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奥多摩むかし道沿いにある白髭神社です。神社はこの石段を登ったところにあります。巨岩が信仰の対象として祭祀されているそうです。MoMo太郎の知っている向島の白鬚神社の御祭神は猿田彦大神ですが、この奥多摩の白髭神社の御祭神は「巨岩」?石段の上はこのような崖に沿った細い道。そして木立の間から巨岩と社殿が見えてきました。大きな白亜の巨岩の陰にある、ここが白髭神社です。この石碑によると、社殿は昭和56年に再建されたようです。この白亜の巨岩は、約6000万年前の三世紀石灰岩が白亜紀泥質岩の上に急角度でせりあがってできたものだそうです。つまり、逆断層ですね。この大地が動かす力が祭られている白髭神社こそパワースポットではないでしょうか。【正断層と逆断層】正断層と逆断層の違いは、地殻の変動によって生じるひずみの方向にあります。正断層は、ひずみが引っ張りになるときに発生し、上部のブロックが下部のブロックよりも低い位置に移動します。逆断層は、ひずみが圧縮になるときに発生し、上部のブロックが下部のブロックよりも高い位置に移動します。正断層と逆断層は、地震や火山活動などの自然現象に影響を与える重要な構造です。(この解説は、Microsoft Bing のAIによって作成しものです)(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その8) 大地の力が宿るパワースポット、奥多摩の白髭神社
2023年05月13日
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奥多摩むかし道からまた廃線跡が見えてきました。このあたりはちょっとした集落になっています。これも小河内線の遺構ですが、なんか今でも機関車にけん引された貨車か走っていてもおかしくはないような景色でした。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その7) 天空に架かる廃線跡の鉄橋
2023年05月12日
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奥多摩むかし道には、このような石柱でできた道しるべも建てられています。槐木の地点を過ぎると、林道も兼ねているのでしょうか、このような舗装された道が続きいています。こちらの道しるべでは、奥多摩湖までまだ7.7Kmです。このまま舗装した平坦な道が続くことを願いました。と思ったら、この階段を上るのですね。階段の後はこのような舗装した道がありました。奥多摩むかし道、サイクリングで楽しんでいる人もいるんですね。初夏のこの時期、藤の花も咲いていました。しかし、藤の木って、他の自立している木に蔓を巻き付けて成長しているのですね。まるで自立せずに実家の親に居座って寄生しているパラサイトシングルみたいな植物ですね。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その6) 舗装した道もありました
2023年05月11日
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旧青梅街道であった奥多摩むかし道に沿って石仏が並んでいました。随分、沢山の石仏が並んでいました。やはり、険しい旧青梅街道を往来した人たちが道中の無事を願って建立していたんでしょうか。奥多摩むかし道はハイキングコースとして整備されている面もあるのでしょう。所々にこのようなトイレと休憩スペースが設置されていました。また、このトイレの近くには祠が建てられており、小さな石仏と大きな馬頭観音像が祭られていました。花や吊し雛が供えられていて、地元の人たちの信仰を集めているようです。さらに大木があり、説明板も設置されていました。ここは、槐木(さいかちぎ)という場所で、ここにあるサイカチの大木が地名の由来となっているそうです。また、羽黒坂と桧村からの坂道を登りつめたところにありも休み場として賑わった場所だったようです。こちらが地名の由来となったサイカチの木です。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その5) 石仏に込めた思い
2023年05月10日
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奥多摩むかし道、道標があるのでそれに従って歩いていけます。この日は奥多摩むかしみちセラピーウォークというイベントも開催されていたので、大きな案内看板もあってわかりやすく歩けました。この道が奥多摩むかし道。コンクリートですが舗装もしてあり歩きやすそうと思いましたが、・・・。旧青梅街道では羽黒坂と呼ばれる坂道だったそうです。昔の人たちの苦労を少し感じるウォーキングも悪くはないかと思いましたが、・・・。結構、本格的な山道になっていて、普通のスニーカーでやってきたMoMo太郎、この時点で、ちょっぴり後悔。そして、この後はもっと後悔、リタイアも考えることになりました。途中にあった立ち入り禁止のバリケード。奥多摩工業が設置したものです。草に隠れていましたが、よく見ると、線路の跡が、これも奥多摩工業が管理している東京都水道局小河内線(→→→こちら)の廃線跡ですね。さらに山道の木立に隠れてわかりにくいですが、廃線跡の橋梁とトンネルがあるのが見えました。トンネル後の坑口の真上から廃線跡を撮影しました。現在も東京都民の水道水源として重要な役割を担っている小河内ダムの建設用資材輸送用に東京都水道局が敷設・管理した小河内線。1952年(昭和27年)に開通し、1957年(昭和32年)までのわずか5年ばかり利用された仮設備のようなものだと思っていましたが、遺構としてかなりしっかりと残っているんですね。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その4)羽黒坂と廃線跡のトンネル
2023年05月09日
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このあたりは交番(派出所)ではなく駐在所なんですね。二階建てになっているので、警察官やその家族の人が住んでいるんでしょうね。寺島進さんのような駐在刑事(→→→こちら)の方もいるのかな。日原街道入口の交差点に戻ってきました。ここからこちらの道、青梅街道に沿って歩いて行くのかと思ったところ、こちらの大きな木製の看板に示されている奥多摩むかし道(→→→こちら)を歩いてゆきます。「奥多摩むかし道」は旧青梅街道にあたり奥多摩町氷川地区から小河内地区を結んでいます。今の青梅街道ができて車での移動が楽になる以前の山村の生活道を歩いてみます。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その3)奥多摩むかし道
2023年05月08日
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5月2日に行った駅からハイキング「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」の報告です。こちらが奥多摩駅です。山小屋を思わせる意匠のオシャレな駅舎です。撮影している時は気が付かなかったのですが、ちょっと愛用のCanon-SX720HSのレンズが汚れていてようで、これから時々お見苦しい写真が出てきますがご容赦願います 。駅から北に向かって歩いていくとあったこの建物。奥多摩町役場でした。さらに進むと、工場が見えてきました。こちらは奥多摩工業という会社の石灰石の選鉱、生石灰の製造・出荷、石灰石系砕石の製造・出荷を行っている工場です。かってはここで採掘された石灰岩が青梅線を経由して川崎などにあるセメント工場へ貨物輸送されていたそうです。多摩川の支流、氷川にかかるこの橋を渡ります。橋の上から新緑の山々が、このあたりは氷川国際ます釣り場として利用されています。橋を渡って行くと、この日原街道がありました。なるほど、この道を行くと日原鍾乳洞に行けるのですね。だから石灰岩の工場があるんですね。さて、この駅からハイキングのタイトルが「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」ですから、廃線跡を見るのがこのハイキングの目的ですから、廃線跡のアーチ橋が見える場所がコースに入っています。これは小河内ダムの建設用資材輸送用に東京都水道局が敷設・管理した貨物線した、東京都水道局小河内線(→→→こちら)の廃線跡です。ダム竣工後は西武鉄道へ譲渡され、さらに奥多摩工業へ譲渡され、現在は「水根貨物線」として遺構が残っているそうです。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その2)東京都水道局小河内線の廃線跡
2023年05月07日
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ゴールデンウィーク、真っただ中の5月2日、JR東日本が主催する駅からハイキングの「新緑の奥多摩むかし道を歩く~都内随一の廃線跡をたどる~」に参加してきた報告です。新宿から青梅行快速に乗って1時間余りでここ青梅駅に到着しました。青梅線青梅駅から奥多摩駅間は、東京アドベンチャーラインの愛称がつけられています。この奥多摩行きの各駅停車に乗りこみました。奥多摩行きは一時間に一本くらいしか運行されていないので青梅駅で30分くらい発車まで待ちました。ヘッドマークにも「東京アドベンチャーライン」。青梅・奥多摩間の18.7キロの間を45分掛けて、終着駅の奥多摩駅に到着しました。ホームには本格的な登山をする姿の人でいっぱいでした。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その1)奥多摩にやって来ました
2023年05月06日
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晴天に恵まれたゴールデンウィーク、高速道路、どこへ行っても混んでいましたね。そんな中、MoMo太郎も高速道路を使ってドライブを楽しんできました。ドライブへ行った所のご報告は、後日改めてさせて頂きますが、途中立ち寄ったPA(パーキングエリア)をご紹介します。こちらは圏央道(正式名称は「首都圏中央連絡自動車道」)ある菖蒲PA、一般道からも利用できる施設です。そして、端午の節句の今日にふさわしい名前のPAです。こちらは首都高速にある川口ハイウェイオアシス。こちらの施設も一般道からも利用できますが、高速川口線を利用した場合は、上り線からのみ直接入ることができます。レストランやカフェ以外にも、イイナパーク川口という、芝生広場などを備えた公園もあり、ここを目的地に遊びに来てもいいかも。人気ブログランキング高速道路のPA
2023年05月05日
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今日からはしばらく文京区散策シリーズをいったん休ませて頂きまして、ゴールデンウィーク中に訪れた場所の紹介をします。やってきたのは、総武線の平井駅。駅の南側にある平井親和商店街です。いわゆる下町の商店街という庶民的な雰囲気です。この商店街を通って住宅街の中に入っていくと、目的地のこのお家がありました。なかなか小奇麗な住宅ですが、ここが「ひらい圓蔵亭」(→→→こちら)です。「ひらい圓蔵亭」は、墨田区本所の生まれながら、生後すぐにこの江戸川区平井に引っ越してきて、生涯を通して平井に在住していたため、「平井の師匠」という通り名があった落語家の8代目橘屋圓蔵(1934年 - 2015年)(→→→こちら)さんの自宅を江戸川区が買い取り一般公開されている建物です。考えてみれば、貧乏長屋のことなどを話題にしている落語家なんですから、師匠と呼ばれるような人気者になってお金持ちになったとしても、やっぱり六本木や青山のような高級住宅街にお屋敷を建てて住むようなわけにはいかないでしょうね。ところで、橘屋圓蔵という名前よりも、襲名前の若手の時代に月の家圓鏡としてテレビ・ラジオで活躍していた頃の方が印象が強い方の方が多いかも知れませんね。「ひらい圓蔵亭」は、落語文化の発信拠点として一般公開している施設で、橘屋圓藏師匠の映像や音声の放送、師匠ゆかりの品などの展示をしています。また、毎月、落語会を中心に、子どもむけおはなし会、講座などのイベントや各種教室を開催していているそうです。落語会などはさすがに料金が必要かもしれませんが、展示品を見るだけならMoMo太郎の好きな「入場無料」です。この建物の通りを挟んだ向かい側には、大きな公園があって、そこには、「ひらい圓蔵亭」で開催される催し物の告知があったり、公園の片隅には、橘屋圓蔵師匠を紹介する案内板がありました。そんな圓蔵師匠ですが、月の家圓鏡時代から、七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、三代目古今亭志ん朝と共に「落語四天王」と呼ばれた人気と実力を兼ね備えた落語家で、MoMo太郎の印象では、うまい落語家は談志と圓楽、達者な落語家は志ん朝、そして、おもしろい落語家は圓鏡という風でした。そういえば、月の家圓鏡の頃のなぞかけなんて、下らないのもあったけど、それがまた面白かったんですよね。人気ブログランキングひらい圓蔵亭に行ってきました
2023年05月04日
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最近は、中華料理チェーン店の福しん(→→→こちら)でラーメンを食べることが多い。食べに行くと、いつもサービス券をもらえて、麺の大盛り、定食の時はご飯大盛り、チャーシュー2枚、ミニ杏仁豆腐、冷奴のどれかを選べるようになっているので、サービス券を使いたいがために、また、食べに行くというサイクルを繰り返しています。今日も食べたのは、「手もみラーメン」(450円税込み)で麺大盛りにしています。ついで言うと、餃子(240円税込み)もつけていますが、焼き上がってないので、とりあえずラーメンだけ撮影しています。ちなみに、味玉ラーメンというのもあるのですが、昨今の鶏卵価格の高騰と品不足でしょうか、メニューの味玉ラーメンのところはマジックで×がつけられていました。考えてみると、卵にかかわらず、食料の価格が安定して供給されるっていうことは、当たり前のようで当たり前でないのかもしれませんね。生産者の皆さんの努力には本当に感謝しないといけないなと改めて思う次第です。話は変わって、元ジャニーズの男性「ジャニー喜多川さんから性的行為」(→→→こちら)というニュースを聞いて思ったのは、今ドラマで敏腕刑事の役をやっているジャニーズのタレントさんなんかも、そういう被害を受けていたんでしょうかね。ちょっとドラマ見ながら複雑な気持ちです。NHKの大河ドラマで、ジャニーズ所属の俳優が、もう一人のジャーニーズ所属の俳優の耳を甘噛みするシーンなんか、二人ともそういう経験していたのかなとか想像して見ていました。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 福しんの手もみラーメン
2023年05月03日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。神田川を上流に向かって歩いて行きます。川沿いにあるのは首都高速道路です。このビルの前を通ると、離れていてもウナギを焼くいい匂いがしました。実はこのビルのお隣が「うなぎ はし本」(→→→こちら)という、天保六年(1835年)に創業して以来、同じ場所、同じ味で暖簾を掲げ続けているうなぎの老舗です。そして、高速道路が大きくカーブし神田川から離れていくあたりに来ました。神田川に流れ込む大きな暗渠の流出口がありました。これは今は暗渠化された東池袋から流れてきている水窪川(→→→こちら)の暗渠だと思われます。この橋の名称は、「江戸川橋」。かっては、神田川の中流域の中でも都電荒川線早稲田停留場付近から飯田橋駅付近まで約2.1キロメートルの区間は「江戸川」と呼ばれていたそうです。だから江戸川橋とい名称で、東京メトロ有楽町線の駅も江戸川橋なんだそうです。しかし、この区間も1970年8月に「神田川」に名称が統一されたそうです。こちらの暗渠の流出口は、豊島区立元池袋史跡公園の西に接する池袋デュープレックスタワーの敷地内にあった丸池が源泉として神田川に合流していた弦巻川(→→→こちら)が暗渠化されたことによるものでしょうか。そして、川に沿ってあるのが、文京区立江戸川公園(→→→こちら)です。神田川沿いにソメイヨシノが植えられており、春には多くのお花見の人が訪れます。訪れたのは2月の中旬なので、桜には早過ぎましたね。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね文京区散策(その15) 神田川から江戸川
2023年05月02日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。凸版印刷の本社ビルには、この印刷博物館(→→→こちら)があります。こちらが入り口になります。入場料は大人400円でしたが、興味があってわざわざやってきたので、入場してみました。博物館はビルの地下一階。こちらは博物館のプロローグというのか、過去からの印刷物紹介でした。展示室にあった印刷の機械。なかなか興味深い展示があって、印刷と人間の文化発展の関わりみたいなものが、うっすら理解できました。やっぱり本は読まないとね。【つづく】文京区散策(その14) 印刷博物館
2023年05月01日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。さて、すべてを突破する会社、凸版印刷の本社に向かって歩きます。本社ビルの手前の公開空地に石碑を発見。こちらの二基の石碑は、ひとつは「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」行幸啓(ぎょうこうけい)とは、「天皇・皇后がご一緒に外出されること」を言うそうですね(→→→こちら)。こちらは、「平成13年3月26日皇后陛下行啓記念碑」行啓(ぎょうけい)とは、「皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されること」を言うそうです。そして、もう一基は「皇太子殿下 皇太子妃殿下 行啓記念碑」でした。【つづく】文京区散策(その13) 行幸啓記念碑
2023年04月30日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。が、JR飯田橋(千代田区)から神田川を遡って、ここ大曲(新宿区新小川町)にある牛込警察署大曲交番にやってきました。大曲というのは、横を流れる神田川が大きく曲がって、高田馬場の方へ流れているからです。だから、神田川の上にある首都高速もこのように大きくカープしています。神田川を越えて、文京区に入ります。このあたりの住所は文京区水道(→→→こちら)です。どうして「水道」という地名なのかというと、この地に神田上水が通っていたことによそうです。江戸時代より、このあたりはの町名として小日向水道町、小石川金杉水道町などと称していたそうです。その神田上水は写真の奥にある巻石通りを流れていたそうで、水道通りとも呼ばれています。さて、この神田川沿いの道を歩いて行くことにしました。目指すは、大きなTOPPAN(凸版印刷)の本社ビルです。「すべてを突破する。TOPPA!!! TOPPAN」ですね。【つづく】文京区散策(その12) 文京区水道へ
2023年04月29日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。東京都文京区後楽の東京ドーム敷地内に二基の石碑がありました。鎮魂の碑(→→→こちら)です。これは、太平洋戦争などで戦死したプロ野球選手の功績を記念した石碑です。こちらの石碑には戦死した選手の氏名が刻まれていました。そして、もう一基の石碑には、遺族を代表して特攻隊員として戦死した石丸進一の実兄・藤吉による追悼文や当時セントラル・リーグ会長だった鈴木龍二による「建立趣旨文」が刻まれていました。この二基の石碑が建立されたのは、昭和56年4月だそうです。このあたり、もちろん東京ドームもありますが、青空の下、野球ができるグランドもあります。後楽公園少年野球場です。平和な世の中で思い切り野球を楽しんで欲しいですね。野球は楽しんで欲しいとは思いますが、この後楽というのは「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という中国の古典「岳陽楼記」にちなんで命名された、水戸徳川家の江戸上屋敷内に造られたこの日本庭園につながります。ということでこの庭園の名前は「小石川後楽園」(→→→こちら)です。【つづく】文京区散策(その11) 鎮魂の碑と少年野球場
2023年04月28日
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飯田橋にあるきしめん尾張屋さんです。「きしめん」といえば、愛知県名古屋名物の平たい形状の麺。地方で名物の麺類というと、例えば、讃岐うどん、稲庭うどん、信州そば、博多とんこつラーメン等々、東京でも専門店が多いと思うのですが、「きしめん」に関しては、そういう専門店というのはあまり見かけたことがないような。ひょっとしたら、名古屋でも専門店は、名古屋駅の新幹線ホームにある店だけで、町の中ではうどん屋さんやそば屋さんがメニューの片隅に載せて、片手間に調理しているだけなのかも。というわけで、東京にある専門店の「きしめん」をランチ特盛(880円税込み)でいただきました。うどんと比べるとコシはそれほど強くなく、ツルツルとした食感で、こういう「もり」で食べるのもいいかもしれませんね。ちなみに、2軒くらい隣に蕎麦屋の尾張屋さんもあるので、間違わないようにして下さい。人気ブログランキングへ孤独のグルメ きしめん
2023年04月27日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。東京都水道歴史館に隣接してある文京区立本郷給水所公苑(→→→こちら)です。東京都水道歴史館に隣接している本郷給水所の上部に人口地盤を築き作られた公園なので、この坂道を登って行きます。南側に武蔵野の雑木林のイメージをもとに造られた和風庭園があり。北側にはフランス式の西洋庭園があります。その西洋庭園にあった大きな地球儀です。こちらは和風庭園。四阿(あずまや)がありました。こちらは公園の東側にあった、盛土と木柵。文京区第五中学校(現文京総合福祉センター)で発掘された神田上水の石樋が復元展示されているそうです。これが復元された石樋です。【つづく】文京区散策(その10) 文京区立本郷給水所公苑
2023年04月26日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。このレトロな洋館は順天堂大学(→→→こちら)。文京区、やっぱり大学という高等教育の場が多いですね。順天堂大学から本郷台の住宅街に入っていくと、大きな建物がありました。東京都水道歴史館(→→→こちら)です。神田上水や玉川上水などの江戸時代の上水道から、近代水道、現在の水道に至るまで、規模・水質ともに世界有数のレベルである東京の水道400年の歴史や技術を、実物資料や模型、映像資料などで紹介しています。また、水道の歴史に関する講演会や江戸時代の上水道を学ぶ講座なども開催されています。それで入場料は無料。無料が好きなMoMo太郎にが見学しないわけにはいかないですね。写真撮影については、「個人利用の範囲において撮影は可能です。但し、フラッシュの使用、三脚・椅子などの使用はご遠慮ください。」とのことだったので、撮影してきた館内の様子を紹介します。こちらは実物大の水道鉄管を展示しています。一番大きいものは直径2.9mだそうです。こちらにあるのは共用栓と消火栓。近代水道が開通すると、それまでの上水井戸に替わり、水圧のかかった水を手元で得ることのできる「水栓」(蛇口)が設けられました。しかし多くの家庭では専用の水栓(専用栓)を引くことができなかったため、複数の家庭で共同で使う「共用栓」が各所に設置されていました。団体見学で申し込むとこのような、歴史館の人が説明をしてくれるようです。玉川上水を造った玉川兄弟の石像。江戸時代に使われた木製の水道管です。上水井戸の実物です。江戸の井戸は地下水ではなく神田上水や玉川上水で送られてきた水を利用していたそうですね。【つづく】文京区散策(その9) 東京都水道歴史館
2023年04月25日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。外堀通りに面してある元町公園と昭和第一高校の間に本郷台地を登って行く坂道の途中に元町公園下の擁壁に、楕円形に空けられた穴をコンクリートで塗りこめたような痕跡があります。太平洋戦争のころに構築された防空壕の入り口跡だそうです。この坂道を登り切って少し行くと、立派な建物の学校があります。桜陰学園(→→→こちら)です。高校からの入学者を募集していない完全中高一貫校の桜蔭中学校・高等学校で、女子学院中学校・雙葉中学校と共に「女子御三家」といわれている進学校。卒業生には、「このハゲ」と秘書を怒鳴った元衆議院議員の豊田真由子さん(→→→こちら)。現参議院議員の猪口邦子さん、女優の菊川玲さん、クイズ番組タレントの三浦奈保子さん(→→→こちら)、そしてイラストレーター、タレント、女優と多彩な水森亜土さん(→→→こちら)と、才色兼備といってもいい方ばかり。ちなみに、制服は基本ジャンバースカートでちょっと体形の不利は目立ちません。可愛い制服を着たい女子にはちょっと不向きなのかも、観察していると最近はパンツスタイルの制服もあるようです。そして、大学の多い文京区、外堀通りに面したところにある順天堂大学です。どうして、桜陰に詳しいかというと、親戚の子が通っていたからです。文京区散策(その8) 名門女子御三家のひとつ
2023年04月24日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。水道橋というのは、神田川に架かるこの橋のことですが、橋の親柱にある銘板にも「水道橋」と記されています。橋の欄干にはこんな銘板がありました。水道橋について次のように書かれていました。「水道橋の名は、江戸名所図会によればこの橋の少し下流にかけ樋があったことに由来します。」と。ということで、神田川に沿って外堀通りの坂道を登って行きました。そうするとこんな石碑を発見しました。「お茶の水分水路」(→→→こちら)と刻まれていました。神田川の中流部(お茶の水一帯)は、もともと江戸時代の初期、幕府の命により仙台藩が本郷台地(神田山)を開削して導水した河道。そのため峡谷を形成していますが、拡幅による河道整備が困難で、洪水の際の対策上のネックになっていました。神田川の治水安全度向上を目的に、バイパス的な流路を築いたのがお茶の水分水路。全区間が神田川沿いの外堀通り・都道405号(外濠環状線)の地下に敷設されています。昭和62年~平成6年にかけて上流開削区間(220m)と、湯島聖堂あたりまでのトンネル区間(760m)を整備し、その後、平成8年~11年にかけて、下流開削区間(320m)を整備しています。さらに歩いて行くと、こちらの石碑が、男性の方が興味深げにこの石碑を撮影していました。この人が退くまで待って、MoMo太郎も石碑を撮影。「神田上水懸樋跡」(→→→こちら)とありました。下の銘板には、神田上水懸樋の様子を描いた絵図と文京区教育委員会による説明文がありました。江戸時代、神田川に木製の樋を架け神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。明治34年(1901)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。この樋は、懸樋(掛樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。この絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます。平成8年(1996)3月 東京都文京区ここに懸樋、つまり神田川を越えるために設けたパイプ(樋)が架かっていたわけですね。この懸樋(水道橋)が現在の水道橋の地名の由来なんですね。神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年~1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を超えた上水は、この辺りから暗渠(あんきょ、埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。そういえば、文京区役所近くの春日町の交差にある小さな広場にあるこの石も「神田上水石樋の石」だそうで、昭和62年(1987)、外堀通りの工事中に現在の水道橋付近から発掘されたものだそうです。【つづく】文京区散策(その7) 水道橋とは
2023年04月23日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。文化の京の文京区ですが、区内にはJRの駅が一つも存在していません。文京区役所の最寄り駅のこのJR中央線の水道橋駅も厳密には所在地は千代田区です。この駅のそばを流れる神田川です。川の清掃をする船が見えました。そしてこの神田川が千代田区と文京区の境になっていて、神田川を超えて東京ドームホテルなどのある方に来ると文京区になります。神田川に並行する外堀通りを歩いて行くと、小さな広場があります。このあたりは「市兵衛河岸(→→→こちら)」という地名だったそうです。この付近が神田川の水際に作られた物揚場(ものあげば)だったそうで、今の東京ドームシティのあたりに東京砲兵工廠のあったころは、工廠用の貨物が揚げ下ろしされた場所です。神田川市兵衛河岸防災船着場として今でも緊急時にはこの船着場が利用できるように整備されていました。ちなみに、この付近には「岩瀬市兵衛」のという人の屋敷があり、それが市兵衛河岸の地名の由来になったそうです。そして、岩瀬市兵衛は旗本だった家柄で、その中で岩瀬市兵衛の家を継いだ岩瀬 忠震(いわせ ただなり)(→→→こちら)は、嘉永8年(1853年)ペリーの来航後、アメリカとの交渉に当たり、特にアメリカ領事ハリスと交渉して日米修好通商条約に調印した人物だそうです。【つづく】文京区散策(その6) 水道橋駅近くの市兵衛河岸
2023年04月22日
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久しぶりに、ゆで太郎で朝食を食べました。焼鯖ごはん(450円税込み)です。久しぶりに食べましたが、やっぱりコスパはいいなと思いました。人気ブログランキング孤独のグルメ ゆで太郎の朝食
2023年04月21日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。文京区立森鴎外記念館から団子坂を登っていくと、ちょっと変わった建物のお寺に到着しました。こちらが駒込大観音で有名な光源寺(→→→こちら)です。山門(?)を入ると、「蓬莱梅(ホウライバイ)」の由来と書かれた説明板がありました。かって、樹齢3百年を超える蓬莱梅と呼ばれる梅の木が境内にあったそうですが、空襲で焼けてしまったそうです。そして、現在は榛名山で見つけてきた、二代目の梅の木があるそうです。こちらが二代目の蓬莱梅です。訪れた2月中旬には、梅の花が見事に咲いていました。こちらが駒込大観音が安置されている観音堂です。この中に大観音がおられるのですね。こちらが駒込大観音です。初代の像は元禄10年(1697)に豪商丸屋吉兵衛の発願により御丈約5mの十一面観音像が建てられましたが、惜しくも東京大空襲で焼失し、1993(平成5年)に御丈6m余の御像として再建されたそうです。こちらの石の台座は、初代の大観音が設置されていた礎石です。再建まで48年も掛かっていたんですね。【つづく】文京区散策(その5) 駒込大観音
2023年04月20日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。夏目漱石とくれば。次はやはり森鴎外ですね。そして、こちらの建物が、文京区立森鴎外記念館(→→→こちら)です。この記念館は、森鴎外の旧居「観潮楼(かんちょうろう)」跡地に建てられたものです。観潮楼は、1892(明治25)年鴎外が30歳のときから、1922(大正11)年60歳で亡くなるまで、家族とともに住んだ家だそうで、家の2階からは遠く海が見えたことから、鴎外により観潮楼と名づけられんだとか。千駄木団子坂から見た森鴎外記念館。こちらが建物の正面になるそうです。小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医といくもの顔をもつ森鴎外。こういう不世出の才人っているもんですね。【つづく】文京区散策(その4) 文京区立森鴎外記念館
2023年04月19日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。根津神社の西口から出ると、すぐにあるのが日本医科大学。やっぱり文京区。大学が多いんですね。そこから少し住宅街の中を歩くと、日本医大同窓会館の敷地に石碑がありました。この猫の置物から、想像できますね。夏目漱石旧居跡です。文豪・夏目漱石が、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだ場所。ここで、処女作「我が輩は猫である」を執筆し、旧居は作品の舞台となったそうです。【つづく】文京区散策(その3) 夏目漱石旧居跡(猫の家)
2023年04月18日
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。さて、東大から野球グランドの横の坂道を下って不忍通りの方へ向かうと、その途中に「根津神社」(→→→こちら)があります。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられているそうです。手前は神橋、その奥にあるのは重要文化財の楼門つつじの名所として知られる根津神社のつつじ苑です。訪れた2月半ばだと、つつじはまだですね。毎年4月~5月はじめにかけて「文京つつじまつり」が開催されていますから、今の時期行けばよかったのですが、なんやかやと暇がみつけられる、こんな季節感のない写真で申し訳ありません。この楼門を抜けて参拝します。唐門と透塀、どちらも重要文化財です。こちらが拝殿です。しつこいようですが、これもまた重要文化財です。江戸時代までの神仏混淆時代には、根津権現と呼ばれていたそうで、森鴎外や夏目漱石の小説では根津権現と書かれています(→→→こちら)。こちらは摂社の乙女稲荷神社に続く千本鳥居です。本当に千本あるのかどうかはわかりませんが、「北」から「南」に通り抜けると「邪気がきれいに祓う」といわれているそうです。というわけで、邪気に包まれたMoMo太郎もこの千本鳥居の中を通り抜けました。千本鳥居、奉納した人の名前と願意が書かれているので、個人情報ほごの観点から、撮影には注意ですね。千本鳥居の参道の途中にあった、石のオブジェ。徳川家宣胞衣塚というそうです。第六代将軍徳川家宣の「胎盤と胎膜」を埋めたところになるそうですが、ここは甲府藩江戸下屋敷があったところで、甲府徳川家初代徳川綱重の長男だった家宣はここで生まれましたが、五代将軍綱吉に男子の跡継ぎがいなかつたことから、綱吉の養子となり六代将軍になったそうです。その時、家宣は藩邸を閉じて江戸城へ移るとともに、藩邸址を根津神社に献納したそうです。乙女稲荷から見た透塀です。池もあってなかなか落ち着いた感じの景色でした。こちらが乙女稲荷です。乙女という名前からして、女性を応援する神様なんでしょうね。こちらが根津神社の西口にある鳥居です。もう少しじっくりと味わいたい根津神社でした。【つづく】文京区散策(その2) 根津神社
2023年04月17日
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東京23区の中で首都東京を東京たらしめている区というと、国会や官庁がある千代田区、金融や経済の中心地ともいうべき中央区、そして文化の都(みやこ)である文京区の3つの区があれば、港区や台東区、まして練馬区などがなくても東京としての機能は維持されるのではないのでしょうか。そんな文化の京(みやこ)、文京区を散策してきました。まず、文京区が文化の京といえるのは、やはりこの大学があればこそでしょう。赤門がシンボルの東京大学です。MoMo太郎の義理ママは、東大入学を願い、まだ赤ん坊だった孫を抱いて、この赤門をくぐったそうです。しかし、義理ママ、あなたは知らなかったのですね。東京大学の正門は、こちらなんです。そんなわけで、あなたのお孫さん、東大入学はかなわなかったです。まあ、MoMo太郎のDNAを受け継いでいるせいでしょうね。まあ入試に合格しなくても、正門を抜けて東大に入ることはできました。こちらは東大農学部の門です。農学部の門を入ると、犬と戯れるおじさんの銅像があります。これは東京帝国大学教授、上野英三郎博士(→→→こちら)とハチ公の銅像だそうです。ハチ公って東大の先生の愛犬だったんですね。【つづく】文京区散策(その1) 文京区を文京区たらしめているもの
2023年04月16日
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秋田に仕事で行ったのですが、地元の人に、「秋田土産ならこれがいいよ」と言われたので買ってきました。秋田といえば、金萬(きんまん)。地元秋田の銘菓として、およそ70年間、この味一筋。おみやげにも、家族の団らんの際にも、 もちろんご自身のおやつにもということだそうです。昭和28年、秋田駅前の旧金座街で営んでいた食堂の一角に、製造機械を取り付けて販売したのが始まりです。「金座街のおまんじゅう」ということから「金萬」と名付けられたそうです。玉子と蜂蜜が使われたふわふわのカステラ生地に白あんがぎっしり包まれていました。味の好みは人それぞれだと思いますが、MoMo太郎としては「名物にうまいものなし」の格言どおりでした。正直言って、甘いカステラ生地は「ふわふわ」しているよりも、もう少し「しっとり」していた方が好み。またそれに重ねて甘い白あんは、甘さがしつこい感じです。でも、ホームページ(→→→こちら)にあった社長の大内睦子さん、きれいな方だったので、「美味しかった」ということにしておきます。人気ブログランキング孤独のグルメ 秋田銘菓 金萬
2023年04月15日
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桜と菜の花のありがちな構図です。東武鉄道の隅田川橋梁、中路カンチレバーワーレントラスという形式です。高いトラス橋にせず、中路式を採用しているので、鉄道車両もよく見えますし、また、列車の窓からも隅田川の河岸に植えられた桜もよく見えるでしょうね。隅田川でボートを漕いでいる人がいました。ボートというよりカヌーになるんでしょうか。そういえば、墨堤にこんな石碑がありました。隅田川ボート記念碑(→→→こちら)です。かつてはボート競技の中心地であった隅田川を記念する石碑だそうです。この石碑の建立に尽力した関係者の名前が刻まれていましたが、大学ボート部のOB会の名前は当然ですが、なぜか国土交通省下水道部の名前もありました。昭和30年代の高度経済成長時代、長きにわたり季節の風物詩として親しまれていた早慶レガッタは、隅田川の汚染が進んだことにより1962年に中止を余儀なくされていたのですが、東京の下水道整備が進み、隅田川の水質が向上したため1978年に17年ぶりに復活したのは、国土交通省下水道部のおかげということですかね。【了】人気ブログランキング今年のお花見(その5) 隅田川ならボートでしょ
2023年04月14日
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墨田区側の隅田公園、墨田区側の隅田川の堤防なので墨堤とも呼んでいます。また、地名としては向島というところになります。といこうとで、桜並木に飾られている提灯の名前は、多分、向島の料亭なんでしょうね。このあたり、かなり花びらが散り始めていました。それでも、まだ頑張って咲いている桜です。こちらにあるのは、向島墨堤組合(→→→こちら)の茶店。向島墨堤組合というのは向島の料亭とそこへ派遣される芸妓の置屋さんの組合なので、芸妓さんたちがお給仕してくれる茶店なので、ちょっと楽しいですよ。墨堤沿いを吾妻橋の方に向かって歩いてゆきます。こちらにも茶店がありました。こちらは向島二・三町会が出店している茶店のようです。朝の10時頃なので、まだ営業はしていないようです。メニューは、こんな感じですが、時節柄ですかね、酒類は隠しているみたいです。こちらは、向島一丁目町会の茶店です。こちらで使われていた提灯にはアサヒビールの名前が。アサヒビールの本社が墨田区にあるからでしょうか。【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その4) 墨堤を歩く
2023年04月13日
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隅田川に架かる「桜橋」です。この橋を渡って墨田区側の隅田公園へ。桜橋の上から青空を撮影してみました。川の上の空は、広々していていいですね。桜橋の上にあるモニュメントです。対になって、台東区側と墨田区側に二体がありますが、どちらも「双鶴飛立の図」というタイトルで、二羽の鶴らしいとりが並んで飛んでいる模様が描かれていました。桜橋の墨田区側、上流の桜並木です。この桜並木の向こう側、高速道路を越えたところには、さくら餅で有名な長命寺があります。こちらは下流側、吾妻橋へ向かっての桜並木。桜を見ながら川の上を走っているのは、水上バイクに乗っている人たちです。こういう花見のやりかもまたいいですね。【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その3) 桜橋
2023年04月12日
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台東区リバーサイドスポーツセンターの方までやって来ました。桜の淡いピンク色、このどちらかと言うとあいまいな感じがいいですね。「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」本居宣長のこの歌にある「大和心」とは、こんな「あいまい」な優しい感じのことにも思えますね。この桜の咲く青空の下で、野球に興じる人たちもいました。甲子園出場かWBC(World Baseball Classic)を目指して、大和心で頑張りましょう。隅田公園の所々にはこんな句碑や歌碑が建てられています。これはやっぱり、正岡子規の句碑なんでしょうね。そして、こちらにはちょっと立派な石碑。「花の碑」だそうです。武島羽衣作詞、瀧廉太郎作曲の有名な楽曲、「花」の歌碑ですね。石碑には、武島羽衣の詩が刻まれています。春の情景を歌った曲ですが、この「花」というタイトルから、この花が、桃や梅、ましてはチューリップではなく、「桜」のことを意味しているとわかるのも、日本人の「大和心」ですね。達筆すぎて読めないかもしれませんので、一応、歌詞を掲げておきます。春のうららの 隅田川のぼりくだりの 船人が櫂のしづくも 花と散るながめを何に たとふべき見ずやあけぼの 露浴びてわれにもの言ふ 桜木を見ずや夕ぐれ 手をのべてわれさしまねく 青柳を錦おりなす 長堤にくるればのぼる おぼろ月げに一刻も 千金のながめを何に たとふべき【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その2) 大和心と桜
2023年04月11日
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今年のお花見は4月1日の隅田公園でした。今年の東京の桜の開花は3月14日、満開は3月22日と早かったのですが、なんとか4月1日までは持ちこたえましたが、もう花が散って葉桜になっている桜もありました。浮かれて花見を楽しむのもいいのですが、言問橋のたもとにあるこの石碑も訪れましよう。戦災により亡くなられた方々の碑です。昭和20年3月10日の東京大空襲、多くの方が亡くなられました。安らかに眠られることを祈ります。平和な日本だからこそ、こうやって、桜を楽しめるんだと改めて思いました。【つづく】人気ブログランキング今年のお花見(その1) 平和だからこそ桜も楽しめます
2023年04月10日
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墨田区にあった鬼平情景の高札を巡ってきましたが、鬼平犯科帳というか、その作者の池波正太郎さんに関する付け足りの報告です。こちらは台東区浅草の近くにある待乳山聖天です。折角来たので、お参りさせてもらいました。さてこの待乳山聖天の南側には「池波正太郎生誕の地」(→→→こちら)があります。池波正太郎さんの生誕100周年を記念した幟がありました。池波正太郎さんの肖像と碑文が刻まれた石碑が平成19年に建立されたそうです。池波正太郎さんは1923年1月25日にこの地で生まれたそうです。生まれて間もなく、1923年9月1日に関東大震災が起こり両親とともに埼玉県浦和に避難し引越、6歳まで同地に居住し、1929年、両親と共に下谷に戻ってきました。というわけで、正太郎さんは生後間もなくの数ヶ月しか住んでいなかったわけです。しかしながら、「大川と待乳山聖天宮」というエッセイでは、「生家は跡形もないが、大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は私の心のふるさとのようなものだ」と記しているそうです。やっぱり大作家ともなると、赤ん坊の時の記憶もあるもんですね。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【了】人気ブログランキング鬼平情景(補遺) 池波正太郎生誕の地
2023年04月09日
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墨田区役所にほど近いこのお寺、如意輪寺(→→→こちらです。如意輪寺は、太子自刻といわれる聖徳太子像を祀った堂があることから、牛島大師堂、中ノ郷大師堂とも呼ばれていました。鬼平犯科帳では、この寺の前の花屋が盗人宿となっています。鬼平犯科帳ゆかりの地を巡ってきましたが、いよいよゴールの都営浅草線の本所吾妻橋駅にやってきました。この駅では西馬込、京急線方面のホームと押上。京成線方面のホームは地下連絡通路でつながっているので、間違って反対ホームの階段から降りていくと、階段を昇り降りして反対側ホームに行かないといけませんので、注意しましょう。ということで、ここから地下鉄に乗って帰ります。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)まだ、続きがありますよ。【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その14) 如意輪寺と本所吾妻駅
2023年04月08日
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隅田川を運航する東京都観光汽船株式会社の水上バス、デザインは先ごろ亡くなった松本零士です。こちらは幕末に活躍した勝海舟(→→→こちら)。本所亀沢町生まれの幕府の旗本ですが、江戸幕府幕府陸軍最後の陸軍総裁であり。戊辰戦争において即時停戦と江戸城無血開城を主張し実現させた人物です。吾妻橋のたもとにも鬼平情景の高札がありました。墨田公園入口と刻まれた石柱です。隅田公園は隅田川左岸と右岸にまたがる公園で、春には桜が満開になり、夏には隅田川花火大会が行われることで有名ですが、関東大震災の復興事業の一環で公園として整備されました。吾妻橋は江戸時代、両国橋、新大橋、永代橋に次いで整備された四番目の橋ですが、最初は大川橋と呼ばれていました。向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことからっ、改名願いが出され1876年(明治9年)、正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名されたました。鬼平犯科帳でも度々登場しています。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その13) 吾妻橋
2023年04月07日
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三囲神社から隅田川に出ました。ここにも鬼平情景の高札がありました。大川(隅田川)の土手のうち三囲神社の鳥居の貫から上が川面から見える辺りを指したようで、「大川の隠居」に登場する場所です。「大川の隠居」というのは巨大な鯉のことで、その鯉を船頭の友五郎と見たのですが、その友五郎がかっては盗賊だったという話だったと思います。隅田川の土手沿いに南に下って、浅草から東武鉄道の隅田川橋梁脇に作られた「すみだリバーウォーク」の入り口付近にも鬼平情景の高札がありました。枕橋とは、当時は堀留となっていた源森川(今の北十間川)に架かる橋で、作品の中では源森橋、源兵衛橋と名を変えて出ています。鬼平犯科帳では、その北詰にある蕎麦屋〔さなだや〕がいっしょに数多く登場します。今は、蕎麦屋はなく、東武鉄道の高架下に閉店したパン屋さんがあるだけですが、枕橋は残っています。橋の欄干には往時の枕橋の様子のレリーフが埋め込まれていました。そして枕橋からは、隅田川に接続する源森川水門が見えます。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その12) みめぐりの土手と枕橋さなだや
2023年04月06日
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国道6号線を渡って、見番通りに入ります。見番通りを歩いてゆくと、三囲(みめぐり)神社(→→→こちら)にやって来ました。三井家(三越などの創業家)が江戸に進出して以来、三井家の守護神として崇敬されているそうです。特に、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたそうです(→→→こちら)。江戸時代から有名な神社だったようで、鬼平犯科帳をはじめ、剣客商売などでもおなじみの神社。鬼平「迷路」では、元盗賊の「玉村の弥吉」が鬼平の密偵となっていましたが、盗賊の「妙法寺の九十郎」はそのことを知らず、「玉村の弥吉」を盗みに誘う場面の舞台となっています。折角、来たので三囲神社に参拝しました。石造りの狛犬があり、さらにライオンの狛犬もあります。かつては池袋三越店頭に設置されていたもので、同店の閉店に伴い、2009年(平成21年)に三越から奉納されたそうです。ご祭神は宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)、つまり稲荷神なので、神様のお使いの「キツネ」もいます。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その11) 三囲神社
2023年04月05日
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東京スカイツリーのふもとに東京ソラマチ(→→→こちら)に出てきました。スカイツリーの脇を流れる北十間川です。本所の「北」を流れる、川幅が「10間」の川であることに由来する名前だそうです。この川は業平橋駅(今のとうきょうスカイツリー駅)で鉄道貨物とも連携して船による物流に重要な役割を果たしていましたが、戦後舟運が衰退し、接続する大横川、曳舟川などは埋め立てられており、水運の役目はほとんど果たされていません。これは水を空気にさらし、液体に空気を供給する「ばっ気」により、水中の微生物有機物の分解を促進させ、水質の浄化を図っているんでしょうね。三っ目通りにむかって歩いて行くと、小ぶりなテニスコートらしきものがありました。スペイン発祥の人気ラケットスポーツ"パデル"(→→→こちら)のコートだそうです。テニスとスカッシュを合わせたようなスポーツだそうで、使っているラケットも板状の短いものでした。東武鉄道のスカイツリーラインを走る特急「リバティ」です。北十間川沿いには、東京ミズマチ(→→→こちら)という商業施設があります。「ソラマチ」と「ミズマチ」なかなかいい対比ですね。こちらは屋根のないオープントップの屋形船。観光舟運の活性化について墨田区が社会実験として取り組んでいる事業の一環のようです(→→→こちら)。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その10) 東京ソラマチと東京ミズマチ
2023年04月04日
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今日は月曜日、いよいよ令和5年度の始まりですね。そんな新年度に、新しく社会人としてのスタートを切る皆さんへ、公園で咲いていた花の写真でお祝いを。新人の皆さんへは、上から目線で見下ろすだけではなく、たまには目線を合わせて、というつもりで撮影してみました。そして、一つ一つの花を愛でるように、新人のみなさん一人一人と向き合ってみるのも、先輩としての仕事でしょうね。人気ブログランキングいよいよ新年度ですね
2023年04月03日
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墨田区にある鬼平情景の高札を紹介している途中ですが、ここのところ週末はお天気が悪く、なかなか行けなかったお花見に、ようやく行くことができました。花見に行ったのは、浅草にある隅田公園です。先月の23日には、満開となった東京の桜ですが、まだまだ楽しめそうでした。とはいえ、散りはじめているようで、よく見ると、葉桜になっているようです。しかし、満開の盛りの桜は、女性で言えば、十代、二十代の若いピチピチした魅力ですが、散りはじめの桜は、しっとりとした妖艶な美熟女の魅力も感じられていいですね。隅田公園での花見の様子は、改めて、後日に「鬼平情景」のシリーズが完成したのちに報告させていただきます。人気ブログランキング隅田川に花見に行ってきました。
2023年04月02日
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東京スカイツリーを見上げながら、浅草通りを歩いて行けば、長養山春慶寺(しゅんけいじ)という日蓮宗の寺院があります。ビルになっているお寺で、こういうのを見ると都会のお寺だなと改めて思います。この春慶寺、「東海道四谷怪談」の作者として有名な、四世鶴屋南北の菩提寺として知られています。この春慶寺の納骨堂はビルの中にある室内廟形式になっているのですが、鶴屋南北の墓だけは墓石が残っています。真ん中のお花が供えられいるのが鶴屋南北の墓石です。「鶴屋南北之墓」と墓碑銘が刻まれています。右隣は「関東俳優之碑」と刻まれた石碑です。この石碑は、市村羽左衛門、中村芝翫、中村富十郎などの歌舞伎俳優の寄進によって建立されたようで、手前に並んだ標石にこの方々の名前が記されていました。劇作家宇野信夫(→→→こちら)の「なつかしや 本所押上春慶寺 鶴屋南北 おちつきところ」という歌碑です。(読み取るのに苦労しました)宇野は東京大空襲で焼け壊れたまま放置されていた鶴屋南北の墓を、1983年自ら墓を再建したそうです。もちろんこの春慶寺も、鬼平犯科帳の中では、平蔵の剣友、岸井左馬之助の寄宿先として多くの作品に登場します。なかでも「明神の次郎吉」は春慶寺が主な舞台になっており、寺域や押上周辺の当時の様子が描かれているそうです。そして、テレビドラマの鬼平犯科帳で、岸井左馬之助を演じていた俳優の江守徹さん揮毫の石碑も建てられていました。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その9) 春慶寺
2023年04月01日
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業平橋から浅草通りを東に進むと、いかにも老舗という風情の、大正12年(1923)創業という煎餅屋さんがあります。キャッチフレーズは「腕っこきの煎餅屋 」(→→→こちら)。その店の横に目立たないように鬼平情景の高札が設置されています。煎餅屋さんの横なので「鬼平のお煎餅あります」と広告看板もついていました。鬼平犯科帳の中では、ここに遠江国横須賀藩3万5千石の西尾家下屋敷があり、周辺は穏やかな田園風景が広がる人気の行楽地。しかし、夜になると下屋敷は博奕場へと変わり、すねにきずを持つ者が身を隠す場所として登場します。今もスカイツリーで人気の行楽地、夜になったら江波杏子ばりの女賭博師(→→→こちら)が壺を振る賭場が開帳されていたりして。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その8) 西尾隠岐守屋敷
2023年03月31日
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さらに大横川親水公園を北に向かって歩いてゆけば、この平川橋がありました。こちらのモニュメントは以前「東京スカイツリー周辺のマイナースポット(その1) 平川橋落橋記念碑」(→→→こちら)で紹介した平川橋落橋記念碑で、以前の平川橋のトラスの一部を記念に展示しているものです。平川橋の傍には無料で楽しめる釣り堀があります。釣り堀に網が架かっているのは鳥が魚を獲らないようにするための防鳥ネットです。大横川親水公園北端の業平橋に到着です。ここにも鬼平情景の高札があり、この業平橋は、鬼平犯科帳の「敵」の中で、鬼平が雇っている元盗賊の密偵、大滝の五郎蔵が橋を渡ったところで尾行されていると感じ、すばやく西尾隠岐守下屋敷わきの木立に身を隠す場面で登場しています。業平橋の傍にあるちょっと変わったモニュメント。凸面鏡があり、鏡には東京スカイツリー全景が写り、ここに立てばスカイツリーとツーショットの写真が撮影できます。こちらの船を連想させる建物は、業平橋観光案内所という公共施設で屋上から長い滑り台がありって子供達には人気がありそうです。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その7) 平川橋と業平橋
2023年03月30日
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報恩寺から再び大横川親水公園に戻ります。まず、大横川に架かっていた紅葉橋から親水公園に入って行きます。親水公園に入っていく坂の途中に高札が出ていました。「出村の桜屋敷」平蔵とその旧友の岸井左馬之助は共に、本所の出村町に道場にある一刀流の高杉銀兵道場に通い、修行を重ねていました。しかし二人とも道場主の孫娘・おふさに恋心を抱き、「おふささんに手を出したら斬る」とお互いに誓い合っていました。のちに、おふさは豪商に嫁ぐことになり、船で去っていくおふさを見送った場所がここという設定だそうです。さらに親水公園の中を北に歩くと、かって大横川が流れていた時の堤防の壁面になにか描かれていました。「すみだむかしはなし」ということで、墨田区に伝わる昔話を紹介していました。「鬼平情景(その3) 弥勒寺門前の茶店笹や」で紹介した弥勒寺にある杉山検校(→→→こちら)や「鬼平情景(その1) 料亭「井筒」」で紹介した与兵衛すしの華屋与兵衛(→→→こちら)などが紹介されています。また、本所七不思議という、今の墨田区になる本所に江戸時代ころから伝承される奇談・怪談が紹介されていました。こちらはよく落語などで使われる「置いてけ堀」(→→→こちら)の話が紹介されていました。錦糸町あたりの堀で魚釣りをして非常によく釣れた町人が、夕暮れになり気を良くして帰ろうとすると、堀の中から「置いていけ」という恐ろしい声がしたので、恐怖に駆られて逃げ帰った。家に着いて恐る恐る魚籠を覗くと、あれほど釣れた魚が一匹も入っていなかったという話です。これは錦糸堀に住む河童かあるいはタヌキの仕業か・・・。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その6) 出村の桜屋敷とすみだ昔話、本所七不思議
2023年03月29日
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しばらくは、この大横川親水公園の中を歩いて行きます。スカイツリーを眺めながらのウォーキングになります。親水公園にあるこの橋。平成23年(2011)に架け替えられた「清平橋」です。橋の横には、旧橋に使われていた鋼材が一部残されていました。清平橋の名前の由来は、昭和4年(1929)に関東大震災復興事業としてこの橋が建設された頃、橋の西側が清水町、そして東側が太平町だったことから、両町名から一文字づつ取って名付けたそうです。墨田区の東西に流れる川が竪川(縦)として南北に流れていた川が大横川というのは、今の地図の感覚からはズレていて面白いですね。この川は、周囲が地下水汲み上げによる地盤沈下のためゼロメートル地帯となったため、堰き止めポンプで常時排水することにより水位を下げるため、スカイツリーの横を流れる北十間川から竪川までの区間が埋め立てられ親水公園として整備されています。そして、蔵前通りから親水公園を離れ、ここ法恩寺の参道にやってきました。この法恩寺、「本所桜屋敷」では平蔵と岸井左馬之助(若い頃、共に剣術修行に励んだ親友)が門前の茶店「ひしや」で20余年ぶりに旧交を温める場面に登場し。「尻毛の長右衛門」では、この法恩寺から物語が始まります。山門の前にあった看板。実はこの法恩寺へは、以前訪れたことがあります(→→→BМWで楽しむゴールデンウィーク(その1) 太田道灌ゆかりのお寺)「ご自由に御参拝下さい」とあったので、自由に参拝させてもらいました。こちらが本堂です。古びた案内板ですが、このお寺のことが記されています。開山は本住院日住上人、開基は太田道灌公であります。太田道灌が江戸城築城の際、長禄2年(1458)≫に当たり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立したそうです。山門近くにある、大きな石碑。この石碑には太田道灌の山吹の和歌の物語が記されています。太田道灌は鷹狩に出かけた。ところが急に雨に見舞われ、近くの粗末な小屋で蓑を借りようとしたところ、中から若い娘が出てきて、黙って山吹の花の一枝を道灌に差し出しました。道灌は花を求めたのではないのにと、娘の真意を理解せず怒って立ち去りました。しかしこれは、それは兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」に掛けて、蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを答えたのだというこを後に知り、和歌の勉強をして教養を高めたそうです。しかし、この粗末な小屋に住みながら、和歌を知っていた教養の高い若い娘、何者なんでしょうね。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その5) 大横川親水公園と法恩寺
2023年03月28日
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いかにも銭湯という佇まい。両国、錦糸町あたりの下町ですね。唐破風の彫刻の装飾がすごいですね。両国駅から歩いてきましたが、こちらもう錦糸町駅に近い緑四丁目付近。ここに長谷川平蔵の旧邸があったことになったています。「鬼平」こと平蔵が27歳のときまで暮らしていた屋敷のあった場所になります。実父の宣雄が目黒行人坂の下手人を捕らえた手柄により京都町奉行に出世し、長谷川家はこの地を去りました。なお、若いころの平蔵は義母から「妾腹の子」と呼ばれて、グレていて本所・深川を根城に「本所の鬼」「入江町の銕さん」などと呼ばれて無頼の生活を送っていた設定になっています。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その4) 長谷川平蔵の旧邸
2023年03月27日
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清澄通りを南に下って、森下の近くまでやって来ると、こちらにあったのが、「茶店 笹や」です。弥勒寺の門前にあり、平蔵が放蕩無類の日々を送り「本所の銕」と呼ばれていた頃をよく知るお熊婆さんのお店です。火盗改の長官になってからは出先のような役割を担い、多くの作品に登場しています。ところで、実際の弥勒寺(みろくじ)(→→→こちら)は、この高札のある場所からかなり離れた、墨田区立川にあるこちらのお寺です。弥勒寺は「万徳山聖宝院」という真言宗豊山派の寺院です。慶長15年(1610)僧宥鑁が小石川鷹匠町に創建し、元禄2年(1689)本所に移転したそうです。江戸時代には新義真言宗の触頭寺院であり寺領100石の朱印状を与えられ、安政大地震まで塔頭6ヶ寺、及び多数の末寺を擁した格の高いお寺だったそうです。境内には、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉に鍼灸師として仕え、その病を治したことで綱吉の信頼を得た杉山検校(→→→こちら)のお墓と鍼供養碑が建立されています。真ん中の五輪塔が杉山検校(本名:杉山和一)のお墓で、左側の石碑がはり供養塔です。説明板に杉山和一について記されていました。ちなみに杉山検校の「検校」というのは室町時代以降、盲官(盲人の役職)の最高位の名称のことで、平曲(平家物語を琵琶を弾きながら語ること)・地歌三弦(三味線)・箏曲等の演奏、作曲、あるいは鍼灸・按摩などに従事する男性盲人の自治的職能互助組織(「当道座」と呼ばれる)のトップのことになります。ちなみに、映画やテレビで有名な座頭市の「座頭」もその当道座の冠位の最下位のもので、座頭市も普段は按摩を生業としていました。こちらの観音像は、「戦災殉難慰霊観音尊像」として1967年(昭和42年)3月の建立されたもので、太平洋戦争による数多くの殉難者の慰霊のために建てられ、付近で亡くなった3500柱の遺骨が納められているそうです。初代林家三平さんの奥さんで、八代目林家正蔵さんや二代目林家三平さんのお母様である海老名 香葉子さんもこのあたりの出身です。ご本人は疎開していて無事でしたが、兄一人を除いてご家族を空襲で亡くされたそうです。戦後はその生き残った兄とも生き別れ、親戚の間をたらい回しにされていたそうですが、父親が有名な釣り竿職人だった縁で、父親の知人で釣り好きで知られた三代目三遊亭金馬に引き取られて、そして初代林家三平さんと知り合い結婚され現在に至っているそうです。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキングと鬼平情景(その3) 弥勒寺門前の茶店笹や
2023年03月26日
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隅田川と中川を東西につなぐ堅川(たてかわ)の上には首都高速7号小松川線が通っています。その竪川に沿って遊歩道が設置されています。自然を楽しみながら歩くという雰囲気はないですが、水辺を歩くのは気持ちがいいものですね。両国らしいモノといえば、この建物。相撲部屋です。清澄通りに出ると鬼平こと火付盗賊改方長官・長谷川平蔵が行きつけの軍鶏鍋屋で密偵の連絡場所。小説の設定では「二つ目橋の角地で南側は堅川」ということで、ここに高札が設置されているんですね。こちらが清澄通りの二之橋(にのはし)。その名前の示す通り、かつては隅田川から数えて二つ目の橋だったので、鬼平犯科帳では二つ目橋としてよく登場しています。ちなみに、今では一之橋とこの二之橋の間には、塩原橋と千歳橋のふたつの橋が架かっています。(鬼平犯科帳ゆかりのコースです)【つづく】人気ブログランキング鬼平情景(その2) 軍鶏なべ屋「五鉄」
2023年03月25日
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