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サラリーマンとして日々会社の歯車となって仕事をしていると、組織には尊敬できる人と尊敬できない人がいる事に気が付く。
入社して最初の頃は尊敬できるかどうかを仕事が出来るかどうかで判断しがちだが、年を重ねる毎にその考えは少しずつ変わっていく。
何年も一つの組織で仕事をしていると、尊敬できるかどうかの判断の元になるのは多くの場合仕事が出来るかどうかではなく、配慮や思いやりといった人間らしさによるものが意外なほど大きなウエイトを占めている事に気が付く。
これは日本的経営かどうかで顕著に変わる考えで、実力主義の外国の企業では少し変わってくるだろうと思う。
日本の企業も随分様変わりしたが、しかし、根っこの部分は未だ変わっていない。
部下や後輩の成果について、「これはあいつの努力の結果です」という上司や先輩。彼らは仮にそれ程優れた仕事が出来なかったとしても、長期的には慕われるようになるだろう。
逆に部下や後輩が失敗したときに、「これはあいつの失敗だ」と言うような上司や先輩は慕われない。例えどんなに仕事が出来ても、である。
異論反論はあるだろうが、実際はそのような傾向があると強く感じる。少しの歪みであっても、時間が経つにつれ、その歪みは徐々に大きくなってくる。
組織が大きくなると個々の業務にチームワークが必要になる。不得手な人の仕事を得意な人が補う仕組みがあれば、長期プロジェクトでは組織全体として効率的な業務が出来るからだ。効率的な業務が求められるほど、潤滑油が必要になるような摩擦の大きい歯車は、どれだけパワーがあっても周りの歯車が徐々に磨耗してくる。
株式投資でも、似た事がある。
自分の成功したトレードについて、「これは私のトレードです」と大っぴらに自慢している投資家は尊敬されない。
成功したトレードの度に「これは自分の力で成功したのではなく、たまたま成功したのです」と謙虚な姿勢を持つ投資家。そのような投資家は失敗したトレードと謙虚に向き合うことができる。そういう姿が多くの投資家に尊敬される。
そもそも成功したトレード自体、大っぴらにすること自体がおこがましい。市場に謙虚であるなら、そんな恥知らずな事はしないはずである。
成功体験に胡坐をかいて自分のトレードを自画自賛している限り、その投資家は短期的には羨望の眼差しで見られても、長期的に尊敬される事は永遠にないだろう。
依存するタイプの個人投資家は常に尊敬するべき投資家を求めている。
それは、結局のところ市場に対する謙虚な姿勢であり、どれだけ成功してもそれが自分の能力によるもの以外の影響が大きかったことを理解できる認識力であり、自己を内包する相場全体に対する広い視野であるのだ、と思う。
謙虚な姿勢を持たず、自分のトレードを自画自賛する投資家の姿は、とても醜くおぞましい。長く相場と謙虚に向き合ってきた投資家であれば、そのような発言はしないはずである。長い間バリュー投資家を見続けてきた僕は、今ではそのように考えている。