マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.06.04
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~私が訪ねた遺跡など その1~

  「北海道・北東北の縄文遺跡群」

 さて、世界文化遺産への登録間近となった「北海道・北東北の縄文遺跡群」だが、どうやって紹介したら良いかと悩んでいる。名前すら知らなかった遺跡や、貝塚や周堤墓などをどう紹介することが出来るだろう。そうだ思い切ってこの中で実際に訪れたことのある遺跡を中心に紹介したらどうだろうか。それなら自分の印象も交え、少しは自信を持って紹介出来るような気もする。そうだ、それで行こう。ぽっ

    青森県三内丸山遺跡  

 トップバッターはやっぱり「三内丸山遺跡」だろうね。縄文時代を代表する遺跡として超有名だもの。ここは青森市の沖館川右岸の河岸段丘上に位置し、標高は200m。1992年県営球場の建設工事中に見つかったんだ。この地で大量の土偶が発見されることが江戸初期には分かってたんだって。それが本当でしかも大規模な集落跡地や、木製の大型建築物が発見されて、本格的な発掘作業が始まったんだよ。



 特に有名なのが高さ16mの「楼観」(左)と長さ50mの大型掘立柱建築(右奥=ロングハウス)だね。楼観はね直径1mのクリの丸太が地中から出た。柱の太さと地中の底辺が土と砂を交互に突き固めた版築(はんちく)と言う古墳時代の土木工法が用いられ、それで高さも推定出来、内側に6度傾いて建てて、強度を保ったことが大林組の実証検査で分かったのさ。現在の丸太はロシアから輸入したんだよ。

   大型掘立柱建物の内部    

 そしてこれが大型掘立柱建物の内部。通称「ロングハウス」と呼ばれるほど奥行きがあって、まるで現代の建物みたいだね。ここでは集落全体の宗教行事などが行われていたようだ。私も中に入ったけど、そのあまりの広さに驚いたものさ。



 ここからはヒスイの大珠などが出土している。いずれも新潟県糸魚川市姫川産。堅いヒスイに穴を開ける技術も凄いが、遥々とあんな遠くから丸木舟で運ばれて来たことを考えると、三内丸山の凄さが分かるね。この遺跡は縄文前期中ごろから中期末葉(5900年前~4200年前)までの約1700年間連続して人が住んでいた。住居跡が780もあることから、常時500人が暮らしていたと考えられる由。

  縄文ポシェット(左)とカバン(右)

 左は「縄文ポシェット」と呼ばれている籠(かご)で漆を塗って補強してある。これは「ゴミ捨て場」から出て来た。右は「縄文のカバン」だが、木の繊維を編んで復元したものみたいだね。ゴミ捨て場からは、「くし」などの日用品が見つかっている。主要道路の両側にはお墓の列もあったんだよ。

 そして単なる採集生活だけでなく、クリ、クルミ、トチの実、エゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、豆などを栽培していたことも分かってる。もちろん漆(ウルシ)も植えていた。



 板状土偶(ばんじょうどぐう)の破片。縄文人の平均寿命は30代後半。出産時に母子が亡くなることが平均寿命を引き下げたのさ。これらの土偶は人間代わりに「厄払い」のために壊されたんだよ。お墓の存在もそうだけどヒスイなどの装飾品を身に着けるのも既に彼らが高度の宗教性を保有していた証だと思うよ。



 三内丸山遺跡出土の板状土偶。大人や子供の墓は、道路脇に整然と続いている。でも出産時に死んだ赤ちゃんは、掘立小屋の囲炉裏の傍に埋めるケースもあるようだ。きっと家族の傍に置きたかったんだろうな。さて、1700年も続いた三内丸山遺跡の大集落だけど、ある時以来人が住まなくなるんだ。それは寒冷期でクリが実らなくなり、暖かい土地に移動して行ったんだろうね。私は2度訪れたこの遺跡。立派な展示館もあって、現在は無料で見学出来るようだね。ありがとうね、三内丸山遺跡。<続く>





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Last updated  2021.06.04 07:18:32
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