんざり。中国の歴史ドラマの質は高いが、現実の恐怖政治には辟易する。いや、あれが漢民族の本質なのかも知れない。夢も大事だが、現実の直視はもっと大切だ。





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Last updated  2021.06.02 06:01:16
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