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子供の受験に親として、僕のできることをやろうと決意しやっていることは毎晩本人の納得するまで塾で勉強させることだ。それに付き合っている生徒も何人かいる。ただし、毎晩12時は確実に超える。また授業の終わった後、次週にきている彼らに僕は数学の授業や入試問題の解説も行っている。それが今の僕にできる”受験対策”であり親の務めだ。補習授業がおわると必ず12時を超える。その後「あとどれくらいする?」と聞く。子供のそれにこたえる時間に合わせて僕も付き合う。まあ、そのおかげで少しは数学が伸びたかな。でもまだまだ、これからが究極の仕上げとなる。体調もこれから限界へと向かって整えていかないといけない。親子受験の佳境に入っていく。
2015年11月12日
いま、母親に言えない一言がある。 「何がしてほしい?」 その一言が何を意味するか。僕の本心を悟られたくない。また、それを言われた母は何を覚悟するのか。どう思うのか、どうこたえるのか。 いえない。
2015年11月11日
うちの社員の生徒へのメッセージ。さすがや!俺の教え子。
2015年11月10日
チャイルドハートの件で東京にて12/6少しお話をさせていただきます。うれしい限りです。 僕の友人の力になれることがうれしいね。
2015年11月10日
昼ごはんに王将へ行った。隣の席のおばちゃんが身体不自由および言語障害のかたで、一生懸命に食事をされていた。じっと見るわけもいかず、また助けることもなんだか失礼だと思い、何かあれば力を貸そうと思って食事をしていた。そのおばちゃん、食事を食べ終えたのか席を立った。そこに、ここの女性の店員がやってきて、「残りをつつみましょうか?」「タクシーを呼びましょうか?」など、相手のことを思いやる対応を実に自然にやっていた。なんと素晴らしい店員だ!彼女はうちへスカウトだ!とまでは思ったものの、言葉にはせず店長らしきおっちゃんに「いい従業員さんですね。」と一言ほめた。 次は 「うちに下さい。」かな。 しかし、本当に気持ちがよい対応だった。
2015年11月09日
日本全国的な流れのように見えるのだがあまりにも部活動優先の風潮がつよい。定期試験があろうが、試合を入れてくる。したがって、定期対策なんてやれるわけがない。部活が終わって、勉強やれている生徒は何人いるのだろうか?うちにもそんな生徒は何人かいるがそりゃ、勉強やる集中は続かない。家に帰れば復習しようたって、いつの間にか夢の中だ。学生である以上、学問ありきだ。部活で様々な経験はできる。しかし、やりすぎていないか?そこまでやって、部活で得られるものは具体的にどう子供多胎の人生に役立っているのか?そうやって、育った今の日本の20~30代はしっかりと、その養ったものを生かしきれているのか?もう、このような状態になって何十年も経っている。結果は出ている。それでいいのだろうか・・・・。ちなみに、成績上位者は学業以外でも部活をやれるという能力は=昔から=兼ね備えているのだよ。それ以外の生徒たちはどうなんだろうか?と問いたい。≪無駄な(入試に直結しそうにない、基本問題ばかりで、勉強を何とかやってくれないかと、先生の願うような気持が見え見えの基本問題で構成されている)≫宿題は増えた。それもやらねばならない。やる以上は、時間が必要だ。そんな簡単な問題、学校でやればいいじゃんか、っていうと宿題は家でやれ!といって、放課後に渡すありさま。こんな状況で学習面が伸びる生徒はつぶれていくのだ。そう強く思っている。さあ、この答えを聞きたいものだ。 どうして、そこまで部活をさせるのか? 彼らに何を学んでほしいと思っているのか。 それは、本当によき結果を出していそうなのか?
2015年11月08日
個別や集団、自立などさまざまなタイプの塾がある。自分に合った塾選びというが「合う」に出会うにはいろいろと「会」わねばならない。しかし、そんな時間の余裕など”受験生”にはあるわけがないのだ。では、手っ取り早くこれまでの実績で選ぶのか?それも一理。ただ、その実績がその塾からの発信なのかグループ全体からのものなのかは考えたほうがいいだろう。また、そこのTOPがどんな考えをもって指導しているのかも重要だ。いずれにせよ、実績と指導者が生徒の人生を決めるのだ。どこでもいいと思う人はどこもでもいったらいい。ここしかだめだ、と思う人にわが塾は門を開ける。
2015年11月07日
というわけでこの前の日曜日にあった「日新館模試」。わが塾生がNO.1、2、3をやってくれました。よく頑張ったともいます。ただのNO.3君はたいへん悔しがっていました。でも、算数100点だからいいんじゃないのかな?彼らは受験するのかなあ。
2015年11月06日
学習障害を勉強すると自分にも何個かあてはまる事項がある。人はどこか劣っているところもあればとんがっているところもある。その状態はまさに「普通」とはいったい何だろうとさえ思えてくる。ただし、その普通を明らかに振り切ってしまう状態が「障害」と言われる部分ではなかろうか。振り切る基準も人それぞれといえばそれまでだが何人かと比べてみるとその違いは分かってくる。テストのときに5分もじっと集中して問題に取り組むことができない子。手遊びが無意識に出てしまい、注意をしても改善できない子。その日に覚えた単語も1日経つときれいさっぱりに記憶から飛んでいてしまう子。それらの「普通ではない行動」は彼らに罪はないのだ。家庭でのしつけでもないのだ。そう割り切ることができれば彼らにとっても、指導する側にも余裕が生まれあらたな前進が生まれると、僕は考えている。今どれだけの子たちが、そして親がこの事実を知らずに闇の中でさまよっているか。気が付いてほしい。そして、早くその子にあった指導に出会ってほしい。一番つらいのは、頑張ってもできないという事実を教えられる子供たちだ。
2015年11月05日
やっと、エンジンがかかった感じだ。そうはいっても、あったまった状態。今から、レッドゾーンに耐えられるかが今後の問題。3月中旬まで持ちこたえてほしい。そうなるにはいいオイルとメンテナンスに当たるものが必要だ。それは・・・・ 親のフォロー。 母の愛情と父の厳しさでなんとか息子の夢をサポートする。
2015年11月04日
今後、電話で話す機会が多くなるだろう母親に「かけ放題プラン」の変更手続きをした。これまで8000円近くしていた電話代が2500円まで落ちて喜んでいた。 これも、親孝行か…。
2015年11月03日
そりゃもう、その素晴らしさは長年聞いていましたが、この目でシカと見届けました。本日「修猷フェスタ」行っていきました。副館長と代表生徒たちのお話は秀逸!そこら辺の校長は見習え!というほど素晴らしかったですね。ラ・サール・久留米附設・青雲・大濠・西南学院・筑紫女学園・日新館などなどさまざまな学校の話を説明会のたびに聞きに行っています。思うのが、来ていて聞いていて心に響く話とそうでない話があるということ。今回の修猷館は「腑に落ちた」話の玉手箱だった。録音しておけばよかった!内容は今から生徒たちに話します。感想は・・・この学校は人間を成長させてくれる学校であるということが十分わかったということ。
2015年10月31日
かみさんの車がいかれました・・・。バッテリーが逝ってしまいました。買って半年くらいなのに。やっぱり、しっかりとした整備をし他車を買わないといけないことに気が付きました。さらに~後ろのドアもあかなくなりましたああああ。京都まで買いに行ったのにもう買わん。シュテルンさん今後はごひいきにしてください。
2015年10月30日
クラストップの彼は塾でのルーティンをしっかりと行っている。毎日自習に来て、帰るときにはホワイトボードをきれーーーーーーーいに消す。これを毎回続けている。以前、女の子で毎日トイレ掃除をした子がいる。この子は青雲に合格し、さらに現役で東大まで行った。単純なことだから誰でも当たり前にできる。でも、当たり前のことだから毎日継続してできない、特別なことでもあるということに気が付いたやつだけが成功していく。ビートたけしはいまだにトイレ掃除をしているという。
2015年10月29日
仕事の流儀を見て思う僕は”あまり”賢くないという自覚は小さいころから持っている。それを何とかか隠すために、ごまかすために、そして補うために努力ということをやってきた。そして、その姿勢は今でも変わらない。一つのことをぶれないように修正をかけるためには動かないこと、そう思ってきたときもある。しかし、動かないことが成長を止めることがあり、動かなくても、自然と動き出してしまうこともある。そうなってくると、自分ではどうしようもなくなってしまい、そこから逃げ出すこともあった。そうしながら経験と時間が教えてくれたことがあった。〖ぶれないために、動くこと〗ぶれない努力をこそが最もきつく、つらいものだ。不安でしようがない。しかし、その場でじーっと立ち止まることは次第に思いとは違うほうに傾くことだと気が付いた。だからこそ、常に必死になって自分の信念と向き合い本当にそれが本物かどうかを追及した。あの番組を見て、それが正しいかったことを確信した。自分の思いを維持するにはストイックにならねばならない。常に同じ思いを貫き通すには動きながら自分を調整し、維持しなくてはいけない。久しぶりにいい刺激をテレビから受けた。
2015年10月28日
さすが、こっそり持ってきておいた小林よしのりの「テロリアンナイト」。6年生の2人は左側その嗅覚でかぎつけた。「これ、まったくそのとおおりだとおもいます!」目を輝かせていう2人。さすが、やっぱりプロミスだ!ではないが、話の内容に興味をしめすなんざあさすがです。
2015年10月27日
本日、某N中の中間テストの結果が出てきた。M君クラス1位。それも一人だけ400点台。よくやった。彼のすごいところは自分の能力をしっかりと自覚して、それに即した勉強をしているところ。そうはいっても、それが100%機能しているわけではない。能率よくやれよと言いたいところも多々ある。しかし、結果を100%にする努力はしていると思う。彼は「努力のムシ」といってもいい。このまま、もう少し大きな夢を持ってもうひと皮、向けてほしいぜ!でもよく頑張った!
2015年10月26日
これまでの僕の人生を振り返るとよく生きていたな、という事態が何度となくあった。◆小学6年生友人と、体育館の屋根裏にあがって漫画を読んだり給食の残りを食べながら、放課後を満喫していた。さあ、帰ろうかと思い立ち上がった瞬間・・・・足元の天板が抜け・・・・落ちた。しかし!梁のようなものを無意識につかみ地上15mはあろうかというところにぶら下がった状態となった。「どうやって、脱出しようか・・・・助けて!!」と友人の名前を呼んでも答えず、まさに、鉄棒にぶら下がった状態で頭は真っ白になっていた。目の前をみると、遮光用のカーテンがかかっている。「よし、あれに飛び移ろう!」体を揺らし始めるが、どうも距離がありすぎるように思え怖くなってきた。そのとき、なぜだか気が付けば、前回りのようにして梁をあがりその場を逃れることができたまさに、無事命拾いをしたのだ。もちろん、次の日に校長室に怒られに行ったことは言うまでもない。しかし、よく落ちなかったものだ。カーテンに飛び移っていたらおそらくあそこまで3mくらいはあったので、飛び移れず途中で落下していたと思う。また、梁自体もむちゃく軟弱な木だったたので、よく折れなかったものだと冷や汗をかいた。 ◆大学時代まさに、平尾台の”鳥”になるところだった。 続く・・・・・
2015年10月25日
ということで、僕は全くの健康体なのだが生徒や職員がせきやのどの痛みを訴えている。しかし、こんな時に限って症状のひどい生徒なんかが遅くまで残ろうとする。いいから、早く帰って体調を元に戻してから、また頑張ろうや。 で、職員はというと・・・・ いつも通りでございます。 いずれにしても、手洗いうがいのシーズン到来だ。
2015年10月24日
とある筋からの情報で僕が戦友の友人と仲が悪いといううわさがまことしやかに、微妙に全国的に(?)流れているらしい。ここで断言するが全くそんなことはない! 彼との付き合いはもう10年以上である。土地は違えど、同じ業界でライバルと僕は思って頑張ってきた。 彼には僕にはないバイタリティがあり、うらやましいとも感じていた。 ま、10年もあればいろいろあるが争いや喧嘩なんて全くなかった。 特に半年前の彼との出来事は僕の一生に残る思い出の一つになった。 僕がある事業の開所で県庁に出向かなければならなかった。しかし、必要な書類はそろっていない。この日にもっていかなければ一か月スタートが遅れてしまい大事になるという大事な時だった。情けないが、僕は彼に電話して弱音を吐いた。「間に合わんかもしれん…。」「大丈夫。何とかなるよ山ちゃんなら。とにかく、 病院のほうを何とかして、あとは俺も県庁に行くから。」そういって、早朝にもかかわらず彼は言葉をくれて電話を切った。実は彼はその日、出張で四国にいたのだ。しかし、僕のために、それをけってトンボ返りのような状態で福岡までやってきてくれるといったのだ。それを聞いた僕は途に各病院の協力を取り付けなければ、何のための彼の思いやりか!と奮起しなおしとある方の協力で何とか病院の許可を得ることができた。昼に四国からわざわざ新幹線で彼が駆けつけてくれた。そして、何とか県庁の方にうまく提出物を受理させてくれた。僕は思った。僕のためにこんなことができる人間とこれまで出会ったことがなかった。本当に涙が出るくらいうれしかった。正直、情けないかもしれないが今までの僕の人生でここまで自分のためにしてもらい、感謝したことが僕にはなかった。 固い握手のあと彼はまた、四国へと向かった。 こんな男を裏切ることができますか? そんなことができるはずがない。というか、僕はできない。 僕と彼は100%ではないが同じ方向のベクトルを向いている。おそらくこれは、僕の残された時間を考えると変わることはないだろう。この恩はいつか彼に返したいと思ている。
2015年10月23日
中間試験の結果がおおむね出てきた。ちょ~っと天狗になっていた子たちも少しは花が折れたようだ。しっかりと本日、反省文を書かせることにした。文字にして残しておくことは、後々その時の悔しさを思い出し、次へバネとなること間違いなしだろう。 成功者だってミスをする しかし、同じミスはしないのが 成功するゆえんなのだ。
2015年10月22日
もうすぐ第二事業所が開設できる。一か所目と違い、ワクワク感の温度がやや、低いのだ。確かに、初めてでもないのでそこらへんの新鮮さの面から言うとちょっとは「慣れ」が出てきているのかもしれない。しかし、こんな時ほど気を引き締めていかねばならない。小さな気のゆるみほど怖いものはないからだ。さて、これが終了すればいよいよ大海原への出向の準備だ。こちらも冷静にそしてしたたかに進めていこうと思う。
2015年10月21日
今回のテーマは「身体をうごかす!」である。トランポリンもこれまでよりも大きいやつを設置。まずは心にたまったストレスを体を動かすことでガス抜きさせます。脳を刺激するボルタリングに期待してます!そうそう、ボルタリングの手をかけるやつの向きが今一つなので大工に言って、改善させます。11月1日に向けて猛ダッシュ中!
2015年10月20日
本日、早朝より読み聞かせに行く。小5のお子ちゃま方だ。 毎年行ってるし、お兄ちゃんの時も頑張ったのでこんなの余裕~である・・・・はずだった。 ところは今年は、ブチ切れそうになったのである。 こんなことはこれまでなかった現象だ。 まず、人が読むときになって前に集まらない子がいた。→信じられん・・・・。 次に、読んでる最中に隣の子と遊び始めた。→先生、ボコっていいですか? 最後に、子供らしい元気が全体的にない→お前ら、おっさんか? いや、今どきのおっさん連中のほうが元気がいいぞ。声が小さい。笑顔が少ない。俺が悪いのか・・・・ 持ってきた本は小5に「それでも、僕は夢を見る」どうよ??
2015年10月19日
本日はレインボーモータースに行ってバイク技術を上げる特訓の日です。今日のバイクはCB1200.くっそ、重いバイクだと思ったら、本当に重かった・・・。こりゃ、変更しようかな・・・・、と思いながらもとりあえず、搭乗。エンジン始動。1速から、2速へ・・・。おおおお!よく走るいいバイクじゃないですか。さらに運転していると、軽い軽い!さすがに曲がるときは、ハンドルを意図的に切らないと曲がらないが、さほど不便を感じない。いやいや、むしろ運転しやすっウィ~!CBRから乗り換えろうかと一瞬思ったほど。ほんと弘学館の訓練の時間は唯一面白いな!と思える貴重な時間だ。自分の技術が上がっていくのが確実にわかる。コントロールできる喜びやこれまでできなかったと思っていたことができる自信。いいね~。しかーし!ここでも、日本の現実を実感することに。参加者は7人でうち1名が女性。あとはみんな、おっさんばかりだ。それも見た目、45歳以上の方々だ。まあ、こうやってバイクの世界でも業界を支えているのが年代となると、若者よもっとバイクに乗らんか!と言いたくなる。今の男青年連中は何が楽しみなんだろうと思うのである。
2015年10月18日
ということで、11月3日 13:00から受付 福岡会場:アクロス福岡 606会議室 詳しくは:095-895-7624 (SIE21 担当 宮地)◪13:30~第1部「2年で売り上げを倍増する!」-ある個人塾のV字回復実践例-講師 塾生獲得実践会/主宰 森 智勝◪14:40~第2部「私が見つけた突破口!」-放課後等デイサービス「チャイルド・ハート」の挑戦-講師 株式会社SIE21/代表取締役 桑原 広行にゲスト出演します。チャイルド・ハートFC1号店のお話をさせてもらいます。
2015年10月17日
自分が取り組まなければならないときにどうしたら、本気になるのだろう? 逆に問いたい。どんな時に本気になるのだろうか? やることが好きなこと。 やっていて楽しいめること。 競争できること。 結果が分かりやすいこと。などありますがさて、わが塾生にはどうやっているのかというと・・・・ 後日書きます。
2015年10月16日
なん十年かぶりに実家に帰って夕食をとった。母の味付けは甘めだが懐かしい味がした。ああ、そうそう。なんて心で思いながら食べた。中学時代のようにテレビを見ながら、ゲラゲラ笑う。ただ当時と違うのは僕がビールを飲むところだ。その役は親父の役目だが、今はいない。親も僕も当たり前だが時の流れとともに老けていく。その老ける速度が年を追うごとに早くなる。30代の時の1年間の老け方と40代の1年間の老け方。やはり違いは明らかだ。だからこそ、親の命の残り時間を考えて孝行しなくてはいけないとあらためて思うのだ。僕も少しは大人になったか…。
2015年10月15日
わが塾最強の小学6年生のトップ2人のルーティンは塾に来たら「新聞をじっくりと読む」ことだ。そうやって、最新の経済・政治・世間の情報を集めている。大切なことは、彼らは好きでやっているということ。また、僕がこれは読んでほしいね、という本をこっそりと本棚に置いておくと、目ざとく見つけてそれをむさぼり読む。「見つかっちゃたか~」というと、にたりと微笑む。そうやって優秀な脳みそは日々つくられているのだ。
2015年10月14日
夜中の遅くまでガンバっているようだ。私は家に帰れば「ああ、これで仕事が終わった!」と唯一気をおもいっきり抜くところであるが息子は違うのだろう。ちょっと気を抜いて再び、戦闘モードに入る。私の教え子たちもそうしたように彼もまた同じ道を進んでいる。その時、彼らの親御さんはどうしていたのだろうか?一緒に起きて、同じ苦しみを味わっていたのだろうか?明日の仕事のことを考え、先に寝床についていたのだろうか?私は何ができるだろう?いや、今の息子を見て何をしなければならないか。いかなる状況下でも後悔しないことをやらねばならない。
2015年10月13日
この本は以前から購入していました。しかし、私はまだ見ていませんでした。昨日、テレビでその大統領をたまたまみました。『貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、限りなく多くを必要とし、もっともっと欲しがることである。』この言葉に心を動かされましたね。貧乏なものは“もていない”ということではなく次々と欲を満たそうとし、そのために命を削りながら働くこと。それが結局、老後となった時にその是非がとわれる。だからといって、消費を抑えて、文明の進化を止め昔に戻れとは言っていない。 ここで、彼自身の生活をテレビで流していた。 決して、豊かではないように見える家や服装である。 車も18万円の中古のフォルクスワーゲン。来ている服も ブランド品からは程遠いようだ。しかし、お金をもらっていないわけではなく、給与の9割を恵まれない国民のために寄付しているという。なるほど、そうなると納得の生活だ。こんな大統領、人類には他にいないだろう!だからといって、不幸を感じて彼は人生を歩んでいるのではない。 かつての日本のように、必要なもの以外は手に入れない。そんな感じなのだ。 文明の発展とともに「贅沢」を手に入れそれこそが幸福と教えられた我々。まだ食べらる食品を捨てたり、残したり。大切に使えば何年も使える、靴・洋服・バックなどいくつも購入してしまう。消費=幸福なのだと教えられた。しかし、その購入のために命を削って労働し賃金を得て、また新たな購入のために労働する。そうやって、幸福を我々と本当に感じるのだろうか? これからの人類にとって本当に考えさせる問題を提起してくれた人だ。
2015年10月12日
というのがわが塾生の感想としてある。なぜか?やっていることが、あまりにも簡単だからだ。やっていることが、あまりにも優しいからだ。これはうぬぼれでも、天狗になっているわけでもないのである。もちろん、そこを期待してはいけない部分なのかもしれない。自分の子供の能力にあった指導を学校でやれるか?わかると思おう。であるならば、期待しない代わりに先生の出されたプリントや宿題を超えるレベルの生徒に関してはある程度、親也子供なりに任せてほしい。そういう選択を認めてほしいと思う。 介護の世界でいうと、発達支援センターからの紹介された子たちは我々と月1回の連絡会をおこない、どのような状態なのかを話し合う。ここまではしなくとも、勉強ができない・嫌いな子には学校がそういう子にしっかりとした指導をし、その域を超える子には親任せ、子供任せができる子にはそうしてほしい。ま、塾任せになるという部分もあるが。その方が子供たちの成績は確実に伸びると思うのだ。子供の学力を”民間”どもに預けるのはプライドが許さないだろう。しかし、もう考えてほしい。ゆとりで失敗し、若者のやる気が一気に冷え切る方向に誰が旗を振ったのか?ゆとりは当時大切でした、なんてバカな言い訳がまかり通していったあの方の生活はまさに「ゆとり」状態。現場の先生がゆとりのない状態で、一番そのしりぬぐいをしている。まさか、こうなったのは塾のせいか?違うだろう。塾もどきの指導をまねした公教育の指導も一理ある。もちろん、学校の先生も優秀な方がおられるので、その方々はリスペクトしている。学校への期待をどのくらいすればいいのか?簡単だ。お宅のお子さんの「担任の力量」を見極めればそれでいいと思う。それ以上の期待やそれ以下の絶望をする必要はない。足りないと思えば、親がしっかりとやればいいだけだ。悲しいけれど今はそうだ。ただし、塾は違うけれどね。
2015年10月11日
おかしいと思わないのか?今の中学の部活動の体制は正直言って、度を明らかに超えている。土曜・日曜は練習や試合三昧。平日は夜の7時までは”指導者のいない”状態が多い中での活動。勉強の順位は・・・・1 部活2 子供のやりたいこと3 家族の出事など4 勉強といった感じの家庭がむちゃくちゃ増えている。これは断言できる。 勉強も学校の宿題が多くなっているものだからそれをやったら、親もひとまず安心する。ねえ?学校の宿題って何の役に立つの。入試の役にたつのかね?こんなことを言うと、必ずこう反論するものがいる。 100%役には立たないんですか? 学校の勉強から入試は出るんじゃないんですか?はいはい、行きたい高校がどんなレベルなのかは知りませんが今時、そんなことを真に受けて入試に受かるんでしょうか?で・も・受かるんですね~。高校を選ばなければ、いやいや、まじめな子でそこそこ定期テストの結果が良いお子様は。ラストスパートで切り抜けることが可能なんですよ。この地区の高校入試はね。でも、そんなやり方が通用するのもこの盆地内だけのお話よ。地域ナンバーワンの公立に行けるからって安心は全くできないことぐらいは知っていると思うけど。知っているけど、高校入試でそんな感じで合格したら大学入試で通用しないってことを高校1年生の頃から賢い子は気が付きだし2年の頃には”自分の身の丈”を超えない学校選びになってしまうよね。超えないってことは努力も努力と感じないくらいの努力しかしないってことで、そんあ自分に合った大学に入学しそんな自分にあきらめ感とその身の丈ほどの期待に100%にふさわしい就職先をこれまた高校入試と同様にして選ぶんじゃねえの? 部活動で培ったもんは、どこまで自分の人生に役立ってるんだろうか?勉強時間を犠牲にし、頑張った分は何処でどういかされているんだろうか?そんなのわかるわけねえよ、っていうんだったら勉強をしこたまして、その結果を見ればどう役に立ったて事がわかるんだぜ。まああ、「東大に行っても社旗の役に立っている人が…」いるかもしれないが東大に言って役に立っている人の割合の方が多いと俺は信じている。そりゃ、中にはとんでもないやつもいることもあるだろうが、そんなの東大に限ったことではないだろうよ。 話はそれたが、筋肉ばかりを鍛えていてもいつかは衰える。でも、脳みそを鍛えていれば年齢に左右されない成長を期待できる。 その訓練を今この大事な思春期にしないとあっという間に爺、婆になってる。
2015年10月10日
できないという子たちも集中力が続かないという子もちょっと、落ち着かない子たちもなぜか、個別だとそうは習い事がおおい。不思議だ。学年を飛び越した内容をやっていたり漢検に闘志むき出したり、”学校にはない、勉強の楽しさ”がここにあるようだ。まだまだ、引き出しはあるぜ! ちなみに、どんな子でも勉強はいやなもの。それが楽しくなるためにはどうするのか?簡単、簡単。わかる楽しさを教えてあげればいいのだ。それも他人と気兼ねなくそれができる雰囲気を醸し出して、面白く『やれる自分』を引き出す。 嘘か、誠か!?お待ちしてます。
2015年10月09日
最近、ご存じの人もいるだろう。障害といえば、ちょっとなにか触れてはいけないような感じがするものであるが、勉強すると意外にも似たような症状や状態が自分にもあることに気が付く。まさに、誰しもが「グレー」な状態を持っているのだ。だからといって、それが”悪い”ものではない。しかし、その知識を知らずに放置しておくと自分や周囲に誤解を抱かせ、摩擦や衝突を生む可能性が高くなる。僕も勉強して、自分のもう一つの面がわかり腑に落ちるところが数多くあったりする。例えば、その傾向が強いグレーな生徒が「もう解けん!やりたくなーい!」という。以前は気合の抜けたこと言うんじゃない!やれるだろう、これくらい。と叱っていた。これはもちろんその子のことを思っての愛情だと僕は思って言うのだ。しかし、今は違う。よく頑張ったね、じゃあやめていいよ。おつかれさん。さらりと言う。すると、その子はそんあこと言われたこと大人いなかったんだろう。「やっぱりします・・・。」とたいていその答えが返ってくる。本当に嫌な子は、ラッキ=!といって、塾の本を読む。言葉一つで彼らにストレスを与えないように気を付けている。だから、彼らは自分に問いかけやりたいことをやるのだ。愛情が欠けているわけでも薄れているわけでもない。勉強に対する姿勢をどうコントロールするか。様々な知識を入れるとおも白い藩王が生徒から返ってくる。
2015年10月08日
かつて近畿は地元の嘉穂や嘉穂東、田川などの公立高校を落ちた子たちの受け皿だった。いや、今もその状態は変わらない。そして、近畿に行っても大学には行けない。それがこの筑豊地区の常識だった。看護科はレベルがその中でも高かった。ところが、10年近くかけて、改革をコツコツと行っていた。それを僕は静観していた。果たして、いうほど結果をだせるのか?子供達を任せていい高校になるのだろうか?ところが、やっとその成果が出てきたようだ。九大歯学部に現役でわが元塾生が合格した。ほんまかいな!!!!!!?そこまで、いいところなんかいなあ!1つだけ言える。世間の噂通りのところもまだある。しかし、そこを謙虚に受け止め大学合格者にこどわった。それも、現役合格を狙うしかないと割り切っている。以前も書いたが、生徒がここの先生は一生懸命だという学校は必ず伸びてくる。過去の伝統に胡坐をかいていたり、生徒任せの学校は例外なく、落ちぶれる。近畿福岡はきっとこれから、伸びてくる高校の一つになるだろう。
2015年10月07日
公立系の数学の立体に関する三平方シリーズでとにかく1日2ページずつやれよ!とカツを入れたのが3日前。今日もしっかりと、どこかの時間を使ってやっています。 素直だわ。
2015年10月06日
この時期から加速のつく子をよくみる。テストの得点がグーンと伸びる子供達だ。その傾向は、・時間や塾のない日でも来いといわれれば、その約束を守る・言われたことをやっている(ことが多い)・集中力がある・質問にあまりこないなどなど。受験期の過ごし方はちょうど3年後の大学入試にも影響を与える。だからしっかりとこの時期の過ごし方を悔いなくやり、その成果を検証してほしい。それが良きにつれ悪きにつれ次は大学という関門にチャレンジするときに大いに役立つからだ。
2015年10月05日
NHKで東大の先生のDO-IT Japanプログラムがおもしろかった。彼らは思っていることや考えていることが本当にうまく表現できないだけであるのだ。だから、もじで自己表現できる「タブレット」は今後彼らに新たな可能性を与えてくれるものだと確信した。まさに、そこに突破口を感じたのだ。 人口減少の日本。労働者不足の日本。彼らだって、どうにか社会に貢献したいと思っているだろう。この問題を『科学』が解決する日は近い。僕も微力ながら、知恵を絞るぜ。
2015年10月04日
どうもおふくろの調子が良くない。とっても良くない。僕を生んでくれた人との時間がリアルになくなっていくのを感じた。カウントダウンだ。親父の時もそうだったが、大事なものほど、例えば空気や水のようにそこに存在して当たりまえという感覚が強い。しかし、当たり前ではない環境になるとものすごくその有難さ大切さを感じる。すこし、母親と話す時間を取るように気を付ける。
2015年10月04日
てなわけで筑紫丘の入試説明会に行ってきました。さすが!生徒達の生き生きとした学校紹介にはうそ偽りはなく、本当に学校を楽しんでいるのだなあ、と感じたのでした。ラ・サールや久留米附設、青雲、愛光とは共通因数的なものも感じられる一方、筑紫丘の校風も感じることができました。大人がいくら「ここはいい学校ですよ!」と声を大にしても生徒がどうなのかな?と思う学校もある中、やはりここは生徒達を見て充実した学生生活を送れる学校だということを感じました。
2015年10月03日
自分の子供を育てることは大変難しい。さらに、自分の職場という塾に自分の親が2人いるという超特殊な状況にいるわが子の心境は僕でも読めない。ただ、小さいころからその環境だからすこ―――――しは「慣れ」ているかも。いや~、そんなことはないか。俺の息子に生まれたからには避けられない宿命なのだ。それは逆に、僕もそうだ。腹をくくったつもりでも、なかなか自分の思いが伝わらない。 寝るな! 自分の部屋で勉強やるな! 早く学校から帰ってきて、自習せい! 飯時にテレビは見るな! など、など彼なりに、辛い環境で頑張っている。それを、認めることも親の務めだ。まあ、合格目指して、そんな状態でも諦めはしない!
2015年10月02日
塾を1995年に創立した。 自分の信念と可能性を問うスタートだった。 どこまでがんばれば、どこまでやれるか。 この問いの答えを生徒とともに探すためのスタートである。 生徒達にとっての課題は どこまで頑張れば、どんな学校に合格できるのか? 僕にとっての課題は どこまで僕が頑張れば、生徒は合格できるのか? である。 そして、それは様々な人たちの協力を得ながら、 10年以上連続でラ・サールや久留米附設の合格の金字塔を 打ち立てていった。 また、灘、開成、櫻陰、など全国的にも超有名な学校の合格をも手にした。 しかし、一方では スタッフの退職や他塾の進出で苦労したことも否めない。 スタッフに関しては、不思議といい人に恵まれていったので むしろ、ありがたいものだった。ただ、僕の器の小ささを かなり悔やんだ時期でもあった。 そんな辛酸をなめても、自分のやりたいことはやれたのは やはり、そんな僕を支えてきてくれたありがたいスタッフのおかげだ。そして、そこまで成長できたのもまた、周囲の人たちのおかげだ。僕は彼らに、苦しい時・楽しい時光を当てられてきた。今度は僕の番である。きつい時、苦しい時、どうしても一人ではできないとき、そんな時に光を当てる人となりたいと思ってきた。それが「ライトワーク」である。これまで僕を助けてくれた人たちには当たり前だがどうしても、助けが必要で、でもそれを大きな声で叫べない人たちに光を当てることを次の僕の使命とした。それが「チャイルドハート」である。今後この事業もいろいろな苦難を乗り越えなければならないだろう。しかし、やっていることが「正しい」のだから神様もきっと助けてくれるに違いない。僕のお迎えが来るまで命を使うことを決心した。
2015年10月01日
沈みゆく船の状態はじわじわとその時を迎える。まず、上司たちの給与遅配から始まった。半月遅れで給与が振り込まれ始め、最後の方は3カ月遅れの入金だ。主任である私にもその波はやってきた。半月遅れというやつだ。ちなみに3カ月遅れの家族を持っている上司たちは貯金の切り崩しで何とか生計を立てていた。受験生を見ている私たちが自分の息子や娘の受験をさせてやれないといって、嘆いていた方もいる。と、そんな状況を見せられてどうしようかと悩んでいたら、尊敬していた先輩たちが次々と会社を辞めていき、独立し始めた。確かに、それが正解だ。退職金何て当てにできないしこのままいても、以前のようになるわけがない。残っていたのは、それまで手を抜きまくっていてもいなくてもいいような大先輩たちだ。自分の労働力を働かない彼らの給与にはしたくないのと、自分の信念に沿った塾を作りたちという思いが高まり、僕も独立を決めた。お金はこれまでの貯金があった。しかし、どうなるかわからない。有限会社を先に立ち上げた先輩から教えを受けながら自分で「有限会社」をたちあげた。まさに、自分の人生をかけた船出だ。場所は元の会社の目と鼻の先!それでも、当時の支店長はしばらくは気が付かなかった。情熱をもって一生懸命にやっていたことがここにきて報われた感触を覚えた。つまり、僕が出て行ってからは前の塾からの転塾組が1か月もたたないうちに増えてきた。当時29歳だ。だが忘れてはいない。苦しくても、そうやって多くの人に支えられてきたことを。生徒も職員も、これまでの教え子たちも。また、保護者の方たちも。本当に熱い声援をかけていただいた。これこそまさに天命だと思った。この仕事に人生をかける!まさに=ライフワーク=との出会いである。 続く
2015年09月30日
今日も今日とて、福岡までとある申請書を出しに行く。県庁にもついでに出しに行った。まあああああ、何とか受け取ってもらいました。11月の開所に向けて確実な一歩を歩んでいます。夢の実現は背中で語れです。夢といえば・・・ 20年前の僕は教育に関心と興味を持ち、それを実践してみたいと思っていた。そして、大学生になり実践するチャンスを得た。大学を卒業し、それが「仕事」となった。その当時の仕事は「ライスワーク」であった。生きるための仕事。しかし、やる気に満ち溢れ充実した人生を送っていた。実は大学時代、仕送りをもらっていなかった私はかれこれ10年間はこのライスワークの時代だった。早く大人になりたかった僕は親からお金をもらう気がなかった。一人で生きていくことが小さなころからの、大人の当たり前でとらえていたので仕事ができることはむちゃくちゃうれしかった。=大人の仲間入り=ができた、と生意気な時代だった。 そんなさなか、この会社が倒産になってしまう・・・・。 つづく
2015年09月30日
ガンでの死のニュースが世間をにぎわしている。また、その治療法を調べると日進月歩である。「全体に治る」つまり、『根治』となると結局はその人次第とか、やって見なければわからない。だとかいうところにたどり着くのが現状である。教え子の医者に言わせれば「経験上、結局は何をやっても医療に返ってくる人たちが多いです。」とのこと。 ただ、日本人はがんで死ぬ可能性が非常に高い。その準備を僕も少しだけ考えるようになった。なってしまえば、お付き合いをしながら最後の最後で裏切ってそいつの首をカッ切てやろうと思っているのだがなかなか手ごわい。早く、「根治」に近い結果を出す薬がでないものか・・・。
2015年09月29日
遺伝子の検査をやている方に会って話をした。そうだな、確かに占いや心理テストなどとは違い「医学」領域からの分析なので否定できない結果が出る。 ・彼との話をしていると、そういえばおもいあたる例がある。 ・自分は理系と思っていたら、実は文系の方が得点がなぜか高い。 要するに、周囲の人間や自分大濠思い込みとは違う結果が出ることも多々あるということがあるのだ。それが遺伝によるものか否かはそれを調べてみないとわからない。 でも怖い…。 これを知ることで自分の限界を「遺伝子レベル」で知ることとなると希望と絶望の2つを手に入れるので、それにメンタルが耐えれるかどうかがものすごく”不安”となる。 ただ、それをわかった上での検査となるので「いいこと」しか表示しないという。 確かにそうしてもらうと少し安心だ。 安心でもやっぱり不安~。迷ううなああああ。
2015年09月25日
さて、我が家の楽しみの一つ家族での釣り。今回は息子2人と私の3人でお出かけだ。ここ数年、アジが釣れない。釣り具屋にきいても型は小さくなり、いまいちの数らしい。しかし、そこは闘魂、「何か」を持ってます。私のマル秘ポイントに到着!竿を出して、あたりを待つ。沈め浮き!早よ入らんかい、海中へ!!と思っていたら、長男の浮きがグヒョ~ンと海中へ吸い込まれた。「シャー!」と気合を入れて引き上げてみればなんと23cmの型のいいアジちゃんとご対面。これを機に時間差はあれど釣れる、釣れる。ただし、周囲の方々はマメアジを釣っておらっしゃる。この差は何だろう?と思いながら風がいい加減すごくなったので撤収。アジ:5匹(どれも20cm超え)コノシロ:7匹(同じく20cmオーバー)ではあったが満足できました。写真を撮ろうと思ったらすでにさばいておりまして、残念・・・・。次回は写真付きで発表します!
2015年09月23日
子供を長年教えていると自分の限界を感じることで会う時がある。 教えても、ひびかない子。 これは本当にへこんでしまう。教えても、理解させても次の日になったら消去されている。 このような、一見変わった子たちをどう扱うのか。本当に悩んだ悩んで相談して勉強してある答えにたどり着く。 その公式に当てはめていくと見事にその問題が解決していく。いあや、こちらの納得がいく。 忙していいことそうしてはいけない子。そうしてはいけない子を無理に急がせると小5くらいで壊れ始める。学年が進むとさらに、ヒビがひどくなっていく。どうしようも手の施しようがなくなって親の期待がかなわないことに気が付き我が子でありながら、夢を少しづつ放棄していく。 そうならないように一手を打ってほしい。その子のペースで物事を行わせてもいいと思うよ。
2015年09月22日
ここの学校はいい意味での「自由さ」が伝統として残っている。確かに、最近はこの後の切り替えができない生徒が多いというがやらされ感は生徒からは感じられない。また、これだけ人が集まっているにもかかわらず(だって中高一貫だから6年分の保護者や関係者が押し寄せる)ゴミひとつ散らかっていない。こんなところに男子校でありながら、「本物の良さ」を感じる。時代の変化によって生徒もの質も変わる。しかし、その学校の良さは本物であれば時間によって変わらない。そんな良さをここはかなり多く残しているように思うのだ。
2015年09月21日
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