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ショッキングな記事を、ヤフーニュースで見た。それはドイツの殺人鬼の記事である。その殺人鬼は元看護師の男性。記事によると、2人を殺害して有罪判決を受けたとなっていた。終身刑だという。ところが、被害は2人だけで終わらなかったのである。長年病院で勤めた間に、次々と患者を殺していったのだ。日本は国土が狭いので、亡くなると火葬されるのだが、ドイツは広いので、土葬されることが主流。そこで警察が、彼が病院で勤務していた間に、不審死をした患者の墓を掘り起し調べた結果、薬の投与が過剰だったことが、あきらかになったのである。不整脈治療に使われる薬を、患者に過剰投与したらしい。分かっているだけで、84人というから恐ろしい。なかには火葬した遺体もあるようだから、実際には84人以上殺害していたことになる。そして、殺害理由が絶句するような理由だった。裁判で彼が話したことというのが、「与えられた仕事が退屈だった」なのだ。病院というと私たちは、ある意味言われるままのところがある。こういう薬を出す‥こういう注射を打つ‥。勿論、全く言われるままでなく質問もするが、ある程度信じて信頼をもって受診する。その薬の中身を疑うわけでも、注射が大丈夫だろうか?と、疑問に思うわけでもない。病院内では、そのまま受け入れてしまうのである。‥そう、私たちは無防備なのだ。彼は看護師の技術を学ぶ前に、何故命の尊さを学ばなかったのだろう。尊い命が沢山奪われてしまった‥心が引き裂かれる思いだ。
2017年08月30日
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びっくり!中日新聞を読んでいて、書かれた記事に驚いた。見出しが「水入りペットボトルご用心」だった。ネコよけの水入りペットボトルが置いてある家って、よく見かけるよね?何本かを等間隔で置いてあるのだけど、あれって、本当にネコよけになるのかしら?と、いつも疑問に思っては、その家を横目で見て通過している。そのペットボトルで、名古屋市瑞穂区の木造平屋民家から出火してしまったのである。何故出火?どうやらネコよけの水入りペットボトルが、太陽光を一点に集めて火災に至ったようである。こういう火災のことを「収れん火災」と言うらしい‥。原因は、ペットボトルの水がレンズの役割を果たし、太陽光を集めてしまったからだ。記事によると、名古屋市消防局の集計では、この収れん火災が原因で起こる出火は、市内で昨年2件発生しているという。2件は多い数字ではないが、知ってさえいれば防げた火災であることを考えると、残念な火災事故である。収れん火災の発生は、こういったペットボトルだけではない。化粧で使う拡大鏡、金属製ボウル、透明な吸盤等々‥。日差しが強いことなどが条件なので、この時期気を付けなければならない火災原因である。でもどちらかというと、太陽高度が低くて、日差しが室内に差し込みやすい冬場のほうが起きやすいようだ。こういう場合はカーテンをしっかり閉めて、強い日差しを室内に入れない工夫が必要である。それにしても、水入りペットボトルで家を焼くのかぁ‥。壁に接するように置いていたというから、木造の家に燃え移ってしまったのだろう。きちんとした知識を持たずに、何気なく行なってしまったことが仇となり、最悪の結果を生んでしまった事例だ。日頃から疑問を持って知識を集め、知らないことで損をしたり、最悪の状況に陥ることがないように、したいものである。
2017年08月28日
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ケイシーの「転生の秘密」という本に関する勉強時には、ケイシーのリーディングで聞いた病気を治す方法を実践して、有難いことに病気が治っていった人の体験談を、この日3人の人が発表していた。原因不明の痛みと戦いながら、ケイシーのリーディングで述べられている色々なやり方から、一番症状が合っているものの治療法をピックアップして、それを実践した人たちの体験談だった。人間は病気になると、いままで普通に出来ていたことが出来なくなる。精神的にも追い詰められてしまい、何も手が付かなくなってしまう。健康であってこその、生きる喜びである。やむなく病気と上手に付き合いながら生活している人も居るだろう。そういう人たちは、プラス思考で生きられるか試されるだろうと思う。私たちはそれぞれ課題を持って生まれてきているのだから、それをクリアできるような、ポジティブな考え方をしていきたいものである。さて、ここで参加者から色々な質問が出てきたのだが、会長はそれを一つ一つ丁寧に返答してくれた。私はヒプノか、もしくはヘミシンクで、人間以外のものに生まれ変わったと理解した事がある。なので、人間以外の生まれ変わりも有りえることだと思っていたのだが、どうやらそれは違うらしい。植物、鉱物、動物等々は憑依であり、生まれ変わりではないという。人間のみ自由意思を与えられているので、人間は自由意志が有る生命にしか生まれ変われない‥と話された。それで思い当たったのが、私が鉱物だった頃の意識に戻って体験した時、簡単にそこを出入りしていたという事実である。意識体である私は、そこを抜け出し、他の類似する意識体と何度か話していた記憶が、蘇ってきたのだ。無理やり鉱物に入らされたという記憶が残っていたのだが、あれは生まれ変わりでなく憑依のみで、鉱物の内面を体験させられていた‥というのが正しい判断のようだ。そうかぁ‥憑依しただけだったんだ‥。胸にストンと納得がいく話しだった。又私はズーズーしくも、もう生まれ変わりたくないと思っているのだが、同じように感じている人が居て、その人が会長に質問した。果てしない生まれ変わりは、もう嫌だと‥。会長はケイシーのリーディングの言葉として、こう話された。「地球に居る時は精一杯地球のことをしなさい。太陽系は8次元まで有る。私たちは今まだ3次元に居るのだから‥」8次元‥う~む、そんなに次元は有るのか~。と言われても、これっぽっちも理解出来ないには違いないのだが‥。今回のお話しを聞いて、今世に生まれた意味をしっかりと噛みしめて、精一杯生き抜くことにしようと、改めて思うのだった。
2017年08月25日
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今回聖書講座でなく「転生の秘密」の勉強会だった。いつもの倍の人が学びに来たので、教室内は活気が溢れていた。東京から来た人や四国から来た人と、遠方から来られた人が、数名いらっしゃった。エドガー・ケイシーのリーディングで、転生のことが書かれている本が有るのだが、それが「転生の秘密」という本なのである。私たちに前世(過去世)が有ることを、ケイシーが語っている。ケイシーはクリスチャンなので、生まれ変わりを否定して生きてきた。それなのに生まれ変わりを肯定した言葉を、自分の口から語ったのである。正確には催眠状態に入っている時に語っているわけで、ケイシー自体、自分で言ったことを知らなかった状態である。後から催眠状態に入った時に自ら話したと周りの人に聞いて、本人が一番ショックを受けたのである。私がその立場だったとしたら、どんなに絶望を感じただろうか?自分が信じてきた信念が、根本から崩れていってしまったのだから‥。こういう時、自分に大きな使命が無くて良かったと思う。平凡っていいなぁ‥気楽だなぁ‥。ケイシーは、後にアメリカ大統領にも何度も会っている。ホワイトハウスにも、何度か伺ったという記述も有るらしい。エジソンを始めとした様々な各界の著名人も、多数彼を訪問しているというから、その使命は大きかったと感じる。多くの人に影響を与える人は、自分の信念を根本から覆させられるようなことに、イヤでも出合っていかされてしまうのだろう。私たちはこの地球上で、何度も転生を繰り返しているのである。
2017年08月23日
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ヤフーニュースでタイトルが真逆のものを見つけた。それは以前笑点に司会で出ていた歌丸師匠のことである。最初に見つけた記事はプラス思考の記事で、題名が「81歳歌丸が高座へ執念‥生きがいを持つと寿命は7年のびる」というものだった。その下の関連記事のほうの題名は、「病から這い上がり‥桂歌丸が命削ってでも高座に上がるワケ」という、全く違ったアプローチからの記事だった。こちらは2年前の79歳の誕生日の時の記事である。腸閉塞で入院&療養していた桂歌丸師匠が、国立演芸場で3ヶ月ぶりに高座復帰をした時のこと。79歳で高座に上がった歌丸師匠を見た観客のひとりの言葉が、次の言葉だった。「実物の歌丸師匠はテレビで見る以上にガリガリで、頬のこけぶりは尋常ではなく、骨が頬にくっきりと浮き上がっていて、見るからに痛々しかったです。」というもの。今回、81歳の誕生日過ぎの記事の時も、歌丸師匠の体は病気のオンパレードである。肋骨骨折、慢性閉塞性肺疾患、左肺炎慢性呼吸不全急性増悪等で入院し、高座も休み、そのたびに引退説が飛び交う状態なのである。「高座に出ると背筋がピンと伸びるんですよ」という話しは、関係者の言葉である。その記事の締めくくりは、「生きがいを持つと寿命は7年のびるという説もあるが、歌丸の現役力は高座、落語への執念だろう。」私は、生きることに対して貪欲であるかどうかが鍵だと思っている。ある意味、諦めたらその時点で命にストップがかかる事も、有りうることだと思うのだ。その逆で、やり切るまでは死ねないという貪欲さが、命を伸ばしていくキーポイントになると確信している。寿命は神様が決めることなのだが、寿命の多少の長短は、自由意思を持っている人間側でも決められるものだと、色々な人の人生を追っていくと、感じられる。
2017年08月21日
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お盆期間中、市バスが役に立たなかったために、名鉄バスで名古屋駅まで行って、そこから職場まで約15分歩いた。その歩いたところでの事である。いつも歩かないところを歩いたわけだが、信号の点滅の仕方が珍しくて驚いた。そこの信号は、直角に青に変わるのである。そこで対角線上に移動したい歩行者は、直角に移動することになる。私は最初それに気がつかなくて、真っ直ぐに移動した。真っ直ぐに移動した先で、90度の角度から信号を渡ってくる人と出会ったのである。「あれっ?ここって全方向歩行者青で渡れるところだっけ?」ならば直角に渡らずに、斜めで渡れば良かったと思ったのだけど、よくよく見ると、直角に青信号になっているだけだった。青になったのは、平行で同じ進めの歩行者信号ではなく、直角の歩行者信号だったのである。「へぇ~こういう信号での渡り方も有るんだ~」初めて見る信号の変わり方である。90度の角度から渡ってくる人がいなかったら、私はもう一つ先の信号まで歩いて行って、そこで方向転換をして信号を渡っただろうと思う。歩いてくる人が無かったら、きっとここで渡れるという事に気がつかず、スタスタと真っ直ぐ歩いていってしまっていただろうと思う。どうしてこういう信号なんだろうか?もしかして高速道路に入る入口が関係しているのかも?車に乗らない私には分からないが、車の出入りを考えると、片側だけ渋滞になってしまうのかもしれない。それで変則的な信号にしているのかも?思い込みで信号を見逃してしまうところだった私。他にも思い込みが原因で見逃してしまっていることが、もしかしたら気がついていないだけで、沢山あるかもしれないと感じた次第である。
2017年08月19日
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殆どの会社のお盆期間が終わり、もう通常業務になっている頃だろう。私の会社は会社としてお盆休みが有るわけでないので、それぞれが好きな時にお休みを取っている。お盆は里帰りする人中心になるわけで、里帰りに関係無い人は、別に決まっているわけではないが、その期間は遠慮して外す。私はでも遠慮するわけでなく、別にお盆だからといって、何かを家でしなければならないわけではないので、普通に会社へ行くことになる。墓は歩いて5分位のところにあるので、墓参りはいつでもできる。なのでその為の時間を、特別に取る必要もない。お盆に休む理由は、全く見当たらないのである。それでも今回13日が日曜日なので、グッドタイミングで墓参りができたと思う。まぁ墓掃除とかお花を供えるとかは、前日に出来ることでもあるし、とても理想的なお盆だったと思う。問題は14日月曜と15日火曜の通勤するバスの時刻が、休日扱いになるということである。休日運転になると、極端にバスの本数が少なくなる。市バスに至っては全く使い物にならない。頼りは名鉄バスである。いつもは2,3分に1本のバスが、10分に1本しか来なくなる。お盆は通勤の人も少ないので、釣り合いが取れると思うだろうが、結局日頃よりもぎゅうぎゅう詰めの、通勤になってしまう。まぁ満員で通過されないだけ、まだマシというもので、場所によっては通過されてしまうバス停も有る。通過されるようなバス停は、待っても同じだから待つこともできない。どうするか‥テクテク地下鉄まで歩いて、バスを諦めることである。逆に言うと地下鉄まで歩けるということだ。私が地下鉄まで歩こうとすると、1時間は歩かなければならない。ドカ雪の日に、稀ではあるが歩かされることがある。地下鉄より遠いというのも、考えようによっては利点なのかもしれない。二日間、痩せる思いで(痩せなかったけど‥笑)満員バスを味わった。
2017年08月17日
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「うわぁ~‥どうしてこんなことになっちゃったの?」チョッとした行き違いで、全然望んでもいない結果になってしまうことがある。そんな時は、滅茶苦茶後悔する。どうしてあの時、あんな心にも無い事を言ってしまったんだろう‥。どうしてあの時、全く考えてもいなかった行動を、してしまったのだろうか‥と、後悔が渦巻く。自分の蒔いた種の後始末が大変‥。自業自得かもしれないが、そんなに深刻に考えもしないで、口から出た言葉や後戻り出来ない行動に、我ながら唖然として、ただただ後悔する。でもふと考えるのだが‥、この結果は何を物語っているのかと。この結果の先には、何が待っているのかと‥。なんて言うか‥その悪い結果が、荒療治?的な場合が有る。荒療治して根本から壊してしまい、どうしても次の行動にでなければならない状態を、作為的に作り上げられているのではないだろうか?‥と。普通なら後回しにしてしまうことを、後回しに出来なくさせられる。どうしてもすぐに行動せざるを得ない状況を、作り上げられた?のではないだろうか。そう思うことがあるのは、大変だった時期が過ぎて一段落した後、思いがけなく良い方向に向かっていることがあるからだ。あの辛かったことが有ったからこそ、次に進むことが出来たわけで、それが無かったら、同じことを繰り返しているだけかもしれない。次に進むための起爆剤だったのかなぁ‥。私は平凡な人生がいいんだけど、成長が遅いと叱られているような‥。なにかしら自分だけの力だけでは無いものを感じる。そういう不思議さの中に包まれて、感謝の想いが生まれている。
2017年08月14日
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2016年9月13日現在‥去年の数字なのだが、日本人で100歳以上の人数が、65,692人だということである。結構いるんだ‥と、私は思った。ただ元気一杯の100歳かどうかは確かでない。現在100人に一人が100歳以上になっている状態のようだが、将来的には100人に3~4人が100歳以上になるらしい。意外‥私的には減る傾向に有ると考えていた。それは昔の人のように、足腰を鍛えていないから‥。生活が不便だった昔の人たちは、せっせと体を動かしていたから‥。なので今この便利な時代になって、便利な機械に頼り過ぎているから、昔の人と比較すると、体は衰えていると思っていたのである。だから長寿も頭打ちになるだろうと‥。右肩上がりで100歳以上が増えているグラフを見ると、医学の進歩が原因かなぁ~と思う。でも、そうなると健康で居るか否かは定かでなくなってくる。100歳を超えても元気な人、100人にアンケートをしたのは、「この差って何ですか?」というテレビ番組である。実際に元気で生活している100歳以上の人が、アンケートの対象である。日頃よくやっていることを、答えてもらったようだが、その集計をして、多い順に7つ出していた。1、新聞や本を読む 2、体操をする 3、コーヒーを飲む4、お洒落をして外出する 5、階段の上り下りをする6、カラオケをする 7、日記をつける4番と6番を問題形式にしていたのだが、私は3番が問題形式になっていたら、分からなかったと思う。今の100歳以上の人って、コーヒーを飲むんだねぇ‥。他に驚いたのは、おやつを食べる人が80%居て、その人が食べるおやつのトップスリーの回答だった。 1、まんじゅう 2、アイスクリーム 3、チョコレートいやぁ~、まんじゅうは分かるけど、今の100歳以上は、アイスクリームやチョコレートを食べるんだねぇ‥。勝手なイメージで100歳以上の人たちを見ていたけれど、今回のアンケートで、結構私のような60歳代の人間と、同じようなことをしているのだと知った。このまま年齢を重ねていっても良さそうだ‥。ちょっぴり安心した私である。
2017年08月11日
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ヤフーニュースの中に「30代の夜更かしのせいで人生終わった」というタイトルの記事を見かけた。1956年生まれの、60代の男性のお話しである。バブル期を知らない今の人も可哀想といえば可哀想なのだが、バブルに翻弄された人間も居て、その末路が悲惨だった人も居る。そういう男性のお話しだった。どんどんお金が入ってくると、これが永遠に続くと考えてしまう。人間は一定の状態が長く続いていくと、感覚がマヒしてしまうのである。江戸時代の町民が「宵越しのお金は持たねぇ~」と言っていたのは、決して気前が良かったからではない。バブルの時とは意味が違うのである。理由は幾つか有るのだが、その内の一つに、江戸の街は火事が多かったことにも関係している。木造建築しか無かった上に、家同士が密着する長屋が多かった事から、一度火事になると手が付けないほど燃え広がり、一瞬にして全てを失ってしまう‥そういう生活だったからである。お金を持っていても意味がない‥銀行も無いし‥。どうせなら稼いだお金で楽しく生きようよ‥といったところだろうか?江戸時代はバブルの時のようにお金が沢山入ってきて、それを生かす方法が色々有ったわけではない。でもバブルの時はお金の使い方に、色々な選択肢が有ったのである。「健康が大事なんて耳にタコができるほど聞いているけど、今20年前に戻れるなら、すぐに健康診断に行ってると思うよ」冒頭の60代の男性の言葉である。バブル時代に沢山働いてお金を稼いで使いまくった。若い時には無理がきくので、体のメンテナンスは考えていない。入ったお金もまた入ると思っているので、全部使ってしまう。この男性は病気になり働けなくなってしまい、それほど残していなかった貯金が底をつき、家賃も払えずホームレスに‥。現在はNPOの人に声をかけられて、生活保護を申請し受理され、最低限の生活を送れる状態になっているようだ。この男性も、感謝の気持ちを持って生きてきたのなら、違った未来が待っていたかもしれないと感じた。
2017年08月09日
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「人生で大事なことは○○から学んだ」の放送で、新企画「ポツンと一軒家」と称し、衛星写真で発見した、山間に写る一軒の家を訪ねていく企画である。1時間番組なのだが、2軒紹介していた。1軒は埼玉県の山奥に住む中山さんという竹炭を作っている男性。20年前まで中山さんは東京の出版社で働いていたようだが、阪神大震災をきっかけに退社したという。震災は生きていることを、色々考えさせられるものである。その中山さんが、山の暮らしから学んだ事というのが、「1つ1つがみんな勉強。それがかえって生きがいになる。」都会には都会の学びが有るが、自然の中にも自然だからこそ学ぶことが有る。でも自然での生活自体が生きがいになるのだから素晴らしい。人は時としてそれを苦労と感じてしまうものだから‥。もう1軒が、南信州の山奥に建つ一軒家。そこには90歳のおばあちゃんが一人で暮らしていた。元々住んでいた家が火事で焼失し、同じ場所に新しい家を建てて住んでいるという。90歳とは思えない程活動的で、畑仕事をしっかりと熟していた。畑ではこんにゃくや赤じそなど、色々な野菜を栽培している。その傍ら、この日中の暑さには対抗しないで、外が暑くても、26度位に保たれている快適な土蔵の中で過ごす。そこでは新聞を読んだり本を読んだりと、好きなことをして毎日を楽しんでいる。大好きなのはサッカー観戦。「何が楽しいの?」というスタッフの質問に「勝敗」と答えていた。昼食はきなこ餅が2つで、時としてプラスラーメンを食べるという。なんとも食欲旺盛なおばあちゃんである。スタッフが「寂しくないのか?」と問いかける。男性の時は聞かなかったと思うのだが、相手が女性だと、その点が気になるようだ。(ふ~ん‥何故?)答えは、全然寂しくはないという。昔から住んでいるので山奥という感覚はなく、住めば都だと話した。住めば都‥良い言葉である。
2017年08月04日
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暑い夏は服の素材に多少でも綿が入っていたほうが、汗を吸収してくれるので嬉しい。でも、綿100%は、洗濯をするとシワが入ってしまうので、アイロン嫌いな私としては、避けたいところである。それに汗の跡が着ている服に、くっきり付いてしまうのは嫌だし‥。また伸縮性にも問題があって、体型上、体のラインが分かってしまうのも嫌である。と思っていたら‥、いやいゃ~驚いた!綿なのに伸びるという話し。日曜朝の「がっちりマンデー」での情報である。テーマとしては「○○式ビジネス」で、扱っている商品に、個人的な名前が入っている物を取り上げていた。強風に強いビニールハウスや、薄くて丈夫な中華鍋が紹介される中、生地製造メーカーの、小野社長が作った伸びる綿も紹介されていた。小野社長が作ったから「小野式丸編機」というネーミングである。編み機というと、形状が平らのものしか浮かばなかったのだが、その社長が使っているものは丸形の物も有り、丸形で編み込むと、つなぎ目のないシャツを作ることが可能らしい。事実それで織り込んだ綿製品を紹介していたのだが、その伸縮性が凄かったのである。黒い布が伸びる伸びる‥伸びて超~透けて見えるのである。小野式丸編機で編んだ生地の編目は、輪の一つ一つが細く小さいために隙間ができて、伸び縮みが自在になる。特殊な針を何と!千本以上も使って機械で編み上げている。編み上げる際、3倍の時間を使って糸を引っ張ることにより、丈夫で伸びる生地が出来上がるようだ。この生地に目をつけた世界的ファッションブランド店が、1枚数万円のTシャツに小野式丸編機で編んだ生地を採用しているという。う~む、1枚数万円のTシャツですか‥。これは庶民には手が届かない代物ですよねぇ‥綿なのに‥。安い製品でも、技術やアイデアがそれを高級にする。単に安くなるのを待っているだけでは、自分が生きている間に、この薄く伸びる綿を手にすることは、出来なさそうである。(笑)
2017年08月02日
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