マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.09.09
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カテゴリ: 文化論
~「古代エジプト展」を観る その1~



 9月の最初の日曜日に仙台市博物館へ行った。



 やっていたのはこの特別展。もっと前に行きたかったのだが、庭仕事を続けた後に体調を崩してこの日になった。実はこの日が閉幕の日。何とか最終日に間に合ったわけだ。ウィンク



 そのせいで館内は大いに混んだ。2階の入場口に行くまで20分ほど待たされ、やっと2階に上がっても40分間は待った。退院翌日の病み上がりの身には、立ったまま待つのは辛かった。そして展示物は撮影禁止。 さてどうやってこの特別展をブログで伝えるかと悩んだ。もっと早く行っていれば、地元紙の特集号がもらえたはず。そこでない知恵を何とか絞る。



 出来ることは決まっている。唯一もらえたパンフレット(上)にしわが寄らぬよう、折れぬよう持参した新聞に包み、大事に持ち帰る。それをデジカメで丹念に撮れば何とか雰囲気は伝わるだろうと。ところが夜は照明が反射して画像が光る。そこで翌日も何度か撮り直した。舞台裏の話だ。



 この特別展は、ライデン国立古代博物館(上)の所蔵品を借りてのもので、全国何か所かで開催されたようだ。パンフレットには「美しき棺(ひつぎ)が立ち並ぶ圧巻の立体展示!」とある。事実展示物は246点と質量ともに内容があり、言葉で表現するのは到底無理。それなのに紹介出来るのがパンフレットの中の写真しかない。因みに同館はオランダの大学都市ライデンにある由緒ある博物館。



 ライデン国立古代博物館の建物の写真はネットから借りたが、同館に関する説明はない。あったのは各地で開催された特別展の案内のみ。不思議な話だ。上は展示場外にあった紹介文を撮影したもの。急いで撮ったため部分的になったがそれでも、概要は分かるだろう。オランダは東インド会社での活動を通じ、17世紀前半から、古代エジプトを含む東方の美術品を収集していたことが分かる。



 左はフランスのパリにあるルーブル博物館に設置された古代エジプトのオベリスク(尖塔)で、ナポレオンがエジプト遠征時に収奪した通称「クレオパトラの針」。

 右は有名な「ロゼッタストーン」で大英博物館所蔵。最上部が古代エジプトのヒエログラフ(神聖文字)、中段は庶民が用いた文字、下段が古代ギリシャ語で、同じ内容の文章が記されている。大英帝国時代にエジプトを占領していたイギリスが収奪したもので、この3種類の文字からなる碑文を翻訳して、古代エジプトの神聖文字を解明した極めて学術性の高い一級の考古資料。

 やがてヨーロッパの列強は東方への関心をさらに深め、古代ギリシャ、古代エジプト、中央アジア内部のシルクロード各遺跡などへ探検隊を送った。当時は最初に探検調査した国が、遺物を自由に持ち帰った。日本も明治初期に「大谷探検隊」を中国奥地に送り、学術調査を行っている。



 上はオーストラリアのメルボルンにあるビクトリア博物館。私も見学したが古代エジプトの考古資料がたくさんあったことに大変驚いた。博物館の建設に際して国民へ展示品の寄付を募った由。大英帝国国民の末裔がオーストラリアに移住したため、祖先から伝わる貴重な考古資料が大量に寄贈されたのだろう。全てかつての収奪品のはずだが、中には代金を支払って収集したコレクションがあるかも知れない。



 前置きが長くなったが、パンフレットの中央に大きく写ったのがこの3体の棺。材質は木。恐らくは古代エジプトの支配下にあったレバノン産だと思う。その中に丁寧に包帯で巻かれた貴人のミイラが眠っていたのだろう。木棺の表面は丁寧で美しい装飾が施されている。このような棺が何十も展示されて、実に壮観だった。ちゃんと紹介出来ないのが悲しい。

 左の棺の下部
 中央の棺の下部
 右の棺の下部

 3枚の写真は上の3体の棺の下部の装飾を拡大したもの。左の棺の文様は不鮮明だが、神聖文字が線刻されているみたいだ。中央の棺の文様は神殿とさまざまな神像が描かれている。右の棺の装飾は羽を広げたスカラベ(フンコロガシ)か。スカラベは太陽の象徴でもある。古代エジプトでは太陽は船に乗って移動し、翌日東の空に現れると信じられていた。スカラベの下の三角模様は恐らく「太陽の船」と思われる。

  壁画(左)
  壁画(中央)
  壁画(右)

 壁画(右)の全身緑色をしたのは冥府(めいふ=あの世)の王か。壁画(中央)は神に飲み物を捧げる王。当時ワインやビールがあり、ピラミッド建設のための労働者たちも毎日ビールを飲んでいた。壁画(右)はハヤブサの顏をした神で、右手には護符を持っている。

 1)   2) 

 1)は護符(下)とビーズの首飾り(新王朝時代 前1539-1077頃) 2)は王の書記であるバウティの「ピラミディオン」(ピラミッドの模型)新王朝時代第19王朝セティ1世の治世(前1290-1279頃)

    3)   4) 

 3)はネヘメスウのカルトナージュ棺(部分)第2王朝(前934-746年頃) 4)は説明あり

 a)   b) 

 a)は不明だがカワウソの姿をした神像か。b)は猫の像

 調査1

  調査2

  神聖文字(ビデオ)

 1)と2)はかつての学術調査時の写真で、出口のパネルを撮影した。最後の神聖文字は流れていたビデオを撮影したもので過去の調査か。



 2019年。ライデン国立古代博物館で最新型のCTスキャンにかけて、ミイラの包帯を解かないまま撮影した際の写真。(パンフより)なお同館では、1980年代半ばにイギリスの研究機関と共に、エジプトで調査活動をした由。明日はさらに鮮明な映像を紹介予定。どうぞお楽しみに。ぽっ<続く>





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Last updated  2021.09.09 00:00:11
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